パイナップルからはじまる恋

「山を一つ越えましたね」
「はい。けど、終わりではないので、明日からも頑張ります!」
「私も営業側からサポート頑張ります!」
「期待しているぞ」

顧客先のビルを出て駅までの道を歩きながら、担当営業さんと頑張りましたね、と労い、上司には次もよろしくお願いします、と頭を下げた。
無事に第一フェーズが終わって、次は第二フェーズ。次は細かい仕様の打合せをしながら進めなければ。頑張るぞ。

「おつかれさま会しませんか?」
「いいですね。次も頑張りましょう会も含めて」
「俺は…今週は今日なら空いてるぞ。二人共疲れているだろうから短めにやろう」
「今日の今日なんて大丈夫ですか?」
「奥さんの許可が下りますか?」
「…今から、なんとかする」

上司のひきつった表情に、私と担当営業さんは苦笑い。私の上司はマルコさんにも負けない、すごくいい人。だけど、過去にお酒がらみで失態をしたことがあるそうで、それ以降、飲み会に行くには奥さんの許可が必要になった。その過去が十年以上前のことで、当時を知る人からは笑い話にされている。
奥さんの許可が下りなかったら二人で行きましょうか。そうしましょう。待て待て、下りなかったら別日…別日の候補がないな…、よし、電話だ。大丈夫ですかね。どうでしょうね。
奥さんに電話する上司を見守りながら、担当営業さんにお昼はどうしようか、と相談をする。すると担当営業さんが、この辺におすすめのつけ麺の店があると教えてくれたので行くことにした。

「何が美味しいんですか?」
「どれも美味しいんですが、特に…」
「はい。事前に予想できることでした。はい、その通りです…すみません」
「…奥さんに叱られてませんか?」
「みたいですね…」
「あそこの店ですよ」

"勘違い事件"の、マルコさんがイゾウさんに叱られていた時のように、上司は、はい、はい、その通りです、と応え続けている。背中を丸めるところもそっくりだから、あの時のことを思い出してしまい、なんだか居た堪れない気持ちになった。
お店はお昼には少し早い時間だったから列はできておらず、すぐに席に案内される。メニュー表を開いておすすめを聞いている間、上司は奥さんに私と担当営業さんの頑張りを力説していた。
今日の今日なんて難しいような気がするから、やっぱり別日にと思ったけど、上司の今週、来週のスケジュールは会食や出張ばかりだから、今日以外は難しそう。

「私はこれにします。一番好きなんです」
「なら私も同じものを食べてみます」
「今日を逃すと二週間後になりそうで…。はい。部下達の気持ちが落ち着いている今が一番良く…」
「…同じで大丈夫ですかね?」
「これはどうですか?」

上司にメニュー表を見せ、これはどうかと指を差すと頷いてくれたので、担当営業さんと同じ、魚介豚骨つけ麺を三つ注文。
待っている間、担当営業さんが、この前、長さ一.七キロもあるジップラインしてきたんですよ、と写真や動画を見せてくれた。時速は一一〇キロを超え、国内で最長だそう。
なにこれ、面白そう…!行ってみたいな。マルコさん、高いところとか平気かな。あ、マルコさんは体が大きいから、体重制限に引っ掛かるかな。何キロだろう?
場所は北の方で、春から秋までの営業。今年はまだやっているけど、他の旅行もあるから難しそう。とりあえずスマホにお気に入り、と画面を触っていれば、上司が、よし、と声を出した。

「部下の為なら、と許可が下りた」
「おめでとうございます」
「素敵な奥さんですね」

夜ごはんを作る前だったからよかった、と上司は安堵の息を吐く。奥さんが怖いのかと思って聞いてみたら、仲は悪くないと話してくれた。
本当かな。
注文した魚介豚骨つけ麺は美味しくて、あっという間に食べてしまった。並盛じゃなくて大盛にすればよかった、と一瞬思ったけど、夜もあるから並盛で正解。ただ、上司も担当営業さんも変え玉を追加するので、誘惑がすごかった。

「戻りました」
「おかえりなさい。私は帰るわね」
「クミさん、午後休でしたね」
「そうよ。夏休みの娘とデートに」

なんて素敵なデート。夏休み、いいな。
学生時代を思い出しつつ、午後の仕事を開始、の前に、今日の飲み会の店を探す。どこがいいかな、と会社近くの店を検索していると、担当営業さんからメッセージがきた。
二つの店のURLが貼り付けられ、上司の好みが分からないから選んでほしいとコメントが添えられている。仕事が早いな、とURLをクリックして店のページを見ると、どちらも上司が好きそうな店だった。

“営業時間外で予約ができないので、上の店に行ってみて、駄目なら下に行ってみましょう”
“了解しました。エントランス集合で”

グッドマークのリアクションをして、本当に午後の仕事を開始。三日ほど午前中の案件ばかりしていたから、他が滞っていた。マルコさんのお家のコーヒーメーカーには劣るコーヒーを淹れながら、お菓子を食べながら、仕事を進める。パソコンと向き合い、電話を掛け、部署内の人に相談をしていたら、あっという間に五時間が経っていて、上司に声をかけられて慌ててパソコンを切った。

「どこの店か決めたのか?」
「裏のビルの一階の店か、駄目なら…」

エレベーターに乗り、エントランスに着いたけど、担当営業さんはまだいなかった。風除室の横、受付カウンターの前にいくつか置かれているソファのそばで待っていると、上司が、おっと、とある方向を見た。そこにいたのは、別部署の部長さん。

「ちょうどいいところに。少し待っててくれ」
「私も挨拶…「いや、今はいい」」

上司の背中を見送り会社のスマホを見ると、担当営業さんから、あと五分で行きます、とショートメッセージがきていた。それにまたグッドマークのリアクションをする。上司はまだ話し込んでいたから、エレベーターホールから出てきた人達が外へ行くのを眺めていると、後ろから声をかけられた。

「おつかれさまです」

振り向けば、最近よく話しかけてくれる営業さんがいた。頭を下げて、戻ってきたところなのか尋ねると、帰るところだそう。

「今日はおつかれさま会だと聞きましたよ」

先方から信頼されているそうですね、と彼は続ける。
上司に助けてもらいながら、自分のできることを精一杯やっているだけだけど、そう思ってくれるのはすごく嬉しい。プレッシャーもあるけど、その信頼を裏切りたくはない。

「まだまだ力不足ですけど、応えられるように頑張ります」
「担当ではないですけど、手伝えることは力になります。困ったことがあれば、いつでも相談ください」
「ありがとうございます」
「部内で貴女の話がよく上がるんですよ。すごく頑張ってるって」
「そうなんですね」
「話してみたいと言ってる人もいるぐらいで…」

営業部の中だと、一緒に仕事をしている担当営業さんやその上司としか接点がない。他の人とはすれ違った時に挨拶をする程度。
二人から話が回るのかな?

「急なんですけど、今週の金曜日、空いてませんか?」

部署を超えた、若手だけの飲み会をするからどうか、と彼は誘ってくれた。
何人ぐらいなのか聞いてみると、総勢十五人。総務や経理の女性や、営業と設計、技術の男性も参加する飲み会。私の部署の男性も参加するそうで、知っている人もいるし、よければ、と微笑んでいる。

「金曜日は…すいません、予定があるんです」
「そうなんですね。なら、明日はどうですか?」
「明日ですか?」
「はい。よければご飯、行きませんか?」

彼は私の目をまっすぐ見て、綺麗に笑った。
営業さんは笑顔を作るのが上手だな。マルコさんは仕事の時、どんな笑顔を作るんだろう?あんな可愛い笑顔を向けられたら、何でも買ってしまいそう…。

「どうですか?」
「あ、えっと…」

頭の中の、私に商品を勧めるマルコさんをかき消し、明日は、と視線を上に向ける。
明日は実家に帰ろうと思っていた。マルコさんは出張で行けないけど、私一人でも両親は楽しみにしてるから、行きたいな。けど、飲み会に行った方がいいかな。どうしよう…。
少し悩んだけど、やっぱり両親に会いたくて、難しいことを伝えれば、そうですか、と彼は眉を下げた。その表情を見て申し訳なくなり慌てて謝ると、彼は、明日は急ですよね、と笑い、また誘いますね、と言って帰って行った。

「彼氏がいるならしっかり断ることだな」
「え?」
「そんな隙だらけだと、彼氏は気が気じゃないだろ」

話が終わったのか、いつの間にか上司が戻ってきていて、すごく真面目な顔で、気をつけろと、注意をしてくれた。あまりに真剣なので、咄嗟に、はい、と頷いたものの、何の話なのかは分からない。
というか、彼氏がいることは上司に話したことがない。クミさんしか知らないはずだけど、クミさんから聞いたのかな?
それから担当営業さんがきて、三人で一つ目の候補店に行ったけど、すでに満席だった。次の候補の店に行けば、少しだけ席が空いていたので、ここにしようと店に入る。一仕事終えたから一杯目はお酒、と頼もうとしたら、上司に、疲れてんだからお前はウーロン茶だ、と言われたので素直にウーロン茶にした。ちなみに、上司は焼酎、担当営業さんはビール。

「改めて。今日はおつかれ。まだまだ道半ばで、これからが大変だが、頑張ろうな」
「はい。よろしくお願いします」
「頑張りましょう」

午前中の案件は営業側から、次に繋がる仕事になるからどうしても断りたくないと相談があったもの。部内で抱えている業務を整理して、私がメイン担当となったのだ。

「営業さんは大変ですね…。私は来た仕事をこなすだけなので苦労が分からなくて」
「何を言っているんですが、私は仕事を取るだけで、プロジェクトが始まったら何の力にもなれないんですよ」
「お互いがいてこそ、ということだ」

営業側と言い合いになることもあるけど、営業さんがいなければ仕事がないし、営業さんもこちらがいないと仕事を引き受けられない。上司が言うように持ちつ持たれつ、お互い様だ。

「そう言えば。少し前、すごく元気がなかったですよね。心配したんですよ」
「あの時はどうしたものかと、部内で話していたな」

二人は私を見て、この際だから何があったのか話したらどうか、と興味津々に聞いてくる。
正直に話すのは恥ずかしいので、人間関係の悩みでした、と二人に濁して答えたのに、彼氏ですね、彼氏だな、と決めつけられた。大正解だけど、そんな食い気味に言わなくてもいいのに。

「昼休みに写真を見てニヤついてるの、知ってるぞ」
「え!?」

うそ、と上司を見れば、うそ、と笑われた。
本当に見ていたのか?と上司が意地わるそうな笑みを浮かべるので、見ていないと全力で否定する。本当は少しだけ…、少しどころじゃないけど、もぐもぐマルコさんを眺めていることはある。美味しいお菓子を食べるよりも、マルコさんの写真を見た方が元気になるのだから、見るのは仕方がない。
これ以上は深く聞くつもりはないのか、プライベートも充実してるのはいい事だな、と笑った上司が、担当営業さんのグラスが空になっていたので、何か頼めとタッチパネルを差し出す。すると担当営業さんは受け取りながら、いいですね…、と小さくため息をついた。
どうしたんだろう?

「最近、フラれまして…」
「あ…大丈夫ですよ!すぐにできます!」
「そうですかね…年も年で…はは…」
「私と変わらないじゃないですか!」
「三十半ばですよ?もう、」

終わったんだ…、と嘆く担当営業さんを、色んな言葉で励ますけど、いつもの元気な姿に戻ってくれない。嘆く姿が、マルコさんへの想いを自覚して消そうとしていた自分と重なり、過去の自分を見るようで辛い。
これからどうしたら…と遠い目をする担当営業さんを見て、咄嗟に上司に詰め寄る。
こんな話を始めるからですよ!いや、最初に話を始めたのはあっちだぞ!はは…あ、これ食べてもいいですか?どうぞどうぞ!食べろ食べろ!
それからは”担当営業さんを励ます会”に変わり、私と上司がアプリをやったらどうか、婚活サイトはどうか、と提案をすると、アプリに興味があったのか登録を始める。どんな人がいるんだろうと登録者を眺めていたので、上司も興味津々で眺め、この人はどうか、この人は、と担当営業さんに合いそうな人を時間いっぱいまで探していた。

「ご馳走さまでした」
「次も頑張ろう。あと…元気出せ」
「はい…」

タクシーで帰る上司を見送り、元気がなくなった担当営業さんと駅で別れ、電車に乗る。
明日には元気になっていますように、と願いながらメッセージアプリを見ると、アスカから連絡がきていた。それに返事をして、マルコさんとのトーク画面に変えて文字を打っていたけど、途中で指が止まる。
電話が、したい。
実家で会える週は、強く思わないけど、今週は金曜日まで会えない。それに、今日はなんだか、”勘違い事件”を思い出すことが多かったからか、いつも以上に声が聞きたかった。
お風呂の後にしてみよう。
途中まで打ったメッセージを消して、最寄り駅に着くまでネットニュースで時間を潰そうとしたけど、どうしてかマルコさんとのトーク画面を開いていた。
今は駄目、と自分に言い聞かせ、SNSを開いてみるけど、考えれば考えるほど、電話がしたくなってしまう。だから次は、考えちゃ駄目、と自分に言い聞かせる。けど、”駄目”と言われるとしたくなるのが人間というもの。マルコさんの声が聞きたくて、駅を出た時には、指は受話器マークを押そうとしていた。
お風呂の後で。今がいいの。まだ外にいるかもしれないよ。電話してみないと分からないじゃない。
頭の中で二人の自分が言い合っていた。どうなるんだろう、と他人事のように見守っていると、すぐに決着がつく。

「…」

指は押していた。そして、スマホを耳に当てる。
すると、二コール目が終わった時にマルコさんが出てくれた。
出てくれただけで、口元は緩み、心は満たされ始める。単純だなぁと、自分に笑ってしまう。

「こんばんは」
『ん。おつかれ』
「今ってホテル…あ、まだ外ですか?」

マルコさんの後ろから、賑やかな音がした。電話したことを謝れば、マルコさんは気にしなくていい、と会話を続けてくれる。

『けどすまん、長くは無理だ。ホテルに着いたら、電話するよい』
「声が聞けたので大丈夫ですよ。楽しんでくださいね」
『そうか?俺は足りないが…』

ホテルに着いたらたくさん話がしたい、とお願いされ、心は一気に満たされる。
ほら、電話して正解だった。けど外だったよ。マルコさんが嫌がってないならいいの。甘えてばかりなのはよくないと思うな。
頭の中でまた始まった言い合いを聞いていると、現実の方で、マルコさん以外の声がはっきりと聞こえてきた。

『マルコさん!助けてください!』
『なんとかしろ』
『できないですよ!…って、もしかして彼女さんですか?!』
『ちょ…!』
『彼女さーん!今週、カフェに行くと聞きましたー!とても美味しいので期待していてくださーい!』
「え、えと…はい!」

もしかして、お菓子好きの部下さんかな。というか、すごい酔っぱらっているようだけど大丈夫?
マルコさんは、部下さんに離れろと怒っているけど、部下さんは楽しそうに、おすすめのお菓子を私にプレゼンし始めた。どうやらマルコさんに渡したお菓子リストとカフェリストは、随時自動更新されているそうで、日々新しい美味しいお菓子が登場するから一生かけても終わらない、と教えてくれる。

『ちなみに…『離れろ!』あ!彼女さんと話させてくださいよ!こっちがどれだけ待ったと『はいはい』』
『何逃げようとしてるの?話はまだよ』
『見つかった…!…ま、マルコさーん!』

部下さんの嘆く声が小さくなり、マルコさんの長いため息がよく聞こえた。部下さんは大丈夫なのか心配になって話を聞いてみると、今、部下さんの”契約おめでとう会”をしているところ、とのこと。嬉しくて上機嫌なところにお酒を入れたものだから、さらにテンションが高くなり、あんな状態になっていると、マルコさんは呆れていた。けど、いつもは礼儀正しいしっかりした奴なんだ、と付け加えたので、普段はこうではないのだろう。

「私も今日、仕事が一区切りついたので、おつかれさま会をしてました」
『そうか。おつかれさん。頑張ったんだな』
「ありがとうございます」

金曜日の夜はご褒美をあげないとな、とマルコさんが楽しそうに言う。
あげる側なのにどうして楽しそうなんだろう?

『ご褒美は何がいい?』
「えっと…一緒に寝たいです」
『くく、それはいつも通りだよい』

けど、一緒に寝るのは私にとってはご褒美。だって、マルコさんのベッドで、マルコさんのにおいも体温も感じて眠るだけで、すごく満たされるんだから。
それ以上のご褒美が思いつかなかったから、正直にそれを伝えれば、よし分かった、と声がした。

『んじゃ、ベッドの中でたくさんご褒美をあげるよい』
「えっと…どんなご褒美くれるんですか?」

というか、違う会社の私にもくれるの?
本当にくれるのかと尋ねれば、頑張った彼女を甘やかすのは当然だよい、と柔らかい声が聞こえた。
その言葉に、また口元が緩み、足が軽くなる。しん、と静まる住宅街をニヤニヤ顔で歩くことになり、マスクをした方がよかったと後悔した。

「期待しても、いい…ですか?」
『ご期待に添えるよう、尽力いたします』
「…へへへっ」
『マルコさーん!彼女さんと電話したいのは分かりますけど!こっちもお願いしますー!』

上カルビ追加してもいいですかー!と向こうから声がすると、先ずはこっちだったよい、とマルコさんは呆れた声で笑っていた。
焼肉かぁ。最近行ってないな。


◇ ◇ ◇


待ちに待った、ご褒美時間。
ベッドに入ると、マルコさんが私の方に体を向けて、大きな手で頭を撫でてくれた。ゆっくり三回撫でると、頬を撫で、耳をなぞり、また頭へ。

「今日も俺のシャンプー使ったのか?」
「はい。マルコさんと同じにおい、してませんか?」

マルコさんが私の頭に顔を近づけて、すん、とにおいを嗅ぐ。すんすん、ともう二度ほど嗅いで、うーん、と視線を上に向ける。

「お前さんのにおいもするから、一緒ではないねい」
「そうなんですか。残念です」
「俺と同じがいいのか?」
「はい。だって、マルコさんのにおい大好きだから」

同じシャンプーを使ったら、平日もマルコさんがそばにいるみたいにならないかな、とちょっと思っていたから残念。
マルコさんのにおいが、マルコさんからしか感じられないなら、今から日曜日までにたくさん嗅いでおかないと。
すり、と頬を撫でてくれる手に擦り寄り、少しずつ、マルコさんにくっつく。少しの隙間も作りたくなくて足も絡めようとすると、マルコさんも同じように絡めてくれた。

「ぎゅーって」
「ん」
「…もっとぎゅって」
「よい」
「あの…もっと強く、してほしいです」
「もっと?」

苦しくないか?、と心配してくれるマルコさんに、大丈夫だとお願いすれば、さらに強く抱きしめてくれた。
嬉しくて心地がよくて幸せで、目を閉じて噛み締めていると名前を呼ばれる。顔を上げれば、マルコさんの顔が近づいてきた。

「っ…」
「ここも」
「ぁ」

マルコさんの唇がおでこと、頬に落とされ、顔が離れる。次は?と見つめていると、すり、と親指で頬を撫でながら、鼻にキスをしてくれて、おつかれさんと労ってくれた。

「まだまだ終わりじゃないんだろい?一人で抱え込まずに、周りを頼るんだよい」
「はい」

愚痴ならいつでも聞くし、ご褒美が欲しければいつでも言ってくれ。
私の頭を包むように撫でるマルコさんからの言葉が、すとん、と心の底にまで届く。素直に頷くと、よしよし、と何度も撫でてくれて、唇にキスをしてくれた。

「ふふ、ご褒美いっぱいですね」
「まだまだこれからだよい」

もうお返しがしたいぐらい貰っている気がするけど、まだくれるの?
マルコさんの手は全く離れず、ずっと私に触れてくれている。愛おしいものを見るような優しい目で私を見てくれて、柔らかい唇から心地のいい声が聞こえる。
幸せだなぁ。
どうしてマルコさんは、私を幸せにさせるのが上手なんだろう?マルコさんも同じくらい幸せにしてあげたいな。

「…マルコさんも、おつかれさまでした」
「俺も?」

マルコさんの仕事内容は全く分からないし、苦労話も聞いたことはない。けどきっと、私の上司が私にしてくれたみたいに、マルコさんも部下さんを気にかけて、フォローしていたはず。契約は部下さんの実績になるとしても、契約が取れたのは後ろにマルコさんがいてこそ。だからマルコさんも、おつかれさま。

「ご褒美、何がいいですか?」
「…頭、撫でてくれるか?」
「もちろんですよ」

そっと撫でてみると、マルコさんは、へへ、と恥ずかしそうに笑った。それが可愛くて可愛くて、マルコさんがしてくれたみたいに、頭以外もたくさん撫でる。
他は?してほしいことはないですか?
そう尋ねれば、うーん、とマルコさんは考え始めけど、なかなか教えてくれない。
思いつかないのかな?
それならと、なんとなく頬に唇を当ててみる。すると綻ぶように笑ってくれたので、嬉しくなってもう一回してみる。今度はマルコさんがお返しだと、唇にキスをしてくれたから、お返しのお返しだと唇を合わせる。

「ふふ、お返しのし合いっこですね」
「くく、終わらないねい。ん」
「ん、んぅ」

マルコさんとのキス、好き。
首に腕を回して、唇を合わせて感触を味わう。柔らかくて気持ちがいいマルコさんの唇が大好きで、もう何回もしてるのに、全く飽きない。それどころか、どんどん時間が長くなって、物足りなくなってきている。

「すき」
「っ」
「マルコさん、だいすき」
「お、お前…」

もっとしていい?
いつの間にか、仰向けになったマルコさんの体に半身を乗せ、キスをしていた。どれだけしても満足しない私を見たマルコさんが、息を呑む。
もっと触れたい。マルコさんが欲しい。
体が疼いて、熱に浮かされたみたいに、無我夢中でマルコさんの唇を味わった。唇をはむはむと甘噛みし、舌でなぞると甘い味がして、ずっと舐めていたくなる。

「んふっ…んぅ」

少し開いた唇から見えたマルコさんの舌に触れれば、体が震え、気持ちがよくて、離れたくなくなる。呼吸をするのも忘れて、舌を舐めて吸っていたら、マルコさんの舌が突然口の中に入ってきて、舌を絡めてくれた。歯も歯茎を舐められれば、体が快感に戸惑って大きく震えた。けど、やめて欲しくないから、必死にマルコさんの舌を追いかける。

「はぁっ…!」

離れた口からは銀色の糸が垂れていて、マルコさんの口の中と繋がっていた。体の中に酸素を入れながらそれを眺めていると、マルコさんに舌でプツンと切られてしまい、悲しくなる。
もう一回繋がりたくて、息が整うのも待たずに、マルコさんの唇を目掛けて顔を近づけたけど、大きな手が頬へ伸びてきて唇には届かなかった。

「少し休憩」
「…っ休憩?」
「ん。ほら、おいで」

マルコさんが、ぽんぽんと胸の辺りを軽く叩いた。意図が分からなくて、マルコさんを見つめていると、ここにおいで、と促される。
マルコさんの落ち着いた声と突然のことの戸惑いで、体の熱が落ち着き、ふわふわしていた頭がはっきりし始める。

「えっと、え、っと…」
「ほら」

おいで。
真正直の私の体が、マルコさんの言う通りに動き始める。よいしょよいしょ、とマルコさんに跨り、抱きつくように体を倒す。体重をあまりかけないようにしていたけど、マルコさんが脇の下に手を入れて、顔が同じ位置になるまで引き上げ、背中に腕を回した。
回ってきた手で背中をぽんぽんされれば、自然と力が抜けてくる。
暑いのに、気持ちがいい。マルコさんの鼓動が伝わってきて、心地がいい。

「重たくないですか?」
「片腕でお前さんを抱く俺にそれを聞くか?」

確かに。マルコさんは、よいしょ、と声は出すけど、いつも軽々と私を抱き上げる。なら、重たくないのかな。

「あ、マルコさんって体重いくつですか?」
「体重?最近は測ってないが、確か…」

教えてくれた体重なら、ジップラインができそう。
マルコさんはジップラインをしたことがなかった。話をすれば興味津々で、来年の旅行の一つはそこにしようと予定が決まる。すると、一年先の予定ができたことが嬉しくて、マルコさんがずっとリズムよく背中をぽんぽんしてくれるのも嬉しくて、いつもの可笑しな笑いが止まらなくなってしまった。

「えへへへへ、楽しみですね、うへへ」
「く、くくっ…新しい笑い方だねい」

嬉しさのあまり、おでこにおでこを当てて、ぐりぐりと押し付けていた。そして、またキスをして、ぎゅうぎゅう抱きついて擦り寄れば、キスをされて、抱きしめてくれて、撫でてくれる。
どうしよう。幸せすぎて、どうしたらいいか分からない!

「マルコさん、好き!」
「あ、はい。俺も好きです」
「愛してます!」
「愛してます」
「うううぅ。…へへ」
「ははっ、どうしたんだよい?」
「ふふ、自分でも分かりません…あは」

可愛いなぁと、私を見てくれるマルコさんの優しい、少しだけ熱のこもった視線を見つめていたら、また、好きです、と声を出していた。
壊れちまったのか、とマルコさんはくつくつ笑うので、直してほしいとお願いをしてみる。すると、任せろ、と得意げな顔で唇にキスをしてくれた。
うん、それでは直りそうにない。

「直らないです…ふふふ」
「ゆっくり直すんだよい」
「うへへへへ」

それから日付が変わるまで、ご褒美時間は続いたのだった。


◇ ◇ ◇


「…」
「「…」」

マルコさんは、真剣な眼差しで二着の服を見つめている。
店員さんが雑談に付き合ってくれるから、手持ち無沙汰ではないけど、長すぎないかな。
黙ったまま、仁王立ちで腕を組み、服と睨めっこをはじめてから、早五分。マルコさんは全く決められない。

「彼氏さんはいつも、これほど真剣に?」
「えっと…」

この状況は今回が初めて。
大きなパイナップルおじさんがじっと考えている姿を、他のお客さんが不思議そうに眺めていた。"すごい悩んでるね""ね、彼女さんが羨ましい"との声が聞こえてきて、恥ずかしいやら嬉しいやらで、マルコさんを急かしたくなる。
そろそろ、と声をかけようとしたら、マルコさんが私を見て、あのよい…、と服を指差した。

「もう一回試着…」
「もう二回もしましたよ」
「け、けどよい…」

決められないよいと、マルコさんは本気で困っていた。どうしようどうしようと、服を見て、私を見て、服を私の体に当てて、悩む。
その様子を見た店員さんが微笑みながら、素敵な彼氏さんですね、と私に耳打ちをした。店員さんが言う通り、マルコさんは素敵すぎる人。けど、この時の優柔不断さは、少し困ってしまう。
マルコさんが悩んでいる服は、マルコさんのではなく、私の。
マルコさんの部下さんおすすめのカフェに行く前に、今回も近くをぶらぶらすることになった。前回のことがあり少し不安になったものの、ショッピングモールではなく街を歩くので、さすがに前のようにはならないだろうと思っていた。
けどそれは、すごく甘かったのだ。

「駄目です。駄目ですからね」
「少しだけ、な?」
「マルコさん、少しで終わらな…あぁ…」

歩いていた大通りのビルの一階にはファッションブランドが並んでいた。マルコさんは店内を見て、”入らないかよい?””少しだけ…よい?”と何度も私の手を引っ張ってきたのだ。それに負けじと、駄目ですからと止めていたけど、四回目でマルコさんが本気を出してきて、店の中に足を踏み入れてしまったのだ。
ビルの一番の顔となる場所に出店しているブランドは、高級ブランドばかりだ。今悩んでいる二着も、おそらく、安いものではないはず。値札は、怖くて見れない。

「じゃんけんで決めましょうか?」
「そんないい加減な決め方は…」
「私はどっちも好きですし、マルコさんが決められないほど素敵だと思うのなら、じゃんけんしてもいいと思いますよ」
「二つ両方…」
「ワンシーズン二着って決めましたよね?」
「ゔ」

一着は、前にプレゼントしてくれた。だから、今シーズンはあと一着。
そう言ってもマルコさんは折れず、両方だ、と引かない。

「何着あっても困らないだろい?」
「私は一着をたくさん着たいです」
「全部たくさん着ればいいだろい?」
「土日しか着れないんですから、限界がありますよ」

だが…、とマルコさんが服を持って、ぐぬぬと険しい顔をする。
いっそのこと両方諦めるのも手だと思ったけど、それを伝えたら、”それは絶対にない”と即答された。なら早く決めてください、と急かすと、言い方が気に食わなかったのか、マルコさんが、むす、と不機嫌な顔をした。

「そもそも、お前さんが何でも似合うのがいけないよい」
「責任転嫁ですか?」
「ゔ」

マルコさんを責めるように見つめれば、俺が買うんだからいいだろい?と、躊躇いがちにお願いされる。
もしこの二着を貰ったら、私は同じ分をお返しすることは絶対にできない。一回りも上で稼ぎが違うのだから仕方がないとは言え、貰ってばかりなのは本当に嫌だった。付き合っているのにパパ活みたいなんて嫌だし、もし誰かに知られて”何でも買ってくれていいね”なんて言われてしまったら、悲しくなる。
お互い引かないまま、さらに五分。買う、買いません、二着、一着です、と堂々巡りの言い合いをしていると、あの…、と外野から声がした。

「もし良ければ、買った服のデザインを教えていただけないでしょうか?」

え?と二人で店員さんを見れば、もう一度同じことを聞かれた。
うーん、と二人で手を顎に添えて、天井を見ながら、服のイメージを伝えると、ふむふむと店員さんが頷いた。そして、マルコさんが悩んでいる二着の内の一方を手にする。

「でしたら、こちらの方が、違ったデザインでよろしいかと思いますが」

いかがでしょうか?、と店員さんがマルコさんを見つめる。
マルコさんを見れば、確かに…、と納得していて、あっという間に買う服が決まった。
さっきまでの時間は何だったんだろう?
今度からは店員さんに相談しながら決めよう、と二人で決めて、店を後にし、カフェに向かうことにした。
カフェ第二弾は、できたてのわらび餅が食べられるお店。マップアプリで場所を確認し、マルコさんと、さぁ行こうと歩き出す。
けどすぐに、私はある場所を見て歩みを止めてしまった。

「……」
「どうした?」
「…ま、マルコさん」
「ん?」
「ちょっと、あの店が見たいです」
「メンズブランドだよい?」

マルコさんに絶対に似合う服を見つけてしまった。
店員さんの”いらっしゃいませ”を聞きながら、目的の服が並んでいる場所までずんずん進む。マネキンさんが着ていた服を手に取り、マルコさんの体に合わせてみる。
うんうん、すごくいい!…あ、これ五色展開なんだ。

「あのよい…」

夏だから明るめの色がいいかな。けど、大人なマルコさんにはシックな色の方が…。うーん。こっちかな。…この三つの内のどれか?
金額は…うん、このぐらいなら買える。

「あのー、よい?」
「マルコさん、これ、試着して…「よーい」」

よーい?
そんな言い方もあるんだな、とマルコさんを見ると、怖いぐらいの笑顔で私を見ていた。
な、何だろう?

「ワンシーズンに何着だ?」
「二着です」
「今シーズン、何着プレゼントしてくれた?」

……。
マルコさんの体に合わせた服を、そっと、戻す。マルコさんは張り付けた笑顔で私を見たまま、ん?と首を傾げた。
私はもうすでに、今シーズンの服を二着、マルコさんにプレゼントしていたのだった。今日着てくれている服がその服で、すごく似合っていて、かっこいい。
どうして私は、もうプレゼントしてしまったの。この服もすごくいいのに。あ、あの服も似合うだろうな。試着だけでもしてもらおうかな。けど買わないのに試着するなんて、お店側としては迷惑かな。
あぁ、本当に…。

「…マルコさんが何でも似合うのがいけないです」
「ほう?」
「ゔ」

だってだって、とマルコさんに服を見せ、これ絶対似合う、と力説する。けど、マルコさんは作り笑顔のまま、んー?と言うだけで、服については何も言ってくれない。
うぅ、これプレゼントしたいな。こっそり買おうかな「隠れて買うつもりなら、こっちも考えがあるよい」
ば、バレてる…。

「これ絶対マルコさんの為の服ですよ」
「カフェに行くよい」
「あ、あぁ…!」

マルコさんに服を奪われ、店員さんに”ありがとうございました”と笑顔で見送られ、後ろ髪を引かれながら、わらび餅の店に連れて行かれたのだった。


◇ ◇ ◇


「可愛く撮れましたよ。この写真が一番、よく撮れてます」
「…どこが可愛い?」
「えっと、まず…「いやいい。聞きたくないよい」」

帰り道。電車の中で、わらび餅をもぐもぐするマルコさんの写真を見せると、マルコさんは、同じ写真が何枚も必要なのか?、と不思議そうな顔をした。
スマホをお家に忘れてきたマルコさんに代わり、部下さんに報告する為の写真をたくさん撮っていたけど、もぐもぐアルバムを増やすために、もぐもぐマルコさんもたくさん撮らせてもらった。
わらび餅をただただ食べるマルコさんの写真が十枚もあることに、マルコさんは意味が分からないと、首をこれでもかと傾げる。不思議なことではないと、一枚一枚、違いを説明しようとしたら、それも聞きたくないと返されてしまった。
まぁ、私が眺めるだけだから、マルコさんは知らなくてもいいか。

「わらび餅、美味しかったですね」
「な。かき氷もあったから次は…かき氷なら、リストの中にあったな」

おすすめのできたてわらび餅は本当に美味しかった。
まず、見た目がすごかったのだ。お皿一面に広がるできたてわらび餅は、まさにスライム。柔らかすぎて全く掴めなくて、やっとの思いで口に運んだら、温かくて驚いてしまった。初めの温かいわらび餅を噛みしめていると、マルコさんが目を見開きながら私の方を見ていたので、慌ててシャッターをきった。
私が頼んだ抹茶味もマルコさんが頼んだほうじ茶味も、味がすごく濃かった。あんみつをかけるとさらにトロトロになり、食べるのに時間がかかったけど、服のことがどうでもよくなるほど大満足だった。
部下さんに、ちゃんと報告してもらおう。

「今日の夜はどうしましょうか?」
「煮つけ」
「明日の朝は?」
「…煮つけ」
「昼は?」
「に、煮つけ」
「夜は?」
「……煮つけ?」
「…煮つけが食べたいのは分かりましたけど、毎食ですか?」
「すまん…久しぶりに食べたくなったよい」

いつものスーパーに入り、食材を見ながら、マルコさんに煮つけ以外の食べたいものを聞きながら、買うものを選ぶ。何の煮つけがいいかを鮮魚コーナーで選んでもらうと、アジとカレイを持って「両方は駄目か、よい?」と、おねだりをされた。これは一つに絞ることではないから、いいですよ、と頷くと、すごく嬉しそうな顔でカゴに入れるので、毎食煮つけにしてあげようかな、と本気で考えてしまった。やめたけど。

「そういやぁ、イゾウから、新作を食べてほしいからお前さんを連れてきてくれないか、と連絡があったんだよい」
「今日伺った方がいいですか?」
「今日は貸し切りだから無理なんだと」
「なら、来週行きましょう!」
「…酒が飲みたいんだな?」
「えへ」

イゾウさんのお店、貸し切りができるんだ。バーを貸し切りする時ってどんな時だろう?
マルコさんに貸し切りの話を聞きながらスーパーを出て、イゾウさんがお店を出した経緯を聞きながらマンションまでの道を歩き、マンションの敷地内に入る。すごく興味深いから、来週、イゾウさんにも話を聞いてみよう。またカクテル作ってもらおう、と考えていると、突然、マルコさんの歩みが止まった。

「は?」

マルコさんはすごく驚いていた。マルコさんの視線は、エントランスの外壁に持たれて座り込んでいる、二人の青年に向けられている。
誰だろう?知っている人かな?

「マルコさん、お知り合いですか?」
「今年は無理だと、オヤジに伝えたはず…」

どういうことだ、と動揺しているマルコさんは、慌てて何かを探し始め、スマホないんだった、と焦っている。
あまりに混乱しているから落ち着かせようとしていると、あ!!と声がした。その声の方を見れば、一人は怒ったような表情で、もう一人は屈託ない笑顔で私達を見ている。

「おせぇ!どこ行ってたんだよ!」
「マルコ!腹減ったー!」
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