パイナップルからはじまる恋

午後二時。コーヒーマシンの前で、カップにコーヒーが注がれるのを眺めながら、お昼ご飯を食べ過ぎたことを少し後悔していた。"少し"なのは、食べた定食がすごく美味しかったので満足してるから。美味しいのが食べられたから午後の仕事も捗るなぁ、と食べ終わった時は思っていたけど、突然襲ってきた眠気に太刀打ちができなくて、助っ人としてコーヒーを呼ぶことに。
昔の人はこんな黒くて苦い飲み物を、どうして飲もうと思ったんだろう。昔から眠気覚ましに使っていたのかな。コーヒーを知らない人に、どうぞ、とこれを出したら、真っ黒な見た目に驚いてしまうんじゃないの。
淹れ終わったコーヒーを眺めていたら、急にコーヒーの歴史が気になってしまったけど、そんなことよりも仕事をしなければ。
持ち手を持ち、とりあえず一口。持った時に一口飲むのは私の癖のよう。マルコさんの家でカフェラテを飲んだ時は一口では終わらなかったけど、今日は二口目までいかなかった。
…うーん。このマシンのコーヒーよりも、マルコさんのコーヒーメーカーの方がいい。ブラックも美味しいけど、カフェラテ、すごく美味しかったな。次もカフェラテをお願いしようかな。って、仕事仕事。この強力な助っ人で眠気を飛ばして仕事を進めよう。
よしやるぞ、とデスクに戻ろうとして、突然、真後ろから声をかけられる。振り向けば、一人の男性が立っていた。
あれ、まただ。

「おつかれさまです」
「休憩中ですか?」
「これからデスクに戻ろうと」
「それは残念」

残念?
何か用事だったのか尋ねると、少し休憩する所で話し相手になってくれないか、と困り顔で願いをされた。
私と同じように眠気覚ましに来たのかな。黒い飲み物も効果あるけど、会話する方がさらにありそう。数分なら、と応えれば、助かりますとお礼を言われ、彼の分のコーヒーが淹れ終わってからも五分ぐらい雑談をして、デスクに戻った。

「さっきの、営業の人よね?」

横を向けば、隣の席の人、クミさんが怪訝そうな顔をしていた。何の会話してたの?変なこと聞かれなかった?と、立て続けに質問をされる。私の持つ案件の進捗状況や世間話をしたぐらいで、変なことは聞かれなかった、と答えれば、何故かほっとした顔をした。
クミさんとは一度ランチをして、その時に彼氏ができたことを伝えた。付き合う前後の私の様子から、そういうことではないかと思っていたクミさんに、おめでとうと祝われ、その日から仲が急接近したのだ。

「接点ないわよね?急に何?あの男」

最近、総務の子と別れたばかりで、今は経理の子と仲がよさそうだと聞いたけど、とクミさんが教えてくれた。コーヒーを飲みながら、社内で取っ替え引っ替えして大丈夫なのかな、と頭の中で修羅場を思い浮かべる。けど、クミさんが言うには、会社には迷惑はかけていないから、周りも、またか、ぐらいで騒ぐことはないらしい。ただ、クミさんはころころと相手が変わるのがあまり好きではないのか、眉間に皺が寄っている。
私に話しかけてきたのは、営業の同世代の男性。担当案件の営業さんではないから接点はほとんどない。
だから、クミさんの言う通り、急にどうしたんだろう、と思っていた。

「実は、今週三回目なんです」
「え?」

初めは月曜日の定時過ぎ。外出から戻ってきた彼に声をかけられた。あまりに接点がなかったから私は名前が思い出せなかったけど、彼は私の名前を知っていて、案件の話を振ってきた。その時は、営業さんは担当以外の案件も把握してるんだな、と関心したぐらいで、違和感を感じることはなかった。
その次は火曜日のお昼時。お弁当を温めていたら声をかけられた。おつかれさまです、から始まった会話は長く続いて、温めたお弁当が少し冷めてしまい、お詫びにと彼が持っていたチョコレートを一つ渡された。チョコレートは美味しかった。
そして、木曜日の今日。滅多に話さないのに、今週だけで三回。彼の持つ案件の中で振られるものがあるのかな、と考えたけど、そんな話は全く出てこない。だから、どうして彼が私に話しかけてくるのかが分からず、正直、謎だらけ。

「因みに、なのだけど」
「はい」
「この三週間、他に変わったことはない?」

社内の男性から声をかけられたり、個人的なメッセージがきたりしていないか、とクミさんは仕事の手を止めずに尋ねてくる。クミさんに倣って、私も手を止めずに、ここ数週間の会社でのことを思い返した。
…そういえば、

「彼氏ができてから…」
「できてから?」
「色んな人に話しかけられるようになった気がするんです」

同じ部署の人達とはよく雑談もするけど、他部署の人達とは接点がなければ交流はない。けど、マルコさんと付き合いはじめて一週間後に、書類を出しに行った総務部の方から「肌、綺麗ですね」と声をかけられ、担当案件の営業さんには「雰囲気が変わりましたね」と笑顔で言われた。クミさんが尋ねてきたように、社内を歩いていると、数人の男性からお疲れ様ですと、目を見ながら話しかけられるようになった、気がする。
社会人だから、すれ違えば軽い挨拶程度は誰にでもするけど、ここ最近は足を止めて挨拶をしてくれる方もいて、私もつられて足を止め、挨拶だけでは終わらずに雑談をすることもあった。

「なんででしょうか?社内で挨拶週間とかしてないですよね?」
「それは、おそらく…」

あ、間違えた、とキーボードの”Ctr”lと”Z”を同時に押し、”Z”を三回押す。その間、クミさんの声は聞こえず、クリックしたり、キーボードを打ったりして待っていたけど、そうねぇ、と言葉を探しているのか、なかなか教えてくれない。

「知らなくてもいいことかもしれないわね」

え、とクミさんを見れば、私の画面を見て、ここ違っているわよと教えてくれた。そういうクミさんも、ここ、打ち合わせの時に変更になったと聞きましたけど、と画面を指差せば、そうだったわと、修正を始める。

「誰にご飯誘われても行かないようにね」
「行かないですよ。クミさんも一緒なら行きますけど」
「行かないわよ。若い男に興味ないわ」
「クミさん、旦那さんのこと大好きですからね」
「貴女も、彼氏さんのこと大好きですものね」

年齢までは伝えていないけど、ランチの時に可愛いところを語っていたら、クミさんも旦那さんの素敵なところをたくさん話してくれた。それから、今日はここが可愛かった、ここが素敵だった、と話し合うように。

「またランチ行きませんか?クミさんの惚気話聞きたいです」
「いいわね。惚気大会といきましょうか」


◇ ◇ ◇


「マルコさんは凄いわね…」

何が凄いの?身長?優しさ?料理の上達の早さ?あ、やっぱり可愛さ?
遂に分かってくれたのかな、と嬉しくなったけど、違うわよ、とアスカに否定された。
自覚するわけないか、マルコさんしか視界に入ってないんだから、とアスカは一人喋りながら歩き出すので、私は置いてけぼり。
待ち合わせ場所に来て私を見たアスカは、久しぶり、とかの挨拶もなしに、開口一番にこの場にいないマルコさんを褒めた。何が凄いのか聞いても、アスカは教えてくれなくて、クミさんと同じだなぁ、と隣を歩いていると、今日はマルコさんの家に泊まるのか尋ねられる。
もちろん泊まるし、そもそも、昨日から泊まっていた。

「マルコさんが、お家から出かければいいって言ってくれたから、甘えちゃった」
「マルコさんからの提案なのね」

ただ、昨日はマルコさんは出張で、予定よりも遅れてしまいマルコさんの家にお邪魔したのは二十二時を過ぎていた。マルコさんは遅くなったことをすごく気にしていたけど、仕事はどうしようもないし、一緒に寝られるだけで十分だった。これからもこういうことはあるだろうけど、全く気にしてない、とちゃんと話せば、マルコさんがすごく嬉しそうな顔で抱きしめてくれた。
ランチの店は大通り沿いにあるから、マップアプリなしでも行ける。前を見ながら、アスカがマルコさんとどうなの、と話を振ってくれた。

「さっきあったことなんだけど、聞いてくれる?」
「いいわよ」

マルコさんの家を出る時、マルコさんが玄関までついてきて見送ってくれたんだよ。それだけでも嬉しいのに、マルコさんが何をしてくれたと思う?なんと、「いってらっしゃい」って言ってくれたの。大きな手を少しだけ振りながら笑顔で私を見てくれて、あまりの可愛さに思わず抱きついてしまって、電車一本乗り遅れた。

「…うわ、聞くんじゃなかった。浮かれすぎじゃない?」
「その自覚は、ある」
「あるなら、まだよかったわ」
「私も、ナオさんのことで話したいことあったら聞くからね。もちろん、愚痴も聞くよ」
「私?…そうねぇ」

目的地は次の交差点の近く。
何かない?とアスカを見れば、式で着るドレスの試着の時に、ナオさんが「試着したドレス、全部着よう。決められない」と真顔で言ってくれた、と話してくれた。式の準備は順調のよう。送られてきた招待状には、もちろん出席に丸をつけて返送した。楽しみだな、アスカのドレス姿。綺麗だろうな、と想像していたけど、あれ、とアスカを見る。

「土日は準備で忙しくないの?」
「あぁ、今日は息抜きするって決めてたのよ」
「その相手が私なんて、光栄です」

なら今日は、目一杯息抜きをしないと。
目的の店に着き、木製の扉を開ければ、異国の雰囲気と匂いに包まれる。席に案内されれば、アスカが嬉しそうな顔でメニュー表を開いた。

「久しぶりに食べたかったのよねー」
「好き嫌い分かれるけど、アスカは本当、好きだよね」
「一番の友だちが、好き嫌いがなくてよかったわ」
「あるよ。昆虫は食べられない」
「大丈夫。私もそれは無理」

今日のランチはエスニック料理。独特な香辛料を使う料理だから、クセが強い。
カップラーメンでトムヤムクン味が発売された時、何この味、と友だちと話したな。蓋を開けた時の匂いだけで、駄目だった子もいたっけ。
トムヤムクン、ガパオライス、グリーンカレー。他にも色々あるけど、どれがいいかなと、ざっと目を通したくてページを捲る。

「何食べる?私はトムヤムクン」
「…」
「どうしたの?」

カタカナの料理名と簡単な説明を読み進め、私は、見つけてしまった。
パイナップルおじさんと一緒にいることが多いから、目がそこで止まるのは至極当然。まさかここにもあるなんて。
味を覚えてマルコさんに食べてもらいたいな。いや、まずは店に連れてきた方がいいかも。マルコさん、エスニック料理好きかな。

「私、カウパッサパロッにする」
「か、かうぱ…かうぱっさ?」
「カウパッサパロッ」

パイナップルチャーハンだって、とメニュー表を指差せば、アスカは訝しげな顔で、美味しいの?と私を見る。
大丈夫。マルコさんと同じようにパイナップルは優秀なんだ。デザートは当たり前、メインもおかずも、どんな役もこなせる万能果実。青果店の娘が言うんだから間違いない、と熱く語ってしまい、アスカに引かれた。
知らない料理名ばかりだから、メニュー表を見ているのが楽しくて、料理を待つ時間はあっという間。運ばれてきた料理の匂いは、すごく食欲をそそる。けど、暑い時期になってきたから、トムヤムクンを食べ終わったころには汗だくになるのでは…、とアスカの心配をしてしまった。

「トムヤムクン美味しい!この味がクセになるのよね」
「匂いかぐだけで美味しいの分かる」
「少し食べてみる?」
「カウパッサパロッ、食べる?美味しいよ」
「なんですんなり名前言えるの?…少しだけ」

恐る恐る口に入れたアスカは、何回か口を動かして呑み込むと、美味しいかも、と感想をこぼした。
ほら、マルコさんは優秀なんだよ、と言えば、マルコさんを褒めたわけじゃないわよ、と呆れられた。
いや、私は間違っていない。だって、”マルコさん=パイナップル”。だから、マルコさんを褒めればパイナップルを褒めることになる、と言い出した私を、アスカは「頭、可笑しくなったの?」と心配していた。
マルコさんはパイナップルが大好きなのだと教えれば、それであの髪型?もしかして、パイナップル協会とかの人?と、今度は不思議そうな顔を向けられる。
パイナップル協会。マルコさんなら名誉会長とかしていてもおかしくないかも。
気になり調べてみたら、パイナップル協会はなくて、缶詰協会はあった。役員名簿も会員名簿も確認したけど、マルコさんの名前は載っていなくて、何故か残念な気持ちに。

「マルコさん、パイナップルを皮ごと食べるんだよ。見たことないけど」
「動画サイトにアップしたら、仕事しなくてよくなるんじゃない?」

アスカが、どんどんマルコさんのイメージがパイナップルになるんだけど…、と困った顔をするので、間違っていないと大きく頷いておいた。
食後にココナッツジュースを飲み、異国文化を味わったところで、今日の目的である、あるもの達を買うために駅まで戻り、百貨店のコスメフロアへ。

「アイシャドウとリップグロスが欲しくてさ。それで、一通り見ようかなって」
「いつも何使ってるの?」

プチプラもデパコスも使ってる。気合を入れる時はデパコスで、プチプラは日常使い。色も気分によって変えているから色々持ってるよ、とアスカは楽しそうに話してくれた。
アスカは本当にメイクするの好きだよなぁ。
今日は持っていない色が欲しいそうで、通路を歩きながら、気になるものを見つけて、アイシャドウはテスターを手の甲に試し塗り。これもいいけど、こっちの方が発色いい、いや、こっちもよくない?、とブランドを横断し続ける。

「これパッケージ綺麗」
「本当だ。この色、アスカに合うかも」
「あんたなら、こっちかな」
「デパコスのアイシャドウは持ってないな」

私は下地やファンデーションはデパコスだけど、アイシャドウ、リップグロスやマスカラはプチプラ。どちらもそれぞれ良さがあるけど、デパコスはやっぱり、使うだけで気分が上がる。アイシャドウだと発色が違うし、長持ちする。一つ買ってみたら?とアスカが言うので、並んでいる商品を手に取りながら、買うならどの色がいいかなと眺めていたけど、大事なことを思い出した。

「ファンデーションがもうすぐなくなるから、先にそれ買いたい」
「ブランド決まってるの?」
「最近は同じの使ってるけど、カバー力が欲しいから変えようかな」
「リキッド?」
「クッションもいいかなって」

ならあのブランドかな、とアスカが歩き出す。
ただクッションはコスパが気になるわよね。それにパフをこまめに洗わないと。けど、下地不要なものあって便利よね。リキッドはいつも何で塗ってるの?
手で塗ってるよ。
え、手で塗ってるの?
普通に手でも綺麗に塗れるよ。今日も手。
塗り方上手いわね。
動画見て、めっちゃ練習した。
練習大事。
そんな会話をしながら着いたコスメカウンターは、買ったことがないブランドだった。クッションファンデーションもリキッドファンデーションも売られていて、どちらがいいかなと交互に手に取って、手の甲に塗ってみる。

「アスカもこれ使ってるの?」
「私は脂性肌だからパウダー使ってる」

ならアスカから感想は貰えない。
どうしようかな、値段的にはリキッドがいいけどな。

「ファンデーションをお探しですか?」

アスカとは違う声が聞こえ、顔を上げれば、BAさんが近くにいた。綺麗なBAさんは、私の持つファンデーションを見て、おすすめですよ、と笑顔を向けてくれる。

「カバー力があるのに厚塗り感はなく、素肌感が出せますので」
「こっちのクッションファンデと比べてどうですか?」
「お客様の肌は乾燥肌でしょうか?それとも…」

話しかけてくれたので相談しながら考えようかと、自分の肌の状態や、悩み、予算を伝えると、リキッドファンデーションを勧めてくれた。

「お試しされますか?」
「タッチアップ、いい?」
「いいわよ」

切れそうなのは本当だし、値段も範囲内だから、よさそうなら買おうかな。
お願いすると、すぐに席に案内され、アスカは横に座った。ついでにフルメイクしてもらったら?とアスカは言うけど、ファンデーションを買うだけだからフルメイクをお願いするなんて。せっかくBAさんがしてくれるのに、とアスカが言っている間に、BAさんはリキッドファンデーション以外にもいくつか並べて準備を終えていた。
先ずは、自分がマルコさんの家でしたメイクを落とすところから。

「お客様のお肌、とても綺麗ですね」

クレンジングでメイクを落としながら、BAさんが肌を褒めてくれた。営業トークとは言え、言われて嫌な気分になるわけはない。ありがとうございます、と素直にお礼を言うと、横から、本当に綺麗になったわね、と声が聞こえた。

「特に念入りにケアをしてるわけじゃないんですけど」
「内側からよ、絶対」

マルコさんは凄いわねと、アスカがまた言った。
顔は横に向けられないので、目だけを動かし、アスカにどういう意味か尋ねたけど、知らなくていいと、ここでもクミさんと同じ反応。BAさんが私達の会話を聞いて、素敵なことがあったんですねと目を細めていたので、アスカの言葉の意味が分かったようだった。

「いかがでしょうか?」
「…本当ですね。厚塗りしてないのに、カバー力ある」

これならいいかも。
鏡を見ながら自分の頬を眺めること数秒。決めた、とBAさんの方を向けば、BAさんは違う方向を見ていた。

「この色、彼女に合うと思います?」
「そうですね…そちらもとてもよいかと思いますが…」

いつの間にコスメカウンター内を歩いていたのか、アスカがアイシャドウとリップグロスをBAさんに見せていた。ふむふむと、アスカとBAさんが色を話し合っている。
二人で何してるの?

「ちょっとこれとこれ、試してみて」
「え?や、今日はファンデだけで…」
「帰ったらマルコさんに見せてあげなよ。また反応教えて」
「ふふ。ではお客様、鏡の方へお顔を向けてください」

ここは腕の見せ所だ、とBAさんは楽しそうに私の目の周りのメイクを落としはじめる。
何だかよく分からないまま、あれよあれよとメイクをほどこされ、結局、フルメイクになってしまった。

「うんうん、いいじゃん。どう?」
「とてもお似合いですよ」

…うん。確かに、綺麗になった。つけたことない色のアイシャドウを見て、どうなるかと思ったけど、すごく合ってる。このリップグロスも、いい色。

「アイシャドウもリップグロスもほしい…!」
「買えばいいじゃん」
「ふふ、気に入っていただけて嬉しいです」

買えなくはないけど、どうしようかな。
ファンデーションとリップグロスとアイシャドウの合計金額を確認し、よし、偶には思いきろう、とバックから財布を出す。

「リップグロスは私からプレゼントさせて」
「え?」

どういうこと?
私の前に、アスカが先にリップグロスを購入し、丁寧にラッピングまでされたショップバックを差し出してくれた。
私の誕生日はまだ少し先だけど、もうくれるの?
アスカに聞けば、半年後もプレゼントする予定だと言うので、なら尚更、受け取る理由が分からなくて困ってしまう。そんな私を見て、アスカは苦笑い。

「今日、マルコさんと過ごすんじゃなくて、私と遊ぶのを選んでくれたお礼」
「そんなの当然だよ」
「ありがと。あとは…あんたと過ごしたかったであろうマルコさんへのお詫びも込めて」

デートする時に使ってくれると嬉しい、とアスカが笑いながらショップバックを渡してくれた。
気にしなくていいのに。けど、すごく嬉しいな。
マルコさんの反応を必ず伝えようと、ショップバックの持ち手をぎゅっと握った。


◇ ◇ ◇


「マルコさん、戻りました」
『ん。開けたよい』

その声と共にエントランスホールの自動扉が開き、通話が切れた。
“開けたよい”
なんてことない言葉だけど、初めてのことに、胸が温かくなって、嬉しくなる。
マルコさんが待っているお家に帰って来たんだな。えへ…えへへ。
一人でにやけながら、エレベーターに乗る。乗っている間も変な笑い声は止まらなかった。まぁ、乗っているのは私だけで、笑い放題だから良いけど、よくよく考えれば、エレベーターにはモニターがついている。外でエレベーターを待ってる人がいたら、私を見て、引いてるかも。
恥ずかしくなりながら廊下を歩き、インターホンを押す。するとすぐに、ガチャ、と音がした。

「ただいま戻りました」
「おかえ…」

マルコさんは私を見て、目を見開いた。そのまま、いつまでたってもマルコさんが動かないので、半分ほど開いた扉の隙間から家の中に入り、扉を閉める。
どうしたんだろう?

「マルコさん?」
「…」
「??」

なんだろう?
あ…も、もしかして、エスニック料理の独特な匂いがしてる?マルコさん、苦手だったかな。どうしよう。一旦、お家に帰ってお風呂に入った方がいいかも。
服に匂いがついてるかなと、服の匂いを確認しようとすれば、大きな手が私の頬を包んだ。

「綺麗だねい」

マルコさんがいつもよりも優しく、触れるか触れないかぐらいの力で、頬を一回撫でてくれた。すごく優しい顔で、もう一度、綺麗だと、笑いかけてくれる。
メイクのことかな。マルコさん、気づいてくれた。
よかったと嬉しくなって、手にすり寄ろうとしたけど、何故か手がすぐに離れてしまった。
…あれ?

「化粧、誰かにしてもらったのか?」
「あ、友だちとコスメフロアに行って、店員さんがしてくれました」

気になるものをタッチアップするだけの筈が、フルメイクしてくれたんです。その方、すごく丁寧に対応してくれて、プロはやっぱり違いますね。あ、今つけてるリップグロス、友だちがプレゼントしてくれたんですよ。マルコさんとデートの時につけてねって。
腕を組みながら話を聞いていたマルコさんはそうか、と微笑むと、ふむ、と手を顎に当てて考えはじめた。そして、うんうん、と頷き、何かを決めたのか、よし、と声を出す。

「今日は外で食べるよい」
「え?」
「支度する」

ちょっと待っててくれ、とマルコさんは寝室へ行ってしまった。
状況についていけない私は玄関に突っ立ったまま。動かない様子を感じたのか、寝室から顔を出したマルコさんが、リビングで待っているように、と指示をくれたので、素直にリビングのソファで待つ。

「お腹の空き具合は?」
「えっと…ラーメン一杯ぐらい」
「なら、そこそこ食べれるねい」

戻ってきたマルコさんが横に座り、何が食べたい?今の気分は?と私を見るので、ふむ、と手を顎に当てて考えてみる。
イタリアン、焼き鳥、ピザ、焼き魚、お寿司。思いつくままに口に出していると、マルコさんは候補が多いな、とくつくつ笑った。
食べたいものを一つに絞れる時もあるけど、今日は無理でした、と謝れば、何でもいいと言われるより何倍もいいと、マルコさんは私の頭を撫で、スマホを操作し始める。
…頭、か。

「すみません。本日十八時から二名で伺いたいのですが、予約できますでしょうか?」

今の時間は午後五時過ぎ。今日の今日で予約できるのかな。マルコさんが考えてくれた店だから、どこも人気なんじゃ…。
はい、はい、と応えていたマルコさんが、名前を伝え、通話を切った

「予約完了。十八時で取れたから、三十分後に出るよい」
「何のお店なんですか?」
「イタリアン」

マルコさんは、私の腰を掴み、よいしょ、と膝の上に横向きに座らせた。そしてマルコさんは、頬…ではなくて、頭を撫でてくれる。
…なんでだろう?いつもと、違う。
マルコさんの手を見て、マルコさんを見る。マルコさんの表情はいつもと変わらず可愛い。少しだけ目の奥に熱っぽさがあるような気がするけど、これは帰ってきてからの違和感に繋がるものではない。
今の私、何か変?綺麗って言ってくれたけど、本当は違う?
うんうん悩んでいる私を見て、今日、楽しくなかったのか、とマルコさんが不安そうな声を出したので、慌ててすごく楽しかったことを伝えた。

「マルコさんって、エスニック料理好きですか?」
「エスニック料理?…好き嫌い以前に、食べたことないねい」
「カップラーメンのトムヤムクン味は?」
「ない」

なら、先ずは家で作ろうかな。
マルコさんに今日のランチの写真を見せながらカウパッサパロッの話をすれば、パイナップルのチャーハン…?と目を見開いた。しばらく写真を眺めていたマルコさんが、どこの店だ?どこでこんな最高なものを見つけてきた?と質問攻めをしてくるので笑ってしまう。
パイナップルが関わると、マルコさんはいつにもまして可愛くなるから困る。
お店のURLを送れば、マルコさんはすぐに開き、店の位置やメニューをくまなくチェックして、ん?と不思議そうに私を見た。

「これだけ色んな料理があるのに、これを頼んだのか?」

トムヤムクンとかグリーンカレーを選んだりしないのか?あえて、かうぱ、かうぱっさ…を選んだのか?
マルコさんはなぜ?、と私を見つめ続ける。
そんなに不思議なのかな。けど確かに、マルコさんに出会う前の私なら、カウパッサパロッは選ばなかったかも。
なぜ?、の答えは単純。

「これを見つけた時、食べてマルコさんに伝えたいなって思って…」
「俺に?」
「はい。あ、そう思うの、今日だけじゃないんですよ。マルコさんと一緒にいることが増えてから、マルコさんのことを考えることが増えちゃって…。パイナップルコーンの時もそうですけど。マルコさん気に入ってくれるかな、好きかなって、考えちゃうんです」

えへへ、とマルコさんの頬を撫でていると、マルコさんはすごく驚いた顔をして、照れくさそうな顔をした。
マルコさんを想って考えることは日常の一部。特別なことでもなんでもなくて、当たり前のこと。まぁ、仕事中に考えるのはやめた方がいいかな、とは思っているけど。
また変な笑い声が出てしまい、落ち着こうと手で顔を覆っていると、マルコさんに手を捕まれ、マルコさんの顔が目の前にきた。

「俺もだよい」

この菓子は好きだろうか。この店は?このカフェは?と仕事中に考えることは珍しくない。もう家に帰っているだろうか、電話してもいいだろうか、と毎日考えているよい。

「今日なんて、早く帰って来ないかと、ずっと思ってたよい」

スマホの通知はきていないか、すれ違ってはいけないから、もう家で待っていようか。
友だちと楽しい時間を過ごせていたらいい、帰ってきたら、楽しかったと笑顔で俺に話してくれたらいい。今日はそんなことばかり考えていたよい。

「お前さんのことばっかりだ」

困ったものだよい、と本当に困り顔で、けど、すごく幸せそうな顔で、教えてくれた。
マルコさんも同じなんだな。一回りも上でも、そんな風に考えているんだ。
これからイタリアンを食べに行くというのに、胸が満たされてしまった。夜ごはんが食べられるか不安になり、マルコさんに伝えれば、大丈夫大丈夫と即答される。

「明日は一日一緒」
「ふふ、今からずっとですよ」
「はは、そうだねい」

マルコさんの顔は相変わらず近いまま。マルコさんの瞳はさっきよりも熱い。
見つめていれば、何かが伝わってきた。それが体中に送られ熱くなり、私もマルコさんに想いを伝える。
すると、マルコさんの顔がさらに近づいた。そして、唇が触れ──。

「あ!マルコさん、駄目っ…」
「え」

慌てて顔を離せば、ぽかんと、マルコさんが私を見る。
忘れてた。このまま家にいるのならいいかもしれないけど、出かけるのだから駄目だ。私の唇は今、キスができない。

「色付きのリップグロスを塗っているので、移っちゃいます」
「りっぷぐろす…?」

だから今は駄目ですと断ると、マルコさんは、リップグロスを連呼し、すごくほっとした顔をして、残念そうな顔をした。

「したい、よい」

こんな綺麗な姿を前にして、できないのか…よい。
首筋に顔を埋めながら、ぼそりとそう呟いたマルコさんは、なら、と首筋に何回も唇を当てた。あまりに優しく触れてくれるので、体がそわそわして、身じろいてしまう。マルコさんから逃げたくて膝から降りようとしたけど、がし、と抱きしめられているから叶わない。

「ま、マルコさん、くすぐったいっ」
「すまん。けど、したい」
「…っ」

直球の言葉に胸が高鳴った。マルコさんの熱を帯びた声は初めて聞く。聞いただけで、体中がうずいて、私も欲しくなってしまう。
綺麗になると、マルコさんのこんな姿が見れるんだ。逆を言えば…いつもの私では、このマルコさんは見れないってこと?
首筋を、ちゅ、ちゅ、と痕がつかないぎりぎりの力加減で吸われ、その度に声が漏れてしまう。マルコさんの首に腕を回して、想いを受け取り続けるけど、入れ物が小さいから押し込むのに必死になる。
もっと入れ物が大きくならないかな。

「はっ、…あー、何で外で食べるって言ったんだ、俺はよい」
「ふふ、帰ってからたくさんしましょ?」

本当に、こんな余裕のないマルコさんを見るのは、初めて。嬉しい反面、少し、悲しい。

「マルコさん、このメイク好きですか?」
「ん?」
「…いつもこのメイクの方が、いい?」

綺麗だと言われたことなんて一度もないから、いつもの私は綺麗じゃないんだな。いや、自分を綺麗だと思ったことはないけど、それでも、もっと気にしないといけなかったな。
俯きながら、明日もこのメイクしなきゃな、と考えていると、しなくていい、と声が降ってきた。

「無理にしなくていいよい。したい時にすればいい」
「けど、綺麗だって。だから、いつもの姿は好きじゃないんじゃ…」
「好きに決まってるよい」

普段はどちらかと言えば、可愛いんだよい。ただでさえ可愛かったのに、最近はさらに可愛くなって、今日なんて綺麗な姿で帰ってきた。本当、俺をどうするつもりだよい?
と、マルコさんは真面目な顔で語った。
そ、そんなことを思っていたんだ…と恥ずかしくなり、顔を逸らそうとしたけど、追いかけてくるから逃げられなかった。

「まだ伝えた方がいいか?いくらでも伝えるよい」
「あ、えっと…もう大丈夫です」
「ん」

不安がることなんてなにもない、と私の頭を撫でたマルコさんの手は、そのまま耳をすり、と撫で、離れていく。
あ…なんで?どうして?
言葉で伝えてくれて、不安がることなんてないと言ってくれても、ほんの少しだけ違うだけで、違和感が不安に変わっていく。幸せのはずなのに、黒いモヤは消えてくれない。

“約束だよい”
”はい。約束です”

マルコさんと約束した”どんな小さなことでも、気になったらちゃんと話す”。
まさかこんなことで不安になるなんて思ってもなかったけど、私にとっては大事なこと。

「…マルコさん」
「ん?」
「あの、もう一つ聞いてもいいですか?」
「もちろん」

なんでも聞いてくれ、と優しく言うマルコさんからは熱っぽい雰囲気が消えて、いつものマルコさんに戻っていた。聞こうとする姿勢を感じて、不安が少しだけ消えていく。
大きな手をとり、自ら頬に添えてみる。すると、マルコさんは一瞬だけぴくり、と手を動かした。けど、頬から離れることはない。それだけで、不安は半分ぐらい減っていた。

「どうして、頬、撫でてくれないんですか?」

帰ってきてから、一回しか頬を撫でてくれてない。
綺麗だって言ってくれて、キスもしたいと思ってくれてるのに、どうして?
その質問に、マルコさんは驚いていた。答えを待つ私の表情がどうなっているか分からないけど、マルコさんは私を見て、はっとした顔をし、すぐに困った顔で、すまん、と謝った。

「せっかくしてもらったんだ。撫でて崩れたら勿体ない、と思ってよい」

撫でてほしかったんだな、とマルコさんがもう片方の手も頬に添えてくれた。少しだけ力を込めて、頬を包んでくれる。
…そっか。そういう理由だったんだ。聞いてよかった。うん、不安はもうないみたい。

「気を遣ってくれたんですね。ありがとうございます」
「けど、不安にさせていたなら意味がない。言ってくれてありがとよい」

今は、これから出かけるから少しだけな、と親指で二回だけ撫でてくれた。
名残惜しいけど出かける時間にもなったので、撫でてくれた手が離れていき、私の腰を掴み抱き上げる。電車で向かうのかと思っていたら、どうやら車のようで、あれよあれよと車まで運ばれてしまった。
マルコさんが予約をした店は、マルコさんも一人で来ることがある、創作イタリアンのレストラン。
料理はどれも美味しく、特に牛すじのラグーソースパスタ絶品だった。とろとろの牛すじがパスタによく合い、味は濃厚。家でも作れたならと味を覚えようとしたけど、手間暇がかかるから難しいかな。

「あの、本当にお金、いいんですか?」
「気にするな。言い出したのは俺だから」

綺麗可愛い顔で、美味しかったと言ってくれるだけで十分だよい。
そんな恥ずかしいことを言われたら、どうしていいのか分からなくなる。嬉しさと恥ずかしさで、笑いが止まらなくなり、ちょうどエレベーターに乗っていたから、またモニターに私の変な表情が映ってしまった。
どうか、監視カメラの映像が必要になるようなことが、起こりませんように。
玄関を開け、リビングに入ると、マルコさんはさて、と私に向き合う。なんだろうとマルコさんを見れば、ごほん、と咳ばらいをした。

「あとは風呂に入るだけだから…いいか、よい?」

改まって言われると、少し恥ずかしい。
けど、嫌ではなくて、むしろ、してほしいから応えたいな。

「はい。どうぞ…?」

両腕を広げて、歓迎の意を表せば、マルコさんは嬉しそうな顔で私を抱き上げ、長いキスをしてくれた。顔が離れて、マルコさんの唇を見れば、やはり色がついてしまっていて、指で拭ってあげたけど、またすぐに唇を重ねられ、拭った意味がない。
それからもキスをされては拭って、またキスをくれるので拭う、を繰り返した。本当にしたかったんだなと、嬉しくなってお返しで何回かすれば、またお返しを返される。
こんなに何回もして、私の唇には色が残っているのかな、と気になって触れてみれば、色は薄くなっていた。

「ふふ、色が全部移っちゃいますよ」
「くく、いいよい」

最後にもう一回と、マルコさんは私の唇をはむ、と挟んだ。一回、二回とすごく優しく甘噛みしてくれて、ゆっくりと離れていく。離れないでほしくて、マルコさんを追いかけて、唇を押しあてる。ふに、ふに、と柔らかい唇を感じていると、マルコさんがまた離れていってしまう。もう少ししたかったな、とマルコさんを見つめれば伝わったようで、くつくつ笑いながら、もう一回してくれた。
私とマルコさんの唇を拭ってみたら、色はほとんどついていなかった。

「…ん。かわい」
「え、あ…その…」
「ほら、待たせたねい」
「?」

今度は私の番。マルコさんは私を下ろすと、大きな手で頬を包み、何度も何度も撫でてくれた。いつもよりも力がこもっていて、”撫でる”というよりも、”拭う”に近く、まるで私の不安を拭おうとしてくれるようで、嬉しくて笑いが止まらなくなる。

「へへ、ありがとうございます」
「ベッドの中でもしてやるからねい」
「えへへ…はい」

"マルコさん、どんな反応してくれた?"

綺麗って言ってくれたよ。ただ、色付きだったから気軽にキスができなくて、崩れたら勿体無いって頬を撫でてももらえなくて、少し悲しくなっちゃった。けど、また綺麗って言われたいからデートの時は必ず使うね。ありがとう!
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