わたしが手を伸ばしたシナリオ

 鳴りやまない爆発音。
 至る所で奏でられる金属音。
 飛び交う罵声。
 たまに聞こえる、絶叫。
 アベラは銃を構えていた。トリガーに指先を掛け、いつでも撃てる体制を取っている。
「海賊共を一人も逃がすな!」
「撃て! 撃てえぇ!」
「死ぬのはてめェらの方だ。海軍!!」
「やっちまえ!!」
 海軍側、三〇人。海賊側、一八人。
 街の中心部は戦場となった。
 戦いの発端をアベラは知らない。同部隊の上級海兵達と街の警備をしていたところ、別班から連絡が入り、民間人の避難と海賊団対処の命令が届いた。すぐに現場に向かい、任務を開始。
 それから三〇分が経ったが、アベラはまだ、一発も撃っていなかった。
 民間人を避難させていたのではない。怪我をした者の対応をしていたのではない。
 ただ、恐怖で動けなくなったのだ。
 構えている銃は小刻みに震え、トリガーを引くための人差し指は強張っている。
「おいお前、何をしている!」
 撃て!、と『正義』を背負う上官がアベラに怒鳴る。
「…っ、っ…!」
 銃の構え方も、撃ち方も学んだ。
 構え!、と指示が出たら銃を構え、撃て!、と指示が出たら撃つ。
「撃て!」
 また指示が出た。けれど人差し指は少しも動かない。
「弾切れなのか!?」
 違う。弾は満タン。だから、トリガーを引けば弾は飛ぶ。それは分かっている。きっと、誰かを当てることはできるだろう。それは海賊?、海兵? いや、もしかしたら誰にも当たらずに、目の前の民家の壁に穴を開けることになるかもしれない。
 撃たないと。戦っている仲間の援護をしないと。
 海軍側には数名の負傷者が出ている。海賊側はまだ一人も倒れていない。
「!」
 同じ階級の仲間が倒れた。
 撃たないと。
 また一人。今度は戦っていた海賊と共に。
 撃たないと!
 けれど、アベラの体は少しも動かない。
「っ…」 
 アベラは知らない。
 恐怖で動けなくなった体を動かす方法は?
 誰も教えてくれなかった。
「おい! ぼさっとしてんな!」
 高く澄んだ音が、アベラの真横を掠め、後ろの民家のガラスが割れた。
 今度は四発、頭上を飛んでいった。
「撃てよ! 何してんだ!」
 アベラ自身も、そう思っている。
 撃たないと、やられる。
 だけれど、どうしたらいいのか分からないのだ。訓練時のことを必死に思い出してみても、やはり、誰もこういう場合どうしたらいいかなんて話していなかった。休憩中に、「ビビって腰抜かせて泣き喚いていた奴もいた」、と話してくれた人がいたが、そのビビっていた人がそのあとどうなったのかを、アベラは聞いておけばよかったと後悔した。
「くたばれ!」
 撃て! 斬れ! くたばれ!
 仲間の声なのか、敵の声なのか、アベラにはもう判断がつかなかった。
 また、一人。今度は海賊が倒れた。
 命中させた海兵の銃口からは煙が立ち登っている。
 アベラはその煙を見て、臭いに気づく。
 息を吸い、息を吐いた。
 焼けた臭いと、土埃の臭い。辺りは感じたこともない臭いが充満していた。一体どれだけの弾が、敵に向けて放たれ、敵に当たるか、地面にめり込むか空へ飛んでいったか、はたまた、民家を傷つけたのだろう。
 嗅覚が呼び覚まされ、今度は感触が呼び覚まされた。
 体に張り付く制服が気持ち悪い。ここへ来てから一歩も動いていないのに、アベラの皮膚からは訓練場を百周した後のような汗が吹き出していた。銃を構えているのが奇跡なほど、掌もぬるぬるしている。
「死ねェ!」
 一緒に警備をしていた上級海兵の一太刀が、海賊に止めを刺した。ゆっくりと後ろへ倒れていく海賊に、上級海兵は、倒れるまでに二回、倒れてから三回。海賊を斬りつける。
 警備中には気がつかなかった、彼の海賊への異常な執念。
「船長が逃げたぞ!!」
「追え、追ええ!」
 アベラの位置が一番手薄だと思ったのだろう。船長がこちらに走ってくる。その後を、誰かの仇を討つ勢いで迫る仲間達が走ってくる。
 アベラはまるで、自分に向けられているような感覚になった。
 やられる。……一体誰に?
 アベラを通り過ぎた弾が、民家の壁を穴だらけにした。
 どちらの弾が通り過ぎた?
「そこをどけェ!」
 船長が、銃を構えた。
 やらないと。
 銃はずっと構えていた。
 船長は目の前。
 だからトリガーを引けば、絶対に当たる。
 引け。引け。お願いだから引いて!
 自分の体なのに、ちっとも言うことを聞いてくれない。上官の命令でも撃てなかった。
 なら誰の命令なら、この人差し指は動いてくれるの?
「邪魔だ!」
 アベラは誰かに肩を掴まれ、思い切り突き飛ばされ──。
 バンッ、と音がして、一秒前にアベラがいた場所を銃弾が駆け抜けた。
「死にたいのか!」
「!」
「引っ込んでろ!!」
 近くで一発。
 船長が、その場に倒れる。
 アベラは、その場に崩れ落ちた。


× × ×


「怪我せずに帰還できたなら上出来じゃねェか」
「……戦っていません」
「戦場にいたことに変わりはねェだろ?」
「……」
 モビー・ディック号の下で、十人が円を作って座り込んでいた。
 アベラの様子を男達は不安そうに見て、何を言おうかと顔を見合わせる。
「……シチュー嬢ちゃん。シチュー食え」
 マルコ監修の、シチュー嬢ちゃん家のシチューだぞー、と一人の男が皿を差し出すが、アベラは俯いたまま受け取ろうとしない。
 これじゃねェか……。当たり前だろ。
 俯いているアベラの手には新聞。それは先ほどまでマルコが持っていたものだ。
「初めての戦いなんてそんなもんだろ」
「初めからビビらねェ奴の方が珍しいもんだ」
 そうだそうだ、と頷く男達の顔をちら、と見たアベラは、新聞を強く握る。
 トップ記事に写っている、最近名が挙がってきた海賊団の船長の顔が皺くちゃになった。
 アベラが出動した事件は、マルコ達も新聞で知った。だがその事件はトップ記事には掲載されず、ある一面のほんの一角を占めただけの、世界では気にも留めない事件だった。
 そんな小さすぎる事件でアベラは、まるで大戦争でも起こったような恐怖を覚え、全く動けなかったのだ。
 初めての戦場で、アベラは何も出来なかった。
「ちゃんと訓練してたんです。毎日、毎日毎日……」
 雑用から昇進し、訓練が始まった。朝から晩まで、配属された部隊で訓練に明け暮れていた。
 発砲音は何度も聞いていた。大きな声の命令も何度も聞いた。
 なのに、動けなかった。
「何を学んだんだ?」
 ジョズが尋ねると、アベラはすらすらと口にした。
「構え、と命令がきたら構えて、撃て、と命令がきたら撃つんです」
「……」
「……」
「それだけ、か?」
 ジョズが他にもあるだろう、とアベラに促すが不思議そうにジョズを見つめ返すだけだった。
 ジョズはどう返したらよいか悩む。だが、何も出てこない。
 生ぬるい風を受け、生ぬるいな…、と声が出そうになったが何とか飲みこみ、シチューを食おう、と話を振ることにした。
 だがジョズが皿を取りアベラに見せるように上げた時、アベラの向こうの男が言葉を放ちやがった。
「アホだな」
 ジョズは慌ててアベラに顔を近づける。
「アベラ。アホではないぞ」
 今度はアホだと言った男がジョズに顔を近づける。
「おい、ジョズ。別に甘やかす必要ねェだろい」
「軍人は、規律も大事なんだ」
「お前は軍人じゃねェだろ。何知ったかぶりしてんだ」
 アベラの視界はジョズとマルコで一杯だ。
 アホ。アホじゃない。アホ。アホじゃない。突然始まった言い合いはなかなか終わらない。
 左、右、左、右とアベラが視点を変え続けること十二回。右側を占めていたジョズが申し訳なさそうな顔でアベラを見る。
「すまない。生ぬるい、と思ってしまったんだ」
「生ぬるい……」
 シチューからは湯気が消えていた。
 戦場は熱々だ。訓練とは全く違う。生きるか死ぬか。正攻法など関係ない。相手は殺しにかかってくる。
「相手は物じゃないんだ」
 アベラは俯き、生ぬるそうなシチューを見つめる。
 その通りだと、アベラは思った。
 基地での訓練を通して、自分は戦える、と思いこんでいた。けれど実際は、戦場の空気にさえ耐えられなかった。憎悪、殺意。本当の戦場には今まで触れたことのない感情が充満していた。
 戦場とはそういうものだと、世界が気にも留めない小さな戦場でアベラは学んだ。
 これから、何度もその中で戦っていく。何度も怖くなって、何度も動けなくなるのかもしれない。
「……マルコさん達は、怖くないんですか?」
 ジョズさんも、他の方達も。やるかやられるかの状況が。相手が動かなくなるまで、動かなくなっても、憎しみを込めてやり続けるのが当たり前の場所が。
 マルコもジョズも、他の男達も言葉を探すが、気の利いた言葉は一文字も浮かばなかった。
「まぁ、俺達は、ガキの頃からそういう場所にいた奴らばかりだからな」
「そりゃ、やべぇ奴を前にしたら怖えさ」
「だがよ。怖い、では済まされねェのよ」
 海賊は海賊同士でも戦う。アベラの想像以上に、マルコ達は多くの戦いをしている。
 生きるため。守るため。戦う以外に方法がないから、戦っている。
「たくさん戦えば、怖い、は減ってくれるんでしょうか……」
 一体、何回戦えばいいのだろう。
 アベラは新聞を広げて、皺くちゃの船長を見る。
 この人は何回戦ったのだろう。
 海軍を止める気はない。だから戦って戦って戦って、戦っていくしか選択肢がない。
 アベラはまた、船長を皺くちゃにした。
「あのよい」
「?」
「別に、それを無くす必要はねェんだ」
「え?」
「怖い、は、怖い、でいいんだよい」
 アベラの視界を埋めるマルコが、ニッと笑った。
 へ?、とマルコを見ると、またジョズが右半分を埋めた。
「それをどうするかはお前が決めることだ」
「決別するか、共にするか、答えがあるわけじゃない」
 アベラはマルコとジョズを交互に見た。
「私が決めていいんですか?」
「お前の感情なんだからお前が決めないで誰が決める?」
「大佐とか中尉とか……大将とか、ですか?」
「自分で決めろよ!」
 海軍ってのはそこまで決められてるのか?、とマルコは嫌そうな顔になり、生まれ変わっても海軍にはならねェな、とジョズと頷き合っていた。
 マルコとジョズの言葉を反芻していると、誰かが腹が限界だ、と声を上げた。
「シチュー、食おうぜ」
「あ、はい」
 アベラは新聞を放し、代わりに皿を持つ。
 やっと食える、とマルコ達も皿を持った。
「美味いだろい?」
「はい。美味いです」
 へへ、と笑うマルコを見て、アベラもつられて笑う。
「けど、生ぬるいです」
「誰か温め直してこい!」
「けど美味しいです」
「なら良し!」
 おかわり欲しかったら持ってくるが? 俺、おかわり。俺も。俺も。お前らは勝手に行け!
 生ぬるいシチューの次は熱々のシチュー。熱々はやっぱり美味しい、とマルコとシチュー談義をして、アベラはここへ来た時よりは幾分マシな表情になった。
「さてお嬢さん、鬼ごっこをしよう」
 おもむろに、変わった服装の、長い黒髪を結った男が立ち上がった。アベラはつられて顔を上げ、その男を見て、首を傾げる。
「イゾウさん、その服で走れるんですか?」
「……お嬢さんは俺の懸賞金額を知らないのか?」
 アベラは慌てて「知ってます!」、と敬礼をしながら答えた。
 敬礼は癖になっているので、無意識でも綺麗な姿勢でできている。海兵の鏡だ。
「な。そう思うだろ?」
「だがこいつは、平気で中が見えるぐらい股を開くことがあるぞ」
「え!?」
 アベラは慌てて両手で顔を隠した。まるで、今まさに見てはいけないものを見てしまったような仕草だが、イゾウはまだ、股を広げていない。
「見せるわけねェだろ」
「俺らはいつも見せられてるが?」
「お前らが勝手に見てんだろ」
 男のなんて誰が見るか!、とアベラには良く分からない言葉が飛び交う言い合いが始まり、途中からジョズに耳を塞がれて声が聞こえなくなってしまった。
 誰が鬼をする? 言い出したイゾウだろ。いや、ここはお嬢さんが憧れているマルコに譲ろう。なんでだよい。
「逃げまくるぞ!」
「こいつ最近調子乗ってんだ。ぜってェ捕まんな!」
「お前負けたら、明日の甲板掃除交代な」
「勝手に決めんなよい!」
「それと…」
 マルコは増えていくペナルティにギャーギャーと反論。
 アベラがそんな姿を楽しそうだなぁ、と眺めていると、不意に影が落ちた。
「アベラ。叫ぶんだ」
「!」
 ジョズがアベラの前でしゃがんだ。
 これは、大事なことを教えてくれるサイン。
 アベラは背筋を伸ばして、ジョズの言葉を一字一句逃さないように集中する。
「体が動かなくなった時は叫ぶんだ。そうすると、時に力を発揮する」
「分かりました!」
 よし、とアベラもジョズとイゾウに倣って準備運動。
 イゾウさん! な、中が見え……きゃっ! む、すまん。イゾウ、シチュー嬢ちゃんから離れろ。
「てめェら全員。覚悟しろよい」
「上等上等」
「負けたら、明日のメシもなしな」
「酒場で奢れ」
「お前ら、負けたらそれ自分に返ってくること分かってんのか?」
 楽しみだなァ、と小悪党のような悪い笑みを浮かべるマルコから距離を取るのは九人。
 制限時間は二十分。
 男の一人が合図を叫ぶと、九人は一斉に駆け出した。
「じゅー、きゅー…」
 八、七、…。
「アベラ! もっと早く走れ!」
「シチュー嬢ちゃん、もっと走り込みした方がいいぞー!」
 三、二、一。
「覚悟しろ!!」
「!?」
 アベラは誰かが迫ってくるのを感じ、後ろを見た瞬間、誰かが横を通り過ぎた。
「先ずはお前だよい!」
「!」
 僅か三秒。
 アベラの前には、まだまだ高い、高すぎる壁。
「覚悟しろい」
 獲物を捉えた鋭い眼光が、アベラの体を一瞬で震え上がらせる。
 怖い。怖い。
 その、怖い、をどうしたらいいか、アベラには全く分からない。
 けれど、少しでも、シチューで満たされた腹に落とし込むためには。
「…ぁ」
「あ?」
 アベラは、思い切り息を吸った。
「ああああおおおお!!」
「うるせええぇ!!」
 この叫び声は、きっと必要だったのだろう。
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