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ミツナル短編集

 数刻前、事務所に一人でいたぼくは御剣から「今からそちらへ行ってもいいか」という電話を受けた。そのの声はなんだか酷く緊張しているように思えて、何か事件があったのかと問うがそういう訳では無いようだった。いいだろうか、と再度聞かれ、ぼくは構わないよと快諾した。
 そして現在、御剣はぼくの右横に座っている。てっきり正面の椅子に座るかと思っていたらなぜかコイツはぼくの横へと来た。……横とは言うが、ソファの肘掛けにぴったりくっついてぼくとなるべく距離を取ろうとしている。そんなに離れたいのなら横になんて座らなければいいのに、一体何がしたいのかさっぱり分からない。
 ぼくは呆れつつ首を少しだけ右に向けて御剣の顔を観察する。その顔は酷く青ざめ、今にも倒れてしまいそうなほど虚ろな瞳をしていた。一気に心配になり眉を下げて大丈夫かと尋ねるが、ああとかうんとかいう空返事しか返ってこない。ずっと俯いているし、先程から一切目が合わない。これは余程の事があったに違いないと、気を引き締めて、でもなるべく優しい声で、なんの用で来たんだ、と問う。
「……成歩堂」
「うん」
「私は、私は」
「うんうん」
「私は、キミの事が好きだ」
「うん……うん?」
「私と、付き合ってくれ」
「…………え?」
 全く予想外の展開に横から急に殴られたような衝撃が走る。一体何が起こったんだ?今言われたばかりの言葉を反芻し、大きく口を開けて御剣を凝視した。火の玉ストレートをお見舞いしてきた張本人は、さっきよりもずっと顔色が悪く、もうほぼ緑色で、気絶しそうなほどであった。お前それは愛の告白をする顔じゃないだろとどこか冷静な頭で考える。
 今の発言と御剣の絶望したような顔から察するに、なんらかの罰ゲームでぼくに告白してきたのでは、と考えるのが自然だが、サイコロックは発動していない。つまり、やましい事や隠し事が無い。嘘をついていない。……と言う事は、コイツは本当に、ぼくの事が好きで、付き合いたいと思っているのだ。
 なんてこった、と空を仰いだ。ちょっとシミのある天井を眺めながら、脳をフル稼働させた。
 正直言って、ぼくは御剣に恋愛感情があるかと聞かれたら「よく分からない」と返す他ない。御剣は親友で、ライバルで、相棒で。小学生の時に助けてもらってからずっと憧れていて。好きか嫌いかで言うと間違いなく好きだ。大切だ。だがそれは“恋愛”ではなく“友愛”だ。御剣と恋人同士になるなんて、考えた事がない。世の中の多くの人は、友達から恋人に発展していくのだろうが、生憎ぼくは今までの人生で友達だと思っていた人から告白なんてされた事が無い。この先ぼくの気持ちがどうなるのか「よく分からない」と答えるのが正解なのだ。
 今、この瞬間、ぼくの返事次第で全てが変わるのだろうか。もしぼくが告白を断ったら、御剣はまたぼくの前から消えてしまうのだろうか。
 そんな事は許さない。それならば、この手を取るのが最善なんじゃないか。
 耳の中から血の巡る音が聞こえる。ぼくはゆっくりと右に移動し、ぎこちなく、御剣の手を握った。その手は異様に冷たく、まるで氷を素手で触っているかのようで一瞬ギョッとした。だが御剣の方が余程驚いているようで、小さく震えながら自分の手に重ねられたぼくの手を一心に見つめていた。ぼくはごくりと唾を飲み、意を決して言葉を発した。
「あの、こちらこそ、よろしく」
 思ったより小さな声しか出せなかったが、二人きりの事務所では十分すぎるほどはっきりと響いた。御剣は驚愕して細い目をこれでもかと見開き、俯いていた顔を勢いよく上げてぼくを穴が開くほど見つめて来た。法廷で、そしてプライベートでも幾度と無く見てきた顔だが、こんなに至近距離で見つめ合う事など無かった為緊張してしまう。これでぼくらは恋人同士なのかと心臓の鼓動が早まった。
「……信じられん」
「へ?」
 またもや予想していなかった発言に、間抜けな声が出た。御剣はいつも以上に険しい顔で、怒りを露わにしてぼくを睨んでいる。
「信じられないと言ったのだ。同情などいらない。惨めになるだけだ」
「ど、同情なんかじゃないよ!」
「成歩堂。キミのお人好しは美点だが、優しい嘘は時に何よりも残酷だ」
「違うって!ちゃんとぼくだって、お前の事す、好きだよ!」
 好きだ、と、はっきり口に出してみるとなんだか思った以上にしっくりきて、自分でも驚く。埋まっていなかったパズルのピースがかちっと嵌るようで、すっきりとした心地がする。そんなぼくとは対照的に、御剣は苦虫を嚙み潰したような顔で首を横に振った。
「キミの好きと私の好きは、意味が違う。私が気が付いていないとでも思っているのか?」
 確かにこの、しっくりきた“好き”が恋愛のそれなのか未だに分かっていない。だがこうも真っ向から否定されるとムショウにイライラして、咄嗟に反論してしまう。
「違わないよ!お前の事、ちゃんと想ってるよ」
「フッ。気持ちだけ頂いておく」
「待った!なんでぼくがフラれたみたいになってるんだ!?納得いかない!」
 御剣はやれやれ、と肩を竦めていつものような腹の立つ顔で笑う。だがその笑顔の奥には諦めが見えて、ぼくは益々腹が立って頭に血が上って来た。勝手な事ばっかり言いやがって!と、最早やけくそになり、大胆にも御剣の頬に口をくっつけてやった。
「こ、こういう好きだよ!これでも信じられないか?」
 自分からやっておいてなんだが、余りの恥ずかしさにかーっと顔に熱が集うのを感じる。これでこの頑固頭も観念するだろうと思ったが、御剣はぽかんとした顔をまた青くして、すまない、とか細く呟いた。
「すまない。キミが異常なまでの、常軌を逸したお人好しだという事を忘れていた。私の為に、こんな、身を売るような事を……!」
「は、はあぁぁ!?」
 とうとう御剣は、法廷でのぼくのように頭を抱えてしまった。なんだそれは!せっかくチューしてやったのに、なんで落ち込んでるんだ!予想外すぎる反応の数々に、ついに爆発したぼくは御剣のヒラヒラをひっつかんで揺さぶった。
「バカ!もうぼくと付き合えよ!お前が言ったんじゃないか!」
「駄目だ……キミと付き合う事はできない。勝手な私を許してくれ。いや、許さないでくれ……」
 御剣はとうとう涙を浮かべ、悲痛な面持ちで無理やり口の端を持ち上げていた。泣きたいのはこっちだ!と怒鳴ってやろうとしたができなかった。きっと今怒っても、コイツの意固地な考えは変わらない。そう考えると途端に気持ちが激しく萎み、本当に涙が滲んできた。
 離れたくないだけなのに、なんで分かってくれないのだろう。
 
 ヒラヒラからぱっと手を放し、俯いて呟く。
「分かった。付き合わなくていい」
 そう告げると御剣は目を伏せ、ああ、と低く唸るように声を絞り出した。その態度にまた悲しくなり、膝の上で拳を握る。
「ただ、約束してくれ。ぼくの前からいなくならないで欲しい。お前、また消えようとしただろう?もう耐えられないんだ。勝手にいなくなるな。……それだけで、いいからさ」
 御剣の告白を受けた最大の理由を正直に伝えると、御剣はハッとしたように顔を上げた。
「関係なんてなんでもいい。お前の近くにいられるのなら、ぼくは何にだってなるよ。御剣の事好きだもん」
 そう、ぼくらの関係なんて、なんだっていいのだ。真っ向から戦うライバルでも、肩を並べて同じ方向を見つめる相棒でも、寄り添って睦み合う恋人でも。もう離れたくない。離したくない。祈るような気持ちで目を閉じていると、突然腕を引かれて御剣の厚い胸板に抱き留められた。
「……私は、自分の都合ばかり考えて、肝心のキミの事をないがしろにしてしまっていた。キミを何よりも大切に思っているはずなのに。本当に、すまない。私もキミの近くにいたい。誰よりも近くに。だから成歩堂。改めて、私と交際してくれないだろうか。愛してるんだ」
 目いっぱい抱きしめられて苦しいが、それ以上の歓喜が胸を埋め尽くした。愛してる、なんて情熱的でキザなセリフに笑ってしまう。ずび、と鼻をすすって額を御剣の肩に押し付けた。
「……だから。ずっと言ってるだろ。こちらこそって」
 抱き合っているとドキドキと胸が高鳴った。ああ、ぼくって御剣の事こんなに“好き”なんだな。ぼくらの関係は変わるんじゃなくて、増えるだけなのかもしれないと独り言ちる。御剣の全部になれて嬉しいなんて、少し強欲だろうか。
 この幸せを享受するように、大きく息を吸い込んで、未来へと思いを馳せた。
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