パイナップルからはじまる恋
「またそんな幸せそうな顔をして」
月曜日。出勤するとすぐに、クミさんに今週どこかでランチをしませんか、と誘った。土曜日の朝のことやアミューズメントパークでのこととか夜のこととか、他にも色々と話したいことが溜まっていたので惚気大会を開催したかった。クミさんは、ふふ、と笑いながら頷いてくれて、火曜日の今日、十二時よりも少し前に二人でウキウキとビルを出た。
「日曜日にね」
先ずはクミさんの話から。
クミさんが買い物から戻ると、リビングで旦那さんが娘さんに真剣に、けどどこか嬉しそうに何かを語っていた。
その話の内容というのが、
「私のどこが好きなのかって話だったの」
一体どんな流れからそんな話になったのかは分からないけど、クミさんが帰って来たのに気づいていない旦那さんは、それはそれは細かく、好きなところを語っていたらしい。娘さんが"私もママのこと好きだよ"と口を挟むと、"お前の好きなんて大したことない。俺の方が何倍も好きだ"と真面目に対抗していて笑いを堪えるのに必死だったそう。
「それで一通り話が終わった後に、気づいていた娘が"だって、ママ"って私の方を見て言ったの。そうしたら、あの人ったらバッてこっち見て、すぐに顔真っ赤にして書斎に逃げちゃったのよ」
ふふふ、可愛かったわ、と嬉しそうに笑うクミさんは、その後すぐに旦那さんの後を追って、同じくらい好きなところを伝えたらしい。
「素敵ですねぇ」
「何十年経っても、こんなに想われてるって実感できるなんて幸せね」
その後も旦那さんの素敵なところをたくさん話してくれたクミさんが、今度はそっちの話、と振ってくれたので、土曜日のことを話した。クミさんが、うんうん、と楽しそうに聞いてくれるから、話は全く止まらない。
「それで、疲れちゃったみたいで先に寝てしまったんですけど、頬を撫でたら擦り寄ってきてくれたんです。本当、可愛くて」
「無意識にされると堪らないわよねぇ」
「そうなんです!」
あの後、おやすみのキスをして、髪を撫でて、名前を呼んで。嬉しそうな表情をしてくれたのは気のせいかもしれないけど、嬉しくて嬉しくて。あの夜はずっとそんなことばかりしていた。
あの時のマルコさんは本当に…、へへ。
思い出すだけで口元が緩んでしまって、クミさんにあらあら、と笑われてしまった。けど、クミさんも話をする時は幸せそうな顔をするのでおあいこだ。
「彼氏さん、随分と甘えたなのね」
「あまり見ないですけど、スーツ姿はカッコいいから普段は可愛くないかもしれないです。背がすごく高くてがっしりしてるから、友だちや知り合いには可愛さを理解してもらえなくて」
「どのくらい高いの?」
二メートルを超えてますと、答えると、クミさんがパスタを巻きつけたフォークを持ったまま固まった。まさかそこまで高いとは思ってもみなかったよう。ジェノベーゼパスタを飲み込んだ後、二メートルを超える可愛い男性が想像できないわ、と苦笑いされてしまった。
ならば写真を、とスマホを手にしたけど、写真を見せたら歳の差なのが分かってしまう、と手が止まる。クミさんも旦那さんとは八歳差だけど見せない方がいいのかな、と躊躇っていると、クミさんが何か思い出したように声を出した。
「学生時代に、二メートル超えた同級生がいたわね」
学部は違ったけど少し有名な人がいた、と目線を天井に向けながらフォカッチャを一口大にちぎる。
「二メートル超える人って、意外といるんですね」
「それほどいないと思うわ。確か…その方はね、背の高さだけでなくて変わった髪型だったから広く知られていたのよ。それととても人が良くて女性に人気だったと、噂では聞いたわね」
変わった髪型。
もしかして、とクミさんに詳しく話を聞こうとすると、そんなに身長差があると苦労することはないの?と尋ねられ、咄嗟に視線を上げる。
苦労するのは、ツーショットを撮ることぐらいかな?あ、電車で立って会話をした時、マルコさんがよく聞こえないって言ってたっけ。
他には…、と考えながら、写真と会話の話をすると、想像できるわね、と大きく頷かれた。
「いいこともありますよ。待ち合わせの時はすぐに見つけられます」
「でしょうね。困ること、他にないの?」
「…それ以外で、あまり困ると思ったことがないです」
困ること、困ること、とフォカッチャを口の中へ入れながら、もぐもぐしながら、飲み込みながら、フォカッチャをちぎりながら考えるけど、出てこない。
「なら、ここは直してほしいなってところは?」
ある?
ちぎったフォカッチャを口に入れ、もぐもぐして、飲み込む。
…うーん。
「私に似合う服を見つけるとすぐに買おうとするところ、ですかね?」
「あら素敵。他は?」
うーーん…。
いいところはたくさん出てくるのに、直してほしいところが出てこない。
パイナップルをつまみ食いするところ?けどそれは直してほしい、とまで思ったことはない。パイナップルおじさんに今後一切つまみ食い禁止、なんてことは言えない。
どうして出てこないんだろう?とお水を飲みながら天井を見つめていると、くすり、と小さく笑う声が聞こえた。前を見ると、クミさんはコップを両手で包みながら微笑んでいる。
「彼氏さん、貴女のことが本当に大切なのね」
◇ ◇ ◇
“お疲れー。突然なんだけど、ライブに一緒に行ってくれる人を探してるの。どうー?”
あ、生きてた。
メッセージを見て初めに思ったのは、それだった。
おつかれ、と文字を打った後に、何のライブかと質問を送る。するとすぐに既読が付き、彼女の好きなアイドルグループのライブだと送られてきた。
その答えに、ある質問を十秒ほど悩んで送信する。
“グループの一人が結婚したね。推しの人?”
”そだよ。私の推し!!”
”ニュース見た時、大丈夫かなって心配しちゃった”
“そうなの?推しの幸せは私の幸せだから、一人パーティーしたよ〜”
なんて素敵な考え方。ピンクさん、すごい。
けど、それは分かるかも。マルコさんが幸せだと私も幸せだから。マルコさんを推しているわけではないけど、同じようなものだと思う。
ピンクさんは、一緒に行くはずだった人が行けなくなり、チケットを売るのも考えたけど、もし友だちが行ってくれるならそっちの方がいいから、と連絡をくれた。ライブは最終日というので、行けなくなった人は本当に悔しいだろうな、と同情してしまう。
“興味ないかな?”
“ちなみに、いつなの?”
日にちを教えてもらい悩んでいると、”もし行くならセトリも合いの手も全部教えるよ!”、”ペンライトもタオルも貸すよ!”など、ぽんぽんメッセージがくる。
きっと誘われなければ行くことないだろうし、人気曲なら知っているのが数曲ある。
"せっかくだから、行ってみようかな"
ピンクさんにそう伝えれば、ありがとう!と土下座スタンプが送られてきた。後でセトリ送るね、当日の待ち合わせとかはまた連絡する!とのメッセージに、パイナップルがオッケーと丸を作るスタンプで返信。
"何そのスタンプ"
"可愛くない?"
"可愛いような、可愛くないような"
そう。私はついに、マルコさんが使っているパイナップルシリーズのスタンプを購入した。けどまだ、マルコさんには送っていない。トーク画面がパイナップルで埋め尽くされたら笑いが止まらなくなる気がして、送ることができないから。だからアスカや親しい友だち相手に使っていて、今も最後にベッドで眠るパイナップルを送ると、このスタンプを送ってみたい人のトーク画面を表示した。
「…」
スマホ画面の左上を見ると、二十二時半過ぎ。
マルコさん、大丈夫かな。電話は、今日はしない方がいいかも。
きっと疲れていると、電話をやめてメッセージを送るために指をキーボードに当てる。するとスマホが震え、すぐに応答ボタンを押した。
『おつかれさん』
「おつかれさまです。お仕事は大丈夫でしたか?」
『あぁ。なんとかなったよい』
よかった、と胸を撫で下ろす。
マルコさんは、今週は出張の予定はなかったけど、昼過ぎにお客様にトラブルが発生して急遽出張になってしまったのだ。十五時頃、店に行けなくなった、とパイナップルがしょんぼりするスタンプと共にメッセージが送られてきた。
『ちなみにだが、夜ご飯はなんだったんだ?』
「酢豚でした」
『酢豚!?』
そんな…、マジか…、よい…。
電話越しでも分かる、しょんぼりした声。
しょんぼりマルコさんを想像したら、先ほど見た両親を思い出して笑ってしまい、どうしたよい?と声が聞こえた。
数時間前の実家で、マルコさんのもぐもぐ姿を、美味い美味いと食べてくれる姿を楽しみにしていた両親は、マルコさんが来れないと分かると、すごくしょんぼりしてしまったのだ。仕事か…、それは仕方がないわね…、と両親は自身に言い聞かせていたけど、マルコさんの姿が見たかった…、と最後の最後まで呟いていた。
そのことをマルコさんに話すと、俺も食べたかったよい…と長いため息をつきながら呟き、酢豚…と悲しそうな声を出す。
疲れている時、マルコさんは酢豚を食べたくなることが多いから、きっと今、すごく疲れてるんだろうなぁ…。
「日曜日は酢豚にしましょうか?」
『本当か!?』
「ふふ、もちろんです」
よしっ!
今度は電話越しでも分かる、嬉しそうな声。
「酢豚以外にも、食べたいもの作りますからね」
だから、お仕事頑張ってください。
するとマルコさんはよいよい、と気分よく返事をしてくれた。待ちきれない、早く会いたい、と素直な言葉を伝えてくれるから、同じように会いたい、電話じゃ足りない、と素直に伝える。
するとまた、それはそれは長いため息が聞こえてきた。
『会える予定だったのが駄目になのは、堪えるよい…』
「お仕事ですから、仕方がないですよ」
『そうなんだが…』
それでも、心は追いつかない。
本当なら実家でご飯を食べて、手を繋ぎながら駅まで歩いて、電車に乗って二人並んで座って、ばいばいとマルコさんを見送る、筈だった。
……。
「…マルコさん」
『ん?』
「早く金曜日にならないですかねぇ…」
『だなぁ…』
金曜日、たくさん甘えちゃいそうだなぁ。
◇ ◇ ◇
見つめていると、背中を優しく撫でていた大きな手が頬を包んでくれた。それだけで、体に小さな熱がこもり始める。まだかな、まだかな、と待ち続けていると親指が近づいてきて下唇をなぞり、そのまま上唇もすりすり撫でてくれた。そしてこの後に、と期待したのに手は後ろへ行ってしまい、髪を優しく撫でてくれるだけだった。頭の形を確かめるようにつむじから首までをゆっくりと、何回も撫でてくれる。気持ちがよくて、少しの間、目を閉じて身を委ねてしまったけど、これは私が欲しかったものではない。
だから、自ら顔を近づけることにした。大好きな人の顔を見下げて、もう少しもう少しと柔らかいものに近づいていく。けど大きな手にまた頬を包まれ、これ以上は駄目だと止められてしまった。
「もう少し休憩」
「どうしてですか?」
休憩をする理由が分からない。
もう三十分も休憩してる、と不満を伝えれば、まだ三分だよい、と困り顔で言われてしまった。
それは絶対嘘、三十分は経った、と顔を手のひらに押し付けるけど、マルコさんの抑える力の方が強くてびくともしない。
「マルコさん」
「あと五分」
「もう休憩終わりです」
「終わらないよい」
マルコさんの体をベッドに押し付けるように体重をかけて、早く早くと訴えても、まだ、としか言ってくれない。
休憩なんて、必要なのかな?ないと困ることがあるのかな?
「本当に五分?」
「本当に五…あと四分だよい」
「あと三分?」
「まだあと四分」
「…」
理由は分からないけどどれだけお願いしても駄目だから、諦めて首筋に顔を埋めて時間を待つことにした。すると、宥めるように背中をぽんぽんしてくれたので、仕方なしに一定のリズムを刻む大好きな手に意識を向ける。
「…そういやぁ、イゾウから"楽しみにしている"と返事が来たよい」
「あ、はい。私もすごく楽しみです」
明日は映画を見て、夜にイゾウさんのお店に行く予定。お昼はどうするか決めていないけど、午前中はゆっくり。
イゾウさんにどんなカクテル作ってもらおうかな。スッキリしたもの?甘いもの?新作は何だろう?
イゾウさんのお店を思い浮かべながら想像を膨らませていると、大きな手の動きが止まった。
「四分経ったよい」
「!」
ぱ、と顔を上げると、マルコさんがすぐに欲しかったものをくれた。あ、やっとだ、と嬉しくなって唇を押し付けていると、マルコさんが喉を鳴らして笑う。
「んっ、んっ」
ちゅ、ちゅ、と気持ちがいい唇を味わい続けていると、不意にマルコさんの唇が開いた。つられて私のも開いて、少しの隙間から何かが入ってくる。
「ぁ、…っぁん」
口の中を自由に動くマルコさんの舌に反応して体がぞくぞくしてしまうけど、嫌なものではなくて、むしろずっと感じていたかった。上あごを優しくなぞられれば、体が大きく震えて声が漏れてしまう。
ぎゅうぅ、とマルコさんに抱きついて、歯茎も舌裏も、届く全てのところを綺麗にしてくれる舌に舌で絡みつくと、マルコさんも同じように絡めてくれる。
「ふっぁ」
「はっ…」
「ぁ」
離れたらまた休憩だって言われる。だから離れたくない。
出て行ってしまった舌を逃さないように追いかけ、マルコさんの口の中へお邪魔した。行かないで、逃げないで、とマルコさんの舌に吸い付いて必死に引き留める。すると、どこにも行かないよい、とでも言うように私の体を強く抱きしめてくれた。もっともっとと口の中の至る所に触れていると、私の唾液が口の中に広がっていたのか、マルコさんは、ごくん、と大きく喉を動かした。
その音に、体の、特にお腹の下のあたりが疼き始める。
「はぁっ!」
「はっ、はぁ」
「あ、離れちゃ…!」
「っ、ちょ、…!」
休憩なんてしたくない。マルコさんが欲しい。
私から離れて息を整えようとするマルコさんよりも酸欠状態なのに、我慢できなくて、勢いよくマルコさんの口を塞いで舌を絡め取ろうとした。けど、マルコさんが逃げるように舌を動かすから、上手くできない。
どうして逃げるの?お願いだから逃げないで。
「ぁん、んくっ、はぁっ…あぁ!」
「待て待て…!」
両頬を手で包まれて無理矢理引き剥がされてしまった。待て、と強くマルコさんが言うけど、従えそうにない。
「マルコさん…」
足りない、全く足りない。
前なら幸せで笑い出すはずなのに、可笑しい。今もちゃんと幸せになっているのに、体は熱くて疼いていて、満たされていない。
「まる、こ…さん」
「…っ」
マルコさんの瞳が、大きく揺れた。
欲しい、マルコさんのが欲しい。お願い、私にちょうだい。
肩で息をしながらそれを言葉にすると、マルコさんの瞳から何かが伝わってきた。
あ、私の欲しいものをくれる。そう分かったら、突然、マルコさんは私の体を強く抱きしめると勢いよく回転させた。マルコさんの上に乗っていた状態からベッドの上に仰向けにされ、マルコさんが四つん這いで私に覆いかぶさっている。
マルコさんに見下ろされるのは、初めて
マルコさんに向けて腕を伸ばして首に回すと、瞳から私と同じ思いが見えた気がした。お前さんが欲しいと、熱を帯びた瞳から伝わってくる。
だから、やっと、と期待して待っていた。
「…?」
なのに、マルコさんは何故か目を固く閉じてしまった。
「マルコさん?」
唇を固く結び、動かない。まるで何かに耐えている様子。初めての姿に、体の熱はすぐにどこかへ行ってしまい、焦りが募り始める。
どうしたんだろう?
「マルコさん、マルコさん」
頬を撫でてみても、頭を撫でてみても、名前を呼んでみても、マルコさんは、じっとしているだけ。どれだけ待っても反応がないから心配になり、横になった方が、とマルコさんの下からどこうとすると、マルコさんの顔が近づいてきた。
「ぐえ」
唇に柔らかいものが──ではなく、感じるのは酷い圧迫感。
二メートル超えのパイナップルおじさんが、力尽きたように倒れ込んできた。突然の重みに変な声が出てしまい、私を押しつぶそうとする本人は肩を揺らして笑っている。
「"ぐえ"って…くくくっ」
「ぺしゃんこになっちゃいます…!」
「よーい」
「体重かけないでくださいっ」
「ははっ」
お、重い…!
マルコさんの体重を、まさかこんな形で感じることになるとは。体ががっしりしてるから、尚のこと重いのかも。
どいてほしいと、切実にお願いすると、マルコさんは半身だけ降りてくれた。けど今度は、強く抱きしめてくるので苦しくてもがいてしまう。そんな私を見て、マルコさんは力を少し抜いてくれた。けど、まだ笑っている。
「くく」
「そんなに面白かったですか?」
「っ…ふはっ」
こっちは苦しくてどうかなりそうだったと言うのに…!
一人楽しそうなマルコさんに、少しというか、すごく仕返しがしたくなり、マルコさんとベッドの間に腕を滑り込ませ、背中側にも腕を回した。
「お返し、です!」
腕に力を入れて、マルコさんのお腹を締め上げた。ぎゅうぅ、と紐で縛るように、マルコさんを苦しませようと全力で。
けど、
「…苦しくないんですか?」
「全く」
本当に全力か?ときょとん顔で尋ねられた。
本当に苦しくない?本当に苦しくない。ホント?ホント。
……よし。
「…ふ、ふぐぅっ!」
「ぶはっ!」
力を入れようとしたあまりに、また変な声が出てしまってマルコさんは大笑い。
何だその声、と涙を浮かべながら笑う姿に腹が立って、マルコさんを思いきり押しのけた。仰向けになったマルコさんのお腹に何回も拳をお見舞いする。
こっちは真剣なのに!どうしてこんなにお腹硬いの!?
このこのっ、と硬いお腹を叩き続けていると、不意に両腕が伸びてきて、引き寄せられ、優しく抱きしめられてしまった。抵抗したくてマルコさんから離れようとすると、大きな手で頭を撫でられ、困ったような、楽しそうな表情で名前を呼ばれる。
「拗ねないでくれ、な?」
「拗ねてないです」
「お前さんが可愛くて」
「ぐえぐえ言うのが、ですか?」
「よい」
ぐえぐえも、ふぐぅも、いつもの笑い声も。お前さんの全てが可愛い。
また私を上に乗せたマルコさんは、いつもの可愛い顔でそう言いながら、頬を撫でてくれた。変な声を出す女性なんて、男性に引かれるような気がするけど、今のマルコさんは嘘をついているようには見えない。
ぽんぽん、と頭を撫でてくれて、背中を撫でてくれて、名前を呼んでくれて、ふくれっ面も可愛いが機嫌なおしてくれよい?、と幸せそうな顔で言ってくれる。
「マルコさんって…」
「ん?」
心地のいい体温と声に毒気を抜かれ、マルコさんの好みに感心してしまい、しみじみとした声で変わり者ですねぇ、と呟いてしまった。そんな私を見て、マルコさんはくつくつ笑い出す。
「お前さんには言われたくないよい」
この時のマルコさんは、とても大切なものを見るような表情をしていた。
◇ ◇ ◇
「それで、ジョニーが…ふふっ、ふっ」
「フランスパンで…くっくく」
「全く話は分からんが、面白いことだけは分かった」
思い出し笑いをする私とマルコさんの前に、イゾウさんが新作を置いてくれた。
イゾウさんの店へ行く前に観た映画が面白すぎて、ここに来るまでに、二人で何度くすくす笑い合ったことか。
観たのは、海外のコメディ映画の新作。上映中はお静かに、と上映前の鑑賞マナー映像で言われたから静かにしているつもりだったけど、主人公が次々と可笑しなことをしてくれたのだ。だから、初めは、ぐ、ぐぐ、と堪えていたけど、中盤あたりで耐えきれずに声を出してしまった。慌てて口を抑えたけど、他の人も我慢できずに笑っていたから釣られてしまい、後半はほとんど我慢せず。因み、今回もプレミアムシートだったからマルコさんの顔は見えなかったけど、頻繁に「く、くくっ」とか「ふはっ」と笑っていた。マルコさんもすごく楽しめたみたい。
「すごく気になるな。次の休みの日に観に行こう」
「ぜひ!ミサイル発射のシーンもっ、ふふっ」
「じゅ、受話器で…くくくくっ」
「観に行くから何も話すな」
「「あははっ」」
あのシーンもこのシーンもと語る私達に、ネタバレ禁止だ、とイゾウさんが睨みを利かせたので、慌てて口を噤む。けど、頭の中で映画のシーンが再生されてしまい、笑いが止まらない。マルコさんも同じのようで、カクテルを飲みながら肩を揺らしている。そんな私達を見て、これは駄目だな、とイゾウさんが呆れていた。
「そういやぁ。これ、エースが送ってくれたが、遊園地行ったんだって?」
「っ?…あぁ。お前も、エースとルフィに会ったって?」
「あぁ」
イゾウさんが見せてくれたのは、アミューズメントパークで撮った四人の写真。エース君が送ったようで、私とマルコさんのツーショットも何故かイゾウさんのスマホに保存されていた。
二週間、マルコさんのお家をホテル代わりにしていたエース君とルフィ君は、先週の日曜日に地元へ帰って行った。帰る日、エース君達がマルコさんに頼み込み、空港まで車を出したのだけど、また来年な!と笑うエース君達に、二度と来るな、とマルコさんが言い放ったものだから空港のロビーで最後の言い合いが始まってしまったのだ。時間が…、と三人の間に入ると、姉ちゃんが来年もジェットコースター乗ろうって言ったから絶対来るぞ!姉ちゃんの飯も食わねえとだからな!と私に迫ってきたので、横から感じる視線に戸惑いながら、また来年ね、と笑顔で見送った。そんな私に、約束なんてするな、とマルコさんが不満を漏らしたけど、姿が見えなくなった途端に、行っちまったねい…、と寂しそうな声を出していたから、来年も楽しめそう。
最後まで元気一杯だった二人は、こっちに来ている間、本人達が言っていたようにイゾウさんにも会いに行っていた。イゾウさんが言うには休みの日にお家に押しかけられたようで、思い出しただけでため息が出る…、とそれはそれは長いため息をつく。
「散々だったんだぞ」
「食べ放題の店をハシゴか?」
「それが…」
その日、朝九時にインターホンを押され、行ってみたいところがあるから準備しろ!、と居座られ、準備ができたらカーシェアを予約させられ、郊外の倉庫型スーパーまで運転をするはめになった。スーパーに入ると、イゾウこれ!、これも!、と大きなカートにどんどん物が入れられ、ゲーム機も服も、もちろん食べ物も、買わされた。その後、家に戻ると、買った食材で飯が食いたいと言われ、サッチさながらにフライパンを振るい続けたんだ。あいつらがお前の家に帰るまで、一体どれだけの料理を作り続けたと思う?
マルコさんの前に二杯目のカクテルを置きながら、私にはノンアルコールカクテルを置きながら悪夢のような一日を語るイゾウさんに、マルコさんが同情するよい…、と慰めていた。
けど、エース君達に一日付き合ったところを見ると、イゾウさんは本当に嫌というわけではないのかもしれない。
マルコさんもイゾウさんも優しいな、とそのまま伝えれば、二人とも照れくさそうに視線を逸らした。
「まぁ、生まれた頃から知っているからよい」
「昔から可愛げはなかったが…まぁ、な」
二人は、はは、と笑うと、エース君達の小さい頃の話をしてくれた。
エース君が生まれた時にはすでに、マルコさん達はこちらで生活をしていた。だから、会うのは地元へ帰る時だけだったけど、エース君とルフィ君のあの性格のおかげか、エース君達が物心付く頃には懐かれていたらしい。
「オヤジが、エースの親父とルフィのじじいと仲がよかったってのもある」
「あとはサッチの面倒見のよさもあって、あいつらの遠慮がなくなった」
小さい頃のエース君達は今かそれ以上の元気さがあって、マルコさん達も全力で相手をしていた。
あんな小さかったエースが大学生とは…。ルフィも来年は大学か…行けるのか?就職するんじゃないか?まさかこっちで?親友がいるからあり得るかもな。勘弁しろよい…。
いつか来るかもしれない日を想像して、げんなり顔になった二人が面白い。笑いごとじゃない、お前さんも無関係じゃないよい、と真剣に言うのでさらに面白くて笑っていると、ふと、あることを思い出した。
「お二人は大学からこちらに?」
「そうだよい」
「どんな大学生活だったんですか?」
クミさんから聞いた話が気になり、本人から何か聞けないかな、と話を振ってみる。するとマルコさんが、ごくごく普通の、飲み会が多い学生生活だったと教えてくれた。
イゾウさんとは大学は違ったけど、頻繁に遊んでいた。すでに修行中だったサッチさんとはあまり会えなかったけど、会う時には料理を作ってもらっていたそう。
「前にも話したが、こいつの髪型は昔からこれだから、当時も目立っていたな」
パイナップルおじさん、ではなく、パイナップルおにいさん。
…うん。きっと、絶対に可愛いはず。
周りから可愛いって言われなかったか、と聞いてみると、マルコさんには、言われるわけないだろい?と呆れられ、イゾウさんにはくつくつ笑われた。けど女性からはそれなりに…、と話を続けると、イゾウさんがそうだなぁと視線を上にあげる。
「それなりには、だな」
イゾウさんは、私の前に生ハムとメロンの盛り合わせを置くと、他のお客さんのカクテルを運びに行った。
「マルコさん、もっと話が聞きたいです」
「そうか?なら…」
学んでいた分野の話、ゼミでの話、サークルの話、学園祭の話、バイトの話。イゾウさんが戻って来ると会話に入ってくれて、二人の旅行話も聞かせてくれた。ツーリングもよくしたな、と話す二人は本当に楽しそうで、学生生活がすごく充実していたのが伝わってくる。
「俺もマルコも酒が強い方だったから、いろんな飲み会に駆り出されたな」
「大学が違うのにですか?」
「俺がイゾウの大学の飲み会に顔を出したり、逆もあったり、まぁ、そこら辺は適当だったよい」
「なら、交友関係が広そうですね」
「今でも繋がってる奴は少ないが、当時は広かったな。マルコは特に」
俺と違ってとりあえず受け入れるタイプだからもっと広かった、とイゾウさんがパイナップルのソルベを出しながら教えてくれた。その話から今もたくさんの人と繋がってるのか気になってマルコさんを見たけど、本人は会話そっちのけでソルベを見つめたまま固まっている。その姿に、私もイゾウさんも苦笑い。
マルコ、お前な…。マルコさん、写真撮らないんですか?そ、そうだな、写真写真…。
それから、イゾウさんからお店を出した経緯を聞かせてもらって、私の学生時代の話もしていたら日付が変わる少し前となっていた。イゾウさんのお店は深夜までやっているからまだいられるけど、眠そうな私を見て、帰るよい、とマルコさんが席を立つ。
面倒だからタクシーで帰ろう、とマルコさんがタクシーを探していたけど、手を繋いで歩いて帰りたいとお願いすれば、いいよい、と応えてくれた。大きな手が私の手を包んでくれて、すり、と指が絡まる。にぎにぎすれば、にぎにぎし返してくれた。お酒が入っているからいつもよりも歩くのがゆっくりになってしまい、マルコさんのお家の最寄駅に着いたのは次の日になって少し経った頃。
「マルコさん、ありがとうございます」
「ん?」
急にどうした?と私を見ながら首を傾げる。
出かけている時、マルコさんは私の隣にいる。デートなのだからそれは当たり前だし、そのことを不思議に思うことも、疑問に思う必要もないけど、クミさんに聞かれて、改めて実感した。
マルコさんは本当に、優しい。
その優しさは今までの彼氏からは感じたことのないものだった。物理的にも内面的にも包み込む優しさ。私の望みならなんでも叶えると、マルコさんは躊躇いもなく言い、その通り叶えてくれる。望みを言わなくても、さりげない気遣いはいつもあり、今も私の歩調に合わせてくれている。それは四十を過ぎたからできるのか、学生時代からそうだったのかは、分からない。
けどもし、クミさんの二メートル超えた同級生がマルコさんだとしたら…。そう考えはじめると、アスカがいつか言った言葉が頭の隅に現れた。
“なんで独身なんだろうね?”
月曜日。出勤するとすぐに、クミさんに今週どこかでランチをしませんか、と誘った。土曜日の朝のことやアミューズメントパークでのこととか夜のこととか、他にも色々と話したいことが溜まっていたので惚気大会を開催したかった。クミさんは、ふふ、と笑いながら頷いてくれて、火曜日の今日、十二時よりも少し前に二人でウキウキとビルを出た。
「日曜日にね」
先ずはクミさんの話から。
クミさんが買い物から戻ると、リビングで旦那さんが娘さんに真剣に、けどどこか嬉しそうに何かを語っていた。
その話の内容というのが、
「私のどこが好きなのかって話だったの」
一体どんな流れからそんな話になったのかは分からないけど、クミさんが帰って来たのに気づいていない旦那さんは、それはそれは細かく、好きなところを語っていたらしい。娘さんが"私もママのこと好きだよ"と口を挟むと、"お前の好きなんて大したことない。俺の方が何倍も好きだ"と真面目に対抗していて笑いを堪えるのに必死だったそう。
「それで一通り話が終わった後に、気づいていた娘が"だって、ママ"って私の方を見て言ったの。そうしたら、あの人ったらバッてこっち見て、すぐに顔真っ赤にして書斎に逃げちゃったのよ」
ふふふ、可愛かったわ、と嬉しそうに笑うクミさんは、その後すぐに旦那さんの後を追って、同じくらい好きなところを伝えたらしい。
「素敵ですねぇ」
「何十年経っても、こんなに想われてるって実感できるなんて幸せね」
その後も旦那さんの素敵なところをたくさん話してくれたクミさんが、今度はそっちの話、と振ってくれたので、土曜日のことを話した。クミさんが、うんうん、と楽しそうに聞いてくれるから、話は全く止まらない。
「それで、疲れちゃったみたいで先に寝てしまったんですけど、頬を撫でたら擦り寄ってきてくれたんです。本当、可愛くて」
「無意識にされると堪らないわよねぇ」
「そうなんです!」
あの後、おやすみのキスをして、髪を撫でて、名前を呼んで。嬉しそうな表情をしてくれたのは気のせいかもしれないけど、嬉しくて嬉しくて。あの夜はずっとそんなことばかりしていた。
あの時のマルコさんは本当に…、へへ。
思い出すだけで口元が緩んでしまって、クミさんにあらあら、と笑われてしまった。けど、クミさんも話をする時は幸せそうな顔をするのでおあいこだ。
「彼氏さん、随分と甘えたなのね」
「あまり見ないですけど、スーツ姿はカッコいいから普段は可愛くないかもしれないです。背がすごく高くてがっしりしてるから、友だちや知り合いには可愛さを理解してもらえなくて」
「どのくらい高いの?」
二メートルを超えてますと、答えると、クミさんがパスタを巻きつけたフォークを持ったまま固まった。まさかそこまで高いとは思ってもみなかったよう。ジェノベーゼパスタを飲み込んだ後、二メートルを超える可愛い男性が想像できないわ、と苦笑いされてしまった。
ならば写真を、とスマホを手にしたけど、写真を見せたら歳の差なのが分かってしまう、と手が止まる。クミさんも旦那さんとは八歳差だけど見せない方がいいのかな、と躊躇っていると、クミさんが何か思い出したように声を出した。
「学生時代に、二メートル超えた同級生がいたわね」
学部は違ったけど少し有名な人がいた、と目線を天井に向けながらフォカッチャを一口大にちぎる。
「二メートル超える人って、意外といるんですね」
「それほどいないと思うわ。確か…その方はね、背の高さだけでなくて変わった髪型だったから広く知られていたのよ。それととても人が良くて女性に人気だったと、噂では聞いたわね」
変わった髪型。
もしかして、とクミさんに詳しく話を聞こうとすると、そんなに身長差があると苦労することはないの?と尋ねられ、咄嗟に視線を上げる。
苦労するのは、ツーショットを撮ることぐらいかな?あ、電車で立って会話をした時、マルコさんがよく聞こえないって言ってたっけ。
他には…、と考えながら、写真と会話の話をすると、想像できるわね、と大きく頷かれた。
「いいこともありますよ。待ち合わせの時はすぐに見つけられます」
「でしょうね。困ること、他にないの?」
「…それ以外で、あまり困ると思ったことがないです」
困ること、困ること、とフォカッチャを口の中へ入れながら、もぐもぐしながら、飲み込みながら、フォカッチャをちぎりながら考えるけど、出てこない。
「なら、ここは直してほしいなってところは?」
ある?
ちぎったフォカッチャを口に入れ、もぐもぐして、飲み込む。
…うーん。
「私に似合う服を見つけるとすぐに買おうとするところ、ですかね?」
「あら素敵。他は?」
うーーん…。
いいところはたくさん出てくるのに、直してほしいところが出てこない。
パイナップルをつまみ食いするところ?けどそれは直してほしい、とまで思ったことはない。パイナップルおじさんに今後一切つまみ食い禁止、なんてことは言えない。
どうして出てこないんだろう?とお水を飲みながら天井を見つめていると、くすり、と小さく笑う声が聞こえた。前を見ると、クミさんはコップを両手で包みながら微笑んでいる。
「彼氏さん、貴女のことが本当に大切なのね」
◇ ◇ ◇
“お疲れー。突然なんだけど、ライブに一緒に行ってくれる人を探してるの。どうー?”
あ、生きてた。
メッセージを見て初めに思ったのは、それだった。
おつかれ、と文字を打った後に、何のライブかと質問を送る。するとすぐに既読が付き、彼女の好きなアイドルグループのライブだと送られてきた。
その答えに、ある質問を十秒ほど悩んで送信する。
“グループの一人が結婚したね。推しの人?”
”そだよ。私の推し!!”
”ニュース見た時、大丈夫かなって心配しちゃった”
“そうなの?推しの幸せは私の幸せだから、一人パーティーしたよ〜”
なんて素敵な考え方。ピンクさん、すごい。
けど、それは分かるかも。マルコさんが幸せだと私も幸せだから。マルコさんを推しているわけではないけど、同じようなものだと思う。
ピンクさんは、一緒に行くはずだった人が行けなくなり、チケットを売るのも考えたけど、もし友だちが行ってくれるならそっちの方がいいから、と連絡をくれた。ライブは最終日というので、行けなくなった人は本当に悔しいだろうな、と同情してしまう。
“興味ないかな?”
“ちなみに、いつなの?”
日にちを教えてもらい悩んでいると、”もし行くならセトリも合いの手も全部教えるよ!”、”ペンライトもタオルも貸すよ!”など、ぽんぽんメッセージがくる。
きっと誘われなければ行くことないだろうし、人気曲なら知っているのが数曲ある。
"せっかくだから、行ってみようかな"
ピンクさんにそう伝えれば、ありがとう!と土下座スタンプが送られてきた。後でセトリ送るね、当日の待ち合わせとかはまた連絡する!とのメッセージに、パイナップルがオッケーと丸を作るスタンプで返信。
"何そのスタンプ"
"可愛くない?"
"可愛いような、可愛くないような"
そう。私はついに、マルコさんが使っているパイナップルシリーズのスタンプを購入した。けどまだ、マルコさんには送っていない。トーク画面がパイナップルで埋め尽くされたら笑いが止まらなくなる気がして、送ることができないから。だからアスカや親しい友だち相手に使っていて、今も最後にベッドで眠るパイナップルを送ると、このスタンプを送ってみたい人のトーク画面を表示した。
「…」
スマホ画面の左上を見ると、二十二時半過ぎ。
マルコさん、大丈夫かな。電話は、今日はしない方がいいかも。
きっと疲れていると、電話をやめてメッセージを送るために指をキーボードに当てる。するとスマホが震え、すぐに応答ボタンを押した。
『おつかれさん』
「おつかれさまです。お仕事は大丈夫でしたか?」
『あぁ。なんとかなったよい』
よかった、と胸を撫で下ろす。
マルコさんは、今週は出張の予定はなかったけど、昼過ぎにお客様にトラブルが発生して急遽出張になってしまったのだ。十五時頃、店に行けなくなった、とパイナップルがしょんぼりするスタンプと共にメッセージが送られてきた。
『ちなみにだが、夜ご飯はなんだったんだ?』
「酢豚でした」
『酢豚!?』
そんな…、マジか…、よい…。
電話越しでも分かる、しょんぼりした声。
しょんぼりマルコさんを想像したら、先ほど見た両親を思い出して笑ってしまい、どうしたよい?と声が聞こえた。
数時間前の実家で、マルコさんのもぐもぐ姿を、美味い美味いと食べてくれる姿を楽しみにしていた両親は、マルコさんが来れないと分かると、すごくしょんぼりしてしまったのだ。仕事か…、それは仕方がないわね…、と両親は自身に言い聞かせていたけど、マルコさんの姿が見たかった…、と最後の最後まで呟いていた。
そのことをマルコさんに話すと、俺も食べたかったよい…と長いため息をつきながら呟き、酢豚…と悲しそうな声を出す。
疲れている時、マルコさんは酢豚を食べたくなることが多いから、きっと今、すごく疲れてるんだろうなぁ…。
「日曜日は酢豚にしましょうか?」
『本当か!?』
「ふふ、もちろんです」
よしっ!
今度は電話越しでも分かる、嬉しそうな声。
「酢豚以外にも、食べたいもの作りますからね」
だから、お仕事頑張ってください。
するとマルコさんはよいよい、と気分よく返事をしてくれた。待ちきれない、早く会いたい、と素直な言葉を伝えてくれるから、同じように会いたい、電話じゃ足りない、と素直に伝える。
するとまた、それはそれは長いため息が聞こえてきた。
『会える予定だったのが駄目になのは、堪えるよい…』
「お仕事ですから、仕方がないですよ」
『そうなんだが…』
それでも、心は追いつかない。
本当なら実家でご飯を食べて、手を繋ぎながら駅まで歩いて、電車に乗って二人並んで座って、ばいばいとマルコさんを見送る、筈だった。
……。
「…マルコさん」
『ん?』
「早く金曜日にならないですかねぇ…」
『だなぁ…』
金曜日、たくさん甘えちゃいそうだなぁ。
◇ ◇ ◇
見つめていると、背中を優しく撫でていた大きな手が頬を包んでくれた。それだけで、体に小さな熱がこもり始める。まだかな、まだかな、と待ち続けていると親指が近づいてきて下唇をなぞり、そのまま上唇もすりすり撫でてくれた。そしてこの後に、と期待したのに手は後ろへ行ってしまい、髪を優しく撫でてくれるだけだった。頭の形を確かめるようにつむじから首までをゆっくりと、何回も撫でてくれる。気持ちがよくて、少しの間、目を閉じて身を委ねてしまったけど、これは私が欲しかったものではない。
だから、自ら顔を近づけることにした。大好きな人の顔を見下げて、もう少しもう少しと柔らかいものに近づいていく。けど大きな手にまた頬を包まれ、これ以上は駄目だと止められてしまった。
「もう少し休憩」
「どうしてですか?」
休憩をする理由が分からない。
もう三十分も休憩してる、と不満を伝えれば、まだ三分だよい、と困り顔で言われてしまった。
それは絶対嘘、三十分は経った、と顔を手のひらに押し付けるけど、マルコさんの抑える力の方が強くてびくともしない。
「マルコさん」
「あと五分」
「もう休憩終わりです」
「終わらないよい」
マルコさんの体をベッドに押し付けるように体重をかけて、早く早くと訴えても、まだ、としか言ってくれない。
休憩なんて、必要なのかな?ないと困ることがあるのかな?
「本当に五分?」
「本当に五…あと四分だよい」
「あと三分?」
「まだあと四分」
「…」
理由は分からないけどどれだけお願いしても駄目だから、諦めて首筋に顔を埋めて時間を待つことにした。すると、宥めるように背中をぽんぽんしてくれたので、仕方なしに一定のリズムを刻む大好きな手に意識を向ける。
「…そういやぁ、イゾウから"楽しみにしている"と返事が来たよい」
「あ、はい。私もすごく楽しみです」
明日は映画を見て、夜にイゾウさんのお店に行く予定。お昼はどうするか決めていないけど、午前中はゆっくり。
イゾウさんにどんなカクテル作ってもらおうかな。スッキリしたもの?甘いもの?新作は何だろう?
イゾウさんのお店を思い浮かべながら想像を膨らませていると、大きな手の動きが止まった。
「四分経ったよい」
「!」
ぱ、と顔を上げると、マルコさんがすぐに欲しかったものをくれた。あ、やっとだ、と嬉しくなって唇を押し付けていると、マルコさんが喉を鳴らして笑う。
「んっ、んっ」
ちゅ、ちゅ、と気持ちがいい唇を味わい続けていると、不意にマルコさんの唇が開いた。つられて私のも開いて、少しの隙間から何かが入ってくる。
「ぁ、…っぁん」
口の中を自由に動くマルコさんの舌に反応して体がぞくぞくしてしまうけど、嫌なものではなくて、むしろずっと感じていたかった。上あごを優しくなぞられれば、体が大きく震えて声が漏れてしまう。
ぎゅうぅ、とマルコさんに抱きついて、歯茎も舌裏も、届く全てのところを綺麗にしてくれる舌に舌で絡みつくと、マルコさんも同じように絡めてくれる。
「ふっぁ」
「はっ…」
「ぁ」
離れたらまた休憩だって言われる。だから離れたくない。
出て行ってしまった舌を逃さないように追いかけ、マルコさんの口の中へお邪魔した。行かないで、逃げないで、とマルコさんの舌に吸い付いて必死に引き留める。すると、どこにも行かないよい、とでも言うように私の体を強く抱きしめてくれた。もっともっとと口の中の至る所に触れていると、私の唾液が口の中に広がっていたのか、マルコさんは、ごくん、と大きく喉を動かした。
その音に、体の、特にお腹の下のあたりが疼き始める。
「はぁっ!」
「はっ、はぁ」
「あ、離れちゃ…!」
「っ、ちょ、…!」
休憩なんてしたくない。マルコさんが欲しい。
私から離れて息を整えようとするマルコさんよりも酸欠状態なのに、我慢できなくて、勢いよくマルコさんの口を塞いで舌を絡め取ろうとした。けど、マルコさんが逃げるように舌を動かすから、上手くできない。
どうして逃げるの?お願いだから逃げないで。
「ぁん、んくっ、はぁっ…あぁ!」
「待て待て…!」
両頬を手で包まれて無理矢理引き剥がされてしまった。待て、と強くマルコさんが言うけど、従えそうにない。
「マルコさん…」
足りない、全く足りない。
前なら幸せで笑い出すはずなのに、可笑しい。今もちゃんと幸せになっているのに、体は熱くて疼いていて、満たされていない。
「まる、こ…さん」
「…っ」
マルコさんの瞳が、大きく揺れた。
欲しい、マルコさんのが欲しい。お願い、私にちょうだい。
肩で息をしながらそれを言葉にすると、マルコさんの瞳から何かが伝わってきた。
あ、私の欲しいものをくれる。そう分かったら、突然、マルコさんは私の体を強く抱きしめると勢いよく回転させた。マルコさんの上に乗っていた状態からベッドの上に仰向けにされ、マルコさんが四つん這いで私に覆いかぶさっている。
マルコさんに見下ろされるのは、初めて
マルコさんに向けて腕を伸ばして首に回すと、瞳から私と同じ思いが見えた気がした。お前さんが欲しいと、熱を帯びた瞳から伝わってくる。
だから、やっと、と期待して待っていた。
「…?」
なのに、マルコさんは何故か目を固く閉じてしまった。
「マルコさん?」
唇を固く結び、動かない。まるで何かに耐えている様子。初めての姿に、体の熱はすぐにどこかへ行ってしまい、焦りが募り始める。
どうしたんだろう?
「マルコさん、マルコさん」
頬を撫でてみても、頭を撫でてみても、名前を呼んでみても、マルコさんは、じっとしているだけ。どれだけ待っても反応がないから心配になり、横になった方が、とマルコさんの下からどこうとすると、マルコさんの顔が近づいてきた。
「ぐえ」
唇に柔らかいものが──ではなく、感じるのは酷い圧迫感。
二メートル超えのパイナップルおじさんが、力尽きたように倒れ込んできた。突然の重みに変な声が出てしまい、私を押しつぶそうとする本人は肩を揺らして笑っている。
「"ぐえ"って…くくくっ」
「ぺしゃんこになっちゃいます…!」
「よーい」
「体重かけないでくださいっ」
「ははっ」
お、重い…!
マルコさんの体重を、まさかこんな形で感じることになるとは。体ががっしりしてるから、尚のこと重いのかも。
どいてほしいと、切実にお願いすると、マルコさんは半身だけ降りてくれた。けど今度は、強く抱きしめてくるので苦しくてもがいてしまう。そんな私を見て、マルコさんは力を少し抜いてくれた。けど、まだ笑っている。
「くく」
「そんなに面白かったですか?」
「っ…ふはっ」
こっちは苦しくてどうかなりそうだったと言うのに…!
一人楽しそうなマルコさんに、少しというか、すごく仕返しがしたくなり、マルコさんとベッドの間に腕を滑り込ませ、背中側にも腕を回した。
「お返し、です!」
腕に力を入れて、マルコさんのお腹を締め上げた。ぎゅうぅ、と紐で縛るように、マルコさんを苦しませようと全力で。
けど、
「…苦しくないんですか?」
「全く」
本当に全力か?ときょとん顔で尋ねられた。
本当に苦しくない?本当に苦しくない。ホント?ホント。
……よし。
「…ふ、ふぐぅっ!」
「ぶはっ!」
力を入れようとしたあまりに、また変な声が出てしまってマルコさんは大笑い。
何だその声、と涙を浮かべながら笑う姿に腹が立って、マルコさんを思いきり押しのけた。仰向けになったマルコさんのお腹に何回も拳をお見舞いする。
こっちは真剣なのに!どうしてこんなにお腹硬いの!?
このこのっ、と硬いお腹を叩き続けていると、不意に両腕が伸びてきて、引き寄せられ、優しく抱きしめられてしまった。抵抗したくてマルコさんから離れようとすると、大きな手で頭を撫でられ、困ったような、楽しそうな表情で名前を呼ばれる。
「拗ねないでくれ、な?」
「拗ねてないです」
「お前さんが可愛くて」
「ぐえぐえ言うのが、ですか?」
「よい」
ぐえぐえも、ふぐぅも、いつもの笑い声も。お前さんの全てが可愛い。
また私を上に乗せたマルコさんは、いつもの可愛い顔でそう言いながら、頬を撫でてくれた。変な声を出す女性なんて、男性に引かれるような気がするけど、今のマルコさんは嘘をついているようには見えない。
ぽんぽん、と頭を撫でてくれて、背中を撫でてくれて、名前を呼んでくれて、ふくれっ面も可愛いが機嫌なおしてくれよい?、と幸せそうな顔で言ってくれる。
「マルコさんって…」
「ん?」
心地のいい体温と声に毒気を抜かれ、マルコさんの好みに感心してしまい、しみじみとした声で変わり者ですねぇ、と呟いてしまった。そんな私を見て、マルコさんはくつくつ笑い出す。
「お前さんには言われたくないよい」
この時のマルコさんは、とても大切なものを見るような表情をしていた。
◇ ◇ ◇
「それで、ジョニーが…ふふっ、ふっ」
「フランスパンで…くっくく」
「全く話は分からんが、面白いことだけは分かった」
思い出し笑いをする私とマルコさんの前に、イゾウさんが新作を置いてくれた。
イゾウさんの店へ行く前に観た映画が面白すぎて、ここに来るまでに、二人で何度くすくす笑い合ったことか。
観たのは、海外のコメディ映画の新作。上映中はお静かに、と上映前の鑑賞マナー映像で言われたから静かにしているつもりだったけど、主人公が次々と可笑しなことをしてくれたのだ。だから、初めは、ぐ、ぐぐ、と堪えていたけど、中盤あたりで耐えきれずに声を出してしまった。慌てて口を抑えたけど、他の人も我慢できずに笑っていたから釣られてしまい、後半はほとんど我慢せず。因み、今回もプレミアムシートだったからマルコさんの顔は見えなかったけど、頻繁に「く、くくっ」とか「ふはっ」と笑っていた。マルコさんもすごく楽しめたみたい。
「すごく気になるな。次の休みの日に観に行こう」
「ぜひ!ミサイル発射のシーンもっ、ふふっ」
「じゅ、受話器で…くくくくっ」
「観に行くから何も話すな」
「「あははっ」」
あのシーンもこのシーンもと語る私達に、ネタバレ禁止だ、とイゾウさんが睨みを利かせたので、慌てて口を噤む。けど、頭の中で映画のシーンが再生されてしまい、笑いが止まらない。マルコさんも同じのようで、カクテルを飲みながら肩を揺らしている。そんな私達を見て、これは駄目だな、とイゾウさんが呆れていた。
「そういやぁ。これ、エースが送ってくれたが、遊園地行ったんだって?」
「っ?…あぁ。お前も、エースとルフィに会ったって?」
「あぁ」
イゾウさんが見せてくれたのは、アミューズメントパークで撮った四人の写真。エース君が送ったようで、私とマルコさんのツーショットも何故かイゾウさんのスマホに保存されていた。
二週間、マルコさんのお家をホテル代わりにしていたエース君とルフィ君は、先週の日曜日に地元へ帰って行った。帰る日、エース君達がマルコさんに頼み込み、空港まで車を出したのだけど、また来年な!と笑うエース君達に、二度と来るな、とマルコさんが言い放ったものだから空港のロビーで最後の言い合いが始まってしまったのだ。時間が…、と三人の間に入ると、姉ちゃんが来年もジェットコースター乗ろうって言ったから絶対来るぞ!姉ちゃんの飯も食わねえとだからな!と私に迫ってきたので、横から感じる視線に戸惑いながら、また来年ね、と笑顔で見送った。そんな私に、約束なんてするな、とマルコさんが不満を漏らしたけど、姿が見えなくなった途端に、行っちまったねい…、と寂しそうな声を出していたから、来年も楽しめそう。
最後まで元気一杯だった二人は、こっちに来ている間、本人達が言っていたようにイゾウさんにも会いに行っていた。イゾウさんが言うには休みの日にお家に押しかけられたようで、思い出しただけでため息が出る…、とそれはそれは長いため息をつく。
「散々だったんだぞ」
「食べ放題の店をハシゴか?」
「それが…」
その日、朝九時にインターホンを押され、行ってみたいところがあるから準備しろ!、と居座られ、準備ができたらカーシェアを予約させられ、郊外の倉庫型スーパーまで運転をするはめになった。スーパーに入ると、イゾウこれ!、これも!、と大きなカートにどんどん物が入れられ、ゲーム機も服も、もちろん食べ物も、買わされた。その後、家に戻ると、買った食材で飯が食いたいと言われ、サッチさながらにフライパンを振るい続けたんだ。あいつらがお前の家に帰るまで、一体どれだけの料理を作り続けたと思う?
マルコさんの前に二杯目のカクテルを置きながら、私にはノンアルコールカクテルを置きながら悪夢のような一日を語るイゾウさんに、マルコさんが同情するよい…、と慰めていた。
けど、エース君達に一日付き合ったところを見ると、イゾウさんは本当に嫌というわけではないのかもしれない。
マルコさんもイゾウさんも優しいな、とそのまま伝えれば、二人とも照れくさそうに視線を逸らした。
「まぁ、生まれた頃から知っているからよい」
「昔から可愛げはなかったが…まぁ、な」
二人は、はは、と笑うと、エース君達の小さい頃の話をしてくれた。
エース君が生まれた時にはすでに、マルコさん達はこちらで生活をしていた。だから、会うのは地元へ帰る時だけだったけど、エース君とルフィ君のあの性格のおかげか、エース君達が物心付く頃には懐かれていたらしい。
「オヤジが、エースの親父とルフィのじじいと仲がよかったってのもある」
「あとはサッチの面倒見のよさもあって、あいつらの遠慮がなくなった」
小さい頃のエース君達は今かそれ以上の元気さがあって、マルコさん達も全力で相手をしていた。
あんな小さかったエースが大学生とは…。ルフィも来年は大学か…行けるのか?就職するんじゃないか?まさかこっちで?親友がいるからあり得るかもな。勘弁しろよい…。
いつか来るかもしれない日を想像して、げんなり顔になった二人が面白い。笑いごとじゃない、お前さんも無関係じゃないよい、と真剣に言うのでさらに面白くて笑っていると、ふと、あることを思い出した。
「お二人は大学からこちらに?」
「そうだよい」
「どんな大学生活だったんですか?」
クミさんから聞いた話が気になり、本人から何か聞けないかな、と話を振ってみる。するとマルコさんが、ごくごく普通の、飲み会が多い学生生活だったと教えてくれた。
イゾウさんとは大学は違ったけど、頻繁に遊んでいた。すでに修行中だったサッチさんとはあまり会えなかったけど、会う時には料理を作ってもらっていたそう。
「前にも話したが、こいつの髪型は昔からこれだから、当時も目立っていたな」
パイナップルおじさん、ではなく、パイナップルおにいさん。
…うん。きっと、絶対に可愛いはず。
周りから可愛いって言われなかったか、と聞いてみると、マルコさんには、言われるわけないだろい?と呆れられ、イゾウさんにはくつくつ笑われた。けど女性からはそれなりに…、と話を続けると、イゾウさんがそうだなぁと視線を上にあげる。
「それなりには、だな」
イゾウさんは、私の前に生ハムとメロンの盛り合わせを置くと、他のお客さんのカクテルを運びに行った。
「マルコさん、もっと話が聞きたいです」
「そうか?なら…」
学んでいた分野の話、ゼミでの話、サークルの話、学園祭の話、バイトの話。イゾウさんが戻って来ると会話に入ってくれて、二人の旅行話も聞かせてくれた。ツーリングもよくしたな、と話す二人は本当に楽しそうで、学生生活がすごく充実していたのが伝わってくる。
「俺もマルコも酒が強い方だったから、いろんな飲み会に駆り出されたな」
「大学が違うのにですか?」
「俺がイゾウの大学の飲み会に顔を出したり、逆もあったり、まぁ、そこら辺は適当だったよい」
「なら、交友関係が広そうですね」
「今でも繋がってる奴は少ないが、当時は広かったな。マルコは特に」
俺と違ってとりあえず受け入れるタイプだからもっと広かった、とイゾウさんがパイナップルのソルベを出しながら教えてくれた。その話から今もたくさんの人と繋がってるのか気になってマルコさんを見たけど、本人は会話そっちのけでソルベを見つめたまま固まっている。その姿に、私もイゾウさんも苦笑い。
マルコ、お前な…。マルコさん、写真撮らないんですか?そ、そうだな、写真写真…。
それから、イゾウさんからお店を出した経緯を聞かせてもらって、私の学生時代の話もしていたら日付が変わる少し前となっていた。イゾウさんのお店は深夜までやっているからまだいられるけど、眠そうな私を見て、帰るよい、とマルコさんが席を立つ。
面倒だからタクシーで帰ろう、とマルコさんがタクシーを探していたけど、手を繋いで歩いて帰りたいとお願いすれば、いいよい、と応えてくれた。大きな手が私の手を包んでくれて、すり、と指が絡まる。にぎにぎすれば、にぎにぎし返してくれた。お酒が入っているからいつもよりも歩くのがゆっくりになってしまい、マルコさんのお家の最寄駅に着いたのは次の日になって少し経った頃。
「マルコさん、ありがとうございます」
「ん?」
急にどうした?と私を見ながら首を傾げる。
出かけている時、マルコさんは私の隣にいる。デートなのだからそれは当たり前だし、そのことを不思議に思うことも、疑問に思う必要もないけど、クミさんに聞かれて、改めて実感した。
マルコさんは本当に、優しい。
その優しさは今までの彼氏からは感じたことのないものだった。物理的にも内面的にも包み込む優しさ。私の望みならなんでも叶えると、マルコさんは躊躇いもなく言い、その通り叶えてくれる。望みを言わなくても、さりげない気遣いはいつもあり、今も私の歩調に合わせてくれている。それは四十を過ぎたからできるのか、学生時代からそうだったのかは、分からない。
けどもし、クミさんの二メートル超えた同級生がマルコさんだとしたら…。そう考えはじめると、アスカがいつか言った言葉が頭の隅に現れた。
“なんで独身なんだろうね?”