ミツナル短編集
咳をしても一人。今日は真宵ちゃんも春美ちゃんもおらず、いつも通り依頼はゼロ。閑散とした事務所でぼくはネットサーフィンに興じていた。"インターネット"がトクイな訳ではないが、情報収集を効率的に行うにはこれを用いるのが最も相応しいだろうと顎に手をやり頷いた。
本当に依頼が無いのだ。数々の裁判で依頼人を無罪にし、真実をアキラカにしていると言うのに、全くもって依頼が無い。ここまで依頼が無いとなると自分に魅力が足りないのでは?と少々不安になり、ノートパソコンを引っ張り出して来てソファーに座り、膝の上に乗っけて"ネサフ"とやらをしているという訳だ。
「≪成歩堂龍一 弁護士≫……と」
未だおぼつかない手つきでキーボードを打ち込み、検索結果を凝視する。出てくるのはやはり今まで扱った事件のニュースや記事ばかりで、ぼく個人に言及した内容は上の方には現れなかった。
「うーん、やっぱ人気が無いのかな、ぼく……」
弁護士は人気商売であるとは一概には言えないが、それでもそういった側面がある事は否めない。うんうん唸りながらスクロールしていくと、「【有罪】法曹界について語るスレ【無罪】327」というサイトを見つけた。
「えーと、スレって言うのは掲示板みたいなものだっけ」
その下に「nrhdシコスレ」なるサイトが見えたが、文字の意味が分からなかった為とりあえずスルーして、法曹界について語るスレをクリックしてみた。
= = = = = =
37異議名無し
てか、弁護士の成歩堂って御剣に会う為に弁護士になったって知ってる?
38異議名無し
嘘乙
39異議名無し
さすがに無いだろ
40異議名無し
はい法曹界の闇
41異議名無し
いやマジだって!俺あいつと大学一緒なんだけど本人が言ってたんだよ
アイツに何があったか知りたいから弁護士目指すって
42異議名無し
やば、激重感情じゃん
43異議名無し
それだけで弁護士になれるもんなの?
44異議名無し
それ御剣も知ってんのかな、もし知ってたら困惑しただろうな
45異議名無し
ちょっと重すぎて引くわ
御剣も怖かったんじゃね?
46異議名無し
恋人にしたらめっちゃ束縛してきそう、嫉妬も激しそう
47異議名無し
だる~おも~
48異議名無し
恋人っていったら成歩堂ってムカシ…
= = = = = =
「な……な……!」
顔が真っ赤に染まり、ブルブルと全身を震わせる。
「こ、こいつら、好き勝手言いやがって……!」
ぼくが弁護士を志した理由を暴露した"大学が一緒"だというヤツを特定してやろうと携帯を握り締めるが、大学時代の友人とはしばらく連絡を取っていない上に、最初に須々木マコちゃんを弁護した際犯人に携帯のあらゆる履歴を削除され、現在は日頃から親しい人の連絡先しか登録していない。これでは特定は不可能だ。
しばらく怒りに震えていたが、段々とその怒りは不安へと変貌する。別に自分がなんと言われようが構わない。馬鹿にされたり責められたりするのは法廷で慣れっこだ。だが……
「御剣……嫌、だったのかな。やっぱり」
『御剣も怖かったんじゃ』『重すぎる』の言葉が棘となってぼくの心臓を突いてくる。御剣に会う為に、助ける為に弁護士になった。困っている人や孤独な人の味方になりたくて、あの時の御剣が忘れられなくて、追いかけた。それでぼくは満足だったが、御剣の本心はどうだろうか?弁護士になった理由を真宵ちゃんが告げた時、バカな。と嘲笑されたが、全てが終わって和解できたと思っていた。その後一緒に警察局長を告発したり、御剣が死を選んだり、また一緒に真犯人を追い詰めたり……告白されて、付き合う事になったりと、様々な事があった。引く手数多だろう御剣がぼくを選んだ理由は分からないが、まだまだ付き合いたてで、お互い手探りで愛を育んでいる真っ最中だ。ぼくを好きだと言ってくれた御剣に、嫌われたくない。本当はぼくが追いかけて来て怖かったんだとしたら、これ以上嫌がられるような、みんなの言う"重い"行動を取ってはいけない。決意新たにぼくはちょっと泣きそうになりながら、再び電子の海へと潜り込んだ……
* * *
どれくらい経っただろう、気が付くと日が沈みかけていて、辺りは夕焼け色に染まっていた。パソコンから顔を上げ、目頭を押さえる。画面とにらめっこしすぎて疲れてしまった。腕をぐるぐる回していると、コンコン、と二回ノックの音が鳴った。
(まさか、依頼人か!?)
先程まで暗い気持ちを抱えていたにもかかわらず、突然の来客に久しぶりの依頼かもしれないと心弾ませながら扉を開けた。
「いらっしゃいま……」
「失礼する」
開けた先に立っていたのは、しかめっ面で腕を組んだ件の恋人、御剣であった。なんというタイミングなんだと半ば混乱しながら、唾を飲み込み笑顔を作った。
「み、御剣……いらっしゃい。どうしたんだよ突然」
「うム……仕事が早めに終わったのでな。き、キミに会いに来たのだ」
「そ、そうか」
ゴホン、と咳払いしながら頬を染める御剣は、こんなにかっこいいのに可愛くて、胸がきゅんと狭まるのを感じる。
(くそ、好きだ!)
やっぱり嫌われたくない。振られたくない!
一日検索しまくった"重い"と言われる行動を頭に置き、そういった言動は控えるようにせねばならないと覚悟を決めた。自身も咳を一つして、御剣に中へ入るよう促した。
「今紅茶切らしてて……コーヒーでいいか?インスタントだけど」
「フッ、悪くない」
「(素直にいいよって言えよ!)」
戸棚を漁りながら心の中でツッコミを入れる。二つのマグカップに粉を入れ、ポットのお湯を注ぐ間に頭を駆け巡るのは不安と緊張だ。
(束縛も嫉妬も重い、んだよな。そういう発言は絶対しないようにしないと)
そんな事を考えながらぐるぐるとコーヒーをかき混ぜる。早まる鼓動を抑え、事務所の方へ戻ると御剣はソファーでそわそわと足を何度も組み直していて、落ち着きが無い。緊張しているのはぼくが好きだからなのか、それとも何か後ろめたい事があるのか。前者であってくれと祈りながら正面に座る。
「ほら、コーヒー。口に合わないかもだけど」
「うム。頂こう」
熱いコーヒーをすすり、ちらりと視線を向けると御剣は眉をひそめてじっとコーヒーを見つめていた。やはり美味しくなかったのだろうか。コイツは舌が肥えてるからな……ぼくは全然インスタントでも構わないのだけれどともう一口すすり、ハッとする。
価値観の違いも別れの原因になる、とインターネットに書いてあった。途端に焦ってコーヒーを飲む手が止まる。
「な、なあ。マズイか?やっぱ」
「?いや、そんな事は無い。確かに店で提供される品には劣るが、インスタントも日々躍進している。決して不味くは無い」
「!そ、そうか」
むすっとしているからてっきりマズくて機嫌を損ねてしまったのかと思ったが、そういえばコイツは不愛想な顔がデフォルトだったなと考える。
「それに……」
「ん?」
「き、キミが入れてくれたのだから、より美味しいに決まっている」
「うっ……!」
急なキザったらしい言葉に、熱が顔に集まるのを感じた。御剣も自分で言っておいて恥ずかしかったらしく、俯いてコーヒーを持つ手がブルブル震えている。
「ふ、ふうん……そりゃ良かったよ……」
ぼくも斜め下を向いて震えながら言葉を絞り出す。なんてこっぱずかしいやり取りなんだと痒くなってきたが、ちいちゃんと付き合っていた頃は今にしてみればもっと恥ずかしいやり取りをしていたな、最終的にはあんな事になって…と懐古して頭を抱える。あれこそ"重い"行動じゃないか!恋人になったとは言え、ぼくと御剣の間柄でこれ見よがしにイチャイチャなどは絶対にできない。自分が恥ずかしいのもあるが、それ以上にぼくがあのような態度を取った時の御剣の反応が怖い。気を引き締めてお付き合いをしなければと大きく咳ばらいをした。
「そ、そういえば、なんかお前ソワソワしてたけど何かあったのか?」
「あ、ああ……その、だな」
御剣は姿勢を正して大きく咳ばらいをした。なんだかとてつもなく嫌な予感がするが聞かない訳にはいかない。騒めきだした心臓を抑えて続きを待った。
「先程事務所の前で"逆ナン"なるものをされてだな」
「え……」
逆ナンというと、コイツは女の人に好意を持って声をかけられた、という事か……!?
「無論断ったのだが、その、驚いてしまってな」
「……へ、へえ」
「き……キミはどう思った?私が女性に声をかけたれたと聞いて。嫉妬したか?」
嫉妬したに決まってるだろと言えたならどんなに気が楽だろうか。確かにコイツはカッコいいし、金持ちオーラだって出ているし、女性は放っておかないだろう。それはいいのだ。問題は御剣の態度だ!なんだその嬉しそうな顔は!ちょっと頬を染めて、何かを期待しているような表情がムショウに腹立たしい。逆ナンされたのがそんなに嬉しかったのか?自慢してるのか?……ぼくと付き合ってるのに?
「ム?成歩堂?」
泣きそうなのを誤魔化す為に俯いて歯を食いしばる。我慢だ、我慢しないと……。ここで嫉妬して怒ったり悲しんだりするのは〝重い〟行動だ。感情をむき出しにして御剣に迫るのはダメだ。荒ぶる心を落ち着かせる為に深呼吸をして、そっけない表情を作り顔を上げる。
「別に、なんとも思わないけど?お前がモテるのは知ってるし。断ったんだろ?嫉妬なんてしないよ」
「……そうか」
――なんでお前がちょっと凹んでるんだよ!
途端に肩を落として落ち込んでいる御剣に、おかしいなと首を傾げる。嫉妬するのは重いはずで、重いのは嫌がられるからそっけない態度を取ったのに、なぜか御剣は寂しそうだった。まさか、『女の人に声をかけられて羨ましい』とでも言って欲しかったのか!?それは流石に酷いだろうと腹が立ってくる。だがぼくの脳内では『束縛』『嫉妬』の文字が大きく膨れ上がり、頭の中を埋め尽くしぼくを責め立てた。態度に出してはダメだ。クールで、理解ある恋人にならないと。眉をひそめてコーヒーをすするが全く味がせず、泥水でも飲んでいるかのようだ。本当は御剣が逆ナンされて嬉しそうなのが嫌で嫌で堪らない。だがそれを御剣に告げて、嫌われるのはもっと嫌だ。膝の上でギュッと拳を握り締め、ダメ押しの言葉を放った。
「お……お前さ、他の人と遊びたいと思ってるんなら、遠慮とかしなくていいからな。心がぼくに向いてるなら、それでいいよ……」
「……は?」
自分で言って悲しくなってくる。こんなのは嘘だ。本当は御剣が誰かといい感じになっているのを想像しただけで胸が苦しくて切ない気持ちでいっぱいになるのに、それを伝える事はできないのだ。辛くて御剣から目を逸らし、再び息を吸い思ってもいない言葉を口から出す。
「束縛とかする気無いし、お前の好きなように……」
「待った」
法廷で耳にする、よく通る声とは程遠いドスの効いた声が聞こえた。驚いて目の前の男を見ると、これ以上ないくらい恐ろしい顔をした御剣がぼくを睨みつけていた。
「ひぃっ!?」
「キサマ……私と付き合っているのだろう?あの時、キサマも私を好きだと言ったはずだ。違うか?」
「ち、違わないけど」
あまりの形相に声が震えてしまう。御剣は激しくぼくを睨みつけ、一切目を逸らさないままぼくの目の前まで近付いてきた。その勢いはさながら突風の如く、ぼくは寒気を感じて身をも震わせた。
「違わないのならば、なぜそのような……人の心が無いような事を言うのだ!今私がどれだけ傷ついたと思っている!」
「だ、だって!束縛も嫉妬も嫌がると思って……ただでさえお前を追って弁護士になった、なんて"重い"事実があるのに、これ以上お前に嫌がられたくない……」
言いながら少し涙が出てしまい、それを隠したくて俯いた。御剣は尚も咎めるような目をしながら隣に腰掛ける。何を言われてしまうのかと不安で堪らない。
「……成歩堂」
小さな声が聞こえて、恐る恐る顔を上げた途端強い力で抱きしめられた。一瞬何が起こったのか理解が追い付かず固まってしまったが、みるみるうちに顔に熱が集まるのを感じる。
「み、御剣?」
「成歩堂。私はキミを〝重い〟などと思った事は無い」
「え、でも、だって」
耳元で囁くように告げられた言葉は、ネットに書かれていた言葉とはまるで違っていて混乱する。否定の意を込めて緩く首を横に振ると、更にきつく抱き締められた。
「私はキミの為なら地球の裏側からだって駆けつける。そのくらい私だってキミに焦がれているのだ」
「御剣……」
「先程だって、キミにやきもちを妬いて欲しくてわざと逆ナンされたと言ったのだ。むくれるキミはさぞかし可愛らしいだろうと思って魔が差してしまった。……結果、キミを傷つけ泣かせてしまった。すまない」
身体がゆっくりと離れていくが、御剣の熱い両手はぼくの肩をしっかり掴んで逃がさない。今の言葉を信じていいのだろうか。本当に、御剣も同じ気持ちなんだろうか。そうだとしたら、こんなにも嬉しい事は無い。ぼくはためらいながらも本音を打ち明けた。
「……ホントは嫌、だよ。お前が他の人とそういう関係になったりするの。さっきの全部ウソ。嫉妬、するよ」
「私だって嫌に決まっている。キミが誰かと仲良くしていると激しく嫉妬するぞ。世の恋人達がどうだかは知らんが、私は嫉妬するしキミに嫉妬して欲しい。それを〝重い〟とは全く思わない……キミの事が好きだから、だ」
頬に手を添えられ、上を向かされる。近付いてくる顔が余りにもカッコよくて、耐えられず目を瞑った。唇が触れた瞬間胸の中が幸福感に包まれ、涙が溢れてしまう。
「みつるぎ……」
今度はぼくから抱き着いて、御剣の肩に顔を埋める。御剣は優しくぼくの背中を撫でてくれた。しばらくそうしていると、怒りを堪えたような声で尋ねられた。
「成歩堂、教えてくれ。キミに重いだの怖いだのと心無い言葉を投げかけたのは、一体どこのどいつなのだ?」
その怒気を孕んだ声が余りにも恐ろしく、ぼくはぐすぐす泣きながら答えた。
「い、インターネット……!」
御剣はぼくのノートパソコンをへし折った。
おまけ
「ああ!ぼくのパソコンが!」
「こんなもの、見る必要は無い!」
「い、いや。仕事で使うんだけど……!」
「ならば新しいものを私が買ってやる。フィルタリング付きのものを、な」
「……それじゃ結局仕事にならないような気がするけど」
「やかましい!今は私が一緒にいるのだ。パソコンなんて見ずに、私だけを見たまえ」
(くそ~カッコいい……)
本当に依頼が無いのだ。数々の裁判で依頼人を無罪にし、真実をアキラカにしていると言うのに、全くもって依頼が無い。ここまで依頼が無いとなると自分に魅力が足りないのでは?と少々不安になり、ノートパソコンを引っ張り出して来てソファーに座り、膝の上に乗っけて"ネサフ"とやらをしているという訳だ。
「≪成歩堂龍一 弁護士≫……と」
未だおぼつかない手つきでキーボードを打ち込み、検索結果を凝視する。出てくるのはやはり今まで扱った事件のニュースや記事ばかりで、ぼく個人に言及した内容は上の方には現れなかった。
「うーん、やっぱ人気が無いのかな、ぼく……」
弁護士は人気商売であるとは一概には言えないが、それでもそういった側面がある事は否めない。うんうん唸りながらスクロールしていくと、「【有罪】法曹界について語るスレ【無罪】327」というサイトを見つけた。
「えーと、スレって言うのは掲示板みたいなものだっけ」
その下に「nrhdシコスレ」なるサイトが見えたが、文字の意味が分からなかった為とりあえずスルーして、法曹界について語るスレをクリックしてみた。
= = = = = =
37異議名無し
てか、弁護士の成歩堂って御剣に会う為に弁護士になったって知ってる?
38異議名無し
嘘乙
39異議名無し
さすがに無いだろ
40異議名無し
はい法曹界の闇
41異議名無し
いやマジだって!俺あいつと大学一緒なんだけど本人が言ってたんだよ
アイツに何があったか知りたいから弁護士目指すって
42異議名無し
やば、激重感情じゃん
43異議名無し
それだけで弁護士になれるもんなの?
44異議名無し
それ御剣も知ってんのかな、もし知ってたら困惑しただろうな
45異議名無し
ちょっと重すぎて引くわ
御剣も怖かったんじゃね?
46異議名無し
恋人にしたらめっちゃ束縛してきそう、嫉妬も激しそう
47異議名無し
だる~おも~
48異議名無し
恋人っていったら成歩堂ってムカシ…
= = = = = =
「な……な……!」
顔が真っ赤に染まり、ブルブルと全身を震わせる。
「こ、こいつら、好き勝手言いやがって……!」
ぼくが弁護士を志した理由を暴露した"大学が一緒"だというヤツを特定してやろうと携帯を握り締めるが、大学時代の友人とはしばらく連絡を取っていない上に、最初に須々木マコちゃんを弁護した際犯人に携帯のあらゆる履歴を削除され、現在は日頃から親しい人の連絡先しか登録していない。これでは特定は不可能だ。
しばらく怒りに震えていたが、段々とその怒りは不安へと変貌する。別に自分がなんと言われようが構わない。馬鹿にされたり責められたりするのは法廷で慣れっこだ。だが……
「御剣……嫌、だったのかな。やっぱり」
『御剣も怖かったんじゃ』『重すぎる』の言葉が棘となってぼくの心臓を突いてくる。御剣に会う為に、助ける為に弁護士になった。困っている人や孤独な人の味方になりたくて、あの時の御剣が忘れられなくて、追いかけた。それでぼくは満足だったが、御剣の本心はどうだろうか?弁護士になった理由を真宵ちゃんが告げた時、バカな。と嘲笑されたが、全てが終わって和解できたと思っていた。その後一緒に警察局長を告発したり、御剣が死を選んだり、また一緒に真犯人を追い詰めたり……告白されて、付き合う事になったりと、様々な事があった。引く手数多だろう御剣がぼくを選んだ理由は分からないが、まだまだ付き合いたてで、お互い手探りで愛を育んでいる真っ最中だ。ぼくを好きだと言ってくれた御剣に、嫌われたくない。本当はぼくが追いかけて来て怖かったんだとしたら、これ以上嫌がられるような、みんなの言う"重い"行動を取ってはいけない。決意新たにぼくはちょっと泣きそうになりながら、再び電子の海へと潜り込んだ……
* * *
どれくらい経っただろう、気が付くと日が沈みかけていて、辺りは夕焼け色に染まっていた。パソコンから顔を上げ、目頭を押さえる。画面とにらめっこしすぎて疲れてしまった。腕をぐるぐる回していると、コンコン、と二回ノックの音が鳴った。
(まさか、依頼人か!?)
先程まで暗い気持ちを抱えていたにもかかわらず、突然の来客に久しぶりの依頼かもしれないと心弾ませながら扉を開けた。
「いらっしゃいま……」
「失礼する」
開けた先に立っていたのは、しかめっ面で腕を組んだ件の恋人、御剣であった。なんというタイミングなんだと半ば混乱しながら、唾を飲み込み笑顔を作った。
「み、御剣……いらっしゃい。どうしたんだよ突然」
「うム……仕事が早めに終わったのでな。き、キミに会いに来たのだ」
「そ、そうか」
ゴホン、と咳払いしながら頬を染める御剣は、こんなにかっこいいのに可愛くて、胸がきゅんと狭まるのを感じる。
(くそ、好きだ!)
やっぱり嫌われたくない。振られたくない!
一日検索しまくった"重い"と言われる行動を頭に置き、そういった言動は控えるようにせねばならないと覚悟を決めた。自身も咳を一つして、御剣に中へ入るよう促した。
「今紅茶切らしてて……コーヒーでいいか?インスタントだけど」
「フッ、悪くない」
「(素直にいいよって言えよ!)」
戸棚を漁りながら心の中でツッコミを入れる。二つのマグカップに粉を入れ、ポットのお湯を注ぐ間に頭を駆け巡るのは不安と緊張だ。
(束縛も嫉妬も重い、んだよな。そういう発言は絶対しないようにしないと)
そんな事を考えながらぐるぐるとコーヒーをかき混ぜる。早まる鼓動を抑え、事務所の方へ戻ると御剣はソファーでそわそわと足を何度も組み直していて、落ち着きが無い。緊張しているのはぼくが好きだからなのか、それとも何か後ろめたい事があるのか。前者であってくれと祈りながら正面に座る。
「ほら、コーヒー。口に合わないかもだけど」
「うム。頂こう」
熱いコーヒーをすすり、ちらりと視線を向けると御剣は眉をひそめてじっとコーヒーを見つめていた。やはり美味しくなかったのだろうか。コイツは舌が肥えてるからな……ぼくは全然インスタントでも構わないのだけれどともう一口すすり、ハッとする。
価値観の違いも別れの原因になる、とインターネットに書いてあった。途端に焦ってコーヒーを飲む手が止まる。
「な、なあ。マズイか?やっぱ」
「?いや、そんな事は無い。確かに店で提供される品には劣るが、インスタントも日々躍進している。決して不味くは無い」
「!そ、そうか」
むすっとしているからてっきりマズくて機嫌を損ねてしまったのかと思ったが、そういえばコイツは不愛想な顔がデフォルトだったなと考える。
「それに……」
「ん?」
「き、キミが入れてくれたのだから、より美味しいに決まっている」
「うっ……!」
急なキザったらしい言葉に、熱が顔に集まるのを感じた。御剣も自分で言っておいて恥ずかしかったらしく、俯いてコーヒーを持つ手がブルブル震えている。
「ふ、ふうん……そりゃ良かったよ……」
ぼくも斜め下を向いて震えながら言葉を絞り出す。なんてこっぱずかしいやり取りなんだと痒くなってきたが、ちいちゃんと付き合っていた頃は今にしてみればもっと恥ずかしいやり取りをしていたな、最終的にはあんな事になって…と懐古して頭を抱える。あれこそ"重い"行動じゃないか!恋人になったとは言え、ぼくと御剣の間柄でこれ見よがしにイチャイチャなどは絶対にできない。自分が恥ずかしいのもあるが、それ以上にぼくがあのような態度を取った時の御剣の反応が怖い。気を引き締めてお付き合いをしなければと大きく咳ばらいをした。
「そ、そういえば、なんかお前ソワソワしてたけど何かあったのか?」
「あ、ああ……その、だな」
御剣は姿勢を正して大きく咳ばらいをした。なんだかとてつもなく嫌な予感がするが聞かない訳にはいかない。騒めきだした心臓を抑えて続きを待った。
「先程事務所の前で"逆ナン"なるものをされてだな」
「え……」
逆ナンというと、コイツは女の人に好意を持って声をかけられた、という事か……!?
「無論断ったのだが、その、驚いてしまってな」
「……へ、へえ」
「き……キミはどう思った?私が女性に声をかけたれたと聞いて。嫉妬したか?」
嫉妬したに決まってるだろと言えたならどんなに気が楽だろうか。確かにコイツはカッコいいし、金持ちオーラだって出ているし、女性は放っておかないだろう。それはいいのだ。問題は御剣の態度だ!なんだその嬉しそうな顔は!ちょっと頬を染めて、何かを期待しているような表情がムショウに腹立たしい。逆ナンされたのがそんなに嬉しかったのか?自慢してるのか?……ぼくと付き合ってるのに?
「ム?成歩堂?」
泣きそうなのを誤魔化す為に俯いて歯を食いしばる。我慢だ、我慢しないと……。ここで嫉妬して怒ったり悲しんだりするのは〝重い〟行動だ。感情をむき出しにして御剣に迫るのはダメだ。荒ぶる心を落ち着かせる為に深呼吸をして、そっけない表情を作り顔を上げる。
「別に、なんとも思わないけど?お前がモテるのは知ってるし。断ったんだろ?嫉妬なんてしないよ」
「……そうか」
――なんでお前がちょっと凹んでるんだよ!
途端に肩を落として落ち込んでいる御剣に、おかしいなと首を傾げる。嫉妬するのは重いはずで、重いのは嫌がられるからそっけない態度を取ったのに、なぜか御剣は寂しそうだった。まさか、『女の人に声をかけられて羨ましい』とでも言って欲しかったのか!?それは流石に酷いだろうと腹が立ってくる。だがぼくの脳内では『束縛』『嫉妬』の文字が大きく膨れ上がり、頭の中を埋め尽くしぼくを責め立てた。態度に出してはダメだ。クールで、理解ある恋人にならないと。眉をひそめてコーヒーをすするが全く味がせず、泥水でも飲んでいるかのようだ。本当は御剣が逆ナンされて嬉しそうなのが嫌で嫌で堪らない。だがそれを御剣に告げて、嫌われるのはもっと嫌だ。膝の上でギュッと拳を握り締め、ダメ押しの言葉を放った。
「お……お前さ、他の人と遊びたいと思ってるんなら、遠慮とかしなくていいからな。心がぼくに向いてるなら、それでいいよ……」
「……は?」
自分で言って悲しくなってくる。こんなのは嘘だ。本当は御剣が誰かといい感じになっているのを想像しただけで胸が苦しくて切ない気持ちでいっぱいになるのに、それを伝える事はできないのだ。辛くて御剣から目を逸らし、再び息を吸い思ってもいない言葉を口から出す。
「束縛とかする気無いし、お前の好きなように……」
「待った」
法廷で耳にする、よく通る声とは程遠いドスの効いた声が聞こえた。驚いて目の前の男を見ると、これ以上ないくらい恐ろしい顔をした御剣がぼくを睨みつけていた。
「ひぃっ!?」
「キサマ……私と付き合っているのだろう?あの時、キサマも私を好きだと言ったはずだ。違うか?」
「ち、違わないけど」
あまりの形相に声が震えてしまう。御剣は激しくぼくを睨みつけ、一切目を逸らさないままぼくの目の前まで近付いてきた。その勢いはさながら突風の如く、ぼくは寒気を感じて身をも震わせた。
「違わないのならば、なぜそのような……人の心が無いような事を言うのだ!今私がどれだけ傷ついたと思っている!」
「だ、だって!束縛も嫉妬も嫌がると思って……ただでさえお前を追って弁護士になった、なんて"重い"事実があるのに、これ以上お前に嫌がられたくない……」
言いながら少し涙が出てしまい、それを隠したくて俯いた。御剣は尚も咎めるような目をしながら隣に腰掛ける。何を言われてしまうのかと不安で堪らない。
「……成歩堂」
小さな声が聞こえて、恐る恐る顔を上げた途端強い力で抱きしめられた。一瞬何が起こったのか理解が追い付かず固まってしまったが、みるみるうちに顔に熱が集まるのを感じる。
「み、御剣?」
「成歩堂。私はキミを〝重い〟などと思った事は無い」
「え、でも、だって」
耳元で囁くように告げられた言葉は、ネットに書かれていた言葉とはまるで違っていて混乱する。否定の意を込めて緩く首を横に振ると、更にきつく抱き締められた。
「私はキミの為なら地球の裏側からだって駆けつける。そのくらい私だってキミに焦がれているのだ」
「御剣……」
「先程だって、キミにやきもちを妬いて欲しくてわざと逆ナンされたと言ったのだ。むくれるキミはさぞかし可愛らしいだろうと思って魔が差してしまった。……結果、キミを傷つけ泣かせてしまった。すまない」
身体がゆっくりと離れていくが、御剣の熱い両手はぼくの肩をしっかり掴んで逃がさない。今の言葉を信じていいのだろうか。本当に、御剣も同じ気持ちなんだろうか。そうだとしたら、こんなにも嬉しい事は無い。ぼくはためらいながらも本音を打ち明けた。
「……ホントは嫌、だよ。お前が他の人とそういう関係になったりするの。さっきの全部ウソ。嫉妬、するよ」
「私だって嫌に決まっている。キミが誰かと仲良くしていると激しく嫉妬するぞ。世の恋人達がどうだかは知らんが、私は嫉妬するしキミに嫉妬して欲しい。それを〝重い〟とは全く思わない……キミの事が好きだから、だ」
頬に手を添えられ、上を向かされる。近付いてくる顔が余りにもカッコよくて、耐えられず目を瞑った。唇が触れた瞬間胸の中が幸福感に包まれ、涙が溢れてしまう。
「みつるぎ……」
今度はぼくから抱き着いて、御剣の肩に顔を埋める。御剣は優しくぼくの背中を撫でてくれた。しばらくそうしていると、怒りを堪えたような声で尋ねられた。
「成歩堂、教えてくれ。キミに重いだの怖いだのと心無い言葉を投げかけたのは、一体どこのどいつなのだ?」
その怒気を孕んだ声が余りにも恐ろしく、ぼくはぐすぐす泣きながら答えた。
「い、インターネット……!」
御剣はぼくのノートパソコンをへし折った。
おまけ
「ああ!ぼくのパソコンが!」
「こんなもの、見る必要は無い!」
「い、いや。仕事で使うんだけど……!」
「ならば新しいものを私が買ってやる。フィルタリング付きのものを、な」
「……それじゃ結局仕事にならないような気がするけど」
「やかましい!今は私が一緒にいるのだ。パソコンなんて見ずに、私だけを見たまえ」
(くそ~カッコいい……)