Kirschwasser
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取引当日、ジンとは別に現場入りしたキルシュは、一般客に成りすましていた。
今は園内のカフェでケーキセットを注文し、トロピカルランドのマスコットキャラクター、ウサギの〝ピカール〟のショートケーキを食べているところだ。
ジンの言っていた通り、何か指示が無ければ出番は無い。その時は何もせずに帰るだけだったのだが……。
ジンとの連絡専用の黒い携帯電話に、メールが届いた。
内容は、取引の時間に遅れるという事と、取引相手の監視命令。
聞くまでもなく、何かあったのだろう。
キルシュは監視対象の身体的特徴を頭に叩き込むと、「Yes,Sir.」と返し、観覧車へ向かった。
その頃、ジンとウォッカはミステリーコースターで発生した殺人事件に巻き込まれ、足止めをくっていた。
「どうしやすか、兄貴?」
焦って訊ねるウォッカをよそに、ジンは警察が到着する前に、キルシュにメールを送った。
電話の方が早かったが、誰かに会話を聞かれるのは避けたい。コースターに同乗していた、探偵気取りの妙な高校生も近くに居る。
「キルシュを使う」
「え、来てるんですかい?」
キャンティとコルンには既に撤退命令を出していたという事もあるが、こういった場合は、スナイパーよりエージェントの方が都合が良い。
仮に例の社長が帰ろうとしても、キルシュなら殺さずに引き留められるだろう。
「ああ…」
――俺達も気付かないような姿でな…。
襟刳りに白いフリルレースの付いた淡いピンクのAラインワンピースに、黒地のボレロとエナメルシューズ。
ブルネットの長い髪をツインテールにし、首には黒のリボンチョーカーを蝶々結びに。
ピカールを模したリュックは、下見の時に買っておいた物だ。
ヘーゼルのカラーコンタクトのおかげもあり、その姿はヨーロッパ系ハーフの少女のよう。
自販機で買ったホットドリンクを二つ持ち、はぐれた連れを探しているふりをして接近する。
トイレの脇の狭い道から、奥の茂みを抜け、大観覧車の土台の傍へ。
「クソォ…一体どれだけ待たせるつもりなんだ…!」
土台の向こう側、サングラスをした小太りの中年男が、アタッシュケースを抱え、キョロキョロと辺りを窺っていた。
取引相手が現れず、落ち着かないのだろう。
一度その場から離れようとした時――
「ねぇ、おじさん」
「な、何だ!?」
声をかければ、動揺しながらもいらえを返した。
取引場所に、子供など居て欲しくないのだろう。関わりたくないという雰囲気が滲み出ている。
「お兄ちゃんとはぐれちゃったの。おじさん、知らない?」
「迷子か?この辺には誰も来てない。他を探しなさい…!」
「どこ行っちゃったんだろう…。せっかく飲み物買ってきたのに…」
「観覧車の搭乗口に行けば係員が居るから、そっちに聞けばいいだろう!」
早く何処かへ行ってくれ。そんな風に思っているのが、わかりやすく伝わった。
「その人、お兄ちゃん探してくれる…?」
「園内放送で呼んでくれるよう頼めばいいんだ!ほら、分かったらさっさと行け!」
「……そっかぁ!」
不安げだった表情を綻ばせると、キルシュは持っていた缶飲料を一つ差し出した。
「教えてくれてありがとう、おじさん。これ、冷めちゃうからおじさんにあげるね」
「お、おお…」
――あたたかいコーヒーでも飲んで、もうちょっと待っててね……おじさん?
キルシュの笑顔に絆されたのか、男が缶コーヒーを受け取る。
ばいばい、と大きく手を振り観覧車の搭乗口に向かったように見せながら、キルシュは監視を続けていた。
空が暗くなり始めてきたが、幸い取引相手の男は、その場から動かずに待っていてくれた。
ジンから連絡があり、その旨を報告すると、もう此方に向かっているとの事。
彼等が来る方向を窺う為、キルシュは観覧車に乗った。
双眼鏡で探してみると、どうやら別行動のようだ。
そこで、気付いた。
ウォッカの後を付いて来る人影に。
高校生ぐらいの男が一人、ウォッカを尾行している。
すぐにジンに電話をかけ、報告した。
その後、ジンはその男子高校生を毒殺したらしい。ゴンドラからは現場が見えない為、キルシュは詳細を知らないが。
合流の指示があり、指定された場所に行くと、ジンのポルシェが停まっていた。
喜んで駆け寄って来た少女をウォッカは訝っていたが、ジンは首輪のように巻かれた黒いリボン見て、キルシュだと確信したようだ。
姿を変えていても、キルシュは必ず、黒の何かを身に着けるようにしている。それは服や靴ばかりではなく、持ち物やアクセサリー、髪や瞳の時もあったりと様々だ。
組織の人間ではないが、ジンに飼われている証のようなもの。
キルシュを後部座席に乗せ、ポルシェは発進した。
新しく出来たトロピカルランドに連れてって!……というお嬢ちゃんの我が儘に付き合わされた男達が漸く帰路に着いた、そんなところだろうか。
「どうだった…トロピカルランドは?」
ジンが、運転しながら声だけを此方に向けた。
「トロッピーと遊んで、ピカールちゃんのケーキ食べた!観覧車にも乗ったよ。迷子になった時にね、観覧車の下にいたおじさんと話したの」
「フッ……あの社長、焦ったろうな」
「迷子なら係員の人に言いなさいって教えてくれたから、お礼に缶コーヒーあげたよ」
「随分サービスが良いじゃねーか」
「だって暗くなってきちゃったし、あったかくしとかないと、帰りたくなっちゃうでしょ?」
相手を観察し、その心理を読み取って、此方の良いように誘導する。
見た目のあどけなさも手伝って、取引前の焦燥感を一時和らげ、温かい飲み物を与える事で、キルシュはまんまとあの社長の心を「その場に留まる」方向に持っていったのだ。
「わたしも、ちょっと寒くなってきちゃったな」
そう言い、キルシュはリュックの中からワンピース風のコートと、ポーチ等を取り出した。
ボレロを脱ぎチョコレートブラウンの上品なコートを着ると、前のボタンを全部閉め、同色のベルトを着用。
カラーコンタクトを外し、アイメイクを足してリップグロスを塗り、髪は一旦下ろして編み込みのハーフアップに。その結び目には首に巻いていた黒いリボンを飾り、前髪は斜めに流す。
耳には、リボンモチーフのマグネットピアスを付けた。
三つ折りにしていた靴下を伸ばして、ハイソックスに。
靴自体はそのままだが、内股だった座り方を変え、斜めに脚を揃えれば印象が全く異なる。
ピカールのリュックは最後に取り出したトートバッグに畳んで入れ、ボレロやポーチも全て収納。
車内を汚さないよう細心の注意を払った上での、早業だった。
ジンとウォッカは、これから金を運ぶが、キルシュは行く必要が無い。
途中で降ろされる事を分かっていたので、子供の姿でいるのをやめたのだ。
案の定、ジンはとあるバーの前でポルシェを停車させた。
「キルシュ、おまえは此処で待機だ」
「はい」
車を降り、キルシュは一人、バーの扉を開けて入って行く。
カウンター席に腰を下ろすと、少し考えた後、バーテンダーに注文を伝えた。
「ヴァージン・ブリーズをください」
「かしこまりました」
キルシュは、年齢はともかく、酒自体は飲める。
仕事で必要になる事もあるだろうと、ジンに命じられ、この数年間ほんの少しずつ量を増やしながら摂取しており、徐々に身体をアルコールに慣らしていった。
だが、今夜は後で運転を交代する可能性もあるので、念の為ノンアルコールカクテルにしておく。
ジンを乗せて事故に遭うなんて、万が一にも許されない。
「お待たせ致しました。ヴァージン・ブリーズでございます」
ロックグラスで提供されたそれを口にする。
甘さ控えめで、程良い酸味が爽やかだ。
凜とした歌声が聞こえて来て、ステージに目を向ければ、美しい歌姫が、客達を魅了していた。
歌姫を眺めながら、その旋律をなぞるように小さく口吟んでいると、バーテンダーが注文していないカクテルを置いた。
「キス・イン・ザ・ダークでございます」
「あちらのお客様からです」と示された方向には、見かけはダンディな紳士が。
「やあ、一緒にどうだい?酒の楽しみ方を教えてあげよう」
20歳そこそこの初心な娘が、ちょっと背伸びをしてバーで飲んでいる。そんな風に見えたのだろう。
それにしたって、わかりやすい口説き方だ。
「ドライ・ジン……ドライ・ベルモット……チェリーブランデーの甘みと香りで飲みやすいが、アルコール度数は高い酒だ」
酔わせようって魂胆が明白だな、と。
威圧的な声と共に、後ろから伸びて来た手がグラスを奪っていく。
「こいつは帰りの運転があるんでね…」
「いや…これは失礼。待ち人が居たのか。なら、私は退散するとしよう」
キルシュの傍らに移動しようとしていた男は、ジンに阻まれる形で戻っていった。
冷たい眼で睨まれようが下心を指摘されようが、最後まで紳士面を崩さなかったのは逆に評価したいところだが。
ジンはキルシュの横に座ると、暗い紅のカクテルと引き換えに、自分の酒を注文した。
「悪いな、キルシュ。飲みたかったか?」
「いいえ。他人に餌付けされる義理は無いので」
敢えて、男に聞かせるように答える。
「クックックッ……いい子だ」
紫煙を吐き出し、ジンが低く囁いた。
――帰ったら褒美をやろう……実桜。