パイナップルからはじまる恋
「これ、よかったら」
顔を上げると、包容力がすごいと噂の営業さん(三十一話登場)がいた。彼の手には菓子箱。もう一度どうぞ、と促されたから咄嗟にラングドシャを一つ手に取った。けど、ここの焼き菓子だとフィナンシェが一番好きだったから、やっぱりこっち、と変えさせてもらう。
クミさんにも焼き菓子を渡した彼は、私とクミさんを見ながらお客様から頂いたのだと教えてくれた。
そこら辺に置いておけばいいのにわざわざ来るなんて何の用?
そんな心の声が聞こえてきそうなクミさんの眉間にはシワが。彼はその表情を、仕事の邪魔をされて嫌な思いをさせたと受け取り、お邪魔してしまってすいません、と謝った。
「いえ。お菓子、ありがとうございました」
「はい」
それから彼は、私の部署の人達にも同じように配って回り、島から離れていった。
「クミさん、シワ、シワが」
「元々こういう顔なの」
クミさんの彼への嫌悪感はなかなかのものだ。クミさんには被害がないし、社内の女性達からも彼の悪い噂を聞いたことがないからそこまで眉間にシワを寄せなくても。私が社内事情に疎いだけなのかもしれないけど、包容力があるのなら彼は優しい人なのだと思う。
「まぁ、おやつの時間でしたからちょうど良かったですね」
「引き出しにいくらでもあるからいらない」
「いらないなら私が食べますよ」
「お菓子に罪はないからいただくわ」
すぐに袋を開けたクミさんに苦笑いしながら、明日実家へ行くために仕事を進めようと私も糖分を摂取する。今日はこれ以降打ち合わせがなく、幸いにも電話が鳴ることがなかったからフィナンシェ一つで三時間も没頭していた。
「お菓子、余ってる」
午後六時、もうひと頑張りするためにコーヒーの力を借りたくてコーヒーマシンの元を訪れると傍には菓子箱が。
フィナンシェが三つも!これは食べてもいいのかな。コーヒーのお供に欲しい。
もう一つ貰おうかな、とカップを持ちながら菓子箱に手を伸ばしていたら、どうぞ、と声がした。横を見ると、パソコンを抱えた例の彼が微笑みながら私を見ている。
「今いらっしゃる技術部の方には配りましたので、食べていただいても大丈夫ですよ」
「営業部や管理部の方達には配られなかったんですか?」
「これはいつも無理なお願いを引き受けていただいている技術部の方へのお礼、とのことでしたので。どんどん食べてください」
では打ち合わせがありますので、と笑顔で会議室へ行ってしまった彼を見送り、ありがたく一つ頂いて席に戻ると、じと、と私を見つめるクミさんの眉間にはまたシワが。さっきよりも深く刻まれている。
「餌付けされてるじゃない」
「ここのフィナンシェが美味しすぎるのが悪いんです」
「そんなに美味しいの?」
「まだありますから持ってきますよ」
「私は帰るから大丈夫よ」
なら食べきっちゃおうかな。
もう一度コーヒーマシンの元へ行き菓子箱ごと手に取って、念のためこれからまだまだ頑張る人達に食べますか、と聞いてみると、大丈夫だよ、これもあげる、と何故かお菓子をくれて、おかげでまた没頭することができた。
「あ!おつかれさまです!」
「おつかれです〜!」
「いいところに!」
二十一時過ぎ。進めたかったところまで終えて、明日は予定通り会える、と足取り軽く会社を出て駅に着くとテンションの高い女性三人に声を掛けられた。
「今から二軒目行くんですけど、もしよければどうですか?」
「ずっとご飯誘ってみたかったんです!」
「色々お話聞かせてください!」
一軒目で随分と飲んだのか、管理部の女性達が普段からは想像もつかない満面の笑みで私に詰め寄ってくる。いつもは可愛い笑顔だったり、素敵な笑顔を向けてくれるけど、今は無邪気な笑顔。
お話とは?と不思議に思って足を止めたのが運の尽き。彼女達に両サイドを固められてしまい、行きましょう!と、タクシーに押し込まれる。
私と彼女達は名前ぐらいしか分からない間柄だったと思うけどな、と彼女達を見るけど、酔っている三人は私をニコニコ顔で見つめ返してくれるだけ。嫌な感じはしないからいっか、と私のあまりよくない癖が出てしまったけど、後部座席の真ん中に座っている時点で逃げられないからそう思うしかない。
「私達のおすすめのバーがあるんです!」
「料理も美味しいんですけど、マスターが本当に素敵で!もしかしたら、"溺愛している彼氏さん"よりも夢中になっちゃうかもですよ!」
「溺愛?」
「はい。彼氏さんを溺愛しているって聞きました!」
違うんですか?と両サイドから、前の席から見つめられる。潤んだ六つの目から逃げるように視線をあちこちに向けるけど熱い視線は全く冷めなくて、堪えられなくなった私は小さく頷いてしまった。
一体誰が溺愛しているなんて話したんだろうな。惚気大会参加者のクミさんと担当営業さんが広めることはないだろうし…。
まぁ恥ずかしいけど事実だからいっか、とまた癖が出て、彼女達の話を聞きながら、お腹空いたなぁとタクシーから降りて、私は、ドアの前で足を止めてしまった。
「おや、お嬢さん」
「…こんばんは」
連れて行かれたお店がイゾウさんのお店だなんて、一体誰が想像しただろう。
私を見て、イゾウさんはいつものように歓迎してくれた。そして、ちら、とカウンターの端に目を向ける。
「…」
「…」
私が”溺愛している彼氏さん”がいるのも、一体誰が想像できただろう。
イゾウさんが”溺愛している彼氏さん”に声を掛け、こちらを見た彼は少しだけ目を大きくして咄嗟に手を振ろうとしてくれたけど、彼女達を見て手を下してしまった。
彼女達に気づかれるのは避けたいから仕方がないけど寂しいな。
そう思って、視線だけで”おつかれさまです”を頑張って伝えてみる。
すると、すぐに目を細めてくれた。心が通じ合えた、と寂しさはなくなり胸が温かくなる。
「マスターとお知り合いなんですか?」
「もしかして、彼氏さんってマスター?」
「いえ、イゾウさんは…」
「マスターはイゾウさんって言うんですね」
「テーブル席へどうぞ」
入り口入って目の前にカウンター、右手にテーブル席が四つほどあるイゾウさんのお店は広くない。カウンターから一番離れたテーブルだとしても聞き耳を立てれば話の内容は聞こえてきてしまうほどだ。
今日は半分ほど席が埋まっていた。テーブル席はカウンターから一番遠い席と、次に遠い席が空いている。もちろん彼女達はイゾウさんの姿が少しでも近い位置になるように、二番目に遠い席を選んだ。
「お酒は飲まれるんですか?」
「すごく弱いんです。なのでソフトドリンクにします」
「残業でお腹空いてますよね?パスタとかグラタン食べますか?」
「パスタが食べたくて…」
「どれがいいですか?」
「そうですねぇ」
夜ですけど重たいの平気ですか?この時間にがっつり食べるタイプですか?私もメニュー表見てたら少し食べたくなった。ええ?一軒目でお腹いっぱいにならなかったの?私の少しあげますよ。本当ですか?どれが食べたいですか?お好きなパスタ選んでください。けど、ジェノベーゼが気になります。ふふ、じゃあそれにしましょう。
「ご来店ありがとうございます」
お水とおしぼりを持ってきてくれたイゾウさんが彼女達に笑顔を向けた。彼女達は嬉しそうにおしぼりを受け取り、カクテルとチーズの盛り合わせを注文。私には一度も向けられたことがない接客用の表情が見れて新鮮な気持ちになっていると、イゾウさんが私を見て、注文は?、と聞いてくれたので慌ててジェノベーゼパスタとウーロン茶を注文し、取り皿もお願いする。
「いつもこの時間まで残業なんですか?」
「毎日ではないですよ。日によってバラバラです」
「もっと遅い日も?」
「ありますよ」
三人は、大変ですね、無理は駄目ですよ、と心配をしてくれる。管理部も繁忙期は忙しい筈だけど、彼女達は営業や技術に比べたら責任は大したことない、いつもありがとうございます、と言うので、こちらこそいつもありがとうございます、とお礼を返した。
「そんな忙しいのに、どうしてお肌すごく綺麗なんですか?」
「やっぱり彼氏さんですか?」
「溺愛できるほどの相手を見つければ、こんなに綺麗になれるってことですか?」
この時間帯になるとファンデーションはどんなにいいものを使ってもよれてしまう。けど、彼女達が私の顔を見て、いいなぁ、綺麗だなぁ、と褒めてくれる。
「皆さんもお肌綺麗ですよ」
「ありがとうございます。スキンケアしっっっかりしてますから」
「けど、ぜんっっっぜん違います」
「幸せホルモンがたっっっくさん出ないとそんなに綺麗になれないんです」
「お待たせ致しました」
六つの目が私の毛穴の奥まで見ようとしているとイゾウさんが料理を運んできてくれた。ぱ、とすぐに三人は視線を上げ、イゾウさんは少し熱い視線を受けながら、テーブルにカクテルとウーロン茶を置いて、チーズの盛り合わせを置き、私の前にジェノベーゼパスタを置いてくれる。
「お嬢さん、”いつもの”作るがソフトドリンクでよかったのか?」
「はい。今アルコールを少しでも入れたらボロが出そうで…」
「はは、そうか」
ではごゆっくり、と去っていく背中を穴が開くほど見ていた三人の視線がまた私へと集まる。
「”いつもの”って?」
「よく来られるんですか?」
「”お嬢さん”って私も呼ばれてみたいです」
とりあえず乾杯を、とグラスを持つと、彼女達も持ってくれた。お決まりの”おつかれさまです”以外に、今日はありがとうございます、強引に誘ってすいません、けどずっとお話がしたかったので嬉しいです、と立て続けに言われ、テーブルにグラスを置くと、それで?とまた六つの目が私を捉えた。
きっと聞こえている”溺愛している彼氏さん”を意識しながら、彼氏がイゾウさんと知り合いで何回か来たことがあることを話すと、彼女達はなるほど、と相槌を打った。
「彼氏ができたのは三か月ぐらい前ですよね?」
「書類を持ってきてくれた時、”素敵すぎる人が技術部にいる!”驚いちゃって」
「その日、三人で話を聞いてみたいねって話をしていて」
幸せが滲み出ているというか、自覚はないと思いますけど雰囲気がすごく素敵だったんです。書類を受け取っただけの私までなんだかあったかくなって、何をしたらそんな素敵になれるんだろうって気になってたんですよ。
バジルのいい香りがするジェノベーゼパスタを味わおうとしたのに、三人がそんなことを言うので味がよく分からなくなってしまった。
私ってそんなに分かりやすいのかな。確かに、付き合う直前は同じ部署の人達がすごく心配していて、付き合うことになったすぐの月曜日はほっとしていたな。
周りに気付かれないようにしないと、と顔に力を入れてみると、ジェノベーゼパスタが美味しくなかったか、と不安そうに三人が言うので、慌てて笑顔で首を振った。
「皆さんは彼氏さんはいないんですか?」
「いますよ」
「合コン何回したっけ?三…五回?」
「結局アプリで見つけたんですけど」
彼女達は私のように幸せホルモンがたっっっくさん出る相手を、いつも以上に真剣に探していたらしい。その甲斐あって三人共素敵な人を見つけたのだけどやっぱり私には適わないんだと、また私の毛穴を凝視してくる。
…よれているので見ないでほしいです。いえ、今日は見させていただきます。今日を逃したらまたいつお話しできるか分からないんですから。あの、連絡くれればご飯行きますよ。
彼女達のグラスが空になりそうだったので何か注文をと促すと、”ロングアイランド・アイスティー””アレクサンダー””ピンク・レディ”にすると言うので固まってしまった。
”溺愛している彼氏さん”とイゾウさんが教えてくれたレディキラーカクテルを注文するなんて。
「お酒お強いんですか?」
「ふふ。全員、酒豪ですよ」
「あ、弱かったら、この三つは飲んだら駄目ですからね」
「前に、これを飲ませて潰そうとしてきた野郎達を潰してやったことありますよ」
「あの合コンは本当面白かったね」
「”面白い”…」
「ご注文お伺いします」
逞しすぎる。私もそれぐらい強かったらあんなことにはならなかったのになぁ、とまだ半分あるウーロン茶を飲みながらカウンターの方に顔を向けると、あの時助けてくれた”溺愛している彼氏さん”はロックグラスを揺らしていた。
「…」
無性に写真を撮りたい衝動に駆られたけど、今はできない。
あぁ…、なかなか見れない姿なのに…、あぁ…。
「彼氏さん、きっとたくさん言葉にしてくれるんですね」
「あ、そうですね…。言葉もそうですけど、態度でも表してくれます」
「お待たせいたしました」
テーブルに置かれたアレクサンダーとピンク・レディを見る。これが、私が絶対に飲んではいけないカクテル達。
アレクサンダーを嗅がせてもらったら、チョコレートのいい香りがした。ピンク・レディは見た目が名前の通りピンク色で可愛い。カクテルに詳しくない女性なら喜んで飲んでしまうだろうから、”レディキラーカクテル”と言われるのも納得。
「彼氏さんって甘えてきたりしますか?」
「すごく甘えてきますよ」
「鬱陶しいなって思ったりは?」
「全くしません」
最近は特に甘えたが強く出ているような気がする。意識したことはなかったけど、言葉遣いも出会った頃から変わっている。
気を張らなくていいんだと思ってくれているとしたら、すごく嬉しいな。
けど、今日の”溺愛している彼氏さん”は”可愛い”ではなく”かっこいい”だった。仕事終わりだからスーツを着ていて、いつも私と過ごす姿と違っていて、すごく新鮮。
「お手洗い、行ってきます」
写真が撮れないなら、姿を近くで見たくて席を立つことにした。お手洗いはテーブル席の反対側、カウンターの奥にある。ちょうど、”溺愛している彼氏さん”の横を通り過ぎないと行けない。
「お腹は満たされました?デザート食べます?」
「お腹は満たされたので大丈夫ですよ」
「なら、お手洗いから帰ってきたらお会計しましょうか」
「いつでもご飯誘っていいって言ってくれたから、今日全部聞かなくていいしね」
「はい。予定合えばいつでも行きますよ」
「やったね」
「今日拉致して正解」
「あはは」
席を立ち、テーブル席を通り過ぎる。
「そろそろ予約していた車の順番が回ってくるんだが、人気が落ちてるみたいで悩んでんだよい」
「今の車、二年ぐらいか?」
「あぁ。別の車も抑えているが…」
私に気付いていたイゾウさんだったけど、”溺愛している彼氏さん”と会話を続けていた。”溺愛している彼氏さん”のかっこいい後ろ姿を見つめながら、後ろ、横を通り過ぎ、お手洗いへ。
「…」
…か、かっこいい!あぁ、会社帰りにスーツ姿でデートしたいな。その時の私の服装は…。
なんて、お願いすればいくらでもできるデートを想像して、お手洗いから出て、今度は正面からかっこいい姿を見る。
“溺愛している彼氏さん”は私の方を見ず、イゾウさんと話し込んでいた。車の話を続けていて、そろそろあの大きい車とさよならなのかな、と車を思い浮かべ、”溺愛している彼氏さん”の横に差し掛かった時、イゾウさんに話しかけられた。
「お嬢さん。彼女達は友人なのか?」
「いえ、同じ会社の人なんです。彼女達が二軒目へ行こうとしていたところに…」
私が居合わせて、と言葉を続けようとしたら誰かに手の甲を撫でられた。そのまま指先までをゆっくりとなぞり指を絡められる。骨ばっている指が私の指を一本一本大事に撫でてくれるから、お返しに同じように撫でてみると力を込められた。動かせる指の先で広い手の甲を撫でてみると、同じように撫でてくれる。
「明日は実家へ行くんだろう?」
「はい」
「”溺愛している彼氏”も一緒か?」
「ふふ、はい」
“溺愛している彼氏さん”は素知らぬ顔でグラスを持ち、イゾウさんにグラスを差し出した。
「イゾウ、もう一杯」
「はいよ。お嬢さん達はまだ飲むかい?」
「いえ。そろそろ帰ろうかって…」
ぎゅ、と一回強く力を込められた。力が抜かれたタイミングでぎゅううう、と込めてみると、くく、と笑い声がして、イゾウさんが溢すなよ、と注意する。
「そうか。また四人でも、一人でも、”溺愛している彼氏”と二人でも、いつでも来るといい」
「はい」
左足を踏み出し、右足を少しづつ前に出し、絡められた”溺愛している彼氏さん”の指が少しづつ剥がれていく。小指、親指が離れ、人差し指、薬指が離れた時、少しだけ中指で撫でられた。ちょん、と最後に撫でてあげて、テーブル席の方へ。
今日は強引に誘ったので、と彼女達が奢ってくれた。楽しかったから自分の分は払いたかったけど、逞しい彼女達に敵わず、次回は多めに出そうと心に決めた。
「またお越しください」
「また来ます」
「次はカウンター席にします!」
「はい。お待ちしております」
イゾウさんが私達の見送りのために店の外まで出てきてくれた。彼女達がタクシーで帰ろうか電車で帰ろうか話している隙を見逃さず、イゾウさんの横に立ち、こそっと声をかける。
「イゾウさん」
「どうした?」
「”溺愛している彼氏さん”に伝えてください」
今日はすっごくかっこいいですよって。
◇ ◇ ◇
金曜日。改札を出てすぐ、険しい顔をしているマルコさんを見つけた。
眉間にシワを寄せてスマホ画面を見つめている。
いつもなら顔を上げて私を探し、姿を見つけるとすぐに大きな手を振って優しく笑いかけてくれるけど、今日は私に気づかない。
今週は落ち着いていると言っていたけど仕事で何かあったのかな。もしかして、お父さんに何かあったとか。
「マルコさん」
声を掛けると、マルコさんは驚いたように私を見た。すまん、気づかなかったよい、と苦笑いして、行くよい、と手を取りながら歩き出す。
「急ぎのお仕事ではないですか?」
「ん?」
何かあったのなら私のことは気にせず、とマルコさんを見ながら伝えると、指を絡められた。にぎにぎと力を込めながら、仕事のことではないし急ぎのことでもないと教えてくれる。
「けどすごいシワが寄ってましたよ」
眉を内側に寄せ、口を結び、むむむ、とマルコさんの真似をすると自覚がなかったのか、そんなに?と驚いていた。
けどマルコさんは本当に何もないから大丈夫、と手を繋いている方の腕を軽く振りながら言った。マルコさんがそう言うならこれ以上聞くつもりはないので、話題を変えよう。
「夜は少し過ごしやすくなりましたね」
「けどまだまだ暑いよい」
早く冬にならないか、と秋を飛ばしてしまったマルコさん。
「秋はいらないですか?」
「最近は秋なんてほとんどないからなぁ。夏の後はすぐに冬だ」
「マルコさんの誕生日もあるのに」
「俺は別にいいが…お前さんの誕生日もあるから秋はやっぱり必要だよい」
私の誕生日はマルコさんの翌月。大台に乗る前の最後の年が始まるのか、なんて考えていると、マルコさんに両親の誕生日を尋ねられた。
「来月です。一日違いなんですよ」
プレゼント、今年は何がいいかな。
マルコさんに今までどんなプレゼントを渡したのか尋ねられたから、思い出せる限り言葉にする。社会人になってからはプレゼントの予算が上がったけど、小さい頃はベタな肩叩き券を渡したりしていた。
「プレゼント、俺も出していいかよい?」
オートロックをして解錠してエントランスを通り、エレベーターに乗る。少し力を込めて握ってくれるマルコさんがもう一度、自分もプレゼントを渡したい、と私の顔を覗き込んだ。
「そんな大丈夫ですよ」
「俺の日頃の気持ちも乗せたい」
「マルコさんがプレゼントのようなものですけど…」
イゾウさんのお店に行った翌日、予定通りマルコさんと実家へ行った。いつも通り両親はニコニコともぐもぐマルコさんを眺め、来週も来ると知ったらそれはそれは嬉しそうな表情をしてくれた。だからマルコさんの存在自体がプレゼントになるのは間違いない。
「あ」
「?」
そうだ!今年は趣向を変えて、マルコさんの髪にリボンを結んで、プレゼント!って渡したら…。
「…」
「?」
「流石のマルコさんでも、リボンはしない方がいいかもしれないです」
「…何を企んでいたのか分からないが、その方がいいよい」
「そうします」
いつものマルコさんを両親へプレゼントしたら、きっとすごく喜んでもらえるだろうなぁ。
両親はマルコさんの食べたいものをたくさん作って、マルコさんはそれを美味い美味いと食べる。お皿が空になったタイミングで両親がまだあるからとテーブルに並べて、マルコさんはすごく嬉しそうに食べ続け…。
”親父さん達の料理はやっぱり美味い。もうお前さんの料理は食べられないよい”
”ははは。マルコさんは父さん達のものだ”
”ふふ。残念だったわねぇ”
…。
「マルコさんが奪われてしまいました…」
「お前さんはたまによく分からないことを言うねい…」
「マルコさんは絶対に渡しません!」
ぎゅう、と力を込めて大きな手を握っていたのに、靴を脱ぐためにマルコさんが手を離そうとした。それを逃がすまいと両手で掴んで、そのまま靴を脱いでもらう。
「マルコさんのお父さんのお誕生日はいつですか?」
「四月」
「その時は私も出しますね!」
「適当な酒を渡せばいいから気にしなくていいよい」
「私からの気持ちも乗せたいので出します」
「ん、分かった」
帰りに買ってくれたデパ地下のお惣菜をテーブルに並べるために手が離れてしまったから、マルコさんの背中から腰に抱きつく。マルコさんは、別に誰も俺を狙わないよい、と手を撫でてくれた。
「マルコさん」
「ん?」
「挨拶、まだ行っちゃ駄目ですか?」
マルコさんのタイミングまで待つとは決めているけど、プレゼントを渡す前には会いたいな。
まだ半年以上あるから、マルコさんもマルコさんのお父さんも都合はつきやすいはず。
マルコさんは私の腕を剥がして、真正面から抱きしめてくれた。マルコさんの胸に顎をつけて顔を見つめていると、目を細めながら頭をゆっくりと撫でてくれる。
「オヤジに聞いておくよい」
「本当ですか!?」
「本当」
「お父さんのご都合に合わせますからね!余裕のある時で大丈夫ですから!」
「はは。そんなに嬉しいのかよい?」
何度も大きく頷いていると、マルコさんの顔が近づいてきた。私もつま先立ちになって、一週間ぶりのキスをする。
「どんな料理がお好きですか?振る舞いたいです」
「安いもの」
そんなざっくりでは何を作ったらいいのか分からない。マルコさんは適当な酒と適当なご飯を用意すればいいんだと言うだけ。
「なら苦手なものはないですか?」
「コピ・ルアク」
「コーヒーじゃなくて、コピ・ルアクだけが苦手なんですか?」
好きなものとは違い、すごく具体的だった。
どうしてコーヒーの、しかもその種類だけが嫌いなのだろう?
安い食べ物なら、地元のスーパーで食材を買った方がいいかな。高級食材は使わずに、味付けもシンプルにして…。
「オヤジの話はこの辺にして。誕生日関係なくお前さんへプレゼントが…」
「あ、離れちゃ駄目です!」
「だから誰も狙わないよい」
離さないぞ、と腕の力を込めていたら、長い溜息をつかれてしまった。
仕方がない、と抱き上げ、椅子に座ったマルコさんは私を膝の上に乗せた。そして抱きつく私をそのままに、椅子の足元にある鞄に手を伸ばして何かを取り出す。
「これ」
それは、マルコさんの手のひらよりも少し大きな、長方形の平たいもの。海外の文字が印字されているから正確には分からないけど、この形したものが何かは予想がつく。
「シートマスクですか?」
どうしたのかと尋ねると会社で貰ったのだそう。
「お前さんにって」
マルコさんの会社に知り合いはいないと思うけど…?
頭にハテナをいくつも浮かべていると、くつくつ笑われた。
「それがよい」
今日、会社でお菓子好きの部下さんを探していたら数人で話し込んでいるのを見かけ、邪魔してはいけないと思って声をかけないでいたら気付いた部下さんに呼ばれ、グループの輪に入ることになり、そこで何故かシートマスクを貰った。
と、マルコさんが教えてくれた。
「こういうのが好き奴が何人かいるんだが、一人が海外で大量に買って帰ってきたんだよい」
「ならこれ、ご自分用では?」
「自分用と土産用」
「どうして私になんですか?」
友だちや仲のいい社内の人へのお土産ではなかったのかな?
「菓子好きの部下が、”俺がいつも惚気るんだ”と話し出してよい」
「のろけ」
「そうしたら、周りに根掘り葉掘り聞かれて」
「ねほりはほり」
「”そんな溺愛している美味しい料理を作る可愛い彼女さんへプレゼント”って」
「できあい、おいしい、かわいい」
マルコさんは一体何を話したんだろう。”溺愛””美味しい””可愛い”の三つからして、悪口や不満ではないのだろうけど、その場にいなかったのに恥ずかしくなる。
「年齢は話していないよい」
前にマルコさんと年齢差の話をしたことがあって、だからイゾウさんのお店では話さないようにしていた。マルコさんの年齢を知っているのは家族を除いたらアスカだけ。マルコさん側は、知る限りではイゾウさんとサッチさん、エース君とルフィ君。
デートの時も、さっきだって手を繋いで歩いているから、隠す気があるのかと尋ねられると、徹底してます!とは言えないけど。
「…これからもずっと一緒にいるなら、遅かれ早かれ知られる時が来ますよね」
誰に何と言われても気にすることはないけど、マルコさんが傷つくのだけは嫌だな。
シートマスクを見ながらどうしたらいいのか考えていると名前を呼ばれた。マルコさんを見ると、ご飯食べようとお惣菜を指さすので、いただきます、と両手を合わせる。
「自分から言うつもりはないが、知られた時は…」
ほら、と口の前にエビチリがきたのでぱくり。今日は中華。春巻きをとって、マルコさんの口元へ運ぶと大きな口で食べてくれた。
エビチリ、甘めで美味しいですね。春巻きは歯ごたえがあっていいよい。マルコさん、あ。ん、ほら。
「”大切な人”だと、言うだけだよい」
春巻きをもぐもぐしていると、頭に何かが乗って、大きく左右に動いた。髪を撫でられ、油淋鶏も美味いよい、と言うので、春巻きを飲み込み、あ、と口を開ける。
マルコさんの瞳を淀ませる陰は姿を見せず、瞳は綺麗なままだった。
「お前さん、”俺の人生最後まで隣にいるんだ”と言ってくれただろ?」
口の中に油淋鶏があったから、そう言った、私は絶対に離れない、と心で言いながら何度も頷いていると、飲み込んだタイミングで、ほらもう一口、と食べかけの油淋鶏をまた食べさせてくれた。
「俺は、進みたいと、思ったんだよい」
ほらまだあるよいと、またエビチリを食べさせてくれた。マルコさんも食べて、とエビチリを食べてもらって、春巻きも油淋鶏も、ほら、はい、とお互いの口へ運び続ける。
すべて綺麗に半分こ。
奇数になっていた春巻きはもちろん半分に切って、半分こ。
「私も、”溺愛している彼氏さん”ですって言うだけですね」
旅行で伝えた言葉はマルコさんの心にしっかり刻み込まれたみたい。嬉しいなぁ。
「そう言えば、”幸せホルモン”ってのはすごいのかよい?」
イゾウさんのお店での会話は、やっぱり聞かれていた。
それはなんなんだ?と尋ねられたから、文字通り幸せのホルモンなのだと答える。けどマルコさんがまだ首を傾げていたからスマホで検索。"セロトニンやオキシトシンといった神経伝達物質のこと"だと分かると、へぇ、と分かったのかどうか分からない反応をしてくれた。
「実感湧いていないんですけど、マルコさんと付き合い始めてから、色んな人にお肌綺麗だねって言われるようになったんです」
自分の頬を触ってみるけど、この時間のお肌は一日の中で一番最悪だから綺麗とは思えない。
マルコさんはつんつん私の頬を突きながら、綺麗になっているのは事実だよい、と笑った。
「今日はいただいたシートマスクするので、触るときっと気持ちがいいですよ」
「それは楽しみだよい」
「マルコさんもお風呂上がりにどうですか?乾燥にお悩みなら」
「乾燥で悩んだことはないが…」
じ、とパッケージを見つめるマルコさんの眉間には少しだけシワが。シートマスク嫌いなのかな、と尋ねてみると、そうじゃないが…と何か引っかかっている様子。
「おっさんがしたら変じゃないか?」
四十も過ぎたデカいおっさんがパック。イメージが湧かない。
どうなんだ?と誰に見せるわけでもないけど気になるらしい。
「見るのは私だけですから気にすることないですよ。気になるなら体験してみましょう!」
「初体験だよい」
「ふふ、私は結構たくさんマルコさんの初体験を貰っちゃってますね」
ほぼ料理のことだから、それ以外の初体験は初めてかもしれない。
ごちそうさまをして、片づけをした。マルコさんが離れてくれ、と言うから離れません!と抱きついていたら、俺の裸を見ることになるがいいのか?と満面の笑顔を向けてきた。
「…」
「どうする?」
「…」
マルコさんから離れたくなかったけど、マルコさんの体は刺激が強すぎるので仕方がなく離れ、今日もお風呂じゃんけんして、今日も私が負けてしまった。何故かお風呂じゃんけんだけは全戦全敗。
どうしてお風呂だけは負けてしまうんだろうなぁ。マルコさんの気持ちが強いのかな。
「こんな感じにつけるんですよ」
「へぇ…」
カシャ。
「写真いりますか?」
「なんとなく。つい撮りたくなったよい」
お風呂から出たマスクをつけた私を見て、マルコさんはすぐにスマホを構えた。マルコさんは楽しそうにスマホ画面を眺め、もう一枚、とまたカメラを向ける。
「マルコさん。フットマッサージャー使ってもいいですか?」
「もちろん」
お風呂へ向かうマルコさんを見送り、いそいそとマッサージの準備。
マルコさんが先週買ってくれたフットマッサージャーは、座りながらでも横になりながらでも使える三つ折りタイプだった。コンパクトだからソファの上に常に置いてあるので、準備といっても三つ折りを開きコンセントに挿すだけ。
「今日はどのコースにしようかな」
ソファに横になって、本体を左足、右足の順に入れて、マスクをそろそろ取らないといけないことに気がついた。
やりすぎると乾燥してしまう。ぺら、と顔からマスクを剥がして、足を抜いて、ゴミ箱に捨てて、また本体に足を入れる。
「えーっと、今日は歩き回って足の裏が疲れたから…」
足の裏集中コースを選び、スイッチオン。
「はぁぁ~」
ぎゅ、ぎゅ、と足全体を揉みながら、足の裏をストレッチしてくれる。
今日はなんて最高な日だろう。一週間頑張った自分の体を労るにはすごくいい。
マルコさんに怒ってしまったけど、先週使ったらあまりの気持ちよさに感動してしまい、マルコさんはほら買って正解だった、と何故か得意げだった。
「…きもちいぃ」
お腹はいい感じに満たされ、体をさっぱりさせて、最後にマッサージ。
瞼が落ちていく。元々気にならない機械音がさらに小さくなり、意識が遠のいていく。
明日は何をするんだったけなぁ、明日考えればいいか、と夢の中に行こうとしていると、誰かに頭を撫でられた。
「寝るならベッド」
目を開けると、視界一杯に真っ白な顔のパイナップルおじさんが。
先週と逆だ、使い方はこれであってるかよい?と顔を近づけたまま言うので、もう少し離れてもらわないと分からない、と答える。すると、少しだけ離れてくれたマルコさんの顔全体を見ることができた。
カシャ。
「写真いるのかよい?」
「なんとなく。つい撮りたくなっちゃいました」
マルコさん、初のシートマスク。
「会社の方にお礼を言っておいてほしいです」
肌がすごくしっとりしました、と自分の頬に触れながら伝えると、マルコさんの手が近づいてきた。
「本当だよい」
触り心地がいつもと違うよい。この一枚でこんなに効果があるのか。
「ま、マルコさん」
「気持ちいよい」
「そ、それはよかったですねぇ…」
ソファの前に座って、指で優しくつついたり、手のひらで包んでみたり。白い顔のマルコさんは私の頬を堪能する。
いつの間にか終わっていたフットマッサージャーを片づけたいけど、あまりにも楽しそうだからマルコさんのパック時間まで待つことに。
指に吸い付くよい、すごいよい、とマルコさんは全く飽きなかった。
「マルコさん、そろそろ剥がした方がいいですよ」
「ん」
「それで、こんな感じで、顔に残った美容液は手で馴染ませるといいですよ」
「なるほど」
マルコさんは真剣に私の言葉を聞いて、マスクを取り、手のひらで馴染ませる。
「ふふ」
ピコン。
「動画を撮ってるのか?」
「はい。"美容に目覚めたマルコさん"です」
「そんなの需要ないだろ?」
私にはあるんですよ、と答えながらもう馴染ませなくてもいいと伝えると、マルコさんは手を止めて、ふむ、と肌を確かめる。
「俺の肌じゃないよい」
「マルコさんのお肌ですよ」
「すごいよい。ほら」
頬を私の方に寄せてくれたので、ちょん、と人差し指で触れてみる。
確かに、いつものマルコさんのお肌じゃない!
体を起こして、マルコさんに腕を広げてみせると抱き上げてくれた。マルコさんの顔と同じ高さになれたから、ぴと、と頬をくっつけてみる。
「マルコさん、た、大変です!」
「よい?」
「頬が吸い寄せられます!」
「ははっ…!」
寝室へ向かう間、何度も頬とくっつけて離してを繰り返し、ベッドに入ってからも何度も頬を合わせる。
「他のメーカーならドラッグストアにも売ってるので明日見てみましょうか」
マルコさんの上に乗って頬を撫でていると、マルコさんが唇を頬に寄せ、ゆっくりと唇が離れていく。
「やば」
マルコさんの語彙力がなくなった瞬間だった。
どうしたのかと思ったら、唇が吸い寄せられた、気持ちがいい、とキスをしながら教えてくれる。
確かに頬をくっつけた時もそうだったから唇でも気持ちがいいのは当然だ。
「私もしたいです!」
「駄目。まだ俺の番」
「わっ」
マルコさんは私を抱きしめたまま、ぐるん、と体を回転させて私をベッドに沈みこませた。覆いかぶさるマルコさんの顔が近づき、頬を中心に、たまにおでこにも啄むキスが何度も落とされる。
「ううぅ、マルコさん」
「クセになるよい」
「んっ…マルコ、さんってばぁ」
「明日たくさん買おう」
「マルコさんっ!」
私もキスしたい!一回させて!とマルコさんの顔を両手で抑えようとするけど、ぐぐぐ、と力を入れられて敵わない。
顎からおでこまで少しずつ上がっていったと思ったら、おでこから顎へと下がっていき、一回唇にもキスをして、頬へいき、反対の頬へ。
「頬が一番やばい」
「っあ」
マルコさんがたまにくれる”キスの雨”の数はすでに超えていた。
こんなにキスをされたらせっかくつけた美容液がマルコさんの唇に奪われてしまうんじゃ、と離れた隙をついてマルコさんの唇に触れてみたら、すごく触り心地がよかった。
「んぅ」
「やばい。これはやばいよい」
「まだ、っですか?」
「まだ…あぁ、やばい」
「…」
「やばい」
シートマスクをしたらマルコさんはきっと毎回こんなことになる。
私のお肌は、幸せホルモンだけで頑張ろう。
「あ」
「どうしました?」
「頬よりも唇の方がやばい」
「それはマルコさんの唇がぷるぷるだからですよ…」
私が”溺愛している彼氏さん”は、今日だけで一体何回顔にキスをしたのか。
私は抵抗をやめ、数えるのもやめた。
顔を上げると、包容力がすごいと噂の営業さん(三十一話登場)がいた。彼の手には菓子箱。もう一度どうぞ、と促されたから咄嗟にラングドシャを一つ手に取った。けど、ここの焼き菓子だとフィナンシェが一番好きだったから、やっぱりこっち、と変えさせてもらう。
クミさんにも焼き菓子を渡した彼は、私とクミさんを見ながらお客様から頂いたのだと教えてくれた。
そこら辺に置いておけばいいのにわざわざ来るなんて何の用?
そんな心の声が聞こえてきそうなクミさんの眉間にはシワが。彼はその表情を、仕事の邪魔をされて嫌な思いをさせたと受け取り、お邪魔してしまってすいません、と謝った。
「いえ。お菓子、ありがとうございました」
「はい」
それから彼は、私の部署の人達にも同じように配って回り、島から離れていった。
「クミさん、シワ、シワが」
「元々こういう顔なの」
クミさんの彼への嫌悪感はなかなかのものだ。クミさんには被害がないし、社内の女性達からも彼の悪い噂を聞いたことがないからそこまで眉間にシワを寄せなくても。私が社内事情に疎いだけなのかもしれないけど、包容力があるのなら彼は優しい人なのだと思う。
「まぁ、おやつの時間でしたからちょうど良かったですね」
「引き出しにいくらでもあるからいらない」
「いらないなら私が食べますよ」
「お菓子に罪はないからいただくわ」
すぐに袋を開けたクミさんに苦笑いしながら、明日実家へ行くために仕事を進めようと私も糖分を摂取する。今日はこれ以降打ち合わせがなく、幸いにも電話が鳴ることがなかったからフィナンシェ一つで三時間も没頭していた。
「お菓子、余ってる」
午後六時、もうひと頑張りするためにコーヒーの力を借りたくてコーヒーマシンの元を訪れると傍には菓子箱が。
フィナンシェが三つも!これは食べてもいいのかな。コーヒーのお供に欲しい。
もう一つ貰おうかな、とカップを持ちながら菓子箱に手を伸ばしていたら、どうぞ、と声がした。横を見ると、パソコンを抱えた例の彼が微笑みながら私を見ている。
「今いらっしゃる技術部の方には配りましたので、食べていただいても大丈夫ですよ」
「営業部や管理部の方達には配られなかったんですか?」
「これはいつも無理なお願いを引き受けていただいている技術部の方へのお礼、とのことでしたので。どんどん食べてください」
では打ち合わせがありますので、と笑顔で会議室へ行ってしまった彼を見送り、ありがたく一つ頂いて席に戻ると、じと、と私を見つめるクミさんの眉間にはまたシワが。さっきよりも深く刻まれている。
「餌付けされてるじゃない」
「ここのフィナンシェが美味しすぎるのが悪いんです」
「そんなに美味しいの?」
「まだありますから持ってきますよ」
「私は帰るから大丈夫よ」
なら食べきっちゃおうかな。
もう一度コーヒーマシンの元へ行き菓子箱ごと手に取って、念のためこれからまだまだ頑張る人達に食べますか、と聞いてみると、大丈夫だよ、これもあげる、と何故かお菓子をくれて、おかげでまた没頭することができた。
「あ!おつかれさまです!」
「おつかれです〜!」
「いいところに!」
二十一時過ぎ。進めたかったところまで終えて、明日は予定通り会える、と足取り軽く会社を出て駅に着くとテンションの高い女性三人に声を掛けられた。
「今から二軒目行くんですけど、もしよければどうですか?」
「ずっとご飯誘ってみたかったんです!」
「色々お話聞かせてください!」
一軒目で随分と飲んだのか、管理部の女性達が普段からは想像もつかない満面の笑みで私に詰め寄ってくる。いつもは可愛い笑顔だったり、素敵な笑顔を向けてくれるけど、今は無邪気な笑顔。
お話とは?と不思議に思って足を止めたのが運の尽き。彼女達に両サイドを固められてしまい、行きましょう!と、タクシーに押し込まれる。
私と彼女達は名前ぐらいしか分からない間柄だったと思うけどな、と彼女達を見るけど、酔っている三人は私をニコニコ顔で見つめ返してくれるだけ。嫌な感じはしないからいっか、と私のあまりよくない癖が出てしまったけど、後部座席の真ん中に座っている時点で逃げられないからそう思うしかない。
「私達のおすすめのバーがあるんです!」
「料理も美味しいんですけど、マスターが本当に素敵で!もしかしたら、"溺愛している彼氏さん"よりも夢中になっちゃうかもですよ!」
「溺愛?」
「はい。彼氏さんを溺愛しているって聞きました!」
違うんですか?と両サイドから、前の席から見つめられる。潤んだ六つの目から逃げるように視線をあちこちに向けるけど熱い視線は全く冷めなくて、堪えられなくなった私は小さく頷いてしまった。
一体誰が溺愛しているなんて話したんだろうな。惚気大会参加者のクミさんと担当営業さんが広めることはないだろうし…。
まぁ恥ずかしいけど事実だからいっか、とまた癖が出て、彼女達の話を聞きながら、お腹空いたなぁとタクシーから降りて、私は、ドアの前で足を止めてしまった。
「おや、お嬢さん」
「…こんばんは」
連れて行かれたお店がイゾウさんのお店だなんて、一体誰が想像しただろう。
私を見て、イゾウさんはいつものように歓迎してくれた。そして、ちら、とカウンターの端に目を向ける。
「…」
「…」
私が”溺愛している彼氏さん”がいるのも、一体誰が想像できただろう。
イゾウさんが”溺愛している彼氏さん”に声を掛け、こちらを見た彼は少しだけ目を大きくして咄嗟に手を振ろうとしてくれたけど、彼女達を見て手を下してしまった。
彼女達に気づかれるのは避けたいから仕方がないけど寂しいな。
そう思って、視線だけで”おつかれさまです”を頑張って伝えてみる。
すると、すぐに目を細めてくれた。心が通じ合えた、と寂しさはなくなり胸が温かくなる。
「マスターとお知り合いなんですか?」
「もしかして、彼氏さんってマスター?」
「いえ、イゾウさんは…」
「マスターはイゾウさんって言うんですね」
「テーブル席へどうぞ」
入り口入って目の前にカウンター、右手にテーブル席が四つほどあるイゾウさんのお店は広くない。カウンターから一番離れたテーブルだとしても聞き耳を立てれば話の内容は聞こえてきてしまうほどだ。
今日は半分ほど席が埋まっていた。テーブル席はカウンターから一番遠い席と、次に遠い席が空いている。もちろん彼女達はイゾウさんの姿が少しでも近い位置になるように、二番目に遠い席を選んだ。
「お酒は飲まれるんですか?」
「すごく弱いんです。なのでソフトドリンクにします」
「残業でお腹空いてますよね?パスタとかグラタン食べますか?」
「パスタが食べたくて…」
「どれがいいですか?」
「そうですねぇ」
夜ですけど重たいの平気ですか?この時間にがっつり食べるタイプですか?私もメニュー表見てたら少し食べたくなった。ええ?一軒目でお腹いっぱいにならなかったの?私の少しあげますよ。本当ですか?どれが食べたいですか?お好きなパスタ選んでください。けど、ジェノベーゼが気になります。ふふ、じゃあそれにしましょう。
「ご来店ありがとうございます」
お水とおしぼりを持ってきてくれたイゾウさんが彼女達に笑顔を向けた。彼女達は嬉しそうにおしぼりを受け取り、カクテルとチーズの盛り合わせを注文。私には一度も向けられたことがない接客用の表情が見れて新鮮な気持ちになっていると、イゾウさんが私を見て、注文は?、と聞いてくれたので慌ててジェノベーゼパスタとウーロン茶を注文し、取り皿もお願いする。
「いつもこの時間まで残業なんですか?」
「毎日ではないですよ。日によってバラバラです」
「もっと遅い日も?」
「ありますよ」
三人は、大変ですね、無理は駄目ですよ、と心配をしてくれる。管理部も繁忙期は忙しい筈だけど、彼女達は営業や技術に比べたら責任は大したことない、いつもありがとうございます、と言うので、こちらこそいつもありがとうございます、とお礼を返した。
「そんな忙しいのに、どうしてお肌すごく綺麗なんですか?」
「やっぱり彼氏さんですか?」
「溺愛できるほどの相手を見つければ、こんなに綺麗になれるってことですか?」
この時間帯になるとファンデーションはどんなにいいものを使ってもよれてしまう。けど、彼女達が私の顔を見て、いいなぁ、綺麗だなぁ、と褒めてくれる。
「皆さんもお肌綺麗ですよ」
「ありがとうございます。スキンケアしっっっかりしてますから」
「けど、ぜんっっっぜん違います」
「幸せホルモンがたっっっくさん出ないとそんなに綺麗になれないんです」
「お待たせ致しました」
六つの目が私の毛穴の奥まで見ようとしているとイゾウさんが料理を運んできてくれた。ぱ、とすぐに三人は視線を上げ、イゾウさんは少し熱い視線を受けながら、テーブルにカクテルとウーロン茶を置いて、チーズの盛り合わせを置き、私の前にジェノベーゼパスタを置いてくれる。
「お嬢さん、”いつもの”作るがソフトドリンクでよかったのか?」
「はい。今アルコールを少しでも入れたらボロが出そうで…」
「はは、そうか」
ではごゆっくり、と去っていく背中を穴が開くほど見ていた三人の視線がまた私へと集まる。
「”いつもの”って?」
「よく来られるんですか?」
「”お嬢さん”って私も呼ばれてみたいです」
とりあえず乾杯を、とグラスを持つと、彼女達も持ってくれた。お決まりの”おつかれさまです”以外に、今日はありがとうございます、強引に誘ってすいません、けどずっとお話がしたかったので嬉しいです、と立て続けに言われ、テーブルにグラスを置くと、それで?とまた六つの目が私を捉えた。
きっと聞こえている”溺愛している彼氏さん”を意識しながら、彼氏がイゾウさんと知り合いで何回か来たことがあることを話すと、彼女達はなるほど、と相槌を打った。
「彼氏ができたのは三か月ぐらい前ですよね?」
「書類を持ってきてくれた時、”素敵すぎる人が技術部にいる!”驚いちゃって」
「その日、三人で話を聞いてみたいねって話をしていて」
幸せが滲み出ているというか、自覚はないと思いますけど雰囲気がすごく素敵だったんです。書類を受け取っただけの私までなんだかあったかくなって、何をしたらそんな素敵になれるんだろうって気になってたんですよ。
バジルのいい香りがするジェノベーゼパスタを味わおうとしたのに、三人がそんなことを言うので味がよく分からなくなってしまった。
私ってそんなに分かりやすいのかな。確かに、付き合う直前は同じ部署の人達がすごく心配していて、付き合うことになったすぐの月曜日はほっとしていたな。
周りに気付かれないようにしないと、と顔に力を入れてみると、ジェノベーゼパスタが美味しくなかったか、と不安そうに三人が言うので、慌てて笑顔で首を振った。
「皆さんは彼氏さんはいないんですか?」
「いますよ」
「合コン何回したっけ?三…五回?」
「結局アプリで見つけたんですけど」
彼女達は私のように幸せホルモンがたっっっくさん出る相手を、いつも以上に真剣に探していたらしい。その甲斐あって三人共素敵な人を見つけたのだけどやっぱり私には適わないんだと、また私の毛穴を凝視してくる。
…よれているので見ないでほしいです。いえ、今日は見させていただきます。今日を逃したらまたいつお話しできるか分からないんですから。あの、連絡くれればご飯行きますよ。
彼女達のグラスが空になりそうだったので何か注文をと促すと、”ロングアイランド・アイスティー””アレクサンダー””ピンク・レディ”にすると言うので固まってしまった。
”溺愛している彼氏さん”とイゾウさんが教えてくれたレディキラーカクテルを注文するなんて。
「お酒お強いんですか?」
「ふふ。全員、酒豪ですよ」
「あ、弱かったら、この三つは飲んだら駄目ですからね」
「前に、これを飲ませて潰そうとしてきた野郎達を潰してやったことありますよ」
「あの合コンは本当面白かったね」
「”面白い”…」
「ご注文お伺いします」
逞しすぎる。私もそれぐらい強かったらあんなことにはならなかったのになぁ、とまだ半分あるウーロン茶を飲みながらカウンターの方に顔を向けると、あの時助けてくれた”溺愛している彼氏さん”はロックグラスを揺らしていた。
「…」
無性に写真を撮りたい衝動に駆られたけど、今はできない。
あぁ…、なかなか見れない姿なのに…、あぁ…。
「彼氏さん、きっとたくさん言葉にしてくれるんですね」
「あ、そうですね…。言葉もそうですけど、態度でも表してくれます」
「お待たせいたしました」
テーブルに置かれたアレクサンダーとピンク・レディを見る。これが、私が絶対に飲んではいけないカクテル達。
アレクサンダーを嗅がせてもらったら、チョコレートのいい香りがした。ピンク・レディは見た目が名前の通りピンク色で可愛い。カクテルに詳しくない女性なら喜んで飲んでしまうだろうから、”レディキラーカクテル”と言われるのも納得。
「彼氏さんって甘えてきたりしますか?」
「すごく甘えてきますよ」
「鬱陶しいなって思ったりは?」
「全くしません」
最近は特に甘えたが強く出ているような気がする。意識したことはなかったけど、言葉遣いも出会った頃から変わっている。
気を張らなくていいんだと思ってくれているとしたら、すごく嬉しいな。
けど、今日の”溺愛している彼氏さん”は”可愛い”ではなく”かっこいい”だった。仕事終わりだからスーツを着ていて、いつも私と過ごす姿と違っていて、すごく新鮮。
「お手洗い、行ってきます」
写真が撮れないなら、姿を近くで見たくて席を立つことにした。お手洗いはテーブル席の反対側、カウンターの奥にある。ちょうど、”溺愛している彼氏さん”の横を通り過ぎないと行けない。
「お腹は満たされました?デザート食べます?」
「お腹は満たされたので大丈夫ですよ」
「なら、お手洗いから帰ってきたらお会計しましょうか」
「いつでもご飯誘っていいって言ってくれたから、今日全部聞かなくていいしね」
「はい。予定合えばいつでも行きますよ」
「やったね」
「今日拉致して正解」
「あはは」
席を立ち、テーブル席を通り過ぎる。
「そろそろ予約していた車の順番が回ってくるんだが、人気が落ちてるみたいで悩んでんだよい」
「今の車、二年ぐらいか?」
「あぁ。別の車も抑えているが…」
私に気付いていたイゾウさんだったけど、”溺愛している彼氏さん”と会話を続けていた。”溺愛している彼氏さん”のかっこいい後ろ姿を見つめながら、後ろ、横を通り過ぎ、お手洗いへ。
「…」
…か、かっこいい!あぁ、会社帰りにスーツ姿でデートしたいな。その時の私の服装は…。
なんて、お願いすればいくらでもできるデートを想像して、お手洗いから出て、今度は正面からかっこいい姿を見る。
“溺愛している彼氏さん”は私の方を見ず、イゾウさんと話し込んでいた。車の話を続けていて、そろそろあの大きい車とさよならなのかな、と車を思い浮かべ、”溺愛している彼氏さん”の横に差し掛かった時、イゾウさんに話しかけられた。
「お嬢さん。彼女達は友人なのか?」
「いえ、同じ会社の人なんです。彼女達が二軒目へ行こうとしていたところに…」
私が居合わせて、と言葉を続けようとしたら誰かに手の甲を撫でられた。そのまま指先までをゆっくりとなぞり指を絡められる。骨ばっている指が私の指を一本一本大事に撫でてくれるから、お返しに同じように撫でてみると力を込められた。動かせる指の先で広い手の甲を撫でてみると、同じように撫でてくれる。
「明日は実家へ行くんだろう?」
「はい」
「”溺愛している彼氏”も一緒か?」
「ふふ、はい」
“溺愛している彼氏さん”は素知らぬ顔でグラスを持ち、イゾウさんにグラスを差し出した。
「イゾウ、もう一杯」
「はいよ。お嬢さん達はまだ飲むかい?」
「いえ。そろそろ帰ろうかって…」
ぎゅ、と一回強く力を込められた。力が抜かれたタイミングでぎゅううう、と込めてみると、くく、と笑い声がして、イゾウさんが溢すなよ、と注意する。
「そうか。また四人でも、一人でも、”溺愛している彼氏”と二人でも、いつでも来るといい」
「はい」
左足を踏み出し、右足を少しづつ前に出し、絡められた”溺愛している彼氏さん”の指が少しづつ剥がれていく。小指、親指が離れ、人差し指、薬指が離れた時、少しだけ中指で撫でられた。ちょん、と最後に撫でてあげて、テーブル席の方へ。
今日は強引に誘ったので、と彼女達が奢ってくれた。楽しかったから自分の分は払いたかったけど、逞しい彼女達に敵わず、次回は多めに出そうと心に決めた。
「またお越しください」
「また来ます」
「次はカウンター席にします!」
「はい。お待ちしております」
イゾウさんが私達の見送りのために店の外まで出てきてくれた。彼女達がタクシーで帰ろうか電車で帰ろうか話している隙を見逃さず、イゾウさんの横に立ち、こそっと声をかける。
「イゾウさん」
「どうした?」
「”溺愛している彼氏さん”に伝えてください」
今日はすっごくかっこいいですよって。
◇ ◇ ◇
金曜日。改札を出てすぐ、険しい顔をしているマルコさんを見つけた。
眉間にシワを寄せてスマホ画面を見つめている。
いつもなら顔を上げて私を探し、姿を見つけるとすぐに大きな手を振って優しく笑いかけてくれるけど、今日は私に気づかない。
今週は落ち着いていると言っていたけど仕事で何かあったのかな。もしかして、お父さんに何かあったとか。
「マルコさん」
声を掛けると、マルコさんは驚いたように私を見た。すまん、気づかなかったよい、と苦笑いして、行くよい、と手を取りながら歩き出す。
「急ぎのお仕事ではないですか?」
「ん?」
何かあったのなら私のことは気にせず、とマルコさんを見ながら伝えると、指を絡められた。にぎにぎと力を込めながら、仕事のことではないし急ぎのことでもないと教えてくれる。
「けどすごいシワが寄ってましたよ」
眉を内側に寄せ、口を結び、むむむ、とマルコさんの真似をすると自覚がなかったのか、そんなに?と驚いていた。
けどマルコさんは本当に何もないから大丈夫、と手を繋いている方の腕を軽く振りながら言った。マルコさんがそう言うならこれ以上聞くつもりはないので、話題を変えよう。
「夜は少し過ごしやすくなりましたね」
「けどまだまだ暑いよい」
早く冬にならないか、と秋を飛ばしてしまったマルコさん。
「秋はいらないですか?」
「最近は秋なんてほとんどないからなぁ。夏の後はすぐに冬だ」
「マルコさんの誕生日もあるのに」
「俺は別にいいが…お前さんの誕生日もあるから秋はやっぱり必要だよい」
私の誕生日はマルコさんの翌月。大台に乗る前の最後の年が始まるのか、なんて考えていると、マルコさんに両親の誕生日を尋ねられた。
「来月です。一日違いなんですよ」
プレゼント、今年は何がいいかな。
マルコさんに今までどんなプレゼントを渡したのか尋ねられたから、思い出せる限り言葉にする。社会人になってからはプレゼントの予算が上がったけど、小さい頃はベタな肩叩き券を渡したりしていた。
「プレゼント、俺も出していいかよい?」
オートロックをして解錠してエントランスを通り、エレベーターに乗る。少し力を込めて握ってくれるマルコさんがもう一度、自分もプレゼントを渡したい、と私の顔を覗き込んだ。
「そんな大丈夫ですよ」
「俺の日頃の気持ちも乗せたい」
「マルコさんがプレゼントのようなものですけど…」
イゾウさんのお店に行った翌日、予定通りマルコさんと実家へ行った。いつも通り両親はニコニコともぐもぐマルコさんを眺め、来週も来ると知ったらそれはそれは嬉しそうな表情をしてくれた。だからマルコさんの存在自体がプレゼントになるのは間違いない。
「あ」
「?」
そうだ!今年は趣向を変えて、マルコさんの髪にリボンを結んで、プレゼント!って渡したら…。
「…」
「?」
「流石のマルコさんでも、リボンはしない方がいいかもしれないです」
「…何を企んでいたのか分からないが、その方がいいよい」
「そうします」
いつものマルコさんを両親へプレゼントしたら、きっとすごく喜んでもらえるだろうなぁ。
両親はマルコさんの食べたいものをたくさん作って、マルコさんはそれを美味い美味いと食べる。お皿が空になったタイミングで両親がまだあるからとテーブルに並べて、マルコさんはすごく嬉しそうに食べ続け…。
”親父さん達の料理はやっぱり美味い。もうお前さんの料理は食べられないよい”
”ははは。マルコさんは父さん達のものだ”
”ふふ。残念だったわねぇ”
…。
「マルコさんが奪われてしまいました…」
「お前さんはたまによく分からないことを言うねい…」
「マルコさんは絶対に渡しません!」
ぎゅう、と力を込めて大きな手を握っていたのに、靴を脱ぐためにマルコさんが手を離そうとした。それを逃がすまいと両手で掴んで、そのまま靴を脱いでもらう。
「マルコさんのお父さんのお誕生日はいつですか?」
「四月」
「その時は私も出しますね!」
「適当な酒を渡せばいいから気にしなくていいよい」
「私からの気持ちも乗せたいので出します」
「ん、分かった」
帰りに買ってくれたデパ地下のお惣菜をテーブルに並べるために手が離れてしまったから、マルコさんの背中から腰に抱きつく。マルコさんは、別に誰も俺を狙わないよい、と手を撫でてくれた。
「マルコさん」
「ん?」
「挨拶、まだ行っちゃ駄目ですか?」
マルコさんのタイミングまで待つとは決めているけど、プレゼントを渡す前には会いたいな。
まだ半年以上あるから、マルコさんもマルコさんのお父さんも都合はつきやすいはず。
マルコさんは私の腕を剥がして、真正面から抱きしめてくれた。マルコさんの胸に顎をつけて顔を見つめていると、目を細めながら頭をゆっくりと撫でてくれる。
「オヤジに聞いておくよい」
「本当ですか!?」
「本当」
「お父さんのご都合に合わせますからね!余裕のある時で大丈夫ですから!」
「はは。そんなに嬉しいのかよい?」
何度も大きく頷いていると、マルコさんの顔が近づいてきた。私もつま先立ちになって、一週間ぶりのキスをする。
「どんな料理がお好きですか?振る舞いたいです」
「安いもの」
そんなざっくりでは何を作ったらいいのか分からない。マルコさんは適当な酒と適当なご飯を用意すればいいんだと言うだけ。
「なら苦手なものはないですか?」
「コピ・ルアク」
「コーヒーじゃなくて、コピ・ルアクだけが苦手なんですか?」
好きなものとは違い、すごく具体的だった。
どうしてコーヒーの、しかもその種類だけが嫌いなのだろう?
安い食べ物なら、地元のスーパーで食材を買った方がいいかな。高級食材は使わずに、味付けもシンプルにして…。
「オヤジの話はこの辺にして。誕生日関係なくお前さんへプレゼントが…」
「あ、離れちゃ駄目です!」
「だから誰も狙わないよい」
離さないぞ、と腕の力を込めていたら、長い溜息をつかれてしまった。
仕方がない、と抱き上げ、椅子に座ったマルコさんは私を膝の上に乗せた。そして抱きつく私をそのままに、椅子の足元にある鞄に手を伸ばして何かを取り出す。
「これ」
それは、マルコさんの手のひらよりも少し大きな、長方形の平たいもの。海外の文字が印字されているから正確には分からないけど、この形したものが何かは予想がつく。
「シートマスクですか?」
どうしたのかと尋ねると会社で貰ったのだそう。
「お前さんにって」
マルコさんの会社に知り合いはいないと思うけど…?
頭にハテナをいくつも浮かべていると、くつくつ笑われた。
「それがよい」
今日、会社でお菓子好きの部下さんを探していたら数人で話し込んでいるのを見かけ、邪魔してはいけないと思って声をかけないでいたら気付いた部下さんに呼ばれ、グループの輪に入ることになり、そこで何故かシートマスクを貰った。
と、マルコさんが教えてくれた。
「こういうのが好き奴が何人かいるんだが、一人が海外で大量に買って帰ってきたんだよい」
「ならこれ、ご自分用では?」
「自分用と土産用」
「どうして私になんですか?」
友だちや仲のいい社内の人へのお土産ではなかったのかな?
「菓子好きの部下が、”俺がいつも惚気るんだ”と話し出してよい」
「のろけ」
「そうしたら、周りに根掘り葉掘り聞かれて」
「ねほりはほり」
「”そんな溺愛している美味しい料理を作る可愛い彼女さんへプレゼント”って」
「できあい、おいしい、かわいい」
マルコさんは一体何を話したんだろう。”溺愛””美味しい””可愛い”の三つからして、悪口や不満ではないのだろうけど、その場にいなかったのに恥ずかしくなる。
「年齢は話していないよい」
前にマルコさんと年齢差の話をしたことがあって、だからイゾウさんのお店では話さないようにしていた。マルコさんの年齢を知っているのは家族を除いたらアスカだけ。マルコさん側は、知る限りではイゾウさんとサッチさん、エース君とルフィ君。
デートの時も、さっきだって手を繋いで歩いているから、隠す気があるのかと尋ねられると、徹底してます!とは言えないけど。
「…これからもずっと一緒にいるなら、遅かれ早かれ知られる時が来ますよね」
誰に何と言われても気にすることはないけど、マルコさんが傷つくのだけは嫌だな。
シートマスクを見ながらどうしたらいいのか考えていると名前を呼ばれた。マルコさんを見ると、ご飯食べようとお惣菜を指さすので、いただきます、と両手を合わせる。
「自分から言うつもりはないが、知られた時は…」
ほら、と口の前にエビチリがきたのでぱくり。今日は中華。春巻きをとって、マルコさんの口元へ運ぶと大きな口で食べてくれた。
エビチリ、甘めで美味しいですね。春巻きは歯ごたえがあっていいよい。マルコさん、あ。ん、ほら。
「”大切な人”だと、言うだけだよい」
春巻きをもぐもぐしていると、頭に何かが乗って、大きく左右に動いた。髪を撫でられ、油淋鶏も美味いよい、と言うので、春巻きを飲み込み、あ、と口を開ける。
マルコさんの瞳を淀ませる陰は姿を見せず、瞳は綺麗なままだった。
「お前さん、”俺の人生最後まで隣にいるんだ”と言ってくれただろ?」
口の中に油淋鶏があったから、そう言った、私は絶対に離れない、と心で言いながら何度も頷いていると、飲み込んだタイミングで、ほらもう一口、と食べかけの油淋鶏をまた食べさせてくれた。
「俺は、進みたいと、思ったんだよい」
ほらまだあるよいと、またエビチリを食べさせてくれた。マルコさんも食べて、とエビチリを食べてもらって、春巻きも油淋鶏も、ほら、はい、とお互いの口へ運び続ける。
すべて綺麗に半分こ。
奇数になっていた春巻きはもちろん半分に切って、半分こ。
「私も、”溺愛している彼氏さん”ですって言うだけですね」
旅行で伝えた言葉はマルコさんの心にしっかり刻み込まれたみたい。嬉しいなぁ。
「そう言えば、”幸せホルモン”ってのはすごいのかよい?」
イゾウさんのお店での会話は、やっぱり聞かれていた。
それはなんなんだ?と尋ねられたから、文字通り幸せのホルモンなのだと答える。けどマルコさんがまだ首を傾げていたからスマホで検索。"セロトニンやオキシトシンといった神経伝達物質のこと"だと分かると、へぇ、と分かったのかどうか分からない反応をしてくれた。
「実感湧いていないんですけど、マルコさんと付き合い始めてから、色んな人にお肌綺麗だねって言われるようになったんです」
自分の頬を触ってみるけど、この時間のお肌は一日の中で一番最悪だから綺麗とは思えない。
マルコさんはつんつん私の頬を突きながら、綺麗になっているのは事実だよい、と笑った。
「今日はいただいたシートマスクするので、触るときっと気持ちがいいですよ」
「それは楽しみだよい」
「マルコさんもお風呂上がりにどうですか?乾燥にお悩みなら」
「乾燥で悩んだことはないが…」
じ、とパッケージを見つめるマルコさんの眉間には少しだけシワが。シートマスク嫌いなのかな、と尋ねてみると、そうじゃないが…と何か引っかかっている様子。
「おっさんがしたら変じゃないか?」
四十も過ぎたデカいおっさんがパック。イメージが湧かない。
どうなんだ?と誰に見せるわけでもないけど気になるらしい。
「見るのは私だけですから気にすることないですよ。気になるなら体験してみましょう!」
「初体験だよい」
「ふふ、私は結構たくさんマルコさんの初体験を貰っちゃってますね」
ほぼ料理のことだから、それ以外の初体験は初めてかもしれない。
ごちそうさまをして、片づけをした。マルコさんが離れてくれ、と言うから離れません!と抱きついていたら、俺の裸を見ることになるがいいのか?と満面の笑顔を向けてきた。
「…」
「どうする?」
「…」
マルコさんから離れたくなかったけど、マルコさんの体は刺激が強すぎるので仕方がなく離れ、今日もお風呂じゃんけんして、今日も私が負けてしまった。何故かお風呂じゃんけんだけは全戦全敗。
どうしてお風呂だけは負けてしまうんだろうなぁ。マルコさんの気持ちが強いのかな。
「こんな感じにつけるんですよ」
「へぇ…」
カシャ。
「写真いりますか?」
「なんとなく。つい撮りたくなったよい」
お風呂から出たマスクをつけた私を見て、マルコさんはすぐにスマホを構えた。マルコさんは楽しそうにスマホ画面を眺め、もう一枚、とまたカメラを向ける。
「マルコさん。フットマッサージャー使ってもいいですか?」
「もちろん」
お風呂へ向かうマルコさんを見送り、いそいそとマッサージの準備。
マルコさんが先週買ってくれたフットマッサージャーは、座りながらでも横になりながらでも使える三つ折りタイプだった。コンパクトだからソファの上に常に置いてあるので、準備といっても三つ折りを開きコンセントに挿すだけ。
「今日はどのコースにしようかな」
ソファに横になって、本体を左足、右足の順に入れて、マスクをそろそろ取らないといけないことに気がついた。
やりすぎると乾燥してしまう。ぺら、と顔からマスクを剥がして、足を抜いて、ゴミ箱に捨てて、また本体に足を入れる。
「えーっと、今日は歩き回って足の裏が疲れたから…」
足の裏集中コースを選び、スイッチオン。
「はぁぁ~」
ぎゅ、ぎゅ、と足全体を揉みながら、足の裏をストレッチしてくれる。
今日はなんて最高な日だろう。一週間頑張った自分の体を労るにはすごくいい。
マルコさんに怒ってしまったけど、先週使ったらあまりの気持ちよさに感動してしまい、マルコさんはほら買って正解だった、と何故か得意げだった。
「…きもちいぃ」
お腹はいい感じに満たされ、体をさっぱりさせて、最後にマッサージ。
瞼が落ちていく。元々気にならない機械音がさらに小さくなり、意識が遠のいていく。
明日は何をするんだったけなぁ、明日考えればいいか、と夢の中に行こうとしていると、誰かに頭を撫でられた。
「寝るならベッド」
目を開けると、視界一杯に真っ白な顔のパイナップルおじさんが。
先週と逆だ、使い方はこれであってるかよい?と顔を近づけたまま言うので、もう少し離れてもらわないと分からない、と答える。すると、少しだけ離れてくれたマルコさんの顔全体を見ることができた。
カシャ。
「写真いるのかよい?」
「なんとなく。つい撮りたくなっちゃいました」
マルコさん、初のシートマスク。
「会社の方にお礼を言っておいてほしいです」
肌がすごくしっとりしました、と自分の頬に触れながら伝えると、マルコさんの手が近づいてきた。
「本当だよい」
触り心地がいつもと違うよい。この一枚でこんなに効果があるのか。
「ま、マルコさん」
「気持ちいよい」
「そ、それはよかったですねぇ…」
ソファの前に座って、指で優しくつついたり、手のひらで包んでみたり。白い顔のマルコさんは私の頬を堪能する。
いつの間にか終わっていたフットマッサージャーを片づけたいけど、あまりにも楽しそうだからマルコさんのパック時間まで待つことに。
指に吸い付くよい、すごいよい、とマルコさんは全く飽きなかった。
「マルコさん、そろそろ剥がした方がいいですよ」
「ん」
「それで、こんな感じで、顔に残った美容液は手で馴染ませるといいですよ」
「なるほど」
マルコさんは真剣に私の言葉を聞いて、マスクを取り、手のひらで馴染ませる。
「ふふ」
ピコン。
「動画を撮ってるのか?」
「はい。"美容に目覚めたマルコさん"です」
「そんなの需要ないだろ?」
私にはあるんですよ、と答えながらもう馴染ませなくてもいいと伝えると、マルコさんは手を止めて、ふむ、と肌を確かめる。
「俺の肌じゃないよい」
「マルコさんのお肌ですよ」
「すごいよい。ほら」
頬を私の方に寄せてくれたので、ちょん、と人差し指で触れてみる。
確かに、いつものマルコさんのお肌じゃない!
体を起こして、マルコさんに腕を広げてみせると抱き上げてくれた。マルコさんの顔と同じ高さになれたから、ぴと、と頬をくっつけてみる。
「マルコさん、た、大変です!」
「よい?」
「頬が吸い寄せられます!」
「ははっ…!」
寝室へ向かう間、何度も頬とくっつけて離してを繰り返し、ベッドに入ってからも何度も頬を合わせる。
「他のメーカーならドラッグストアにも売ってるので明日見てみましょうか」
マルコさんの上に乗って頬を撫でていると、マルコさんが唇を頬に寄せ、ゆっくりと唇が離れていく。
「やば」
マルコさんの語彙力がなくなった瞬間だった。
どうしたのかと思ったら、唇が吸い寄せられた、気持ちがいい、とキスをしながら教えてくれる。
確かに頬をくっつけた時もそうだったから唇でも気持ちがいいのは当然だ。
「私もしたいです!」
「駄目。まだ俺の番」
「わっ」
マルコさんは私を抱きしめたまま、ぐるん、と体を回転させて私をベッドに沈みこませた。覆いかぶさるマルコさんの顔が近づき、頬を中心に、たまにおでこにも啄むキスが何度も落とされる。
「ううぅ、マルコさん」
「クセになるよい」
「んっ…マルコ、さんってばぁ」
「明日たくさん買おう」
「マルコさんっ!」
私もキスしたい!一回させて!とマルコさんの顔を両手で抑えようとするけど、ぐぐぐ、と力を入れられて敵わない。
顎からおでこまで少しずつ上がっていったと思ったら、おでこから顎へと下がっていき、一回唇にもキスをして、頬へいき、反対の頬へ。
「頬が一番やばい」
「っあ」
マルコさんがたまにくれる”キスの雨”の数はすでに超えていた。
こんなにキスをされたらせっかくつけた美容液がマルコさんの唇に奪われてしまうんじゃ、と離れた隙をついてマルコさんの唇に触れてみたら、すごく触り心地がよかった。
「んぅ」
「やばい。これはやばいよい」
「まだ、っですか?」
「まだ…あぁ、やばい」
「…」
「やばい」
シートマスクをしたらマルコさんはきっと毎回こんなことになる。
私のお肌は、幸せホルモンだけで頑張ろう。
「あ」
「どうしました?」
「頬よりも唇の方がやばい」
「それはマルコさんの唇がぷるぷるだからですよ…」
私が”溺愛している彼氏さん”は、今日だけで一体何回顔にキスをしたのか。
私は抵抗をやめ、数えるのもやめた。
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