ミツナル短編集

カシャン、と音がした。

下校時間を知らせるチャイムが背後で鳴っていたが、何かが落ちた音がどうにも気になり、ランドセルを適当な机に置き教室をゆっくりと巡回する。
「だ、誰かいるの…?」
ちょっとだけ怖くなって身を縮めながら辺りを見回すと、何かを上履きで蹴ってしまった。コロコロ転がったソレを慌てて辿り、拾い上げてよく見てみると黒くてツヤツヤしていて、先端がとがったペンだと分かった。どこかで見たことがあるペンだな、と窓に向き直り、夕焼けに透かしてみる。お母さんが見ているドラマで手紙を書くシーンがあり、自分が使っている鉛筆やボールペンとは違った形の物を用いていたのが不思議で尋ねたことがある。名前が確か…
「ま、ま…まんねんしつ?」
そうだそうだ、"まんねんしつ"だ。思い出せたことにスッキリしたが、新たなナゾが頭を埋め尽くす。一体誰の物なんだろうか、どうしてここに落ちていたんだろうか。先生が使っているのも見たことがないし、生徒は鉛筆とボールペン、ネームペンしか使ってはいけない決まりだ。首を傾げて"まんねんしつ"を持ったまま意味もなく教室をウロウロしてうーんと唸るが、このナゾはぼくには解明できそうになかった。まあいいかと諦め、まだ職員室にいるであろう先生に落し物として届けるために教室を出ようとした…が、扉の前で立ち止まる。
「ちょ、ちょっとだけ、使ってみようかな…まんねんしつ」
ドラマで手紙を書いていた、あのワンシーン。それがどうにもカッコよくて、自分もいつかあの変わったペンを使ってみたいと密かに思っていたのだ。持ち主の許可なく使うなんて、と胸が傷んだが、それでも好奇心と憧れには勝てなかった。
ランドセルからノートを取り出し、一番後ろのページを開く。書道の最初、筆を置く時の緊張に似た心持ちで"まんねんしつ"を握り、いざ、とノートに自分の名前を書こうとした。ガリガリガリ、と背筋がゾワッとするような音がして眉をひそめる。ノートにはなんの文字も書けず、ただ傷が入っただけであった。
「あ、あれ?」
"まんねんしつ"を上下に振りもう一度、と意気込むが、やはりインクは出なかった。がっかりして深いため息をつくと、建付けの悪い扉が開く音がしてビクッと肩を跳ねさせた。

「ああ、ここだったか」
「っ、だ、誰ですか…?」
教室に入ってきたのはメガネをかけ、首元がヒラヒラしている見知らぬ男の人であった。知らない人に声をかけられてもついて行ってはいけないと親や先生、そして御剣と矢張に強く言い聞かされているぼくは、この怪しい人物に怯えて小さく震え、涙目になってしまった。
「そう怯えられては流石に悲しいな、怪しい者ではない。その万年筆の持ち主だ。怖がらせてすまなかった」
「えっ…この、まんねんしつ?」
「…フッ、"まんねんひつ"、だ」
軽く笑われながら訂正され、自分が言い間違えていたことが恥ずかしくサッと顔を赤らめて俯く。そして勝手に使おうとしたことを怒られるのではないかと恐ろしくなり、涙で視界が滲んでしまった。
「あの、ご、ゴメンなさい…!」
「何を言う、拾ってくれてありがとう。ずっと探していたのだ、助かった」
男の人はポンポンとぼくの頭を撫で、微笑んだ。その手は大きくて、笑顔は優しくて、胸の奥がじんわりと熱くなった。

─なんだか、御剣くんに似てるな…安心する

親友である御剣に思いを馳せ、ぼうっと男性を見つめていると、ぼくの持っている万年筆を注視してフム、と頷いた。
「やはりインクが出なかったか。随分古い物だからな…カートリッジは変えたのだが」
「かーとり…?」
「フッ、"カートリッジ"、だ。貸してみたまえ」
ぼくの手から万年筆をそっと離し、みるみるうちに分解して中身を取りだした。
「インクが出ない場合はここを…」
長くしなやかな指が万年筆の中身を押したり叩いたりする。その様子が物珍しく、ぼくは目を輝かせながら真剣に万年筆を観察した。
「さあ、これで書けるはずだ。持ち方はこうするのだ」
「えっ…!」
男の人は座るぼくの後ろから抱き込む形でぼくの右手に万年筆を握らせ、ギュッと大きな手で包み込みながら持ち方を教えてくれた。その仕草や声、体の近さに胸が高鳴り、頬を染めて男の人を見上げると、まるで"コイビト"に向けるような眼差しで穏やかにぼくを見つめていた。
その瞳にさらにドキドキして、もう彼を見ていることが出来ずノートに向き直る。きっと耳まで赤くなっているだろうと羞恥し、唇を少し噛んだ。
「少し寝かせるようにして、こう…」
「っ…?あ!か、書けた!」
大きな手に誘導されながらノートに筆を滑らせると、なぞった部分が黒く染まった。嬉しくて破顔すると、後ろで再びフッ、と低い笑い声が聞こえてくる。そのまま線が文字になっていくのをゴクリ、と唾を飲みながら待った。

「な、る、ほ、ど…?」
「…」
ノートに書かれたのは、共感や納得を示す感嘆詞であり…自分の名前でもある言葉であった。不思議に思ってチラリと首を後ろに向けると、スっと体を離され再度頭を撫でられた。
「その万年筆はキミにあげよう」
「えっ…でも、高い物なんじゃ…それに、ずっと探してたって!」
「優しい子だな。キミは本当に変わらない。実は探していたのは万年筆では無いのだ、ウソをついてすまなかったな」
「…??」
言っている意味がわからず目を白黒させ困惑し、万年筆に目を落とす。小学生のぼくでも分かる高級そうな作りにやっぱり貰えないと思い、立ち上がって返そうとした。だが、
「あ、あれ?いない…?」
教室には自分しかおらず、静寂が訪れる。夕焼けに照らされて、机のランドセルと手の中の万年筆が黒く、ツヤツヤときらめくだけであった。

「成歩堂」
しばらく万年筆とノートを見比べていたら名前を呼ばれ、振り向いた。
「あっ、御剣くん…どうしたの?」
「どうしたの、では無い。忘れ物をしたから取りに行くと言ってからずっと帰ってこないから探しに来たのだ。ノートなんて広げて、何をしてるんだ?」
「えっ、あ!そうだった…ごめんね」
自分が放課後の教室に来た理由を思い出し、待たせていた親友に申し訳なくて目を潤ませながらへにゃり、と眉を下げ謝った。御剣はなぜか言葉に詰まり、ひとつ咳払いをしていや、平気だと言ってくれた。
「…?なんだ、その万年筆は。キミの物では無さそうだが」
「あっ、これ?さっき教室に知らないおじさんが来て、ぼくにあげるって」
「…えっ」
「カッコよかったんだよ、あの人…また会いたいなぁ」
「…」
先程の夢のような出来事を反芻し、じわじわ赤くなってふんわりと笑う。貰った万年筆を手で弄っているとバッ!と奪われ、驚いて何をするんだと犯人を睨もうとしたが、犯人である御剣は鬼ような形相で歯を食いしばり、眉間にヒビが入るのではというほどこちらを睨みつけていた。ぼくは凄まじい恐怖に包まれ、赤かった顔を一気に青ざめさせガタガタと震える。
「あれほど…知らない人には気をつけろと言っていたのに…!何をしているんだキサマは!そいつは、完全に"フシンシャ"ではないか!」
「ふ、フシンシャじゃないよ!凄く優しかったし、カッコよかったし…!」
あの人を"フシンシャ"呼ばわりされ、なんだか腹が立って言い返してしまった。それも気に入らなかったのだろうか、御剣は万年筆を握る手にさらに力を込め、顔を真っ赤にして怒ってきた。
「怪しいヤツは警戒を解くために最初は優しくするのだ!習っただろう!?何か変なことをされてないか!?体に触られたりしなかったか!?」
「あ」
「…さ、触られた、のか…?」
「え、えっと…えへへ」
…確かに触られたが、変な感じでは無かったし、嫌でも無かった。だから誤魔化すために目を逸らして乾いた笑い声を出すと、全身から炎が湧き上がるほど怒り狂った御剣がぼくの手を強く掴んだ。
「警察に行こう、この万年筆を証拠として提出しよう」
「…え、ええっ!?」
そもそも小学生の教室に知らない大人がいることがおかしいのだ、絶対に有罪にしてやる…とブツブツ言いながら腕を引かれ、待った!と足を踏ん張った。
「っ、なんだ!」
「そ、それ返してよ!ぼくがもらったんだぞ!」
「ダメに決まってるだろう!こんな、怪しい物…!」
「だって、だって…!」
あんなに優しい人が悪い人とは思えなくて、貰った万年筆が無くなってしまうのが悲しくて、ボロボロと涙がこぼれて止まらない。しゃくりあげて目を擦ると、慌てた様子の御剣がぼくの頬を小さな手で包み込んだ。
「な、泣かないでくれ。ぼくはキミがし、心配で…」
「わ、分かってるよ…でも…でも」
「ぐぅ…それならば、ぼくの万年筆と交換しよう!」
「えっ、御剣くん、まんねんしつ持ってるの?」
思いがけない発言に涙が止まり、口をぽかんと開けて目を瞬かせる。御剣はぼくが泣き止んだことに安心したようで、ホッと息を吐き出し笑って頷いた。
「ああ。去年の誕生日に、お父さんが買ってくれたのだ」
「すごい!御剣くん、大人みたい!カッコいい!」
「う…」
興奮して顔を上気させて詰め寄ると、彼はまだ怒っているのか首まで赤くて動揺したようによろめいた。
「でも、そんな大事な物貰えないよ…」
「キミがこの万年筆を諦めるなら全く構わない。交換と言ったら交換だ」
「う…わ、分かったよ」
渋々頷くと、満足したようにフン、と鼻を鳴らして早くここを片付けてウチに行こうと告げられる。慌ててノートをランドセルに仕舞い、二人並んで教室を後にした。
御剣の家に向かう途中で、ぼくの気が変わらないか心配なのかギュッと手を繋がれた。友達と手を繋いで帰るなんていつぶりだろうと嬉しくなって、しっかりと握り返した。
「御剣くんのまんねんしつ、早く見たいなぁ」
「…フッ、"まんねんひつ"、だ」

─やっぱりあのおじさん、御剣くんに似てるな…安心する

こんなことを言ったらまた怒り出すだろうから、胸の内に隠しておいた。夕焼けが影を伸ばし、二人のランドセルを反射させてキラキラと輝いていた。

* * *

「あっ!御剣…気が付いた?」

検事局、局長室。幼なじみで親友でライバルで、恋人でもある御剣の元へひょっこり顔を出してみたところ、机の下で気を失っている御剣を発見し、慌てて膝枕の体勢を取ったのだ。泣きそうになりながら確認すると、気を失っているだけのようだった為、しばらく様子を見ていたのだった。
「ム…ああ、成歩堂か…すまない、万年筆を机の下に落として拾った後、頭を打ってしまったようだ」
「命に別状無くてよかったよ…全く、部屋に入った瞬間お前が倒れてるから、心配するだろ!」
「す、すまない…なんだか夢を見ていたような」
「はぁ?…あれ、その万年筆」
御剣の手に握られていたソレは、昔ぼくがおじさんに貰った物に酷似していた。あの後てっきり御剣が警察に持っていったか、捨ててしまったかと思っていたが…
「それ、懐かしいな。ぼくもお前に貰ったヤツちゃんと保管してるよ。ていうかまだ持ってたんだな、お前あの時もの凄く怒って…」
「あっ」
「え?」
「い、いや、しかし、そんな、その…」
冷や汗をかきながらメガネをくいっと持ち上げる。怪訝に思ってじっと御剣を見つめると、ぼんやりと当時の記憶が蘇り、あの男の人の顔を思い出した。…完全に、今目の前にいるオトコと同じ顔をしていた。

「あっ…ああっ!!えっ?でも、えぇ…!?」
「う、うむ…」
…なぜそんなことになったのかは全く分からないが、あの時の出来事は大人になった御剣が行っていたのだと理解し、呆然とする。淡い初恋とも呼べるあのおじさんが、御剣…恥ずかしさが頂点に達し、ワナワナ震えて御剣に人差し指を突きつけた。
「お、お前…フシンシャだったのか…このショタコン!」
「ち、違う!私が好きなのは今も昔もキミ一人だ!それにあれは夢だと思っていたから…!初恋の子が目の前にいたら、ああなるのは仕方ないだろう!大体キサマも不審者では無いと言っていたではないか!」
「ぐっ!でもあれは、その…!しょうがないだろ!?大人のお前、凄くカッコよく見えたんだから!好きだったの!」
通りで子供の御剣に似てると思った訳だ、本人なのだから。そしてはた、と気が付いた。安心するのも怪しい人とも思えなかったのは、大好きな御剣本人だったから…ああそういうことだったのか、と一人頷いた。
「なっ、私は子供の時からキミが好きだったのに…!」
「いやまあ、子供の時のお前は確かにカッコよかったけど、情緒が発達してなくて大事な"親友"としか見てなかったな」
「ぐ…!ぬおおおお!!」
最早何に嫉妬すればいいのか分からなくなったのか、雄叫びをあげて再び倒れた。
「だから腹が立ったのだ!見ず知らずの大人にあのような可愛らしい顔を向けるキミに!そしてキミを狙うショタコンの変質者に!」
「結局そいつはお前だったんだけどな」
「うるさい!万年筆の指紋を調べて貰おうと思っていたが、キサマがあまりにも可愛くて忘れていた…!」
指紋を調べても、ぼくと御剣の二種類しか出てこなかっただろう事実がおかしくて大声で笑ってしまった。眉間を寄せて睨まれたが、ちっとも怖くなかった。
「ていうかそれ、なんで今になって出てきたんだよ」
「…自宅の棚を掃除していたら、偶然出てきたのだ。使っていた万年筆が壊れてしまったから、丁度いいと思い持ってきたのだが…ぐぅぅ…」
あの日の屈辱を忘れていた自分が情けない、と机の下に潜り込んでしまった。万年筆を落としたようだ、と小さく呟いて。
そんな恋人がもうどうしようもなく可愛くて、胸がいっぱいになり自分も机に潜り込んだ。

「ぼくも落としたみたい、まんねんしつ、じゃなくて…」
涙目でこちらを見る、大好きな御剣の赤く染まった頬に、チュッとキスを落とした。







おまけ

「ほら、これがぼくの万年筆だ」
見せてくれたのは赤い持ち手の万年筆だった。御剣によく似合う、品のいいデザインだと思い、顔を輝かせる。
「わぁ、カッコいいなぁ!…あの、やっぱり貰えないよ…こんな素敵な物…」
「ぼくがいいと言っているのだよ。交換だと言っただろう」
「でも、この万年筆だってぼくのじゃないし」
「む…」
モジモジと手遊びするぼくに、御剣は眉を寄せて腕を組んだ。
「そ、その…ならば、キミから、その…」
今度は御剣がモジモジして視線をさ迷わせる。何を要求されるのだろう、高いものだったらどうしよう、でもぼくを心配して、ウジウジしてたからこう言ってくれてるんだし…と、ドキドキして続きを待った。
「ほ、ほっぺに…チューしてくれないか…」
「…えっ!?」
「だ、ダメだろうか…」
先程の自分のように眉をへにゃりと下げ、懇願する様子が可愛く思えて、そんなことでいいなら…と御剣の手を握った。
「!な、なるほどう…」
「恥ずかしいから目、つぶって…?」
「う、うん…」
心臓が大きく音を立てて全身に血を巡らせる。御剣は期待に満ち満ちといった様子で、鼻息荒く目を閉じた。緊張からどちらのものともつかない手汗で湿る。そろり、と口を赤い頬に寄せ、目を瞑って押し当てた。羞恥ですぐに離れ、恐る恐る御剣の顔を伺うと、頭から湯気が出ており目を回していた。
「え!?み、御剣くん!」
「う…ううう…」
そのままバタリと床に倒れてしまい、ぼくは混乱して泣き叫んでしまった…
「御剣くーん!死なないでー!!」

* * *

─あの後、結局御剣は熱を出して次の日学校を休んだんだよな…"あの日の屈辱"って言ってたから、ぼくがチューしてやったこと、多分熱のせいで忘れてるんだろうなぁ。

学級裁判のことも忘れてたし、意外と抜けているんだよなとため息をつく。
(まあ、そういうところも好き、なんだけどな)

それにしてもマセガキだったなこいつ、と隣で眠る愛しい恋人の頬を抓ってみると、うなされたような声を出し眉を寄せていた。そんなところも可愛くて、抓った部分が赤くなったほっぺにチューをしてやった。
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