パイナップルからはじまる恋(完)
2026年1月31日に書いた話です。
「今年はどうしようかな」
お正月が終わってすぐ、スーパーにもコンビニにも百貨店にも、たくさんのチョコレートが並び始めた。年末年始を楽しんで、今年も頑張ろうと仕事を始めたばかりだというのに。イベントは次から次へとやってくる。仕事と同じで忙しい。
街を歩けば”Valentine's Day”と書かれた広告を見ない日はない。会社までの道にもコンビニがあるから、美味しそうなチョコレートが載っている広告が目に入る。世間はチョコレートに溢れ、自分用にも買おうかな、と考えてしまうけど、それよりも”溺愛している彼氏さん”へのチョコレートを考えないと。
「私は二個入りのトリュフを渡す予定よ」
会社に着き、隣の席のクミさんに尋ねるとこれを買う予定、とスマホ画面を見せてくれた。旦那さんが大好きなクミさんは記念日がない日にも、旦那さんに合いそうだと思った時とか、プレゼントを渡したくなった時にも渡しているらしく、バレンタインデーは記念日に含まれていないらしい。
誕生日と結婚記念日は張り切ってるの。
そう教えてくれるクミさんの表情がやわらかくて、旦那さんは幸せ者だな、と微笑み返した。
「夫からもプレゼントをよく貰うわ」
「そうなんですね」
「あなたの彼氏さんも、話を聞いているとそういうことをしそうだけれど」
「そうですね。お菓子はよく買ってきてくれますよ」
マルコさんと暮らし始めてもう二年。相変わらず可愛い”パイナップルおじさん”は、最近メガネを購入した。本当におっさんになっちまった…、としょんぼりしていたけど、メガネ姿も似合ってる、と伝えれば照れくさそうに笑ってくれた。けどその時に、「そういえば、目元の皺が増えてさらに可愛くなりましたね!」と笑顔で言ったら、マルコさんはショックを受けてその日は立ち直ってくれなかった。
マルコさんは皺くちゃな顔になっても可愛いと思うんだけどな…。
「去年は何を渡したの?」
「去年は二人でパイナップルチョコフォンデュをしました」
「パイナップル大好き彼氏さんだったわね」
マルコさんが購入したホットプレートを使ったパイナップルチョコフォンデュを開催して、マルコさんは楽しんでくれた。パイナップル一個は多いだろうと思ったけど、マルコさんは平らげただけでなくて、「もう一個切るかよい?」なんて言うから、本当におじさん?と不思議に思うほど。相変わらず私をひょいひょい抱き上げるし、たまに見るマルコさんの体は逞しすぎるし、四十半ばとは思えない。
まだ二週間あるからゆっくり考えればいいんじゃない?とクミさんに言われ、始業時間になったので仕事を開始。まだ時間はあるけどあっという間だから決めないとなぁ。なんて考えながら仕事をしていたらもうお昼。クミさんとお昼の惚気大会をするためにランチをして、午後も仕事をしていたらもう終業時間。
ほら、時間はあっという間。
「悩みますね…」
「悩むのも楽しいわね」
お疲れ様。お疲れ様です。
私はもうちょっと仕事を進めておこう。けどその前にちょっと休憩、とスマホを見るとメッセージが届いていた。
”予定よりも打ち合わせが長引いて、帰るのが一時間遅くなる”
マルコさんからのメッセージにパイナップルがオッケーと丸を作るスタンプで返信。
今日も何か買って帰ってくるのかな?
二週間に一度は出張するマルコさんは、一緒に暮らし始めてからしばらくして、出張先でお菓子を買って帰ってくるようになった。付き合う前にいらないと伝えたけど、「部下の菓子リスト制覇を目指すために付き合ってくれよい」と言われてしまっては強く言えない。ただ、マルコさんのお菓子好き部下さんのお菓子リストの制覇は、更新頻度が高すぎるから絶対無理だと思ってる。
「パイナップルをオランジェットみたいにしようかな」
たまにはパイナップルから離れてみるのもいいかも。お酒入りのチョコ。甘さ控えめ。お菓子リストに載っていないものを買わなきゃ。
「うぅぅ…!」
どうしようかな、とビルを出ると今季一番の寒気が体を震え上がらせた。"バレンタイン"を一気に吹き飛ばし、頭の中は”寒い””早く帰りたい!”ばかりになってしまう。
けどお家の中は着いた時には暖かいんだ。だって、ビルを出る前にスマホでエアコンの運転をオンにしたから!
お前さんが快適に過ごせるように、というマルコさんの優しい思いから、初めての夏が来る前にマルコさんはスマートリモコンを買ったのだ。家電は性能の一番いいものを選ぶマルコさんには困ったものだけど、これは本当にありがたい。
けど外は寒すぎる!
早く電車の中へ、と早足で駅までの道を歩き、もうちょっと、と駅の中を歩いていると、ふと、柱にある広告が目に留まり歩みがゆっくりになる。
“1/31 愛妻の日”
その文字の下には”2/14 バレンタインデー”と記されていた。
今日は”愛妻の日”なんだ。初めて知った。”〇〇の日”って本当にたくさんあるよね。
電車に乗り、暖かさを感じながらスマホで愛妻の日を調べてみる。”妻という最も身近な赤の他人を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれない”という想いから制定された記念日と知って、心がやわらかくなった。妻ではないけど、マルコさんに愛されているなぁと感じると幸せになるから、すごくいい記念日だと思う。もしかして”愛夫の日”もあるのかと思ったけど、残念ながら夫へ愛を伝える日はなかった。奥さんから愛を伝えたくなることもあるだろうに。
まぁ、記念日なんてなくても私はマルコさんにたくさん伝えてますが。ふふん。
この”ふふん”はマルコさんの癖だったのに、二年一緒に暮らしていたらいつの間にか私の癖にもなっていた。”よい?”を言ってしまうこともあって、この前アスカとランチしに行った時に、「何それ」と怪しまれた。「可愛いマルコさんの口癖がうつっちゃって…」と言い訳したら、ニヤニヤしすぎと怒られた。
伝えるのが恥ずかしいって人もいるだろうから愛夫の日があってもいいと思うな。もし作るとしたらいつだろう?あいふ、あいふ、アイフ…。アイ、フ。…うーん。
『まもなく──駅。足元にご注意ください。出口は左側です』
もう駅に着いちゃった!愛夫の日が決まってない…、と少し残念な気持ちにもなりながら電車を降りて、早足でスーパーへ。
マルコさんが帰ってくるまでに簡単なものを作ってお風呂に入っちゃおう。
“2/14はバレンタインデー”
そうだった。マルコさんに渡すチョコレート…。
スーパーにももちろんバレンタインブースがあって、目に留まった瞬間に悩みが戻ってしまった。
お酒はどうかな?お酒はイゾウさんのお店で飲むことが多いけど旅行先では地元のお酒を買ってるから、プレゼントしたら喜んでくれそう。まぁ、どんなものを渡してもマルコさんは絶対に、ありがとよい、って可愛く笑ってくれるんだけど。へへへ。
「お客様?」
「す、すみません!」
今はお会計中だった!
突然ニヤニヤする私を見て、レジ打ちの女性が怪訝そうな顔をした。慌ててカゴを持ってレジから離れる。
恥ずかしい!マルコさんの反応を想像してニヤニヤしちゃった!…もう!
マルコさんが可愛いのが悪いんだ、と責任を想像のマルコさんに押し付けながら口を固く閉じて袋詰め。多いと週に三回は利用するスーパーだから、顔を覚えられると利用しづらい。どうかあの女性が覚えていませんように、と祈りながらスーパーを後にするとスマホが震えた。
あれ、マルコさんからだ。
“もう三十分遅れそうだ”
マルコさんが時間を読み間違えるなんて珍しいな。大変な商談をしてたのかな?それとも商談の後にどこかで打ち合わせしてるとか。
営業さんは大変だな、と考えていたら自分の会社の営業さんたちが浮かんできた。
そういえば、仕掛け案件がようやく、と言ってたからそろそろ回ってくるかも。
できるのかな、と不安と緊張を抱きながらドアノブに手をかける。
「ただいま。はぁ、あったかい~」
マルコさんのお家だったのに、もうすっかり”自分のお家”だ。気に入らなければ家具もレイアウトも好きに変えていい、と言われたけど私にとってはこれが一番だからリビングも寝室も、付き合う前からあるものは変えていない。変わったことと言えば、私が一人暮らししていた家具が物置状態だった部屋にあることと、リビングの観葉植物が増えたこと。観葉植物に名前をつけるのが私とマルコさんの恒例でみんなを可愛がっている。だからか古株のフィーちゃんとアデ君みたいに、新しい子も、ただいま、と声をかけると反応を返してくれる、ような気がしている。
「野菜たっぷりにして栄養をとってもらわないと」
メガネ以外にマルコさんに変わったことは、”平日の夜はお米を食べない”、だった。「俺はおっさんだ。どれだけ鍛えていても歳には敵わない。だがな、俺はおっさんではないおっさんになるよい!」と、よく分からないことを宣言された。残業で夜遅くなってしまう時は食べない方がいいけど、それ以外の日は少し食べたほうがよく眠れるかも、とマルコさんに伝えたら、お前さんと一緒にベッドに入ればすぐに眠れるよい、と自信満々に返されてしまった。私の料理だけでなく私も、今でも安眠グッズとしてしっかり役割を果たしている。もちろん最後まで全うするつもり。
寝る時もエネルギー使うんですよ?米以外を食べればいいんだよい。会食がない日はお酒飲まないことが多いですし、お昼も考えてるみたいですからぽっこりお腹にならないと思いますよ?駄目だ。一度なったら最後、戻すのが大変なんだよい。だから米は食べない。…分かりました。
というやり取りをして、その代わりに朝ご飯はしっかり食べてもらっている。
「お帰りなさい」
「ただいま」
お風呂から出てリビングへ行くと、ちょうどマルコさんが帰ってきていた。手には鞄と細長い紙袋と小さな紙袋を持っていて、これ、と小さな紙袋を見せてくる。
これがお菓子だったみたい。
今日食べますか?いや、土曜日に食べよう。
どんな菓子かは土曜日のお楽しみ、とマルコさんは小さな紙袋をキッチンカウンターに置き、鞄ともう一つの紙袋は床に置き、何故か、私に向けて両腕を広げてみせた。
「ん」
「?」
「ん」
ん?何だろう?えーーと、私も両腕を広げてみる?
はい、とマルコさんみたいに腕を広げてみせると、マルコさんは、すすす、と近づいてきて、そっと抱きついてきた。マルコさんの匂いが一気に広がって、温まった体がもっと温まってぽかぽかになってしまう。
「はぁ…風呂上がりのいい匂いがするよい」
「ふふ。お疲れ様です。先にお風呂入っちゃってください」
続きはベッドで、と私の髪の匂いをすんすんしているマルコさんに伝えると、素直に離れて部屋を出て行った。けど十分も経たずにお風呂から出てきて、もう一回!とコンロの前に立つ私に抱きついてくる。そして私の首筋に顔を埋めて、んんん、寝起きでもないのに擦り寄ってきてくれた。
お風呂上がりのマルコさんもいい匂いだなぁ。
思わずマルコさんの匂いをすんすんしたくなったけど、お疲れのマルコさんに野菜たっぷりスープを食べてもらって栄養とってもらわないと。
すーーー。…。…。…息、してますか?してないよい。してください。
「「いただきます」」
しばらくマルコさんの好きにさせて、遅い軽めの夜ご飯。
疲れた体に染み渡りますね、と顔を横に向けると、ん、とじゃがいもとにんじんがのったスプーンが口の前にきたから、ぱくり。もぐもぐしていると、マルコさんが口を開けて待っていたから、どうぞ、とソーセージを運べば可愛く食べてくれた。
ん、美味い。よかったです。
二年経っても私たちはこんな調子で、年に一度会えるサッチさんが、もうやめろ!!、とマルコさんに怒っていた。けどマルコさんは聞く耳を持つつもりはなさそうで、たぶん、ずっとこんな感じだと思う。
「明日も遅そうですか?」
「金曜日午前にある会議に向けて準備していてな。だから明日も遅くなるよい」
「そうなんですね。なら大事な会議に備えて明日は煮付けにしましょうか?あ、酢豚がいいですか?」
「作ってくれるのか!?」
「定時で帰れると思うので作りますよ。酢豚だと重たいから煮付けに…」
「両方。煮付けも酢豚も」
「お米を食べなくてもおかずをたくさん食べたら同じことですよ?」
「大丈夫。俺はできる男だから」
またよく分からないことを…。ふふん、と得意げになるマルコさんが可愛いからいいけど。
「ごちそうさまでした」
「はい。お粗末さまでした」
あっという間にスープを食べ終えて、後片付け。すぐに寝室へ行こうとしたけど、少しだけお腹を休めよう、とマルコさんがソファに座るから私も後を追う。マルコさんの膝に腰を下ろすとすぐに腕が腰に回ってきて、背中を預けるとマルコさんにすっぽりと包まれた。
あぁ、温かい…。
「ふぅ…」
マルコさんの体温が心地よくて、小さな声が漏れてしまった。私の少しの変化も見逃さないマルコさんがその声を聞き逃すことはなく、頭に大きな手が添えられてゆっくり撫でられる。大きくて大好きなマルコさんの手も、気持ちがいい。
「お疲れさん」
「お疲れさんなのはマルコさん、です」
「いいや。お前さんは今日、仕事した後に飯を作ってくれた。だから、お疲れさん、だよい」
夜ご飯を作るのは早めに帰ることができる時だけだし、今では、全く料理ができなかったマルコさんが一人で作ることもある。それでもマルコさんは、いつもありがとよい、と言葉をくれた。それを素直に受け取って、私からも言葉を伝えようとして──、視界が真っ白になった。
「これ」
これ?と後ろを見ると、ん、と何かを渡され、咄嗟に手に取る。
「何がいいか悩んでいたら、三十分もかかっちまって」
それは一本の白い花だった。
どうして花?これはなんて名前の花?それよりも…。
「私、大事な記念日を忘れて…」
「いや、今日は記念日じゃないよい」
不安はマルコさんの言葉で消え去ったけど、花の戸惑いはなくならない。よく分からないけど、お前さんにプレゼント、とマルコさんが言うからとりあえず受け取って、花を眺めることに。
これはなんて花でしたっけ?店員に聞いたら”ダリア”だと言ってたよい。
綺麗な花ですねぇ、と言いながら、マルコさんを見る。
「どうして花を?」
「無性に、お前さんに伝えたくなって」
「私に?」
「よい」
マルコさんは、すごくやわらかい表情で私を見ていた。
「駅の柱の広告を見たらお前さんが浮かんで…。それで、伝えたくなった」
「…それって」
愛妻の、と言葉を続けようとしたけど、マルコさんが私の腰を掴んで、よいしょ、と抱き上げるから声が出なかった。マルコさんは私を横向きに座らせて、しっかりと抱きしめる。
「マルコさん」
「ん?」
そして、私の大好きなあの表情で、私を見つめてくれた。その表情は私の心を温かくやわらかくさせ、想いを溢れさせる。そうなってしまうと可笑しな笑い声が出るのは自然のこと。
二年経っても、幸せを感じる瞬間は減らなかった。今日みたいな些細なことでも、私は最後まで幸せを感じられる自信がある。
「可愛い」
「うへへっ」
マルコさんはくつくつ笑いながら、けどあの表情のまま、笑い声が止まるまでずっと頭や頬を撫でてくれた。
「すごく嬉しいです。ありがとうございます」
「こっちこそ、いつもありがとよい」
お返し、とマルコさんの頬を撫でると、顔が近づいてきた。頬にやわらかい唇が落ちてきて、額にも唇にも落としてくれて、へら、と可愛く笑ってくれた。
あぁ、可愛い。…可愛い!!
「マルコさんがよぼよぼで皺くちゃになっても、いつまでも愛しますからね!」
「ヨボヨボ、シワクチャ…」
「分かりましたか!?」
「お前さん、変なスイッチが入っちまったな」
「返事!」
「分かりました」
「本当に分かってますか?!」
「よいよい」
一輪挿し用の花瓶がなかったから、ペットボトルに挿してダイニングテーブルの真ん中に置いてみる。ペットボトルなのになんだかすごく素敵で、マルコさんの想いが込められてるからかな?なんて考えるとまた胸がいっぱいになり、抱き上げてくれるマルコさんの首に腕を回して力を込めた。想いが詰まった胸にマルコさんの匂いも詰め込んでみたら、どうしたらいいか分からないぐらい満たされて、歯を磨いて寝るよい、と歩き出したマルコさんに、困りました…、と伝えてみる。そうしたらマルコさんは、困っているというのにまた唇を寄せてきた。
追い打ちをかけないでください!幸せすぎて死んじゃうじゃないですか!ははっ。
「俺も、お前さんをいつまでも愛するよい」
”最も身近な赤の他人を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれない”
「今年はどうしようかな」
お正月が終わってすぐ、スーパーにもコンビニにも百貨店にも、たくさんのチョコレートが並び始めた。年末年始を楽しんで、今年も頑張ろうと仕事を始めたばかりだというのに。イベントは次から次へとやってくる。仕事と同じで忙しい。
街を歩けば”Valentine's Day”と書かれた広告を見ない日はない。会社までの道にもコンビニがあるから、美味しそうなチョコレートが載っている広告が目に入る。世間はチョコレートに溢れ、自分用にも買おうかな、と考えてしまうけど、それよりも”溺愛している彼氏さん”へのチョコレートを考えないと。
「私は二個入りのトリュフを渡す予定よ」
会社に着き、隣の席のクミさんに尋ねるとこれを買う予定、とスマホ画面を見せてくれた。旦那さんが大好きなクミさんは記念日がない日にも、旦那さんに合いそうだと思った時とか、プレゼントを渡したくなった時にも渡しているらしく、バレンタインデーは記念日に含まれていないらしい。
誕生日と結婚記念日は張り切ってるの。
そう教えてくれるクミさんの表情がやわらかくて、旦那さんは幸せ者だな、と微笑み返した。
「夫からもプレゼントをよく貰うわ」
「そうなんですね」
「あなたの彼氏さんも、話を聞いているとそういうことをしそうだけれど」
「そうですね。お菓子はよく買ってきてくれますよ」
マルコさんと暮らし始めてもう二年。相変わらず可愛い”パイナップルおじさん”は、最近メガネを購入した。本当におっさんになっちまった…、としょんぼりしていたけど、メガネ姿も似合ってる、と伝えれば照れくさそうに笑ってくれた。けどその時に、「そういえば、目元の皺が増えてさらに可愛くなりましたね!」と笑顔で言ったら、マルコさんはショックを受けてその日は立ち直ってくれなかった。
マルコさんは皺くちゃな顔になっても可愛いと思うんだけどな…。
「去年は何を渡したの?」
「去年は二人でパイナップルチョコフォンデュをしました」
「パイナップル大好き彼氏さんだったわね」
マルコさんが購入したホットプレートを使ったパイナップルチョコフォンデュを開催して、マルコさんは楽しんでくれた。パイナップル一個は多いだろうと思ったけど、マルコさんは平らげただけでなくて、「もう一個切るかよい?」なんて言うから、本当におじさん?と不思議に思うほど。相変わらず私をひょいひょい抱き上げるし、たまに見るマルコさんの体は逞しすぎるし、四十半ばとは思えない。
まだ二週間あるからゆっくり考えればいいんじゃない?とクミさんに言われ、始業時間になったので仕事を開始。まだ時間はあるけどあっという間だから決めないとなぁ。なんて考えながら仕事をしていたらもうお昼。クミさんとお昼の惚気大会をするためにランチをして、午後も仕事をしていたらもう終業時間。
ほら、時間はあっという間。
「悩みますね…」
「悩むのも楽しいわね」
お疲れ様。お疲れ様です。
私はもうちょっと仕事を進めておこう。けどその前にちょっと休憩、とスマホを見るとメッセージが届いていた。
”予定よりも打ち合わせが長引いて、帰るのが一時間遅くなる”
マルコさんからのメッセージにパイナップルがオッケーと丸を作るスタンプで返信。
今日も何か買って帰ってくるのかな?
二週間に一度は出張するマルコさんは、一緒に暮らし始めてからしばらくして、出張先でお菓子を買って帰ってくるようになった。付き合う前にいらないと伝えたけど、「部下の菓子リスト制覇を目指すために付き合ってくれよい」と言われてしまっては強く言えない。ただ、マルコさんのお菓子好き部下さんのお菓子リストの制覇は、更新頻度が高すぎるから絶対無理だと思ってる。
「パイナップルをオランジェットみたいにしようかな」
たまにはパイナップルから離れてみるのもいいかも。お酒入りのチョコ。甘さ控えめ。お菓子リストに載っていないものを買わなきゃ。
「うぅぅ…!」
どうしようかな、とビルを出ると今季一番の寒気が体を震え上がらせた。"バレンタイン"を一気に吹き飛ばし、頭の中は”寒い””早く帰りたい!”ばかりになってしまう。
けどお家の中は着いた時には暖かいんだ。だって、ビルを出る前にスマホでエアコンの運転をオンにしたから!
お前さんが快適に過ごせるように、というマルコさんの優しい思いから、初めての夏が来る前にマルコさんはスマートリモコンを買ったのだ。家電は性能の一番いいものを選ぶマルコさんには困ったものだけど、これは本当にありがたい。
けど外は寒すぎる!
早く電車の中へ、と早足で駅までの道を歩き、もうちょっと、と駅の中を歩いていると、ふと、柱にある広告が目に留まり歩みがゆっくりになる。
“1/31 愛妻の日”
その文字の下には”2/14 バレンタインデー”と記されていた。
今日は”愛妻の日”なんだ。初めて知った。”〇〇の日”って本当にたくさんあるよね。
電車に乗り、暖かさを感じながらスマホで愛妻の日を調べてみる。”妻という最も身近な赤の他人を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれない”という想いから制定された記念日と知って、心がやわらかくなった。妻ではないけど、マルコさんに愛されているなぁと感じると幸せになるから、すごくいい記念日だと思う。もしかして”愛夫の日”もあるのかと思ったけど、残念ながら夫へ愛を伝える日はなかった。奥さんから愛を伝えたくなることもあるだろうに。
まぁ、記念日なんてなくても私はマルコさんにたくさん伝えてますが。ふふん。
この”ふふん”はマルコさんの癖だったのに、二年一緒に暮らしていたらいつの間にか私の癖にもなっていた。”よい?”を言ってしまうこともあって、この前アスカとランチしに行った時に、「何それ」と怪しまれた。「可愛いマルコさんの口癖がうつっちゃって…」と言い訳したら、ニヤニヤしすぎと怒られた。
伝えるのが恥ずかしいって人もいるだろうから愛夫の日があってもいいと思うな。もし作るとしたらいつだろう?あいふ、あいふ、アイフ…。アイ、フ。…うーん。
『まもなく──駅。足元にご注意ください。出口は左側です』
もう駅に着いちゃった!愛夫の日が決まってない…、と少し残念な気持ちにもなりながら電車を降りて、早足でスーパーへ。
マルコさんが帰ってくるまでに簡単なものを作ってお風呂に入っちゃおう。
“2/14はバレンタインデー”
そうだった。マルコさんに渡すチョコレート…。
スーパーにももちろんバレンタインブースがあって、目に留まった瞬間に悩みが戻ってしまった。
お酒はどうかな?お酒はイゾウさんのお店で飲むことが多いけど旅行先では地元のお酒を買ってるから、プレゼントしたら喜んでくれそう。まぁ、どんなものを渡してもマルコさんは絶対に、ありがとよい、って可愛く笑ってくれるんだけど。へへへ。
「お客様?」
「す、すみません!」
今はお会計中だった!
突然ニヤニヤする私を見て、レジ打ちの女性が怪訝そうな顔をした。慌ててカゴを持ってレジから離れる。
恥ずかしい!マルコさんの反応を想像してニヤニヤしちゃった!…もう!
マルコさんが可愛いのが悪いんだ、と責任を想像のマルコさんに押し付けながら口を固く閉じて袋詰め。多いと週に三回は利用するスーパーだから、顔を覚えられると利用しづらい。どうかあの女性が覚えていませんように、と祈りながらスーパーを後にするとスマホが震えた。
あれ、マルコさんからだ。
“もう三十分遅れそうだ”
マルコさんが時間を読み間違えるなんて珍しいな。大変な商談をしてたのかな?それとも商談の後にどこかで打ち合わせしてるとか。
営業さんは大変だな、と考えていたら自分の会社の営業さんたちが浮かんできた。
そういえば、仕掛け案件がようやく、と言ってたからそろそろ回ってくるかも。
できるのかな、と不安と緊張を抱きながらドアノブに手をかける。
「ただいま。はぁ、あったかい~」
マルコさんのお家だったのに、もうすっかり”自分のお家”だ。気に入らなければ家具もレイアウトも好きに変えていい、と言われたけど私にとってはこれが一番だからリビングも寝室も、付き合う前からあるものは変えていない。変わったことと言えば、私が一人暮らししていた家具が物置状態だった部屋にあることと、リビングの観葉植物が増えたこと。観葉植物に名前をつけるのが私とマルコさんの恒例でみんなを可愛がっている。だからか古株のフィーちゃんとアデ君みたいに、新しい子も、ただいま、と声をかけると反応を返してくれる、ような気がしている。
「野菜たっぷりにして栄養をとってもらわないと」
メガネ以外にマルコさんに変わったことは、”平日の夜はお米を食べない”、だった。「俺はおっさんだ。どれだけ鍛えていても歳には敵わない。だがな、俺はおっさんではないおっさんになるよい!」と、よく分からないことを宣言された。残業で夜遅くなってしまう時は食べない方がいいけど、それ以外の日は少し食べたほうがよく眠れるかも、とマルコさんに伝えたら、お前さんと一緒にベッドに入ればすぐに眠れるよい、と自信満々に返されてしまった。私の料理だけでなく私も、今でも安眠グッズとしてしっかり役割を果たしている。もちろん最後まで全うするつもり。
寝る時もエネルギー使うんですよ?米以外を食べればいいんだよい。会食がない日はお酒飲まないことが多いですし、お昼も考えてるみたいですからぽっこりお腹にならないと思いますよ?駄目だ。一度なったら最後、戻すのが大変なんだよい。だから米は食べない。…分かりました。
というやり取りをして、その代わりに朝ご飯はしっかり食べてもらっている。
「お帰りなさい」
「ただいま」
お風呂から出てリビングへ行くと、ちょうどマルコさんが帰ってきていた。手には鞄と細長い紙袋と小さな紙袋を持っていて、これ、と小さな紙袋を見せてくる。
これがお菓子だったみたい。
今日食べますか?いや、土曜日に食べよう。
どんな菓子かは土曜日のお楽しみ、とマルコさんは小さな紙袋をキッチンカウンターに置き、鞄ともう一つの紙袋は床に置き、何故か、私に向けて両腕を広げてみせた。
「ん」
「?」
「ん」
ん?何だろう?えーーと、私も両腕を広げてみる?
はい、とマルコさんみたいに腕を広げてみせると、マルコさんは、すすす、と近づいてきて、そっと抱きついてきた。マルコさんの匂いが一気に広がって、温まった体がもっと温まってぽかぽかになってしまう。
「はぁ…風呂上がりのいい匂いがするよい」
「ふふ。お疲れ様です。先にお風呂入っちゃってください」
続きはベッドで、と私の髪の匂いをすんすんしているマルコさんに伝えると、素直に離れて部屋を出て行った。けど十分も経たずにお風呂から出てきて、もう一回!とコンロの前に立つ私に抱きついてくる。そして私の首筋に顔を埋めて、んんん、寝起きでもないのに擦り寄ってきてくれた。
お風呂上がりのマルコさんもいい匂いだなぁ。
思わずマルコさんの匂いをすんすんしたくなったけど、お疲れのマルコさんに野菜たっぷりスープを食べてもらって栄養とってもらわないと。
すーーー。…。…。…息、してますか?してないよい。してください。
「「いただきます」」
しばらくマルコさんの好きにさせて、遅い軽めの夜ご飯。
疲れた体に染み渡りますね、と顔を横に向けると、ん、とじゃがいもとにんじんがのったスプーンが口の前にきたから、ぱくり。もぐもぐしていると、マルコさんが口を開けて待っていたから、どうぞ、とソーセージを運べば可愛く食べてくれた。
ん、美味い。よかったです。
二年経っても私たちはこんな調子で、年に一度会えるサッチさんが、もうやめろ!!、とマルコさんに怒っていた。けどマルコさんは聞く耳を持つつもりはなさそうで、たぶん、ずっとこんな感じだと思う。
「明日も遅そうですか?」
「金曜日午前にある会議に向けて準備していてな。だから明日も遅くなるよい」
「そうなんですね。なら大事な会議に備えて明日は煮付けにしましょうか?あ、酢豚がいいですか?」
「作ってくれるのか!?」
「定時で帰れると思うので作りますよ。酢豚だと重たいから煮付けに…」
「両方。煮付けも酢豚も」
「お米を食べなくてもおかずをたくさん食べたら同じことですよ?」
「大丈夫。俺はできる男だから」
またよく分からないことを…。ふふん、と得意げになるマルコさんが可愛いからいいけど。
「ごちそうさまでした」
「はい。お粗末さまでした」
あっという間にスープを食べ終えて、後片付け。すぐに寝室へ行こうとしたけど、少しだけお腹を休めよう、とマルコさんがソファに座るから私も後を追う。マルコさんの膝に腰を下ろすとすぐに腕が腰に回ってきて、背中を預けるとマルコさんにすっぽりと包まれた。
あぁ、温かい…。
「ふぅ…」
マルコさんの体温が心地よくて、小さな声が漏れてしまった。私の少しの変化も見逃さないマルコさんがその声を聞き逃すことはなく、頭に大きな手が添えられてゆっくり撫でられる。大きくて大好きなマルコさんの手も、気持ちがいい。
「お疲れさん」
「お疲れさんなのはマルコさん、です」
「いいや。お前さんは今日、仕事した後に飯を作ってくれた。だから、お疲れさん、だよい」
夜ご飯を作るのは早めに帰ることができる時だけだし、今では、全く料理ができなかったマルコさんが一人で作ることもある。それでもマルコさんは、いつもありがとよい、と言葉をくれた。それを素直に受け取って、私からも言葉を伝えようとして──、視界が真っ白になった。
「これ」
これ?と後ろを見ると、ん、と何かを渡され、咄嗟に手に取る。
「何がいいか悩んでいたら、三十分もかかっちまって」
それは一本の白い花だった。
どうして花?これはなんて名前の花?それよりも…。
「私、大事な記念日を忘れて…」
「いや、今日は記念日じゃないよい」
不安はマルコさんの言葉で消え去ったけど、花の戸惑いはなくならない。よく分からないけど、お前さんにプレゼント、とマルコさんが言うからとりあえず受け取って、花を眺めることに。
これはなんて花でしたっけ?店員に聞いたら”ダリア”だと言ってたよい。
綺麗な花ですねぇ、と言いながら、マルコさんを見る。
「どうして花を?」
「無性に、お前さんに伝えたくなって」
「私に?」
「よい」
マルコさんは、すごくやわらかい表情で私を見ていた。
「駅の柱の広告を見たらお前さんが浮かんで…。それで、伝えたくなった」
「…それって」
愛妻の、と言葉を続けようとしたけど、マルコさんが私の腰を掴んで、よいしょ、と抱き上げるから声が出なかった。マルコさんは私を横向きに座らせて、しっかりと抱きしめる。
「マルコさん」
「ん?」
そして、私の大好きなあの表情で、私を見つめてくれた。その表情は私の心を温かくやわらかくさせ、想いを溢れさせる。そうなってしまうと可笑しな笑い声が出るのは自然のこと。
二年経っても、幸せを感じる瞬間は減らなかった。今日みたいな些細なことでも、私は最後まで幸せを感じられる自信がある。
「可愛い」
「うへへっ」
マルコさんはくつくつ笑いながら、けどあの表情のまま、笑い声が止まるまでずっと頭や頬を撫でてくれた。
「すごく嬉しいです。ありがとうございます」
「こっちこそ、いつもありがとよい」
お返し、とマルコさんの頬を撫でると、顔が近づいてきた。頬にやわらかい唇が落ちてきて、額にも唇にも落としてくれて、へら、と可愛く笑ってくれた。
あぁ、可愛い。…可愛い!!
「マルコさんがよぼよぼで皺くちゃになっても、いつまでも愛しますからね!」
「ヨボヨボ、シワクチャ…」
「分かりましたか!?」
「お前さん、変なスイッチが入っちまったな」
「返事!」
「分かりました」
「本当に分かってますか?!」
「よいよい」
一輪挿し用の花瓶がなかったから、ペットボトルに挿してダイニングテーブルの真ん中に置いてみる。ペットボトルなのになんだかすごく素敵で、マルコさんの想いが込められてるからかな?なんて考えるとまた胸がいっぱいになり、抱き上げてくれるマルコさんの首に腕を回して力を込めた。想いが詰まった胸にマルコさんの匂いも詰め込んでみたら、どうしたらいいか分からないぐらい満たされて、歯を磨いて寝るよい、と歩き出したマルコさんに、困りました…、と伝えてみる。そうしたらマルコさんは、困っているというのにまた唇を寄せてきた。
追い打ちをかけないでください!幸せすぎて死んじゃうじゃないですか!ははっ。
「俺も、お前さんをいつまでも愛するよい」
”最も身近な赤の他人を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれない”