パイナップルからはじまる恋
「どうして起こしてくれなかったんだよい…!」
おはようございます、おはようさん、といつものように朝の挨拶をしてすぐ、マルコさんは、あれ?と首を傾げた。そして、腰窓の向こうを見てサイドテーブルにある時計を見ると、この世の終わりのような表情に変わり、私の肩を掴みながらそう声を上げる。
「五回ぐらい起こしたんですけど、ぐっすりで…」
「……」
「大丈夫ですよ。予約してるお店には十分間に合います!」
「けどよい…」
「あ、ほら、アクシデントがある旅行の方が忘れられない思い出になるじゃないですか!」
「アクシデント…」
マルコさんがそろり、と時計を見て、私を見て、本当にすまん…、と力なく呟く。本当なら、途中のお店で美味しいランチを食べている頃なのだ。
マルコさんは肩を掴んでいた手をずるずると落とし、上体を曲げて、大変申し訳ない、と土下座した。顔を上げてもらいたくて声をかけてもマルコさんが謝り続けるので、私も同じように土下座の姿勢になりマルコさんの顔に顔を近付ける。
ベッドの上で土下座し合うなんて初めて。
「マルコさん、顔を上げてほしいです」
「…」
「まーるーこ、さん?」
「…」
「ま、る、こ、さん?」
「…っ」
「私のお願い、聞いてくれないんですか?」
「その言い方は卑怯だろい…!」
マルコさんとの初めてのお泊り旅行は、スタートから躓いていた。けどそれは、マルコさんが今週すごく忙しかったから仕方がないのだ。平日は私が起きている時間に電話をする余裕がなく、メッセージのやりとりだけだったのは付き合ってから初めてだった。実家に来る予定だったのも駄目になり、昨日もお家にお邪魔できたのが二十二時過ぎ。出迎えてくれたマルコさんは本当に疲れ切っていたから旅行はキャンセルしようと提案したけど、旅行があったから頑張れた、行きたい、とマルコさんが言うのでキャンセルはしなかった。
「せっかくの…旅行」
「そんなに落ち込まないでください。ゆっくり準備して行きましょ?」
「俺はできない男だよい…」
大きな背中を丸めて、ふわふわの髪も元気がなく、今まで見てきた”しょんぼりマルコさん”とは比べ物にならないほど落ち込んでいる。
マルコさんとお部屋でゆっくりできれば十分です、今日の夜ごはんと明日のカフェは行けますから、と頭を撫でながら元気を出してもらおうとするけど、今日のしょんぼりマルコさんはなかなかに手強い。
分かっていたけど、やっぱりこうなっちゃったな…。
寝坊したと知ったマルコさんがどうなるかは、予想できていた。けど昨夜の様子を見て、無理矢理起こそうなんて思えるはずはなく、七時には起きていたのにずっとマルコさんの寝顔を眺めていたのだ。
けど、こんなに落ち込ませるのなら心を鬼にして起こせばよかった…。
「すいません」
「?」
「私も、もっと頑張って起こせばよかったです…」
五回で諦めてはいけなかった。マルコさんが起きるまで全力で叩き続ければ、こんなに落ち込ませることはなかったのに。
しょんぼりがうつってしまったのか私まで気を落としてしまい、マルコさんの手を掴みながら何度も謝る。するとマルコさんが手を強く握ってきた。
「すまん!お前さんは悪くないよい!起きなかった俺が全面的に悪い!」
「いえ!予想できていたのに五回で諦めた私に全ての責任があります!お疲れのマルコさんが起きられないのは当然なんですから!」
「違う!疲れているのが分かっているのに起きられると思っていた俺が悪いよい!お前さんが起こしてくれるとあてにしていたのもよくない!」
「それは違います!私が、マルコさんなら私が起こせば起きるって思い込んでいたのがよくないです!」
「俺に責任がある!」
「私が悪いんです!」
「俺だよい!」
「私です!」
「俺!」
「私!」
出発したのは、それから一時間後。
◇ ◇ ◇
「お荷物はこちらでよろしいでしょうか?」
「はい。ありがとうございます」
それでは失礼いたします、と丁寧に頭を下げる仲居さんを見送り、スマホを構える。
これは写真を撮らないと!
「広いですねぇ!」
「だなぁ。よいし…「マルコさん!まだベッドに座っちゃ駄目です!」」
ベッドが綺麗な状態で写真が撮りたい、とお願いすると、座ろうとしていたマルコさんは腰を上げてくれて、すすす、とカメラに写らないように移動してくれた。
カシャ、カシャカシャ。…もういいか?はい!よいしょっと。
マルコさんが予約した宿は、すごすぎた。宿に着くと入口で仲居さんに柔らかい笑顔で出迎えられ、ロビーのソファに促されるとウェルカムドリンクを出してくれた。そのまま予約プランの確認や館内の説明を丁寧にしてくれて部屋まで荷物を運んでくれて。宿に着いただけなのに来た甲斐があると思ってしまうほど、仲居さんは素敵な人だった。
「マルコさん、ソファが大きいです!」
「ソファで寝られるねい」
「冷蔵庫の中にお酒がありますよ!」
「宿泊料金に含まれているから好きに飲んでいいよい」
「なら、夜に少しだけ!」
ここは脱衣所!アメニティも充実してます!ドライヤーは有名ブランドですよ!ここはトイレ!ここはただのクローゼット!
取っ手が付いている扉や引き出しをすべて開けて、ベッドに座って休憩をしているマルコさんにまで届くように声を上げる。キッチンのない縦長の1LDKのような部屋は私の部屋より三倍の広さがある、落ち着いた色を基調とした素敵な空間だった。入口近くにベッド、ベランダ側にテーブルとソファが置かれ、その横に水回りがまとまっている。
「景色もいいですね」
何よりもこの部屋のいいところは、森の景色が一望できるベランダから他の客室や建物が見えないところ。テーブルや椅子も置かれているから、お茶を飲んだり、追加した朝ごはんを食べたら気持ちがいいに決まっている。
本当に素敵なところだなぁ、と手すりに肘をついて景色を眺めていると、後ろから足音が聞こえた。両側から腕が回り優しく抱きしめられ、頭に顎が乗せられる。
「気に入ってくれたか?」
「はい。ありがとうございます」
「ん」
見上げながらお礼を言うとおでこに唇が落ちてきた。運転と今のキスのお礼をするために体の向きを変えて、屈んでくれたマルコさんのおでこと頬と、もちろん唇にキスをする。
あ、色付きのリップグロスしてました!え?あぁ、なら色がなくなるまでキ…。すぐ拭きますね!…よい。
「露天風呂、ベランダとも繋がってるんだねい」
「はい。室内にはシャワーしかないですよ」
ベランダの隅にある露天風呂はシャワー室と繋がっていた。ここは標高が高いので夏でも昼間は涼しく、朝と夜は肌寒いから露天風呂に長く浸かれる。景色を眺めながらゆっくりと浸かれば、日頃の疲れはあっという間にどこかへいってしまいそう。
マルコさんにゆっくりしてもらいたいな。五日間の疲れは一晩では取り切れないのはよく分かる。今回はマルコさん癒し旅行だ。色んな期待をしている自分の胸にそう言い聞かせて、マルコさんをソファの方へ連れて行く。ウェルカムドリンクよりは劣ってしまうコーヒーを淹れて隣に座ると、マルコさんがよいしょ、と私を膝の上に乗せた。
マルコさんがコーヒーを一口飲むと、美味いよいと言ってくれた。飲んでみると、確かに美味しかった。ここのオリジナルみたいだからロビーで売ってるのかもしれない。
「今週、ご飯は食べれてました?」
「昼は野菜多めの定食を食べてたよい。あとはプロテイン」
と栄養機能食品を適当に…、と教えてくれたマルコさんは、何故か私の顔色を窺っていた。不健康な食生活だったから怒られると思ったらしい。どうしてそう思ったのかは分からないけど、安心させるために両頬に手を添えてゆっくり撫でてみる。すると、不安は消えたみたいで安心した表情になってくれた。
よし、もう一押し。
心配にはなるけど怒ることじゃない。寧ろ、お昼だけでもちゃんと食べようとしている姿勢を褒めたいくらい、と言葉で伝えると、へへへ、と笑ってくれた。
うん、マルコさんは笑顔が似合う。
「私もですね、適当な時がありますよ」
「そうなのか?」
「何も食べずに寝ちゃう時もあって」
料理が好きだからといって、忙しい時まで土日のような料理は作らないし、面倒くさい時はコンビニへ行ってしまう時もある。だから土日は栄養のあるものを食べたいと思うし、マルコさんにも食べてもらいたい。
「たくさん栄養つけて、たくさん寝て、来週のお仕事に備えましょ?」
「ん」
「明日は予定を変更して、カフェ以外はお部屋で過ごすのもいいかもですね」
「それは起きてから考えるよい」
それから少しして、先ずは栄養をつけようとマルコさんの会社の人のおすすめのお店へ向かった。
宿から歩いて十分のところに十数軒のお店が並ぶエリアがあり、おすすめはその中にあるフランス料理のお店。ワインが有名だけど、料理も、特にローストビーフが美味しいと聞き、マルコさんが予約してくれたのだ。
「ローストビーフ、すごく柔らかいですね」
「分厚いのに、ナイフがすっと入るねい」
「ワインはどうですか?」
「ローストビーフによく合うよい」
マルコさんは、ゆっくりとグラスを傾け一口飲む。
ローストビーフ以外の料理も見た目も味もよくて、私が気に入ったのは野菜のテリーヌ。野菜の味が凝縮されたテリーヌにブラックペッパーをつけたらすごく美味しかった。マルコさんは料理よりもワインを気に入った様子で、お店ではワインの販売もしていたからテリーヌとローストビーフの時に店員さんに選んでもらった白と赤のワインを一本ずつプレゼント。今週頑張ったマルコさんへ、と袋を差し出すと、へへへ、とまた笑ってくれた。
「半袖で肌寒くないですか?」
「平気だよい」
「筋肉があると違うんですかね?」
しょんぼりマルコさんではなくいつものマルコさんとお店を出て、手を繋ぎながら宿へ戻る途中、何となく空を見上げ、おお、と二人で足を止める。
「少し行ったところに展望台もありますけど、ここでもこんなに見えるんですねぇ」
「俺は大きいと思っていたが、小さいんだなぁ」
「ふふ。マルコさんが小さいなら、私はどうなっちゃうんでしょう」
街灯がほとんどなく天気もいいから小さい星までよく見えた。星ってこんなにあるんだなぁ、と空を眺めながら宿に戻り、お部屋のベランダからも見てみると同じ星空が広がっていた。
おお、と二人でまた声を漏らす。
「旅行に来たって感じが増したよい」
「ですね」
「はぁ、帰りたくないよい…」
「今は仕事のことは忘れましょう!マルコさん、お風呂どうぞ!」
「風呂からでも空が見えるねい」
「はい。ゆっくり入ってください」
あ、ゆっくりしてもらうなら先に私が入った方がいいかな。うんうん、その方がいい。露天風呂に入りながらお酒飲んだりして貰って。私がいるから何があっても大丈夫。
そう思って、言い直そうとマルコさんを見れば、マルコさんが頬を掻きながら遠慮がちに口を開いた。
「一緒に、ゆっくりしたいよい」
嫌なら断ってくれていい。どうだ?
多分、というか絶対に、これを断ってもマルコさんは私を嫌いになったりはしないのだろう。けど、断るなんて選択肢は初めからなかった。数時間前に言い聞かせていた胸が大きく動き出し、お酒を飲んでいないのに体が熱くなり始める。
応えるように、何度も、大きく頷くと、マルコさんが照れくさそうに笑ってくれた。
「…先に入っててもらっても、いいですか?」
「ん」
ちゅ、と触れるだけのキスをくれたマルコさんは待ってるよい、と部屋の中へ。脱衣所へ入っていく大きな背中を見送り、私も準備しようとベッド側に置いた鞄の方へ行こうとして、その途中のソファの前で足が止まる。
ついに、マルコさんとお風呂!!
ソファに置かれたクッションを抱え必死に自分を抑えようとするけど、星空まで届きそうなほど高鳴っている胸はなかなか落ち着かない。
こんなに興奮していては駄目。マルコさんにゆっくりしてもらわないといけないのだから。
落ち着け、落ち着け。一緒に入るだけで十分。マルコさんは疲れているんだから癒さないと。そう、私は癒し役なのだ。
すーはーすーはー、と何回も深呼吸し、準備を整え、いざ!、と脱衣所の扉を開けると、マルコさんはもう露天風呂に浸かっていた。
私、何分自分を落ち着かせていたんだろう?
「もう洗い終わったんですか?」
「広くていい風呂だよい…」
一生ここにいたいよい、と真面目に言うマルコさんが面白くて笑っていたら、お前さんも入れば分かる、と空を見上げながら言うので、ささっと洗って露天風呂の方へ。
「お邪魔します」
「どうぞ」
そっと右足を入れ、左足も浴槽の中へ。そして、体をゆっくりと沈み込ませ肩まで浸かれば、はぁと自然と声が出る。
「空、綺麗ですねぇ」
「な」
冬なら空気が澄んでるからもっと綺麗に見えるかもしれないけど、今でも十分綺麗。
残念ながら、星座は大三角形しか分からないし、その大三角形もどの星を繋げたらいいのか分からない。マルコさんに尋ねてみたら、多分あれだ、と指をさして教えてくれた。けどマルコさんもそれ以外は分からないみたい。
「一つぐらい降ってこないですかね。それか、手を伸ばしたら届くといいですよね」
「そうしたら、仕事しなくてすむよい」
「マルコさん、仕事のことは忘れてください」
「はは、そうだった」
顔を横に向けると、柔らかい表情で空を見上げているマルコさんがいた。
あぁ、すごく綺麗。
手を伸ばしてみたら、すぐに届いた。ん?と私の方を見てくれたから、両手ですりすりと頬や耳を撫でる。するとマルコさんは肩をすくめて、くつくつ笑った。
「くすぐったいよい」
けど、嫌そうではなく、むしろ、嬉しそう。
手を止めずにいたら、マルコさんの手が伸びてきて頬を撫でてくれた。目を閉じて手のひらを感じていると、逆の頬も包んでくれて、すりすりと、何度も優しく癒してくれる。けど、今日は私が癒し役。私も続けようと目を開けたら、近くにマルコさんの顔があって、こつん、とおでこがくっついた。ぐりぐりとおでこを押し付けられながら両頬をむにむに揉まれ、私はされるがまま。
「あは。マルコさん、ちょっと力が強いです」
「そうかよい?」
「えいっ」
「ぶふっ…!」
むぎゅ、と頬を押すとマルコさんの唇がタコの口になった。むぎゅむぎゅと何度もマルコさんの唇で遊んでいると、楽しくて幸せで堪らなくなる。
「へへへへ、ふへっ、あはは」
「本当、可愛い笑い方だよい」
「へ、へ、へっ」
マルコさんは、また顔を寄せてきた。瞬きせずに待っていると、マルコさんの唇が唇以外の色んなところに落とされる。優しく触れ、少し押し付け、ゆっくりと離れていく。一回一回顔を離して、私の瞳に想いを流し込んで、またキスをしてくれる。
「マルコさん、癒されてる?」
「よい?」
「今回は、んっ…マルコさん癒し旅行なんで、…んぅ、すよ」
なんだか私が癒されている気がするけど、マルコさんが今すごく癒されてる、と応えてくれたから大丈夫そう。
「ここにおいで」
「ぁ…っ」
ソファの時のように私の腰を掴んだマルコさんは、向かい合わせで膝の上に座らせようと、よいしょ、と私を持ち上げた。
髪は濡れて、お酒とお風呂で頬を少し赤くしたマルコさんは、何というか、すごくいい。柔らかくて、優しくて、温かい眼差しで見つめられれば、私の心も体がほぐれて柔らかくなっていく。
「マルコさん」
「ん?」
「ここ、にしていい?」
ちょんちょん、とマルコさんの唇をつついてみると、マルコさんの方からしてくれた。
マルコさんの首に腕を回してぎゅうぎゅう抱きついても、少し動けばお湯が波立ち、ちゃぷんちゃぷんと、縁から流れ落ちる音がする。けどすぐに、耳に入ってくるのは私とマルコさんの唇を合わせる音に変わり、舌を絡める音にも私の小さい声にも変わっていった。マルコさんの吐息が聞こえる度に体の熱は増して、のぼせそう。
「すき」
「もっと言ってくれるか?」
「はい」
マルコさんが満足するまで伝えますよ。
耳元に唇を寄せながら優しく何度も囁くと、マルコさんが楽しそうな、嬉しそうな笑い声を出してくれた。どんな顔をしてるかな、とマルコさんを見ようとしたけど、顔を見る前に抱きしめられてしまって見れない。
「マルコさんも、言ってほしいです」
「何回でも」
ふっ、と耳に息を吹きかけてきたマルコさんは、それを合図にたくさん言葉にしてくれた。
いつも可愛いが今日の化粧もすごく綺麗だった。もちろんスッピンも可愛いし、寝顔も、笑顔も、全て可愛い。好きだよい。大好きだ。
「マルコさん、ふふ、すき」
「すきだよい」
えへへへへー。
耳から流れ込んでくる言葉は、私の体の筋肉を溶かし、表情筋はなくなってしまった。自分でも分かるほどだらしのないゆるゆるの表情をしていて、そんな私を見たマルコさんも、へら、と笑顔になってくれる。
あぁ、可愛いなぁ。
いっぱいになった胸を噛み締めるように、マルコさんの首筋に顔を埋め、押し付ける。髪を撫でてくれる手を感じながら、マルコさんの腰に腕を回して体をくっつけて、ふと、違和感をもった。
「?」
「どうしたよい?」
うんうん、いつもの可愛いマルコさんだ。けど、なんか、いつもと違う。
「?」
「?」
マルコさんの髪、なんで濡れてるんだっけ?頬も少し赤いな。
あれ?マルコさん、服、着てない…。
「…」
私は、マルコさんとのキスに夢中で、自分が何処にいるのかをすっかり忘れ去っていた。
そう、私達がいるのは露天風呂。そして、私達は今、裸だ。
それを自覚した瞬間、私の体はかつてないほど俊敏に動き、マルコさんの手から逃げ、浴槽の逆側まで距離を取った。突然のことに反応できなかったマルコさんは、しばらくきょとんとして、訝しげな顔になる。
「どうして逃げるんだよい?」
「こ、ここ、来ないでください!」
「よい!?」
今は駄目です!服を着て、ベッドの上で続きをしましょう!
そう伝えたのに、マルコさんは俺は何かしたのか?!教えてくれ!と詰め寄ってくる。マルコさんから必死で逃げるけどマルコさんに敵う訳はなく、すぐに追い詰められてしまった。そして、慌てている私をマルコさんが落ち着かせるために腕でがっちりホールドして、どうしたよい?と頭を撫でてくれる。
けど、それでは逆効果。
マルコさんの肌を直に感じてしまい、今まで気にしたことのないことを意識してしまい、マルコさんから離れたかった。なのに、太い腕はびくともしない。
「マルコさんの胸が…お腹がぁ…っ」
「胸?腹?」
「き、きき」
「き?」
「きん、にく!」
俺の筋肉がどうかしたのか?と、首を傾げるマルコさんはいつも通り可愛い、なのに、体は全く可愛くない。
想像以上。それ以外の言葉が見つからない。オレンジさんが見せてくれたアイドルのオフショットなんか比べ物にもならなかった。
いつもこの体に抱き上げられて、抱きしめられて、ぐえぐえ言わされていたんだ…。
す、す、「素敵すぎる!」
「く、くく」
「?」
「”素敵”、ねい」
「あ、こ、声に?」
「出てた」
もう、浴槽の底へ沈んでしまいたい。
恥ずかしさで一杯になり、力を緩めていたマルコさんの腕から逃げる為に体を勢いよく動かしたけど、すぐに胸に引き戻されてしまった。そして先ほどよりも強く抱きしめられるから、胸とお腹の筋肉をさらに感じ、叫びたくなる。
「駄目っ、マルコさんっ」
「ふっ」
「ひゃぁっ」
「可愛いよい」
「耳やめてください…!」
こんな意地悪なマルコさんは初めて見る。
マルコさんの体を意識して敏感になっているというのに、わざと耳に息を吹きかけ、囁いてきた。やめてやめて、とマルコさんに伝えるのに、よいよい、と楽しそうに応えるだけで相手にしてくれない。
胸が苦しい、というより、痛い!
胸がドキドキ、ではなく、バクバクしている。高鳴りなんて可愛いものではなくて、これは動悸だ。
「許してください…!」
「こら、隠さない」
逃げられないのなら今は視界にマルコさんが入らないように両手で顔を隠すしかない。けど努力叶わず、なんとマルコさんは私の両手を掴むと浴槽の縁に押さえつけた。
「観念しろい」
「負けませんっ」
「くく、往生際が悪いねい」
意地悪なマルコさんに負けたくない!
最後まで抵抗したくて、瞼を固く閉じ、マルコさんを見ないようにする。
絶対に目は開けません!負けませんからね!と強がっていると、マルコさんのくつくつ笑う声が聞こえた。そして、あの言葉が放たれる。
「ほら、開けて」
「その言い方は卑怯ですよぉ…!」
魔法の言葉で瞼が勝手に開き始めた。駄目、見たら駄目!、と心の中で瞼にそう伝え続けるけど、マルコさんの魔法の方が強いみたいで、あっという間に視界が明るくなる。
「俺の体、気に入ってくれるか、よい?」
そこには、星空、ではなく、逞しすぎる上半身を露わにしたとびきりの笑顔のパイナップルおじさんが、視界いっぱいに広がっていた。
おはようございます、おはようさん、といつものように朝の挨拶をしてすぐ、マルコさんは、あれ?と首を傾げた。そして、腰窓の向こうを見てサイドテーブルにある時計を見ると、この世の終わりのような表情に変わり、私の肩を掴みながらそう声を上げる。
「五回ぐらい起こしたんですけど、ぐっすりで…」
「……」
「大丈夫ですよ。予約してるお店には十分間に合います!」
「けどよい…」
「あ、ほら、アクシデントがある旅行の方が忘れられない思い出になるじゃないですか!」
「アクシデント…」
マルコさんがそろり、と時計を見て、私を見て、本当にすまん…、と力なく呟く。本当なら、途中のお店で美味しいランチを食べている頃なのだ。
マルコさんは肩を掴んでいた手をずるずると落とし、上体を曲げて、大変申し訳ない、と土下座した。顔を上げてもらいたくて声をかけてもマルコさんが謝り続けるので、私も同じように土下座の姿勢になりマルコさんの顔に顔を近付ける。
ベッドの上で土下座し合うなんて初めて。
「マルコさん、顔を上げてほしいです」
「…」
「まーるーこ、さん?」
「…」
「ま、る、こ、さん?」
「…っ」
「私のお願い、聞いてくれないんですか?」
「その言い方は卑怯だろい…!」
マルコさんとの初めてのお泊り旅行は、スタートから躓いていた。けどそれは、マルコさんが今週すごく忙しかったから仕方がないのだ。平日は私が起きている時間に電話をする余裕がなく、メッセージのやりとりだけだったのは付き合ってから初めてだった。実家に来る予定だったのも駄目になり、昨日もお家にお邪魔できたのが二十二時過ぎ。出迎えてくれたマルコさんは本当に疲れ切っていたから旅行はキャンセルしようと提案したけど、旅行があったから頑張れた、行きたい、とマルコさんが言うのでキャンセルはしなかった。
「せっかくの…旅行」
「そんなに落ち込まないでください。ゆっくり準備して行きましょ?」
「俺はできない男だよい…」
大きな背中を丸めて、ふわふわの髪も元気がなく、今まで見てきた”しょんぼりマルコさん”とは比べ物にならないほど落ち込んでいる。
マルコさんとお部屋でゆっくりできれば十分です、今日の夜ごはんと明日のカフェは行けますから、と頭を撫でながら元気を出してもらおうとするけど、今日のしょんぼりマルコさんはなかなかに手強い。
分かっていたけど、やっぱりこうなっちゃったな…。
寝坊したと知ったマルコさんがどうなるかは、予想できていた。けど昨夜の様子を見て、無理矢理起こそうなんて思えるはずはなく、七時には起きていたのにずっとマルコさんの寝顔を眺めていたのだ。
けど、こんなに落ち込ませるのなら心を鬼にして起こせばよかった…。
「すいません」
「?」
「私も、もっと頑張って起こせばよかったです…」
五回で諦めてはいけなかった。マルコさんが起きるまで全力で叩き続ければ、こんなに落ち込ませることはなかったのに。
しょんぼりがうつってしまったのか私まで気を落としてしまい、マルコさんの手を掴みながら何度も謝る。するとマルコさんが手を強く握ってきた。
「すまん!お前さんは悪くないよい!起きなかった俺が全面的に悪い!」
「いえ!予想できていたのに五回で諦めた私に全ての責任があります!お疲れのマルコさんが起きられないのは当然なんですから!」
「違う!疲れているのが分かっているのに起きられると思っていた俺が悪いよい!お前さんが起こしてくれるとあてにしていたのもよくない!」
「それは違います!私が、マルコさんなら私が起こせば起きるって思い込んでいたのがよくないです!」
「俺に責任がある!」
「私が悪いんです!」
「俺だよい!」
「私です!」
「俺!」
「私!」
出発したのは、それから一時間後。
◇ ◇ ◇
「お荷物はこちらでよろしいでしょうか?」
「はい。ありがとうございます」
それでは失礼いたします、と丁寧に頭を下げる仲居さんを見送り、スマホを構える。
これは写真を撮らないと!
「広いですねぇ!」
「だなぁ。よいし…「マルコさん!まだベッドに座っちゃ駄目です!」」
ベッドが綺麗な状態で写真が撮りたい、とお願いすると、座ろうとしていたマルコさんは腰を上げてくれて、すすす、とカメラに写らないように移動してくれた。
カシャ、カシャカシャ。…もういいか?はい!よいしょっと。
マルコさんが予約した宿は、すごすぎた。宿に着くと入口で仲居さんに柔らかい笑顔で出迎えられ、ロビーのソファに促されるとウェルカムドリンクを出してくれた。そのまま予約プランの確認や館内の説明を丁寧にしてくれて部屋まで荷物を運んでくれて。宿に着いただけなのに来た甲斐があると思ってしまうほど、仲居さんは素敵な人だった。
「マルコさん、ソファが大きいです!」
「ソファで寝られるねい」
「冷蔵庫の中にお酒がありますよ!」
「宿泊料金に含まれているから好きに飲んでいいよい」
「なら、夜に少しだけ!」
ここは脱衣所!アメニティも充実してます!ドライヤーは有名ブランドですよ!ここはトイレ!ここはただのクローゼット!
取っ手が付いている扉や引き出しをすべて開けて、ベッドに座って休憩をしているマルコさんにまで届くように声を上げる。キッチンのない縦長の1LDKのような部屋は私の部屋より三倍の広さがある、落ち着いた色を基調とした素敵な空間だった。入口近くにベッド、ベランダ側にテーブルとソファが置かれ、その横に水回りがまとまっている。
「景色もいいですね」
何よりもこの部屋のいいところは、森の景色が一望できるベランダから他の客室や建物が見えないところ。テーブルや椅子も置かれているから、お茶を飲んだり、追加した朝ごはんを食べたら気持ちがいいに決まっている。
本当に素敵なところだなぁ、と手すりに肘をついて景色を眺めていると、後ろから足音が聞こえた。両側から腕が回り優しく抱きしめられ、頭に顎が乗せられる。
「気に入ってくれたか?」
「はい。ありがとうございます」
「ん」
見上げながらお礼を言うとおでこに唇が落ちてきた。運転と今のキスのお礼をするために体の向きを変えて、屈んでくれたマルコさんのおでこと頬と、もちろん唇にキスをする。
あ、色付きのリップグロスしてました!え?あぁ、なら色がなくなるまでキ…。すぐ拭きますね!…よい。
「露天風呂、ベランダとも繋がってるんだねい」
「はい。室内にはシャワーしかないですよ」
ベランダの隅にある露天風呂はシャワー室と繋がっていた。ここは標高が高いので夏でも昼間は涼しく、朝と夜は肌寒いから露天風呂に長く浸かれる。景色を眺めながらゆっくりと浸かれば、日頃の疲れはあっという間にどこかへいってしまいそう。
マルコさんにゆっくりしてもらいたいな。五日間の疲れは一晩では取り切れないのはよく分かる。今回はマルコさん癒し旅行だ。色んな期待をしている自分の胸にそう言い聞かせて、マルコさんをソファの方へ連れて行く。ウェルカムドリンクよりは劣ってしまうコーヒーを淹れて隣に座ると、マルコさんがよいしょ、と私を膝の上に乗せた。
マルコさんがコーヒーを一口飲むと、美味いよいと言ってくれた。飲んでみると、確かに美味しかった。ここのオリジナルみたいだからロビーで売ってるのかもしれない。
「今週、ご飯は食べれてました?」
「昼は野菜多めの定食を食べてたよい。あとはプロテイン」
と栄養機能食品を適当に…、と教えてくれたマルコさんは、何故か私の顔色を窺っていた。不健康な食生活だったから怒られると思ったらしい。どうしてそう思ったのかは分からないけど、安心させるために両頬に手を添えてゆっくり撫でてみる。すると、不安は消えたみたいで安心した表情になってくれた。
よし、もう一押し。
心配にはなるけど怒ることじゃない。寧ろ、お昼だけでもちゃんと食べようとしている姿勢を褒めたいくらい、と言葉で伝えると、へへへ、と笑ってくれた。
うん、マルコさんは笑顔が似合う。
「私もですね、適当な時がありますよ」
「そうなのか?」
「何も食べずに寝ちゃう時もあって」
料理が好きだからといって、忙しい時まで土日のような料理は作らないし、面倒くさい時はコンビニへ行ってしまう時もある。だから土日は栄養のあるものを食べたいと思うし、マルコさんにも食べてもらいたい。
「たくさん栄養つけて、たくさん寝て、来週のお仕事に備えましょ?」
「ん」
「明日は予定を変更して、カフェ以外はお部屋で過ごすのもいいかもですね」
「それは起きてから考えるよい」
それから少しして、先ずは栄養をつけようとマルコさんの会社の人のおすすめのお店へ向かった。
宿から歩いて十分のところに十数軒のお店が並ぶエリアがあり、おすすめはその中にあるフランス料理のお店。ワインが有名だけど、料理も、特にローストビーフが美味しいと聞き、マルコさんが予約してくれたのだ。
「ローストビーフ、すごく柔らかいですね」
「分厚いのに、ナイフがすっと入るねい」
「ワインはどうですか?」
「ローストビーフによく合うよい」
マルコさんは、ゆっくりとグラスを傾け一口飲む。
ローストビーフ以外の料理も見た目も味もよくて、私が気に入ったのは野菜のテリーヌ。野菜の味が凝縮されたテリーヌにブラックペッパーをつけたらすごく美味しかった。マルコさんは料理よりもワインを気に入った様子で、お店ではワインの販売もしていたからテリーヌとローストビーフの時に店員さんに選んでもらった白と赤のワインを一本ずつプレゼント。今週頑張ったマルコさんへ、と袋を差し出すと、へへへ、とまた笑ってくれた。
「半袖で肌寒くないですか?」
「平気だよい」
「筋肉があると違うんですかね?」
しょんぼりマルコさんではなくいつものマルコさんとお店を出て、手を繋ぎながら宿へ戻る途中、何となく空を見上げ、おお、と二人で足を止める。
「少し行ったところに展望台もありますけど、ここでもこんなに見えるんですねぇ」
「俺は大きいと思っていたが、小さいんだなぁ」
「ふふ。マルコさんが小さいなら、私はどうなっちゃうんでしょう」
街灯がほとんどなく天気もいいから小さい星までよく見えた。星ってこんなにあるんだなぁ、と空を眺めながら宿に戻り、お部屋のベランダからも見てみると同じ星空が広がっていた。
おお、と二人でまた声を漏らす。
「旅行に来たって感じが増したよい」
「ですね」
「はぁ、帰りたくないよい…」
「今は仕事のことは忘れましょう!マルコさん、お風呂どうぞ!」
「風呂からでも空が見えるねい」
「はい。ゆっくり入ってください」
あ、ゆっくりしてもらうなら先に私が入った方がいいかな。うんうん、その方がいい。露天風呂に入りながらお酒飲んだりして貰って。私がいるから何があっても大丈夫。
そう思って、言い直そうとマルコさんを見れば、マルコさんが頬を掻きながら遠慮がちに口を開いた。
「一緒に、ゆっくりしたいよい」
嫌なら断ってくれていい。どうだ?
多分、というか絶対に、これを断ってもマルコさんは私を嫌いになったりはしないのだろう。けど、断るなんて選択肢は初めからなかった。数時間前に言い聞かせていた胸が大きく動き出し、お酒を飲んでいないのに体が熱くなり始める。
応えるように、何度も、大きく頷くと、マルコさんが照れくさそうに笑ってくれた。
「…先に入っててもらっても、いいですか?」
「ん」
ちゅ、と触れるだけのキスをくれたマルコさんは待ってるよい、と部屋の中へ。脱衣所へ入っていく大きな背中を見送り、私も準備しようとベッド側に置いた鞄の方へ行こうとして、その途中のソファの前で足が止まる。
ついに、マルコさんとお風呂!!
ソファに置かれたクッションを抱え必死に自分を抑えようとするけど、星空まで届きそうなほど高鳴っている胸はなかなか落ち着かない。
こんなに興奮していては駄目。マルコさんにゆっくりしてもらわないといけないのだから。
落ち着け、落ち着け。一緒に入るだけで十分。マルコさんは疲れているんだから癒さないと。そう、私は癒し役なのだ。
すーはーすーはー、と何回も深呼吸し、準備を整え、いざ!、と脱衣所の扉を開けると、マルコさんはもう露天風呂に浸かっていた。
私、何分自分を落ち着かせていたんだろう?
「もう洗い終わったんですか?」
「広くていい風呂だよい…」
一生ここにいたいよい、と真面目に言うマルコさんが面白くて笑っていたら、お前さんも入れば分かる、と空を見上げながら言うので、ささっと洗って露天風呂の方へ。
「お邪魔します」
「どうぞ」
そっと右足を入れ、左足も浴槽の中へ。そして、体をゆっくりと沈み込ませ肩まで浸かれば、はぁと自然と声が出る。
「空、綺麗ですねぇ」
「な」
冬なら空気が澄んでるからもっと綺麗に見えるかもしれないけど、今でも十分綺麗。
残念ながら、星座は大三角形しか分からないし、その大三角形もどの星を繋げたらいいのか分からない。マルコさんに尋ねてみたら、多分あれだ、と指をさして教えてくれた。けどマルコさんもそれ以外は分からないみたい。
「一つぐらい降ってこないですかね。それか、手を伸ばしたら届くといいですよね」
「そうしたら、仕事しなくてすむよい」
「マルコさん、仕事のことは忘れてください」
「はは、そうだった」
顔を横に向けると、柔らかい表情で空を見上げているマルコさんがいた。
あぁ、すごく綺麗。
手を伸ばしてみたら、すぐに届いた。ん?と私の方を見てくれたから、両手ですりすりと頬や耳を撫でる。するとマルコさんは肩をすくめて、くつくつ笑った。
「くすぐったいよい」
けど、嫌そうではなく、むしろ、嬉しそう。
手を止めずにいたら、マルコさんの手が伸びてきて頬を撫でてくれた。目を閉じて手のひらを感じていると、逆の頬も包んでくれて、すりすりと、何度も優しく癒してくれる。けど、今日は私が癒し役。私も続けようと目を開けたら、近くにマルコさんの顔があって、こつん、とおでこがくっついた。ぐりぐりとおでこを押し付けられながら両頬をむにむに揉まれ、私はされるがまま。
「あは。マルコさん、ちょっと力が強いです」
「そうかよい?」
「えいっ」
「ぶふっ…!」
むぎゅ、と頬を押すとマルコさんの唇がタコの口になった。むぎゅむぎゅと何度もマルコさんの唇で遊んでいると、楽しくて幸せで堪らなくなる。
「へへへへ、ふへっ、あはは」
「本当、可愛い笑い方だよい」
「へ、へ、へっ」
マルコさんは、また顔を寄せてきた。瞬きせずに待っていると、マルコさんの唇が唇以外の色んなところに落とされる。優しく触れ、少し押し付け、ゆっくりと離れていく。一回一回顔を離して、私の瞳に想いを流し込んで、またキスをしてくれる。
「マルコさん、癒されてる?」
「よい?」
「今回は、んっ…マルコさん癒し旅行なんで、…んぅ、すよ」
なんだか私が癒されている気がするけど、マルコさんが今すごく癒されてる、と応えてくれたから大丈夫そう。
「ここにおいで」
「ぁ…っ」
ソファの時のように私の腰を掴んだマルコさんは、向かい合わせで膝の上に座らせようと、よいしょ、と私を持ち上げた。
髪は濡れて、お酒とお風呂で頬を少し赤くしたマルコさんは、何というか、すごくいい。柔らかくて、優しくて、温かい眼差しで見つめられれば、私の心も体がほぐれて柔らかくなっていく。
「マルコさん」
「ん?」
「ここ、にしていい?」
ちょんちょん、とマルコさんの唇をつついてみると、マルコさんの方からしてくれた。
マルコさんの首に腕を回してぎゅうぎゅう抱きついても、少し動けばお湯が波立ち、ちゃぷんちゃぷんと、縁から流れ落ちる音がする。けどすぐに、耳に入ってくるのは私とマルコさんの唇を合わせる音に変わり、舌を絡める音にも私の小さい声にも変わっていった。マルコさんの吐息が聞こえる度に体の熱は増して、のぼせそう。
「すき」
「もっと言ってくれるか?」
「はい」
マルコさんが満足するまで伝えますよ。
耳元に唇を寄せながら優しく何度も囁くと、マルコさんが楽しそうな、嬉しそうな笑い声を出してくれた。どんな顔をしてるかな、とマルコさんを見ようとしたけど、顔を見る前に抱きしめられてしまって見れない。
「マルコさんも、言ってほしいです」
「何回でも」
ふっ、と耳に息を吹きかけてきたマルコさんは、それを合図にたくさん言葉にしてくれた。
いつも可愛いが今日の化粧もすごく綺麗だった。もちろんスッピンも可愛いし、寝顔も、笑顔も、全て可愛い。好きだよい。大好きだ。
「マルコさん、ふふ、すき」
「すきだよい」
えへへへへー。
耳から流れ込んでくる言葉は、私の体の筋肉を溶かし、表情筋はなくなってしまった。自分でも分かるほどだらしのないゆるゆるの表情をしていて、そんな私を見たマルコさんも、へら、と笑顔になってくれる。
あぁ、可愛いなぁ。
いっぱいになった胸を噛み締めるように、マルコさんの首筋に顔を埋め、押し付ける。髪を撫でてくれる手を感じながら、マルコさんの腰に腕を回して体をくっつけて、ふと、違和感をもった。
「?」
「どうしたよい?」
うんうん、いつもの可愛いマルコさんだ。けど、なんか、いつもと違う。
「?」
「?」
マルコさんの髪、なんで濡れてるんだっけ?頬も少し赤いな。
あれ?マルコさん、服、着てない…。
「…」
私は、マルコさんとのキスに夢中で、自分が何処にいるのかをすっかり忘れ去っていた。
そう、私達がいるのは露天風呂。そして、私達は今、裸だ。
それを自覚した瞬間、私の体はかつてないほど俊敏に動き、マルコさんの手から逃げ、浴槽の逆側まで距離を取った。突然のことに反応できなかったマルコさんは、しばらくきょとんとして、訝しげな顔になる。
「どうして逃げるんだよい?」
「こ、ここ、来ないでください!」
「よい!?」
今は駄目です!服を着て、ベッドの上で続きをしましょう!
そう伝えたのに、マルコさんは俺は何かしたのか?!教えてくれ!と詰め寄ってくる。マルコさんから必死で逃げるけどマルコさんに敵う訳はなく、すぐに追い詰められてしまった。そして、慌てている私をマルコさんが落ち着かせるために腕でがっちりホールドして、どうしたよい?と頭を撫でてくれる。
けど、それでは逆効果。
マルコさんの肌を直に感じてしまい、今まで気にしたことのないことを意識してしまい、マルコさんから離れたかった。なのに、太い腕はびくともしない。
「マルコさんの胸が…お腹がぁ…っ」
「胸?腹?」
「き、きき」
「き?」
「きん、にく!」
俺の筋肉がどうかしたのか?と、首を傾げるマルコさんはいつも通り可愛い、なのに、体は全く可愛くない。
想像以上。それ以外の言葉が見つからない。オレンジさんが見せてくれたアイドルのオフショットなんか比べ物にもならなかった。
いつもこの体に抱き上げられて、抱きしめられて、ぐえぐえ言わされていたんだ…。
す、す、「素敵すぎる!」
「く、くく」
「?」
「”素敵”、ねい」
「あ、こ、声に?」
「出てた」
もう、浴槽の底へ沈んでしまいたい。
恥ずかしさで一杯になり、力を緩めていたマルコさんの腕から逃げる為に体を勢いよく動かしたけど、すぐに胸に引き戻されてしまった。そして先ほどよりも強く抱きしめられるから、胸とお腹の筋肉をさらに感じ、叫びたくなる。
「駄目っ、マルコさんっ」
「ふっ」
「ひゃぁっ」
「可愛いよい」
「耳やめてください…!」
こんな意地悪なマルコさんは初めて見る。
マルコさんの体を意識して敏感になっているというのに、わざと耳に息を吹きかけ、囁いてきた。やめてやめて、とマルコさんに伝えるのに、よいよい、と楽しそうに応えるだけで相手にしてくれない。
胸が苦しい、というより、痛い!
胸がドキドキ、ではなく、バクバクしている。高鳴りなんて可愛いものではなくて、これは動悸だ。
「許してください…!」
「こら、隠さない」
逃げられないのなら今は視界にマルコさんが入らないように両手で顔を隠すしかない。けど努力叶わず、なんとマルコさんは私の両手を掴むと浴槽の縁に押さえつけた。
「観念しろい」
「負けませんっ」
「くく、往生際が悪いねい」
意地悪なマルコさんに負けたくない!
最後まで抵抗したくて、瞼を固く閉じ、マルコさんを見ないようにする。
絶対に目は開けません!負けませんからね!と強がっていると、マルコさんのくつくつ笑う声が聞こえた。そして、あの言葉が放たれる。
「ほら、開けて」
「その言い方は卑怯ですよぉ…!」
魔法の言葉で瞼が勝手に開き始めた。駄目、見たら駄目!、と心の中で瞼にそう伝え続けるけど、マルコさんの魔法の方が強いみたいで、あっという間に視界が明るくなる。
「俺の体、気に入ってくれるか、よい?」
そこには、星空、ではなく、逞しすぎる上半身を露わにしたとびきりの笑顔のパイナップルおじさんが、視界いっぱいに広がっていた。
34/34ページ