わたしが手を伸ばしたシナリオ
アベラは声を張り上げ続けていた。
一体何度呼びかけて、手を差し伸べたのだろう。安全な場所を伝えて回り、相手できる海賊なら斬りかかり、できないなら一般人を逃がすために時間を稼いだ。
「助けに来ました!」
「海兵のお嬢さん……。俺はも、う」
「諦めないでください! 助かりますから!」
男性を励まし、安全な場所まで送り届け、また全力で戻った。
海岸の方からは、何度も爆発音がしている。
見れば、海賊船から放たれる砲弾が建物を瓦礫にし、さらに粉々にしようとしていた。
軍艦は射程距離に入っていた。着弾もしている。
だが海賊船からの攻撃は止まらない。
「一体何が目的で……」
アベラは海から離れたエリアを走り回っていた。海岸側とは違い建物は形を留めているが、海賊達が至る所で火を放ったのか目も喉も痛い。
それでもアベラは大声を上げた。
その声に同じように声を上げる人、うめき声を上げる人、僅かな力を振り絞って応える人がいた。その声のどれも取り溢さないように、アベラは耳を研ぎ澄ます。
炎がはぜる音、ガラスが割れる音、悲鳴、足音、金属音、発砲音。全ての音の中から、危険な音と助けを求める声だけを選んでいく。
声がする!
「誰かいますか!!」
アベラは迷わず家屋の中に入った。
が、炎を見て足が止まった。
「誰かぁ!」
女性の声だった。
アベラは咄嗟に炎の中へ突っ込んで行こうとしたが、まだ炎は部屋を埋め尽くしていない。冷静に炎を避けながら、けれど急いで女性の元へ駆けつけた。
「もう大丈夫ですよ!」
「足が、震えて……っ」
海賊が他の家を襲っている様子を見た女性は、恐怖で動けなくなっていた。
アベラは笑いかけた。
小柄な女性なら背負って運ぶことができる。何も心配はない。
「安全な場所へ連れて行きますからね!」
「ありがとう……!」
助けられる、とアベラが確信した時──殺気が迫ってくるのを感じた。
「死ねェ!」
どこにいたのか、海賊がアベラの背中に向けて剣を振り下ろそうとしていた。
アベラは体の向きを変え、支給品の剣で受け止めた。咄嗟の動きだったが、アベラは体勢を崩すことはなかった。
アベラはこの日初めて、海賊と会話をした。
「街をめちゃくちゃにして、何がしたいんですか!」
「別に目的なんかねェよ! 女と金は欲しいがな!」
体ごと跳ね返したい。けれど押し返す力が足りない。
襲いかかってきた海賊は、マルコより背の低い男だった。だがやはり、力を入れられると持ち堪えることしかできない。
男はアベラの力量が分かったのだろう。視線を動かす余裕を見せた。
アベラの後ろの女性を見て、嫌な笑みを浮かべた。
アベラはその様子をしっかりと見ながら、じっと待つ。
「女」
「ひっ……!」
「俺達の船に乗れ」
男は自分の女にしたも同然、と思っていた。
恐怖で動けない女性と、自分よりも小さいどう見ても弱い女海兵一人だけ。
この状況なら、懸賞金が低い海賊でも、誰もが優勢だと思うだろう。
だがこの男が見誤ったことがあるとすれば、アベラの諦めの悪さが尋常ではないことだ。
そう、少しでも力を抜いたら、アベラに機を与えてしまう。
アベラは、腕と足にぐっと力を入れた。
「この方には約束した婚約者がいるんですー!!」
「はァ!?……ぎゃァ!」
女性にそんな相手がいることなどアベラは知らない。
これは、ジョズが教えてくれたように叫ぶことが目的だった。ただあわよくば、男を油断させたかったのでそれにしただけ。
不意を突かれた男は手に力を入れようとしたが間に合わず、剣を弾き飛ばされ、体を仰け反らせた。
アベラは間合いを一気に詰め、男目掛けて剣を振り下ろした。
男は床に倒れ、動かなくなった。
「行きますよ!」
「はいっ!」
女性を避難させたアベラは仲間から状況を聞いた。
一般人の避難はほぼ終わり、地上にいた海賊達は制圧済み。
あとは海上だけなのだが、それが全くできなかった。
「どうして海賊船が墜ちねェんだよ……!」
仲間の誰かがアベラの思っていたことを叫んだ。
海賊船からの砲撃が止んでいなかった。船が頑丈なだけでは説明がつかない。
アベラの頭では何故なのか全く分からなかった。だが、それはどうでもいい。やるべきことは決まっているから。
アベラは駆け出した。
「おい、アベラ待て!」
「まだ砲撃が止んでねェ! 死ぬぞ!」
行けば自分も砲弾にやられる。
誰もが考えることだった。
「助けられる人がいるかもしれません!」
アベラが動く理由はそれだけだ。
砲撃の射程範囲内の建物はほとんど崩れていた。
アベラはその中へ突っ込んで行った。
砲弾は無限ではない。いつかは止む。けれどその後では遅いかもしれない。
空を見ながら、発射される音を聞きながら、アベラは安全を確保しつつ叫び続けた。
誰かいませんか!
「……っ」
瓦礫から僅かに見える腕。その下は赤い水溜り。
走れば走るほど、惨状を見れば見るほど、アベラの声に緊迫感が増していく。
本当にもういないのか。どこにもいないのか。
誰か、誰か、誰か……!
「誰かいませんか!」
「助けて!」
アベラは振り返った。
「!」
瓦礫の隙間に、若い男性と高齢の女性がいた。
アベラは光を見た気がした。
助けられる。あの人達は、助けなくちゃ。
「待っててください。すぐ行きます!」
アベラが踵を返して──
ドン、と音がした。
「助けてぇ!」
砲弾が発射された音。
アベラは二人だけを見て走り続けた。他を見ている暇があるならその力を足に向けないと。
だが後ろへ引っ張られ、走ることができなくなった。
「諦めろ! お前も死ぬぞ!」
仲間がアベラの腕を掴んでいた。
「ですが、あの人達が!」
「間に合わねェよ!」
「海兵さん!!」
女性と目が合った。
必死にアベラを呼んでいる。
仲間も必死に叫んでいる。
「退避ーー!!」
遠くの仲間の声で、アベラの腕を掴んでいた仲間が緊迫した表情でアベラを抱え、懸命に走り出した。
声が聞こえるのに、どんどん二人から遠ざかった。
腕を伸ばしても、どうやっても届かない。
「お願い、助けて……!」
二人のいる場所が、粉々になった。
× × ×
「来てんじゃねェか」
モビー・ディック号から少し離れた森の中、アベラは木の根に膝を抱えて座っていた。
街でアベラを見たという話を聞き、ならば来るだろうと思っていたのにいつまで経っても姿を見せない。
別に来なくても構わないがなんだか居心地が悪い。それぐらいの考えで街に行こうとしたマルコは、すぐにアベラを見つけ拍子抜けだった。
「ジョズが心配すんだろ」
ジョズは相変わらずアベラを妹のように気にかけていた。
先月、新聞に載っていた海賊達による奇襲事件の写真に、大声を上げているアベラの姿が小さく写っていた。
記事を見て、この事件に関われたのは幸運なのでは、とマルコ達は話していた。
危険な事件に関わった方が昇任が早いだろうしいい経験になる。その時、アベラの怪我の心配をしていたのはジョズぐらいで、マルコも含めた他の野郎共は、賭け事の心配だけをしていた。
「……今日は来ねェのかよい?」
マルコが前に立つと、アベラはぱっと顔を上げて、マルコを見た。
その瞳の色を、マルコは見たことがなかった。
いつのように無駄に輝いているわけでも、燃えているわけでもない。新兵になったばかりの、恐怖に染まった瞳でもなかった。
マルコは、逃げるように俯いたアベラの頭を見た。
アベラはどういうわけか、モビー・ディック号の位置を的確に突き止める。これがアベラの言う通りマルコへの憧れでできているのなら、今も同じような色をしていないと可笑しい。
何故ここで足止めを食らっている? ……てかこれ、俺が考える必要あるか?
腕を組みながら、アベラの頭を穴が空くほど見つめていたマルコは遠慮がちに声をかけた。
「あー……その、なんだ。奇襲事件で失敗して後任したのか?」
黙って戻るわけにも行かず、マルコなりに気を使った質問だった。
アベラの関わった最近の事件はそれしか知らない。その後に別の事件に関わっていたとしても、奇襲事件よりも大きな事件は新聞には載っていなかったから何かあるとしたら奇襲事件だろう、とマルコは推測した。
それから、医学書一冊が読み終わるほどの長い沈黙の時間が続いた。実際はそれほど経っていないのだが、マルコにとってはそれぐらい耐えられない時間だった。だが、こちらから声をかけるにも何を言ったらいいか分からない。
強く肩を叩いて、「なぁにしょげてんだよい!」、なんて言う間柄ではない。そもそも、励まさないといけない相手でもない。そう、アベラが勝手に追いかけてきているだけなのだから。
だが居心地が悪い。それは何故なのか。
マルコは決めた。
もう限界だ。あとはジョズに任せよう。
と、アベラの指が少しだけ動いた。
「……しました」
「あ?」
「昇任しました」
「……は?」
マルコは意味が分からなかった。
なら何故こいつはこんななんだ……?、とマルコは視線を空に向けたが、緑しか見えないので仕方なくかさかさと鳴る木々を見た。
昇任ということは、こいつの階級は伍長か。確か、伍長からは私服でも良いんだったな。……まさかこいつ、今日は非番じゃねェのか!?
アベラのおかげで、マルコは海軍の規則事情に詳しくなっていた。知ったところで海軍と戦うときには役に立たない(重要なのは正義を背負っているかどうかぐらい)が、マルコはしっかりと覚えていた。
すぐに船へ戻り出航させたほうがいいか?、とマルコが視線を彷徨わせていると、悲痛な声がした。
「助けられなかった……!」
その声は、アベラの瞳と同じ色を持っていた。
マルコは、視線をアベラに戻す。
アベラはマルコを見ていた。
その瞳は何かを訴えかけていた。
「何度も呼んでくれたのに。助けてって私に言っていたのに」
海賊船を制圧し街を鎮火させた後、アベラは街の被害を確認しながらあの二人がいた場所に行った。
走ったら間に合ったかもしれないのに。仲間もいたんだ。助かったかもしれないのに。
「何度も、最後まで訴えてきたのに……!」
励ました男性から、背負った女性から、助けた人達から何度お礼を言われても気持ちは晴れなかった。
「無事でよかったです」
もちろんアベラは笑顔で応えた。
嬉しかったのは事実だ。助けられた。たくさんの人を助けることができた。けれどその時のアベラの拳は、血が出るほど強く握られていた。
「……」
マルコは、自分が冷めていくのを感じた。
アベラのその瞳は、マルコにとって気持ちの悪いものだったのだ。
「弱音吐いている場合か?」
それが声にも現れていた。
冷たく、突き放すような音色。
アベラはマルコの瞳を見て、背中を凍らせた。
「んなこと。いくらでも起こるし、今も起きてるぞ。それぐらい分かるだろい」
アベラの膝を抱えている手に力が入る。
血が出るほど唇を噛んだ。
そう、『今も起きている』、のだ。
同じようなことが今でも世界のどこかで起こっている。
助けて、と誰かが叫んでいる。
違うのは聞こえているかいないか。見えているかいないか。
分かっていた。
アベラは、頭では分かっていたのだ。
「けどあんなに近い距離にいて、助けられなかったんです……」
想像するのと、新聞で見るのと、実際に見るのはわけが違う。
もう大丈夫、と二人に言いたかった。温かい言葉をかけて救いたかった。
あの事件でアベラは、無力感を全身に突きつけられた。
「それで? お前はどうすんだよい?」
その問いかけに、アベラは言葉を詰まらせた。
どうする?
お前──、私は、どうするの?
事件から今日まで訓練はしていた。身体に染み込んだものは心がどうなっていても動いてくれた。
けれど、モビー・ディック号の側に来た時、限界にきたのか動かなくなった。
「一人や二人、十人や二十人助けられなかったぐらいで、海軍辞めんのか?」
どんどん増えるぞ。数えるのが馬鹿らしくなるくらいだ。
マルコの瞳を見ることができず、アベラはマルコの足を見た。
事件に関われば関わるほど、無力感を覚え、身体も心も砕かれる。
その度に、自分で元に戻さないといけない。
また戦場に行けるように、助けを求める人を助けられるように。
憧れだけでどうにかなるものではない。
「……」
マルコの足を見て、ふと、あの時を思い出した。
突然海賊が家に入ってきて、思いきり蹴られて壁に打ち付けられた。涙でぼやけた視界には海賊の足があって、次には、いなくなっていた。
「……」
そう、この足が、あの海賊を蹴とばして、私の前に立ってくれたのだ。
(なんも、怖くないからな)
その言葉と笑顔には、体が落ち着きを取り戻すには十分な温かさがあった。
あんな風になりたいと思った。
目の前の人のようになると決めた。
憧れだけでどうにかなるものではない。
けれど、憧れがないと進めないのだ。
「……っ!」
アベラは、ぐっと奥歯を噛み、ばしん!、と両手で頬を叩いた。
マルコは目を見開いてアベラを見る。
「私は……」
あの時の思いは、本物。
その思いをここで終わらせるわけにはいかない。
後悔は、最後の最後まで取っておく。まだしなければならないことがたくさんあるのだから。
アベラは鼻の穴を大きくして、思いきり息を吸った。
「──!!」
放たれた声はモビー・ディック号まで届き、甲板にいたジョズ達が敵襲かと船縁に集まっていた。
「海軍は絶対に止めない! 私は、マルコさんみたいに強くなると決めてるんです!!」
あの二人を助けることはできなかった。助けられなかった人達をたくさん見た。
これからも、何度も、数えられなくなるくらい起こるだろう。
助けられなかった時、誰かに恨まれたり、問い詰められたりするだろう。
それでも、引き返すことなんてしない。
だってこの道は、間違ってなんかないんだから。
「……」
「……」
アベラの瞳の奥で、ちり、と火花が散り、小さな炎が現れた。
みるみる大きくなり、今までのどんな時よりも燃え盛った。
今もまだ、あの事件の海賊達に対しての怒りも、無力な自分に対しての怒りもある。それはなくならないし、なくしてはいけない。
アベラは、その思いを最後まで持っていくつもりだ。
「……フ」
マルコの中の気持ち悪さがなくなっていく。
今の心は、面倒くさくなってしまった、が半分。もう半分は、これからが楽しみだ、だった。
視線をモビー・ディック号に向けたマルコの口元は、僅かに上がっていた。
「あぁ、そろそろ出航だったよい」
「え?」
「じゃあな」
呆気にとられるアベラを置いて、マルコは船に戻って行く。
先ほどまでの緊張感はどこへやら、飄々と歩いて行くマルコの背中をアベラはぽかんと見つめた。
「えぇぇ!?」
マルコの言葉を理解するのに十秒もかかってしまった。
慌てて立ち上がり、右足を大きく前に出す。
「勝負してくださいー!」
「手合わせしてくださいの間違いだろい」
「勝負してください!!」
「聞けよい!!」
甲板の船縁で様子を眺めていたジョズ達は、マルコに挑もうと必死に追いかけるアベラを見て、敵襲じゃないのかと、ほっと息を吐くのだった。
一体何度呼びかけて、手を差し伸べたのだろう。安全な場所を伝えて回り、相手できる海賊なら斬りかかり、できないなら一般人を逃がすために時間を稼いだ。
「助けに来ました!」
「海兵のお嬢さん……。俺はも、う」
「諦めないでください! 助かりますから!」
男性を励まし、安全な場所まで送り届け、また全力で戻った。
海岸の方からは、何度も爆発音がしている。
見れば、海賊船から放たれる砲弾が建物を瓦礫にし、さらに粉々にしようとしていた。
軍艦は射程距離に入っていた。着弾もしている。
だが海賊船からの攻撃は止まらない。
「一体何が目的で……」
アベラは海から離れたエリアを走り回っていた。海岸側とは違い建物は形を留めているが、海賊達が至る所で火を放ったのか目も喉も痛い。
それでもアベラは大声を上げた。
その声に同じように声を上げる人、うめき声を上げる人、僅かな力を振り絞って応える人がいた。その声のどれも取り溢さないように、アベラは耳を研ぎ澄ます。
炎がはぜる音、ガラスが割れる音、悲鳴、足音、金属音、発砲音。全ての音の中から、危険な音と助けを求める声だけを選んでいく。
声がする!
「誰かいますか!!」
アベラは迷わず家屋の中に入った。
が、炎を見て足が止まった。
「誰かぁ!」
女性の声だった。
アベラは咄嗟に炎の中へ突っ込んで行こうとしたが、まだ炎は部屋を埋め尽くしていない。冷静に炎を避けながら、けれど急いで女性の元へ駆けつけた。
「もう大丈夫ですよ!」
「足が、震えて……っ」
海賊が他の家を襲っている様子を見た女性は、恐怖で動けなくなっていた。
アベラは笑いかけた。
小柄な女性なら背負って運ぶことができる。何も心配はない。
「安全な場所へ連れて行きますからね!」
「ありがとう……!」
助けられる、とアベラが確信した時──殺気が迫ってくるのを感じた。
「死ねェ!」
どこにいたのか、海賊がアベラの背中に向けて剣を振り下ろそうとしていた。
アベラは体の向きを変え、支給品の剣で受け止めた。咄嗟の動きだったが、アベラは体勢を崩すことはなかった。
アベラはこの日初めて、海賊と会話をした。
「街をめちゃくちゃにして、何がしたいんですか!」
「別に目的なんかねェよ! 女と金は欲しいがな!」
体ごと跳ね返したい。けれど押し返す力が足りない。
襲いかかってきた海賊は、マルコより背の低い男だった。だがやはり、力を入れられると持ち堪えることしかできない。
男はアベラの力量が分かったのだろう。視線を動かす余裕を見せた。
アベラの後ろの女性を見て、嫌な笑みを浮かべた。
アベラはその様子をしっかりと見ながら、じっと待つ。
「女」
「ひっ……!」
「俺達の船に乗れ」
男は自分の女にしたも同然、と思っていた。
恐怖で動けない女性と、自分よりも小さいどう見ても弱い女海兵一人だけ。
この状況なら、懸賞金が低い海賊でも、誰もが優勢だと思うだろう。
だがこの男が見誤ったことがあるとすれば、アベラの諦めの悪さが尋常ではないことだ。
そう、少しでも力を抜いたら、アベラに機を与えてしまう。
アベラは、腕と足にぐっと力を入れた。
「この方には約束した婚約者がいるんですー!!」
「はァ!?……ぎゃァ!」
女性にそんな相手がいることなどアベラは知らない。
これは、ジョズが教えてくれたように叫ぶことが目的だった。ただあわよくば、男を油断させたかったのでそれにしただけ。
不意を突かれた男は手に力を入れようとしたが間に合わず、剣を弾き飛ばされ、体を仰け反らせた。
アベラは間合いを一気に詰め、男目掛けて剣を振り下ろした。
男は床に倒れ、動かなくなった。
「行きますよ!」
「はいっ!」
女性を避難させたアベラは仲間から状況を聞いた。
一般人の避難はほぼ終わり、地上にいた海賊達は制圧済み。
あとは海上だけなのだが、それが全くできなかった。
「どうして海賊船が墜ちねェんだよ……!」
仲間の誰かがアベラの思っていたことを叫んだ。
海賊船からの砲撃が止んでいなかった。船が頑丈なだけでは説明がつかない。
アベラの頭では何故なのか全く分からなかった。だが、それはどうでもいい。やるべきことは決まっているから。
アベラは駆け出した。
「おい、アベラ待て!」
「まだ砲撃が止んでねェ! 死ぬぞ!」
行けば自分も砲弾にやられる。
誰もが考えることだった。
「助けられる人がいるかもしれません!」
アベラが動く理由はそれだけだ。
砲撃の射程範囲内の建物はほとんど崩れていた。
アベラはその中へ突っ込んで行った。
砲弾は無限ではない。いつかは止む。けれどその後では遅いかもしれない。
空を見ながら、発射される音を聞きながら、アベラは安全を確保しつつ叫び続けた。
誰かいませんか!
「……っ」
瓦礫から僅かに見える腕。その下は赤い水溜り。
走れば走るほど、惨状を見れば見るほど、アベラの声に緊迫感が増していく。
本当にもういないのか。どこにもいないのか。
誰か、誰か、誰か……!
「誰かいませんか!」
「助けて!」
アベラは振り返った。
「!」
瓦礫の隙間に、若い男性と高齢の女性がいた。
アベラは光を見た気がした。
助けられる。あの人達は、助けなくちゃ。
「待っててください。すぐ行きます!」
アベラが踵を返して──
ドン、と音がした。
「助けてぇ!」
砲弾が発射された音。
アベラは二人だけを見て走り続けた。他を見ている暇があるならその力を足に向けないと。
だが後ろへ引っ張られ、走ることができなくなった。
「諦めろ! お前も死ぬぞ!」
仲間がアベラの腕を掴んでいた。
「ですが、あの人達が!」
「間に合わねェよ!」
「海兵さん!!」
女性と目が合った。
必死にアベラを呼んでいる。
仲間も必死に叫んでいる。
「退避ーー!!」
遠くの仲間の声で、アベラの腕を掴んでいた仲間が緊迫した表情でアベラを抱え、懸命に走り出した。
声が聞こえるのに、どんどん二人から遠ざかった。
腕を伸ばしても、どうやっても届かない。
「お願い、助けて……!」
二人のいる場所が、粉々になった。
× × ×
「来てんじゃねェか」
モビー・ディック号から少し離れた森の中、アベラは木の根に膝を抱えて座っていた。
街でアベラを見たという話を聞き、ならば来るだろうと思っていたのにいつまで経っても姿を見せない。
別に来なくても構わないがなんだか居心地が悪い。それぐらいの考えで街に行こうとしたマルコは、すぐにアベラを見つけ拍子抜けだった。
「ジョズが心配すんだろ」
ジョズは相変わらずアベラを妹のように気にかけていた。
先月、新聞に載っていた海賊達による奇襲事件の写真に、大声を上げているアベラの姿が小さく写っていた。
記事を見て、この事件に関われたのは幸運なのでは、とマルコ達は話していた。
危険な事件に関わった方が昇任が早いだろうしいい経験になる。その時、アベラの怪我の心配をしていたのはジョズぐらいで、マルコも含めた他の野郎共は、賭け事の心配だけをしていた。
「……今日は来ねェのかよい?」
マルコが前に立つと、アベラはぱっと顔を上げて、マルコを見た。
その瞳の色を、マルコは見たことがなかった。
いつのように無駄に輝いているわけでも、燃えているわけでもない。新兵になったばかりの、恐怖に染まった瞳でもなかった。
マルコは、逃げるように俯いたアベラの頭を見た。
アベラはどういうわけか、モビー・ディック号の位置を的確に突き止める。これがアベラの言う通りマルコへの憧れでできているのなら、今も同じような色をしていないと可笑しい。
何故ここで足止めを食らっている? ……てかこれ、俺が考える必要あるか?
腕を組みながら、アベラの頭を穴が空くほど見つめていたマルコは遠慮がちに声をかけた。
「あー……その、なんだ。奇襲事件で失敗して後任したのか?」
黙って戻るわけにも行かず、マルコなりに気を使った質問だった。
アベラの関わった最近の事件はそれしか知らない。その後に別の事件に関わっていたとしても、奇襲事件よりも大きな事件は新聞には載っていなかったから何かあるとしたら奇襲事件だろう、とマルコは推測した。
それから、医学書一冊が読み終わるほどの長い沈黙の時間が続いた。実際はそれほど経っていないのだが、マルコにとってはそれぐらい耐えられない時間だった。だが、こちらから声をかけるにも何を言ったらいいか分からない。
強く肩を叩いて、「なぁにしょげてんだよい!」、なんて言う間柄ではない。そもそも、励まさないといけない相手でもない。そう、アベラが勝手に追いかけてきているだけなのだから。
だが居心地が悪い。それは何故なのか。
マルコは決めた。
もう限界だ。あとはジョズに任せよう。
と、アベラの指が少しだけ動いた。
「……しました」
「あ?」
「昇任しました」
「……は?」
マルコは意味が分からなかった。
なら何故こいつはこんななんだ……?、とマルコは視線を空に向けたが、緑しか見えないので仕方なくかさかさと鳴る木々を見た。
昇任ということは、こいつの階級は伍長か。確か、伍長からは私服でも良いんだったな。……まさかこいつ、今日は非番じゃねェのか!?
アベラのおかげで、マルコは海軍の規則事情に詳しくなっていた。知ったところで海軍と戦うときには役に立たない(重要なのは正義を背負っているかどうかぐらい)が、マルコはしっかりと覚えていた。
すぐに船へ戻り出航させたほうがいいか?、とマルコが視線を彷徨わせていると、悲痛な声がした。
「助けられなかった……!」
その声は、アベラの瞳と同じ色を持っていた。
マルコは、視線をアベラに戻す。
アベラはマルコを見ていた。
その瞳は何かを訴えかけていた。
「何度も呼んでくれたのに。助けてって私に言っていたのに」
海賊船を制圧し街を鎮火させた後、アベラは街の被害を確認しながらあの二人がいた場所に行った。
走ったら間に合ったかもしれないのに。仲間もいたんだ。助かったかもしれないのに。
「何度も、最後まで訴えてきたのに……!」
励ました男性から、背負った女性から、助けた人達から何度お礼を言われても気持ちは晴れなかった。
「無事でよかったです」
もちろんアベラは笑顔で応えた。
嬉しかったのは事実だ。助けられた。たくさんの人を助けることができた。けれどその時のアベラの拳は、血が出るほど強く握られていた。
「……」
マルコは、自分が冷めていくのを感じた。
アベラのその瞳は、マルコにとって気持ちの悪いものだったのだ。
「弱音吐いている場合か?」
それが声にも現れていた。
冷たく、突き放すような音色。
アベラはマルコの瞳を見て、背中を凍らせた。
「んなこと。いくらでも起こるし、今も起きてるぞ。それぐらい分かるだろい」
アベラの膝を抱えている手に力が入る。
血が出るほど唇を噛んだ。
そう、『今も起きている』、のだ。
同じようなことが今でも世界のどこかで起こっている。
助けて、と誰かが叫んでいる。
違うのは聞こえているかいないか。見えているかいないか。
分かっていた。
アベラは、頭では分かっていたのだ。
「けどあんなに近い距離にいて、助けられなかったんです……」
想像するのと、新聞で見るのと、実際に見るのはわけが違う。
もう大丈夫、と二人に言いたかった。温かい言葉をかけて救いたかった。
あの事件でアベラは、無力感を全身に突きつけられた。
「それで? お前はどうすんだよい?」
その問いかけに、アベラは言葉を詰まらせた。
どうする?
お前──、私は、どうするの?
事件から今日まで訓練はしていた。身体に染み込んだものは心がどうなっていても動いてくれた。
けれど、モビー・ディック号の側に来た時、限界にきたのか動かなくなった。
「一人や二人、十人や二十人助けられなかったぐらいで、海軍辞めんのか?」
どんどん増えるぞ。数えるのが馬鹿らしくなるくらいだ。
マルコの瞳を見ることができず、アベラはマルコの足を見た。
事件に関われば関わるほど、無力感を覚え、身体も心も砕かれる。
その度に、自分で元に戻さないといけない。
また戦場に行けるように、助けを求める人を助けられるように。
憧れだけでどうにかなるものではない。
「……」
マルコの足を見て、ふと、あの時を思い出した。
突然海賊が家に入ってきて、思いきり蹴られて壁に打ち付けられた。涙でぼやけた視界には海賊の足があって、次には、いなくなっていた。
「……」
そう、この足が、あの海賊を蹴とばして、私の前に立ってくれたのだ。
(なんも、怖くないからな)
その言葉と笑顔には、体が落ち着きを取り戻すには十分な温かさがあった。
あんな風になりたいと思った。
目の前の人のようになると決めた。
憧れだけでどうにかなるものではない。
けれど、憧れがないと進めないのだ。
「……っ!」
アベラは、ぐっと奥歯を噛み、ばしん!、と両手で頬を叩いた。
マルコは目を見開いてアベラを見る。
「私は……」
あの時の思いは、本物。
その思いをここで終わらせるわけにはいかない。
後悔は、最後の最後まで取っておく。まだしなければならないことがたくさんあるのだから。
アベラは鼻の穴を大きくして、思いきり息を吸った。
「──!!」
放たれた声はモビー・ディック号まで届き、甲板にいたジョズ達が敵襲かと船縁に集まっていた。
「海軍は絶対に止めない! 私は、マルコさんみたいに強くなると決めてるんです!!」
あの二人を助けることはできなかった。助けられなかった人達をたくさん見た。
これからも、何度も、数えられなくなるくらい起こるだろう。
助けられなかった時、誰かに恨まれたり、問い詰められたりするだろう。
それでも、引き返すことなんてしない。
だってこの道は、間違ってなんかないんだから。
「……」
「……」
アベラの瞳の奥で、ちり、と火花が散り、小さな炎が現れた。
みるみる大きくなり、今までのどんな時よりも燃え盛った。
今もまだ、あの事件の海賊達に対しての怒りも、無力な自分に対しての怒りもある。それはなくならないし、なくしてはいけない。
アベラは、その思いを最後まで持っていくつもりだ。
「……フ」
マルコの中の気持ち悪さがなくなっていく。
今の心は、面倒くさくなってしまった、が半分。もう半分は、これからが楽しみだ、だった。
視線をモビー・ディック号に向けたマルコの口元は、僅かに上がっていた。
「あぁ、そろそろ出航だったよい」
「え?」
「じゃあな」
呆気にとられるアベラを置いて、マルコは船に戻って行く。
先ほどまでの緊張感はどこへやら、飄々と歩いて行くマルコの背中をアベラはぽかんと見つめた。
「えぇぇ!?」
マルコの言葉を理解するのに十秒もかかってしまった。
慌てて立ち上がり、右足を大きく前に出す。
「勝負してくださいー!」
「手合わせしてくださいの間違いだろい」
「勝負してください!!」
「聞けよい!!」
甲板の船縁で様子を眺めていたジョズ達は、マルコに挑もうと必死に追いかけるアベラを見て、敵襲じゃないのかと、ほっと息を吐くのだった。
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