パイナップルからはじまる恋

「またクソ野郎だった…」

もう最悪、私は男を見る目が本当にない、と話す声はすごく元気がない。いつもならジョッキを持ってぐいぐい飲むのに、今日は始まって三十分経っても一口しか飲んでいない。美味しいものを食べて元気を出してくれるといいな、と思ったけど難しそう。
今朝、もう私は駄目かもしれない…、とスタイルさん(十七話登場)からメッセージが送られてきた。どうしたのかと尋ねようとしたら、無理、私は一生孤独、と立て続けに心配になることが送られてくるので、ご飯に行こう!と返信。幸いにも今日は行ける。さっそく誘ってみると、行く、と答えてくれた。

"この店とかどう?"
"なんでもいい"
"何食べたい?"
"なんでもいい"
“食欲ない感じ?”
“分かんない”

何を聞いても投げやりのスタイルさんが好きそうなお店を調べ、ネットですぐに予約できたので”十九時にここ集合!”とお店のURLと一緒に送った。会社に着いてすぐクミさんに、今日は何としても定時で帰らないといけないことを伝え、無事に定時で仕事を切り上げ、今、話を聞いている。

「付き合う前に迫られなかったし、視線が体にいく人じゃなかったからいいと思ったのに…」
「優しい人だったの?」
「優しかったよ…、する前までは…」

スタイルさんの前にバケットを置くと、半分にちぎりアヒージョのオイルをつけて口の中へ。美味しい、と小さく呟きながら、今度はフォークでマッシュルームとエビを掬ってぱくり。
食欲はあるみたい。よかった。
スタイルさんとは”勘違い事件”以降会うのは初めて。あの時、彼女も被害に遭うかもしれないと心配になり連絡したら、何度も電話で謝ってくれた。あの合コンで進展した人はいなくて、スタイルさんも彼女の後輩さんも何も起こっていなかったので一安心。本当にごめん!あんなクソ野郎は二度と社会に出てくんな!女は捌け口じゃないっての!!と声を上げ続ける彼女を宥めるのに苦労した。
合コンの後も、アプリで色んな人と会ったスタイルさんはクソ野郎さんと付き合うことになった。どうしてなのか、スタイルさんが出会う男性は付き合う前、それも会ってすぐに迫ってくる人が多い。けど、その人はそんなことはなくて、趣味も合うし会話も楽しいからスタイルさんはすごく嬉しかったそう。

「けどさ。好きだからシたいんだよね?」
「初めはね。みんな、シはじめると体のことしか考えなくなる」
「愛がないって分かっちゃった?」
「二桁もいくと分かるよ」
「…付き合ってた期間はどのくらいだっけ?」
「二か月もない」
「…」
「?…どした?」

待って、ちょっと待って。
スタイルさんがクソ野郎さんと付き合い出したのは、私がマルコさんと付き合うことになった後。なのに、二桁もシてる。嘘。二桁って…何回ぐらい?
ローストビーフを刺したフォークを持って固まった私を見て、スタイルさんは、はっとした顔をして、不安そうな顔をした。

「そっちももしかして…もう駄目?」
「駄目ではないよ!順調順調」

そう、順調。だって私はマルコさんが大好きだし、マルコさんも好きだって伝えてくれる。毎週お泊りしているし、お出かけもする。先週は商店街を案内したら楽しんでくれた。今週もマルコさんのお家にお泊り。手も繋ぐし、抱きしめてくれるし、キスもたくさんする。
駄目じゃない、全く駄目じゃない、とローストビーフを噛み締めながら首を横に振る私を見て、スタイルさんは怪訝そうな顔をした。

「いい人なんでしょ?」
「うん、すごくいい人」
「けど不満がある感じ?」
「不満は、ないよ」

不満なんてない。私はマルコさんに何の不満ももっていない。可愛くて、優しいマルコさんに何の不満があるというのだ。
スタイルさんがまだ心配そうに私を見るので、今日はそっちの話!と話題を戻す。スタイルさんの次の人を探さないと。スタイルさんの好みのタイプは、趣味を一緒に楽しめて、体に視線がいかない人。旅行とお酒が趣味だから、趣味が合う人はたくさんいる。けど”体に視線がいかない人”、が難しい。

「どうして相手はそうなっちゃうんだろうね」
「…私、軽い女に見える?」
「ううん、全く」

そう言えば、前に私もマルコさんに言われたことがある。生まれ持ったものというか体質というか、雰囲気がそうさせている。
もうこれは、避けられない厄災なのかもしれない。
スタイルさんにその話をしたら、あぁそういえば…、と思い出したような顔をして、三杯目のビールを頼み、私を見る。
話しているうちに飲むペースが上がってきた。うんうん、もう少しでいつものスタイルさんに戻りそう。

「初めて会った時、似てるけど違う人だなって思ったよ」
「ガイダンスの時?」
「そうそう」

自分と同じ”男が寄ってきてしまう人”。けど、自分と全く同じじゃない。何が同じじゃないのかはすぐに分かった。私は軽い奴、ぐいぐいくる奴。そっちはそういう奴もくるけど、私には絶対にこない奴がいた。

「面倒そうな人、かな?」
「面倒そうな人?」

私には絶対にこないんだよ、と苦笑いするスタイルさんは三杯目のビールを飲み切って次を注文する。
そんな一気飲みして大丈夫?ご飯も食べて。ん…あ、パエリア美味しい。ローストビーフも美味しいよ。食べる。

「まぁそん時は、自覚していなかったし、そもそも困ってなさそうだったから伝えることでもないかって、黙ってた」
「そこは言ってよ」
「自覚がない人に”男が勝手に寄ってくるから注意した方がいいよ”なんて言って、信じると思う?」
「…信じられないかも」
「でしょ?」

面倒そうな人かぁ。
学生時代を思い返してもよく分からなくて、具体的な人を尋ねたけど教えてくれない。知っていないと避けられない、と伝えても、スタイルさんはもう大丈夫だから、と頷きながらビールを煽り次のビールを頼んでいた。
うん、いつもの調子に戻ったみたい。

「ま、そういう人とは相性いいのかもね。私が苦手なだけで」
「ちゃんと教えて。誰のこと言ってる?」
「アスカに聞いたら"もう安心だ"とか何とか言ってたから一生知らなくていいよ」
「私は安心じゃないよ」
「いいのいいの。あ、彼氏さんとはどこで出会ったの?」
「今、他人の幸せ聞いて大丈夫?」
「参考に聞かせて」
「参考にならないよ」
「いいからいいから」
「実家のお店のお客さんで、手伝っている時に」
「参考にならないじゃん…!」
「ほらー」

なんなの!とビールを飲み干し、次はワインかカクテルにする、とメニュー表を広げるスタイルさん。
うん、ちょっとペースが早くない?
明日も仕事だから飲みすぎ注意、と止めたけど、明日は有休、と言われてしまって止められそうにない。店員さんを呼んだスタイルさんはワインでもカクテルでもなく、ウイスキーのロックとオリーブの盛り合わせを注文していた。
あと、烏龍茶もください。かしこまりました。

「本当になんでも飲むよね」
「なんでも好き。けどお酒でストレス発散なんて、おっさんみたいだよね」
「体に問題がなければいいんじゃない?」
「じゃあ、今日はまだ飲む」
「まだ飲むの?」
「二軒目も付き合って」
「私は明日仕事だよ」
「一時間だけだから!」
「しょうがないなぁ」
「お待たせいたしました」

これで元気になってくれるなら安いものかと、美味しい美味しい、とウイスキーを飲むスタイルさんを見ながら、オリーブをつまむのだった。


◇ ◇ ◇


金曜日の夜は、平日の間に空っぽになってしまった器へマルコさんが想いを詰めてくれる。私のことが大好きだと、何度もキスをしながら、抱きしめながら。初めの頃は器が小さくて押し込むのに必死だったけど、押し込み過ぎて器が伸びてしまったのか、今は押し込む必要がなくなっている。だから大きさに困ることはなくなったんだけど、偶に密度が気になって物足りなく感じる時がある。

「もうちょっと、キスしていい?」

駄目かな、とマルコさんを見つめると目を細めて頷いてくれたから、顔を寄せて唇を味わった。押し付け合うキスが好きだけど、舌をゆっくり絡めるのも好きだし、口の中を味わうのも好き。首に腕を回して、隙間なくマルコさんに体をくっつけて、マルコさんの口の中、全てを味わい尽くす。私の唾液が広がる度に、ごく、と大きな音を立てて飲んでくれると、私も飲みたいと欲が出る。けど、今は私がマルコさんの上に乗っているから難しい。

「は、…っん」

マルコさんは吐息を漏らすと顔を離してしまった。寂しくなってマルコさんに訴えると、ちょっと待て、とでも言うようにおでこにキスをしてくれたから、素直に待つ。けどただ待つだけなのは嫌だから、熱い息が顔にかかるくらいの距離でマルコさんの潤んだ瞳を見つめてみる。すると”私が欲しい”、が伝わってきた。その想いが器へどんどん流れ込んで隙間を埋め、密度が高まる。

「え、へ」

あぁ、幸せ。
ようやく変な笑い声が出て、満たされ始めたのが自分でも分かった。よし、私もちゃんと伝えないと、と瞳に送っているとマルコさんが突然、喉を鳴らして笑い出す。
どうしたのかと思ったら、私が急に眉間に皺を寄せて真剣な表情をしたから面白かったみたい。

「くく。そんな真剣な表情しなくても伝わっているよい」
「マルコさんの器もぎっしり詰めないとって思って」
「俺の器?」
「はい。私の器はガラス製かと思ったらゴム製だったみたいで、押し込み過ぎて伸びちゃったんです。だからマルコさんの器もそうなんじゃないかって」
「?」
「ポリウレタン製じゃないから縮まないんです。それに色んな形のものを流さないと密度が高まらないんですよ」
「ポリウレタン?密度?」
「もう、”待て”は終わり?」
「あ、そうだった」

そうだった…?
忘れていたのか、と責めるように見つめると、マルコさんから唇へお詫びのキス。
機嫌直してくれよい?まだ足りないです。よい。…まだ。ん。
まだ足りない、もう一回、とお願いを何回もしていると、マルコさんが口を開くように言う。少しの隙間から、ぬるりとマルコさんの舌が入ってきて、舌を絡めとられた。ちょんちょんと突き合ったり舐め合ったりしていると、体が疼いてきてもっと欲しくなる。

「ふっぁ…ぁあ」

離れないように、マルコさんがどこにも行かないように抱き着いて、酸欠になっても構わずに夢中でマルコさんを感じていたけど、やっぱり今日も言われてしまう。

「っん。休憩」
「あっ…!」
「ほら」
「うぅぅ」

マルコさんは私の背中に腕を回して、ぽんぽんと撫で始める。その瞬間、冷静な私が現れた。今は休憩、どれだけお願いしてもこの先には進めないしキスもできない、と頭では分かっているから冷静な私が全てを抑え込む。けど、あと一回だけ…、とおでこに唇を落とす。やっぱり足りなくて、もうあと一回、と両頬にキスをして、こめかみにも…、と顔をもう一度近づけようとしたら、大きな手で止められてしまった。

「こら」
「…ん!」
「はは、そんな顔しても駄目だよい」

そんな顔がどんな顔かは分からないけど、優しく休憩だ、と言われてしまったら従うしかない。仕方なしに目を閉じて、マルコさんの胸に耳を当てて心音を聞きながら体温を感じていると、背中をさすってくれていた手が少しずつ上にきて、頭を撫でてくれた。その手に擦り寄って、まだかな、早く終わらないかなと、じっと待つ。
けど、なんか、やっぱり物足りなくて仕方がない。

「マルコさん」
「ん?」
「逆がいい」
「逆?」

私が下がいい。
マルコさんの体から下りて仰向けになって、両腕をマルコさんの方へ伸ばして、きて、とお願いをしてみる。すると、マルコさんが上に乗ってくれて、重みで体がベッドに沈み込んだ。ベッドからマルコさんのにおいがして、マルコさんからはもちろんマルコさんのにおいがする。マルコさんに包み込まれ、一つになったみたい。
へへへ、幸せだなぁ。

「休憩の時、こっちがいいです」
「ぐえぐえ言うことになるよい?」
「平気です」

ぐえぐえ言ってもマルコさんは私を嫌いにならないから。いくらでもぐえぐえ言える。
大きく息を吸って、マルコさんのにおいを体中に巡らせれば、物足りなさは少しずつなくなっていく。
すう…、すう…、すーーーう。
…吸っているのは聞こえるが、吐いているか?吐いたら駄目なんです。いや、吐けよい。
好きなだけ吸えばいいから、と言ってくれたので、”すう”だけじゃなくて”はぁ”もちゃんとすることに。
何回していたか分からないけど、気が付いたらマルコさんも同じことをしていた。私の首筋に顔を埋めたり、頭に顔をくっつけたり。マルコさんの息が首筋にかかると擽ったくて身を捩ってしまった。すると、逃げるんじゃないよい、と怒られ、がっちりホールドされ身動きが取れなくなる。
マルコさん、苦しいです。よーい。ぐえっ…!ははっ。
この前のようにマルコさんを苦しませようと思い切り腕に力を入れて抱き着いたけど、やっぱり私の力では苦しくないみたい。
マルコさんぐらいの筋肉をつけようかな。

「休憩終わり」
「このまま。マルコさんが上がいいです」
「よい」

顔の横に肘をついて少しだけ体を起こしたマルコさんの瞳にはまだ、”私が欲しい”があった。ならまだまだ伝えないとと、じーっと見つめるとまた笑われる。

「器はあとどれくらい余裕がある?」
「四分の一ぐらいです」
「了解」
「マルコさんのは?」
「あと半分ぐらいだ」
「お任せください!」
「くく。んじゃ、よろしく頼むよい」

マルコさんの器の大きさが分かった今夜、私は”キスと想い”だけで器を一杯に満たすのだった。


◇ ◇ ◇


「ご注文がお決まりになりましたらお声がけください」

店員さんの笑顔に微笑み返して、視線を下に向ける。左を見たり、右を見たり、後ろを見たりして、ご注文を決めようとするけど、種類がありすぎてすぐには決められない。隣を見ればマルコさんは腕を組み、同じようにきょろきょろとあちこち見ながらご注文を決めようとしていた。

「あいつおすすめのプレーンは決定で」
「クルミとチョコも美味しそうですね…」
「これが気になるよい」
「どれですか?」

これ、とマルコさんが指を差したのは烏龍茶味のマドレーヌ。他にも変わった味の焼き菓子があり、ペペロンチーノ…?と二人で首を傾げる。
今日はマルコさんの部下さんおすすめのお菓子屋さんに来た。スコーンが有名なお菓子屋さんでカフェも併設されているけど、今日はテイクアウトをしてお家で食べることに。
店内にはスコーン以外にもクッキー、フロランタン、マドレーヌ、シナモンロールなど、本当に色んな種類があった。綺麗に並んでいる焼き菓子達がどれも美味しそうで、私もマルコさんも決められない。

「マルコさん、マルコさん」
「ん?…それは絶対買う。五個「二個です」」
「…十個」
「どうしていつも増えちゃうんですか」

私を見つめるマルコさんに負けじと、二個です、と返しながら見つめていると、仕方がない、とパインクッキーを二つ手に取った。
ここにもパイナップルがあるなんて。探せばパイナップル味って色んなお店で出しているんだな。
二人であれもこれも気になる、と悩みに悩んだ末に選んだのは、プレーンのスコーンとクルミとチョコのスコーンと、パインクッキー。

「お家帰ったらお菓子タイムですね」
「コーヒーがいいか?カフェオレがいいか?」
「スコーンなら紅茶もいいですよ」
「紅茶はポットがないから難しいよい」
「そうでした。なら、ティーバッグを買って帰りましょう」
「紅茶はよく飲むか?」
「はい。お家ではよく飲みますよ」

ならポットも買って帰ろう、とマルコさんがスマホで何かを検索しはじめる。ティーバッグでも美味しい紅茶は飲める、と伝えるけど、マルコさんは駅とは違う方向へ歩き出した。近くに雑貨屋があったよい、と楽しそうに言うマルコさんに、いりませんとは言えないので見てみるだけ見てみようかと着いて行く。
行く途中で、マルコさんがパインクッキーが気になるのか手提げ袋をチラチラ見ていたから、ポットは諦めて帰ろうと何度も言ったけど、"待て"はできるよい!、と頑なだった。それもいつまで持つかなぁ、とあまり期待せずにいたのだけど、今日のマルコさんは我慢強くて、マルコさんが検索した雑貨屋さんに無事に到着。
”待て”ができるなんてすごいです!ふふん。
何故か得意げのマルコさんとお店に入ると、私もマルコさんも吸い寄せられるように陳列棚の方へ。
はて、これは何だろう…?

「…これ、人の形した花瓶ですよ」
「こっちのは雪だるまの形した脱臭剤だよい」

鳥の形をしたカートンオープナー、クレヨンの形をした汚れ落とし、人の形をしたコップスタンド。他にも面白いものがたくさんあって、ここでもこれはあれは、と店内をきょろきょろ。パイナップルおじさんにパイナップルを一瞬で忘れさせるなんて、すごいお店。
これ、マルコさんにぴったりですよ!なんだこの卵。卵に空いている穴にBB弾みたいなものをいれたら、三つに分かれている受け皿のどこかに落ちるみたいですよ。説明、ありがとよい。いつも卵焼きか目玉焼きかスクランブルエッグで悩んでいるから、これからはこれに決めてもらいましょう。んじゃ、買う。
白い卵をカゴに入れ、一つ一つどんなものなのかをじっくり見ていると、キッズコーナーに来ていた。クマさんの形をした食器や、おもちゃを眺めているとあるものに目が留まる。

「これ可愛い」
「ん?」

戦隊モノのデザインがされたお弁当箱。デザインは三種類あって、どれも可愛い。
詰めるおかずに力を入れちゃいそうだなぁ。メインは唐揚げ?うーん、ハンバーグとかミートボールもいいよね。あぁ、野菜も食べてもらいたいからミニトマトを入れて。うーん、見た目も可愛い方がいいのかな。ニンジンを星形にくり抜いたらいいかも。
そうだ。それを持って、マルコさんと私の分も作って公園とか動物園に行ったらどうかな?。へへ、パイナップル好きの男の子みたいに嬉しそうに食べてくれたらいいな。あ、その時はマルコさんに大きなおにぎりを握ってもらおう。もぐもぐとみんなで食べて、美味しいねって…。

「楽しそうな顔してる」
「え?」

マルコさんがにやついてるよい、と笑っていたので慌てて顔に力を入れる。けどすぐに口元が緩んでしまって、マルコさんにまた笑われてしまう。
うぅ、どうやっても戻りそうにない。

「何を考えてたんだよい?」
「えっと、その、みんなでピクニックいいなって」
「ピクニック…?」
「はい」

私とマルコさんと、私とマルコさんの──。
なんだかいいな、と少しだけはっきりした輪郭を見ながらお弁当箱を眺めて、マルコさんにも話したくて顔を上げたけど、声が出なかった。

「…それは、」

目を見開き、瞳を揺らし、驚いているような怯えているような表情。私を見ているはずのマルコさんの瞳を見つめても、何故か視線が合っている気がしない。
どうしたんだろう。こんなマルコさん、初めて見る。

「ま、マルコさん。大丈夫ですか?」
「あ…よい」

大丈夫、と笑いかけてくれたけどすごくぎこちない。こんな可愛くない笑顔を見るのも初めてで焦りが募る。
もしかして、マルコさんの嫌なことに触れちゃった…?ピクニック、好きじゃないのかも。そ、そうだよね。男性で、しかも四十も過ぎたらピクニックなんて恥ずかしいか…。うん、よくよく考えたら私の歳でも駄目かも。
困惑する私を見て、マルコさんが慌てた様子でこれも可愛いよい、と商品を取って話しかけてくれる。けど声も表情も少しだけ震えていた。

「い、今の話忘れてください!」
「え?」
「ピクニックなんてしたくないです!」
「あ、いや。ピクニックはやりたいなら…」
「いいんです。やりたくないです!」

お弁当箱を置いてマルコさんの手を掴み、キッズコーナーを離れる。
早くいつもの可愛いマルコさんに戻って。
そう祈りながらポットが置かれている棚に向かうのだった。


◇ ◇ ◇


「ほら」
「あむ…あ」
「ん」
「マルコさんも」
「あ」

マルコさんの部下さんおすすめのお菓子は、やっぱり期待を裏切らなかった。プレーンのスコーンは素材の味を楽しむことが出来て、半分はそのまま、もう半分はジャムをつけて味わった。クルミとチョコのスコーンは、クルミの香ばしさとチョコの程よい甘さが口の中に広がって、味はもちろん食感も楽しめた。
そしてマルコさんが待ち続けたパインクッキー。手のひらぐらいのパイナップルの形をしたクッキーで、マルコさんは一口食べた瞬間に私を見て、ウマ…、と感想を言い、あっという間に食べ切ってしまった。そんなに美味しかったなら私の分もどうぞ、と差し出すと、遠慮するかと思ったら、半分こ…、と言われてしまう。
そ、そんなに美味しかったの…?
ヘタと実に分けて、ヘタの方をぱくり。
うんうん、これもすごく美味しい!
全粒粉入りのザクザクとした生地の中に、甘いドライパインが練り込まれていて後味がすごくよかった。マルコさんが気に入るのも頷ける。なんで半分こを許したのか後悔してしまった。
もう少し食べたかったな、と物足りなさを感じていると、ほらみろ、とマルコさんが私を責めるように見てきたので、これぐらいがちょうどいいんだと反論した。

「紅茶にして正解でした。すごく合いますね」
「俺はあまり馴染みがないよい」

けど美味いのは分かる、と笑いかけてくれて、胸を撫でおろす。
よかった。いつものマルコさんに戻ってくれた。
あの後、ポットを買ってお店を出ると、次は茶葉を買いに行こう、とマルコさんがまたスマホで検索してくれた。マルコさんのことがあるから遠い場所なら遠慮しようとしたら、すぐ近くに専門店があるのを発見。そのお店も少し変わっていて、”パンに合う紅茶”とか”金曜日に飲む紅茶”とか不思議な名前が付いたものが多く、またここでもあれはこれはと悩んでしまってお家に着いたのは十六時を過ぎていた。

「お菓子のことで困ったら部下さんに聞くのが一番ですね」
「そういやぁ。あいつが、再来週行く旅行先にもおすすめのカフェがあると教えてくれたよい」
「再来週でしたね」

旅行を決めたのは付き合ってすぐの頃だから、もう三ヶ月。
そっか、あれから三ヶ月か。
初めてだから宿代は俺が出す、と言って予約してくれたお部屋には客室露天風呂が付いている。室内はベッド以外に大きなソファやローテーブルも置かれていて、私の部屋よりも広い。そんないい宿に泊まるのは初めてだから、楽しみで仕方がない。
そして何よりも、マルコさんと初めてのお泊り旅行。もう考えただけで、口元が緩んできて胸いっぱい。
露天風呂…。マルコさんとお風呂、入るのかな?選んだってことは入るんだよね。入りたいって思ってくれてるのかな。だったらいいな。入らないかよい?なんて首を傾げながら言われたら絶対に頷いちゃうな。マルコさんと、一緒に…。
えへ、へへへ、へ。

「また楽しそうな顔してる」
「あ…!」
「え?」

しまった。また一人で想像してにやにやしてしまった…!
ピクニックの話ではないから大丈夫だろうけど、数時間前のマルコさんを思い出し、慌てて両手で顔を隠す。
いつもの可愛いマルコさんに戻ってくれたのに、あんな表情をさせてはいけない。
必死で表情筋に力を入れていると、どうしたんだよい?と焦っているマルコさんの声がした。何でもないです、と伝えても、ほら顔見せて、と耳元でささやいてくるから体がびくりと反応してしまう。けど離れそうになる手に力を入れて、精一杯の抵抗を続ける。

「マルコさんにあんな表情をさせちゃ駄目ですから!」
「あんな表情?」

ちょっと待っててください!
逃げるようにマルコさんの膝から降りて隣に座ろうとしたら、大きな手で腰を掴まれた。ぐぐ、と必死に離れようとしてもマルコさんの力に適うわけはなく、逆に力強く抱きしめられてしまう。そして、手首を掴まれ無理やり手を引き剥がされて、こつんと、マルコさんのおでこがくっついた。

「ピクニックは、嫌じゃないんだよい」

ピクニックなんて可愛いことはしたことないし、こんなおっさんがするのも気恥ずかしいが、お前さんがしたいことなら一緒にやりたい。
だからピクニックはやるよい、と優しく言うマルコさんの表情は可愛いままだった。その様子に安心はしたけど、疑問が沸々と湧いてくる。
なら、あの時はどうしてあんな表情を…?私のどの言葉で?
マルコさんにはいつも、可愛いままでいてほしい。だから言ってはいけないことが知りたくてマルコさんに尋ねようとしたら、マルコさんにおでこにキスをされ先をこされてしまった。

「何を考えていたんだよい?」
「えっと、んぅ…おふ、んん!」
「ん?」
「おふ、っんぅ」

伝えたいのにマルコさんが唇を塞いでくる…!
たまに起こるマルコさんのキスの雨がちょうど今だったようで、教えてくれないのかよい?と言いながら唇を落としてくる。”おふ”までは言えるのに、”ろ”を言わせてくれなくて、顔を離してお腹に力を入れて後ろに逃げても追いかけてくるから、ソファのひじ掛けに頭を預けることになってしまった。マルコさんも同じように倒れてきて、ソファとマルコさんに挟まれてしまう。

「何考えてたか…ん、知りたいんじゃ、ないんですか?」
「んー」
「もう…っぁ」

マルコさんの”キスの雨”のタイミングはいまだに掴めない。何がきっかけなのか考えたことはあるけど、いつも、え、今?と思うことが多いから考えるのを諦めた。
この時のマルコさんのキスは勢いがある。触れるだけのキスを、何度も、顔の至る所へ。そして、キスに満足すると痕をつけたいとお願いされるので、鎖骨の下のあたりはいつも痕だらけ。けど、嬉しいから拒んだことは一度もなかった。

「マルコさん」
「ん?」
「こっち見て?」

されているうちに私からもしたくなって、寄せてくれた顔にお返しをすると、マルコさんがすごく嬉しそうな顔をしてくれた。こうなってしまったら、気が済むまでするしかない。
同じところに唇を落とし合って、くすくす笑って、ぐりぐりとおでこを押し付けて、またキスをして。最後に唇を味わえば、私もマルコさんも満足げ。
マルコさん、紅茶が飲みたいので起きたいです。ん。あ、空だから淹れてくるよい。私が淹れますよ。やりたいからやらせてくれ。一人でできそうですか?まかせろ。
得意げに台所へ行ったマルコさんができたと嬉しそうに持ってきてくれた紅茶は、残念なことにお湯っぽかった。けど私にとっては”マルコさんが淹れた紅茶”だから美味しい。マルコさんは美味しいと言う私を見て安心した様子だったけど、一口飲むと、嘘つき…、としょんぼりしてしまい、励ますのに苦労する羽目に。
マルコさんが作るものは何でも美味しいんですよ。んなわけあるか。紅茶に慣れていない俺でも分かる。これは不味い…すまん…。本当に美味しいんですってば!お前さんの”美味しい”は今まで嘘だったのか、よい…。
あぁ、さっきまで幸せそうだったのに。今度はしょんぼりマルコさんになってしまった!
マルコさんの手を取り、もう一回!と台所へ連れて行く。一から十まで丁寧に教えると、今度はすごく美味しい紅茶を淹れることができて、マルコさんが今度は覚えた、と真剣に言ってくれた。
けど、不安だからあと二回ぐらいは一緒に淹れよう。

「部下さんのおすすめのカフェはどんなお店なんですか?」
「ここだよい」
「わ、素敵なお店ですね」
「食べろって言われたメニューが…」

二日目に行かないか、と言うマルコさんに大きく頷き返して、旅行の予定をおさらい。
土曜日の朝からマルコさんの車で向かって、お昼は途中のお店で食べて、チェックインして、夜はマルコさんの会社の人のおすすめのお店へ行って…。

「ふふ。旅行、楽しみですね」
「よい」

今日はもう可愛いマルコさん以外は見たくないから、今度聞こう。
マルコさんはちゃんと話してくれる。
だから、笑い返してくれるマルコさんの瞳の奥にある僅かな陰りには、あえて見て見ぬふりをすることにした。
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