パイナップルからはじまる恋

「…ふぁ」

パソコンの画面を見ながら、大きなあくびを一つ。今日何回目か分からないけど、きっとあと十回は出る。

「疲れているように見えるけど、体調悪いの?」
「体調は悪くないです。ただ、寝不足で…」

マルコさんほどではないけど、朝はなかなか目が開けられなかった。朝ごはんを食べれば体は起きてくれるけど、これが毎日続いたらと思うと悩ましい。
クミさんに、夜更かし?と尋ねられて、そんな感じです、と笑って応えた。

「今日は定時で帰って早く休んだら?」
「いえ…早くベッドに入っても同じなので仕事します」

お昼ご飯を食べた後、コーヒーの力を借りて仕事を進めているけど、今週の睡魔はコーヒーでは太刀打ちできなかった。
仕方がない、ここは一番心強い味方、眠気が一瞬でなくなるドリンクを飲もう。
よし、と立ち上がるとクミさんに呼び止められた。

「何かあったの?」

彼氏さんと何かあった?と手を止めて私を見るクミさんの顔には、申し訳なくなるくらい心配そうな色が浮かんでいた。

「何もないですよ。相変わらず可愛いです」
「それは分かっているわよ」

まぁ確かに、あの時のようにはなってないから大丈夫なのかもしれないけど。
クミさんの言う"あの時"とはマルコさんと付き合う直前のことだ。

「本当に大丈夫なのね?」
「はい」

寝不足の理由ははっきりしていた。けどそれは"時間"でしか解決できないことだから、大丈夫です!と少し大きな声で答える。すると色んな所から視線を感じた。

「仕事はしっかりしますから!」
「仕事のことを心配してるんじゃないわよ」

そうだぞ、お菓子食べる?、と周りから声がした。はい、と何故か色んな人が私の席に来てくれて、デスクにはたくさんのお菓子が。

「これで六時間ぐらいは頑張れそうです」
「ほどほどで帰れよー」

で、本当に六時間仕事をして、お家に着いたのは九時過ぎ。
鞄から鍵を取り出し、前なら聞こえない金属音に胸が弾んでしまう。
その音は二つの鍵が触れ合っていたからだった。鞄から姿を見せたのは、ピンシリンダーとディンプルキー。二つ仲良く並んでる姿に、一人、玄関の前で笑ってしまう。
ピンシリンダーを掴み、鍵穴に差し込んで右に回すとカチャンと音がした。鍵を抜いて扉を開けると、見慣れた短い廊下が顔を覗かせる。

「ただいま」

おかえり、とどこかから聞こえた気がした。
けどそれは気のせい。

「ただいま〜」

アデくんとパナちゃん三号に声をかけてお風呂の準備。
なんだかんだで遅くなってしまったけど、ちゃんと湯船に浸かりたかった。体を温めれば休まるだろうし、どこからか聞こえてくる”ちゃんと浸かること”という声に素直に従いたかったのもある。
直った給湯器でお湯を溜め、今日頑張ってくれた体を労う。けど先週までの浴室と違って、湯船が狭く足が伸ばせない。体操座りで体を温めることになり、大丈夫かなと自分に問いかけてしまった。

「化粧水、つけました」

誰もいないのに誰かに言うように、乳液もしましたよ、と報告してしまうけど、誰も聞いていないから大丈夫。

「…」

と思ったけど、アデくんとパナちゃん三号には聞かれていた。
…うん!この子達は誰にも言いふらしたりしないから大丈夫!
次はドライヤー、と声に出しながらコンセントに差し込み、乾かしました、とまた誰かに報告して、寝る準備は整った。

「本当、こんなに狭かったっけ?」

狭い自分の部屋が今週はさらに狭く感じて、違和感しかなかった。住み心地がよくて気に入っているはずなのに、なんだか居心地が悪い。
その理由も分かっているけど、その解決方法も”時間”だけだから、何も考えずにベッドに潜り込む。
そして、メッセージアプリを開いて、大好きな人へ電話。今日はニコール目で出てくれて、へへ、と声が出た。

「こんばんは」
『ん。もう家か?』
「はい。お風呂終わって、今ベッドに入りました」
『ちゃんと浸かったか?』

もちろん浸かりました、と自慢げに答えると、はは、と笑われた。
マルコさんは出張中。部屋でテレビを見ているみたいで、知らない番組の音が聞こえてくる。
マルコさんはちゃんと浸かりました?……。ちゃんと体を労わらないと駄目ですよ?よい…。
またマルコさんの部下さんおすすめのカフェへ行きたいです。あ、結婚式でするスピーチ、マルコさんに見てもらっていいですか?と今週したいことを伝えていると、マルコさんがもちろんと返事をしてくれた。

「涼しくなってきたから公園行くのもいいですね」
『またバドミントンするかよい?』
「マルコさんスパルタだから嫌です」
『くくっ』

マルコさんが買ってくれたゲームで体力づくりしているけど、運動音痴は直らない。ラリーの続かないバドミントンなんて楽しくないけど、マルコさんがそれでもしたいと言うので、スパルタ指導はしないと約束してもらった。
ご飯は何がいいか、他にしたいことは、行きたいところは、と話していたらあっという間に一時間。

『寝るかよい?』
「あ、はい」

あぁ、ついにこの時が来てしまった、と残念な気持ちになるけど、そうですね、と素直に従うしかない。

『おやすみ』
「おやすみなさい」

スマホが暗くなり、部屋はわずかな光だけになる。
目を閉じて、自分の呼吸に耳を澄ませ、全く来ていない眠気を待ち続ける。

「…」

寝慣れたベッド。一人暮らしを始めてからずっと使っている、一番長く使っている寝具。
なのに、眠れない。

「…」

ごろごろと体を動かして、右を向き、左を向き、天井を見て、うつ伏せになって。
どうやったら眠れるのかを試行錯誤するけど、どれもしっくりこない。

「マルコさんと一緒に寝たいなぁ…」

体を丸め、枕に顔を埋めて目を閉じる。自分の体温でベッドはじんわり暖かくなるけど、それだけでは夢の中にはたどり着けない。
温もりも、匂いも、安心感も何もかもが足りなかった。

「…困ったなぁ」

マルコさんがたった二週間で朝起きれたように、私の体も変わってしまったらしい。
夜更かしをしたくてしてるわけじゃない。マルコさんがいないから眠れなくなってしまったのだ。

「けど寝ないと」

クミさん達が心配している、早く眠りにつきたいと、考えれば考えるほど寝付けなくなる。
けど、寝ないといけない。

「…」

目を閉じていればいつかは眠りにつけるだろうと、スマホは絶対に見ないようにしていた。
その代わり、何度も言葉を繰り返す。

「おやすみなさい」

"おやすみ"

「…おやすみなさい」

“ん。おやすみ”

「おやすみ…」

“もう寝ろよい!”

「ふふ…」

こんなことをしているのを知っているのは、アデくんとパナちゃん三号だけ。


◇ ◇ ◇


『まもなく──駅』

車内に響いたアナウンスに耳を傾けながら、電車を降りる。
改札を出て、つい、マルコさんといつも待ち合わせしている場所を見てしまう。けど今日は私一人。だからまっすぐ道路の方へ。
今日の夜ご飯はどうしようかな、とマルコさんといつも行くスーパーに入り、お惣菜が安くなっていたので唐揚げとマカロニサラダをカゴに入れ、明日の朝ごはん用に卵と野菜も少し買うことにした。
それ以外は明日マルコさんと一緒に買うことにして、慣れた道をのんびり歩いていく。
マンションの敷地に入ると、ちょうどエントランスから出てくる人がいた。

「こんばんは」
「こんばんは」

まるでずっとここに住んでる人みたいなやりとり。
…へへ。
不思議な気分で自動で開いた扉を抜けて、オートロックの鍵穴に鍵を差し込む。
今日使うのはピンシリンダーではなくディンプルキー。右に回すと大きな両開きの扉が左右に開かれた。鍵を抜いて扉を通り過ぎ、エレベーターの上方向のボタンを押す。

「…」

エレベーターには誰も乗っていなかった。
すぐにカゴの中へ入り、階数を押すと、扉は閉まり上昇していく。

「…」

ニ、三、四、とモニターに映される数字を心の中で数える。
目的の階数が現れるとなんだかくすぐったい気持ちになった。
少し廊下を歩けば目的の扉の前。先ほどと同じ鍵を差し込む。
カチャ、カチャ。
二度の音をさせた重たい扉が開いた瞬間、胸が少し温かくなる。開いた先に見えたのは、私のお家よりも長い廊下だった。

「ただいま…。あ、お邪魔します?」

今日はどっちだろう?
静かな廊下を抜けると、広い部屋の隅にはフィーちゃん達が。
電気をつけ、カーテンを閉めるためにベランダの方へ。フィーちゃん達に、こんばんは、と声をかけると少しだけ葉が揺れた気がした。まるで"おかえり"と言ってくれたみたいで、また不思議な気持ちになる。

「やっぱり、ただいま、かな?」

フィーちゃん達から部屋の方へと視線を移す。
明るいリビングは、なんだかすごく冷たい。
私のお家とは違う感覚になる。
ふふ。

「先にお風呂、入っちゃおうっと」

マルコさん、早く帰って来ないかな。


◇ ◇ ◇


「そろそろ帰ってくるかなぁ…」

深夜一時半。夜のお店も行くと言っていたからまだ遅いかもしれない。
ソファに深く座って、よく分からない深夜番組を見ながらマルコさんの帰りを待っていた。けど、この時間まで起きてたら、マルコさんはしょんぼりしてしまうかもしれない。

「…寝ようかな」

そろそろ諦めようかと体を動かした時、カチャ、と音がした。

「!」

体はそのまま動き続け、リビングを出る。
玄関には、棒立ちのパイナップルおじさんがいた。見えた姿に嬉しくなり、えへへ、と声が出てしまう。

「マルコさん、おかえりなさい」

一週間ぶりのマルコさんの顔はすごく赤かった。両親の誕生日会で父に付き合ってお酒を飲んだ時とは比べ物にならないほど紅潮していて、目も赤くなっている。

「おかえりなさい」
「…」
「大丈夫ですか?」

中へ入ってお水飲みましょう。あ、その紙袋は手土産ですか?
そう尋ねても、マルコさんは何も反応してくれなかった。じっと私を見つめる瞳は揺らいでいる。
すごく酔ってるのかも。
けど、なんか、変。

「マルコさん?」
「…」
「中へ入りましょう?」

なんだろう?こんなに酔っている姿を見るのが初めてだからかな?とりあえず、休ませないと。
私から視線を逸らさないマルコさんから鞄を預かろうと手を伸ばすと、マルコさんの瞳が大きく揺れた。

「え?」

マルコさんは鞄と紙袋を放し、私をいつものように抱き上げた。

「あの、マルコさん…?」

マルコさんは眉間にシワを寄せ、焦ったように靴を脱いで明るい廊下を進んで行く。
いつもは安心感のある抱え方なのに今はどこか危うくて、落ちないようにマルコさんの首に腕を回した。するとお酒とマルコさんの匂いを強く感じた。もっと感じたくて顔を埋めていたけど、それはすぐにできなくなる。

「わっ」

着いたのは静けさに包まれた薄暗い寝室。乱暴にベッドへ降ろされ、スプリングの効いたマットレスが大きく沈み込み、反発するように体が何度も跳ね返される。
なんだかトランポリンしてるみたい、なんて思っていたらマルコさんの顔が目の前に現れ、次の瞬間には唇を奪われた。

「んぅ…!」

マルコさんの唇は柔らかいはず。なのに、あまりに強く押し付けてくるから、その感触を確かめる余裕がない。

「っん、んっ、ぁぁ」

少し離れてはまた押し当てられる。
唇がヒリヒリと痛むほど、何度も甘噛みされ、強く吸われ、もしかしたら赤くなっているのかもしれない。

「あっ」

マルコさんの勢いが強いから、キスをしたまま後ろへ倒された。マルコさんは私に覆いかぶさっても動きを止めず、唇を何かで突き必死にこじ開けようとしてくる。

「っんんぅ」

マルコさんの舌はお酒の味がすごくした。
絡め取られる舌はマルコさんにされるがまま。自分の一部なのにマルコさんの一部になったみたいで、思うように動かすことができない。
マルコさんは私の頬を両手で包み、口の中から出ようとしなかった。熱い舌で届く全てを撫で、舌を甘噛みして何度も吸い込もうとする。

「んくっ…!」

熱くてとろりとした唾液が流れ込む。飲み込むたびに、喉が鳴った。お酒を飲んでいないのに、酔ってしまいそうだった。

「んふっ、んっ、ぅぅ!」

息ができない、苦しい、と伝えたいのに声が出せない。
マルコさんの口によって口を塞がれ、マルコさんの手によって頬を包まれ、マルコさんの体によって体はベッドに縫い付けられ、成すすべがない。
それでも伝えたくてマルコさんの肩を掴んで押し返そうとするけど、マルコさんの勢いは収まらず、それどころか私が抵抗すればするほど激しくなっていく。

「はぁっぅ…マルコさんっ、んうっっ」

マルコさんは休憩を与えてくれない。
少し離れた隙にマルコさんから距離を取ろうとしたのに、それをさせまいと大きな手で体を押さえつけてしまった。もう片方の手は私の服の中へと入ってきて、熱い手のひらがお腹を何度も撫で、上へと迫ってくるから自然と肌が露わになる。

「んうぅ、んぅぅぅっ」

マルコさんの肩を拳で何度も叩いた。ドアを激しくノックするみたいに、マルコさんに届くまでひたすら呼び続けた。

「んんんううう!!」

私の唇と舌を食いつくそうとするマルコさんにはなかなか届かない。
けど、止めるわけにはいかなかった。
喉が痛くなるほどのうめき声を出し、何度も何度もマルコさんの耳の奥まで届くように高い音色で叫び続ける。

「はぁっ!……っっはぁ、んく」

悲痛な訴えが届いてマルコさんの顔が離れた時には酸欠状態だった。私の肩に顔を埋めるマルコさんも、同じように苦しそう。

「マ、ルコさん。っ着替、えてお水飲んで、寝ましょ、っう?」

遅いから休まないと、と伝えてもマルコさんは私の上からどこうとしない。

「マルコさん、少しだけ、体浮かせてください」

酔ってて体が思うように動かないのなら私が、と下から出て行こうとしたら、マルコさんがゆっくりと動き出した。
寝室へ運ばれてから見えていなかった表情が、よく見えるようになる。

「…ま、るこ、さん」

私は、息を呑むしかなかった。
顔が近づいてきて、おでこと鼻がくっつき、アルコールを含んだ吐息が頬に落ちる。

「俺のものになってくれ…」

吐き出すような声を出すマルコさんの瞳は、今まで見たことがない色をしていた。
陰はどこにも姿を見せず、熱を帯びて赤く滲んだ眼差しが私を捉えている。

「なぁ…よい?」

大好きな大きくて温かい手が私の肌を撫で、よい?と首を傾げる姿に、思わずごくり、と喉が大きく動いた。

「お前さんが、欲しい」

心の奥にいたもう一人の私が、勢いよく振り返った。
体中が熱くなり、マルコさんの頬を両手で包み、今日初めて私からキスを送る。

「私も、欲しい」

マルコさんの首に腕を回して、唇にかぶりついた。
やっぱり唇は柔らかかった。
触り心地がいいから何度も甘噛みしたりして感触を味わいたかったけど、マルコさんが急かすように舌を出すから諦めて、ゆっくりと舌を絡める。

「っふ…ぅぅ」

耳に入ってくるマルコさんの熱い吐息は、もう一人の私を外へと連れ出そうとしていた。
欲しい、応えたい、もっと、足りないと、マルコさんの熱に反応して、早く進みたいと私に訴えかけてくる。

「っ、とれ、ないっ」

触れたい。マルコさんの肌と触れ合いたい。
シャツのボタンを外したいのに、焦って手が震えてしまい上手くできない。

「マルコさん、っ、外せないの…」

一つ外すのもやっとで、マルコさんの名前を呼びながら涙目で訴えると、マルコさんの喉が大きく動いた。
そして、上体を起こしたマルコさんはボタンを外そうと手をかける。
二つ目、三つ目、と外れていき、見えたのは──、求めるものではなかった。
欲しいのはこれじゃない。欲しいのは、マルコさんの温もり。

「これ、もっ」

もう一枚のシャツの裾を引っ張るとマルコさんは腕を交差させて、勢いよく脱ぎ捨てた。次は私の上の服に手をかけ、ベッドの下にそっと落とす。

「…っぁ」

これでいいか?と言わんばかりの熱い視線を向けてくれて、何もされていないのに声が漏れてしまう。
あぁ、なんて綺麗なんだろう。
マルコさんの逞しい胸に触れてみるとしっとりしていて気持がよかった。抱きつきたくて腕を腰に回そうとするとマルコさんがゆっくりと倒れ込んできて、肌と肌が隙間なく密着した。
マルコさんの熱すぎる体温が直に伝わって、離れたくなくてマルコさんの腰に足を絡めて抱きついていたけど、マルコさんに耳を刺激され、力が抜けてしまう。

「ん、んっ、ぁあ」

その隙を逃さなかったマルコさんは私のお腹に顔を寄せて、思い切り吸い付いた。
刺すような痛みに何度も襲われ咄嗟にマルコさんの頭を掴んでしまったけど、マルコさんはそんな抵抗では動きを止めない。

「あっ」

痛みから気持がいい感覚に変わったとき、マルコさんは私の下に手をかけた。無意識に手伝おうとした私は腰を少し浮かし、あっという間に恥ずかしい姿にされてしまう。

「…あぁぁぁっ」

もうどこを撫でられているのか、どこを強く吸われているのか、よく分からなかった。肌をかすめるマルコさんの荒い鼻息も、骨ばっている手も、唇も、舌も。全てが同じくらいの熱さで、隅々まで快感を与えてくれる。私よりも、マルコさんの方が私の体を知り尽くしているみたい。
あぁ、気持ちいい。…早く、もっと奥まで欲しい。

「こっち、そこばっかっ、や…!」

マルコさん、マルコさん、と手を伸ばしてみると、すぐに応えてくれた。やっと近くに来てくれた、とキスをしてみると、やっぱりすぐに舌を絡み取られてしまう。

「んぅっ!!」

舌を強く吸われて体がびくりと反応して腰が震え、何かに当たった気がした。マルコさんの腰も動いて、私に何かを伝えようと押し付けてくる。

「、はぅっ」
「はぁっ…」

マルコさんは、次へ進む準備ができていた。
私の体も準備しようとさらにうずき始めるけど、自分だけでは、しきれない。

「…まるこ、さん」

マルコさんを求める私は、体を擦り付け、耳元で唇を震わせる。

「っ」

低い位置の窓から差し込む光がマルコさんを照らし、熱に浮かされた顔がぼんやりと見えた。その姿は見惚れてしまうほど色っぽく、体の奥から何かが溢れ出て、期待でお腹の下あたりがじわりと熱を帯びていく。

「だ…」

けど私は、もう一人の私を再び中へ戻そうと、腕を思い切り掴んだ。
マルコさんに応えたくて欲しくて仕方がない”私”は腕を振って手を解こうとする。けど私はどんなに強く抵抗しても、絶対に離さない。

「だ、め」

欲しいの。だめ。どうして、こんなに求めてくれてるのに。だめなの。応えてあげないと彼はもう…。分かってる。けど、だめ。
“私”は顔を歪ませ、私を睨みつけた。

いつまで待てばいいの?
欲しくてたまらないのに、どうして応えちゃいけないの?
いつも、だめ、だめってそればっかり…。
本当はあなたも欲しいくせに!!

そうだよ。私だって、マルコさんが欲しい。
キスだけじゃ、肌の触れ合いだけじゃ、もう我慢できていない。
そんなの、誰よりも私がよく知ってる。
それでも、それでも…。

「駄目なの」

マルコさんの手が私の太ももに触れた。
そのまま次へ進もうとした瞬間、私は”私”を奥へと引き戻す。
そして、息を大きく吸い込んで、マルコさんを信じて、声を出した。

「待て!!」

マルコさんの体がピタリと止まった。私を見つめる瞳の中に、別のものが現れる。

「マルコさん、待て、ですよ」
「…あ、…」

マルコさんは手を太ももから離して、私の頬を包んだ。いつものような優しい撫で方に、私はお返しがしたくなり、ゆっくりと頬へと唇を落とす。ん、と声を漏らす姿が可愛くて、もう二回、頬と唇にキスをした。

どうして…!?

”私”は顔を引きつらせ、限界なの、と私に縋りつき、堪えきれずに泣き崩れる。その非痛な声は、私の胸の奥底にまで響いて、涙が溢れそうになった。

ごめんね。けど、分かってる。分かってるから。

「マルコさん、あのですね」

マルコさんの背中に腕を回して、マルコさんの重みと体温をしっかりと感じながら、はっきりと言葉にする。

「私はもう、マルコさんのものですよ?」

マルコさんの瞳からは熱が引き、陰が顔を覗かせていた。
微笑みかけてみても、陰は何も反応を返してくれない。けど、それでも言葉にし続ける。

「どんなことがあっても、マルコさんと一緒にいます」

大丈夫。不安にならないでください。けどもし不安になったら教えてください。何度だって伝えますよ。

「…」

マルコさんは体を動かして、私のそばに身を寄せて横になった。全く私から視線を逸らさないマルコさんの頬や頭を撫でていると、少しずつ、マルコさんの瞼が閉じていく。

「起きたら、話をしましょう?」
「…」
「おやすみなさい」

私は”私”と一緒に、眠るマルコさんをずっと見つめていた。


◇ ◇ ◇


「あの、マルコさん」
「…」
「マルコさーん」
「…」

ソファの横で正座をし、頭を床にくっつけたまま動かないマルコさん。
私が何回顔を上げてと伝えても、顔を見せてくれない。

「本当に、すまなかった…!!」

マルコさんは、昨夜の記憶がまるごとなかった。
最後の記憶は、私が”おかえりなさい”と声をかけた瞬間だった。その次は、裸の私に抱きついて寝ていた上半身裸の自分。
昼過ぎ、目を覚ましたマルコさんは「よいいい!?」と叫び声を上げながら私から離れ、勢いあまってベッドから落ちてしまった。
その時はどうしてそんなに驚いているのかと不思議に思ったけど、記憶がないなら納得。
それからすぐにお風呂に入って、出てきたマルコさんに、ちゃんと水分取ってください、とペットボトルを渡したらゴクゴク飲んで、私に向かって土下座をしてきた。それからずっと、顔を上げてくれない。

「あの、別に謝るようなことじゃないですよ」
「むしろお前さんは怒るところだろ!?」

勢いよく顔を上げたマルコさんの表情は、青ざめてもいるし驚いてもいた。怒ることじゃないと答えると、なんで!?と今度は何故か怒り顔になり、俺を怒鳴りつけろ!と不思議なことを言う。

「襲われたんだぞ!?」
「マルコさんは私の彼氏ですよ?」
「彼氏だとしても!酔って正気の失ったおっさんに襲われていい気しないだろ!?」
「けど、別に怒るほどのことじゃ…」
「…お前さんは甘すぎるよい」
「そんなつもりはないんですが…」

本当に怒りは湧いてこないから、怒れと言われても怒れない。
それに私は、マルコさんにあることを伝えたいから、怒っている場合じゃない。

「当分、俺はお前さん禁止にする」
「え」
「しばらくは、触れないよい」

これは俺への罰。お前さんには申し訳ないが、それぐらいのことをしでかしたんだ。
四十も過ぎてこんな失態。俺は馬鹿だ。
真剣な表情で”私禁止令”を宣言するマルコさんに、私は焦ったように声を出した。

「それは困ります!」
「え」

マルコさんの前で私も正座になる。膝の上で拳になっている手に触れると、マルコさんの肩が大きく動いた。

「え?」

それでも離れることなくマルコさんの手を包んでいると、マルコさんはあることに気が付いた。

「お前さん、手が…」
「気にしないでください」
「やっぱり、怖かっただろ?」
「違います。マルコさんが怖かった訳じゃないんです」

私の手は、震えていた。
けどそれは、マルコさんに襲われたからじゃない。
怖いのは、これからどんなことが待っているか分からないから。

「提案があるんです」
「提案?」

不安そうなマルコさんの瞳に陰は見えなかった。けどきっと、すぐに私の様子を見るために顔を出すのだろう。
マルコさんが両手で私の手を取ってくれた。まるで震えを止めようとしてくれるみたいに強く握ってくれて、勇気をもらえた気がした。

「…」

私は、ある決心をした。
それは、”私”のためでもあるし、私のためでもあるし、そしてマルコさんのためでもある。
誰か一人のためじゃない、私達、全員のために、私はこの言葉に託す。

「マルコさん」

今日、一緒に進みませんか?
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