滑空の果て(完)
二〇二六年一〇月五日
マルコ誕生日話です。
レイラはカレンダーを見た。本日は十月五日。あの大きな青い鳥のお誕生日ですね。レイラは身支度と朝食を済ませると、すぐに仕事に取り掛かった。先ずは、彼女の今日の洋服候補のブラシがけ。レイラは迷わず青いワンピースを三着選び、大切な彼女のために整えた。青い鳥が今日来てくれるとは限らない。けれどお嬢様は毎年、青い鳥がいなくてもお祝いをしていた。その日は必ず青色の洋服をお召しになる。十月五日の恒例は他にもあって、もう一つは小さなケーキでお祝いをすること。洋服の準備を終えたら料理長に小さなケーキをお願いして、お嬢様を起こしに行かなければ。レイラは窓から空を見る。厚い雲が空を覆っていた。
「今日来てくれるかな?」
「三か月経ちましたから、もしかしたら来てくれるかもしれませんね」
レイラが部屋を訪れた時には彼女は起きていた。今日が何の日か、もちろん彼女も分かっていた。一週間前からそわそわしていたくらい。それほど、今日はお嬢様にとって特別な日。おはよう、とレイラに挨拶する彼女の表情からは、おめでとう!、とどこにいるか分からない青い鳥への想いも聞こえてきた気がした。お嬢様は本当に温かい。旦那様と奥様の誕生日はもちろん、私の誕生日(お嬢様が決めてくれた)も屋敷全員の誕生日も、ご自身の誕生日のように喜んでくれる。そして必ず、全員にプレゼントを用意した。それは青い鳥も例外ではなく、彼女は一か月前から用意していた。青い鳥はいつ来てくれるのか分からない。一か月か二か月か三か月かに三日だけ来てくれる。その時を逃さないように、彼女のサイドテーブルには小さな箱がずっと置かれていた。
「今日はこちらをご用意いたしました」
「このワンピースはこの前デザイナーさんにお願いしたもの?」
「はい。昨日届きました」
お嬢様は迷わず新しいワンピースを選んだ。髪飾りは、このワンピースに合わせて作ったものを。お嬢様、とてもお似合いですよ。
「ありがとう! マルコにも見てもらいたいなぁ」
彼女は窓から空を見る。雲が空を覆っていた。
『マルコ』とは、一か月か二か月か三か月かに三日だけやって来る青い鳥の名前のこと。どうしてその青い鳥がマルコだと知っているのか。マルコが彼女に教えたからだ。そう、その鳥はただの鳥ではなかった。大きさは彼女よりも大きく、屋敷の全員が驚いたことに人間の言葉を理解しているだけでなく、意思疎通も完璧に出来るすごい鳥。鳴くことはないけれど、仕草や行動で何を言いたいのか分かり、さらに文字を嘴で示して会話をすることもできてしまう。そんなマルコの誕生日が分かったのは、五年前でしょうか。お嬢様がご友人の誕生日プレゼントを考えている時にマルコがやって来た。ガゼボでお茶をしながら、どれが良いと思う?、とマルコと話していたお嬢様が何気なく誕生日を尋ねると、マルコはお嬢様が見ていたカタログを見て、四つの数字を嘴で示した。『一〇〇五』、と。
「マルコの誕生日、昨日だったの!?」
その日は十月六日。お嬢様は急いで料理長や女中達に声を掛けて急ごしらえの誕生日会を開いた。プレゼントだけはどうしても用意ができなかったので、お嬢様はマルコを抱きしめながら、「おめでとう!」、と何度も伝え、マルコはそれはそれは嬉しそうにお嬢様の頭に頬を擦り付けて応え、誕生日会は楽しく終えることができました。そこまでは良かったのですが、奥様の予想通りはしゃぎすぎたお嬢様は翌日熱で寝込むことになってしまい、マルコは自分を責め、それを見たお嬢様が悲しそうな表情をして……。翌日の方が大変でしたね。今日はそんなことにならないと良いのですが。
「今日はマルコの誕生日だったね」
食堂へ来た愛娘の様子で、今日が何の日か分かってしまった。妻が、夜はお祝いね、と微笑みかけると、愛娘は満面の笑顔で頷いた。この可愛らしい姿をマルコにも見せてあげたいものだ。見たら、マルコも満面の笑顔になるだろう。容易に想像出来てしまうほど、マルコは愛娘を大切に想ってくれている。そして愛娘はもちろんマルコを大切に想っているし、私と妻にとってもマルコは大切な存在。だから、マルコがいなくても今日を祝おう。「そろそろ来ても良い頃よね?」隣に座る妻のそんな声がした。彼が視線を横に向けると、妻は真っ直ぐ前を見ていた。向かいに座っているのはもちろん彼の大切な愛娘。彼女は母の言葉に大きく、何度も頷いていた。そんな話をしたら愛娘が期待してしまうじゃないか。彼は心配した。来なかったら愛娘は悲しんでしまう。そんな表情は見たくない。マルコは主人に付いているのだから来れるか分からない、と言おうとしたが、「ケーキを大きくした方が良いでしょうか?」、と愛娘に先を越されてしまった。「そうね。とびきり大きくしましょうか」「食事を終えたら料理長に伝えます!」私が口を挟む間もなく会話が進んでいく。マルコは今、どこを飛んでいるのだろうか。彼は窓から空を見る。薄い雲が空を覆っていた。
「お嬢様。それには素手で触れてはいけませんよ」
「そうなの?」
今日は庭師の手伝いをして、昼過ぎに商船へ温室に迎える植物を買いに行く予定。彼女の温室はすでに素人の域を超えているけれど、世界中の植物の数に比べたらまだまだ。何か仕入れてくれたかな? 温室を世界中の植物でいっぱいにするため、この島から出ることが難しい彼女にとっては商船がないと困ってしまう。ただ商船にとっては、植物は買う人が少ないため儲けにならない。けれど彼女と庭師が通い詰めていたら、持っていない植物なら絶対に買うことが分かり、二人の為に仕入れるようになった。だから今日も何かあるはず。
「お嬢様が図鑑で見せてくれた植物があると良いですね」
お嬢様が以前見せてくれた植物図鑑には、人がいない島にしか生育しないものもある。そんな場所の植物を一体誰が調べたのかと疑問に思ったこともあるが、マルコの存在を知れば、世界には植物の為なら何処へでも行く物好きがいても可笑しくないと思うようになった。だが流石に、庭師として、植物に興味がある俺としても見てみたいのだが、手に入れることは難しい。船長も、裏ルートでも扱っていない、と言っていた。だからこういう時はマルコが気まぐれに持って来るのを待つしかない。お嬢様の為に世界中の珍しい薬草を持って来るマルコは、お嬢様が植物好きだと知っている。珍しい、どんな花が咲くかも分からない種を持って来ることもあった。今日はどんな子と出会えるか楽しみだね。楽しみですね。
「お嬢様」
お嬢様と裏門の花壇の手入れをしながらまだ見ぬ植物達に思いを馳せていると、レイラの声がした。「そろそろ昼食の時間です」夢中な時は時間が経つのが早いね、とお嬢様が私に微笑んだ。お嬢様、後は私がやっておきますから。そう? お昼はちゃんと食べてね? もちろんです。じゃあ、また午後に。はい、玄関でお待ちしております。庭師は彼女を見送り、空を見る。雲の隙間から青色が見えた気がした。
「随分と買い込みましたね」
「今日はすごかったんだよ! ね!?」
「はい!」
屋敷に戻って来たお嬢様とレイラと庭師の腕には、俺にはさっぱり分からない植物の苗やら種が抱えられていた。「これはハーブなんだよ。料理に使ってほしいの」ほう。お嬢様、ガゼボでお茶をしながら詳しく聞きましょう。休憩していた料理長はレイラと厨房に戻り、お茶の準備をした。今日は、あのデカい青い鳥がいなくても祝う夕食会だから、お茶は控えめに。クッキー数枚、焼き菓子は二つ。レイラがフルーツを少しというので、それも用意してガゼボまで運んだ。「これも使ってみてほしいハーブなの!」お嬢様、テーブルに植物を並べたらお茶が飲めませんよ。購入した植物達を庭師と熱く語り合っていた彼女は、レイラと料理長にテーブルを片づけられても喋り終わらない。「マルコこれ知っているかな?」「これは確か、マルコが行ったことある島の花だよ」「これ、マルコは咲いたところを見たことないって言ってた」まるでマルコが喋っているような会話だが、マルコはお嬢様の質問に答えただけでもちろん喋ったことはない。だがこの屋敷では『マルコが言った』に違和感を抱かない。
「これはね……」
「お嬢様、体が栄養を求めてますよ」
料理長がフルーツの皿を差し出すと彼女の植物話は落ち着いた。夕食にパイナップルは用意されてる? もちろん用意しております。ケーキはとびきり大きく、ね! 料理長は『とびきり』の大きさを決めかねていた。そろそろスポンジを焼かなければ間に合わない。クッキーを食べている彼女に料理長は尋ねた。「お嬢様、とびきり、とはこのぐらいでしょうか?」両手で大きさを表してみると、彼女はもう少し大きくした方が良いかも、と答えた。「みんなも食べられるサイズが良いの」
料理長だけでなく、レイラも庭師も彼女を見た。「屋敷の者全員ですか?」頷いた彼女を見て、料理長は頭の中で調理を始めた。ケーキは三十人分。サイズは? 生クリームは、フルーツは足りるか? 料理長は僅か数秒で、三十人が食べられるケーキのイメージを完成させた。「準備をして参ります」彼女が、楽しみにしてるね、と料理長へ期待に満ちた笑顔を向けると、料理長も笑顔で応えた。そのプレッシャーは料理長にとって大したことはない。お任せください。最高の夕食ですよ。料理長は屋敷に入る前に空を見る。雲よりも青色が多くなっていた。
「早くマルコに見せたいなぁ」
植物達をさっそく温室に招いて、鉢植えに植えていく。それから図鑑を見ながら、良い土の状態や水やりの頻度を確認。どの子もしっかり育てて立派にさせないと。けれど、彼女には一つだけ分からない苗があった。仕入れた船長も情報がないという。薬草なのか、そうではないのか。枯れさせたくない。この子はどんな花が咲くかな。彼女は書庫に行くことにした。両親が彼女の為に揃えたたくさんの植物の本は読みつくしたけれど、忘れていることがあるかもしれない。レイラに声を掛けて、一緒に書庫へ行こう。彼女は温室を出て、空を見た。
「……ぁ」
彼女は、それをすぐに見つけ、表情が一気に開花した。まだ点でしかないけれど、彼女には分かる。見間違えるはずはない。来てくれた。来てくれた! レイラが準備してくれた青いワンピースを見てもらえる。温室に迎えた植物達を見てもらえる。何より、今日を一緒に過ごせる! 彼女は急いでレイラを呼びに行った。
「レイラ! マルコが来てくれた!」
近くにいた女中達も驚いて振り返った。お嬢様の表情は、今日一番の輝かしい笑顔になっていた。レイラはすぐに立ち上がって、彼女と一緒に外へ出た。庭にちょうど降り立ったマルコを見て走り出した彼女を止めようとしたレイラだったけれど、今日は止めておくことにした。マルコー! お誕生日に来てくれるなんて! 嬉しそうな声がレイラの耳を振るわせ、体の中に伝わり、温かくなる。お嬢様がマルコを抱きしめれば、マルコも笑顔で応えていた。なんて心地が良いのでしょう。レイラはプレゼントを貰ったような気持ちになった。マルコ、今日はケーキを用意しているの。一緒に夕食どうかな? できる? 本当!? 嬉しい! マルコが彼女と一緒にこちらへ来る。レイラは、楽しげな彼女とマルコを見て、微笑んだ。今日は盛大にお祝いをしなければ。明日のお嬢様の体調も気にしなければなりませんが、今はただ、この気持ちに浸りたい。
「晴れましたね」
レイラは空を見る。
雲一つない、晴れやかな空だった。
マルコ誕生日話です。
レイラはカレンダーを見た。本日は十月五日。あの大きな青い鳥のお誕生日ですね。レイラは身支度と朝食を済ませると、すぐに仕事に取り掛かった。先ずは、彼女の今日の洋服候補のブラシがけ。レイラは迷わず青いワンピースを三着選び、大切な彼女のために整えた。青い鳥が今日来てくれるとは限らない。けれどお嬢様は毎年、青い鳥がいなくてもお祝いをしていた。その日は必ず青色の洋服をお召しになる。十月五日の恒例は他にもあって、もう一つは小さなケーキでお祝いをすること。洋服の準備を終えたら料理長に小さなケーキをお願いして、お嬢様を起こしに行かなければ。レイラは窓から空を見る。厚い雲が空を覆っていた。
「今日来てくれるかな?」
「三か月経ちましたから、もしかしたら来てくれるかもしれませんね」
レイラが部屋を訪れた時には彼女は起きていた。今日が何の日か、もちろん彼女も分かっていた。一週間前からそわそわしていたくらい。それほど、今日はお嬢様にとって特別な日。おはよう、とレイラに挨拶する彼女の表情からは、おめでとう!、とどこにいるか分からない青い鳥への想いも聞こえてきた気がした。お嬢様は本当に温かい。旦那様と奥様の誕生日はもちろん、私の誕生日(お嬢様が決めてくれた)も屋敷全員の誕生日も、ご自身の誕生日のように喜んでくれる。そして必ず、全員にプレゼントを用意した。それは青い鳥も例外ではなく、彼女は一か月前から用意していた。青い鳥はいつ来てくれるのか分からない。一か月か二か月か三か月かに三日だけ来てくれる。その時を逃さないように、彼女のサイドテーブルには小さな箱がずっと置かれていた。
「今日はこちらをご用意いたしました」
「このワンピースはこの前デザイナーさんにお願いしたもの?」
「はい。昨日届きました」
お嬢様は迷わず新しいワンピースを選んだ。髪飾りは、このワンピースに合わせて作ったものを。お嬢様、とてもお似合いですよ。
「ありがとう! マルコにも見てもらいたいなぁ」
彼女は窓から空を見る。雲が空を覆っていた。
『マルコ』とは、一か月か二か月か三か月かに三日だけやって来る青い鳥の名前のこと。どうしてその青い鳥がマルコだと知っているのか。マルコが彼女に教えたからだ。そう、その鳥はただの鳥ではなかった。大きさは彼女よりも大きく、屋敷の全員が驚いたことに人間の言葉を理解しているだけでなく、意思疎通も完璧に出来るすごい鳥。鳴くことはないけれど、仕草や行動で何を言いたいのか分かり、さらに文字を嘴で示して会話をすることもできてしまう。そんなマルコの誕生日が分かったのは、五年前でしょうか。お嬢様がご友人の誕生日プレゼントを考えている時にマルコがやって来た。ガゼボでお茶をしながら、どれが良いと思う?、とマルコと話していたお嬢様が何気なく誕生日を尋ねると、マルコはお嬢様が見ていたカタログを見て、四つの数字を嘴で示した。『一〇〇五』、と。
「マルコの誕生日、昨日だったの!?」
その日は十月六日。お嬢様は急いで料理長や女中達に声を掛けて急ごしらえの誕生日会を開いた。プレゼントだけはどうしても用意ができなかったので、お嬢様はマルコを抱きしめながら、「おめでとう!」、と何度も伝え、マルコはそれはそれは嬉しそうにお嬢様の頭に頬を擦り付けて応え、誕生日会は楽しく終えることができました。そこまでは良かったのですが、奥様の予想通りはしゃぎすぎたお嬢様は翌日熱で寝込むことになってしまい、マルコは自分を責め、それを見たお嬢様が悲しそうな表情をして……。翌日の方が大変でしたね。今日はそんなことにならないと良いのですが。
「今日はマルコの誕生日だったね」
食堂へ来た愛娘の様子で、今日が何の日か分かってしまった。妻が、夜はお祝いね、と微笑みかけると、愛娘は満面の笑顔で頷いた。この可愛らしい姿をマルコにも見せてあげたいものだ。見たら、マルコも満面の笑顔になるだろう。容易に想像出来てしまうほど、マルコは愛娘を大切に想ってくれている。そして愛娘はもちろんマルコを大切に想っているし、私と妻にとってもマルコは大切な存在。だから、マルコがいなくても今日を祝おう。「そろそろ来ても良い頃よね?」隣に座る妻のそんな声がした。彼が視線を横に向けると、妻は真っ直ぐ前を見ていた。向かいに座っているのはもちろん彼の大切な愛娘。彼女は母の言葉に大きく、何度も頷いていた。そんな話をしたら愛娘が期待してしまうじゃないか。彼は心配した。来なかったら愛娘は悲しんでしまう。そんな表情は見たくない。マルコは主人に付いているのだから来れるか分からない、と言おうとしたが、「ケーキを大きくした方が良いでしょうか?」、と愛娘に先を越されてしまった。「そうね。とびきり大きくしましょうか」「食事を終えたら料理長に伝えます!」私が口を挟む間もなく会話が進んでいく。マルコは今、どこを飛んでいるのだろうか。彼は窓から空を見る。薄い雲が空を覆っていた。
「お嬢様。それには素手で触れてはいけませんよ」
「そうなの?」
今日は庭師の手伝いをして、昼過ぎに商船へ温室に迎える植物を買いに行く予定。彼女の温室はすでに素人の域を超えているけれど、世界中の植物の数に比べたらまだまだ。何か仕入れてくれたかな? 温室を世界中の植物でいっぱいにするため、この島から出ることが難しい彼女にとっては商船がないと困ってしまう。ただ商船にとっては、植物は買う人が少ないため儲けにならない。けれど彼女と庭師が通い詰めていたら、持っていない植物なら絶対に買うことが分かり、二人の為に仕入れるようになった。だから今日も何かあるはず。
「お嬢様が図鑑で見せてくれた植物があると良いですね」
お嬢様が以前見せてくれた植物図鑑には、人がいない島にしか生育しないものもある。そんな場所の植物を一体誰が調べたのかと疑問に思ったこともあるが、マルコの存在を知れば、世界には植物の為なら何処へでも行く物好きがいても可笑しくないと思うようになった。だが流石に、庭師として、植物に興味がある俺としても見てみたいのだが、手に入れることは難しい。船長も、裏ルートでも扱っていない、と言っていた。だからこういう時はマルコが気まぐれに持って来るのを待つしかない。お嬢様の為に世界中の珍しい薬草を持って来るマルコは、お嬢様が植物好きだと知っている。珍しい、どんな花が咲くかも分からない種を持って来ることもあった。今日はどんな子と出会えるか楽しみだね。楽しみですね。
「お嬢様」
お嬢様と裏門の花壇の手入れをしながらまだ見ぬ植物達に思いを馳せていると、レイラの声がした。「そろそろ昼食の時間です」夢中な時は時間が経つのが早いね、とお嬢様が私に微笑んだ。お嬢様、後は私がやっておきますから。そう? お昼はちゃんと食べてね? もちろんです。じゃあ、また午後に。はい、玄関でお待ちしております。庭師は彼女を見送り、空を見る。雲の隙間から青色が見えた気がした。
「随分と買い込みましたね」
「今日はすごかったんだよ! ね!?」
「はい!」
屋敷に戻って来たお嬢様とレイラと庭師の腕には、俺にはさっぱり分からない植物の苗やら種が抱えられていた。「これはハーブなんだよ。料理に使ってほしいの」ほう。お嬢様、ガゼボでお茶をしながら詳しく聞きましょう。休憩していた料理長はレイラと厨房に戻り、お茶の準備をした。今日は、あのデカい青い鳥がいなくても祝う夕食会だから、お茶は控えめに。クッキー数枚、焼き菓子は二つ。レイラがフルーツを少しというので、それも用意してガゼボまで運んだ。「これも使ってみてほしいハーブなの!」お嬢様、テーブルに植物を並べたらお茶が飲めませんよ。購入した植物達を庭師と熱く語り合っていた彼女は、レイラと料理長にテーブルを片づけられても喋り終わらない。「マルコこれ知っているかな?」「これは確か、マルコが行ったことある島の花だよ」「これ、マルコは咲いたところを見たことないって言ってた」まるでマルコが喋っているような会話だが、マルコはお嬢様の質問に答えただけでもちろん喋ったことはない。だがこの屋敷では『マルコが言った』に違和感を抱かない。
「これはね……」
「お嬢様、体が栄養を求めてますよ」
料理長がフルーツの皿を差し出すと彼女の植物話は落ち着いた。夕食にパイナップルは用意されてる? もちろん用意しております。ケーキはとびきり大きく、ね! 料理長は『とびきり』の大きさを決めかねていた。そろそろスポンジを焼かなければ間に合わない。クッキーを食べている彼女に料理長は尋ねた。「お嬢様、とびきり、とはこのぐらいでしょうか?」両手で大きさを表してみると、彼女はもう少し大きくした方が良いかも、と答えた。「みんなも食べられるサイズが良いの」
料理長だけでなく、レイラも庭師も彼女を見た。「屋敷の者全員ですか?」頷いた彼女を見て、料理長は頭の中で調理を始めた。ケーキは三十人分。サイズは? 生クリームは、フルーツは足りるか? 料理長は僅か数秒で、三十人が食べられるケーキのイメージを完成させた。「準備をして参ります」彼女が、楽しみにしてるね、と料理長へ期待に満ちた笑顔を向けると、料理長も笑顔で応えた。そのプレッシャーは料理長にとって大したことはない。お任せください。最高の夕食ですよ。料理長は屋敷に入る前に空を見る。雲よりも青色が多くなっていた。
「早くマルコに見せたいなぁ」
植物達をさっそく温室に招いて、鉢植えに植えていく。それから図鑑を見ながら、良い土の状態や水やりの頻度を確認。どの子もしっかり育てて立派にさせないと。けれど、彼女には一つだけ分からない苗があった。仕入れた船長も情報がないという。薬草なのか、そうではないのか。枯れさせたくない。この子はどんな花が咲くかな。彼女は書庫に行くことにした。両親が彼女の為に揃えたたくさんの植物の本は読みつくしたけれど、忘れていることがあるかもしれない。レイラに声を掛けて、一緒に書庫へ行こう。彼女は温室を出て、空を見た。
「……ぁ」
彼女は、それをすぐに見つけ、表情が一気に開花した。まだ点でしかないけれど、彼女には分かる。見間違えるはずはない。来てくれた。来てくれた! レイラが準備してくれた青いワンピースを見てもらえる。温室に迎えた植物達を見てもらえる。何より、今日を一緒に過ごせる! 彼女は急いでレイラを呼びに行った。
「レイラ! マルコが来てくれた!」
近くにいた女中達も驚いて振り返った。お嬢様の表情は、今日一番の輝かしい笑顔になっていた。レイラはすぐに立ち上がって、彼女と一緒に外へ出た。庭にちょうど降り立ったマルコを見て走り出した彼女を止めようとしたレイラだったけれど、今日は止めておくことにした。マルコー! お誕生日に来てくれるなんて! 嬉しそうな声がレイラの耳を振るわせ、体の中に伝わり、温かくなる。お嬢様がマルコを抱きしめれば、マルコも笑顔で応えていた。なんて心地が良いのでしょう。レイラはプレゼントを貰ったような気持ちになった。マルコ、今日はケーキを用意しているの。一緒に夕食どうかな? できる? 本当!? 嬉しい! マルコが彼女と一緒にこちらへ来る。レイラは、楽しげな彼女とマルコを見て、微笑んだ。今日は盛大にお祝いをしなければ。明日のお嬢様の体調も気にしなければなりませんが、今はただ、この気持ちに浸りたい。
「晴れましたね」
レイラは空を見る。
雲一つない、晴れやかな空だった。
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