ミツナル短編集
事務所のソファで寝転びながらブドウジュースの瓶を弄ぶ。とっくに空になったそれはぼくの心のようで、早く捨ててしまいたいと思うのになぜか手放せなくて、こうして持て余していた。
みぬきがいないとこの事務所は凍てつくほど静かだ。時折外から子供のはしゃぐ声や車の音が聞こえてくるが、それ以外ではしいんと寂しく冷たい空間が広がっていて、この場所を訪ねてくる者は誰一人としていない。ぼくが、みんな突き放したからだ。真宵ちゃんや春美ちゃん、矢張やイトノコ刑事に狩魔検事……沢山の人がぼくを心配してくれているのは分かっている。でもみんなを裏切ってしまった事が辛くて苦しくて、会って話すなんてもう出来やしない。寝返りを打って仰向けになり、腕で目を覆った。
(御剣……元気かな)
ふとした時、思い浮かべるのはいつだって御剣の事だ。ぼくがこうなってから一番しつこく連絡してきたのは御剣だった。まあ、あの時は"恋人"だったんだから当然と言えば当然だろう。連絡を全て無視した結果、今となってはなんのアクションも無くなった。ぼくらの間にもう繋がりは無い。自然消滅、と言うのが正しいのだろう。そうある事を望んだのはぼく自身なのに、時々切なさで押し潰されそうになる。本当は会いたくて堪らない。会って見つめ合って、抱きしめて欲しい。叶わない空想を胸の中に仕舞い込み、涙を堪えた。
「成歩堂」
ああ、幻聴まで聞こえてきやがった。幾度と無く聞いた、低く優しい声が耳をくすぐる。ノックの音が二回響き、もう一度名前を呼ばれる。
「成歩堂……扉を開けてくれ。会って話をしよう。どうしても、キミに会いたいんだ」
がばりと身体を起こし、一筋の汗が背中を伝う。外から聞こえる声はどうやら現実らしいと未だぼやける脳内で考える。
突き放さなきゃ。嫌だって言わなきゃ。ドキドキとうるさい心臓を抑えて必死で息を吸うが、言葉は何も出てこなかった。ダメ押しのように、また名前が呼ばれる。ずっとずっと、聞きたかった声なのだ。抗う事なんて出来なかった。
ゆっくり立ち上がって、意を決して鍵を開けた。
「…………成歩堂」
夢にまで見た御剣の姿に、視界が勝手に霞む。慈しむような瞳が眩しくて、咄嗟に俯いた。そっと肩に手が置かれ、びくりと震える。
「どれだけ連絡しても無視されるので、キミを見習って会いに来た」
「……」
「……キミの娘はまだ帰らないだろう?二人きりで、出かけないか」
「………え?」
「久しぶりにデートをしようじゃないか。我々は、"恋人"なのだから」
***
前はよく御剣の車に乗せてもらって出かけたものだ。有名なデートスポットまで遠出をしたり、時には場所を決めずにただドライブしたり。ぼくがこうなってからはぱったり無くなってしまった。当然と言えば当然だが、楽しかった日々を思い返してはズキズキ胸が痛んだ。
車内ではお互い無言で、ぼくは助手席でずっと窓の外を眺めていた。御剣に告白された時の帰り道もこんな感じだったかなと考えて、未練がましくていっそ笑えてくる。御剣はまだぼくを"恋人"だと言ってくれたが、もしかしたら今日で本当に終わりにする為に、このデートに誘ったのではないだろうか。真面目なヤツだからな、ありえない話じゃないぞと思いを巡らせた。
「降りたまえ」
ぼうっとする頭で遠くを見つめていたら、いつの間にか目的地に到着していたようだ。潮の匂いが鼻をくすぐり、静かな波の音が聞こえてきた。
「……海?」
「ああ。昔、皆で来ただろう」
先に降車していた御剣が助手席側の扉を開き、手を差し出してきた。ぼく相手にこんな王子様みたいな態度取っても意味なんてないだろうに、ホントにキザなヤツだなと苦笑する。その手を取るかためらっていると、焦れた御剣は眉を寄せ、力強くぼくの手を握りそのまま車から引っ張り降ろした。
「何するんだよ、ビックリするだろ」
「フン。キサマがなかなか動かないからだろう。……少し歩こう」
「……こんなに強く握らなくても、お前の車がなきゃ帰れないんだから逃げたりしないよ」
「そういう意味で繋いでいるんじゃない。分かってるだろう?」
子供に言い聞かせるような優しい言い方が癪に障って、ぼくはムスッと不機嫌な顔を作り俯いた。
そこから会話は途切れ、ザクザクと砂を踏む足音だけが辺りに響いた。黄昏の砂浜を大の男が二人、手を繋ぎながらゆっくりと歩く。海は夕焼けに照らされて、キラキラと反射していた。ザザン、ザザンと静かな潮騒が聴こえてくる。
「私は」
突然足を止めた御剣は、遠くを見つめながら真剣な声色で話す。
「キミの助けになりたいんだ。かつてキミが私にそうしてくれたように、支えになりたい」
瞬間、目の前が明るくなった気がして、御剣に顔を向けた。夕日に染まった御剣は、何よりも光り輝いて見えて、眩しくて、かっこよくて、視界がぼやけていく。
「い……いいの。お前に頼っても。迷惑かけても」
なんとか絞り出した声に反応して、御剣はぼくの方を見て不敵に笑った。
「当たり前だろう。相棒が困っているのに、何もしないでいられるか。キミのいない法廷は闇に覆われている。成歩堂龍一の力が必要なんだ。……それに先程も言ったが、我々は正真正銘"恋人"なのだ。もっと頼って欲しいし、甘えて欲しい。それが私の願いだ」
そう言って御剣は再び歩き出した。手をしっかりと繋いでいるので、ぼくも一緒に歩かざるを得ない。
泣いているのかとからかわれたので、潮風が目に染みるんだよと誤魔化した。御剣はやれやれと呆れながらも、ぼくの唇に優しく口付けた。久しぶりのデートは塩っぱくて、甘い匂いがした。
みぬきがいないとこの事務所は凍てつくほど静かだ。時折外から子供のはしゃぐ声や車の音が聞こえてくるが、それ以外ではしいんと寂しく冷たい空間が広がっていて、この場所を訪ねてくる者は誰一人としていない。ぼくが、みんな突き放したからだ。真宵ちゃんや春美ちゃん、矢張やイトノコ刑事に狩魔検事……沢山の人がぼくを心配してくれているのは分かっている。でもみんなを裏切ってしまった事が辛くて苦しくて、会って話すなんてもう出来やしない。寝返りを打って仰向けになり、腕で目を覆った。
(御剣……元気かな)
ふとした時、思い浮かべるのはいつだって御剣の事だ。ぼくがこうなってから一番しつこく連絡してきたのは御剣だった。まあ、あの時は"恋人"だったんだから当然と言えば当然だろう。連絡を全て無視した結果、今となってはなんのアクションも無くなった。ぼくらの間にもう繋がりは無い。自然消滅、と言うのが正しいのだろう。そうある事を望んだのはぼく自身なのに、時々切なさで押し潰されそうになる。本当は会いたくて堪らない。会って見つめ合って、抱きしめて欲しい。叶わない空想を胸の中に仕舞い込み、涙を堪えた。
「成歩堂」
ああ、幻聴まで聞こえてきやがった。幾度と無く聞いた、低く優しい声が耳をくすぐる。ノックの音が二回響き、もう一度名前を呼ばれる。
「成歩堂……扉を開けてくれ。会って話をしよう。どうしても、キミに会いたいんだ」
がばりと身体を起こし、一筋の汗が背中を伝う。外から聞こえる声はどうやら現実らしいと未だぼやける脳内で考える。
突き放さなきゃ。嫌だって言わなきゃ。ドキドキとうるさい心臓を抑えて必死で息を吸うが、言葉は何も出てこなかった。ダメ押しのように、また名前が呼ばれる。ずっとずっと、聞きたかった声なのだ。抗う事なんて出来なかった。
ゆっくり立ち上がって、意を決して鍵を開けた。
「…………成歩堂」
夢にまで見た御剣の姿に、視界が勝手に霞む。慈しむような瞳が眩しくて、咄嗟に俯いた。そっと肩に手が置かれ、びくりと震える。
「どれだけ連絡しても無視されるので、キミを見習って会いに来た」
「……」
「……キミの娘はまだ帰らないだろう?二人きりで、出かけないか」
「………え?」
「久しぶりにデートをしようじゃないか。我々は、"恋人"なのだから」
***
前はよく御剣の車に乗せてもらって出かけたものだ。有名なデートスポットまで遠出をしたり、時には場所を決めずにただドライブしたり。ぼくがこうなってからはぱったり無くなってしまった。当然と言えば当然だが、楽しかった日々を思い返してはズキズキ胸が痛んだ。
車内ではお互い無言で、ぼくは助手席でずっと窓の外を眺めていた。御剣に告白された時の帰り道もこんな感じだったかなと考えて、未練がましくていっそ笑えてくる。御剣はまだぼくを"恋人"だと言ってくれたが、もしかしたら今日で本当に終わりにする為に、このデートに誘ったのではないだろうか。真面目なヤツだからな、ありえない話じゃないぞと思いを巡らせた。
「降りたまえ」
ぼうっとする頭で遠くを見つめていたら、いつの間にか目的地に到着していたようだ。潮の匂いが鼻をくすぐり、静かな波の音が聞こえてきた。
「……海?」
「ああ。昔、皆で来ただろう」
先に降車していた御剣が助手席側の扉を開き、手を差し出してきた。ぼく相手にこんな王子様みたいな態度取っても意味なんてないだろうに、ホントにキザなヤツだなと苦笑する。その手を取るかためらっていると、焦れた御剣は眉を寄せ、力強くぼくの手を握りそのまま車から引っ張り降ろした。
「何するんだよ、ビックリするだろ」
「フン。キサマがなかなか動かないからだろう。……少し歩こう」
「……こんなに強く握らなくても、お前の車がなきゃ帰れないんだから逃げたりしないよ」
「そういう意味で繋いでいるんじゃない。分かってるだろう?」
子供に言い聞かせるような優しい言い方が癪に障って、ぼくはムスッと不機嫌な顔を作り俯いた。
そこから会話は途切れ、ザクザクと砂を踏む足音だけが辺りに響いた。黄昏の砂浜を大の男が二人、手を繋ぎながらゆっくりと歩く。海は夕焼けに照らされて、キラキラと反射していた。ザザン、ザザンと静かな潮騒が聴こえてくる。
「私は」
突然足を止めた御剣は、遠くを見つめながら真剣な声色で話す。
「キミの助けになりたいんだ。かつてキミが私にそうしてくれたように、支えになりたい」
瞬間、目の前が明るくなった気がして、御剣に顔を向けた。夕日に染まった御剣は、何よりも光り輝いて見えて、眩しくて、かっこよくて、視界がぼやけていく。
「い……いいの。お前に頼っても。迷惑かけても」
なんとか絞り出した声に反応して、御剣はぼくの方を見て不敵に笑った。
「当たり前だろう。相棒が困っているのに、何もしないでいられるか。キミのいない法廷は闇に覆われている。成歩堂龍一の力が必要なんだ。……それに先程も言ったが、我々は正真正銘"恋人"なのだ。もっと頼って欲しいし、甘えて欲しい。それが私の願いだ」
そう言って御剣は再び歩き出した。手をしっかりと繋いでいるので、ぼくも一緒に歩かざるを得ない。
泣いているのかとからかわれたので、潮風が目に染みるんだよと誤魔化した。御剣はやれやれと呆れながらも、ぼくの唇に優しく口付けた。久しぶりのデートは塩っぱくて、甘い匂いがした。