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その日、ピッコロは悟飯の家で夕食を共にしていた。
「ピッコロさん、明日って何か予定あります?」
「明日は、栞音と出掛ける約束をしているが」
水の入ったグラスを傾けながら、ビーデルの質問に答える。
「栞音ちゃんと?」
「ああ。雪解け水を飲みに、北エリアへ行く予定だ」
ピッコロの好物は水だが、特に北エリアの雪解け水を好む。今度行く時があれば一緒に連れて行ってほしいと、栞音が言ったのだ。
これまで感情に蓋をしてしまいがちだった栞音が、変身していない時でも、少しずつだが自分の気持ちを伝えてくるようになった。
栞音の望む事をしてやりたいが、具体的にどうしていいのかわからないピッコロにとって、それは歓迎すべき変化だった。
「北エリアかー。栞音の舞空術じゃ、ピッコロさんのスピードにはついていけませんよね。あ、もしかして修業の一環ですか?気のコントロールの」
「悟飯……いつの話をしているんだ。栞音はもう俺達と遜色なく飛べるぞ」
「えっ!?」
「バリヤーも張れるし、気功波も撃てる」
驚愕する悟飯を前に、ピッコロは得意げな口調になって言った。
「そうなの?栞音ちゃんすご~い!」
パンが感嘆し、身を乗り出す。
ビーデルも驚いているようだった。
「知りませんでした……いつの間にか、栞音がそんなに成長していたなんて……」
悟飯は栞音に、舞空術しか教えていない。導いたのは、ピッコロだ。
「昔は、お兄ちゃん子だったんですよ。父さんが死んじゃってたから、ボクがおとうさん代わりで。悟天と一緒に、ボクの後を付いて回って……」
悟飯がビーデルと付き合うようになってから、栞音は兄に遠慮するようになった。
元々あまり自己主張をする方ではなかったし、構ってもらえなくても仕方ないと我慢していた事もあり、一緒に過ごす時間は減っていった。
そして、今の悟飯には家庭があるのだ。
「おまえにはビーデルがいるし、今はパンもいる。栞音は、おまえたち家族を尊重しているだけだ。悟飯を嫌いになったわけじゃない」
「ボクよりピッコロさんの方が、栞音のことよくわかってるんだ。なんだか、さびしいな」
複雑そうな笑みと共に発せられた悟飯の言葉に、つい口角が上がってしまうピッコロだった。
――何だろうな。この感覚は……?
「それで、ビーデル。オレに何か用事でもあったか?」
「あ、お買い物に付き合ってもらおうかと…。でも、先約があるならいいの。栞音ちゃんによろしくね」
「ビーデルさん!荷物持ちならボクがするよ!今やってる研究、一区切りついたし」
「あたしも!いっぱい持てるよ!」
「ふふふ、ありがとう」
翌日、栞音はピッコロから遅れる事なく北エリアまで順調に飛んで来たのだが、雪原地帯に差し掛かる頃には、白い息を吐きながら震えていた。
「さむい……」
「そうだった……おまえたちは寒さに弱いんだったな」
「ごめんなさい……北エリアってあんまり来ないから、こんなに寒いなんて知らなくて……」
栞音はラベンダー色のショート丈のコートを着用しており、ウィンターブーツを履いていた。東エリアにあるパオズ山ではこれでも充分な防寒だったのだが、北エリアではそうはいかない。
ピッコロは、栞音に向けて手を翳した。
栞音の身体をピッコロの放った力が包み込み、それがパッと弾けたかと思うと、服の上から白いマントが着せられていた。
「え?これ……」
栞音は胸元のドレープに触れたり、身体を動かして裾をひらひらさせたりとマントの構造を確認した後、はにかみながら呟いた。
「ピッコロさんのマントに似てる」
「修業用ではなく防寒用だから、形は少し違うがな」
白い生地や首周りのボリューム感は同じだが、張り出した肩パーツが無く、胸の前で留めるタイプのマントは、栞音を寒さから守る為のものだ。
「ありがとうございます。ピッコロさんっ」
礼を言う栞音を、ピッコロは満足げに見やった。
「行くぞ、栞音」
「はい!」
再び飛んでいると、やがて、凍てつく湖が見えてきた。
「わあ…!」
透き通った湖面の下に、無数の白いクラゲのようなものが閉じ込められ、湖の奥へと続いている。
「湖が、水玉模様みたいになってる。何ですか……これ?」
「湖底の植物などから立ち上る気泡が、湖面に辿り着く前に凍りついたものだ。アイスバブルと呼ばれているようだな」
底から立ち上るガスの気泡が、水面へと上がる途中で氷に閉じ込められ、幾層にも重なりながら凍りついていた。
まるで時間が止まったかのような、不思議な光景。自然が生み出した、幻想的で美しい景色だった。
「北エリアには、こんなところもあるんですね」
「ああ。割れんから乗ってみるといい」
栞音は、おそるおそる湖面に足を下ろした。氷は分厚く、頑丈そうだ。
「乗れた」
「せっかくだ。歩いて行くとするか」
アイスバブルを眺めながら、氷の上をゆっくり歩いていくと、滝の近くまで来た。
「飛ぶぞ。風が強いから気を付けろ」
「はいっ」
舞空術で移動するピッコロを追い、凍りつき雪を被った滝壺に降り立つ。
滝の方を振り返り、栞音は息をのんだ。
翼を広げた鳥のような大きな氷瀑が、視界いっぱいに。
まるで、氷の化身だ。
「すごい。ぜんぶ、凍ってる」
目をきらきらさせながら見入る栞音に、ピッコロは充足感のようなものを覚えた。
栞音が喜んでいる。それが何よりも価値がある事だと。
だが、暫く眺めていると、栞音が小さなくしゃみをした。
――やはり此処は、栞音には寒かったか。
自分とは違う不便な体質を慮り、ピッコロは栞音の身体を、背後から自身のマントで包んだ。
「……っ」
栞音の頬に、赤みがさす。
緊張した身体が、やがて弛緩した。
「ピッコロさんのマント、あったかい」
「おまえに着せたものと、素材は変わらんぞ」
「ピッコロさんのだから、あったかいんです」
「そうなのか…?」
「うん。守られてるみたいで、安心するの」
うっとりした声で言う栞音の気が、微かに揺らいだのを感じた。
「栞音?」
マントの中、顔をこちらに向けた栞音の瞳が、紫銀色に煌めいたように見えた。
だが、その仄かな光はすぐに消え、今は栞音本来の瞳である。
「見間違いか……?」
「ピッコロさん?」
「いや……。此処はおまえには寒いだろう。滝裏に洞窟がある」
冷たい風をマントで遮ってやりながら、ピッコロは栞音を連れて滝裏の洞窟に入った。
洞窟内は外部とは違い、温度が一定に保たれている。氷瀑の隙間から差し込む光で、暗闇にはならず、うっすらと明るい。
「ここは、あんまり寒くないんですね」
「奥に湧き出ている雪解け水も、凍る事はないからな」
初めて来た栞音には歩きづらいだろうと、ピッコロが手を差し伸べる。
栞音は驚いたようにピッコロを見つめ、戸惑うが、静かに手を重ね、顔を綻ばせた。
水の音がする奥へと、20メートルほど進む。そこには、岩間から染み出る湧水が、小さな滝のように流れ続けていた。
「きれいなお水……」
ピッコロは瓶を出現させると、雪解け水を汲み、栞音に差し出した。
「飲むか?」
「ありがとうございます」
栞音が初めて飲んだその水は、口当たりがやわらかく、まろやかな味わいだった。
「おいしい!」
その言葉と輝くような笑顔に、ピッコロ自身も笑みが深くなる。
「パオズ山のお水も、すっきりとしたさわやかな味でおいしいですけど、これは……なんていうか、丸みがあって……ほんのり甘いような……?」
「水は場所によって違うからな。それぞれの良さがある」
栞音が飲み終わると、ピッコロはその瓶にまた水を汲み、今度は自分の喉を潤した。
「この水を、おまえにも飲ませたかった」
「あはっ……嬉しい」
栞音はいつの間にか、やわらかな水のゆらぎに包まれているかのような、月白のオーラを纏っていた。
「栞音、おまえ……」
「嬉しいの。ピッコロさんの好きなお水いっしょに飲めて。凍った滝も、湖も綺麗だった。ピッコロさんに連れてきてもらえて、寒さからも守ってもらえて……わたし、とっても幸せ」
どうやら、先刻のあれは見間違いなどではなかったようだ。瞳も、髪の色も、ゆっくりとだが、変わりつつある。
未だ不安定ながらも、超サイヤ人ルナへの変身の兆しを見せる栞音に、ピッコロはその原因を探っていた。
悟空や悟飯は、怒りがきっかけだった。
悟天は、いつの間にか変身できるようになったという。
感情の昂りは、怒りでなくてもいいという事なのか。
しかし、栞音の変身は、満月の光によるもののはずで、今は満月でもなければ夜でもないというのに。
それどころか、今日は新月だ。
──満月の夜は、今では必ずオレがついている。まさか、条件反射か……?
「栞音」
ピッコロは、栞音を抱き寄せると、そっと背中を撫でた。
瞬間、洞窟内がやわらかな光に照らされる。栞音が、覚醒したのだ。
「ピッコロさん」
甘く呼びかけ、ぎゅうっと抱き締め返す栞音は、紫がかった銀色の瞳で、金糸の髪をふわふわと揺蕩わせている。
やはり他の超サイヤ人とは形態が違うが、満月の力を借りなくとも、独自の変身を遂げていた。
「栞音、気付いているか?」
「え?」
「おまえは今、超サイヤ人になっている」
「……あれ?どうして?」
「身体に変化はあるか?」
「んー……なんか、ぞわぞわして……気持ちいい感じ。でも、きゅんきゅんしてホワホワもしてる」
「何だそれは……わからん」
「ピッコロさんに抱き締められると、心が落ち着かなくて、舞い上がっちゃうの。でも少しすると、心地よくて、安心して、もっとぎゅってしてほしくなる」
どうやら、この変身のきっかけはピッコロらしい。
栞音は、満月の光による変身を何度か繰り返すうち、変身時は必ずピッコロがいてくれると学習していたのだ。その時に抱いていた高揚や安らぎといった幸福感が、今この時にも急激に高まった事で、栞音に満月の夜と同じ変化をもたらした。
ピッコロはそう推測すると、栞音の頬に触れた。
「超サイヤ人になるには極端な感情変化が必要だという事は知っていたが……まさか怒りではなく、喜びの感情で覚醒するとはな……」
「ピッコロさんが好きなんだもん。それに、ピッコロさんの気も好き」
超サイヤ人ルナへの変身は栞音の身体に負担がかかるため、ピッコロは夜明けが近くなると、自身の気を少し分けてやる事にしていた。栞音が、問題なく日常生活を送れるようにと。
「そうか……オレが度々気を分けた事も、何らかの影響を与えているのかもしれんな」
地球人やサイヤ人とは違う、魔族をルーツに持つナメック人の気。今までにも悟空や悟飯、クリリンらと気のやりとりをした事はあったが、ピッコロから一方的に、何度も気を送り込んだのは栞音だけだ。
ピッコロは、一抹の不安を感じていた。
もし、栞音の中で何かが変わり始めているのなら、それは良い事なのか悪い事なのか……今はまだ判断がつかない。
「栞音、身体に負担がかかる前に、一旦元に戻ってくれ」
栞音の肩に手を置き、少し距離をとる。
すると、栞音はきょとんとした顔で、ピッコロを見つめた。
「元に戻るって……どうやるの?」
「なに…!?」
栞音はこれまで、夜明けには自然と変身が解けていた。
自分の意思で元の姿に戻っていたわけではない。
「気を抑えれば……戻れるんじゃないのか?いや……オレが、栞音から離れた方がいいか……?」
ピッコロは、まず自分が洞窟から出るので、栞音は変身が解けてから出てくるように言った。
「わかった。やってみるね」
栞音は目を閉じ、ゆっくりと呼吸して全身の力を抜いていく。
その間にピッコロは洞窟を出て行き、滝壺の所で待っていた。
「ピッコロさん!」
やがて、栞音が洞窟から出てきた。
揺蕩うオーラが消えており、浮かんでいた髪が重力に従い下りている。だが、色は変わらず金髪のままだ。
瞳の方も、紫銀色のままだった。
「戻れなくなっちゃいました…」
「な、なんて事だ……!」