Kirschwasser
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「帰りにコーヒーでも飲んで来い。米花町五丁目の、喫茶ポアロだ」
キルシュ――黒澤実桜は、今日も学校帰りに米花町へ向かった。
毛利探偵事務所の下にあり、あの毛利小五郎も出入りしている喫茶店に。
「いらっしゃいませ!あら、実桜ちゃん」
「こんにちは、梓さん」
ウエイトレスの榎本梓には、既に顔を覚えられていた。
以前、梓が店の前で三毛猫に餌をあげているのを見かけたのが、この店に入ったきっかけだった(……という事になっている)。
ポアロのマスターが名付けたという『大尉』と呼ばれる野良猫は、五丁目辺りを根城にしており梓に懐いていて、夕方になるといつも餌をねだりに来ていた。
「嬉しい。今日は大尉くんに会えました」
それが、ポアロに通う表向きの理由の一つだ。
「良かったね、ちょうどゴハンのタイミングで。それじゃあ…ご注文は何になさいます?」
「ミックスサンドと、ホットコーヒーをお願いします」
そしてもう一つの目的は、猫を愛でた後に飲む、特製ポアロブレンドのコーヒー。
今日はついでに、早めの夕食も済ませてしまう事にする。
「かしこまりました。安室さん、お願いしま~す」
これまで、毛利探偵と同じ時間帯に、この店を訪れた事はある。
だが、未だ直接話した事は無かった。
ジンからは、自分から話しかけるような真似はしなくていいと言われている。
ただ客として通い、目立った行動はせず、自然と顔見知りになっておけ。……今はまだそれだけでいい、と。
今の実桜は、彼にとって〝ポアロでたまに見かける女子高生〟程度の認識だろう。
表面上は喫茶店で寛ぎながらも、人物・時間・出来事などを観察、記憶しながら無理なく溶け込む。
探偵との繋がりを持つとすれば、それからだ。
「お待たせしました」
時間帯故に、だんだんと店が混んできた。
梓が他のテーブルで接客をしていたので、もう一人の店員が注文した品を持ってくる。
「ミックスサンドと、ホットコーヒーです」
見上げれば、色黒金髪の青年が、笑顔を向けていた。
「ありがとうございます」
最近は頓に若い女性客が増えたと梓が言っていたが、その原因は彼だろうか。
そんな事を考えながら、此方も笑みを返す。
現に今も、「注文お願いしまーす♪」というこの店員を呼ぶ声が聞こえていた。
安室は「ごゆっくりどうぞ」と軽く頭を下げ、すぐにその席へ向かう。
「あれ?もしかして、実桜先輩…?」
暫くすると、そんな呟きが聞こえた。
声や雰囲気で気付いてはいたが、特に必要無いと思い、自分からは関わらなかったのだが…。
「あなた達は確か、2年生の…」
ゆっくりと振り返り、確認する。
杯戸高校の後輩で、前に中庭で和田陽奈と話していた女子生徒達だ。今日は陽奈の姿は無いが、それ以外は同じメンバーである。
「うっそ…!実桜先輩もイケメン店員目当て?」
「ちょっと、そんなわけないでしょ!実桜先輩には京極先輩がいるのよ?」
「京極先輩との噂はガセだってば!知らないの?実桜先輩には、将来を誓い合った婚約者がいるって…」
生涯を誓ったひとが居る、とはクラスメイトに話した事があった。
だが、何がどうなって『将来を誓い合った婚約者がいる』事になったのか。
「あのね…?何か勘違いしているみたいだけれど、私は……」
「真さんの婚約者ってどういう事!?」
後輩達のものではない声が、店の入口付近から聞こえた。
目をつり上げた茶髪のボブカットが、つかつかと此方へ歩いて来るのを、連れの黒髪ロングヘアが「ちょっと園子、落ち着いて…」と追いかける。
黒髪の方は、ポアロで見た事があった。毛利探偵と一緒に居る所を。
彼を「お父さん」と呼んでいたので、娘なのだろう。
そして、我が校空手部の和田陽奈が都大会で敗北したというライバル……帝丹高校の毛利蘭でもある。
「ちょっとお話を聞かせていただけるかしら?」
此方とは初対面だが、知識としては有る。
あの鈴木財閥のご令嬢、鈴木園子様だ。
「ええ。どうぞ」
柔らかく微笑むと、彼女は隣の席に座った。
このお嬢様も、先刻の発言からして誤解している。
失敗した伝言ゲームの如き展開にも、実桜は動揺する事は無かったが、後輩達と毛利蘭の方は、突然の修羅場におろおろしていた。
成り行きで、実桜・園子・蘭という順でカウンター席に座った状態になり、事情の知らない梓が不思議そうな顔をしていた。
「私は鈴木園子。真さんの恋人よっ」
後ろのテーブル席から悲鳴が上がる。
「はじめまして。黒澤実桜です。京極君とは、ただのクラスメイトです」
今度は蘭が「え?」と声を上げた。
「へっ!?そうなの…!?」
園子も驚いて身を乗り出す。
「はい。あの娘達…あ、同じ学校の後輩なんですが、先程彼女達が話していたのは、私と京極君の噂はデマだったという話です。それに加えて、私に婚約者がいるという話が、部分的に聞こえてしまったのではないかと…」
「じゃあ…私の勘違いだったって事ぉ…!?」
「も~、園子!だから落ち着いてって言ったのに。ホラ、謝って…」
「ご、ごめんなさい…!」
「本当にすみません」
「いいえ。気にしないで?」
二人がそれぞれ注文を済ませたところで、改めて自己紹介をした。
なるほど、京極真が一目惚れしたという彼女か。成就したようで何よりである。
同級生のガールフレンドと、後輩のライバルが親友で、尚且つ、鈴木財閥のご令嬢と毛利探偵の娘。
これは出来すぎた偶然だ。
「あ、でもね…。その『私に婚約者がいる』って話も、誤解よ?」
後輩達に向けてそう言うと、皆一様に瞠目した。
「だって、私が焦がれているだけだもの…」
ミルクを入れたコーヒーを、ゆっくりと味わう。
隣のお嬢様も、興味津々といった顔つきだ。
「私、両親を亡くしていてね。子供の頃から、面倒を見てくれているひとなの」
周りの雰囲気が、一瞬で変わった。
恋バナかと思ったら予想外に重い内容だったので戸惑っている…といったところか。
「年も離れているし、血は繋がっていないけど、誰よりも大事なひと……」
――私には、ジンだけなの。他には何も無い。あなただけ。
最後までは語らずに、実桜はサンドイッチを口にする。
美味しいけれど、先程から気になっていたこの味わいは、おそらく……。
「あの…安室さん。このサンドイッチ、お味噌とか使ってます?」
「ええ、よくお気付きで。マヨネーズに少量、混ぜているんですよ。あとは、和辛子を隠し味程度に」
「そうなんですね。とても美味しいです」
「それは有り難うございます」
工程を思い浮かべながらサンドイッチを食べきると、隣席から視線が。
「もしかしてぇ…『ああ、こんな美味しいサンドイッチを、あのひとに作ってあげられたら…』とか思ってたりして!?」
「えっ?」
「さっきの実桜さん、とっても優しい顔してましたよ」
「そんなこと…やだ、恥ずかしい……」
「実桜先輩、かわいい…!」
園子と蘭だけでなく、後輩達の注目まで浴びてしまい、実桜は更に頬を染めた。
その夜遅く、キルシュはジンに報告した。
「探偵の娘と、成り行きで同席しました。友人だという、鈴木財閥の令嬢も一緒に。黒澤実桜の同級生や後輩と繋がりがあるようで、またあの店で会ったら、話をするかもしれません」
「ホォー…」
「父親の事には触れず、ただ仲良く会話していただけですが、今後もそのように?」
「それでいい、上等だ…。おまえの仕事は、あの探偵を探る事じゃねぇ。奴には組織の探り屋……いけすかねぇが、鼻は利く野郎が張り付いているらしいからな…」
おまえは、来るべき時を待てばいい。
俺以外の全てを欺き、守られるべき子羊のふりをして。
ジンの言葉に、「Yes,Sir.」と返し、キルシュは夜食にと用意したサンドイッチを、テーブルに置いた。
すると、それを見たジンが問う。
「おい。コイツは、その店のじゃねぇだろうな…?」
睥睨し、地を這うような低い声で。
「いいえ。私が作ったものです」
ポアロのミックスサンドを参考にしつつも、ハムではなくローストビーフを挟んだり、キルシュなりのアレンジを加えて作ったサンドイッチ。
なるべく作りたてを味わって貰えるよう、ジンが戻る時間に合わせて仕上げた。
外出先で見繕わなければならない場合を除き、出来る限りジンの食事は手作りしている。
購入したものかどうかを聞かれたのは、初めての事だ。
「フン……ならいい」
ジンが、サンドイッチを口にする。
喫茶ポアロのテイクアウトだと、何がそんなに気に障るのかはわからないが、ジンが拒否するのなら、キルシュは従うだけだ。