一郎彦
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胡々乃が元の姿に戻ったと聞いて、猪王山一家はとても喜んだ。
宗師にも報告に行くと、窃盗犯の捕縛という手柄も合わせ、「良かったのう」と満足げだった。
件の窃盗犯は、被害が最も大きかった街の宗師が裁きを下すという事で、既にそちらへ移送された。
胡々乃の怪我についても報せてある為、厳しく罰してくれるであろうと。
一郎彦が再び彼らを……という万が一の事態も考えての措置だったようだが、杞憂に終わって何よりじゃと笑っていた。
「宗師さまには寛大なるご配慮を賜り、感謝の言葉もございません」
「ふむ。して、一郎彦よ。覚悟は決まったか?」
一郎彦は、宗師の目を真っ直ぐに見据え、「はい」と答えた。
「やはり私は、父・猪王山の元で、この渋天街を守っていきたいです。人間としての私を、街の皆にも受け入れてもらえるよう、尽力して参る所存です。もう、闇にこの身を差し出すような事は無いでしょう」
「ほほう、言い切れるか」
「私はひとりではありません。支えてくれる家族がいます。それに……」
一郎彦が、隣へと視線を移動した。
胡々乃と目が合い、穏やかに微笑む。
これ以上ないほど優しい表情を向けられ、胡々乃は面映ゆく思いながらも、見惚れてしまった。
「フォッフォッフォッ。胡々乃がおる、とな」
「はい」
今一度、宗師に目を向け、一郎彦ははっきりと答えた。
「胡々乃や、傷の具合はどうじゃ?」
宗師に訊ねられ、胡々乃は慌てていらえを返す。
「この姿に戻ってから、もう一度お医者さまに診ていただきましたが、経過も良く、傷痕も目立たなくなるだろうとの事です」
「それは良かった。大事にせよ」
「姿が戻って早々、母の手伝いや機織りを始めて困っております」
「そ、それは……獣化している間は何もできませんでしたし……」
思いがけない一郎彦の言葉に、動揺する胡々乃。
狐として暮らしていた間は、今までしていた家事や稽古事を何一つしなかった為、罪悪感があったのだ。
「無理はしないようにと、宗師さまからもおっしゃってください」
「一郎彦……っ」
「フォッフォッフォッ。胡々乃よ、一郎彦はお主が心配なのじゃ。姿は戻っても、怪我人じゃからのう」
「はい……」
「無理をせずに甘えると良い。一郎彦も、その方が嬉しかろう」
帰り道、焼き栗の露店の前の長椅子に座る二郎丸を見付けた。
「あ、兄ちゃん!胡々乃!」
明るい笑顔で手を振り、呼び掛けてくる。
「二郎丸」
「兄ちゃん達もさ、一緒に焼き栗食おうぜ」
一郎彦は呼び掛けに応じ、自身も着席すると「胡々乃もおいで」と隣に手を置いて示した。
「はいっ」
尻尾を振りながら、胡々乃は甘えるように一郎彦に寄り添う。
栗を剥いて食べさせようとする一郎彦に、胡々乃は口を開こうとして、我に返った。
「すみません、私……!」
宗師に言われたからというわけではない。獣化していた頃の暮らしが抜けていないのだ。
自覚した後、とてつもない羞恥心に襲われる。
先程よりも距離を取り、座り直した。
「……自分で、食べられますから」
「僕は別に構わないが」
「私が構うんです……」
ふたりのやり取りを見て、二郎丸がおかしそうに笑っていた。
「狐の胡々乃も可愛かったけど、やっぱりおいらこっちの胡々乃の方がいいなぁ」
「この間まで、あんなに愛でていたのにかい?それに二郎丸は、子供の時から胡々乃に我が儘ばかり言っていたじゃないか」
「そりゃ、胡々乃がうちに来た頃の話だろ?兄ちゃん胡々乃にばっかり構うんだもんよ。兄ちゃんの弟はおいらなのにって思ったら、ついさ」
それも、今では懐かしい思い出だ。胡々乃の境遇を考えたら、一郎彦がそうするのも理解できると、二郎丸は語った。
一郎彦が人間であると知らされた時、胡々乃がバケモノと人間の混血である事も、宗師によって公表されていた。
人間と、バケモノと、混血の半人間が仲睦まじく話す光景に、街の者達の視線が剣呑なものにならないのは、二郎丸のまっさらな裏表のない態度や、包容力のお蔭もあるのだろう。
「二郎丸……」
穏やかで頼もしげな顔つきに、一郎彦は弟の成長を感じた。
「私は、我が儘だなんて思っていませんでしたよ?お世話になるのですから、あれこれ言い付けられるのは当然だと思っていましたし。毎回ちゃんとお礼を言ってくれて、何だか……やんちゃな弟ができたみたいで」
「そうか!」という二つの声が重なって、一郎彦と二郎丸は顔を見合わせた。
胡々乃は、そんな兄弟をきょとんとした顔で見る。
「へへへ、おいら弟かぁ」
「二郎丸、何をそんなににやにやしてるんだ?」
「だっておいら、兄ちゃんのことも胡々乃のことも好きだから、良かったなぁと思ってよ」
二郎丸はむしゃむしゃと持っていた栗を平らげると、席を立った。
「兄ちゃんのお手柄と胡々乃が戻ったお祝いに、母ちゃんがご馳走作ってんだ。父ちゃんも今日は早いって」
どうやら二郎丸は、焼き栗を食べつつ、ふたりを待っていたらしい。
「そうか。なら早く帰らなければ」
一郎彦は「胡々乃」と呼ぶと、返事の為に開いた口に、最後の栗を入れた。
胡々乃は驚いたが、自然と咀嚼し飲み下す。
「一郎彦……!?」
「さあ、胡々乃。帰ろう」
端正な顔を綻ばせ、差し出された一郎彦の手。
そんな綺麗な笑顔、ずるい。そう思いながらも、胡々乃はその手に自分の手を重ねた。
そして、月日は過ぎていった。
春になり、夏が来て、秋が去り、また冬が訪れ……。
あれ以来、一郎彦の胸に闇の穴が空く事はない。
「一郎彦。話がある」
「何でしょう。父上」
道場にて、父と子は対話していた。
「お前も、もう二十歳だ。正式に、渋天街見廻組の組士となる事を認める」
これまでの一郎彦の働きは、街の住民達にも伝わり、今では頼りにされている。
人間として、彼は渋天街に受け入れられていた。
一郎彦は、一人前の剣士となったのだ。
「有り難うございます。これまで以上に、精進して参ります」
深く頭を下げる一郎彦を、猪王山は感慨深げに見守っていた。
「しかし、私にはその前に、やらねばならぬ事があります」
顔を上げ、一郎彦はそう言った。
強く、凛々しい瞳が、猪王山へ向けられていた。
「それは、何だ……?」
父の心に、一抹の不安が過った。
「──九太に逢う事です」