滑空の果て

「海王類、見たことある?」
 先週ね、お友だちとお茶をしたんだけど、その子が隣島へ行く途中で海王類を見たって話をしてくれたの。船は大丈夫だったのか不安になって聞いたら、近くを通った海賊船が海王類を倒してくれたんだって。近くに海賊がいたの!?って驚いちゃったけど、良い人達だったみたいで、大丈夫かー!気をつけろよー!って声だけかけて行っちゃったんだって。すごく優しい人達だよね。あ、でね、その海賊さん達が倒した海王類の大きさが、こーーーんな大きくて、お友だちが乗っていた船よりも大きいんだよ!すごいよね!私も見たいけど島から出るのは難しいから、ここで海を眺めながら海王類が顔を出すのを待つんだ。空気が吸いたいなぁ、とか、太陽を浴びたいなぁ、とか海王類は思わないかな?ひょっこり顔を出してくれないと私は海王類を見ることが出来ないんだけど。
「どう思う?マルコ」
 彼女が隣で体を丸めたまま海を眺める、大きな青い鳥を見ながらそう尋ねると、青い鳥[マルコ]はゆっくりと顔の向きを変えた。マルコは海王類を見たことはある?あるよね。だってマルコ、いつも空飛んで来てくれるんだから。と、マルコの頭を撫でながら彼女はそう結論した。
 海王類はどのあたりで姿を現すだろう。彼女は目の前の波模様がよく見える海を見て、少しずつ空との境界線へと視線を移していった。その間に首をこれでもかと左右に動かすことは忘れずに。今日は本当に線が分かりづらい。海と空の境目はどこだろう?彼女はマルコをもう一度見て、マルコの方が鮮やかだなぁ、と頭をまた撫でた。するとマルコが目を細めたので、彼女はもっとしてあげようと両手で撫でた。マルコの毛の色は鮮やかじゃなくて、優しい色かな?そんなことを思いながら、彼女は手はそのままに海に視線を移した。海を張り込むこと二時間。今日も海王類は姿を見せてくれそうにない。話を聞いた翌日から、レイラと料理長に頼んで昼食を準備してもらい、屋敷の裏山を通り、海を見晴らせる丘で毎日のように張り込んでいた。昨日は雨だったから来てないよ!大丈夫!毎日ここに来ていると話したら、マルコの視線が冷たくなり、まるで、雨の中外を歩いたのか?とでも言いたげな表情をしたので、彼女は慌てて訂正した。マルコもレイラと同じで心配性だなぁ。ん!今日のサンドイッチも美味しい!けど、どうしよう。マルコ用のお昼がない。まだここにいたいけど、マルコはここまで飛んで来たからお腹が空いてるかも。そろそろ帰ろうかな…。彼女はサンドイッチをもう一口、とかぶりつき、何回か口を動かしながら考えた末、まだここにいたい気持ちが強かったのでマルコに食べかけのサンドイッチを見せた。マルコはサンドイッチを見て、彼女を見て、バスケットの中に他の食べ物がないか漁り始めた。あったのは、リンゴとクッキーと飲み物。マルコは体を起こして、リンゴを嘴で挟み、彼女を見た。いいよ、と彼女が言うとマルコはすぐにリンゴを食べきってしまった。やっぱりお腹空いてたんだ。クッキーもどうぞ。彼女が手のひらにクッキーを乗せて差し出すと、マルコは器用に一枚一枚食べ進めた。その後も、彼女はマルコを見て、海を見て、海王類さーん!と叫んで、マルコの体に頭を預け、今日もマルコは太陽と海の匂いがする、と彼女は夢心地になり、船を漕ぐことになってしまった。
「マルコも一緒だったのですね」
「うん。けどマルコがいても海王類は見られなかった」
「明日はきっと見られますよ」
「そうだといいな。マルコ、明日も付き合ってくれる?」
 いつもよりも帰りが遅い、三十分遅い、と不安になって裏門を出ようとした時、彼女とマルコの姿を見つけ、レイラはほっと息を吐いた。昨日の雨で道がぬかるんでいるかもと考えがよぎったのは三十分前。お嬢様に仕える身としてなんて失態!どうしてそれに気づかなかったの!?お嬢様に何かあったら…。すぐに行かなくては!、と慌てていたレイラに、お嬢様なら大丈夫、疲れやすいけど体は元気なんだから、今に帰ってくるわ、と女中達が何度も落ち着かせていた。けれど、この屋敷で彼女の両親の次に彼女を想っているレイラは、五分、十分、二十分、と過ぎれば過ぎるほど顔から血の気がなくなり、彼女とマルコの姿を見るまでは生きた心地がしなかった。私には何ともない緩やかな山道ですけど、お嬢様にとってもまだ違和感なく歩ける山道ですけど、それは晴れて土が乾いている時の話なのですよ。昨日は随分と雨足が強かったのをお忘れですか?歩きやすい靴を履いているとはいえ、足元が悪い、少しでも気を緩めたら滑って体が傾いてしまうような道を一人で行かせてしまうなんて!最優先はお嬢様の身の安全だというのに、お嬢様がいつものように「行ってくるね!」と笑顔で言うものだから、私もいつものように「行ってらっしゃいませ」なんて言ってしまった。あぁ、本当に良かった。マルコがちょうど来てくれたのですね。彼女の靴が綺麗なままだったので、レイラは、きっとマルコが慎重になってくれたのだろうと確信した。
「マルコ、ありがとうございます」
 マルコが嘴で持っていたバスケットを預かったレイラは、お腹は空いているか、とマルコに尋ねた。お嬢様が少し分けたのでしょうけど、きっと足りていない。マルコはレイラを見て、首を横に振り、ある方向を見た。そこは、彼女お気に入りの温室。そこが気になるのか、行こうと誘われたのか、きっと後者。お嬢様はマルコにあれを話したのね。レイラは、サンドイッチすごく美味しかった!と行く時よりも弾けた笑顔で言う彼女を見て、自然と口元を上げ微笑み返した。マルコが前に彼女へ渡した謎の種が、先日ようやく芽を出したのだ。早くマルコに伝えなきゃ!マルコ、いつ来るかな!?と彼女はその日一日中興奮していた。体調を崩してしまうからと何度落ち着かせようとしても、マルコに!マルコへ!しか言わない彼女が落ち着くはずはなく、誰かがマルコになって落ち着かせよう、と作戦を考えるほどだった。結局、マルコと同じ高さの人がいなかったので断念することになり、彼女の興奮は翌日に熱を出して寝込んだことで落ち着いた。本人も反省はしているから伝えないけど、あの時は本当に大変だったのよ、マルコ。と、レイラはマルコに視線を送った。それを受け取ったマルコだったが、流石にレイラの言いたいことが分かるはずはなく、首を傾げるだけだった。
「レイラ、どうしたの?」
「いえ、フルーツを温室へお持ちしますね」
「ありがとう。マルコ、行こ」
 ありがとう、とでも言うようにレイラに頭を下げたマルコは、大きな足を動かし彼女の後をついて行った。彼女はマルコが隣に来るのを待って、隣に来ると翼をそっと掴み歩き出した。ありがとうはこちらの台詞ですよ、とレイラは二メートルはあるマルコと、その四分の三ほどの彼女の後ろ姿を見送り、バスケットの布を取った。あら、これは…。マルコの羽根かしら?レイラはバスケットの中にある青い羽根の先を持ち、空に翳した。日の光に照らされた青い羽根は、今にでも羽ばたいていきそう。私も飛べるかしら?なんて綺麗な羽根。これが、あの大きな、初めて見た時は襲われるんじゃないかと怯えた鳥の羽根だなんて。本当はすごく温かくて、何故かお嬢様をすごく大切にしてくれる、鳥なのだけど。マルコを初めて見た時は、皆驚いたものだった。こんな大きな鳥がいるの?燃えているぞ!大丈夫なのか!?なんてやる気のなさそうな目。足で蹴られたら大怪我ではすまされないぞ…。屋敷の者全員が思った数々の驚きと困惑と恐怖は、マルコの二度目の訪問の時には消え去り、寧ろ歓迎することになった。
「マルコ、いらっしゃい」
「先月ぶりね」
 彼女とマルコが温室へ行く途中、空から声がした。正確には、二階の彼女の両親の部屋から。両親がバルコニーから彼女とマルコを見ていた。そうだ、夕食はマルコも一緒にどうだ?夜も大丈夫かしら?まるでマルコが人間であるかのような会話だけれど、彼女は何も不思議に思わなかった。マルコは人間の言葉を理解しているだけでなく、意思疎通も完璧にできるすごい鳥。屋敷の誰もがそれを知っていた。だからこの屋敷の中で、マルコは人間も同然なのだ。今日は何時までいられる?いつもの時間ぐらい?と彼女はマルコを見た。いつもの時間は六時ぐらい。マルコは夜にはどこかへ帰っていき、翌日の朝にまたここへやって来た。それを三日続けると、一か月か二か月か三か月は姿を現さない(半年来ない時も稀にあるが)。マルコは首を傾げ空を見て、考え込むような素振りをした。そして、彼女と両親が、下から上から待っていると、マルコは首を横に振った。六時じゃない?なら七時?…八時ね!マルコは首を大きく縦に振った。
「彼女のお部屋に飾りましょうか」
 レイラは羽根をバスケットに戻し、お部屋のどこがいいかしら、と彼女の部屋を想像した。一か月か二か月か三か月かに三日だけ、どこからかやってくる大きな青い鳥を、彼女はいつも楽しみに待っていた。そうね、ベッドが良いわ。ベッドのそばに飾られた青い羽根を見たら、お嬢様はきっと喜んでくれるはず。お礼にパイナップルがあればよかったけど今日は残念。オレンジとレモン…は酸っぱいかしら、と用意するフルーツを考えていたら、「レイラ!今日はマルコも夕食とるから料理長に伝えて!」、と温室へ行ったはずの彼女の声が聞こえた。レイラもまだ裏門のそばにいたが、彼女とマルコもまだ温室へたどり着いていなかった。そんなところでどうされたのでしょう。…あぁ、旦那様と奥様が引き止めたのね。えぇ、お伝えしておきますとも。マルコが夕食をとるなんていつぶりかしら。
「レモンは、流石にダメね…」
 レイラは厨房へと向かって行った。

「レイラ、窓開けてあげて」
 レイラが窓を見ると、窓の手すりでじっと待つマルコがいた。今日はいつもより早いね。いえ、マルコはいつも通りですよ。レイラが窓を開けると、マルコはさも当然のように部屋へ入ろうとして、止まり、レイラを見た。レイラはマルコの言いたいことが分かったのか、そこで待つように言った。まだ彼女の支度が終わっていないからマルコのことは後回し。後は髪をまとめるだけですから少し待ってくださいね。頷いたマルコを見て、レイラはドレッサーの前に座る彼女の元へ戻り、柔らかな髪を梳かし始めた。レイラ、今更なんだけどマルコと同じ色のワンピースにしたくなっちゃった。変えてもいい?もちろんですよ。お持ちします。マルコ、ちょっと外を見ててくれる?マルコは素直に体の向きを変え、見ないよ、と言うように空を眺めた。マルコを待たせちゃ駄目だから早く支度を済ませちゃおう!こちらとこちら、どちらがよろしいでしょうか?うーん、こっちの方が動きやすいかな。けどこっちもいいよね。明日はこちらにしましょうか?うん、そうする!髪飾りもマルコ色で…、と彼女は再びドレッサーの前に座り、引き出しの中のいくつかあるお気に入りの髪飾りから選んでいると、マルコがいる方から綺麗な音がした。そして、初めは一つだった音は、すぐに二つ、三つと数が増え、流れるような旋律が生まれる。
「開演したねぇ」
「いつ聞いても綺麗ですね」
 彼女が窓の方を見ると、マルコの周りに三羽の鳥が集まっていた。彼女の耳に届いたのは鳥たちの歌。マルコがこうしてじっとしている時、どこからともなく鳥が集まり、ミニコンサートが始まることがあった。鳥たちはまるで楽譜を持っているかのように同じ旋律をずれなく歌う。彼女もレイラも最初聞いたときは驚いたものだった。一番近くで聞いているマルコはいつも、終演時間まで目を閉じてじっとしていた。ミニコンサートは彼女が支度を終えてからもしばらく続き、三曲を歌いあげた鳥たちを彼女とレイラは拍手でお見送り。
「マルコ、食堂行こう」
「次はマルコの番ですね」
 レイラがマルコの足を拭くと、マルコは再び、当然のように部屋に入り彼女のそばへ。おはよう、マルコ。マルコは髪が崩れないぐらい軽く、彼女の頭に顎を乗せた。これが、マルコの”おはよう”スタイル。
「マルコと一緒に夕食とれたことが嬉しくて、なかなか寝付けなかったんだ」
 青いワンピースに青い髪飾り、マルコと同じ青を纏って、寝坊しちゃった、と笑う彼女の前には朝食が置かれていた。マルコは彼女の横で落ち着いている。昨日は楽しかったね。お父様もお母様も楽しかったって言ってたよ。今日と明日はお仕事で島を離れているから、昨日会えて良かったって。彼女が朝食を食べている間、マルコは彼女の話を聞きながら静かにそこにいた。マルコも昨日は楽しかったかな?嫌だったら言っていいからね、と彼女が言うと、マルコは目を細めた。まるで、楽しかったよ、とでも言うように。昨日も、いつもそう。マルコは彼女の言葉に耳を傾け、態度で示す。マルコは鳥なのに鳴かない。マルコが屋敷に来るようになってずいぶん経つが、彼女もレイラもマルコが鳴くところを見たことがなかった。鳥らしい姿は飛ぶ様子ぐらい。マルコ、朝ごはんはちゃんと食べた?マルコは二回軽く頷き、けれど彼女の食事が気になったのか首を伸ばしてテーブルを覗き込んだ。
「パン、少し食べる?」
「お嬢様、マルコの分はお持ちしますのでしっかり召し上がってください」
 彼女は本当に少しだけだよ、とレイラに微笑みかけ、ね?とマルコを見た。マルコは四回小さく頷き、レイラをじっと見た。食事がしたいというより…、お嬢様も…。違う理由な気がしたレイラだったが、彼女とマルコがそうしたいなら、と許すことにした。彼女は本当に少しだけパンをちぎりマルコの前へ差し出す。マルコはすぐに嘴で掴み口の中へ。美味しい?ふふ、チーズも食べる?お嬢様。もうレイラ、分かってるよ。彼女はフォークとナイフを持ち食事を再開。マルコはいつも屋敷の料理を美味しそうに食べるので、彼女はついついあげたくなってしまう。昨夜の夕食も、美味しい?と尋ねたら何度も頷いてくれて、メインの白身魚のソテーを食べ終わった時なんて、空のお皿を見ながら残念そうな表情をしていたからお父様が追加をお願いしたくらい。マルコは私達と同じ料理が大好き。そう、マルコは、人間と同じものしか食べない。屋敷に来るようになってすぐの頃に鳥だからと虫を出したことがあるが、マルコは目をこれでもかと開き、全力で首を横に振っていた。料理長が、鳥なのに人間の料理はだめだろう、とマルコを気遣ってのことだったが、マルコは鳥なのに鳥が食べるものは一切口にしようとしなかった。けど、”健康第一””病は料理から”、が合言葉の料理長は、それでも鳥は虫!と、焼いた虫や、蒸した虫や、生の虫を出し、マルコはその度に彼女の料理を勝手に食べ、俺はこれを食う!と声が聞こえてきそうな態度を示し、料理長とマルコの攻防戦は二桁に上った。お父様が「マルコは普通の鳥じゃないから」と料理長をなだめたことで落ち着いたけど、あの時の虫を前にした時のマルコは面白かったなぁ、と彼女はマルコを見た。
「今日も張り込み頑張るよ!」
 ね!と彼女がマルコを見ると、マルコは大きく頷いた。料理長が張り切ってお昼を作ってくれているから、それまで温室で待っていよう。準備できましたら温室へお持ちします。そうだ!マルコが来たことを料理長にも伝えないと。マルコのお昼がないのは困っちゃうから私も厨房行く。料理長へは私からお伝えしましたよ。それに、マルコも久しぶりに料理長に会いたいでしょ?マルコは首を縦には振らなかったが、彼女が「会いたいよね!」とトロリーを引くレイラの後をついて行くのでマルコも彼女の横を歩いた。
「お嬢様、おはようございます」
「マルコもおはよう」
「今日は雨が降るかしら?降らないのね。お洗濯は外に干しましょうか」
「マルコ、取ってくれるの?ありがとう」
 マルコは厨房までの廊下を彼女の横を歩きながら、女中達と挨拶をし、天気を教え、雑巾を渡していた。彼女の隣にいるのが常のマルコは屋敷の中を歩くことも珍しくないため、女中達とも交流がある。女中達にとってマルコは”お嬢様を元気にしてくれる存在”。彼女に寄り添う姿を多く目にする女中達は、頻繁に盛り上がる話題──屋敷の男性で一番素敵なのは?──に、マルコがいつも上位にランクインするぐらい(マルコの性別は誰も知らないが)、マルコを好ましく思っていた。
「お嬢様、おはようございます。今日は寝坊をされたようで」
「一時間も寝過ごしちゃった」
 苦笑いする彼女に、それは仕方がないですよ、と料理長は返した。俺を見る青くデカい鳥が珍しく夕食を一緒にとったからだ。楽しい時間だったようで、旦那様も奥様も今日は少し遅い朝食だった。料理長は、レイラの後ろに彼女とマルコがいたため昼食を作る手を止めた。お邪魔してもいい?もちろんですよ。彼女はすぐに料理長のそばへ行き、作りかけの昼食を見てマルコの分も用意されていることが分かり、お昼が楽しみだね、とマルコに声をかけようとして、隣にマルコがいないことに気が付いた。マルコは、彼女について行かず、入り口で立ち止まっていた。マルコもこっちにおいで。そう彼女が声をかけても、マルコは首を横に振り、動こうとしなかった。厨房は初めてじゃないのにどうして来ないんだろう?マルコは何度も厨房の中に入ったことがありますよね。料理長は、背後の鍋が静かに波立っている音を聞きながら、何故でしょうね、と二人に言った。
 彼女と料理長の後ろでは、夕食に出すためのスープが火にかけられている。旦那様と奥様がいない今日は、お嬢様一人での食事。だが最高のスープをお嬢様に味わってもらいたい。俺はどの料理も手抜きなどしないのだ。今日もその心持ちの料理長は多くの具材を使って出汁をとっていたため、いつも通りの寸胴鍋を弱火でじっくりと火にかけていた。だから、蓋をしているとはいえ、万が一にも鍋の中に一枚の羽根でも入ったら台無しだ。料理長がマルコを見ると、すぐに目が合った。一人と一羽が通じ合った瞬間だった。本当に賢い鳥…いや、この鳥は、鳥ではない、と俺は思っている。デカく意思疎通が図れ、それに加え、虫を食わない!何故?料理のすべてを任されている身として、たとえ人間でなくても、俺は相手のことを考えた、最高の料理を振舞いたい。なのにこの青くて無駄に、俺よりも大きな鳥は虫を一切食べず、人間と同じ物を食べる。大丈夫なのか?人間の食事ばかりでは病気にならないのか?獣医に聞いたことがあるが、人間の食べるものを与えてはいけないと言っていたぞ!なのに!鳥の食べものを食べたがらない!今日のお前のメニューももちろんお嬢様と同じだが、本当に大丈夫なんだろうな?料理長はもう一度マルコを見る。けれど、目は合わなかった。
「もう少しでできますのでマルコと温室でお待ちください」
「うん、そうさせてもらうね。マルコはお昼の楽しみをとっておきたかったのかな?」
「今日も最高の昼食ですよ」
「だって。よかったね、マルコ!」
 この鳥は鳥ではない。料理長がそう思う理由がもう一つある。この鳥は、舌が肥えていた。それも相当。虫料理事件以降、それでも鳥が人間と同じものを食べることに疑問を持っていた俺は、素材の味のままの料理を鳥に振舞ったことがある。その時、ものすごく微妙な表情をされたのだ。不味くはないが、美味くもない、といったところだろう。その表情は俺のプライドをえぐった。だから俺は、試行錯誤を重ねた。鳥の体に負担がなく、シンプルだが味の深い、食べ応えのある料理を。だが結局、鳥はお嬢様達に振舞う料理を食べた時が一番良い表情をするのだ。美味い!お前の飯も美味いな!と声が聞こえてきそうなほどに。ん?お前の飯”も”?「マルコ、行こう」あ、お嬢様の声で何を考えていたか忘れてしまった。まぁいいさ、今日も期待していてくださいよ。料理長は彼女とマルコとレイラを見送り、包丁を手に取った。
 
 昨日の健闘の末、彼女とマルコは水平線に小さな海王類らしき頭を見た。彼女はあれは絶対に海王類だと断言し、マルコも頷き、あの海王類の名前が気になった彼女はマルコを屋敷に残して街の本屋へ来ていた。いつもの時間に来たマルコと昨日の興奮が冷めていなかった彼女は見たという海王類について語り合い(マルコは深く頷くだけ)、レイラが本当に海王類だったのかとマルコに尋ねるとマルコはさらに深く頷き、絶対そう!レイラも来ればよかったのに!、と彼女は残念がった。肉眼で捉えられないほど遠くのものを海王類と言えるのかは怪しいけど、マルコが頷いたのならそうなのでしょう、とレイラは彼女の言葉ではなくマルコの頷きを信じることにした。街一番の本屋で、この子じゃなかった、もっと白くて、と必死に探す彼女を見て、帰ってマルコに教えてもらいましょう、マルコなら分かるはずです、とレイラは言った。レイラはマルコの言葉(頷きや仕草)を確かだと思っている。両親も屋敷の人達も、私よりもマルコの言葉(頷きとか行動とか)を信頼している。もうそんな歳ではないけど、マルコと庭で走り回っていた時、私が大丈夫と何度言っても「マルコが休憩と言ったら休憩です」とレイラによく言われた。マルコの、休憩だ、という眼差しにみんなは素直に従う。だから私もできる限り従うよ。
 動物図鑑と巨大生物図鑑を購入し、屋敷に戻ると思っていたレイラは、彼女が違う方向へ行くので首を傾げた。どこへ行かれるのですか?とレイラが尋ねると、マルコへのプレゼントを買うよ、と彼女は笑った。秘密の作戦を今から実行するような、相手をこっそり驚かせようとするような雰囲気を隠さず出す彼女は、街に来た理由は本ではなくてマルコのプレゼントの為なのだと言った。プレゼントも、口実とはいえ本当に気になっていた図鑑も、マルコが来る前に仰っていただけたら用意しましたのに…。レイラは自分の目で見て、自分で選びたかったのだと話す彼女の少し後ろを歩きながら、彼女が考えたプレゼント候補を聞いた。明日からしばらくマルコに会えないから少しでも長く一緒にいる為に早く決めないといけないけど、マルコに渡す物は真剣に考えたい。レイラも正直に言ってね。はい、私はいつも正直ですよ。彼女はレイラの素直で温かいところが大好きだった。
「マルコー!どこー!帰っちゃったのー!?」
 一軒目の店ではマルコに合うものが見つけられず、二軒目でレイラと店主と三人でしっかり吟味した彼女は、マルコの喜ぶ顔を想像して、緩んだ顔をさせながら屋敷へと戻ったが、自分の部屋にも、屋根の上にも温室にもマルコの姿を見つけられず、屋敷中に声を響かせることになり、聞いていた女中達も巻き込んで屋敷中を探し回った。食堂、厨房、倉庫、もう一度彼女の部屋、書庫、大広間。どこにもいません!挨拶せずに帰ることなんてなかったのに…。「お嬢様ー!マルコが見つかりました!」マルコー!!マルコは庭師と姿を現した。どうして彼女が泣きそうな顔になっているのか。マルコも庭師も首を傾げた。マルコ、帰っちゃったのかと思った。何してたの?
「それが、手伝うと聞かなくて…」
 庭師が困り顔でそう言った。彼女を待つ間、屋根の上にいたり、彼女の部屋にいたり、休憩していた料理長と雑談(マルコはもちろん相槌を打つだけ)をしたり、自由に過ごしていたマルコは、彼女が友人やマルコと過ごす園庭の中央にあるガゼボの周りを手入れしていた庭師に近寄り、一緒に剪定を始めた。剪定と言っても、庭師にここを切ろ、ここも切ろ、と嘴や翼で示すだけだが、庭師はこだわりが強いな、と感心と呆れと動揺を抱いた。まさかマルコの感性が俺とこれほど違うとは…。ここはこのぐらいが良いと言ってもマルコはじっと庭師を見て、彼女の雰囲気に合わない!ここはもう少し切ろ!と声が聞こえてきそうな強すぎる眼差しを向けてくるので、耐えられずに庭師は従っていた。いつも綺麗だと褒めてくれるが、今日はどうだろう。マルコが決めた、と知れば怒ることはないだろうが、私はもう少しこの辺りの葉を残したかったな、この花は左に…。庭師もプロ。こだわりは強く、けれど、そのこだわりを彼女はすごく気に入っている。全く違うこだわりをもつマルコと庭師は、彼女とレイラが帰ってきた時は裏庭の人目につかないところの手入れをしていたが、屋敷が騒がしくないか?と顔を見合わせ、一緒に出てきたのだ。そして、ガゼボまでを三人と一羽が歩きながら彼女とレイラはことの経緯を聞いた。
「いかがでしょうか」
 庭師も、庭師の横にいるマルコも彼女を見た。マルコの瞳は期待に満ち、庭師の瞳は不安に満ちている。いつもと雰囲気は違いますが良いできかと。彼女はガゼボの中に入り、図鑑と小さな箱をテーブルに置きながら椅子に腰かけ、周りを眺めた。たしかにいつもと雰囲気が違う。いつもは静かで落ち着く空間だけど、今日はなんだか華やかな感じがする。視線の先の花の色が濃いからかな。うん、いつものも大好きだけど、今日のも大好きだなぁ。彼女は、ふふ、と声を出して笑った。その反応は、良いのか?悪いのか?答えが欲しい庭師とマルコは、ふふふ、としか言わない彼女を見つめつづけた。
「すごく素敵!マルコもありがとう!」
 けどいつものも素敵だから、思うままに手入れをしてほしいな。私の芸術性がひどいの、みんな知ってるでしょ?それに頷けるのはレイラだけ。庭師は、芸術は時代がついてこないこともありますから、と気に入ってもらえたことに安堵して、微笑みながらそう返した。では私は仕事に戻ります。マルコ、またな。レイラがお茶の支度をしに屋敷の中へ行くと、彼女はマルコを隣に来るように促し、さっそく話題を切り出した。昨日は夕方までありがとう。これね、昨日のお礼と羽根のお礼。庭のお礼はまたさせてね。そっとマルコの頭に触れゆったりと撫でると、マルコは嬉しそうに擦り寄り、もっと撫でろと言わんばかりに頭を押し付けてくるので、撫でるよりも抱きしめた方が早いと、彼女は腕を広げてマルコを抱きしめた。ありがとう、嬉しいよ、と彼女が伝えていると、マルコはぐりぐりと頬に頭を擦り付け、マルコ、ちょっと強い…、と彼女は笑顔でマルコを落ち着かせた。マルコ、これはね、これからもマルコが怪我しませんように、これからも無事にここへ来れるように、って願いを込めたガーネットを埋め込んだブレスレットだよ。引っかけちゃうかもしれないから、マルコの主人が良いよって言ってくれたらつけてね。え?今つけたい?駄目だよ、ちゃんとご主人様の許可を得てから。駄目駄目。お家に帰ってから。今日はいつものポシェットを持ってきていないからこの鞄に入れておくね。マルコの為に小さな鞄を用意していた彼女は、ここに入れておくからね、と入れようとして、マルコに奪われた。マルコが嘴で箱を挟み、けれど箱は少しも潰れていなかった。マルコ、帰ったらご主人様に開けてもらって。ほら、鞄に入れておいてあげるから。彼女が何度言ってもマルコは箱を離そうとせず、彼女の手に押し付ける仕草をした。足がいいのか首がいいのか、つけていいのかは私では分からないから確認してもらって。駄目。駄目ったら駄目。マルコの表情は、険しくなっていった。
「…」
 マルコはどうして不機嫌になっているのでしょうか。街で買ったパイナップルを使って焼き菓子を作ったけど、丸ごとの方が良かったかしら?彼女の膝の上に顎を乗せ、不機嫌そうな表情で彼女を見るマルコを、彼女は駄目!と叱っていた。一体何が?先ほどまでは彼女もマルコもニコニコだったじゃないですか。明らかに不貞腐れているマルコの嘴には彼女がプレゼントした箱が、少しも潰れずに咥えられていた。珍しく喧嘩ですか?
 彼女とマルコの喧嘩は…、あぁ、そうそう。ニ年ほど前の夏のある日、お嬢様が朝までずっとマルコと星空を見るんだと言い張った時以来かしら。体調を崩してしまうことは出来ません、とレイラが伝えても、十年に一度の流星群をマルコと見たい!絶対見る!と彼女は言い張った。けれど、マルコがいれば大丈夫、マルコの炎があるから、とマルコを味方につけようとした彼女を裏切るように、マルコは首を横に振った。なんで!?マルコの裏切り者!マルコなら一緒に見たいって思ってくれると信じてたのに!!何を言ってもマルコは首を横に振るだけ。ベッドに落ち着いたマルコが寝るぞ、とでも言うように彼女を見つめたが、意地になっていた彼女は一人で見るからいい、と部屋から出て行こうとして、その後が大変だったのだ。
 あの時に比べたら、今のマルコなんて怖くもなんともない。ううん、あの時だって怖くなかった!一人で見てやる、と意地になっていた私を、マルコは嘴で服を強く引っ張り部屋へ戻した。レイラとマルコによってベッドへと連れて行かれたけど、どうしても見たかった私は諦めなかった。すごく天気が良かったから星がたくさん見える、なによりも、マルコもいる!だから彼女はベッドの上で、「今日を逃したら次はいつ見られるかわからないんだよ!体調なんて崩してもいい!」とマルコに向かって叫んだ。その瞬間、マルコの瞳が鋭くなり、彼女は大きな翼でベッドに押さえつけられたのだ。それでもマルコとの思い出が欲しかった彼女は、初めて見る怒りを露わにしたマルコに怯むことなく反論した。「"次"はないかもしれないんだよ!そんなのやだ!マルコと見たいのに!マルコのバカ!!」彼女は、駄々を捏ねる歳はとうの昔に過ぎていたけれど、彼女の"マルコと流星群を見る"気持ちは強かった。それでもマルコは首を縦に振らず、あの夜はレイラだけでは彼女とマルコを落ち着かせることができず、屋敷中を巻き込む大騒動になったのだ。
 あの時に比べたら可愛いものね。レイラがテーブルにお菓子とお茶を用意しながら彼女から話を聞き喧嘩の原因が分かったところで、彼女のプレゼントをすぐにでも付けたいマルコはレイラを見て、プレゼントをレイラに渡した。レイラはリボンを取ろうとするマルコを手で制し、マルコがつけたいと言っても付けてあげられませんよ、と一言。マルコは訴えるようにレイラを見た。それでもレイラは首を横に振った。貴方の安全を考えてのことなのですから。付けろ!!彼女に付けた姿を見せたいんだ!マルコの声が聞こえてくるのは気のせいではないはず。けれどレイラは、駄目ですよ、と言うしかなかった。あの時のマルコが彼女の体を大事に思ったように、今の彼女はマルコの体を大事に思っている。マルコも分かっているでしょう?さ、お茶が冷めてしまいます。マルコの好きなパイナップルのケーキも用意しましたよ。プレゼントはその後に。マルコは渋々といった感じで、テーブルにあるケーキを加えて、一口。マルコ美味しい?、なんて聞かなくても分かっちゃうね。ふふ、良かった。マルコは目を開いて、目を細めて、もう一つ。機嫌直ったね。直りましたね。マルコは分かりやすい、と彼女が頬張るマルコの頭を撫でると、マルコはこれでもかと彼女の手のひらに頭を強く押し付けた。レイラ。分かっております。彼女もレイラも嬉しそうに食べるマルコを見て、プレゼントは帰る時まで隠しておこう、とレイラは箱を回収した。
「この海王類見たことあるの!?どこで!?レイラ、書庫から地図を持ってきて!」
 数十分前の喧嘩はなんだったのでしょう?屋敷の書庫から地図を持って戻ったレイラは、地図と図鑑を見て盛り上がる彼女とマルコに呆れていた、というよりも感心していた。どれだけ衝突しても、彼女もマルコは離れない。あの夏の夜も、マルコを旦那様が落ち着かせ、彼女を奥様が落ち着かせ、その後は何事もなかったようにベッドで仲良く眠ったのだ。本人達以外の誰もが疲れ切っていたと言うのに、マルコが一緒に寝てくれるなら良い、と彼女はマルコに寄り添って眠ったのだ。マルコは本当なら帰るはずだったろうにずっといてくれた。できるだけ一緒にいたい気持ちは彼女の一方通行でも、マルコの一方通行でもなかったのだと、あの時レイラは確信した。この島から遠く離れた地で、大きな海王類を見たというマルコは、世界中を旅しているようだった。そんな鳥が、何故、彼女を想い、来てくれるのか。誰もが思うその疑問の答えを、レイラは求めなかった。彼女が嬉しいそうな、楽しそうな姿を見られるのなら、マルコがどんな想いを、考えを持っているかなんて些細な問題。彼女も、マルコに問いかけたことは一度もなかった。だからレイラも尋ねたりはしない。この時間を、ただ穏やかで楽しい時間を、マルコはそれを彼女にプレゼントしている。それだけは確かなことを、レイラは知っているから。
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