ミツナル短編集
事件は午後七時を過ぎた頃に起きた。夕食を終え、食器の片付けも済ませ、さあゆっくりしようとソファへと座った所で、共に食事をしていた成歩堂がすました顔をして、何やら白い箱と皿とフォークを持って私の隣へと座った。
「はい、これ」
「……ケーキか?」
「うん。ケーキ」
「そうか……ケーキだと!?」
持っていた雑誌を放り投げ、ソファからひっくり返りかけた。私は信じられない思いで成歩堂と箱を交互に何度も見る。そんな私を完全に無視し、成歩堂は箱からケーキを二つ、取り出した。穴が開くほどそのケーキを見ると、最近評判になっているというケーキ屋の、それも一番人気のケーキだった。ありえない、成歩堂が自らケーキを買ってくるなど、みぬきくんが帰ってくる時以外ありえない!一体何が起きているのだ!?と混乱する。
「なあ。何か忘れてる事、無い?」
驚愕していると成歩堂は肘をつきながらどこか不貞腐れたような顔をして、私をじっと見つめてきた。
「わ……忘れている事?」
サユリさんか?と一瞬思うが、いくらジョークのセンスが無いにしてもブラックが過ぎる。それは確実に無いなと頷いた。
馬鹿な、私が忘れている事などあるはずが無い。忘れているといえば目の前の仏頂面の男だ。この男は付き合った日も手を繋いだ日もキスした日も覚えておらず、祝い事の日さえも忘れている事が多い。「そういえば今日だったか~」と間抜け面で抜かす成歩堂に、私はよく説教をしている。記念日を忘れるなど、全くどこまでデリカシーが……記念日?
(記念日だと!?)
瞬間背筋が凍りつき、冷や汗が止まらなくなる。硬い動きで成歩堂へ視線をやると、成歩堂は無表情で私をただじっと見ていた。私を試すように、ただじっと。
「わ……忘れている事など、無い。覚えている。完璧にな!」
途中でどもってしまったが大きな声で誤魔化した。ああ、嘘をついてしまった……と罪悪感にかられる。いつも口うるさく記念日の事を言っている私が、忘れているとは到底言えなかった。それに、せっかく珍しくこうしてケーキを用意してくれたのに、成歩堂を悲しませてしまうかもしれない。そう思うと自然に口は「覚えてる」と言ってしまっていた。
「……へぇ、覚えてるんだ」
成歩堂は二度瞬き目を丸くして、無表情を崩した。なんだその驚いた顔は!もしやバレている?いや、勾玉は私の腕時計と同じ場所に置かれていた!ならばさいころ錠は見えていない!とぐるぐる考え、私は堂々と胸を張って鼻で笑った。
「フッ。当然だろう?キサマが覚えているのに私が忘れている事など存在しない!」
「学級裁判の事は忘れてただろう……」
肩をすくめる成歩堂を無視して、私は天才と謳われる脳をフル回転させて記憶を辿る。
クソっ、思い出せん!一体今日はなんの日なのだ!初めて出会った日か?いや、それは新学期だから四月のはずだ。学級裁判の日か?いや、あれは確か夏だったはずだ。成歩堂との思い出はそのほとんどが真冬。暖かくなり始めたこの季節に思い当たる記念日は無く、私はふんぞり返りながら内心頭を抱えた。
「じゃあ、今日はなんの日?」
「……き、キミがケーキを用意したのだから、キミから言いたまえ。いつもは私が何かしら用意しているのだから」
「はぁ~……」
深くため息をつく成歩堂に、ビクリと肩を震わせた。私が今日という日を忘れている事はとっくに知っていて、にもかかわらず私が余りにも偉そうな態度を取るものだから呆れてしまったのだろうか。
有罪判決を受ける被告のような心境で、俯いて膝の上で拳をきつく握りしめた。何を言われるのかと恐ろしくて仕方がなかった。
「今日はさ」
成歩堂はそっと私の拳に自分の手を添え、顔を覗き込んでくる。不機嫌な顔をしていると思っていたが、その表情は優しく、愛おしいものを見る目をしていた。
「今日は、別になんでもない日だよ」
「…………なんでも、ない日?」
「そう。なんでもない日!」
何を言われたのか理解が追いつかず、復唱すると成歩堂は堪えきれなかったように吹き出した。
「あはは!お、お前、焦りすぎだろ!」
「な……な、き、キサマ……謀ったな!」
「謀ったって、そんなんじゃないよ。からかったの」
「同じ事だ!キサマと言うヤツは~!」
「はは!い、いたいいたい」
私は顔を真っ赤にして成歩堂の頬を抓った。余程おかしかったのか成歩堂はそれでも笑い続け、私が手を離しても頬より腹を抑えていた。
「あ~面白い。お腹痛いよもう」
「フン。聞かせてもらおうか!なんのつもりでこのような事をしたのか」
「なんのつもりって。だから別にからかっただけだよ。お前がいつも記念日記念日ってうるさいから、ちょっと仕返し」
「なんだと!?」
怒りのまま叫び、ワナワナと震える。クールぶってるけどすぐカッとなるよな、お前。とよく言われるが、その通りかもしれない。
「もう、分かんないかな」
成歩堂は私の反応をものともせず、首を横に振り、どかっと私にもたれ掛かる。何をすると睨むが、クスクス笑って嬉しそうに囁いてくる。
「御剣と一緒に居られるなら、毎日が特別って事だよ」
記念日、いつも忘れちゃっててゴメンな。と成歩堂は眉を下げて笑った。いつも素直じゃない成歩堂の口から紡がれる真っ直ぐな好意に、風が吹き抜けるような心地がする。あれほど怒っていたのに、成歩堂の言葉一つで簡単に怒りを忘れる私も人の事を言えないではないかと胸が詰まった。
「お前も同じ気持ちだと思ってたんだけど、違ったか?」
同じではない。そう言いかけたが言葉が出てこず、黙って成歩堂を抱きしめた。苦しい~と呻く成歩堂に、私は更に力を込める。
そう、全くもって同じでは無い。キミが思うよりもっとずっと、私は日々を特別に思っている。だからキミが、私と過ごせるのが特別だと思ってくれていて、心から嬉しかったのだ。
こうやって何でもない日を祝えるのが私にとってどれほど幸せなことか、仕掛けておいてきっと君は分かっていないだろう。
「よし、ケーキ食べるぞ。みぬきが食べたがってたんだよここのケーキ。先に食べちゃった事はナイショな?」
ニヤリと笑う成歩堂の赤い頬は、ケーキの上に乗るイチゴより、ずっと甘酸っぱい味がしそうだと喉が鳴る。ああ、愛おしくて堪らない。
ケーキを二人で食べながら、今夜は覚悟しておけと言うと成歩堂はか細く「はい……」と呟き、やけのようにケーキを頬張る。私は高笑いして、成歩堂の真っ赤な耳に口を寄せた。
おめでとう、なんでもない日。
「はい、これ」
「……ケーキか?」
「うん。ケーキ」
「そうか……ケーキだと!?」
持っていた雑誌を放り投げ、ソファからひっくり返りかけた。私は信じられない思いで成歩堂と箱を交互に何度も見る。そんな私を完全に無視し、成歩堂は箱からケーキを二つ、取り出した。穴が開くほどそのケーキを見ると、最近評判になっているというケーキ屋の、それも一番人気のケーキだった。ありえない、成歩堂が自らケーキを買ってくるなど、みぬきくんが帰ってくる時以外ありえない!一体何が起きているのだ!?と混乱する。
「なあ。何か忘れてる事、無い?」
驚愕していると成歩堂は肘をつきながらどこか不貞腐れたような顔をして、私をじっと見つめてきた。
「わ……忘れている事?」
サユリさんか?と一瞬思うが、いくらジョークのセンスが無いにしてもブラックが過ぎる。それは確実に無いなと頷いた。
馬鹿な、私が忘れている事などあるはずが無い。忘れているといえば目の前の仏頂面の男だ。この男は付き合った日も手を繋いだ日もキスした日も覚えておらず、祝い事の日さえも忘れている事が多い。「そういえば今日だったか~」と間抜け面で抜かす成歩堂に、私はよく説教をしている。記念日を忘れるなど、全くどこまでデリカシーが……記念日?
(記念日だと!?)
瞬間背筋が凍りつき、冷や汗が止まらなくなる。硬い動きで成歩堂へ視線をやると、成歩堂は無表情で私をただじっと見ていた。私を試すように、ただじっと。
「わ……忘れている事など、無い。覚えている。完璧にな!」
途中でどもってしまったが大きな声で誤魔化した。ああ、嘘をついてしまった……と罪悪感にかられる。いつも口うるさく記念日の事を言っている私が、忘れているとは到底言えなかった。それに、せっかく珍しくこうしてケーキを用意してくれたのに、成歩堂を悲しませてしまうかもしれない。そう思うと自然に口は「覚えてる」と言ってしまっていた。
「……へぇ、覚えてるんだ」
成歩堂は二度瞬き目を丸くして、無表情を崩した。なんだその驚いた顔は!もしやバレている?いや、勾玉は私の腕時計と同じ場所に置かれていた!ならばさいころ錠は見えていない!とぐるぐる考え、私は堂々と胸を張って鼻で笑った。
「フッ。当然だろう?キサマが覚えているのに私が忘れている事など存在しない!」
「学級裁判の事は忘れてただろう……」
肩をすくめる成歩堂を無視して、私は天才と謳われる脳をフル回転させて記憶を辿る。
クソっ、思い出せん!一体今日はなんの日なのだ!初めて出会った日か?いや、それは新学期だから四月のはずだ。学級裁判の日か?いや、あれは確か夏だったはずだ。成歩堂との思い出はそのほとんどが真冬。暖かくなり始めたこの季節に思い当たる記念日は無く、私はふんぞり返りながら内心頭を抱えた。
「じゃあ、今日はなんの日?」
「……き、キミがケーキを用意したのだから、キミから言いたまえ。いつもは私が何かしら用意しているのだから」
「はぁ~……」
深くため息をつく成歩堂に、ビクリと肩を震わせた。私が今日という日を忘れている事はとっくに知っていて、にもかかわらず私が余りにも偉そうな態度を取るものだから呆れてしまったのだろうか。
有罪判決を受ける被告のような心境で、俯いて膝の上で拳をきつく握りしめた。何を言われるのかと恐ろしくて仕方がなかった。
「今日はさ」
成歩堂はそっと私の拳に自分の手を添え、顔を覗き込んでくる。不機嫌な顔をしていると思っていたが、その表情は優しく、愛おしいものを見る目をしていた。
「今日は、別になんでもない日だよ」
「…………なんでも、ない日?」
「そう。なんでもない日!」
何を言われたのか理解が追いつかず、復唱すると成歩堂は堪えきれなかったように吹き出した。
「あはは!お、お前、焦りすぎだろ!」
「な……な、き、キサマ……謀ったな!」
「謀ったって、そんなんじゃないよ。からかったの」
「同じ事だ!キサマと言うヤツは~!」
「はは!い、いたいいたい」
私は顔を真っ赤にして成歩堂の頬を抓った。余程おかしかったのか成歩堂はそれでも笑い続け、私が手を離しても頬より腹を抑えていた。
「あ~面白い。お腹痛いよもう」
「フン。聞かせてもらおうか!なんのつもりでこのような事をしたのか」
「なんのつもりって。だから別にからかっただけだよ。お前がいつも記念日記念日ってうるさいから、ちょっと仕返し」
「なんだと!?」
怒りのまま叫び、ワナワナと震える。クールぶってるけどすぐカッとなるよな、お前。とよく言われるが、その通りかもしれない。
「もう、分かんないかな」
成歩堂は私の反応をものともせず、首を横に振り、どかっと私にもたれ掛かる。何をすると睨むが、クスクス笑って嬉しそうに囁いてくる。
「御剣と一緒に居られるなら、毎日が特別って事だよ」
記念日、いつも忘れちゃっててゴメンな。と成歩堂は眉を下げて笑った。いつも素直じゃない成歩堂の口から紡がれる真っ直ぐな好意に、風が吹き抜けるような心地がする。あれほど怒っていたのに、成歩堂の言葉一つで簡単に怒りを忘れる私も人の事を言えないではないかと胸が詰まった。
「お前も同じ気持ちだと思ってたんだけど、違ったか?」
同じではない。そう言いかけたが言葉が出てこず、黙って成歩堂を抱きしめた。苦しい~と呻く成歩堂に、私は更に力を込める。
そう、全くもって同じでは無い。キミが思うよりもっとずっと、私は日々を特別に思っている。だからキミが、私と過ごせるのが特別だと思ってくれていて、心から嬉しかったのだ。
こうやって何でもない日を祝えるのが私にとってどれほど幸せなことか、仕掛けておいてきっと君は分かっていないだろう。
「よし、ケーキ食べるぞ。みぬきが食べたがってたんだよここのケーキ。先に食べちゃった事はナイショな?」
ニヤリと笑う成歩堂の赤い頬は、ケーキの上に乗るイチゴより、ずっと甘酸っぱい味がしそうだと喉が鳴る。ああ、愛おしくて堪らない。
ケーキを二人で食べながら、今夜は覚悟しておけと言うと成歩堂はか細く「はい……」と呟き、やけのようにケーキを頬張る。私は高笑いして、成歩堂の真っ赤な耳に口を寄せた。
おめでとう、なんでもない日。