パイナップルからはじまる恋
「食事に行きませんか?」
打ち合わせから戻ってすぐ、担当営業さんに声をかけられた。打ち合わせ内容の報告をしてスケジュールに問題ないことを話すと、眉尻を下げながらそう尋ねられる。
「惚気大会ですか?でしたらクミさんにも確認して」
「いえ、できれば夜の方がよくて…」
担当営業さんは、今週が駄目なら来週でも大丈夫、クミさんもご一緒に、と控えめな声で言葉を続ける。
夜の惚気大会はしたことがなかったけどクミさんの都合がつけば大丈夫。けどどうしてそんな表情をしているのか気になり理由を尋ねようとすると、担当営業さんが話を続けてくれた。
「彼が、話をしたいと言うんです」
すいません、私では彼に敵わず、と眉尻がどんどん下がって、なんだか悔しそうな悲しそうな表情になり、頭も下がって、すみません…、と謝られる。
「どうしたんですか?そんな謝るようなこと」
「彼に助けられ、その代わりにと…」
担当営業さんは、顔を上げて私ではなく違う方向を見た。その先には、例の営業さん(三十五話登場)が。
彼は真剣に営業部長と話し込んでいた。けど私達の視線に気づいて一瞬だけ優しく微笑み、また真剣な表情で営業部長の方を見る。そんな彼を、担当営業さんは鋭く見据えた。
「彼氏さんをどれだけ溺愛しているか、語ってくださいね!」
「え」
「付き合う前の貴女がどれだけ辛そうだったか、付き合ってからどれだけ幸せそうか、私も語りますから!」
担当営業さんは彼に思い知らせてやりましょう、と急に臨戦の雰囲気を纏った。そして鼻息荒く、契約を取ってきます!と言うので笑顔で見送り、途中、何人かと仕事の話をして、自分のデスクに到着。
「戻りました」
「お帰りなさい」
デスクに鞄を置いて、パソコンとタブレットと充電器とマウスを鞄から出しながらクミさんに声をかける。
「クミさんにご相談が、あ」
「どうしたの?」
「タブレット、なんとかもったなって」
ペーパーレスはいいことだけど、パソコンもタブレットも両方の充電器も持ち歩くなんて重たくて仕方がない。今日はタブレットの充電器を忘れてしまったから、長時間の打ち合わせがもつか不安だったけど頑張ってくれた。
パソコンを立ち上げ充電器に繋いで、モニターに繋ぐ。よいしょ、と椅子に座ると、まだ若いんだから、とクミさんに言われてしまった。けど重い荷物を持ち歩いたから言いたくなる。充電が切れてしまったタブレットを充電器に繋いでると、相談ってなに?仕事のこと?とクミさんが話題を戻してくれた。
「夜の惚気大会を開催しませんか?」
「ランチじゃなくて?」
「はい。実は…」
パソコン画面を見ながら耳を傾けてくれていたクミさんは、担当営業さんが誘ってくれたこと、昼ではなくて夜がいいこと、まではふんふんと聞いていたけど、”例の営業さん”を声に出した瞬間、は?とこちらを見た。そして担当営業さんと同じ雰囲気を纏い始める。
「遂に来たわね」
攻め方を変えてきたのね。外野がいても落とせるって?
「あのクミさん、」
「受けて立とうじゃない」
クミさんも担当営業さんと同じで目が据わっていた。いつも通りの惚気大会をすればいいので、といつものクミさんに戻ってもらおうとするけど、一度ついてしまった火は消えてくれない。それどころか、じわじわと大きくなっていた。
「あの、家族のこともありますし無理せず…」
「これはいい機会よ」
不本意だけど参戦するわ。最近は視界に入ってくることが多いから嫌だったのよ。
なんだか私情が入っている気がしなくもない。
クミさんはあんな奴のせいで仕事の手を止めるもの嫌、と視線を再び画面に戻す。
「私は来週がいいんですが…」
「私はいつでも大丈夫よ」
クミさんは、準備運動をしっかりしておくから、と口を動かしながらキーボードを打つ。その指が鳴らす音がいつもよりも大きいのは気のせいではないと思う。
「”相手を想う”ことがどういうことか、教えてあげるわ」
クミさんはエンターキーを強く叩いた。
◇ ◇ ◇
『自慢したくてメッセージくれたわけ?』
「そうじゃなくて。スピーチ頑張るよって話」
『ふぅん』
枕元のスマホのスピーカーから、マルコさんの好みが分かっちゃうわけか、とアスカの楽しそうな声が聞こえる。
アスカの結婚式まであと二か月。まだ二か月もあるけどあっという間なのだろう。アスカも準備に追われてあっという間だった、残り二か月しかない、と時間の短さを感じている。
『二の腕がなかなか細くならなくて…』
「冬なのに二の腕を出すの?」
『長袖だけどレースだからね』
少しでも綺麗に見せたいアスカは筋トレ、エステなど自分磨きにも勤しんでいた。この年になっても顔にニキビができるからお菓子も食べていないらしく、結婚式が終わったらホテルのスイーツビュッフェへ行きたいと嘆くので予定を合わせる。
『相変わらず可愛いマルコさんなの?』
「うん。日に日に可愛さが増してるよ」
『それ、褒めてるのよね?』
「めっちゃ褒めてる」
先週のピーナッツを拳で潰す姿が可愛かったことを教えると、あんたの感性はやっぱり分からない、と呆れられた。
『マルコさんって素直な人ね。ナオだったら、できないことは恥ずかしがってしたがらないよ』
「そうなの?」
『それを必死で隠そうとするのが面白いんだけどね』
男性は強くありたいって思う人が多いでしょ?と言うアスカの言葉を聞いて、なんとなくサイドテーブルにあるアデニウム・オベスムに視線を向ける。
マルコさんが選んでくれたこの子は元気に育っていた。寒さに弱い植物だから冬を越せるか不安だけど、しっかりお世話をするつもり。
「私さ」
『うん?』
「マルコさんとずっと一緒にいるよ」
マルコさんが強いとか弱いとかは、どっちでもいい。どっちかしかなくても、どっちもあってもいい。ずっと一緒にいるのは変わらないから。
『"ずっと一緒"の先は?』
「分かんない」
『分かんないのか』
「うん。けど、ずっと一緒にいる」
何回か掴めていた輪郭は、最近は見えなくなっていた。けど輪郭が見えなくても不安にならない。マルコさんと過ごす時間は幸せだから、それだけで十分。
『よく知らないけどさ』
「うん?」
『それでいいんじゃない?』
なんか私よりも先に行ってる気がする…。え、私はいつも隣歩いてるよ?…なんかこんな会話前もしなかったっけ?うん、したね。
『スピーチ、期待してるから』
「号泣させてあげるよ」
『メイクが崩れるからやめて』
「大丈夫。メイク崩れてもアスカは綺麗だよ」
『突然の大雨でマスカラ落ちた私を見て、大笑いしてたのはどこのどいつよ』
「あはは」
ぷつ、と切れた画面を見て、メモ帳アプリを開く。
"アスカへ"
号泣させるなんて言ってしまったけど、私はまだ、この四文字しか考えていない。
どうやってメイクを崩そうかな。
指をキーボードに当てながら、アスカと出会った頃からの色んなことを思い出す。
どんな言葉がいいのか、いつの話を入れようか。
頭の中では色んなものが現れるけど指までには届かない。かけたい言葉も話したい思い出もありすぎて、残り二か月でまとまるのだろうかと不安になる。
「”結婚おめでとう”は言うよね?…うーん」
七文字を消して、違う言葉を打っては消して、うんうん悩んでいると突然スマホが震え、あ、と思ったと同時に手から滑り落ちてきた。
「いたっ…」
『どうしたよい!?』
大丈夫か!家にいるのか!?待ってろ、今から…は、酒飲んじまった…!
スマホが顔に落ちてきたから咄嗟に出てしまったけど、そこまで痛くはない。焦っているマルコさんが、救急車呼ぶかよい!?と言い出したので、大丈夫だと何度も落ち着かせる。
「スピーチを考えるのに集中してて…」
『そうだったのか。書けたかよい?』
「アスカへ、は書けました」
それだけ?、と笑うマルコさんに、それだけです、と正直に答えると、必要なら一緒に考えるよい、と言ってくれた。
なら、残り一か月になってもまとまらなかったら相談しよう。
改めて、こんばんは、おつかれさん、と挨拶をしてすぐ、マルコさんが控えめな声を出した。
『あのよい。土曜日、予定が入っちまって…』
夕方には終わるんだが、どうしても外せなくてよい。
そうなんですね、と返そうとしたけど、不思議な感覚を覚えて声が出なかった。
耳から入ってきた言葉は何故か胸の奥底へと落ちていった。そのまま動かず、じっとしている。
どうしたの?とそれに尋ねようとしたら、マルコさんが私の名前を呼んだ。マルコさんの声でそれは消えてしまって、声が出るようになる。
「なら、今週は土曜日の夕方から行きますね」
付き合ってから、金曜日に行かないのは初めてかもしれない。
毎週お泊りしていて、ほとんどマルコさんと一緒だったから不思議な気分。
土曜日は何をしようかな、念入りに掃除でもしようかな、と予定を考えていると、いつも通りでいいよい、とマルコさんが言った。
「いつも通りですか?」
『金曜日の夜、来てほしい』
金曜日の夜は一緒に過ごそう。
『土曜日は予定入れてもいいし、家で過ごしてくれてもいいからよい』
俺の家はお前さんの空間でもあるって言ったろ?本当に好きなように過ごしてくれていいから。
えへへ、と自然と声が出た。ならお言葉に甘えて、と答えたら嬉しそうな笑い声が聞こえて、私も嬉しくなる。
「なら、予定はないのでお家にいますね」
『よい』
「夜ご飯、食べられそうなら作りますよ」
『酢豚がいい』
マルコさんにとって、酢豚は特別だ。
酢豚が食べたいなら、今、疲れてるのかも。なら、土曜日は気合を入れて酢豚を作ろう。待っている間はアスカを見習って筋トレをしようかな。
「土曜日、ご飯作って待ってますね」
『俺も一緒に作る』
「ふふ、はい」
もう遅いからと、すぐにマルコさんとおやすみをした。パイナップルが眠るスタンプを送り合って、スマホを暗くして目を閉じる。
「あ」
急に頭の中に言葉が現れて、慌ててスマホを立ち上げた。
"アスカが人生を共に歩んでいきたいと思える人に出会えたこと。私は本当にうれしく思っています"
うんうん、どうかな?
いい言葉じゃないかな、と文章を眺めて他にも思いついた言葉をメモをして、目を閉じる。
貴女はどんな気持ちで隣を歩いていくの?
夢の中へ行く途中、誰かに尋ねられた気がした。
◇ ◇ ◇
「よいっ…!」
足を肩幅に開いて天使の輪よりも大きな輪っかを両手で上げ、体を左右に大きく曲げて襲ってくる敵から逃げ続ける。
マルコさんを見送った後、ドラマを見て、ドラマを流したままお昼を食べてウトウトしていたらなんと十六時を過ぎていた。体はまだ休みたがったけど、今日は筋トレと言い聞かせ、テレビにゲームを繋げて運動を開始。
「次は…」
画面に映っている操作方法を真似て、リングを頭の上ではなく、胸の前に縦向きに持って、矢を放つようなポーズを取る。
「最後のステージまでやったら、マルコさんを抱っこできたりして」
もっと体力つけて、筋肉つけて、疲れて動けないマルコさんをベッドまで運べるようになれたらいいな。
マルコさん並みになることを夢見て、真剣に輪っかを引っ張ったり緩めたりして二体の敵を倒し、よし次だ、と現れた敵を見据えていると、突然、気配を感じた。
「ただいま」
「ひゃぅ…!」
耳元でマルコさんの声がして変な声を出してしまった。
咄嗟に声の方を向くと、マルコさんの顔がすごく近くにあって鼻同士でキス。そのままおでこ同士もキスをして顔が離れた。
マルコさんがもう一回近づいてくるので唇も合わせる。
「おかえりなさい」
「結構進んだか?」
「進みましたよ」
ここまできた、とマップを表示して見てもらおうとしたけど、マルコさんは私から視線を外さなかった。
ずっと、マルコさんは黙ったまま。
「マルコさん」
「?」
ゲームを一時停止して輪っかをテーブルに置いた。マルコさんの手を取ってソファに促し、座ったマルコさんの膝に手を添えて、よいしょ、と向かい合わせに腰を下ろす。腰に腕を回そうかと思ったけど、やっぱりこっちとマルコさんの両頬を手のひらで包む。すると、マルコさんの腕が腰に回ってきて丁寧に引き寄せられる。
「夜ご飯は食べられそうですか?」
「その分は空けてある」
だから一緒に作りたい、と言ってくれたから大きく頷き返して、親指の腹ですりすりと頬を撫でてみる。
「お味噌汁も作ろうと思うんですがどうですか?」
「それは俺が作る」
「じゃあ、お願いしますね」
マルコさんは目を閉じて撫でられ続けた。腕に力は入っていないけど私の体に触れている。
抱きしめてほしくて、ぎゅって、とお願いすると、目を開けてすぐに応えてくれた。首を傾げながら、このぐらい?と尋ねられ、もうちょっととマルコさんに体を押し付ける。
腕の力が強くなって、お返しに手のひらで頬を揉んであげると、目を細めて嬉しそうに微笑んでくれた。
「酢豚」
マルコさんが酢豚酢豚、と言うので、ご飯の準備をすることに。
パイナップル柄のエプロンをして、冷蔵庫から材料を出して、まな板と包丁、ボール、深めのフライパンと浅いフライパンを並べる。
「玉ねぎは…」
「任せてください。玉ねぎは私です」
豚肩ロースを一口大に切ってボールに入れ、マルコさんにお酒、醤油、コショウを入れて揉み込んでもらう。その間に具材を準備して調味料を作っておく。
パイナップルはいつも一つ全て使うので、今日も山盛りのパイナップルを用意。
「このくらいのもみもみかよい?」
「はい、そのくらいのもみもみで大丈夫です」
揚げ担当は私、炒め担当はマルコさん。
まずは玉ねぎを入れてください。ん。次はたけのこ。え、もう?はい、人参。よ、よい。最後はピーマンとパプリカです。よいっ!
ロースを揚げて仕上げをしている間に、マルコさんはお味噌汁作りを開始。
マルコさんは、よし、と気合を入れて、豆腐を出して手のひらに乗せた。包丁を持ち、刃を豆腐に当てる。
「…」
「よ、い。よ…ぃ」
私が手のひらで豆腐を切るから、マルコさんが覚えたのも同じ切り方だった。
手を怪我させないよう、ゆっくりと切り進むマルコさんには声をかけない。けど不安だから、火を止めて、無事に豆腐が切り終わるのを見守る。
横半分に切り、包丁の腹でずれた豆腐を整え、縦に刃を入れ込む。一方向を切り終え、九十度回転させて、同じように切っていった。
「切れたよい」
「はい。上手ですね」
「豆腐は完璧」
一仕事終えて満足そうなマルコさんを見届けて、私も酢豚を完成させる。
盛り付けはマルコさんがやりたいと言うのでお任せし、代わりにお味噌汁とご飯をよそってテーブルに運ぶ。
「「いただきます」」
手を離して箸を持つと、視線を感じた。横を見るとマルコさんが私を見ていてる。
これは”待ち”状態だ。
箸でロースとパイナップルを掴んで、マルコさんの口元へ。
「はい、どうぞ」
「あ」
口に入れた瞬間、マルコさんの目が大きくなった。いつもと同じ作り方だけど、いつもよりも美味しく感じるみたい。
もぐもぐしているマルコさんも箸を持った。同じものを掴んで、私の方へ。
「ん」
「あむ」
酢豚にパイナップルを入れない人もいるけど、入れると程よい酸味が出て美味しい。マルコさんのようにたくさんのパイナップルを入れる必要はないけど、やっぱりパイナップルはあった方がいい。
マルコさんはお椀やお茶碗を持ちながら、口を開けて待っていた。どうぞ、と食べてもらって、自分も食べようと箸で掴む。けど、ん、とマルコさんがまた私の方へ持ってきてくれるので掴んだものはマルコさんの口の中へ
「美味しいですね」
「美味い」
二人で、はい、ん、と食べ進めて、最後のパイナップルはもちろんマルコさんが食べて、綺麗に完食。
お菓子は今日はなかったから、少しテレビを見て、お風呂じゃんけんをした。結果は当然、私の負け。
「明日こそはマルコさんに勝ちますからね!」
「風呂だけは勝てないよい」
「いいえ。筋肉つけて、マルコさんみたいになって、勝ってみせますから!」
「俺みたいな…?」
筋肉とじゃんけんは関係が…、それに俺ぐらいの筋肉はつけなくても…、と困惑しているマルコさんをおいて脱衣室へ。
鏡に映る筋肉の”き”の字もない自分の体を見て、マルコさん並みになるには相当頑張らないといけないことはよく分かった。
湯船につかりながらじゃんけんの練習をして、タオルで体を拭きながらお腹に明日も筋トレ頑張ろうと声をかけた。髪をしっかり乾かして、化粧水も乳液もしっかりつけて、マルコさんと交代。
「コーヒー飲んでもいいですか?」
「俺のもお願いしていいかよい?」
「もちろんです」
二人分のコーヒーを入れて、ソファに深く座って、一息。
「明日は…」
来週両親に振舞う料理の練習をする。プレゼントは用意できたから、後はマルコさんが当日緊張で倒れてしまわないようにするだけ。それが一番大変なんだけど。
「明日も筋トレは絶対」
ウォーキングとゲーム以外で私でもできるものはないかな、とスマホで検索。
筋トレは探すとたくさん出てくるからどれをしたらいいのか分からないけど、いくつかよさそうなものを発見。
アスカとマルコさんにも聞いてみよう。マルコさんなら本気の筋トレメニューを作ってくれるかも。
なんて思いながらスマホを見ていると、視界の隅にマルコさんの足を見つけた。
お風呂から出たんだ。けど、いつもよりも早いような…?
「マルコさん、お風呂はや…」
マルコさんを見て、言葉が続かなかった。
どんな気持ちなのか、表情だけでは分からなかった。ただ分かるのは、十数分前のマルコさんとは全く違うこと。
「シたい」
マルコさんの腕が伸びてきて、ゆっくりと抱き上げられた。そのまま寝室へ運ばれ、常夜灯で照らされたベッドの縁に丁寧に降ろされる。
「ん」
マルコさんの顔が見たくて顎を上げてすぐ、唇を奪われた。柔らかいマルコさんの唇が何度か落ちてきて、顔が離れていく。
「嫌、じゃないかよい?」
そんなことを尋ねられたことは、一度もなかった。
けど、どこか不安そうなマルコさんを安心させたくて両腕を伸ばす。
「好き、で、んぅ」
マルコさんの首に腕を回して自分の方へ引き寄せようとしたら、ベッドが少しだけ軋んだ。マルコさんの体が迫ってきて、私の体は自然とベッドに預けられる。そのままマルコさんも続いて倒れてきて、上半身はマルコさんとベッドに挟まれて自由を奪われた。
「んっ…ん」
大きな手で頭を包まれ、視界にはマルコさんしか映っていない。
自由が利く両腕を動かしてマルコさんを抱きしめ唇を感じていると、少しだけ圧迫感が消えて、大きな手がお腹の方へ。
「ひゃぅ…!」
ひんやりとした冷たさに驚いて腰がビクリと反応した。
骨ばった手が服の中へ入ってきていた。指先が壊れ物を扱うかのようにお腹を撫で、そのまま横腹へと移った時、くすぐったくて身を捩ってしまった。
その瞬間、触れていた指先が離れ、マルコさんが、あ、と声を出す。
「ここじゃない、か?」
マルコさんは私の瞳を覗き込み、どこがいい?教えてくれ、と顔中に謝罪のキスを落とす。
「お前さんの好きなところ、ないか?」
私の言葉を待つマルコさんの表情は、見てる私が不安になるほどだった。
「触れられるの嫌だったか?」
もしそうなら言ってくれ。
隠さないでくれ。
頼むから──。
「マルコさん」
「…っ」
名前を呼ぶと、マルコさんは目を逸らし、もう一度ゆっくりと紡ぐと、恐る恐る私を見た。
「同じところ、触り合っこですよ」
「?」
「ふふ、先ずは」
本音を言うと、マルコさんが触れてくれるならどこでも嬉しい。けど今は、しあっこがしたかった。
親指でマルコさんの唇に触れていると、マルコさんの親指がそっと私の唇をなぞった。上唇を撫でるとマルコさんの親指も同じところに触れてくれる。
顎から首筋を撫でると、マルコさんの体がぴくり、と反応した。そのまま、つつ、と胸の間を通って、お腹の方へ。何となくもう一回胸の方へ持っていくと、大きな手も同じように私の体を撫でてくれる。
そしてまたお腹を撫で、滑り込ませる。
「んっ…」
「っ…」
肌に触れた瞬間、二人の吐息が重なった。
「マルコさん、ん」
キスも、とお願いするとすぐに応えてくれた。
ゆっくり唇を合わせて、開くと、マルコさんの舌に触れることができた。絡めていると絡め返してくれて、次第にマルコさんの舌が激しくなり、口の中へ来てくれる。
「あっ、…」
マルコさんの鍛えられた腹筋に触れていると、大きな手が私のお腹を撫でる。そのまま上の方へいくと、私の体を這う手も上がってきて、お互いの肌が露わになった。
「んぅっぁ」
「はっ」
体の奥から湧き出た疼きはもうすぐ瞳へ来ようとしていた。
私の口の中を動き回るマルコさんの舌と、露わになっている肌の隅々まで愛してくれる骨ばった大きな手は止まらず、私も同じようにマルコさんのしっとりしている綺麗な肌を撫で続ける。
「んく、っ」
口の中に広がるマルコさんの唾液を飲み込んだ瞬間、瞳の奥が熱くなった。慌てて目を閉じ、マルコさんに見られないようにする。
こうすれば…。
「はっ」
視界以外の感覚でマルコさんを感じているとマルコさんの吐息が聞こえた。その声に、さらに疼きが強くなる。
「あ、…んぅぁ」
マルコさんが私の舌を唇で挟み、じゅ、と吸い上げた。その音と刺激に、背中に震えが走る。
「あぁっ」
しびれが伝うように腰へと届いた瞬間、体が弓なりになり部屋中に声が響き渡った。
「ゔあ」
「!」
その瞬間、マルコさんの顔がぱっと離れた。
気づいた時には、私の肩に顔を埋め、くぐもった呻き声を漏らしていた。
「ぐぅ」
「マルコさんっ」
「…、ぁぐ」
私の声に陰が反応してしまった。
くぐもった声を出しながら、マルコさんは陰に抗おうと私を強く抱きしめる。
「大丈夫」
マルコさんの背中に腕を回して肌を隙間なく合わせると、激しい心音が伝わってきた。
「マルコさん」
ぽん、ぽん、と私の心音と同じリズムを手で刻む。
顔を上げて。
顔をよく見せて。
私に、見せて。
「ぁ」
マルコさんの両頬を包んで、瞳にいる陰をじっと見つめた。
「マルコさん」
帰ってきた時から現れていた陰は、酢豚を食べる時はいなくなっていたのにお風呂から出た時にはまた顔を出していた。寝室に来てからはマルコさんの瞳をどんどん淀ませ、私と話しているのに、私と抱き合っているのに、私とキスをしているのに、私がずっと映っていない。
「っ、ゔ」
「逸らさないで」
「あ゛、ぐ」
マルコさんが抗おうと目を閉じる度、頬を包んで名前を呼び続けた。
「私はここにいますよ」
「…こ、こ」
マルコさんの瞼が開き、陰の姿が見えた。
微笑みかけてみると、少し揺れた気がした。
ねぇ。私の声、届いてる?
明日もマルコさんの隣にいるよ。
怖くないよ。
出ておいで、もう一人じゃないよ。
隠れなくてもいいよ。
「ね?」
「……」
マルコさんの体が動き、すり、と私の頭に頬擦りをした。
マルコさんが私の上から下りた。マルコさんの方に体を向け、腕を回す。
同じようにマルコさんの腕が私を抱きしめ、距離がなくなった。
「大丈夫ですよ」
「…」
「明日の朝も、私はここにいます」
だから安心して眠ってください。
広い背中を撫でながらそう伝えると、マルコさんの瞼が落ちていき、眠っていく。
翌朝、ローテーブルには半分残ったカップと一口もつけていないカップが冷たく並んでいた。
打ち合わせから戻ってすぐ、担当営業さんに声をかけられた。打ち合わせ内容の報告をしてスケジュールに問題ないことを話すと、眉尻を下げながらそう尋ねられる。
「惚気大会ですか?でしたらクミさんにも確認して」
「いえ、できれば夜の方がよくて…」
担当営業さんは、今週が駄目なら来週でも大丈夫、クミさんもご一緒に、と控えめな声で言葉を続ける。
夜の惚気大会はしたことがなかったけどクミさんの都合がつけば大丈夫。けどどうしてそんな表情をしているのか気になり理由を尋ねようとすると、担当営業さんが話を続けてくれた。
「彼が、話をしたいと言うんです」
すいません、私では彼に敵わず、と眉尻がどんどん下がって、なんだか悔しそうな悲しそうな表情になり、頭も下がって、すみません…、と謝られる。
「どうしたんですか?そんな謝るようなこと」
「彼に助けられ、その代わりにと…」
担当営業さんは、顔を上げて私ではなく違う方向を見た。その先には、例の営業さん(三十五話登場)が。
彼は真剣に営業部長と話し込んでいた。けど私達の視線に気づいて一瞬だけ優しく微笑み、また真剣な表情で営業部長の方を見る。そんな彼を、担当営業さんは鋭く見据えた。
「彼氏さんをどれだけ溺愛しているか、語ってくださいね!」
「え」
「付き合う前の貴女がどれだけ辛そうだったか、付き合ってからどれだけ幸せそうか、私も語りますから!」
担当営業さんは彼に思い知らせてやりましょう、と急に臨戦の雰囲気を纏った。そして鼻息荒く、契約を取ってきます!と言うので笑顔で見送り、途中、何人かと仕事の話をして、自分のデスクに到着。
「戻りました」
「お帰りなさい」
デスクに鞄を置いて、パソコンとタブレットと充電器とマウスを鞄から出しながらクミさんに声をかける。
「クミさんにご相談が、あ」
「どうしたの?」
「タブレット、なんとかもったなって」
ペーパーレスはいいことだけど、パソコンもタブレットも両方の充電器も持ち歩くなんて重たくて仕方がない。今日はタブレットの充電器を忘れてしまったから、長時間の打ち合わせがもつか不安だったけど頑張ってくれた。
パソコンを立ち上げ充電器に繋いで、モニターに繋ぐ。よいしょ、と椅子に座ると、まだ若いんだから、とクミさんに言われてしまった。けど重い荷物を持ち歩いたから言いたくなる。充電が切れてしまったタブレットを充電器に繋いでると、相談ってなに?仕事のこと?とクミさんが話題を戻してくれた。
「夜の惚気大会を開催しませんか?」
「ランチじゃなくて?」
「はい。実は…」
パソコン画面を見ながら耳を傾けてくれていたクミさんは、担当営業さんが誘ってくれたこと、昼ではなくて夜がいいこと、まではふんふんと聞いていたけど、”例の営業さん”を声に出した瞬間、は?とこちらを見た。そして担当営業さんと同じ雰囲気を纏い始める。
「遂に来たわね」
攻め方を変えてきたのね。外野がいても落とせるって?
「あのクミさん、」
「受けて立とうじゃない」
クミさんも担当営業さんと同じで目が据わっていた。いつも通りの惚気大会をすればいいので、といつものクミさんに戻ってもらおうとするけど、一度ついてしまった火は消えてくれない。それどころか、じわじわと大きくなっていた。
「あの、家族のこともありますし無理せず…」
「これはいい機会よ」
不本意だけど参戦するわ。最近は視界に入ってくることが多いから嫌だったのよ。
なんだか私情が入っている気がしなくもない。
クミさんはあんな奴のせいで仕事の手を止めるもの嫌、と視線を再び画面に戻す。
「私は来週がいいんですが…」
「私はいつでも大丈夫よ」
クミさんは、準備運動をしっかりしておくから、と口を動かしながらキーボードを打つ。その指が鳴らす音がいつもよりも大きいのは気のせいではないと思う。
「”相手を想う”ことがどういうことか、教えてあげるわ」
クミさんはエンターキーを強く叩いた。
◇ ◇ ◇
『自慢したくてメッセージくれたわけ?』
「そうじゃなくて。スピーチ頑張るよって話」
『ふぅん』
枕元のスマホのスピーカーから、マルコさんの好みが分かっちゃうわけか、とアスカの楽しそうな声が聞こえる。
アスカの結婚式まであと二か月。まだ二か月もあるけどあっという間なのだろう。アスカも準備に追われてあっという間だった、残り二か月しかない、と時間の短さを感じている。
『二の腕がなかなか細くならなくて…』
「冬なのに二の腕を出すの?」
『長袖だけどレースだからね』
少しでも綺麗に見せたいアスカは筋トレ、エステなど自分磨きにも勤しんでいた。この年になっても顔にニキビができるからお菓子も食べていないらしく、結婚式が終わったらホテルのスイーツビュッフェへ行きたいと嘆くので予定を合わせる。
『相変わらず可愛いマルコさんなの?』
「うん。日に日に可愛さが増してるよ」
『それ、褒めてるのよね?』
「めっちゃ褒めてる」
先週のピーナッツを拳で潰す姿が可愛かったことを教えると、あんたの感性はやっぱり分からない、と呆れられた。
『マルコさんって素直な人ね。ナオだったら、できないことは恥ずかしがってしたがらないよ』
「そうなの?」
『それを必死で隠そうとするのが面白いんだけどね』
男性は強くありたいって思う人が多いでしょ?と言うアスカの言葉を聞いて、なんとなくサイドテーブルにあるアデニウム・オベスムに視線を向ける。
マルコさんが選んでくれたこの子は元気に育っていた。寒さに弱い植物だから冬を越せるか不安だけど、しっかりお世話をするつもり。
「私さ」
『うん?』
「マルコさんとずっと一緒にいるよ」
マルコさんが強いとか弱いとかは、どっちでもいい。どっちかしかなくても、どっちもあってもいい。ずっと一緒にいるのは変わらないから。
『"ずっと一緒"の先は?』
「分かんない」
『分かんないのか』
「うん。けど、ずっと一緒にいる」
何回か掴めていた輪郭は、最近は見えなくなっていた。けど輪郭が見えなくても不安にならない。マルコさんと過ごす時間は幸せだから、それだけで十分。
『よく知らないけどさ』
「うん?」
『それでいいんじゃない?』
なんか私よりも先に行ってる気がする…。え、私はいつも隣歩いてるよ?…なんかこんな会話前もしなかったっけ?うん、したね。
『スピーチ、期待してるから』
「号泣させてあげるよ」
『メイクが崩れるからやめて』
「大丈夫。メイク崩れてもアスカは綺麗だよ」
『突然の大雨でマスカラ落ちた私を見て、大笑いしてたのはどこのどいつよ』
「あはは」
ぷつ、と切れた画面を見て、メモ帳アプリを開く。
"アスカへ"
号泣させるなんて言ってしまったけど、私はまだ、この四文字しか考えていない。
どうやってメイクを崩そうかな。
指をキーボードに当てながら、アスカと出会った頃からの色んなことを思い出す。
どんな言葉がいいのか、いつの話を入れようか。
頭の中では色んなものが現れるけど指までには届かない。かけたい言葉も話したい思い出もありすぎて、残り二か月でまとまるのだろうかと不安になる。
「”結婚おめでとう”は言うよね?…うーん」
七文字を消して、違う言葉を打っては消して、うんうん悩んでいると突然スマホが震え、あ、と思ったと同時に手から滑り落ちてきた。
「いたっ…」
『どうしたよい!?』
大丈夫か!家にいるのか!?待ってろ、今から…は、酒飲んじまった…!
スマホが顔に落ちてきたから咄嗟に出てしまったけど、そこまで痛くはない。焦っているマルコさんが、救急車呼ぶかよい!?と言い出したので、大丈夫だと何度も落ち着かせる。
「スピーチを考えるのに集中してて…」
『そうだったのか。書けたかよい?』
「アスカへ、は書けました」
それだけ?、と笑うマルコさんに、それだけです、と正直に答えると、必要なら一緒に考えるよい、と言ってくれた。
なら、残り一か月になってもまとまらなかったら相談しよう。
改めて、こんばんは、おつかれさん、と挨拶をしてすぐ、マルコさんが控えめな声を出した。
『あのよい。土曜日、予定が入っちまって…』
夕方には終わるんだが、どうしても外せなくてよい。
そうなんですね、と返そうとしたけど、不思議な感覚を覚えて声が出なかった。
耳から入ってきた言葉は何故か胸の奥底へと落ちていった。そのまま動かず、じっとしている。
どうしたの?とそれに尋ねようとしたら、マルコさんが私の名前を呼んだ。マルコさんの声でそれは消えてしまって、声が出るようになる。
「なら、今週は土曜日の夕方から行きますね」
付き合ってから、金曜日に行かないのは初めてかもしれない。
毎週お泊りしていて、ほとんどマルコさんと一緒だったから不思議な気分。
土曜日は何をしようかな、念入りに掃除でもしようかな、と予定を考えていると、いつも通りでいいよい、とマルコさんが言った。
「いつも通りですか?」
『金曜日の夜、来てほしい』
金曜日の夜は一緒に過ごそう。
『土曜日は予定入れてもいいし、家で過ごしてくれてもいいからよい』
俺の家はお前さんの空間でもあるって言ったろ?本当に好きなように過ごしてくれていいから。
えへへ、と自然と声が出た。ならお言葉に甘えて、と答えたら嬉しそうな笑い声が聞こえて、私も嬉しくなる。
「なら、予定はないのでお家にいますね」
『よい』
「夜ご飯、食べられそうなら作りますよ」
『酢豚がいい』
マルコさんにとって、酢豚は特別だ。
酢豚が食べたいなら、今、疲れてるのかも。なら、土曜日は気合を入れて酢豚を作ろう。待っている間はアスカを見習って筋トレをしようかな。
「土曜日、ご飯作って待ってますね」
『俺も一緒に作る』
「ふふ、はい」
もう遅いからと、すぐにマルコさんとおやすみをした。パイナップルが眠るスタンプを送り合って、スマホを暗くして目を閉じる。
「あ」
急に頭の中に言葉が現れて、慌ててスマホを立ち上げた。
"アスカが人生を共に歩んでいきたいと思える人に出会えたこと。私は本当にうれしく思っています"
うんうん、どうかな?
いい言葉じゃないかな、と文章を眺めて他にも思いついた言葉をメモをして、目を閉じる。
貴女はどんな気持ちで隣を歩いていくの?
夢の中へ行く途中、誰かに尋ねられた気がした。
◇ ◇ ◇
「よいっ…!」
足を肩幅に開いて天使の輪よりも大きな輪っかを両手で上げ、体を左右に大きく曲げて襲ってくる敵から逃げ続ける。
マルコさんを見送った後、ドラマを見て、ドラマを流したままお昼を食べてウトウトしていたらなんと十六時を過ぎていた。体はまだ休みたがったけど、今日は筋トレと言い聞かせ、テレビにゲームを繋げて運動を開始。
「次は…」
画面に映っている操作方法を真似て、リングを頭の上ではなく、胸の前に縦向きに持って、矢を放つようなポーズを取る。
「最後のステージまでやったら、マルコさんを抱っこできたりして」
もっと体力つけて、筋肉つけて、疲れて動けないマルコさんをベッドまで運べるようになれたらいいな。
マルコさん並みになることを夢見て、真剣に輪っかを引っ張ったり緩めたりして二体の敵を倒し、よし次だ、と現れた敵を見据えていると、突然、気配を感じた。
「ただいま」
「ひゃぅ…!」
耳元でマルコさんの声がして変な声を出してしまった。
咄嗟に声の方を向くと、マルコさんの顔がすごく近くにあって鼻同士でキス。そのままおでこ同士もキスをして顔が離れた。
マルコさんがもう一回近づいてくるので唇も合わせる。
「おかえりなさい」
「結構進んだか?」
「進みましたよ」
ここまできた、とマップを表示して見てもらおうとしたけど、マルコさんは私から視線を外さなかった。
ずっと、マルコさんは黙ったまま。
「マルコさん」
「?」
ゲームを一時停止して輪っかをテーブルに置いた。マルコさんの手を取ってソファに促し、座ったマルコさんの膝に手を添えて、よいしょ、と向かい合わせに腰を下ろす。腰に腕を回そうかと思ったけど、やっぱりこっちとマルコさんの両頬を手のひらで包む。すると、マルコさんの腕が腰に回ってきて丁寧に引き寄せられる。
「夜ご飯は食べられそうですか?」
「その分は空けてある」
だから一緒に作りたい、と言ってくれたから大きく頷き返して、親指の腹ですりすりと頬を撫でてみる。
「お味噌汁も作ろうと思うんですがどうですか?」
「それは俺が作る」
「じゃあ、お願いしますね」
マルコさんは目を閉じて撫でられ続けた。腕に力は入っていないけど私の体に触れている。
抱きしめてほしくて、ぎゅって、とお願いすると、目を開けてすぐに応えてくれた。首を傾げながら、このぐらい?と尋ねられ、もうちょっととマルコさんに体を押し付ける。
腕の力が強くなって、お返しに手のひらで頬を揉んであげると、目を細めて嬉しそうに微笑んでくれた。
「酢豚」
マルコさんが酢豚酢豚、と言うので、ご飯の準備をすることに。
パイナップル柄のエプロンをして、冷蔵庫から材料を出して、まな板と包丁、ボール、深めのフライパンと浅いフライパンを並べる。
「玉ねぎは…」
「任せてください。玉ねぎは私です」
豚肩ロースを一口大に切ってボールに入れ、マルコさんにお酒、醤油、コショウを入れて揉み込んでもらう。その間に具材を準備して調味料を作っておく。
パイナップルはいつも一つ全て使うので、今日も山盛りのパイナップルを用意。
「このくらいのもみもみかよい?」
「はい、そのくらいのもみもみで大丈夫です」
揚げ担当は私、炒め担当はマルコさん。
まずは玉ねぎを入れてください。ん。次はたけのこ。え、もう?はい、人参。よ、よい。最後はピーマンとパプリカです。よいっ!
ロースを揚げて仕上げをしている間に、マルコさんはお味噌汁作りを開始。
マルコさんは、よし、と気合を入れて、豆腐を出して手のひらに乗せた。包丁を持ち、刃を豆腐に当てる。
「…」
「よ、い。よ…ぃ」
私が手のひらで豆腐を切るから、マルコさんが覚えたのも同じ切り方だった。
手を怪我させないよう、ゆっくりと切り進むマルコさんには声をかけない。けど不安だから、火を止めて、無事に豆腐が切り終わるのを見守る。
横半分に切り、包丁の腹でずれた豆腐を整え、縦に刃を入れ込む。一方向を切り終え、九十度回転させて、同じように切っていった。
「切れたよい」
「はい。上手ですね」
「豆腐は完璧」
一仕事終えて満足そうなマルコさんを見届けて、私も酢豚を完成させる。
盛り付けはマルコさんがやりたいと言うのでお任せし、代わりにお味噌汁とご飯をよそってテーブルに運ぶ。
「「いただきます」」
手を離して箸を持つと、視線を感じた。横を見るとマルコさんが私を見ていてる。
これは”待ち”状態だ。
箸でロースとパイナップルを掴んで、マルコさんの口元へ。
「はい、どうぞ」
「あ」
口に入れた瞬間、マルコさんの目が大きくなった。いつもと同じ作り方だけど、いつもよりも美味しく感じるみたい。
もぐもぐしているマルコさんも箸を持った。同じものを掴んで、私の方へ。
「ん」
「あむ」
酢豚にパイナップルを入れない人もいるけど、入れると程よい酸味が出て美味しい。マルコさんのようにたくさんのパイナップルを入れる必要はないけど、やっぱりパイナップルはあった方がいい。
マルコさんはお椀やお茶碗を持ちながら、口を開けて待っていた。どうぞ、と食べてもらって、自分も食べようと箸で掴む。けど、ん、とマルコさんがまた私の方へ持ってきてくれるので掴んだものはマルコさんの口の中へ
「美味しいですね」
「美味い」
二人で、はい、ん、と食べ進めて、最後のパイナップルはもちろんマルコさんが食べて、綺麗に完食。
お菓子は今日はなかったから、少しテレビを見て、お風呂じゃんけんをした。結果は当然、私の負け。
「明日こそはマルコさんに勝ちますからね!」
「風呂だけは勝てないよい」
「いいえ。筋肉つけて、マルコさんみたいになって、勝ってみせますから!」
「俺みたいな…?」
筋肉とじゃんけんは関係が…、それに俺ぐらいの筋肉はつけなくても…、と困惑しているマルコさんをおいて脱衣室へ。
鏡に映る筋肉の”き”の字もない自分の体を見て、マルコさん並みになるには相当頑張らないといけないことはよく分かった。
湯船につかりながらじゃんけんの練習をして、タオルで体を拭きながらお腹に明日も筋トレ頑張ろうと声をかけた。髪をしっかり乾かして、化粧水も乳液もしっかりつけて、マルコさんと交代。
「コーヒー飲んでもいいですか?」
「俺のもお願いしていいかよい?」
「もちろんです」
二人分のコーヒーを入れて、ソファに深く座って、一息。
「明日は…」
来週両親に振舞う料理の練習をする。プレゼントは用意できたから、後はマルコさんが当日緊張で倒れてしまわないようにするだけ。それが一番大変なんだけど。
「明日も筋トレは絶対」
ウォーキングとゲーム以外で私でもできるものはないかな、とスマホで検索。
筋トレは探すとたくさん出てくるからどれをしたらいいのか分からないけど、いくつかよさそうなものを発見。
アスカとマルコさんにも聞いてみよう。マルコさんなら本気の筋トレメニューを作ってくれるかも。
なんて思いながらスマホを見ていると、視界の隅にマルコさんの足を見つけた。
お風呂から出たんだ。けど、いつもよりも早いような…?
「マルコさん、お風呂はや…」
マルコさんを見て、言葉が続かなかった。
どんな気持ちなのか、表情だけでは分からなかった。ただ分かるのは、十数分前のマルコさんとは全く違うこと。
「シたい」
マルコさんの腕が伸びてきて、ゆっくりと抱き上げられた。そのまま寝室へ運ばれ、常夜灯で照らされたベッドの縁に丁寧に降ろされる。
「ん」
マルコさんの顔が見たくて顎を上げてすぐ、唇を奪われた。柔らかいマルコさんの唇が何度か落ちてきて、顔が離れていく。
「嫌、じゃないかよい?」
そんなことを尋ねられたことは、一度もなかった。
けど、どこか不安そうなマルコさんを安心させたくて両腕を伸ばす。
「好き、で、んぅ」
マルコさんの首に腕を回して自分の方へ引き寄せようとしたら、ベッドが少しだけ軋んだ。マルコさんの体が迫ってきて、私の体は自然とベッドに預けられる。そのままマルコさんも続いて倒れてきて、上半身はマルコさんとベッドに挟まれて自由を奪われた。
「んっ…ん」
大きな手で頭を包まれ、視界にはマルコさんしか映っていない。
自由が利く両腕を動かしてマルコさんを抱きしめ唇を感じていると、少しだけ圧迫感が消えて、大きな手がお腹の方へ。
「ひゃぅ…!」
ひんやりとした冷たさに驚いて腰がビクリと反応した。
骨ばった手が服の中へ入ってきていた。指先が壊れ物を扱うかのようにお腹を撫で、そのまま横腹へと移った時、くすぐったくて身を捩ってしまった。
その瞬間、触れていた指先が離れ、マルコさんが、あ、と声を出す。
「ここじゃない、か?」
マルコさんは私の瞳を覗き込み、どこがいい?教えてくれ、と顔中に謝罪のキスを落とす。
「お前さんの好きなところ、ないか?」
私の言葉を待つマルコさんの表情は、見てる私が不安になるほどだった。
「触れられるの嫌だったか?」
もしそうなら言ってくれ。
隠さないでくれ。
頼むから──。
「マルコさん」
「…っ」
名前を呼ぶと、マルコさんは目を逸らし、もう一度ゆっくりと紡ぐと、恐る恐る私を見た。
「同じところ、触り合っこですよ」
「?」
「ふふ、先ずは」
本音を言うと、マルコさんが触れてくれるならどこでも嬉しい。けど今は、しあっこがしたかった。
親指でマルコさんの唇に触れていると、マルコさんの親指がそっと私の唇をなぞった。上唇を撫でるとマルコさんの親指も同じところに触れてくれる。
顎から首筋を撫でると、マルコさんの体がぴくり、と反応した。そのまま、つつ、と胸の間を通って、お腹の方へ。何となくもう一回胸の方へ持っていくと、大きな手も同じように私の体を撫でてくれる。
そしてまたお腹を撫で、滑り込ませる。
「んっ…」
「っ…」
肌に触れた瞬間、二人の吐息が重なった。
「マルコさん、ん」
キスも、とお願いするとすぐに応えてくれた。
ゆっくり唇を合わせて、開くと、マルコさんの舌に触れることができた。絡めていると絡め返してくれて、次第にマルコさんの舌が激しくなり、口の中へ来てくれる。
「あっ、…」
マルコさんの鍛えられた腹筋に触れていると、大きな手が私のお腹を撫でる。そのまま上の方へいくと、私の体を這う手も上がってきて、お互いの肌が露わになった。
「んぅっぁ」
「はっ」
体の奥から湧き出た疼きはもうすぐ瞳へ来ようとしていた。
私の口の中を動き回るマルコさんの舌と、露わになっている肌の隅々まで愛してくれる骨ばった大きな手は止まらず、私も同じようにマルコさんのしっとりしている綺麗な肌を撫で続ける。
「んく、っ」
口の中に広がるマルコさんの唾液を飲み込んだ瞬間、瞳の奥が熱くなった。慌てて目を閉じ、マルコさんに見られないようにする。
こうすれば…。
「はっ」
視界以外の感覚でマルコさんを感じているとマルコさんの吐息が聞こえた。その声に、さらに疼きが強くなる。
「あ、…んぅぁ」
マルコさんが私の舌を唇で挟み、じゅ、と吸い上げた。その音と刺激に、背中に震えが走る。
「あぁっ」
しびれが伝うように腰へと届いた瞬間、体が弓なりになり部屋中に声が響き渡った。
「ゔあ」
「!」
その瞬間、マルコさんの顔がぱっと離れた。
気づいた時には、私の肩に顔を埋め、くぐもった呻き声を漏らしていた。
「ぐぅ」
「マルコさんっ」
「…、ぁぐ」
私の声に陰が反応してしまった。
くぐもった声を出しながら、マルコさんは陰に抗おうと私を強く抱きしめる。
「大丈夫」
マルコさんの背中に腕を回して肌を隙間なく合わせると、激しい心音が伝わってきた。
「マルコさん」
ぽん、ぽん、と私の心音と同じリズムを手で刻む。
顔を上げて。
顔をよく見せて。
私に、見せて。
「ぁ」
マルコさんの両頬を包んで、瞳にいる陰をじっと見つめた。
「マルコさん」
帰ってきた時から現れていた陰は、酢豚を食べる時はいなくなっていたのにお風呂から出た時にはまた顔を出していた。寝室に来てからはマルコさんの瞳をどんどん淀ませ、私と話しているのに、私と抱き合っているのに、私とキスをしているのに、私がずっと映っていない。
「っ、ゔ」
「逸らさないで」
「あ゛、ぐ」
マルコさんが抗おうと目を閉じる度、頬を包んで名前を呼び続けた。
「私はここにいますよ」
「…こ、こ」
マルコさんの瞼が開き、陰の姿が見えた。
微笑みかけてみると、少し揺れた気がした。
ねぇ。私の声、届いてる?
明日もマルコさんの隣にいるよ。
怖くないよ。
出ておいで、もう一人じゃないよ。
隠れなくてもいいよ。
「ね?」
「……」
マルコさんの体が動き、すり、と私の頭に頬擦りをした。
マルコさんが私の上から下りた。マルコさんの方に体を向け、腕を回す。
同じようにマルコさんの腕が私を抱きしめ、距離がなくなった。
「大丈夫ですよ」
「…」
「明日の朝も、私はここにいます」
だから安心して眠ってください。
広い背中を撫でながらそう伝えると、マルコさんの瞼が落ちていき、眠っていく。
翌朝、ローテーブルには半分残ったカップと一口もつけていないカップが冷たく並んでいた。