パイナップルからはじまる恋
「悪い、遅れた」
「大丈夫だよ」
同級生は乗っていた電車が緊急停止するトラブルが起こってしまい、待ち合わせ時間の三十分遅れで店に来た。
彼とはマルコさんと海鮮を食べに行った日の前日に映画を観に行った。映画は迫力があってとても面白く、彼も興奮気味に感想を話していた。彼の中ではシリーズの中で一位二位を争うほどの出来だったようで、今も熱く語ってくれる。
「先週マジありがと。いやほんと、今でも思い出すだけで興奮がさ」
「一人でも行けるようになると何回でも行けるんじゃない?」
「いや、あれは誰かと観て話したい!あと二回は観たいから行ってくれる奴探す」
彼が頼んだハイボールが来たので乾杯をし、すでに頼んでいたサラダや唐揚げを彼に差し出す。
「やっと一週間終わったな」
「本当だよ…」
「何?どした?」
今週はとても忙しく、実家に帰ることができなくてマルコさんの可愛い姿が見れなかった。メッセージも忙しくて少ししかやり取りをしていない。私はこの一週間、明後日の為に頑張ってきたと言ってもおかしくないぐらいだった。
忙しかったのは担当案件で顧客と打ち合わせをして決めたプランを、顧客の上層部の意見により全てをひっくり返されたからだった。打ち合わせをしていた相手に上には了解を得ていなかったのかと尋ねてみれば、もちろん承諾を得た上での内容だった。だから相手を責めても仕方がない。
「大幅に修正しないといけなくて…」
「うわ…よくある最悪なやつ」
「納期は変えられなくて…」
グラスが空になっていたのでテーブルの隅にあるタブレットを手にして、ウーロン茶を選ぶ。他に食べたいものあればと彼にタブレットを渡すと、今日は沢山食え、とピザを二枚も注文した。
「ここまで進んでて、なんで変更できるって思ってんのかね?」
「ね」
「お疲れ」
「ありがとう。そっちもお疲れ様」
自分で選んだ業種だから仕方がないよね、と言うものの愚痴がないわけではない。彼と日々の愚痴を少し言い合っていたらウーロン茶がきたので一口飲む。
…このウーロン茶、いつもと味が違うような?
タブレットの注文履歴を見ればウーロン茶となっていたので、不思議に思ったけどウーロン茶なのだろうと飲み続けた。
それからはせっかくの金曜日だから楽しい話をと、彼が土日に遊びに行く場所や私の旅行のことを話していると、グラスが半分ほど空いたところで、彼が私の顔を見て首を傾げる。
「…お前、顔赤いけど」
「?」
言われてみれば、体も少し暑いし眠気も少しある、気がする。
彼がウーロン茶を手にして匂いを嗅ぎ、少し飲んでいいかと聞かれたので頷けば、ウーロン茶ではなくてウーロンハイだと教えてくれた。ウーロン茶じゃなかったのかとグラスを眺めていると、大丈夫かと尋ねられる。
「うん、一杯ぐらいなら」
「料理も出てきたしさっさと食べて帰るか」
飲んでいたのが酒なのだと分かったら酔っていることを自覚してしまい、体がいつもより重たく感じた。
「タクシー呼ぶわ」
「そこまでじゃないから大丈夫だよ」
「……いや、俺が不安だからタクシーで」
タクシーアプリを使ったのか彼があと十分で来ると教えてくれて、店の前で待つことにした。
彼は心配だからと一緒に待ってくれて、お礼を言えば提案したのは自分だからタクシー代を払おうかと財布を出す。
「乗るのは私だから自分で払う」
「忙しかったのなら断ってくれても良かったのに…悪かったな」
「来週も忙しいけど、今日はひと段落してて帰れたから大丈夫だよ。気にしないで」
「今度また、美味いの食いに行こう」
タクシーに乗り、運転手に住所を伝えてシートに深く座る。車の揺れが心地よくて、窓の外を眺めていたのに気がついたら意識がなくなっていた。
◇ ◇ ◇
遠くでインターホンが何度も鳴っている。部屋の主はいないのか、居留守を使っているのかは分からないけど、鳴らしている人は諦める様子がない。
「?」
どれくらい鳴っていたのかは分からないけど、気がついたらインターホンは止んでいた。けど、今度はどこかで何かが震えている音がする。体を少し起こして音の正体を探せば、震えていたのは私のスマホで、画面も見ずに指でタップし耳元に当てた。
「はい」
『よかった…大丈夫かよい?』
「…マルコさん?」
『今どこにいる?』
家にいると答えるとインターホンが鳴った。体を起こしてドアを開ければマルコさんがいて、何故かすごく驚いた顔をしていた。
「お前っ…!」
「?」
マルコさんは素早く中に入りドアを閉めた。マルコさんを見つめていると、マルコさんは私のおでこに手を当て顔を近づける。
「体調悪いのか?何かあったのか?」
「?」
体調は、少し気持ち悪いし重たいけど風邪ではない。何かあったのかと聞かれれば、仕事が忙しかったぐらいで何もない。
と心の中で答えているとマルコさんがすまん、と断って私を抱き上げた。靴を脱いで短い廊下を歩き、ベッドに座らせられる。
「昨日のこと、覚えてるか?」
「昨日は…外でご飯食べてて、ウーロン茶頼んだのに、間違ってウーロンハイがきちゃって…」
酒だとは思わず飲んでしまい、同級生にタクシーを呼んでもらって帰ってきた。
と声に出して答えれば、マルコさんが長い溜息をついて私の前に座り込んだ。
「吐き気とかあるか?」
「少し気持ち悪いですけど、大丈夫です。それよりも…」
「?」
「もう少し寝たいです」
体がまだ重たくて、疲れが取れてないからまだ寝たい。そうマルコさんに答えると、お風呂入ってからにしようと返され、お風呂は入ったと答えれば、下を見てみろと言うので視線を落とす。
「あ」
着ている服は昨日のまま。シャツは脱ごうとしたのかボタンが半分開いていた。あれ、もしかしてお風呂も入らず寝てしまったのかと枕を見れば、マスカラとかもついていて、化粧も落とさずに寝たのが分かった。
「もう四時だ。爆睡だったみたいだねい」
スマホを見れば16:12と表示されていて、メッセージアプリの通知バッジは6と表示されていた。一つは同級生から無事に帰れたかの確認、残りの五つは全てマルコさんからの着信。
「忙しいとは聞いていたが、反応がなさすぎるから心配でねい…」
「気づかなくて、ごめんなさい」
「何もなかったからいいよい。風呂入る元気あるか?」
「あ、はい、それぐらいは」
「ん。腹減ってるか?」
お腹は、と考えてみると確かに空いていた。冷蔵庫に何かあったかなと考えてみるけど、週末は空っぽになってしまうからインスタントラーメンぐらいしかない。インスタントラーメンは今は食べたくないし、材料を買ってご飯作る気にもならなくて、どうしようかなと台所の方を眺めているとマルコさんの顔が視界に入る。
「風呂は一時間あれば終わるか?」
「?…はい」
「家の鍵、貸してくれるか?」
「?」
何か買ってくると手のひらをこちらに見せ、鍵を催促するマルコさん。
このあたりで頭が少しだけ働くようになり、私はすごく迷惑をかけていることを理解した。大丈夫、自分で出来るとマルコさんに帰ってもらおうとしたら、手を掴まれ名前を呼ばれる。
「返事がない俺を心配して酢豚の材料を買って家まで来てくれたお前さんの為なら、なんてことねぇよい」
ほら、とまるで小さい子どもを諭すような優しい声を聞いて、下駄箱の上にあると思う、と答えていた。食べたいものあるかと聞かれ、うどんとかヨーグルトと答えれば、ぽん、と頭に何かが乗った。そしてそれは頭を何度も左右に移動して、離れていく。
「ちょっと待ってろよい」
よいしょ、と立ち上がったマルコさんを見ていれば、ぽん、とまた頭に何か乗ってぽんぽんと二回優しく叩かれた。何してるんだろう、と頭がまた働かなくなって動かない私を見たマルコさんが少し大きな声をあげる。
「風呂!」
「!」
その声がスイッチだったかのように、体は動き出した。
◇ ◇ ◇
マルコさんはビニール袋を二つ下げて帰って来た。お風呂を終えている私を見て、ちゃんと入ったんだなとテーブルに袋を置いて、また、ぽんと頭に何かが乗る。
うどんやサンドイッチにおにぎり、それとヨーグルト、プリン、スポーツドリンクなど、なんだかたくさんだなぁとマルコさんを見れば、自分も食べるからと私の隣に座って袋から全て出す。
ほら、と目の前にうどんと箸を置かれ、丁寧に蓋も開けてくれた。
「いただきます」
すごくお腹が空いていたらしい。うどんをあっという間に食べてしまい、視界にサンドイッチがあったので手に取ろうとすると、大きな手が奪っていった。
「ん」
開けられたサンドイッチを手に取ってひたすら食べたけど、まだ食べ足りない。プリンを取ろうとすると奪われて、蓋が開いたプリンとスプーンを渡されたので食べ、ヨーグルトも食べたくなって手を伸ばそうとすると、同じように奪われ、蓋が開いたヨーグルトを渡されて、綺麗に完食。
「ごちそうさまでした」
お腹が落ち着いて眠たくなってきた。今すぐにでも寝たいけどお礼は言わないと、とマルコさんを見れば優しい表情で私を見ていた。
「明日、来なくていいよい」
何を言われたのか一瞬分からなかった。
…来なくていい?
「ゆっくり休め。来週も忙しいんだろい?」
無理して倒れては大変だから明日も体を休めて月曜日に備えた方がいいと、私を気遣って明日の予定は無しにしようということだった。確かに来週も今週できなかった仕事をこなさないといけないから忙しい。マルコさんの言う通り、体を休めて備えた方がいいのかもしれない。
けど…けど、けど、
「…マルコさんのお家行きたいです。楽しみにしてて、頑張ったのに…」
五日間頑張れたのは、日曜日にマルコさんに会えるから。
「あと五日、あと四日ってマルコさんの写真、偶に眺めたりして、頑張って仕事してて」
楽しみがあるから頑張れて、マルコさんとご飯作って一緒に食べたら明日からまた頑張ろうと思える。だから無しにしないでほしい。
行きたい、無しにしないで、と何度も伝える私を見てマルコさんは少し目を見開いたけど、すぐに目を細めて「ん、分かった」と頷いてくれた。
「なら明日、起きたら連絡くれるか?」
「?」
「迎えに来る」
「え?…あ、電車で」
昨日の夜から夕方まで寝ていたし、今日もこれから寝れば体も軽くなるだろうから電車で行ける。
「俺も楽しみにしてたからねい。来てくれるなら車ぐらい出す」
な?とまた頭に重みを感じで視線を上に向ければ、頭に乗っていたのはマルコさんの手だった。私の頭を鷲掴みできるのでは、と思うほど大きな手が優しくぽんぽんと頭を撫でている。
優しい手だなぁ、と頭から離れていく手を私は掴んだ。
「どうした?」
マルコさんの手を両手で掴んで、手のひらをすりすり撫でてみる。大きくて、あたたかい手。いつまでやっていたのか分からないけど、撫でたり揉んだりしていたら、するりと手が離れていった。
「んじゃ、帰るよい」
マルコさんが立ち上がれば、つられるように体が動き出し大きな背中を追いかけ玄関まで着いていく。靴を履いて私の方を振り向いたマルコさんは、すっと腕を上げて私の頬に手を添えた。
「んっ」
すり、と親指で頬を撫でられ咄嗟に目を閉じ声が漏れる。親指は何度も頬を優しく撫で、目を開けてマルコさんを見れば、見たことない表情をしていて見惚れてしまった。
その表情はとても柔らかくて優しい、まるで大切なものを見る時のよう。
「たくさん寝ろよ。無理に起きなくていいからねい」
「はい…来てくれて、ありがとうございました」
「ん」
体を屈めて顔を近づけてきたマルコさんを見つめていれば、両手で頬を包まれる。
「また明日な」
それからすぐにベッドに入り、目を閉じた。
体はまだ重たくて疲れがあるのに、気分は全く重たくない。
"また明日"
その言葉を何度も心の中で繰り返していたら、いつの間にか眠りに落ちていた。
「大丈夫だよ」
同級生は乗っていた電車が緊急停止するトラブルが起こってしまい、待ち合わせ時間の三十分遅れで店に来た。
彼とはマルコさんと海鮮を食べに行った日の前日に映画を観に行った。映画は迫力があってとても面白く、彼も興奮気味に感想を話していた。彼の中ではシリーズの中で一位二位を争うほどの出来だったようで、今も熱く語ってくれる。
「先週マジありがと。いやほんと、今でも思い出すだけで興奮がさ」
「一人でも行けるようになると何回でも行けるんじゃない?」
「いや、あれは誰かと観て話したい!あと二回は観たいから行ってくれる奴探す」
彼が頼んだハイボールが来たので乾杯をし、すでに頼んでいたサラダや唐揚げを彼に差し出す。
「やっと一週間終わったな」
「本当だよ…」
「何?どした?」
今週はとても忙しく、実家に帰ることができなくてマルコさんの可愛い姿が見れなかった。メッセージも忙しくて少ししかやり取りをしていない。私はこの一週間、明後日の為に頑張ってきたと言ってもおかしくないぐらいだった。
忙しかったのは担当案件で顧客と打ち合わせをして決めたプランを、顧客の上層部の意見により全てをひっくり返されたからだった。打ち合わせをしていた相手に上には了解を得ていなかったのかと尋ねてみれば、もちろん承諾を得た上での内容だった。だから相手を責めても仕方がない。
「大幅に修正しないといけなくて…」
「うわ…よくある最悪なやつ」
「納期は変えられなくて…」
グラスが空になっていたのでテーブルの隅にあるタブレットを手にして、ウーロン茶を選ぶ。他に食べたいものあればと彼にタブレットを渡すと、今日は沢山食え、とピザを二枚も注文した。
「ここまで進んでて、なんで変更できるって思ってんのかね?」
「ね」
「お疲れ」
「ありがとう。そっちもお疲れ様」
自分で選んだ業種だから仕方がないよね、と言うものの愚痴がないわけではない。彼と日々の愚痴を少し言い合っていたらウーロン茶がきたので一口飲む。
…このウーロン茶、いつもと味が違うような?
タブレットの注文履歴を見ればウーロン茶となっていたので、不思議に思ったけどウーロン茶なのだろうと飲み続けた。
それからはせっかくの金曜日だから楽しい話をと、彼が土日に遊びに行く場所や私の旅行のことを話していると、グラスが半分ほど空いたところで、彼が私の顔を見て首を傾げる。
「…お前、顔赤いけど」
「?」
言われてみれば、体も少し暑いし眠気も少しある、気がする。
彼がウーロン茶を手にして匂いを嗅ぎ、少し飲んでいいかと聞かれたので頷けば、ウーロン茶ではなくてウーロンハイだと教えてくれた。ウーロン茶じゃなかったのかとグラスを眺めていると、大丈夫かと尋ねられる。
「うん、一杯ぐらいなら」
「料理も出てきたしさっさと食べて帰るか」
飲んでいたのが酒なのだと分かったら酔っていることを自覚してしまい、体がいつもより重たく感じた。
「タクシー呼ぶわ」
「そこまでじゃないから大丈夫だよ」
「……いや、俺が不安だからタクシーで」
タクシーアプリを使ったのか彼があと十分で来ると教えてくれて、店の前で待つことにした。
彼は心配だからと一緒に待ってくれて、お礼を言えば提案したのは自分だからタクシー代を払おうかと財布を出す。
「乗るのは私だから自分で払う」
「忙しかったのなら断ってくれても良かったのに…悪かったな」
「来週も忙しいけど、今日はひと段落してて帰れたから大丈夫だよ。気にしないで」
「今度また、美味いの食いに行こう」
タクシーに乗り、運転手に住所を伝えてシートに深く座る。車の揺れが心地よくて、窓の外を眺めていたのに気がついたら意識がなくなっていた。
◇ ◇ ◇
遠くでインターホンが何度も鳴っている。部屋の主はいないのか、居留守を使っているのかは分からないけど、鳴らしている人は諦める様子がない。
「?」
どれくらい鳴っていたのかは分からないけど、気がついたらインターホンは止んでいた。けど、今度はどこかで何かが震えている音がする。体を少し起こして音の正体を探せば、震えていたのは私のスマホで、画面も見ずに指でタップし耳元に当てた。
「はい」
『よかった…大丈夫かよい?』
「…マルコさん?」
『今どこにいる?』
家にいると答えるとインターホンが鳴った。体を起こしてドアを開ければマルコさんがいて、何故かすごく驚いた顔をしていた。
「お前っ…!」
「?」
マルコさんは素早く中に入りドアを閉めた。マルコさんを見つめていると、マルコさんは私のおでこに手を当て顔を近づける。
「体調悪いのか?何かあったのか?」
「?」
体調は、少し気持ち悪いし重たいけど風邪ではない。何かあったのかと聞かれれば、仕事が忙しかったぐらいで何もない。
と心の中で答えているとマルコさんがすまん、と断って私を抱き上げた。靴を脱いで短い廊下を歩き、ベッドに座らせられる。
「昨日のこと、覚えてるか?」
「昨日は…外でご飯食べてて、ウーロン茶頼んだのに、間違ってウーロンハイがきちゃって…」
酒だとは思わず飲んでしまい、同級生にタクシーを呼んでもらって帰ってきた。
と声に出して答えれば、マルコさんが長い溜息をついて私の前に座り込んだ。
「吐き気とかあるか?」
「少し気持ち悪いですけど、大丈夫です。それよりも…」
「?」
「もう少し寝たいです」
体がまだ重たくて、疲れが取れてないからまだ寝たい。そうマルコさんに答えると、お風呂入ってからにしようと返され、お風呂は入ったと答えれば、下を見てみろと言うので視線を落とす。
「あ」
着ている服は昨日のまま。シャツは脱ごうとしたのかボタンが半分開いていた。あれ、もしかしてお風呂も入らず寝てしまったのかと枕を見れば、マスカラとかもついていて、化粧も落とさずに寝たのが分かった。
「もう四時だ。爆睡だったみたいだねい」
スマホを見れば16:12と表示されていて、メッセージアプリの通知バッジは6と表示されていた。一つは同級生から無事に帰れたかの確認、残りの五つは全てマルコさんからの着信。
「忙しいとは聞いていたが、反応がなさすぎるから心配でねい…」
「気づかなくて、ごめんなさい」
「何もなかったからいいよい。風呂入る元気あるか?」
「あ、はい、それぐらいは」
「ん。腹減ってるか?」
お腹は、と考えてみると確かに空いていた。冷蔵庫に何かあったかなと考えてみるけど、週末は空っぽになってしまうからインスタントラーメンぐらいしかない。インスタントラーメンは今は食べたくないし、材料を買ってご飯作る気にもならなくて、どうしようかなと台所の方を眺めているとマルコさんの顔が視界に入る。
「風呂は一時間あれば終わるか?」
「?…はい」
「家の鍵、貸してくれるか?」
「?」
何か買ってくると手のひらをこちらに見せ、鍵を催促するマルコさん。
このあたりで頭が少しだけ働くようになり、私はすごく迷惑をかけていることを理解した。大丈夫、自分で出来るとマルコさんに帰ってもらおうとしたら、手を掴まれ名前を呼ばれる。
「返事がない俺を心配して酢豚の材料を買って家まで来てくれたお前さんの為なら、なんてことねぇよい」
ほら、とまるで小さい子どもを諭すような優しい声を聞いて、下駄箱の上にあると思う、と答えていた。食べたいものあるかと聞かれ、うどんとかヨーグルトと答えれば、ぽん、と頭に何かが乗った。そしてそれは頭を何度も左右に移動して、離れていく。
「ちょっと待ってろよい」
よいしょ、と立ち上がったマルコさんを見ていれば、ぽん、とまた頭に何か乗ってぽんぽんと二回優しく叩かれた。何してるんだろう、と頭がまた働かなくなって動かない私を見たマルコさんが少し大きな声をあげる。
「風呂!」
「!」
その声がスイッチだったかのように、体は動き出した。
◇ ◇ ◇
マルコさんはビニール袋を二つ下げて帰って来た。お風呂を終えている私を見て、ちゃんと入ったんだなとテーブルに袋を置いて、また、ぽんと頭に何かが乗る。
うどんやサンドイッチにおにぎり、それとヨーグルト、プリン、スポーツドリンクなど、なんだかたくさんだなぁとマルコさんを見れば、自分も食べるからと私の隣に座って袋から全て出す。
ほら、と目の前にうどんと箸を置かれ、丁寧に蓋も開けてくれた。
「いただきます」
すごくお腹が空いていたらしい。うどんをあっという間に食べてしまい、視界にサンドイッチがあったので手に取ろうとすると、大きな手が奪っていった。
「ん」
開けられたサンドイッチを手に取ってひたすら食べたけど、まだ食べ足りない。プリンを取ろうとすると奪われて、蓋が開いたプリンとスプーンを渡されたので食べ、ヨーグルトも食べたくなって手を伸ばそうとすると、同じように奪われ、蓋が開いたヨーグルトを渡されて、綺麗に完食。
「ごちそうさまでした」
お腹が落ち着いて眠たくなってきた。今すぐにでも寝たいけどお礼は言わないと、とマルコさんを見れば優しい表情で私を見ていた。
「明日、来なくていいよい」
何を言われたのか一瞬分からなかった。
…来なくていい?
「ゆっくり休め。来週も忙しいんだろい?」
無理して倒れては大変だから明日も体を休めて月曜日に備えた方がいいと、私を気遣って明日の予定は無しにしようということだった。確かに来週も今週できなかった仕事をこなさないといけないから忙しい。マルコさんの言う通り、体を休めて備えた方がいいのかもしれない。
けど…けど、けど、
「…マルコさんのお家行きたいです。楽しみにしてて、頑張ったのに…」
五日間頑張れたのは、日曜日にマルコさんに会えるから。
「あと五日、あと四日ってマルコさんの写真、偶に眺めたりして、頑張って仕事してて」
楽しみがあるから頑張れて、マルコさんとご飯作って一緒に食べたら明日からまた頑張ろうと思える。だから無しにしないでほしい。
行きたい、無しにしないで、と何度も伝える私を見てマルコさんは少し目を見開いたけど、すぐに目を細めて「ん、分かった」と頷いてくれた。
「なら明日、起きたら連絡くれるか?」
「?」
「迎えに来る」
「え?…あ、電車で」
昨日の夜から夕方まで寝ていたし、今日もこれから寝れば体も軽くなるだろうから電車で行ける。
「俺も楽しみにしてたからねい。来てくれるなら車ぐらい出す」
な?とまた頭に重みを感じで視線を上に向ければ、頭に乗っていたのはマルコさんの手だった。私の頭を鷲掴みできるのでは、と思うほど大きな手が優しくぽんぽんと頭を撫でている。
優しい手だなぁ、と頭から離れていく手を私は掴んだ。
「どうした?」
マルコさんの手を両手で掴んで、手のひらをすりすり撫でてみる。大きくて、あたたかい手。いつまでやっていたのか分からないけど、撫でたり揉んだりしていたら、するりと手が離れていった。
「んじゃ、帰るよい」
マルコさんが立ち上がれば、つられるように体が動き出し大きな背中を追いかけ玄関まで着いていく。靴を履いて私の方を振り向いたマルコさんは、すっと腕を上げて私の頬に手を添えた。
「んっ」
すり、と親指で頬を撫でられ咄嗟に目を閉じ声が漏れる。親指は何度も頬を優しく撫で、目を開けてマルコさんを見れば、見たことない表情をしていて見惚れてしまった。
その表情はとても柔らかくて優しい、まるで大切なものを見る時のよう。
「たくさん寝ろよ。無理に起きなくていいからねい」
「はい…来てくれて、ありがとうございました」
「ん」
体を屈めて顔を近づけてきたマルコさんを見つめていれば、両手で頬を包まれる。
「また明日な」
それからすぐにベッドに入り、目を閉じた。
体はまだ重たくて疲れがあるのに、気分は全く重たくない。
"また明日"
その言葉を何度も心の中で繰り返していたら、いつの間にか眠りに落ちていた。