滑空の果て

 料理長が厨房の入り口を見ると、マルコが立っていた。マルコ、先月ぶりだな。なんだ?薬草と……食材を持ってきてくれたのか。晩飯食うか?そうか、なら準備しておこう。マルコは厨房を後にし廊下を歩く。次はレイラに会った。あらマルコ。今回も薬草と……種ですね。ありがとうございます。夜は帰りますか?いてくれるのですね。マルコはその後、彼女の両親に顔を出し、女中たちにも姿を見せるために屋敷中を歩き回った。
 彼女は朝に眼を覚まし、食事を取って両親やレイラ、女中たちと話をし、途中で眠り、昼前に目を覚まし、日の温かさに眠気を誘われ再び眠ってしまった。マルコが来たのはその少し後。ベッドに乗り上げても、頬に擦り寄っても彼女は起きなかったので、一ヶ月ぶりの寝顔を目の奥まで焼き付け、マルコは枕元にあるものを置いて挨拶回りに勤しんだ。
「いらっしゃい」
「よく来てくれたね」
 マルコがいつどんな時に顔を出しても、誰もが手を止め優しい表情で応える。そして皆、「娘のそばに」「お嬢様のそばに」、とマルコを彼女の部屋へ戻るように促す。マルコが屋敷中を歩き回らなくても、マルコが来たと知れば、代わる代わる彼女の部屋を訪れるからだ。この日も、あとで顔を出すよ、と両親はマルコに伝え、女中たちも休憩時間に行くことを約束し、マルコは待ってるよ、と頷き部屋へ戻る。ベッドのそばに行くと、彼女と目が合った。
 ベッドに私以外の温もりがあったから、いるかな、と視線を横に向けたけどマルコはいなかった。けれど彼女の表情は曇ることはなく、笑みを溢していた。温もりがある場所に、『すぐもどる』と書かれた紙が置かれていたからだ。マルコが来てる。彼女は、ふふ、と声も溢した。前々回のマルコが来た時、話をしている途中でも眠るようになった彼女は、ずっとベッドにいるのは退屈だろうと、「私が眠っている時はそばにいなくて大丈夫だからね。みんなともたくさんお話してね」とマルコに伝えた。するとマルコは、少し上を見ながら何か考えるような仕草をし、レイラを呼んで、身振り翼振りでレイラに紙とペンを用意してもらった。何を書きたいのか分からない彼女とレイラに、マルコはペンを咥え、紙からはみ出しながら伝えたい言葉を書き、レイラが清書をしてこのメモが完成したのだった。マルコがいる。それだけで彼女の体は全身に温かさがめぐり、眠る前よりも頬がほんのり赤くなる。メモを見つめていると、ドアノブが動く音がして、扉がゆっくりと開けられた。期待に満ちた眼差しで待っていると、彼女の瞳に、彼女に負けないほどの笑顔のマルコが映る。マルコの顔が、どんどん近づいた。
 マルコはベッドに乗り上げ、メモを脇に寄せ、彼女の枕元で体を落ち着かせた。来たよ、と彼女に頬ずりをすると彼女も応えるように何度も頬ずりをした。腕を動かすことができなくなり、体のほとんどが動かない彼女とマルコの触れ合いは、マルコに委ねられていた。けれど彼女が「マルコ、こっち」と言えばマルコは素直に動く。頬でもおでこでも、腕でも手のひらでも、マルコは彼女の求める場所に触れる。そして最後は、マルコが彼女の枕になり、彼女が眠るまで見つめ合いながら楽しい時間を過ごす。一人と一羽はいつもこうなので、皆最初はこの空間にお邪魔するのか、と躊躇った。けれど、気配に気付いたマルコがドアの方を見ると、彼女が、誰か来てくれたの?どうぞ、と歓迎するので、止まっていた足を幸福に満たされた部屋の中に踏み入れる。「少しお茶をしましょうか」と、お母様が来てくれた。
 娘を起こし、料理長特製プリンをスプーンで掬い、娘の口元へ。「今日も美味しいですね」マルコは娘の横でフルーツを頬張っている。美味い!美味い!と新鮮な、山盛りのフルーツを食べるマルコを見て、もう一口、と娘は食欲をそそられていた。娘の顔は今朝よりもうんと血色がいい。マルコがいなくても娘は明るいけれど、マルコがいると、マルコが炎を施さなくても娘の奥底に炎が灯り、眠っている力が呼び覚まされるのでしょう。「もう一口どう?」「もう二口食べられそうです」そう言いながら、娘はプリン一つを食べ切った。マルコはすでにフルーツを食べ終え、娘の膝に顎を乗せて、私と娘を穏やかな表情で眺めている。
 彼女の消えかけている力に、もう少しいてくれないか、と語りかける。それが出来るのは、もうマルコだけ。昨日は食べ切れなかったのに、マルコがいるだけで娘の体は応えようとしてくれた。娘の深いところまで浸透しているマルコの存在は特別。「お母様も食べて」美味しいですよ、と温かい表情を向けてくれる、私の愛娘。新しいプリンを手に取り口に含むと、滑らかな口溶けに思わず綻ぶ。卵、牛乳、砂糖、そして生クリーム。たった四つだけで作るなめらかなプリンは、どれか一つでもなかったら作れない。「マルコもどうぞ」美味そう、と私を見るマルコの前へスプーンを持っていくと、目を輝かせながら私を見た。娘は楽しそうに笑っている。もうすぐ大人の娘はあどけなさもあるけれど、綺麗になった。娘が一つ歳を重ねることができた日、夫から「娘の笑う表情は君にそっくりだ」と言われたことを思い出す。娘のこの表情は私と同じなのね…。スプーンを瓶の中へおさめ、空いた手を娘の頬へと伸ばす。あぁ、温かいわ。親指で何度も撫で、プリンをサイドテーブルに置き、両手で娘の頬を包み込む。「お母様の手、気持ちがいいです」娘がそう言うと、マルコが急に起き上がり、私の手の甲にそっと翼を添えた。「マルコの翼も気持ちがいいわね」そうだろう?と得意げになったマルコが娘の後ろに移ると、もう片方の手の甲にも翼を添えてくれた。マルコの行動はよく分からないけれど、気持ちがいいだろ?と私と娘を交互に見る様子が楽し気だから何も言わない。「ふふ、私は何をされているのでしょう?」娘がまた、今度は幸せそうに笑ってくれる。体の奥底に温かなものが生まれ、私もつられて笑ってしまった。
「娘はプリン一つ食べて、三十分ほど話していたら途中で寝てしまったわ」
 気持ちよさそうに眠る姿はいつまでも見ていられるわね、と微笑む奥様から聞き扉を開けるとマルコとすぐに目が合った。マルコの炎がお嬢様を包み、お嬢様は穏やかな表情で眠っている。マルコに夕食はここで取るか食堂へ行くか尋ねてみると、マルコはドアの方を見た。食堂で食べる、ということなのでしょう。「夕食が用意できた時にまた来ますね」レイラがそう言うと、マルコは少し目を開いて、ベッドのそばにある椅子とレイラと、眠っている彼女を順番に見た。そして、椅子を何度も嘴で示す。「お邪魔してもいいのですか?」マルコは、邪魔になんかならない、と言わんばかりに何度も頷いた。ではお言葉に甘えて…。
 レイラは、マルコがいる時の彼女の寝顔が好きだった。もちろんマルコがいない時の彼女の眠る姿も好きだけれど、今の方が彼女が安心しているのが分かり、その安心がレイラにも伝わり、心地よくなる。
「マルコは、お嬢様のお休みになられる姿を見飽きたりしますか?」
 私は全くしない。お嬢様から、寝顔を見られるのは恥ずかしいな…、と困り顔で言われてしまったから、そばにいる時間を減らしているけど、今日はマルコがいるから特別。椅子をもっとベッドのそばに寄せて、マルコのように、静かにお嬢様を見守る。聞こえてくるのは、お嬢様の小さな呼吸と、風でカーテンが揺れる音。部屋に差し込む日差しはそれほど温かくはないのに、この感覚はなんでしょう。レイラもマルコもじっと、深く浸っていた。体の力は抜け、充実感に包まれている。それをいつまでも味わいたいという体の素直な声に従って、レイラはまるで、海の中を漂うように身を任せる。けれどそのうち、マルコが動き出したからレイラの体は外を意識してしまった。息を潜めて伺っていると、マルコは彼女に顔をどんどん近づけ、触れそうな距離でじっと見つめる。けれどそれもつかの間、すぐに落ち着きがなくなり、彼女の頭に何度も頭を擦り付けていた。邪魔をされたけれど、レイラはそんなマルコに何も言わず、そっと見守った。レイラがいようと、両親がいようと。誰がいても、マルコは唐突にこうなってしまう。お嬢様への想いが溢れてしまうのよね。そう考えただけで、レイラの奥底の何かが温度を持ち、体は日差しをいっぱい浴びたようになる。「マルコ、お嬢様の肌が荒れてしまいますよ」何度も彼女の額に擦り寄るマルコを見て、レイラはくすくす笑った。

 彼女が次に目を覚ましたのは夜も更けた頃。顔を横に向けるとマルコと目が合った。いつ目を覚ましてもマルコを見ることができるようにと、レイラがサイドテーブルの小さな灯りを残していたから彼女はすぐに見つけられた。「マルコ、起こしちゃった?」いつもそうだけど、目を覚ました時、マルコは必ず起きている。眠ってる?彼女の問いかけに、マルコはしっかりと頷き、体を起こすと翼と首を上に伸ばし、起きた時にするような伸びをした。そして彼女を見て目を細め、体をゆっくりと下ろして彼女に寄せる。マルコは無理してなさそうだから、大丈夫なのかな。「それで…、えっと、どこまで話したっけ?」マルコは彼女の言葉を待った。
 ──それでね。屋敷を訪れた街の人が温室を見て感動したみたいで、噂が広まって、色んな人が見に来るようになったの。レイラがしっかり管理してくれているおかげで今もどの子も元気だよ。あ、マルコは温室の中を見たから知ってるね。みんな、世界中の植物を楽しそうに見てくれるんだって。マルコ、昨日も何か持ってきてくれたんだよね?温室を増設する計画があるってお父様が教えてくれたの。だからね、マルコ。これからも色んな植物をレイラに渡してくれると嬉しいな。いつか、この島の名所になるぐらいになって、噂が海を超えてマルコの主人にも伝わって……そうしたら、来てくれるかな?その時は、ちゃんと案内してあげてね。名所にするなら、温室の中でお茶ができる空間があるといいかも。テーブルと椅子はマルコの青色にしたいなぁ。テーブルも椅子も青色だとにぎやかすぎるかな?マルコの青色、レイラに調合してもらわないと。″マルコの青″は、ね───。

 レイラに頼らず体を起こすことができた彼女は(マルコが背中を押してくれた)、背もたれになってくれるマルコにもたれながら、どこからか集まったマルコの友だち(と、彼女はずっと思っている)のミニコンサートを聞いていた。今日も綺麗だなぁ。披露される曲はいつも違うので覚えられた曲は一つもないけれど、心が澄んでいく曲ばかりだから彼女はいつも聞き惚れていた。けれど、二曲目になって彼女は首を傾げる。あれ、なんだか変わった曲。今までと違いテンポは速く、軽快な曲だった。なによりも、いつも目を閉じて聞いているマルコが楽しそうに揺れている。「この曲好きなの?」頷いているのか曲に乗っているのか分からない動きをするマルコは楽しそうで、彼女も一緒に頷いて乗ってみることにした。すると、気に入ってくれた?いい曲だよね!、と伝えたいのか鳥たちははじめて彼女に触れた。まるで、ステージから下りて観客とハイタッチするように、鳥たちは彼女の手を嘴で何度も、全く痛くない力で突く。わぁ、はじめて触れ合えた。ミニコンサートをするグループは何組かいるけれど、どのグループもメンバーが変わったことはない。鳥たちが渡り鳥なのか留鳥なのか分からないけれど、手のひらサイズほどの体でも海を渡る鳥がいることを彼女は知っている。「みんなはいつもマルコと一緒に来てくれるの?」鳥たちは何度も首を傾げるだけなので、彼女はマルコに答えを求める。マルコは首を横に振って教えてくれた。そっか、なのに来てくれるんだね。「ありがとう」と、微笑む彼女へのお礼なのか、鳥たちはもう一度同じ曲を披露した。マルコは先ほどよりも大きく揺れ、その動きに合わせて身を任せている彼女の体も動き、まるで自身で体を動かしているような感覚になり、ふと、彼女はマルコのある変化に気がついた。
 彼女は三曲を歌いあげた鳥たちを見送り、マルコを見る。マルコの体が前よりもなんだか固い。「マルコ、逞しくなった?」その言葉にマルコは、はち切れんばかりの笑顔になり、誇らしげに胸を張ろうとした。けれど、彼女の背もたれをしている今は動くことができないので、その通りだと伝えようと何度も頷いた。「鳥も筋肉トレーニングするの?」マルコは翼を動かしてみたり、首を上下左右に動かしてみたり(あまりに可笑しい動きだったので、彼女は笑いが止まらなくなった)、鍛えたことをどうにかしてアピールしようとした。世界一周を目指したいのかな?マルコならできるかも。まだ首を動かしているマルコを見て、それはトレーニングになるの?と彼女は尋ねた。
「マルコは筋肉トレーニングしてるんだって」
 そう話す彼女の口元へポタージュを運びながら、見ろ見ろ、と言いたげに胸を張るマルコを見て、レイラは「気付きませんでした」と言ってしまった。マルコは驚いた表情をして、逞しくなったはずの自身の胸を見て、翼でちょんちょんと胸を突いていた。変わってない?変わっただろ? そんな声が聞こえてきそうなほど、マルコの頭の上にはハテナが何個も浮かび上がっていた。
「ごちそうさまでした」
 マルコが確かめている間に食事を終えたお嬢様を横にさせると、お嬢様はマルコを呼んだ。マルコは筋肉の確認を止めて、お嬢様の枕になる。「私はマルコにいつももたれているから、変化に気付けたのかもしれないね」そうかもしれませんね。「そう、マルコがさっき、はじめて鳥たちの曲に乗ってたの」こんな曲だった、とお嬢様は鼻歌を披露してくれた。マルコもリズムを刻んでいる。
 その曲に、聞き覚えがあった。お嬢様に手を差し伸べてもらう前、どこかの国のどこかの浜辺、大きな船の近くにいた時に聞いた曲。「お嬢様、その曲は…」お嬢様の瞼が、閉じていく。「また、起きた時にお伝えしますね」

 マルコ、今日も炎をお願いできる?マルコはすぐに青い炎で彼女を包み、彼女の背中とベッドの間に潜り込み彼女を起き上がらせる。彼女は今日も背もたれになってくれるマルコにお礼を言うと、もう一つお願いを言う。「マルコ、レイラを呼んでくれる?」マルコはすぐにベルをゆっくりと鳴らした。
 レイラの手にはカットシザー、彼女はカットクロスを着て、マルコは、眉間に皺を寄せていた。「マルコ、ベリーショートでもいいと思わない?」マルコはさらに深い皺を作り首を横に振った。レイラは、お嬢様ならどんな髪型も似合うと思います、と微笑んでいて、マルコは険しい表情でレイラを見た。髪はずっと長かったから、一度は短くしてみたい。だから彼女はマルコに意見を求めたものの、短くすることは変わらなかった。けれど反対意見のマルコを無下にはしたくない。納得してくれるかな、と彼女はマルコの目を見て、こう伝えた。「私の色んな姿、マルコに見てほしいな」マルコの瞳が、かっと開いた。マルコは本当に表情豊かですね。よし、レイラ、お願いします。承りました。彼女の言葉で何を想像しているのか。マルコが上の空になっている間に、レイラは初めて(そう、初めて)彼女の髪に刃を入れた。
 お嬢様はどうして私にお願いをしたのか。不揃いにならないように、慎重に進めるレイラの瞳は、まだ上の空のマルコと違い、真剣そのもの。何を想像しているのか気になるけれど、少しでも気がそれたら彼女の髪が駄目になる気がして、レイラは柔らかい髪だけを見つめる。「思い切ってね」そう言われましても、思い切れません。と、言いたくなる。これは儀式──断髪式──。レイラはそう思っていた。だからお嬢様にお願いされた時は誇らしかった。けれど、どうして私にお願いをしたのか、と髪を前にすると思ってしまう。「俺が切ろうか?」横から、毎日枝や葉を切る庭師が声をかけた。
 庭師は、切ることに躊躇いはないぞ、と右手の人差し指と中指を立て、ハサミで切るような仕草をした。けれどレイラはそれを見る余裕も、任命されたのは私なのですから私がやります、と言う余裕もなく、ただ庭師の言葉を流すだけだった。断髪式は、マルコがいるから十分程度ならとガゼボの中で行われている。レイラが休憩中の俺に声をかけてくれて、いつもは料理長がする役目(お嬢様を抱える)を任命された。今日もお嬢様は庭を見て、綺麗だね、と微笑んでくれて誇らしい気持ちになる。だが今日はさらに、新しい作品を見てもらいお嬢様の笑顔を頂こう。「これが、昨日完成したトピアリーです」「え?これ、私が飛んでるの?」お嬢様が、マルコも見て、と声をかけるが、マルコの意識は戻ってきていなかった。
 レイラは気になることが増えてしまった。トピアリーは後で見ればいいのですよ。お嬢様が疲れてしまう前に、すばやく、綺麗にして差し上げなければ。「マルコ、そろそろ戻ってこい。……おい、頬が赤いぞ。何を想像している?」マルコはまだ空想の中にいるのですか?眉間に皺を作りながら、レイラは刃を入れていった。
 彼女が横を見ると髪はなく、その代わりにマルコの嘴があった。マルコは彼女の肩に顎を乗せていた。軽くなったはずなのに、マルコが乗っているからよく分からない。けれど彼女は思ってもいなかった嬉しいことを発見した。「短くしたから、マルコともっと近くで触れ合えるね」こうして、マルコが私の肩に顎を乗せることは、髪が長い時にしたことがなかった。マルコも、これはいいぞ、と満足そうに彼女の首筋に頭を擦り付けていた。短くしてよかったでしょ?そう尋ねようとすると、マルコは笑顔のままレイラと庭師を交互に見て、部屋の方を翼で示した。それは、私の体が休みたがっているサイン。マルコは私よりも私の体のことが分かるみたい。彼女の瞼が、次第に閉じていく──。

 ──短い髪も素敵でしょ?気に入ってくれて嬉しいな。マルコ、もっと近くに来てくれる?きっと、次眠ってしまったら、マルコを見送れない。マルコは体を寄せてくれた。触れているところからマルコの温かさが伝わって、嬉しさと安らぎを感じ、思わず息をつく。そして目を閉じた。彼女は無理に起きていようとは思わなかった。体の声に従うことが一番いいことを知っているから。だから今求めるもの──マルコを感じること──に、意識を向ける。本当は抱きしめたい。気持ちがいい背中に顔を埋めたい。けれどそれは難しいから、また来る時まで、今できる充電方法でマルコを感じていた。そんな彼女の思いに反して、マルコが離れてしまった。彼女が見守っていると、マルコは反対側に移動して、同じように体温を与えてくれる、だけでなく、翼を広げて彼女の体にかけるような仕草をした。「ふふ、マルコ製のベッドだね」気持ちよくて眠っちゃうよ。マルコの顔を見て笑いかけると、マルコは目を細めながら上嘴で彼女の頬にそっと触れた。マルコが何をしたいのかよく分からないけど、マルコと触れ合えることが嬉しいから分からなくてもいい。けど、マルコを感じたいから、「嘴よりも頬とか頭がいいな」マルコはすぐに頬を彼女に寄せ、彼女が眠るまで、温もりを伝え続けた。

 マルコは、彼女の寝顔に魅入り続ける。いつまでも見ていられる、と微笑む彼女の母のように、見飽きない、と言うレイラのように、マルコもまた、彼女の姿をずっと見ていられた。けれどもう時間だ。マルコはベッドから降りるとサイドテーブルにある一枚のメモを咥え、そっと、彼女のそばに置いた。最後に、彼女に頬擦りすることは忘れない。
「また来てくださいね」
「怪我しないようにな」
「待っていますよ」
「マルコ、気をつけて」
『またくる』
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