短編集

 彼女が、このナワバリのマルコの現地妻となってから、早二十年。
 今年四十を超えた節目で、彼女はあることを考えていた。
 それは、世代交代。
 体力も見た目も衰える一方の彼女とは違い、白ひげ海賊団で船長の右腕と言われるマルコは衰えを知らない。体力は落ちず、年齢を重ねるごとに魅力的になる一方だ。
 そんなマルコに対して、特に彼女が気にしているのは、現地妻として一番大切な夜の相手である。
 体力のあるマルコの相手として、今も勤めが果たせているのか疑問だった。この頃は、体を重ねる前の時間が長く、繋がっても若い頃のように動くことが少ない。回数も減り、肌を寄せ合って話すだけの時間が多くなっていた。
 彼女としては今でも変わらず幸せな時間である。興奮してくれるマルコを見て、体の奥底が疼かないわけはない。けれど、その疼きは体を寄せ合うだけで満たされた。若い頃のように何度も確かめ合わなくても十分なのだ。
 けれど、マルコの方は? 物足りないのではないかしら。
 一度、彼女はマルコに尋ねたことがある。「貴方、一回でいいの?」と。
 するとマルコは、「まだやりてェ気持ちはあるが、お前と肌を寄せ合えられれば十分だよい」と、キスをしながら答えたのである。
 その時彼女はあと一回ならと言ったのだが、マルコは笑いながら彼女を抱きしめるだけだった。マルコが何かを言ったような気がしたけれど、心地よさに彼女は眠ってしまい、結局その日も一回だけで終わる。
 私は一回が精一杯、マルコにまだやりてェ気持ちがあると知った彼女は、その日から今日まで着々と準備を進めてきた。
 マルコは、この歳まで縛っていた私に責任を感じて捨てられない。ナワバリとして島を守ってくれる彼を、個人的な想いで縛ってはいけない。切り出すなら私からなのだと彼女は動いたのだ。
 街の若い子達と会話をしてマルコに対する想いを探り、マルコが来た時にはそれとなく若い子の話をして好みを探った。
 ナワバリに来る頻度は多くない。機会を逃さないように、マルコが家を訪ねてきた時には若い子を呼んで話をさせてみたり、相性が良さそうな子を真剣に探し続けた。
 そして二週間前、無事にやり遂げたのである。
「……」
 この日、白ひげ海賊団が上陸したと聞いた彼女は家の外でマルコを待っていた。マルコはいつもすぐにやって来る。玄関先で待つのが常だった。
「二十年、あっという間だったわね……」
 遠くに見えたマルコの姿を見て、彼女は呟いた。
 当時は、オヤジの右腕と言われるまでになるとは思ってもいなかった。彼女としては感慨深いものがある。笑顔が可愛かった男性の、今でもそんな笑顔を見せる時はあるけれど、男らしく成長していく姿をずっと見てきたのだ。
 今日で私は終わり。
 そう思いながら、いつものように訪ねてきたマルコを歓迎して、料理をもてなし、近況を伝え合い、体を綺麗にし、あとは寝室に行くだけ、というところで彼女は切り出した。
「貴方の相手に良さそうな子をリストアップしたの」
 彼女は向かいに座るマルコの方へ、三人の女性の名前が書かれた紙を差し出した。
 この一年、彼女が準備をしてきた結果の、太鼓判を押せる女性の名前が書かれている。
 マルコを見ると、怪訝な顔をしていた。
 突然こんな話を切り出せば誰でもそんな表情になる。
 だから彼女は気にせず話を進めた。
「どうかしら? 貴方に気に入ってる子がいるなら、その子に話をしても良いわ」
 マルコの気持ちも大事である。一方的に進めても、マルコの気が乗らないのであれば現地妻としての役目を果たすことはできない。
 しばらく静かな時間が流れた。
 彼女はマルコの答えを待つだけなので落ち着いていたが、マルコの方はどこか落ち着かない。紙を見て、落ち着いている彼女を見て、また紙を見た。
 いつもならベッドでお互いの肌を撫で、唇を寄せている時間だ。久しぶりの時間に彼女もマルコも楽しんでいるところだが、今は間にテーブルがあって触れられない。
 前戯と同じくらいたっぷりと時間を使った後、ようやくマルコが口を開いた。
「……聞いてもいいか?」
「もちろんよ」
 何でも答えるわ、と身を乗り出す彼女に向けて、マルコは人差し指を紙に添えながら尋ねた。
「これは、何のリストだよい?」
 彼女は、あ、と声を出した。
 肝心な部分を省いてしまった。
 彼女は説明不足を謝り、今度はしっかりと、具体的に、マルコに説明をした。
「私の次の人の候補よ。現地妻として、私は年齢が上がってしまったから世代交代をと思ったの」
 マルコは目を白黒させていた。
 何を言っているのか分からない、と顔に書かれている。
 二十年もマルコの現地妻をしていた彼女は、その表情を読み解くことぐらいわけはなかった。
「急だから驚くのも無理はないわ。けど、貴方が来るのは二ヶ月か三ヶ月に一回だもの。事前に連絡をするのは難しいから、こうなってしまったの」
 安心して、今日はもちろん私が相手するわ。
 そう言う彼女の表情はいつもと変わらない、マルコの好きな笑顔だった。
 それをいつもなら、繋がった状態で見られるのだが、今は一メートルも空いている。
 マルコは立ち上がり、彼女の横に座った。
 その距離は、二十センチほどにまで縮まった。
「俺がいつ、お前のことを現地妻だと言ったよい?」
 その声は、怒っているわけでも呆れているわけでもなかった。いつもと変わらない、彼女への想いが込められていた。
 だから彼女は、穏やかに答えることができたのである。
「言ってないわ」
 マルコも言った記憶はない。彼女に女の話をした記憶がないくらいだ。マルコの言葉で自分は現地妻だと思うことはできない。
「けれど……」
 彼女は両手を組み、力を込めながら言葉を続けた。
「貴方は、海賊だもの」
 白ひげ海賊団は大所帯だ。色んな男性がいる。それこそ、このナワバリに現地妻を作っている者がいることを彼女は知っていた。
 それに、彼女は他のナワバリと交流したことがないのだ。
 たとえ、マルコからどれだけ言葉を送られたとしても、所詮は現地妻に対してと思っても不思議ではなかった。
 けれど今、マルコは、いつ現地妻だと言った?、と投げてきた。
 伏せていた目を上げると、マルコと目が合った。
 彼女の心に、何かがすとんと、真っ直ぐに落ちてきた。
「……」
「……」
 彼女は、目をぱちくりさせて、見つめ返す。
 その様子は、四十を過ぎても可愛らしい。
「あの、聞いてもいいかしら?」
「あぁ」
 マルコが自分に問いかけた言葉を考えると、ある答えが浮かび上がる。
 けれどその前に、念の為に彼女は確認がしたかった。
「貴方、他のナワバリに現地妻はいないの?」
 マルコは開いた口が塞がらなかった。
 俺を一体なんだと思っていたのか。この二十年、何度も言葉にしてきた数々の想いを、彼女はまっすぐ受け取っていなかったのか。
 マルコの手が彼女の手に触れ、指が絡まった。
「俺はこの二十年、お前しか抱いてねェが?」
「……え?」
 今度は彼女は開いた口が塞がらなかった。
 この二十年、マルコは私以外の女性を抱いたことがない?
 マルコの瞳は見惚れてしまうくらい澄んでいた。どう見ても嘘は言っていない。
「正妻も、いないの?」
「お前が正妻と言ってもいいが?」
 顔がさらに近付いてきた。息がかかりそうなほどの距離で、マルコの瞳には目を伏せる彼女が映っていた。
 私はなんて失礼なことをしてしまったのだろう。
 彼女は、力を込めてマルコの手を握った。
「貴方がいつもくれる言葉は、私にしか言ったことがなかったの?」
「そうなるな」
「貴方、一回で息切れになる私で満足するの?」
「余裕でできるが?」
「まだやりてェって言ったじゃない」
「三ヶ月後まで待てるんだな、俺は」
 マルコは立ち上がり、彼女を抱き上げた。そして、ある部屋へと歩き出す。
 もう夜も更けていた。けれど、まだ始まっていない。
「もう一つ、聞いてもいいかよい?」
「何?」
「俺が一度、結婚するか?、と聞いたことがあったな?」
 彼女はその時のことをしっかりと覚えていた。
 それは、マルコが一番隊隊長に任命された時。彼女は腕を振るってマルコを祝い、その席で尋ねられた。
「あの時お前は全力で、結婚なんてしないと、否定したな?」
「……他の男性との結婚のことかと思ったの」
 現地妻だと思っていた彼女が、どうしてプロポーズだと思えるのか。マルコとの関係が終わるくらいなら結婚なんてしたくなかったのだ。
「私ったら、二十年も……」
 彼女は、申し訳なさでどうにかなりそうだったが、マルコは彼女を問い詰めることもなく、そっとベッドに下ろした。
「その夜もお前と寝れたもんだから意味が分からなかったが……長年の謎がようやく解けたよい」
「貴方以外とはしたくないもの。と言っても、私に言い寄る男性は一人もいなかったわよ」
「お前に近寄ってくる野郎どもを俺が全て片付けてたからな」
「それは……」
「違うナワバリの女を勧めたよい。式に参列したこともある」
「……全く知らなかったわ」
「お前は知らなくていいんだよい」
 海賊舐めんなよ?、と笑うマルコは初めて会った時のような無邪気な笑顔だった。
「手に入れたものは意地でも手放さねェんだ」
「……怖い海賊さんだこと」
 マルコはゆっくりと、彼女をベッドに沈み込ませた。
 彼女はマルコの首に腕を回し、微笑みかけた。
 その表情はマルコが初めて見た時から変わらない、温かい笑顔。
「二十年分、もう一回くれてやるよい」
 四十代男女の、本気の恋愛が始まった。
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