ミツナル短編集

 腕時計に目をやり重い息を漏らす。出世してからというもの仕事は山のように増え、長時間資料を確認しているとどんどん眉間にシワが寄るのを感じる。メガネを外し、親指と人差し指で押さえた。成歩堂の事務所で本を読んでいる際もシワが寄っているようで、よくみぬきくんが面白がってぐりぐりと押してくるのを思い出して頬が緩んだ。すでに終業時刻は過ぎており、とっぷりと日が暮れている。早く帰って休もうと立ち上がったが、思い直して再度腰を下ろした。メガネのブリッジを中指で持ち上げ、流れるようにノートパソコンを起動させ検索フォームに文字を打ち込む。
「≪成歩堂龍一 弁護士≫と…」
 彼が弁護士バッジを剥奪されてから三年が経とうとしている。事が起きた際私は海外へ研修に行っており、知らせを聞いた時には全てが終わっていた。私はあの男に救われたと言うのに、肝心な時に何もしてやる事が出来なかった。弁護士協会に抗議したが取り付く島も無くあしらわれ、怒りに震えた日もあった。腹立たしい事に、どうも協会の御偉方は幾度と無く問題を引き起こす成歩堂を疎んでいたようで、上手く厄介払いに成功したと思っているらしい。全くもって遺憾だ。
舌打ちしながらマウスを操作する。これから行うのはいわゆる“パブサ”というやつだ。彼がネット上で誹謗中傷され、顔には出さないが酷く傷ついているのをずっと近くで見て来た。開示請求をしようと何度も提言しているのだが、『そんな事する必要は無い。この人達は間違ってない、ぼくは彼らの信頼を裏切ったんだから当然だ』と拒否されてしまう。苦々しく思いながらも彼の意志を尊重してきたが今日はどうにも抑えがきかず、こうして自分の目で成歩堂に対するネットの反応を確認するべくパソコンとにらめっこしている訳だ。
検索結果は案の定、成歩堂を批判し貶める内容の記事ばかりが出て来た。過去の事件も捏造された証拠を用いたのではないか、裏で金や身体を使って無罪を勝ち取っていたのではないか等言いたい放題書かれており、耐えきれず机に拳を叩きつけた。
「どいつもこいつも……!」
 あまりにも酷い書き込みがあれば即削除申請してやろうと、歯を食いしばりながら“パブサ”を続ける。
「む……?なんだこのサイトは」
 画面を下までスクロールしていると『nrhdシコスレPart76』と書かれたサイトが出て来た。文字の意味は理解できなかったが、何か成歩堂に関連があるから検索結果に現われたのだろうと推測し、クリックしてサイトを表示させる。
 その掲示板に書かれていた内容は、目を疑うようなものであった。
 
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45名無しの依頼人
  成歩堂、弁護士やめてからエロさ倍増で捗る
 
46名無しの依頼人
  今ピアニスト(笑)やってるらしい。行けば会えんのかな
 
47名無しの依頼人
  俺実際レストラン行ってきたよ。nrhdさんですよね!?好きでした!って言ったらポーカーフェイスちょっと崩れて泣きそうになってたの、股間が熱くなった
 
48名無しの依頼人
  最高 俺も行こうかな
 
49名無しの依頼人
  ウワサだけど、金払えばマジでヤらせてくれるらしい
 
50名無しの依頼人
  は!?マジか!?
 
51名無しの依頼人
  へえ~落ちるとこまで落ちたなあ……ふぅ
 
52名無しの依頼人
  これはガチ。小部屋みたいな所に案内されて、ポーカーでなるほどに勝ったらさせてくれる。ソースは俺
 
53名無しの依頼人
  最近のあいつの雰囲気マジで身体売ってる感凄いもんな まさか本当だったとは
 
54名無しの依頼人
  真偽を確かめる為にちょっと行ってくるわ。金ないけど。
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 目の前が真っ赤に染まり、頭の血管がはち切れるのではないかと思うほど沸騰するのを感じる。操作していたマウスを握りつぶし、勢いのまま壁に投げつけた。
「はあっ、はあっ……な、なんなのだ、この書き込みは!!」
 湧き上がる怒りを抑えきれず、叫びながら机を殴る。確かに今の成歩堂はそれはもう妖しい色気を醸し、劣情を煽るような風貌をしている。震えながら頭を掻きむしり、書き込みを思い出す。私以外の男に、その身体を許しているというのか……?彼が名ばかりのピアニストをしながらポーカーで生計を立てているのは知っていた。だが、水商売にまで手を出しているなんて話は聞いた事も無いしそのような素振りも全く無かった。頭が理解するのを拒否して呼吸が荒くなり、その場に倒れ込む。
「なぜだ、成歩堂……なぜ私に何も言ってくれなかったのだ!」
この掲示板に書き込みをするような下劣で醜い輩を相手に、日々身体と精神を摩耗しているというのか。とりあえず糸鋸刑事にこの掲示板は封鎖させ、書き込んだ連中を特定させようと決意し、ゆっくりと起き上がる。
以前矢張が泣きながら“ねとられ”は本当に無理だ!と言っていたが、ようやく意味が分かった。なるほど確かに絶っっっ対に無理だ!!怒りは絶望と悲しみに変わり、涙がとめどなく流れ落ちる。成歩堂は情報を集めるために身体を売っているのだろうか、それとも困窮しているのだろうか。きっと成歩堂は何度もSOSを発していたはずだ。今まで気が付かなかった自分が情けなくて堪らない。ぼとぼとと床に涙と汗を落としながら、愛しい恋人にメッセージを送った。
 
* * *
 
「なんだよ御剣、急に呼び出して。ぼく仕事終わりで疲れてるんだけど?」
 執務室に入って来た成歩堂は、気だるげな表情でやれやれと首を横に振った。細められた大きな目は、こちらを誘惑するかのような色香を放っている。すっかりこのような振る舞いが身に付いたらしく、私は拳をきつく握り締めた。
「……仕事、か。キミは、この先ずっとその“仕事”を続けるのか?」
「……生活の為だ。今はあの子もいるし、まだ辞める事はできないよ」
「そう、か」
 成歩堂は俯き、諦めの表情をニット帽で隠した。ああ、ああ!すまない成歩堂。私が、私がそばにいながら、惨めで辛い思いをさせてしまっている。私が不甲斐ないばかりに!
 荒ぶる感情を抑える為に深呼吸をすると、成歩堂は怪訝な顔でこちらを覗き込んで来た。
「なあ、結局なんの用だったんだよ。……もしかして、その、別れ話……」
「頼む。水商売をやめてくれ」
「…………は?」
 成歩堂はこの数年で板についたポーカーフェイスを完全に崩し、あんぐりと口を開け間抜けな声を出した。あくまでシラを切るつもりかと、私は悲痛な面持ちで成歩堂の肩をそっと抱き寄せた。
「もういいんだ成歩堂。私は全て分かっている」
「いや、ぼくは何も分からないんだけど」
「正直、私以外に触れられた事はあまりにも悲しく、とても容認できない。だがキミが、身体を売らなければならないほど追い詰められていた事に気が付けなかった私が悪いのだ。本当にすまない」
「え。あの、なんの話?」
「これからは私がキミ達親子の面倒を見る。もうキミが傷つく必要は無いのだ。決して苦しい思いはさせないし、その為の貯えだって十二分に……」
「待った!」
 口を両手で塞がれてしまった。冷や汗をかきながら睨みつけるその表情は、ムカシよく見せていた顔そのものでどこか安心する。
「あのさ!ぼく、水商売なんてしてないんだけど!なんでそんな発想になるんだよ」
「隠さなくていい。私はキミの全てを受け入れる所存だ」
「だから違うっての!お前以外に触られるなんて、考えただけでゾッとするよ!」
 不快感を露わにして身を震わせる成歩堂は、どうもウソを言っているようには思えなかった。だが油断できない。成歩堂はハッタリの名手だ。ここで追及をやめてしまっては、のらりくらりとはぐらかされてしまうだろうと口を覆っていた彼の手を掴み、強く握り込んで鋭い視線で尋問を行う。
「本当か?今まで全くそのようなアレは無かったのか?誓えるか?」
「……まあ、その。ちょっと言い寄られたりはあったケドさ。ホントに何も無いって!」
「あるではないか!!!!」
「うるさっ。落ち着けって!そういう客には『ぼくにポーカーで勝てたらいいよ』って言って躱してるんだよ。ぼく、今まで負けた事ないから大丈夫……」
「だ、大丈夫ではない!!」
 危険だ……非常に危険だ。この反応を見るに水商売は本当にしていないようだが、それでも彼の身体が狙われている事は事実だ。コイツは自分がどういう目で見られているかに頓着が無さすぎる。やはり私の家で生涯面倒を……
「はあ……いいって別に。大丈夫だよ、ホントに。真実をアキラカにする為に、ぼくはやらなくちゃならないんだ。お前にはもう十分世話になってるしな」
 心配してくれてありがとうと、優しく微笑みながら私の頬にキスをしてくる。嬉しかったが少し不満で、唇を突き出すと成歩堂は呆れたように笑って一瞬口付けをしてくれた。
「こんな事するの、お前だけだからな。今までも、これからも」
 いじらしいセリフを囁き、ざらつく髭を私の頬に押し当てられる。その感触が堪らなく興奮して、衝動のままソファに押し倒した。
 彼の意志を尊重したい。だが私の元で囲ってしまいたい。相反する思考で悶々とする日々を送っている。彼は私だけだと言ってくれた。ならば、その言葉を信じて待ち続けよう。いつでも準備は完了しているのだから。
「なあ、なんでぼくが身体売ってるって思ったんだ?」
「……インターネットで見たのだ。そのような書き込みを」
「……お前もかけた方がいいかもな。フィルタリング」
 からかうような言い方と表情が癪に障る。とりあえず、あの掲示板に書き込みをした者どもを告訴する用意をしておこうと決意して、もう黙れと深く唇を重ねた。
 
 
 
 
数日後、成歩堂芸能事務所にて
 
≪nrhdシコスレ≫
404 not found ご指定のページは見つかりません。
 
「あれ、出てこないぞ?」
「当然だ。糸鋸刑事に言って、既に削除済みだ。管理人も特定した」
「うわっ!来てたのか御剣……ちょっと過保護すぎないか?」
 「そんな事は無い。むしろ足りないくらいだ。私はキミら親子を養うのを諦めてないからな」
 「……お前も大概諦めが悪いよな」
 「フッ、どこかの誰かに影響されてな」







おまけ
「そういえばキサマ、先程“別れ話”と言っていたが」
「(うっ。聞こえてたか)いや、その。お前が余りにもシンコクな顔してたから、そうなのかなって……。もうぼくに愛想つかしちゃったかなって」
「そのような日は永遠に来ない。まだ分からないか?ならば身体に……」
「もう勘弁してくれ!」
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