パイナップルからはじまる恋
クミさんと担当営業さんは、呆然と一人の男性を見つめていた。
数分前まで臨戦態勢だったクミさんの手から枝豆が落ち、担当営業さんもグラスを持ったまま固まっている。
私はというと、視線を集める彼からの真剣な眼差しを、ただただ見つめ返すことしかできなかった。
「コブサラダですー」
お待たせしましたー、と店員さんがテーブルの真ん中にコブサラダを置いた。
それに反応できたのは注目の彼だけ。彼はありがとうございます、と微笑み、また私に顔を向け、答えを待つ。
「申し訳ないけど、もう一回言ってくれる?」
最初に動いたのはクミさんだった。小皿に落ちた枝豆を掴み口の中へ入れ、何度も頷いている。クミさんにつられて担当営業さんも動き出し、ビールを一口飲んだ。
さっきのは聞き間違いに違いない。店内が賑やかで聞き取りづらかったせいだ。
そう思ってクミさんは”もう一回”と言ったのだろう。担当営業さんももちろん私もそう思っている。
彼はクミさんを見て、声が小さかったですか?と申し訳なさそうな表情をした。そして口を開いて、もう一度私達に質問を投げかける。
「愛するとはなんでしょうか?」
「お待たせしましたー。フライドポテトと盛り合わせでーす」
親しみやすい口調の店員さんがいる安くて美味しい居酒屋で尋ねられるとは思えない想定外の質問。
やっぱり聞き間違いではなかった。
「…それが話したかったこと?」
「そう。けど社内でそんな話できないだろ?」
「そんな理由で付きまとってたのか?!」
「付きまとって…?」
担当営業さんが声を荒げ、紛らわしい!と怒りだす。
最初からそう言ってくれたら準備することなかったのに!準備って?お前の入る隙はないことを知らしめる資料!え、なに?どういうこと?
彼は担当営業さんの言っていることが本当に分かっていなかった。
「どういうことか聞きたいのこっちよ…」
クミさんは呆れながら砂肝を取った。
私はハツ食べたいです。私はぼんじりを。では私は皮を。もももどうぞ。いただきます。もう一皿注文しときますね。ありがとうございます。
「お二人は同期なんですね」
「はい。私もアオイも転職組ですが、入社日が一緒で」
「年はハルの方が二つ上です」
担当営業さん(ハルさん)は彼(アオイさん)に鋭い目つきを向けて、とっかえひっかえしていても仕事はできる奴なのだと教えてくれた。
“とっかえひっかえ”にクミさんはすぐに反応した。けど今は臨戦態勢とは違い、怪訝そうな表情をしている。
「とっかえひっかえとさっきの質問は関係あるの?」
「もちろんあります」
フライドポテトを五本とってケチャップをつけ口に入れたら、クミさんに頬張りすぎ、と呆れられた。え、と顔を横に向けて前を向くと、ハルさんもアオイさんも一本しかとっていなかった。
次は習って一本にしよう。どっちでもいいだろうけど。
「管理部の女性達が貴女の噂をすごくするものですから、どれだけ愛すればそれほどになれるのか話を聞いてみたくて」
「まぁ、溺愛しているのは間違いないわね」
「話を聞いていると彼氏さんも溺愛してそうですしね」
それはクミさんもハルさんも同じだけど、二人に私には敵わないと言われてしまった。
まぁ、否定したところでこれだけ広まっていたらどうしようもない。もう何も言わないでおこう。
溺愛してるのは事実だし、とフライドポテトを一本とって今度はケチャップをつけずに食べる。
「気になっていたんですけど、どうしてそんな噂が流れているんですか?」
マルコさんを溺愛しているなんて会社で言ったことない。惚気大会参加者のクミさんとハルさんが広めるとは考えられない。
先日の管理部の女性達を思い出しながら、一体どこから…、ともう一本、もう一本、とフライドポテトに手を伸ばし続けていると、アオイさんがゴブサラダを取りながら教えてくれた。
「そちらの部長が管理部の部長に飲みの場で溢したみたいですよ」
まさかの私の上司。
ほとんど社内にいないのに、どうして誇張して広めてしまうのだろう。先週だって、打ち合わせまでは同行してくれたけど、終わってすぐ出張の為に空港へ向かうほど多忙なのに。
「それで?どうしてそんなことを聞きたかったの?」
アオイさんを見ただけで眉間にシワを寄せるクミさんは今も同じ表情をしていた。けどもう今までとは違っている。
ビールでいいですか?ハイボールにします。私もそれを。私は日本酒。了解です。
「小さい頃から”女性は大切にするものだ"と母に言われてまして…」
アオイさんは母子家庭だったそう。母親は父親から酷いことを受けた経験から、アオイさんを優しい人に育てようと思って、”女性には優しくしなさい”と強く伝えていた。
アオイさんはそれを素直に聞き、中学生になった頃には今のように包容力がすごい人になっていたらしい。そのおかげで女性には困らず、男友達に僻まれることはあったけど特に問題はなく、この歳になるまであること以外は特に困ったことがなかった。
「彼女との接し方も変わらずでして…」
「女性全員を大切にしていたら特別な相手との差がなくなった、と」
「ドリンクでーす」
だから三か月以上続いたことがないのだと、アオイさんは眉を下げながら教えてくれた。
年齢も年齢だからと悩んでいた時に私の噂を聞き、話しかけてみたら本当に幸せそうで、話を聞いてみたかったのだと。
アイスルトハナニカ。
アオイさんはハイボールを半分ほど飲みテーブルに置くと、私達を見ながら何かヒントを、と困り顔で見る。
私もハルさんも、うーん…と唸るしかなかった。烏龍茶を飲み、コブサラダを食べ、フライドポテトを三本食べても、アオイさんが求める答えが出そうにない。
「愛…」
「あい…」
「あい盛りですー」
店員さんが焼き鳥盛り合わせを置いた。先ほどと同じ、皮、もも、砂肝、ハツ、ぼんじりの五種盛り。
ぼんじりを取り、ぱくり。弾力のある食感と脂の甘みを感じながら、マルコさんを思い浮かべ、愛、愛、と心の中で何度も言う。
好き!と思うのが愛?
ずっと一緒にいたいと思うのも愛?
私はマルコさんのことが大好き。そこには愛があるはず。だから好きと思うのも、ずっと一緒にいたいと思うのも答えとしては間違っていないと思う。
ハルさんも、好きだぁ…と思うこと、とか、一生離れたくない!と思うこと、とか、私と同じようなことしか思いついていなかった。アオイさんは、それなら聞かなくても知ってるし今までの彼女達に思ったことがあると言う。
「それだけじゃ続かなかったから聞いてるんだが?」
「なんで上から?」
ハルさんとアオイさんがハイボールをおかわり。
これは継続事項にしておこう、と思いつかなくなったハルさんが投げやりに言った。アオイさんがそんなハルさんに真剣に考えろと問い詰めていたが、出てこないものは出てこない、とハルさんが言い返す。
「だから最初から言っておけって言ってんじゃん」
「愛ってなんですか?って会社で聞いてたらヤバい奴だろ」
「できる営業マンが少しぐらいヤバくたっていいだろ」
なんて言い合いを始めてしまった二人を眺めながら、ももも食べようと手を伸ばすとクミさんの手に当たってしまった。クミさんも食べようと思ったみたいで、どうぞ、と譲ると、クミさんはももを取った。
「愛するってことは、」
クミさんは口には入れずに、四つ連なっているももの内二つを小皿に移した。そして、はい、と串を私に差し出してくれる。
「分けてほしいと願えること、かしらね」
◇ ◇ ◇
『料理番組に出てみない?』
『出るわけないだろ!』
革新的な料理が好きな三ツ星レストランの料理長である主人公は、同じメニューを出したがるオーナーといつも衝突していた。
ある日、来店した料理評論家に”冒険しない姿勢”を酷評され、つい感情的になり罵ってしまった。その光景を他のお客にSNSにアップされ炎上し、店をやめざるを得なくなる。広報からこの炎上を利用して番組に出てみたらと提案されたが、彼のプライドが許さなかった。
「サッチやイゾウも大変だよい。自分の出したい料理と求められる料理のギャップはどうしようも…」
「お二人はご自分のお店なので、彼とはちょっと違うかもしれませんね」
天井に映される映像を見ながら、店をやるってのは大変だなぁと、マルコさんはサッチさんやイゾウさんに感心していた。
明日は両親の誕生日会。振舞う料理は決まっているので、今日は明日に備えて体を休めるだけ。けどベッドに入っていざ寝ようとしたらマルコさんが緊張して眠れないと言うので、プロジェクターとスピーカーを持ってきてベッドの上で映画鑑賞会をすることに。
選んだのは三ツ星レストランのシェフが再起するコメディ映画。すごく面白いから料理が楽しくなるのではと思ったのだ。
『途方に暮れているんだ…』
『そこから始めればいいじゃない』
大丈夫、と励ましてくれる店のソムリエに背中を押され、主人公は仕事で蔑ろにしていた家族、息子と元妻と向き合うことに。
『俺が面倒みろって?』
『ちょうどいいじゃない』
仕事を理由に息子との時間を全く取っていなかった主人公に、元妻は父親に息子の顔を見せたいから子守り役として来てほしいと誘い、彼は行くことになった。そこでシンプルなサンドイッチを食べ、俺はこういう料理を作りたかったのだと再発見する。
『調理器具選んでくれるか?』
『いいよ』
「お前さんが初めて俺の家に来た時を思い出すよい」
「マルコさん、興味津々にカゴの中を覗いてましたね」
主人公はあれよあれよと元妻の恋人からフードトラックを貰い、息子と二人でサンドイッチを売るための準備に取り掛かる。
“フライパン、もっと大きいのあるよい?”
“たくさん作らないのでこのぐらいがちょうどいいんですよ”
“鍋もそんな小さくていいのか?”
“十分です”
“こんな長い箸で食べるのか?”
“これは料理するときに使う箸なんですよ”
マルコさんは私の後ろをついてきながら、これとこれの違いは?なんでこっち?と興味津々だった。サラダの材料や油を選ぶ時も、ふんふん、とカゴの中を覗き、こっちの方がいいのか?と私が野菜を取るたびに尋ねてきた。
『だから俺はお前に伝えたい。料理で人をちょっと幸せにできるって』
レジに並んでいる時もずっと物珍しそうにカゴの中を見てたなぁ、とあの時のことを思い出していると、横から視線を感じた。
顔を横に向けると、真剣な表情のマルコさんと目が合った。
「俺はちょっとどころじゃない」
主人公の台詞が引っかかったらしい。
言葉にしてくれることが嬉しくて、手を伸ばしてみるとぐいぐいと頬を押し付けられた。
「初めてお前さんの料理を食べた時のこと、一生忘れないよい」
魚が余りそうだったからとマルコさんに渡したお夕飯セット。
今思うと、店に来るようになってまだ片手が過ぎたぐらいのお客さんに手作り料理を渡した自分が不思議。
もしかしたら、その頃からマルコさんに惹かれていたのかもしれないな。
「食べ終わるのが惜しいぐらいだったよい」
「よく眠れたって言ってましたね」
「胸が満たされたっていうか、安心したというか…」
最低限の物しかない殺風景の家なのに不思議と心が温まる気がして、自分の家にいるのに違う場所にいる感覚になったという。
なんだかすごい誉め言葉を貰った気がして、美味しいものを食べていないのに胸がいっぱいになる。たまらなくてマルコさんに抱きつくと、映画はいいのか?と笑われた。
「最初に会った時って、何か用事があって商店街に来てたんですか?」
「ん?」
「会社もお家も全く違う場所なのに」
こうして幸せな時間を過ごせるから嬉しいけど、ふと疑問に思った。
近くのスーパーにパイナップルがなくて彷徨っていたのかな、なんて普通ならあり得ないけど、パイナップルおじさんだったらあり得なくもない。
「パイナップルがどうしても食べたくて…」
「やっぱり!?」
「はは、流石に嘘だよい」
嘘なんですか、そうですか…。なんでそんなに残念そうなんだよい。
「仕事で近くまで来ていたんだよい」
それで商店街なんて久しぶりだったらなんとなく、と天井を見上げるマルコさんの表情は穏やかだった。マルコさんに抱きつくのはやめて、けど胸に頭を預けるようにして同じように天井を見る。
主人公を酷評していた料理評論家の思惑を知って、マルコさんはもっとやり方があっただろう、と呆れていた。トラックで移動しながらサンドイッチを売り続けた主人公は、最後には自分の作りたい料理を好きなように作れる自分だけのお店を持つことができたのだった。
「面白かったよい」
「ですね」
無性にサンドイッチが食べたくなってしまったけどもう二十四時。明日の朝、近くの喫茶店で食べたいとマルコさんにお願いすると、俺もその口になってる、と言うので行くのが決定。
「明日は喫茶店行って、そのままケーキを買いに行きましょうね」
「ん」
「それで、実家にケーキを置いて…」
「…」
なんて明日の予定を話していたら、マルコさんの表情が固くなってしまった。
今言っては駄目だった、と後悔したけどもう遅い。マルコさんは大丈夫だろうか、と不安になっている。
違うコメディ映画を見て不安な気持ちを吹き飛ばしてもらう?けどきっと、今不安がなくなっても明日の朝になったら同じことになってそう。
うーん…。あ、いい案がある!
「料理する時、サッチさんをイメージしたらいいかもですよ!」
マルコさんは小さい頃からサッチさんの料理姿を見ている。イメージトレーニングは大事だと言うし、料理ができるようになった今なら効果があるかもしれない。
そう思って提案したけど、何故かマルコさんは髪を一つに束ね始めた。一つになった金髪をおでこの方へ垂らし、そのまま私の方へ顔を向ける。
「リーゼント、できてるかよい?」
「ぶふっ…!」
マルコさんは形から入るタイプだったみたい。
◇ ◇ ◇
「お気に召さなかったかな…?」
前に気に入ってくれたナポリタン出す?と、私に尋ねるマスター。
私の向かいに座る人が無表情でもぐもぐしているから口に合わなかったのかと不安になっている様子。
「いえ、緊張しているだけなんです」
「緊張?」
「これから二人で両親に料理を振舞うんですが、マルコさん料理が苦手で…」
今日は起きて、よし、とお家を出て、サンドイッチを食べて、ケーキを買って、一度ケーキを置くために実家に顔を出した。
その時までは、まだ可愛いマルコさんだった。
「こんにちは。今日は…」
「マルコさんの料理、すっごく楽しみにしてるわ」
「待ちきれないなぁ」
両親はお客さんを見送ってすぐにマルコさんに向けて満面の笑みでそう言った。
その言葉でプレッシャーが一気に押し寄せてきて、マルコさんの笑顔は失われてしまったのだ。
「マルコさん、お味はどうですか?」
「ん。甘くて美味いよい」
駄目だ。緊張しすぎて味覚がおかしくなっている。今食べているものはホットドック。甘くない。
食材を買う前にお昼を食べようと、お盆の時にもマルコさんを案内した喫茶店に来ている。扉を開けてすぐ、マルコさんの様子がおかしいことにマスターは気づいていたけど料理を食べればと考えていたみたい。私もお腹が満たされればと期待していたのに、料理ではマルコさんの笑顔は取り戻せなかった。
「これ、サービス」
美味い美味い、といつもよりも小さい口で食べるマルコさんを心配したマスターがプリンを出してくれた。
マルコさんはお礼を言うとティースプーンを手に持った。小鳥が食べるのでは?と思うぐらいの少ない量を掬い、小さく口を開けてプリンを口の中へ。
「どうですか?」
「…ん。辛くて美味いよい」
「…駄目だね」
「駄目ですね」
これは辛口プリンだろ?、なんて言い出すから、マスターは本当に大丈夫?と私を見る。
お盆の時よりも酷くなっているけど、ここまで来てしまったマルコさんはもう逃げることができない。
やるしかないのだ。
「ごちそうさまでした」
「次はいつもの調子でね」
「はい」
レシートを受け取り、お店の入り口まで見送ってくれたマスターが、いいことを教えてあげよう、とマルコさんの肩を軽く叩いた。
「料理で一番大切なことはね、気持ちだよ」
だから大丈夫。二人は君のことをすごく嬉しそうに話してくれるからね。どんな料理もきっと美味しいと言ってくれる。
その言葉にマルコさんの口元が少しゆるんだ。さらに安心させたくてマルコさんの手を取り、にぎにぎしながら美味しいに決まっている、と言葉をかけると、ん、と頷いてくれた。
よし、俺はやるよい。じゃあ食材を買いに行きましょう!
「まぁただ…なんだかんだ味にはうるさいからなぁ」
「ゔ…!」
「マルコさん…!」
「ははは」
昔は料理に文句言われたなぁと、思い出し笑いをしながら扉を閉められ、私達は取り残される。
マルコさんに止めを刺したのはマスターだった。
◇ ◇ ◇
「でははじめましょう!」
「…」
「…何してるんすか?」
「え?…リーゼントに」
「リーゼントはしなくていいです」
髪を一つにまとめておでこの方へ持ってきているマルコさんを止めて、元の髪型に直してもらう。今朝も洗面台で懸命にリーゼントにしようとしていたところを目撃した。その時必死に止めたけど、諦めていなかったみたい。
サッチといえばリーゼントだろ?と言われたらその通りなんだけど、大事なのはサッチさんの料理をするイメージであってリーゼントではない。
ちなみに、マルコさんがするとちょんまげにも見えてしまうのだけど、それは言わないでいる。
「よし、…よし」
マルコさんはまな板ににんじんを置き、ピーラーを持った。
今日作る料理は、ピーラーサラダ、サッチさんから教わったクロダイのアクアパッツァ、野菜のコンソメスープ。
先ずはピーラーサラダから。もう何回作ったか分からない料理なら体が覚えているし緊張が解けるかと思ったけど、マルコさんはピーラーの刃を人参に当てたまま、時間が止まったみたいに固まってしまった。
「代わりましょうか?」
「俺がやる」
マルコさんは、よし、よしと自分に言い聞かせるように何度も言うけど、手は止まったままだ。
マルコさんが両親に料理を振舞うのは二回目。なのに緊張している理由は、あの時は勢いだったのと今日は誕生日会だから、と食材を買っているときにマルコさんが教えてくれた。
大切な人の両親の誕生日。いつも美味い料理をご馳走になっているから、今日はその気持ちも込めて作らないといけないのだ、と。
「…」
そんなに緊張することではないし、何度もマルコさんに伝えているけど両親はどんな料理でも喜ぶ。
けどマルコさんは頭では分かっていても不安がなくなることはなかった。いざまな板の前に立つとさらに不安が募ってくるのだそう。
“俺はちょっとどころじゃない”
マルコさんのピーラーを持つ手に自分の手を重ねてみた。顔を上げると、緊張と不安が混ざっている瞳が私を映している。
たかが料理。
けどマルコさんにとってはすごく大切なこと。
「マルコさんが私の料理で幸せになれるように」
マルコさんの料理は私や両親を幸せにするんですよ。
ほんとに大げさじゃないんですよ、と逆の手を顔の方に伸ばす。すると顔を寄せてくれて、頬を包むことができた。
マルコさんのお父さんも気に入ったサラダです。両親もお盆の時に食べてますから、絶対に美味しいって言ってくれます。
「だから、いつも通り作れば大丈夫です」
「…ん」
マルコさんの表情には、緊張は残っていたけど不安はなくなっていた。
「やるよい」
手を離すとマルコさんはいつものようにスライスを始めた。にんじんを終えて、大根もスライスし、ソースを絡めてサラダは完成。
「できた」
「上手にできましたね」
「へへ」
「次はスープですよ」
「よい」
キャベツは一口大に、じゃがいもはピーラーで皮をむいて一口大に、にんじんは乱切りする。
「ソーセージは何本?」
「二…三本にしましょうか」
ソーセージを食べやすいサイズに切って、次はスープ作り。と言っても鍋に水四カップとコンソメを入れるだけだからマルコさんでも簡単。そこに具材を入れて煮れば完成。
味見を頼めるかよい?はい。…どうだ?ん!美味しいです!
「最後はアクアパッツァです」
「クッキングシートはこれかよい?」
「はい。一枚破ってフライパンに敷いてください」
クッキングシートの上にオリーブオイルとニンニクを入れ、フライパンを温める。その間、マルコさんはまた具材の準備。
貝はどうしたら?表面の汚れを、水を出しながら手で洗ってください。手でごしごし?いえ、こんな感じです。ん。
「いい匂いだよい」
「本当ですね」
クロダイを一尾、クッキングシートの上に載せ片面がこんがりなるまで焼く。その後、クッキングシートを引きながらクロダイをひっくり返した。
反対も焼き付けたらワインを入れ、アルコールが飛んだら水を加えて煮込む。
マルコさん、貝を入れてください。ん。次はトマト。よい。マッシュルームっ。よいっ。ピーマンとパプリカ!よいっ!
「あとは煮込めば完成です!」
「完成!」
パァンッと、マルコさんとハイタッチ。
時計を見るとちょうど店を閉める十五分前だった。
時間配分も完璧、料理も完璧、と嬉しくなって鼻歌を歌いながらテーブルを拭いているとマルコさんが何故か乗ってきて、二人でふんふん合唱。
「念のためアクアパッツァも味見しましょう」
「そうしよう」
匂いだけでも美味しくできたのは分かるけど、念のため。小皿にスープとパプリカを載せてマルコさんに差し出す。
パプリカを食べたマルコさんは、か、と目を見開いて私を見た。これは美味いサイン。自然と口角が上がって、大きく頷き返してしまう。
マルコさんに盛り付けをお願いして、二人でホールケーキにローソクを挿して、と最後の準備をしていると足音が聞こえた。
「やっと今日のメインイベントね!」
「いい匂いだなぁ」
「座って座って」
「いいタイミングです」
まだ食べていないのに笑顔の両親を椅子に促して、ケーキを二人の前に。
「お誕生日おめでとう」
「おめでとうございます」
「ありがとう」
「歳をとるのも悪くないな」
マルコさんと拍手を送ると、照れくさそうに笑った二人が火を消した。
実家に来る前に買った四号サイズのホールケーキ。私以外が胃もたれする年齢なので小さいサイズにしたのだ。
「料理の前に、私達からプレゼント!」
「サッチの店の食事券です」
マルコさんが、どうぞ、と差し出すと、あの包丁さばきの!?と二人は驚いた。私と同じで店がこっちにあると思っていなかったから、味を盗めると嬉しそう。
アクアパッツァはサッチさんに教わったんだよ。なら味わないとな!プロの味、早速いただきましょう!
「…」
「マルコさん」
両手を合わせた両親を見てマルコさんがごくり、と喉を鳴らした。
テーブルの下で両手を握りしめ、ついに…、と緊張の面持ちで二人を見つめるマルコさんの手を取る。大丈夫大丈夫、と手のひらから伝えていると、マルコさんは私の手を挟んでぎゅう、と力強く包んだ。
「「いただきます」」
緊張が全て解けて嬉しそうに笑うマルコさんが見えるまで、あと三秒。
◇ ◇ ◇
「今日はありがとうございました」
「こっちこそ。喜んでもらえてよかった」
マルコさんと作った料理はどれも美味しいと言ってくれた。特にアクアパッツァは、流石プロの味、と感激していた。
マルコさんは美味しそうに食べる両親をずっとニコニコ見ていて、そんな可愛い姿を私達もずっとニコニコ見ていた。
マルコさんも参加した両親の誕生日会はニコニコで終わったのだった。
「気持ち悪くないですか?」
「平気だよい」
ただ酒臭くないか?と不安そうなマルコさんの頬を撫でて、平気です、と微笑むと、へらり、と笑ってくれた。
マルコさんの顔は真っ赤っか。料理を楽しんでお風呂に入った後に父が、俺はこれがメインイベント!、とビール、日本酒、ワインをテーブルに並べ始めたのだ。マルコさんと飲む気満々の父に、マルコさんは、約束通り付き合うと頷いてくれて、日を跨いですぐ父が眠ってしまうまで付き合ってくれた。
「マルコさん、本当に強いですね」
「オヤジの血を継いでるからねい」
マルコさんと、マルコさんのお家のベッドよりも小さいシングルサイズの布団に一緒に入った。前回と違って肌寒い時期だからマルコさんが布団からはみ出さないように自分のベッドで寝ようと思ったけど、マルコさんがぽんぽん、と促すのでお邪魔した。
マルコさんは、酔ってはいるけど眠そうではなかった。優しい表情で私の頭を撫でながら、おでこに唇を寄せてくれて、そのまま頬と唇にもしてくれた。
あ、酒臭く…。ふふ、大丈夫ですよ。
お酒の匂いはするけど、マルコさんの匂いも混ざってるから嫌な匂いじゃない。マルコさんの頬を撫でながら、今日のお礼と臭くないことを伝えたくてキスのお返しをした。
「お前さんに話したいことがあるんだよい」
「?」
マルコさんは頬を撫でていた私の手を取って、指を絡めた。
「オヤジに会いに行く日。考えたんだが、年末でもいいか?」
マルコさんのお父さんはお仕事をされていない、だからいつでもいいと言ってくれたらしい。ただ行くのに飛行機で二時間、さらにそこからバスかレンタカーで二時間半かかる地域に住んでいる。
土日二日間での強行突破もできるけど、私が疲れてしまうのでは、と心配して二泊三日にしようと考えたのだそう。
「ホテルは地元にないから、隣町に泊まるよい」
「マルコさんはご実家で大丈夫ですよ?私一人ホテルで」
「いや、俺は実家に泊まりたくない」
「どうしてですか?」
部屋が余ってないのかな?それとも、本当はあまり仲がよくない?
せっかくだからお父さんとたくさんお話すれば、と思ったら、マルコさんは心底嫌な表情を浮かべながら理由を教えてくれた。
「オヤジのイビキが煩すぎて寝られないんだよい」
騒音レベルのイビキで、地響き起こしているのではないかと思うほどだそう。
お盆の時にエース君から送られてきた、マルコさんの料理を見て泣いている姿を思い浮かべながらイビキをかく姿を想像する。マルコさんは全くイビキをかかないから、そこは違うんだな、と思っていたら、何故かマルコさんが慌てた表情で私を見た。
俺、い、イビキかいてないか?聞いたことないですよ。いつも可愛く寝てます。そ、そうかよい…。
「エース君達にも会えますか?」
「あいつらには会わなくていい」
「空港まで車で迎えに来たりして」
「免許持ってないだろい?」
「エース君、二十歳じゃなかったですっけ?」
「…え?」
二十歳?あいつ酒が飲める歳なのか?とマルコさんは信じられないようだった。
マルコさんが四十過ぎてるのだからエース君だって二十過ぎるのは当然。けど、マルコさんはいつまでもガキだと思っちまう、と苦笑い。
「楽しみにしてますね」
「ん」
あと二か月と少し。楽しみだなぁ。
お父さんだけじゃなくて、他の人達にも料理を食べてもらうのはどうかな?
エース君とルフィ君を誘ったら喜んで来てくれそう。ルフィ君がたくさん食べようとしてお父さんに怒られちゃったりして。
「ふふ」
今日は楽しかった。楽しみな予定がまた増えた。
マルコさんといると楽しいことがいっぱいだなぁ、と胸が温かくなって少しの眠気がやってきた。それに素直に従おうと、マルコさんにおやすみなさい、と伝えようとしたら、不意にマルコさんが握る力を強めてきて、眠気がどこかへ行ってしまう。
「あのよい…」
顔を上げると、酔って潤んだ瞳が私を捉えていた。さっきまでとは違い、険しい表情をしている。
どうしたんだろう?
「もう一つ、伝えたいことがあるんだ」
先週、元カノに会ったんだよい──。
マルコさんが私を、胸の中に閉じ込めるように抱きしめた。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥底から何かが上がってくる感覚に襲われ、マルコさんの胸に顔を押さえつけてしまった。お酒を飲んでいないのに気持ち悪くなりそう。
けど、どこか冷静な自分もいた。
「…そう、だったんですね」
先週のマルコさんの様子はおかしかった。
どうして私が”欲しい”と求めていないのに瞳に陰が顔を出していたのか。一度消えたのに、どうしてお風呂から出てきたらまた現れていたのか。
「先週は本当…」
マルコさんと行った旅行先で出会ったマルコさんの元カノ。
あれから何度か連絡が来て先週会うことになったと言うマルコさんの瞳に陰は見えなかった。アルコールが効いていて奥底に隠れてしまっているのか、今は姿形が見えない。
「別れてから結婚式には参列したが、それ以降は電話番号を変えたから一度も連絡を取ってなかったんだ。あいつ、ずっと引っかかってたみたいでよい…」
彼女はマルコさんと別れてすぐに今の旦那さんと結婚したのだそう。その後、旅行先で出会った女の子が生まれ、今は三人で幸せに暮らしている。
「あいつは、すぐに進めたってのに…」
はは、と小さく笑うマルコさんの瞳が大きく揺れた。私の胸に顔を埋め、先週はすまなかった、と謝られる。
「マルコさんは何も悪くないですよ」
二人の間でどんな会話がされたのかは分からない。
けどきっと、マルコさんは私の知らない時を思い出して、自分だけ先に進んでいない事実を突きつけられたのだろう。どんな気持ちで彼女と話をして、どんな気持ちで一人、お家まで帰ってきたのか、想像しただけで目尻が熱くなる。
「マルコさん」
マルコさんのふわふわの髪を撫でて、名前を呼んだ。恐る恐る顔を上げたマルコさんのおでこにキスをする。
「マルコさん、話してくれてありがとうございます」
隠されるよりもずっといい。陰が現れている理由が分からなくてそばには居られるけど、理由が分かれば私も力になれるから。
「けど、一つわがまま言ってもいいですか?」
「?」
「会う前に、言ってほしかったです」
”今”の彼女として”過去”の彼女に黙って会われていたのは、少し…、すごく嫌だ。
けど、それ以上に、
「これから、もしその女性と会うことがあったら、先に言ってほしいです」
私の知らないところで、マルコさんが一人悲しい辛い思いをしているのはもっと嫌だ。
「マルコさんとずっと一緒にいるのは私なんですからね」
私は、マルコさんが”先に進みたい”と言ってくれたから一緒に進んでいる。
マルコさんが歩けば私も歩く。
走れば速くて追いつけないかもだけど走る。
止まればもちろん止まる。
「約束する」
「マルコさんも、わがまま言いたくなったら言ってください」
マルコさんが私の望みならなんでも叶えたいと思ってくれてるように、私もマルコさんの望みならなんでも叶えたい。
マルコさんはもう一度、大きく頷きながら約束する、と応えてくれた。
「今、わがまま言ってもいいかよい?」
「もちろんですよ」
「一緒に寝たい」
「ふふ、そんなのわがままの内に入らないです」
マルコさんの両頬を包んで笑いかけると、マルコさんの目が細くなった。そして背中に腕が回ってきて引き寄せられ、体温が伝わってくる。
私の体温も伝わるようにできるかぎりくっついて、目を閉じた。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
どうか私の想いが、マルコさんの体の奥まで届きますように。
数分前まで臨戦態勢だったクミさんの手から枝豆が落ち、担当営業さんもグラスを持ったまま固まっている。
私はというと、視線を集める彼からの真剣な眼差しを、ただただ見つめ返すことしかできなかった。
「コブサラダですー」
お待たせしましたー、と店員さんがテーブルの真ん中にコブサラダを置いた。
それに反応できたのは注目の彼だけ。彼はありがとうございます、と微笑み、また私に顔を向け、答えを待つ。
「申し訳ないけど、もう一回言ってくれる?」
最初に動いたのはクミさんだった。小皿に落ちた枝豆を掴み口の中へ入れ、何度も頷いている。クミさんにつられて担当営業さんも動き出し、ビールを一口飲んだ。
さっきのは聞き間違いに違いない。店内が賑やかで聞き取りづらかったせいだ。
そう思ってクミさんは”もう一回”と言ったのだろう。担当営業さんももちろん私もそう思っている。
彼はクミさんを見て、声が小さかったですか?と申し訳なさそうな表情をした。そして口を開いて、もう一度私達に質問を投げかける。
「愛するとはなんでしょうか?」
「お待たせしましたー。フライドポテトと盛り合わせでーす」
親しみやすい口調の店員さんがいる安くて美味しい居酒屋で尋ねられるとは思えない想定外の質問。
やっぱり聞き間違いではなかった。
「…それが話したかったこと?」
「そう。けど社内でそんな話できないだろ?」
「そんな理由で付きまとってたのか?!」
「付きまとって…?」
担当営業さんが声を荒げ、紛らわしい!と怒りだす。
最初からそう言ってくれたら準備することなかったのに!準備って?お前の入る隙はないことを知らしめる資料!え、なに?どういうこと?
彼は担当営業さんの言っていることが本当に分かっていなかった。
「どういうことか聞きたいのこっちよ…」
クミさんは呆れながら砂肝を取った。
私はハツ食べたいです。私はぼんじりを。では私は皮を。もももどうぞ。いただきます。もう一皿注文しときますね。ありがとうございます。
「お二人は同期なんですね」
「はい。私もアオイも転職組ですが、入社日が一緒で」
「年はハルの方が二つ上です」
担当営業さん(ハルさん)は彼(アオイさん)に鋭い目つきを向けて、とっかえひっかえしていても仕事はできる奴なのだと教えてくれた。
“とっかえひっかえ”にクミさんはすぐに反応した。けど今は臨戦態勢とは違い、怪訝そうな表情をしている。
「とっかえひっかえとさっきの質問は関係あるの?」
「もちろんあります」
フライドポテトを五本とってケチャップをつけ口に入れたら、クミさんに頬張りすぎ、と呆れられた。え、と顔を横に向けて前を向くと、ハルさんもアオイさんも一本しかとっていなかった。
次は習って一本にしよう。どっちでもいいだろうけど。
「管理部の女性達が貴女の噂をすごくするものですから、どれだけ愛すればそれほどになれるのか話を聞いてみたくて」
「まぁ、溺愛しているのは間違いないわね」
「話を聞いていると彼氏さんも溺愛してそうですしね」
それはクミさんもハルさんも同じだけど、二人に私には敵わないと言われてしまった。
まぁ、否定したところでこれだけ広まっていたらどうしようもない。もう何も言わないでおこう。
溺愛してるのは事実だし、とフライドポテトを一本とって今度はケチャップをつけずに食べる。
「気になっていたんですけど、どうしてそんな噂が流れているんですか?」
マルコさんを溺愛しているなんて会社で言ったことない。惚気大会参加者のクミさんとハルさんが広めるとは考えられない。
先日の管理部の女性達を思い出しながら、一体どこから…、ともう一本、もう一本、とフライドポテトに手を伸ばし続けていると、アオイさんがゴブサラダを取りながら教えてくれた。
「そちらの部長が管理部の部長に飲みの場で溢したみたいですよ」
まさかの私の上司。
ほとんど社内にいないのに、どうして誇張して広めてしまうのだろう。先週だって、打ち合わせまでは同行してくれたけど、終わってすぐ出張の為に空港へ向かうほど多忙なのに。
「それで?どうしてそんなことを聞きたかったの?」
アオイさんを見ただけで眉間にシワを寄せるクミさんは今も同じ表情をしていた。けどもう今までとは違っている。
ビールでいいですか?ハイボールにします。私もそれを。私は日本酒。了解です。
「小さい頃から”女性は大切にするものだ"と母に言われてまして…」
アオイさんは母子家庭だったそう。母親は父親から酷いことを受けた経験から、アオイさんを優しい人に育てようと思って、”女性には優しくしなさい”と強く伝えていた。
アオイさんはそれを素直に聞き、中学生になった頃には今のように包容力がすごい人になっていたらしい。そのおかげで女性には困らず、男友達に僻まれることはあったけど特に問題はなく、この歳になるまであること以外は特に困ったことがなかった。
「彼女との接し方も変わらずでして…」
「女性全員を大切にしていたら特別な相手との差がなくなった、と」
「ドリンクでーす」
だから三か月以上続いたことがないのだと、アオイさんは眉を下げながら教えてくれた。
年齢も年齢だからと悩んでいた時に私の噂を聞き、話しかけてみたら本当に幸せそうで、話を聞いてみたかったのだと。
アイスルトハナニカ。
アオイさんはハイボールを半分ほど飲みテーブルに置くと、私達を見ながら何かヒントを、と困り顔で見る。
私もハルさんも、うーん…と唸るしかなかった。烏龍茶を飲み、コブサラダを食べ、フライドポテトを三本食べても、アオイさんが求める答えが出そうにない。
「愛…」
「あい…」
「あい盛りですー」
店員さんが焼き鳥盛り合わせを置いた。先ほどと同じ、皮、もも、砂肝、ハツ、ぼんじりの五種盛り。
ぼんじりを取り、ぱくり。弾力のある食感と脂の甘みを感じながら、マルコさんを思い浮かべ、愛、愛、と心の中で何度も言う。
好き!と思うのが愛?
ずっと一緒にいたいと思うのも愛?
私はマルコさんのことが大好き。そこには愛があるはず。だから好きと思うのも、ずっと一緒にいたいと思うのも答えとしては間違っていないと思う。
ハルさんも、好きだぁ…と思うこと、とか、一生離れたくない!と思うこと、とか、私と同じようなことしか思いついていなかった。アオイさんは、それなら聞かなくても知ってるし今までの彼女達に思ったことがあると言う。
「それだけじゃ続かなかったから聞いてるんだが?」
「なんで上から?」
ハルさんとアオイさんがハイボールをおかわり。
これは継続事項にしておこう、と思いつかなくなったハルさんが投げやりに言った。アオイさんがそんなハルさんに真剣に考えろと問い詰めていたが、出てこないものは出てこない、とハルさんが言い返す。
「だから最初から言っておけって言ってんじゃん」
「愛ってなんですか?って会社で聞いてたらヤバい奴だろ」
「できる営業マンが少しぐらいヤバくたっていいだろ」
なんて言い合いを始めてしまった二人を眺めながら、ももも食べようと手を伸ばすとクミさんの手に当たってしまった。クミさんも食べようと思ったみたいで、どうぞ、と譲ると、クミさんはももを取った。
「愛するってことは、」
クミさんは口には入れずに、四つ連なっているももの内二つを小皿に移した。そして、はい、と串を私に差し出してくれる。
「分けてほしいと願えること、かしらね」
◇ ◇ ◇
『料理番組に出てみない?』
『出るわけないだろ!』
革新的な料理が好きな三ツ星レストランの料理長である主人公は、同じメニューを出したがるオーナーといつも衝突していた。
ある日、来店した料理評論家に”冒険しない姿勢”を酷評され、つい感情的になり罵ってしまった。その光景を他のお客にSNSにアップされ炎上し、店をやめざるを得なくなる。広報からこの炎上を利用して番組に出てみたらと提案されたが、彼のプライドが許さなかった。
「サッチやイゾウも大変だよい。自分の出したい料理と求められる料理のギャップはどうしようも…」
「お二人はご自分のお店なので、彼とはちょっと違うかもしれませんね」
天井に映される映像を見ながら、店をやるってのは大変だなぁと、マルコさんはサッチさんやイゾウさんに感心していた。
明日は両親の誕生日会。振舞う料理は決まっているので、今日は明日に備えて体を休めるだけ。けどベッドに入っていざ寝ようとしたらマルコさんが緊張して眠れないと言うので、プロジェクターとスピーカーを持ってきてベッドの上で映画鑑賞会をすることに。
選んだのは三ツ星レストランのシェフが再起するコメディ映画。すごく面白いから料理が楽しくなるのではと思ったのだ。
『途方に暮れているんだ…』
『そこから始めればいいじゃない』
大丈夫、と励ましてくれる店のソムリエに背中を押され、主人公は仕事で蔑ろにしていた家族、息子と元妻と向き合うことに。
『俺が面倒みろって?』
『ちょうどいいじゃない』
仕事を理由に息子との時間を全く取っていなかった主人公に、元妻は父親に息子の顔を見せたいから子守り役として来てほしいと誘い、彼は行くことになった。そこでシンプルなサンドイッチを食べ、俺はこういう料理を作りたかったのだと再発見する。
『調理器具選んでくれるか?』
『いいよ』
「お前さんが初めて俺の家に来た時を思い出すよい」
「マルコさん、興味津々にカゴの中を覗いてましたね」
主人公はあれよあれよと元妻の恋人からフードトラックを貰い、息子と二人でサンドイッチを売るための準備に取り掛かる。
“フライパン、もっと大きいのあるよい?”
“たくさん作らないのでこのぐらいがちょうどいいんですよ”
“鍋もそんな小さくていいのか?”
“十分です”
“こんな長い箸で食べるのか?”
“これは料理するときに使う箸なんですよ”
マルコさんは私の後ろをついてきながら、これとこれの違いは?なんでこっち?と興味津々だった。サラダの材料や油を選ぶ時も、ふんふん、とカゴの中を覗き、こっちの方がいいのか?と私が野菜を取るたびに尋ねてきた。
『だから俺はお前に伝えたい。料理で人をちょっと幸せにできるって』
レジに並んでいる時もずっと物珍しそうにカゴの中を見てたなぁ、とあの時のことを思い出していると、横から視線を感じた。
顔を横に向けると、真剣な表情のマルコさんと目が合った。
「俺はちょっとどころじゃない」
主人公の台詞が引っかかったらしい。
言葉にしてくれることが嬉しくて、手を伸ばしてみるとぐいぐいと頬を押し付けられた。
「初めてお前さんの料理を食べた時のこと、一生忘れないよい」
魚が余りそうだったからとマルコさんに渡したお夕飯セット。
今思うと、店に来るようになってまだ片手が過ぎたぐらいのお客さんに手作り料理を渡した自分が不思議。
もしかしたら、その頃からマルコさんに惹かれていたのかもしれないな。
「食べ終わるのが惜しいぐらいだったよい」
「よく眠れたって言ってましたね」
「胸が満たされたっていうか、安心したというか…」
最低限の物しかない殺風景の家なのに不思議と心が温まる気がして、自分の家にいるのに違う場所にいる感覚になったという。
なんだかすごい誉め言葉を貰った気がして、美味しいものを食べていないのに胸がいっぱいになる。たまらなくてマルコさんに抱きつくと、映画はいいのか?と笑われた。
「最初に会った時って、何か用事があって商店街に来てたんですか?」
「ん?」
「会社もお家も全く違う場所なのに」
こうして幸せな時間を過ごせるから嬉しいけど、ふと疑問に思った。
近くのスーパーにパイナップルがなくて彷徨っていたのかな、なんて普通ならあり得ないけど、パイナップルおじさんだったらあり得なくもない。
「パイナップルがどうしても食べたくて…」
「やっぱり!?」
「はは、流石に嘘だよい」
嘘なんですか、そうですか…。なんでそんなに残念そうなんだよい。
「仕事で近くまで来ていたんだよい」
それで商店街なんて久しぶりだったらなんとなく、と天井を見上げるマルコさんの表情は穏やかだった。マルコさんに抱きつくのはやめて、けど胸に頭を預けるようにして同じように天井を見る。
主人公を酷評していた料理評論家の思惑を知って、マルコさんはもっとやり方があっただろう、と呆れていた。トラックで移動しながらサンドイッチを売り続けた主人公は、最後には自分の作りたい料理を好きなように作れる自分だけのお店を持つことができたのだった。
「面白かったよい」
「ですね」
無性にサンドイッチが食べたくなってしまったけどもう二十四時。明日の朝、近くの喫茶店で食べたいとマルコさんにお願いすると、俺もその口になってる、と言うので行くのが決定。
「明日は喫茶店行って、そのままケーキを買いに行きましょうね」
「ん」
「それで、実家にケーキを置いて…」
「…」
なんて明日の予定を話していたら、マルコさんの表情が固くなってしまった。
今言っては駄目だった、と後悔したけどもう遅い。マルコさんは大丈夫だろうか、と不安になっている。
違うコメディ映画を見て不安な気持ちを吹き飛ばしてもらう?けどきっと、今不安がなくなっても明日の朝になったら同じことになってそう。
うーん…。あ、いい案がある!
「料理する時、サッチさんをイメージしたらいいかもですよ!」
マルコさんは小さい頃からサッチさんの料理姿を見ている。イメージトレーニングは大事だと言うし、料理ができるようになった今なら効果があるかもしれない。
そう思って提案したけど、何故かマルコさんは髪を一つに束ね始めた。一つになった金髪をおでこの方へ垂らし、そのまま私の方へ顔を向ける。
「リーゼント、できてるかよい?」
「ぶふっ…!」
マルコさんは形から入るタイプだったみたい。
◇ ◇ ◇
「お気に召さなかったかな…?」
前に気に入ってくれたナポリタン出す?と、私に尋ねるマスター。
私の向かいに座る人が無表情でもぐもぐしているから口に合わなかったのかと不安になっている様子。
「いえ、緊張しているだけなんです」
「緊張?」
「これから二人で両親に料理を振舞うんですが、マルコさん料理が苦手で…」
今日は起きて、よし、とお家を出て、サンドイッチを食べて、ケーキを買って、一度ケーキを置くために実家に顔を出した。
その時までは、まだ可愛いマルコさんだった。
「こんにちは。今日は…」
「マルコさんの料理、すっごく楽しみにしてるわ」
「待ちきれないなぁ」
両親はお客さんを見送ってすぐにマルコさんに向けて満面の笑みでそう言った。
その言葉でプレッシャーが一気に押し寄せてきて、マルコさんの笑顔は失われてしまったのだ。
「マルコさん、お味はどうですか?」
「ん。甘くて美味いよい」
駄目だ。緊張しすぎて味覚がおかしくなっている。今食べているものはホットドック。甘くない。
食材を買う前にお昼を食べようと、お盆の時にもマルコさんを案内した喫茶店に来ている。扉を開けてすぐ、マルコさんの様子がおかしいことにマスターは気づいていたけど料理を食べればと考えていたみたい。私もお腹が満たされればと期待していたのに、料理ではマルコさんの笑顔は取り戻せなかった。
「これ、サービス」
美味い美味い、といつもよりも小さい口で食べるマルコさんを心配したマスターがプリンを出してくれた。
マルコさんはお礼を言うとティースプーンを手に持った。小鳥が食べるのでは?と思うぐらいの少ない量を掬い、小さく口を開けてプリンを口の中へ。
「どうですか?」
「…ん。辛くて美味いよい」
「…駄目だね」
「駄目ですね」
これは辛口プリンだろ?、なんて言い出すから、マスターは本当に大丈夫?と私を見る。
お盆の時よりも酷くなっているけど、ここまで来てしまったマルコさんはもう逃げることができない。
やるしかないのだ。
「ごちそうさまでした」
「次はいつもの調子でね」
「はい」
レシートを受け取り、お店の入り口まで見送ってくれたマスターが、いいことを教えてあげよう、とマルコさんの肩を軽く叩いた。
「料理で一番大切なことはね、気持ちだよ」
だから大丈夫。二人は君のことをすごく嬉しそうに話してくれるからね。どんな料理もきっと美味しいと言ってくれる。
その言葉にマルコさんの口元が少しゆるんだ。さらに安心させたくてマルコさんの手を取り、にぎにぎしながら美味しいに決まっている、と言葉をかけると、ん、と頷いてくれた。
よし、俺はやるよい。じゃあ食材を買いに行きましょう!
「まぁただ…なんだかんだ味にはうるさいからなぁ」
「ゔ…!」
「マルコさん…!」
「ははは」
昔は料理に文句言われたなぁと、思い出し笑いをしながら扉を閉められ、私達は取り残される。
マルコさんに止めを刺したのはマスターだった。
◇ ◇ ◇
「でははじめましょう!」
「…」
「…何してるんすか?」
「え?…リーゼントに」
「リーゼントはしなくていいです」
髪を一つにまとめておでこの方へ持ってきているマルコさんを止めて、元の髪型に直してもらう。今朝も洗面台で懸命にリーゼントにしようとしていたところを目撃した。その時必死に止めたけど、諦めていなかったみたい。
サッチといえばリーゼントだろ?と言われたらその通りなんだけど、大事なのはサッチさんの料理をするイメージであってリーゼントではない。
ちなみに、マルコさんがするとちょんまげにも見えてしまうのだけど、それは言わないでいる。
「よし、…よし」
マルコさんはまな板ににんじんを置き、ピーラーを持った。
今日作る料理は、ピーラーサラダ、サッチさんから教わったクロダイのアクアパッツァ、野菜のコンソメスープ。
先ずはピーラーサラダから。もう何回作ったか分からない料理なら体が覚えているし緊張が解けるかと思ったけど、マルコさんはピーラーの刃を人参に当てたまま、時間が止まったみたいに固まってしまった。
「代わりましょうか?」
「俺がやる」
マルコさんは、よし、よしと自分に言い聞かせるように何度も言うけど、手は止まったままだ。
マルコさんが両親に料理を振舞うのは二回目。なのに緊張している理由は、あの時は勢いだったのと今日は誕生日会だから、と食材を買っているときにマルコさんが教えてくれた。
大切な人の両親の誕生日。いつも美味い料理をご馳走になっているから、今日はその気持ちも込めて作らないといけないのだ、と。
「…」
そんなに緊張することではないし、何度もマルコさんに伝えているけど両親はどんな料理でも喜ぶ。
けどマルコさんは頭では分かっていても不安がなくなることはなかった。いざまな板の前に立つとさらに不安が募ってくるのだそう。
“俺はちょっとどころじゃない”
マルコさんのピーラーを持つ手に自分の手を重ねてみた。顔を上げると、緊張と不安が混ざっている瞳が私を映している。
たかが料理。
けどマルコさんにとってはすごく大切なこと。
「マルコさんが私の料理で幸せになれるように」
マルコさんの料理は私や両親を幸せにするんですよ。
ほんとに大げさじゃないんですよ、と逆の手を顔の方に伸ばす。すると顔を寄せてくれて、頬を包むことができた。
マルコさんのお父さんも気に入ったサラダです。両親もお盆の時に食べてますから、絶対に美味しいって言ってくれます。
「だから、いつも通り作れば大丈夫です」
「…ん」
マルコさんの表情には、緊張は残っていたけど不安はなくなっていた。
「やるよい」
手を離すとマルコさんはいつものようにスライスを始めた。にんじんを終えて、大根もスライスし、ソースを絡めてサラダは完成。
「できた」
「上手にできましたね」
「へへ」
「次はスープですよ」
「よい」
キャベツは一口大に、じゃがいもはピーラーで皮をむいて一口大に、にんじんは乱切りする。
「ソーセージは何本?」
「二…三本にしましょうか」
ソーセージを食べやすいサイズに切って、次はスープ作り。と言っても鍋に水四カップとコンソメを入れるだけだからマルコさんでも簡単。そこに具材を入れて煮れば完成。
味見を頼めるかよい?はい。…どうだ?ん!美味しいです!
「最後はアクアパッツァです」
「クッキングシートはこれかよい?」
「はい。一枚破ってフライパンに敷いてください」
クッキングシートの上にオリーブオイルとニンニクを入れ、フライパンを温める。その間、マルコさんはまた具材の準備。
貝はどうしたら?表面の汚れを、水を出しながら手で洗ってください。手でごしごし?いえ、こんな感じです。ん。
「いい匂いだよい」
「本当ですね」
クロダイを一尾、クッキングシートの上に載せ片面がこんがりなるまで焼く。その後、クッキングシートを引きながらクロダイをひっくり返した。
反対も焼き付けたらワインを入れ、アルコールが飛んだら水を加えて煮込む。
マルコさん、貝を入れてください。ん。次はトマト。よい。マッシュルームっ。よいっ。ピーマンとパプリカ!よいっ!
「あとは煮込めば完成です!」
「完成!」
パァンッと、マルコさんとハイタッチ。
時計を見るとちょうど店を閉める十五分前だった。
時間配分も完璧、料理も完璧、と嬉しくなって鼻歌を歌いながらテーブルを拭いているとマルコさんが何故か乗ってきて、二人でふんふん合唱。
「念のためアクアパッツァも味見しましょう」
「そうしよう」
匂いだけでも美味しくできたのは分かるけど、念のため。小皿にスープとパプリカを載せてマルコさんに差し出す。
パプリカを食べたマルコさんは、か、と目を見開いて私を見た。これは美味いサイン。自然と口角が上がって、大きく頷き返してしまう。
マルコさんに盛り付けをお願いして、二人でホールケーキにローソクを挿して、と最後の準備をしていると足音が聞こえた。
「やっと今日のメインイベントね!」
「いい匂いだなぁ」
「座って座って」
「いいタイミングです」
まだ食べていないのに笑顔の両親を椅子に促して、ケーキを二人の前に。
「お誕生日おめでとう」
「おめでとうございます」
「ありがとう」
「歳をとるのも悪くないな」
マルコさんと拍手を送ると、照れくさそうに笑った二人が火を消した。
実家に来る前に買った四号サイズのホールケーキ。私以外が胃もたれする年齢なので小さいサイズにしたのだ。
「料理の前に、私達からプレゼント!」
「サッチの店の食事券です」
マルコさんが、どうぞ、と差し出すと、あの包丁さばきの!?と二人は驚いた。私と同じで店がこっちにあると思っていなかったから、味を盗めると嬉しそう。
アクアパッツァはサッチさんに教わったんだよ。なら味わないとな!プロの味、早速いただきましょう!
「…」
「マルコさん」
両手を合わせた両親を見てマルコさんがごくり、と喉を鳴らした。
テーブルの下で両手を握りしめ、ついに…、と緊張の面持ちで二人を見つめるマルコさんの手を取る。大丈夫大丈夫、と手のひらから伝えていると、マルコさんは私の手を挟んでぎゅう、と力強く包んだ。
「「いただきます」」
緊張が全て解けて嬉しそうに笑うマルコさんが見えるまで、あと三秒。
◇ ◇ ◇
「今日はありがとうございました」
「こっちこそ。喜んでもらえてよかった」
マルコさんと作った料理はどれも美味しいと言ってくれた。特にアクアパッツァは、流石プロの味、と感激していた。
マルコさんは美味しそうに食べる両親をずっとニコニコ見ていて、そんな可愛い姿を私達もずっとニコニコ見ていた。
マルコさんも参加した両親の誕生日会はニコニコで終わったのだった。
「気持ち悪くないですか?」
「平気だよい」
ただ酒臭くないか?と不安そうなマルコさんの頬を撫でて、平気です、と微笑むと、へらり、と笑ってくれた。
マルコさんの顔は真っ赤っか。料理を楽しんでお風呂に入った後に父が、俺はこれがメインイベント!、とビール、日本酒、ワインをテーブルに並べ始めたのだ。マルコさんと飲む気満々の父に、マルコさんは、約束通り付き合うと頷いてくれて、日を跨いですぐ父が眠ってしまうまで付き合ってくれた。
「マルコさん、本当に強いですね」
「オヤジの血を継いでるからねい」
マルコさんと、マルコさんのお家のベッドよりも小さいシングルサイズの布団に一緒に入った。前回と違って肌寒い時期だからマルコさんが布団からはみ出さないように自分のベッドで寝ようと思ったけど、マルコさんがぽんぽん、と促すのでお邪魔した。
マルコさんは、酔ってはいるけど眠そうではなかった。優しい表情で私の頭を撫でながら、おでこに唇を寄せてくれて、そのまま頬と唇にもしてくれた。
あ、酒臭く…。ふふ、大丈夫ですよ。
お酒の匂いはするけど、マルコさんの匂いも混ざってるから嫌な匂いじゃない。マルコさんの頬を撫でながら、今日のお礼と臭くないことを伝えたくてキスのお返しをした。
「お前さんに話したいことがあるんだよい」
「?」
マルコさんは頬を撫でていた私の手を取って、指を絡めた。
「オヤジに会いに行く日。考えたんだが、年末でもいいか?」
マルコさんのお父さんはお仕事をされていない、だからいつでもいいと言ってくれたらしい。ただ行くのに飛行機で二時間、さらにそこからバスかレンタカーで二時間半かかる地域に住んでいる。
土日二日間での強行突破もできるけど、私が疲れてしまうのでは、と心配して二泊三日にしようと考えたのだそう。
「ホテルは地元にないから、隣町に泊まるよい」
「マルコさんはご実家で大丈夫ですよ?私一人ホテルで」
「いや、俺は実家に泊まりたくない」
「どうしてですか?」
部屋が余ってないのかな?それとも、本当はあまり仲がよくない?
せっかくだからお父さんとたくさんお話すれば、と思ったら、マルコさんは心底嫌な表情を浮かべながら理由を教えてくれた。
「オヤジのイビキが煩すぎて寝られないんだよい」
騒音レベルのイビキで、地響き起こしているのではないかと思うほどだそう。
お盆の時にエース君から送られてきた、マルコさんの料理を見て泣いている姿を思い浮かべながらイビキをかく姿を想像する。マルコさんは全くイビキをかかないから、そこは違うんだな、と思っていたら、何故かマルコさんが慌てた表情で私を見た。
俺、い、イビキかいてないか?聞いたことないですよ。いつも可愛く寝てます。そ、そうかよい…。
「エース君達にも会えますか?」
「あいつらには会わなくていい」
「空港まで車で迎えに来たりして」
「免許持ってないだろい?」
「エース君、二十歳じゃなかったですっけ?」
「…え?」
二十歳?あいつ酒が飲める歳なのか?とマルコさんは信じられないようだった。
マルコさんが四十過ぎてるのだからエース君だって二十過ぎるのは当然。けど、マルコさんはいつまでもガキだと思っちまう、と苦笑い。
「楽しみにしてますね」
「ん」
あと二か月と少し。楽しみだなぁ。
お父さんだけじゃなくて、他の人達にも料理を食べてもらうのはどうかな?
エース君とルフィ君を誘ったら喜んで来てくれそう。ルフィ君がたくさん食べようとしてお父さんに怒られちゃったりして。
「ふふ」
今日は楽しかった。楽しみな予定がまた増えた。
マルコさんといると楽しいことがいっぱいだなぁ、と胸が温かくなって少しの眠気がやってきた。それに素直に従おうと、マルコさんにおやすみなさい、と伝えようとしたら、不意にマルコさんが握る力を強めてきて、眠気がどこかへ行ってしまう。
「あのよい…」
顔を上げると、酔って潤んだ瞳が私を捉えていた。さっきまでとは違い、険しい表情をしている。
どうしたんだろう?
「もう一つ、伝えたいことがあるんだ」
先週、元カノに会ったんだよい──。
マルコさんが私を、胸の中に閉じ込めるように抱きしめた。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥底から何かが上がってくる感覚に襲われ、マルコさんの胸に顔を押さえつけてしまった。お酒を飲んでいないのに気持ち悪くなりそう。
けど、どこか冷静な自分もいた。
「…そう、だったんですね」
先週のマルコさんの様子はおかしかった。
どうして私が”欲しい”と求めていないのに瞳に陰が顔を出していたのか。一度消えたのに、どうしてお風呂から出てきたらまた現れていたのか。
「先週は本当…」
マルコさんと行った旅行先で出会ったマルコさんの元カノ。
あれから何度か連絡が来て先週会うことになったと言うマルコさんの瞳に陰は見えなかった。アルコールが効いていて奥底に隠れてしまっているのか、今は姿形が見えない。
「別れてから結婚式には参列したが、それ以降は電話番号を変えたから一度も連絡を取ってなかったんだ。あいつ、ずっと引っかかってたみたいでよい…」
彼女はマルコさんと別れてすぐに今の旦那さんと結婚したのだそう。その後、旅行先で出会った女の子が生まれ、今は三人で幸せに暮らしている。
「あいつは、すぐに進めたってのに…」
はは、と小さく笑うマルコさんの瞳が大きく揺れた。私の胸に顔を埋め、先週はすまなかった、と謝られる。
「マルコさんは何も悪くないですよ」
二人の間でどんな会話がされたのかは分からない。
けどきっと、マルコさんは私の知らない時を思い出して、自分だけ先に進んでいない事実を突きつけられたのだろう。どんな気持ちで彼女と話をして、どんな気持ちで一人、お家まで帰ってきたのか、想像しただけで目尻が熱くなる。
「マルコさん」
マルコさんのふわふわの髪を撫でて、名前を呼んだ。恐る恐る顔を上げたマルコさんのおでこにキスをする。
「マルコさん、話してくれてありがとうございます」
隠されるよりもずっといい。陰が現れている理由が分からなくてそばには居られるけど、理由が分かれば私も力になれるから。
「けど、一つわがまま言ってもいいですか?」
「?」
「会う前に、言ってほしかったです」
”今”の彼女として”過去”の彼女に黙って会われていたのは、少し…、すごく嫌だ。
けど、それ以上に、
「これから、もしその女性と会うことがあったら、先に言ってほしいです」
私の知らないところで、マルコさんが一人悲しい辛い思いをしているのはもっと嫌だ。
「マルコさんとずっと一緒にいるのは私なんですからね」
私は、マルコさんが”先に進みたい”と言ってくれたから一緒に進んでいる。
マルコさんが歩けば私も歩く。
走れば速くて追いつけないかもだけど走る。
止まればもちろん止まる。
「約束する」
「マルコさんも、わがまま言いたくなったら言ってください」
マルコさんが私の望みならなんでも叶えたいと思ってくれてるように、私もマルコさんの望みならなんでも叶えたい。
マルコさんはもう一度、大きく頷きながら約束する、と応えてくれた。
「今、わがまま言ってもいいかよい?」
「もちろんですよ」
「一緒に寝たい」
「ふふ、そんなのわがままの内に入らないです」
マルコさんの両頬を包んで笑いかけると、マルコさんの目が細くなった。そして背中に腕が回ってきて引き寄せられ、体温が伝わってくる。
私の体温も伝わるようにできるかぎりくっついて、目を閉じた。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
どうか私の想いが、マルコさんの体の奥まで届きますように。
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