ミツナル短編集
日本の刑事事件における有罪率は99.9%である。それをいつも覆し、逆転無罪を勝ち取る…まるで魔法使いのような弁護士、成歩堂龍一。俺はいつからか彼に心を奪われてしまっていた。レポート作成の為にたまたま傍聴していたのが彼の裁判で、その鮮やかな逆転劇を魅せてくれた成歩堂の全てに惹かれた。
お近付きになりたい…何でもいい、話してみたい…!あわよくば、手なんか握ったりしたい!
そんな思いで、俺は検事局まで来てしまった。怪しまれないように堂々と、局内を歩く。
(書類提出の為に、今日はここに居るはず…あっ!あの髪型と青いスーツは…!)
想い人は特徴的な見た目をしている為か、俺の愛の力なのか、すぐに見つかった。手汗をシャツで拭き、逸る心臓を抑え、声をかけようと近付いた。…が、
(げっ、御剣怜侍…)
愛しの弁護士は敵とも言える検事、それも毎度成歩堂を徹底的に追い詰める輩である御剣と共に居た。さすがにこの状況で声は掛けにくく、地団駄を踏んだ。
(くそ、早くどっか行けよ…!ムカシ弁護してもらったらしいけど、それでも弁護士と検事がこんな、馴れ合っていいのかよ…!)
サッと自販機の陰に隠れ、二人の様子を窺う。成歩堂は頭の後ろに手をやり眉を下げて笑っており、御剣は腕組をしながらため息をついていた。
何を話しているのだろうか。御剣が居なければ、今頃は自分と話しているはずなのに、と邪魔な御剣をニラみつける。…それにしたって距離が近い。いくら仲がいいと言っても、さすがに近付きすぎなのでは?と思っていたら、
「!み、御剣…」
「…成歩堂、こちらに」
御剣は成歩堂の手を取り、向こう側へ行ってしまった。
(?あいつ、何を…ていうか!成歩堂さんの手を、あんなに簡単に…!)
歯ぎしりしながら彼らの後を追った。どこへ行ってしまったのかと辺りを見回すと、物陰から密やかな声が聞こえてきた。気付かれないよう俺も隠れ、様子を窺おうと覗き込んだ。
「お前、こんな所で…」
「いいだろう、誰も見ていない。久しぶりに会えたのだ、これくらいさせてくれ」
「うぅ~…」
…二人は、抱き合っていた。
頭が真っ白になった。理解が追い付かず、口をハクハクとさせ、身体中から汗が止まらなくなる。何だ?何が起きている?
御剣は成歩堂の首に頭を埋め、思い切り吸い込んだ。成歩堂はそんな仕草に耳まで赤くし、背中に回る手に力を入れたような気がした。
「ああ、キミの匂いだ…」
「全く、恥ずかしいヤツ…」
御剣は更にキツく抱きしめた。成歩堂は口では素っ気ない素振りを見せるが、肩にスリスリと頬擦りするなど、嫌がるどころか待ち望んでいたような態度をとっていた。
二人はしばらく抱き合っていたが、お互いふと目を合わせた。その顔は心底幸せそうで、愛おしくて堪らないようだった。そして…
「んっ…」
「ふ…」
口付けを、交わした。
初めはただ触れるだけだったそれは、どんどん深くなっていき、口から唾液が漏れ出ていた。気持ちよさから腰が抜けそうになっていた成歩堂にしっかりと御剣は手を回し、グッと支える。倒れてしまわないよう成歩堂も首に抱き着き、深いキスに答えていた。…はぁ?
(なん、なんだよ…これは)
俺は呆然と立ち尽くし、二人の睦み合いをただ見ていることしかできなかった。何だか頬が濡れているような気がして手を顔にやると、自分が泣いている事が分かった。悔しくて惨めで堪らない。一番屈辱だったのは、この様子を見て勃起してしまった事だった。好きな人の痴態を見て身体は正直に反応し、辛いはずなのに興奮が抑えられない。
(…トイレ)
俺は死んだ目で局内のトイレへ駈け込んだ。立ち去る際、キミの家に行くだの待ってるだの聞こえたような気がしたが、どうでもよかった。
自慰は、いつもより捗った。
* * *
あの日から俺は傍聴に行くのを止めた。魂がすっかり抜けたようで、大学でも家でも何のやる気も出ず、死んだような日々を送っていた。
あれから一年、彼は今どうしているのだろう。辛くて悲しくて、情報を全てシャットアウトしていた為、俺は彼の置かれた状況を全く知らなかった。
「なぁ、お前、確か成歩堂龍一にご執心だったよな?」
「…ああ、ムカシ、な」
「今、面白い事になってるって知ってたか?」
大学内でたまに話す程度の仲の男が、下卑た笑みを浮かべながら話しかけてきた。
「面白い事?」
「ああ。アイツが弁護士資格を剥奪されたのは知ってるだろ?」
……知らない。そんな事は聞いてない!
「な、何だよそれ!」
「え、知らねーの?何でも、証拠の捏造をしたとかでさ~。いやー、そんなヤツだったとはなぁ」
違う、違う!彼はそんな事をするような人じゃない!
「そ、そんな怖い顔するなよ。俺は事実を言ってるだけだぜ?」
「…それで、彼は今、何を…」
「聞いて驚け、場末のレストランで、売れないピアニストをやってるらしい。落ちぶれたもんだよなぁ~キリッと『異議あり!』とかやってたのに」
「…そのレストラン、どこだか分かるか?」
「ああ、ボルハチって所だよ。行ってみるのか?どうだったか、感想よろしくな」
ニヤニヤ笑いながら俺の肩を叩き、男は去っていった。
成歩堂龍一が、弁護士じゃなくなった…?信じられない。自分の目で、確かめなければ。
久しぶりに、目に生気が宿ったように思えた。
夜になり、教えてもらったレストランへ向かった。妙に重たく感じた扉を開く。そこには、
(成歩堂、龍一…!)
風貌は大きく変わっていたが、見間違えるはずがない。確かに、あの成歩堂が居た。ピアノの席に座り、虚ろな目で頬杖をついていた。
「やあ、いらっしゃい」
こちらに話しかけてきた。俺に、俺に話しかけてきた!あの成歩堂龍一が‼
瞬間、身体中に血が巡り、心臓がバクバクと高鳴る。無くしたと思っていた情熱が、今、蘇った。
すっかり落ちぶれてしまった彼は、以前にも増して色気を放っており、とてつもなく淫らな雰囲気を醸し出していた。
ゴクリ、と唾を飲み、彼に近づく。
「あの、成歩堂龍一、ですよね」
「…ぼくの事、知ってるのか」
「ええ、ムカシ、よく裁判を見ていました」
「…忘れてくれないか、ムカシの事は」
あまり思い出したくないんだ。とニット帽で顔を隠し、鍵盤を一つ押した。ポーン、とピアノの音が鳴り響く。
「ガッカリさせたお詫びとして、何か弾こうか?…まあ、弾けないんだけど」
彼と目が合った。何もかもを諦めたような目で、表情で、俺を見ている。俺を見ている!!
「お詫びか、それならさ」
―抱かせてくれよ。
腰に手を回し、鍵盤の上の手に右手を重ねた。
「その様子だと、金に困ってるんじゃないのか?望み通りの金額を払うから、ヤラせてよ、先生」
忘れられなかった。あの時見た彼の痴態を。顔を、声を、手を。何度も何度も思い出し、自慰に耽っていた。
あの時の御剣のように彼の手を取り、どこかへ連れ立ってしまおうを顔を寄せた。だが、成歩堂はすげなく俺の手を振り払い、法廷でよく見た冷たい視線を送った。
「生憎だけど、そういう事はやってないんだ。最近妙に迫られるんだよな…めんどくさい」
ご飯食べて大人しく帰りなよと、呆れたように言い放ち、そっぽを向かれてしまった。
激しい怒りが身を包む。あの男はよくて、俺はダメなのかよ…!
「おい、いいのかよ。そんな態度客にとって」
「…」
「金に困ってんのは事実だろ?なぁ、いいだろ!一回くらいさぁ!」
「ハァ…しつこいな。しょうがない、ぼくにポーカーで勝てたらいいよ?お望み通りの事、してあげる」
艶やかな眼差しで俺を見つめ、そう言った。言質を取った!ポーカーで勝ちさえすれば、この身体を好きに…!興奮からか息が荒くなる。期待に胸が躍る。
「じゃあ、こっちの部屋においで。あ、もちろん」
お金、払ってね。ぼくとするのはタダじゃ無いんだよ。
* * *
何故だ!何で勝てない!
大金を湯水のように溶かし、何度挑んでも勝てなかった。こちらを見透かしたような目で彼は俺を見つめる。
「あれ?もうおしまいかな?楽しかったよ。またのお越しを♡」
ニッコリと笑い、手を振る成歩堂は、悪魔のように思えた。
どうやって帰ったのか思い出せない。気が付くと朝日が昇っており、俺は自宅の布団で倒れていた。
(…変わってしまった。彼は、俺の好きな成歩堂龍一は、あんな人間じゃ…)
深い絶望を感じた。捏造して、資格を剥奪された事も、風貌が変わってしまった事も、どうでも良かった。俺の好きなあの人は、俺を受け入れて、優しく微笑み、その身を委ねてくれるはずだった。腹の底からどす黒い感情が湧き出てくる。俺はその場で嘔吐してしまった。
「ハァ…ハァ…許せねぇ…成歩堂、龍一…!俺の、俺の…!」
その夜、俺は再びレストランへ訪れた。…懐に、ナイフを忍ばせて。
何を言っても俺のものにならない。金も心も何もかもを奪っていった。そんな奴、許せるはずが無い。脅して連れ去って、俺の好きにしてやる。暗く重い思考に沈んでいくのがどこか心地良かった。
レストランの扉を開くと、見知った赤いヒラヒラの男と、ガタイの良い緑のコートの男が食事をしていた。
(…!み、御剣、怜侍…⁉何でここに…!)
思いがけない人物の登場に、後ずさってしまった。成歩堂とはそういう関係だと知っていたが、彼がこうなった以上関係はおしまいになっているだろうと勝手に思っていた為、驚きが隠せない。
「いや~!美味いッス!ソーメン以外を食べたのは二ヶ月ぶりッス!」
「確かに、ピアニスト目当てで来たものの、料理もなかなかのものだな。キミもそう思わないか?」
御剣は、突然こちらに同意を投げかけてきた。話しかけられた事に動揺するが、冷静に返す。
「…いえ、俺はここの料理、食べた事無いので」
「ほう?ここは初めてなのか?」
「え、いや、昨日来て…」
「レストランに来て、何も食べなかったのか?」
「あ…!そ、それは…」
「ピアニスト目当て、なのだろう?分かっている。私もそうだからな」
「!」
二人の男は立ち上がり。こちらへ近付く。
「な、何だよ!お前ら、何を…」
「すまないが身体検査をさせてもらう」
「はぁ⁉な、何の権利があって…」
緑の男が何か取り出した。…警察手帳だ。
「け、警察…!」
「昨夜通報があったのだ。怪しい男がこの周辺をうろついていると」
「そ、そんなの俺じゃない!触るなよ!」
慌てて刑事を振り払おうとするも、力で全く敵わず、懐のナイフを見つけられてしまった。
「…銃刀法違反、現行犯逮捕ッスね」
「ぐっ‼離せ!俺は、俺はあの人に…!」
「最後に一つ、忠告だ」
御剣は俺の胸ぐらを掴み上げ、キツく睨みつけて言い放った。
「…次彼に近付いてみろ。一生牢屋に居る事になるだろうな」
連れて行け、という御剣の指示に刑事が意気揚々と答え、俺を引きずっていく。
―勝てない。この男に、御剣に、そして成歩堂に!俺はどうやっても勝てないのか!
絶叫しながら外に連れ出される俺は、どこか冷静に、あの時触れた彼の手のぬくもりを思い出していた。
* * *
「…ちょっとやりすぎなんじゃない?彼、羽振りが良くて太客にならないかなーって思ってたんだけど」
成歩堂が小部屋からひょっこり顔を覗かせる。
「何を言う。キミが私に連絡してきたのではないか。不埒な輩に絡まれた、と」
私はヘラりと笑う成歩堂を睨みながら、その手を取った。
「大体、ポーカーで勝てたら自分を好きにしていい、などと言うものでは無い!負けてしまったらと考えなかったのか!」
「いやぁ、あの子、ちょっとしつこくてね。面倒になっちゃって、それなら勝負しかないよなぁって。大丈夫だよ、随分顔に出るタイプだったし、みぬきがいなくても余裕で勝てた」
「全く…危ない事をして欲しくないものだが、な」
成歩堂から昨夜あった事を聞き、口から心臓が飛び出るかと言うほど衝撃を受けた。同時に腸が煮えくり返り、すぐに糸鋸刑事に連絡し、ここで張り込みをするように命じた。まさか次の日に、しかも凶器を持ってやってくるとは思いもしなかったが、現行犯逮捕まで持ち込めたのは不幸中の幸いだったとも言える。
「まあ、とりあえずありがとな。今日の事、みぬきには…」
「分かっている。今日は何時に終わるんだ?」
「今日はホントは休みなんだ。お前とイトノコ刑事が来るって言うから、見に来ただけ」
「そうか、それならば今から私の家に行こう」
「え、今から?」
「あの男に、触れられたのだろう?許せるはずが無い。隅から隅まで消毒しないと、な」
そう言うと、成歩堂はやれやれと肩を竦め、私の手を握り返した。
「優しくしてくれよ?時期検事局長サマ?」
「ム…善処しよう」
離れてしまわないよう、彼の手をしっかりと繋いだ。
お近付きになりたい…何でもいい、話してみたい…!あわよくば、手なんか握ったりしたい!
そんな思いで、俺は検事局まで来てしまった。怪しまれないように堂々と、局内を歩く。
(書類提出の為に、今日はここに居るはず…あっ!あの髪型と青いスーツは…!)
想い人は特徴的な見た目をしている為か、俺の愛の力なのか、すぐに見つかった。手汗をシャツで拭き、逸る心臓を抑え、声をかけようと近付いた。…が、
(げっ、御剣怜侍…)
愛しの弁護士は敵とも言える検事、それも毎度成歩堂を徹底的に追い詰める輩である御剣と共に居た。さすがにこの状況で声は掛けにくく、地団駄を踏んだ。
(くそ、早くどっか行けよ…!ムカシ弁護してもらったらしいけど、それでも弁護士と検事がこんな、馴れ合っていいのかよ…!)
サッと自販機の陰に隠れ、二人の様子を窺う。成歩堂は頭の後ろに手をやり眉を下げて笑っており、御剣は腕組をしながらため息をついていた。
何を話しているのだろうか。御剣が居なければ、今頃は自分と話しているはずなのに、と邪魔な御剣をニラみつける。…それにしたって距離が近い。いくら仲がいいと言っても、さすがに近付きすぎなのでは?と思っていたら、
「!み、御剣…」
「…成歩堂、こちらに」
御剣は成歩堂の手を取り、向こう側へ行ってしまった。
(?あいつ、何を…ていうか!成歩堂さんの手を、あんなに簡単に…!)
歯ぎしりしながら彼らの後を追った。どこへ行ってしまったのかと辺りを見回すと、物陰から密やかな声が聞こえてきた。気付かれないよう俺も隠れ、様子を窺おうと覗き込んだ。
「お前、こんな所で…」
「いいだろう、誰も見ていない。久しぶりに会えたのだ、これくらいさせてくれ」
「うぅ~…」
…二人は、抱き合っていた。
頭が真っ白になった。理解が追い付かず、口をハクハクとさせ、身体中から汗が止まらなくなる。何だ?何が起きている?
御剣は成歩堂の首に頭を埋め、思い切り吸い込んだ。成歩堂はそんな仕草に耳まで赤くし、背中に回る手に力を入れたような気がした。
「ああ、キミの匂いだ…」
「全く、恥ずかしいヤツ…」
御剣は更にキツく抱きしめた。成歩堂は口では素っ気ない素振りを見せるが、肩にスリスリと頬擦りするなど、嫌がるどころか待ち望んでいたような態度をとっていた。
二人はしばらく抱き合っていたが、お互いふと目を合わせた。その顔は心底幸せそうで、愛おしくて堪らないようだった。そして…
「んっ…」
「ふ…」
口付けを、交わした。
初めはただ触れるだけだったそれは、どんどん深くなっていき、口から唾液が漏れ出ていた。気持ちよさから腰が抜けそうになっていた成歩堂にしっかりと御剣は手を回し、グッと支える。倒れてしまわないよう成歩堂も首に抱き着き、深いキスに答えていた。…はぁ?
(なん、なんだよ…これは)
俺は呆然と立ち尽くし、二人の睦み合いをただ見ていることしかできなかった。何だか頬が濡れているような気がして手を顔にやると、自分が泣いている事が分かった。悔しくて惨めで堪らない。一番屈辱だったのは、この様子を見て勃起してしまった事だった。好きな人の痴態を見て身体は正直に反応し、辛いはずなのに興奮が抑えられない。
(…トイレ)
俺は死んだ目で局内のトイレへ駈け込んだ。立ち去る際、キミの家に行くだの待ってるだの聞こえたような気がしたが、どうでもよかった。
自慰は、いつもより捗った。
* * *
あの日から俺は傍聴に行くのを止めた。魂がすっかり抜けたようで、大学でも家でも何のやる気も出ず、死んだような日々を送っていた。
あれから一年、彼は今どうしているのだろう。辛くて悲しくて、情報を全てシャットアウトしていた為、俺は彼の置かれた状況を全く知らなかった。
「なぁ、お前、確か成歩堂龍一にご執心だったよな?」
「…ああ、ムカシ、な」
「今、面白い事になってるって知ってたか?」
大学内でたまに話す程度の仲の男が、下卑た笑みを浮かべながら話しかけてきた。
「面白い事?」
「ああ。アイツが弁護士資格を剥奪されたのは知ってるだろ?」
……知らない。そんな事は聞いてない!
「な、何だよそれ!」
「え、知らねーの?何でも、証拠の捏造をしたとかでさ~。いやー、そんなヤツだったとはなぁ」
違う、違う!彼はそんな事をするような人じゃない!
「そ、そんな怖い顔するなよ。俺は事実を言ってるだけだぜ?」
「…それで、彼は今、何を…」
「聞いて驚け、場末のレストランで、売れないピアニストをやってるらしい。落ちぶれたもんだよなぁ~キリッと『異議あり!』とかやってたのに」
「…そのレストラン、どこだか分かるか?」
「ああ、ボルハチって所だよ。行ってみるのか?どうだったか、感想よろしくな」
ニヤニヤ笑いながら俺の肩を叩き、男は去っていった。
成歩堂龍一が、弁護士じゃなくなった…?信じられない。自分の目で、確かめなければ。
久しぶりに、目に生気が宿ったように思えた。
夜になり、教えてもらったレストランへ向かった。妙に重たく感じた扉を開く。そこには、
(成歩堂、龍一…!)
風貌は大きく変わっていたが、見間違えるはずがない。確かに、あの成歩堂が居た。ピアノの席に座り、虚ろな目で頬杖をついていた。
「やあ、いらっしゃい」
こちらに話しかけてきた。俺に、俺に話しかけてきた!あの成歩堂龍一が‼
瞬間、身体中に血が巡り、心臓がバクバクと高鳴る。無くしたと思っていた情熱が、今、蘇った。
すっかり落ちぶれてしまった彼は、以前にも増して色気を放っており、とてつもなく淫らな雰囲気を醸し出していた。
ゴクリ、と唾を飲み、彼に近づく。
「あの、成歩堂龍一、ですよね」
「…ぼくの事、知ってるのか」
「ええ、ムカシ、よく裁判を見ていました」
「…忘れてくれないか、ムカシの事は」
あまり思い出したくないんだ。とニット帽で顔を隠し、鍵盤を一つ押した。ポーン、とピアノの音が鳴り響く。
「ガッカリさせたお詫びとして、何か弾こうか?…まあ、弾けないんだけど」
彼と目が合った。何もかもを諦めたような目で、表情で、俺を見ている。俺を見ている!!
「お詫びか、それならさ」
―抱かせてくれよ。
腰に手を回し、鍵盤の上の手に右手を重ねた。
「その様子だと、金に困ってるんじゃないのか?望み通りの金額を払うから、ヤラせてよ、先生」
忘れられなかった。あの時見た彼の痴態を。顔を、声を、手を。何度も何度も思い出し、自慰に耽っていた。
あの時の御剣のように彼の手を取り、どこかへ連れ立ってしまおうを顔を寄せた。だが、成歩堂はすげなく俺の手を振り払い、法廷でよく見た冷たい視線を送った。
「生憎だけど、そういう事はやってないんだ。最近妙に迫られるんだよな…めんどくさい」
ご飯食べて大人しく帰りなよと、呆れたように言い放ち、そっぽを向かれてしまった。
激しい怒りが身を包む。あの男はよくて、俺はダメなのかよ…!
「おい、いいのかよ。そんな態度客にとって」
「…」
「金に困ってんのは事実だろ?なぁ、いいだろ!一回くらいさぁ!」
「ハァ…しつこいな。しょうがない、ぼくにポーカーで勝てたらいいよ?お望み通りの事、してあげる」
艶やかな眼差しで俺を見つめ、そう言った。言質を取った!ポーカーで勝ちさえすれば、この身体を好きに…!興奮からか息が荒くなる。期待に胸が躍る。
「じゃあ、こっちの部屋においで。あ、もちろん」
お金、払ってね。ぼくとするのはタダじゃ無いんだよ。
* * *
何故だ!何で勝てない!
大金を湯水のように溶かし、何度挑んでも勝てなかった。こちらを見透かしたような目で彼は俺を見つめる。
「あれ?もうおしまいかな?楽しかったよ。またのお越しを♡」
ニッコリと笑い、手を振る成歩堂は、悪魔のように思えた。
どうやって帰ったのか思い出せない。気が付くと朝日が昇っており、俺は自宅の布団で倒れていた。
(…変わってしまった。彼は、俺の好きな成歩堂龍一は、あんな人間じゃ…)
深い絶望を感じた。捏造して、資格を剥奪された事も、風貌が変わってしまった事も、どうでも良かった。俺の好きなあの人は、俺を受け入れて、優しく微笑み、その身を委ねてくれるはずだった。腹の底からどす黒い感情が湧き出てくる。俺はその場で嘔吐してしまった。
「ハァ…ハァ…許せねぇ…成歩堂、龍一…!俺の、俺の…!」
その夜、俺は再びレストランへ訪れた。…懐に、ナイフを忍ばせて。
何を言っても俺のものにならない。金も心も何もかもを奪っていった。そんな奴、許せるはずが無い。脅して連れ去って、俺の好きにしてやる。暗く重い思考に沈んでいくのがどこか心地良かった。
レストランの扉を開くと、見知った赤いヒラヒラの男と、ガタイの良い緑のコートの男が食事をしていた。
(…!み、御剣、怜侍…⁉何でここに…!)
思いがけない人物の登場に、後ずさってしまった。成歩堂とはそういう関係だと知っていたが、彼がこうなった以上関係はおしまいになっているだろうと勝手に思っていた為、驚きが隠せない。
「いや~!美味いッス!ソーメン以外を食べたのは二ヶ月ぶりッス!」
「確かに、ピアニスト目当てで来たものの、料理もなかなかのものだな。キミもそう思わないか?」
御剣は、突然こちらに同意を投げかけてきた。話しかけられた事に動揺するが、冷静に返す。
「…いえ、俺はここの料理、食べた事無いので」
「ほう?ここは初めてなのか?」
「え、いや、昨日来て…」
「レストランに来て、何も食べなかったのか?」
「あ…!そ、それは…」
「ピアニスト目当て、なのだろう?分かっている。私もそうだからな」
「!」
二人の男は立ち上がり。こちらへ近付く。
「な、何だよ!お前ら、何を…」
「すまないが身体検査をさせてもらう」
「はぁ⁉な、何の権利があって…」
緑の男が何か取り出した。…警察手帳だ。
「け、警察…!」
「昨夜通報があったのだ。怪しい男がこの周辺をうろついていると」
「そ、そんなの俺じゃない!触るなよ!」
慌てて刑事を振り払おうとするも、力で全く敵わず、懐のナイフを見つけられてしまった。
「…銃刀法違反、現行犯逮捕ッスね」
「ぐっ‼離せ!俺は、俺はあの人に…!」
「最後に一つ、忠告だ」
御剣は俺の胸ぐらを掴み上げ、キツく睨みつけて言い放った。
「…次彼に近付いてみろ。一生牢屋に居る事になるだろうな」
連れて行け、という御剣の指示に刑事が意気揚々と答え、俺を引きずっていく。
―勝てない。この男に、御剣に、そして成歩堂に!俺はどうやっても勝てないのか!
絶叫しながら外に連れ出される俺は、どこか冷静に、あの時触れた彼の手のぬくもりを思い出していた。
* * *
「…ちょっとやりすぎなんじゃない?彼、羽振りが良くて太客にならないかなーって思ってたんだけど」
成歩堂が小部屋からひょっこり顔を覗かせる。
「何を言う。キミが私に連絡してきたのではないか。不埒な輩に絡まれた、と」
私はヘラりと笑う成歩堂を睨みながら、その手を取った。
「大体、ポーカーで勝てたら自分を好きにしていい、などと言うものでは無い!負けてしまったらと考えなかったのか!」
「いやぁ、あの子、ちょっとしつこくてね。面倒になっちゃって、それなら勝負しかないよなぁって。大丈夫だよ、随分顔に出るタイプだったし、みぬきがいなくても余裕で勝てた」
「全く…危ない事をして欲しくないものだが、な」
成歩堂から昨夜あった事を聞き、口から心臓が飛び出るかと言うほど衝撃を受けた。同時に腸が煮えくり返り、すぐに糸鋸刑事に連絡し、ここで張り込みをするように命じた。まさか次の日に、しかも凶器を持ってやってくるとは思いもしなかったが、現行犯逮捕まで持ち込めたのは不幸中の幸いだったとも言える。
「まあ、とりあえずありがとな。今日の事、みぬきには…」
「分かっている。今日は何時に終わるんだ?」
「今日はホントは休みなんだ。お前とイトノコ刑事が来るって言うから、見に来ただけ」
「そうか、それならば今から私の家に行こう」
「え、今から?」
「あの男に、触れられたのだろう?許せるはずが無い。隅から隅まで消毒しないと、な」
そう言うと、成歩堂はやれやれと肩を竦め、私の手を握り返した。
「優しくしてくれよ?時期検事局長サマ?」
「ム…善処しよう」
離れてしまわないよう、彼の手をしっかりと繋いだ。