一郎彦
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青々とした瑞々しい葉を繁らせる秋を過ぎ、竹林には雪が白く輝いている。
うっすらと積もった雪の道を、白狐の胡々乃は、一人の男……鼠顔のバケモノを追いかけていた。
「何なんだよこの狐!何処まで追って来るんだ!?」
絹織物を狙って街に入り込んだ余所者だった。渋天街の織物は良い値が付く為、目を付けられたのだろう。
他の街でも名産品の盗難があったとの情報があり、見廻組が警戒にあたっていた。
威嚇するような声を上げながら、胡々乃は巧みに男を追い込んで行く。
「胡々乃、もういい」
別ルートで回り込んでいた一郎彦が現れ、男の前に立ち塞がった。
「な、何だお前!人間か!?」
猪の帽子の下、その顔を見て、男が驚く。
「渋天街見廻組、一郎彦」
名乗ったかと思うと、一郎彦はいとも簡単に鼠顔のバケモノを捩じ伏せた。剣を用いる事もなく、体術のみで。
「クソッ!放しやがれ!」
「貴様の仲間は何処にいる?答えろ」
地面に押さえつけながら、一郎彦が訊く。
「このォ……人間のくせに!」
一瞬、一郎彦の瞳が揺らいだ。
胡々乃が体を擦り付け、寄り添う。
「いいんだ、胡々乃。下がっておいで」
一郎彦は男を縛り上げると、「父上も近くまで来ている筈だ。報せておくれ」と胡々乃に言った。付近に仲間がいるかもしれないから気を付けて、とも。
胡々乃が素直に従うと、一郎彦は、捕らえた男に告げた。
「早く仲間の居場所を吐いてもらえないか?手荒な真似はしたくないんだ」
──特に、胡々乃の前では。
やがて、猪王山と弟子達数人を案内しながら戻って来た胡々乃。
そこで見たものは、盗みを強要され逆らえなかっただの何だのと言い訳する鼠顔のバケモノと、逃がさぬように話を聞いてやっている一郎彦、そして今まさに彼を背後から攻撃せんばかりの、刃物を持った鼬顔のバケモノだった。
「一郎彦!」
猪王山の叫び声とほぼ同時に、胡々乃は刃物の男に飛びかかっていた。
一郎彦は、猪王山が主宰する見廻組の仕事を手伝っている。
闘技場での、一郎彦の所業を目撃したバケモノ達は多い。
宗師と元老院の決定に異を唱える事はないが、遠巻きにしたり怯えた目を向けて来る者もいる中、一郎彦の猪王山への憧憬を思えばと、父との種族の違いを突き付けられた彼に憐憫の情を抱く者もいた。
闇に囚われるまでは折り目正しく育った事と、猪王山がこれまで培ってきた信頼も大きいのだろう。
今はまだ正式な組士として認められてはいないものの、一郎彦が渋天街の治安を守らんとする姿は、住民達の不安を徐々に取り除いていった。
一郎彦の闇は、九太と熊徹に斬り裂かれ封じられたが、完全に消え失せたわけではない。
人間である限り、闇を抱えたまま生きていかなければならない。
決して呑み込まれぬように、強い意志を持って、己を律するのだ。
九太がそうであったように。
「──胡々乃?」
白い毛並みが、赤く染まっていく。
雪の上に頽れた胡々乃を目にした一郎彦は、念動力を発動させていた。
「よくも……!!」
周囲にある物が浮き上がり、刃物の男に迫った。
「いかん!」
猪王山が、背後から一郎彦を抱き竦める。
狐の鳴き声が、聞こえた。
一郎彦……!
悲鳴を上げる鼬顔のバケモノの面前で、飛んできた全ての物が静止し、地面に落下した。
息を整えながら、右手首の赤い紐を視界に入れる一郎彦。
「父上……もう、大丈夫です」
「一郎彦……」
猪王山が、抱擁を解いた。
一郎彦は、改めて鼬顔のバケモノを見据えた。
「人間め!くたばれぇ!!」
鼬顔のバケモノが、再び襲いかかってくる。
一郎彦は刃物を躱し、カウンターで腹に一発打ち込んだ。
実に呆気ない幕切れだった。
「胡々乃ッ……胡々乃!」
倒れ伏した男を見廻組の者達に任せ、一郎彦は胡々乃の側に膝をついた。
出血を止めようと、脱いだ上着で傷口を押さえる。
「すぐに医者へ連れて行こう」
「はい!」
猪王山に言われ、一郎彦は胡々乃を抱え上げた。
診療を受けた胡々乃は、再び一郎彦に抱かれて猪王山邸へ戻って来た。
敷かれた布団の上に、安静に寝かされる。
一郎彦を守ろうと、鼬顔のバケモノに飛びかかった胡々乃。
抵抗のため振り回された刃物が、胡々乃の左前足を肩にかけて傷付けた。
出血のわりに傷はそれほど深くなく、命に別状はない。幸いにも、腱や神経の損傷もなかった。
とはいえ……。
「胡々乃」
眠っている胡々乃に、一郎彦は呼びかける。
「すまない、胡々乃……」
一郎彦の声は、震えていた。
血を流し横たわる胡々乃を見た瞬間、怒りが込み上げた。
胸に穴が空き、念動力で相手を痛め付けようとした。
父が、猪王山が抱き締めてくれたから、止められた。
そして、胡々乃の声を聞いたから。
「声が、聞こえたんだ。鳴き声と共に……君が、僕を呼ぶ声が」
我に返り、襲いかかってくる鼬顔のバケモノを一撃で倒した。
もう一度胡々乃の姿を確めて、今度は怖くなった。
失うかもしれないと、戦慄した。
命は助かったとわかった、今でも。
「僕が守ると、約束したのに……」
ありがとうございます、と微笑む幼い胡々乃の姿が頭を過る。
獣化したままでも、大事にしようと決めたというのに。
見廻りに付いて来るくらいならと、安易に考えてしまった。
こんな傷を負わせてしまった。
手で顔を覆い、俯く。
暫くそうしていると、片方の手に、濡れた感触。
ハッとして手を離し、目を向ける。
目覚めた胡々乃が、一郎彦の手を舐めていた。
「いけない、胡々乃!無理をしては……っ」
一郎彦は、胡々乃を布団に戻した。
包帯を巻いた左前足には触れないよう、そっと。
すると、今度はすりすりと頭を押し付ける胡々乃。
甘えているのか、それとも慰めているのか。
「胡々乃……」
胡々乃の頭を撫で、その手を頬に添えると、一郎彦は金色の瞳を見据えた。
「どんな姿でも、君は美しい」
額を合わせ、目を伏せる。
「大好きだよ。胡々乃」
そう紡いだ瞬間、胡々乃の体が淡く光り、白く柔らかなベールようなものに包まれた。
「…………いちろうひこ」
拙く発せられた声。
一郎彦を映す瞳の虹彩は、琥珀色に変わっていた。
そこに白狐の姿は無く、狐の耳と尾が付いた半人間……の、胡々乃がいた。
「……胡々乃?」
「私……どうして……?」
瞠目する一郎彦と、自分でも何が起きたのかわからない胡々乃。
一郎彦は、確めるように胡々乃の頬を撫でた。
「胡々乃」
「っ……一郎彦」
そして、ゆっくりと、その身を抱き寄せる。
「ああ……胡々乃だ」
しかし、上腕の包帯を見て、すぐに胡々乃の表情を窺う。
「体は、大丈夫なのか?傷が痛んだりは?」
「平気です。……と、思います」
曖昧な答え方だった。胡々乃自身も、未だ混乱しているのだ。
「今までの事は、覚えているかい?」
そう訊ねれば、困惑ぎみだった胡々乃の顔が紅潮していく。
「あ……あの、私……心も獣化してしまっていたようで、その……あまりよく考えず、暮らしていたというか……っ」
胡々乃は、狐として暮らしていた事を、自分の行動を、全てちゃんと覚えていた。
今になって羞恥が込み上げてきたのか、泣きそうになりながら必死に説明した。
「毎晩のように一緒に眠ったり、尻尾を揺らしてやって来て甘えたりしたのは、本心からの行動だったというわけか」
「ち、違っ……いえ、ごめんなさい……」
「僕を守る為に、こんな怪我をした事も?」
「それは……申し訳ありません。思わず体が動いてしまって」
「先刻僕が言った事も、覚えているだろうか?」
恥ずかしそうに頷く胡々乃を、一郎彦は、再び抱き締めた。
「君がどんな姿でも、僕は愛しい。けれど、またこんな風に言葉を交わせるなんて、僥幸だ」
「一郎彦……」
好きだよ、胡々乃。大好きだ。