パイナップルからはじまる恋

「今日は良いことがあるの?」

画面右下を見て時間を確認すると、十八時半過ぎ。連絡した通り十九時半には終われそうかな、と画面の中央に視線を戻し、マウスを動かしキーボードを打っていると、隣の席の人に声をかけられた。

「今日は一段と顔も声も明るいわ」

先週までの二週間は、仕事でミスをしなかったものの、同じ部署の人達に心配をかけてしまった。特に彼女はお菓子食べる?、少し一緒に休憩しない?、ランチどう?と頻繁に声をかけてくれたのだ。普段通りにしているつもりだったし、仕事は仕事と頭を切り替えていたけど、マルコさんに会えない寂しさや、早く想いを消さないといけない焦りが、隠しきれていなかったらしい。
そんな私が、月曜日に全く違う様子で出社して来たものだから、部署の人達はとても安心したそう。そして色んな人が、元気になったね、と何故かお菓子をくれた。彼女も、とてもほっとした顔で挨拶してくれて、ご心配をおかけしましたと、彼女にも部署の人達にも伝え続けたのだった。
お菓子は一週間では食べきれず、デスクの引き出しにまだたくさんある。その中で一つだけマルコさんに渡したいものがあるから、今日持って帰るつもり。

「楽しみなことがあって」
「それは良いわね。楽しんで」
「はい」
「近いうちに、前にお土産いただいて笑っていた時のも含めて、教えてね」
「あ…えーっと」
「ふふ」

私もそんな時期があったわ、とクスクス笑う彼女は私よりも一回りぐらい歳上で、マルコさんと同世代。八歳年上の旦那さんがいる二児の母。

「先週、ご飯に誘ってくれて、ありがとうございました。あの、来週ランチに行きませんか?」
「あら、話してくれるの?なら行くわ」
「それ、は…」
「ふふふ、楽しみね〜」

彼女はまたクスクス笑うと、パソコンの電源を落とした。どうやら彼女も、今日は楽しみなことがあるそう。席を立った彼女に、楽しんで、と挨拶をして、その後もお疲れ様です、とポツポツ声が聞こえるので、その度に顔を上げて返事をした。

「…あっ」

黙々と画面と睨めっこしていたら、十九時三十三分。慌ててパソコンの電源を落とし、まだ残っている人に挨拶をしながら事務室を出た。あまり使わない更衣室へ向かい、ロッカーからボストンバッグを取ろうとすると、扉の内側にある鏡が目に入った。そして自分の表情を見て、こんな顔をしていたのか、と恥ずかしくなる。
口角が上がっていた、というより、口元が緩んでいた。まぁけど、それもそのはず。だって私は、これから大好きな人のところへ行くのだから。
マルコさんが、金曜日の夜からでもいいと、誘ってくれたのだ。土曜日の朝からでも十分嬉しかった私に、そんなご褒美をくれるとは思わなくて、その時はあの変な笑い声が止まらなくなり、マルコさんに笑われた。
今日、本当は一旦、家に帰り着替えてから行こうと思ったけど、時間が惜しくてこのまま行くことにしたから荷物が多い。

「ちょっと、直そう、かな」

この時間になればメイクが崩れるのは仕方がない。ファンデーションだけでも塗り直そうかと思って、ポーチを出す。
マルコさんにはスッピンも、メイクがひどく崩れた顔も見られているけど、直したくなる。それは私にとって、今日が特別な日だから。メイクした姿を見せるのは一時間もないだろうけど、それでも直そう。

「よし、いい、かな」

あとは、乗り換え案内アプリで何時着の電車に乗れるのか調べて、連絡。乗車駅と降車駅を入力し、何時着の電車に乗れそうか見ていると、ぽん、とメッセージが画面上に現れた。

"おつかれ。デパ地下で夜ご飯買った。もうすぐ電車に乗る"

マルコさんがいつも食べているデパ地下のお惣菜を食べたいと、私がお願いした。せっかくだから外食でもと考えていたマルコさんから、本当に惣菜でいいのかと何回か聞かれた。けど、私はそれがいい、と何回も答えたのだ。

"おつかれさまです。二〇時二七分着のに乗ります"
"了解。俺と同じ電車だ"

すぐに既読がついて、パイナップルがオッケーと丸を作るスタンプも送られてきた。そのスタンプに笑みが溢れ、色んな意味で可愛くて眺めていたくなるけど、我慢してスマホを鞄にしまい、会社のビルを出て駅へ向かった。私の会社があるエリアはオフィス街だから、歩いている人達はほとんど同じ方向へ向かっていく。流れに乗って歩き続け、改札を通り、いつもと同じ方向の電車に乗った。

『発車いたします』

ドアが閉まった電車はゆっくりと動き出し、徐々に速度が上がっていく。大体座れることはないから、吊り革に捕まりながらスマホでSNSを見るけど、文字が頭に入っていかない。

『まもなく──駅』

いつものように顔を上げて、ドアの方を見る。けど、今日は違うのだと、降りていく人達を見送った。すぐに扉が閉まり、電車が動き出す。再びスマホに視線を落とすけど、もうスクロールもせずに、ただただ眺めるだけだった。
この駅から、今日、降りる駅までは、もう何回も通っているのに、落ち着かない。揺れる電車に体を任せ、停車する度に顔を上げ、あと三駅、二駅と、心の中でカウントダウンをする。

『まもなく──駅。足元にご注意ください。出口は左側です』

胸が、大きく波打った。
手で持っていたボストンバッグを握り直し、見慣れない人達の流れに乗りながら、電車を降りる。改札は一つしかないから、全員が同じ方向へ歩いて行く。

「あ」

その声は、自分でも笑ってしまうほど、弾んでいた。
前の方に、周りよりも頭が飛び抜けている人がいる。見つけた瞬間、足の動きが速くなった。けど、降りた人は少なくないから、なかなか距離が縮まらず、もどかしい。

「ま、まる」

改札を出るまでには追いつけなかった。けど、出た後は降りた人達はあちこちへ散らばり歩きやすくなるから、追いつけるかも。
いつもの待ち合わせ場所へ向かう背中を追いかける足は、ほとんど小走りになっていた。距離が縮むほど、胸が高鳴る。

「マルコさ…」

腕を伸ばせば触れそうな距離になり、声をかけようとした時、突然、くるりと私の方へ振り返った。

「わっ」
「おっと」

予想外の動きに足を止められず、ぼすん、と胸に飛び込んでしまった。慌てて顔を上げ、ぶつかったことを謝ろうとしたけど、よろけることなく私を受け止めたマルコさんを見て、破顔してしまう。
マルコさんがすごく嬉しそうな顔で私を見るから、嬉しくなるに決まってる。

「マルコさん、こんばんは」
「ん。おつかれさん」

頭をぽん、と撫でたマルコさんはすぐに、行くよいと、私のボストンバッグを取って肩にかけ、私の手を取って歩き出す。バッグは自分が持つと言っても、よいよい、と笑うだけだったから、代わりにマルコさんが持っていたパイナップル柄のエコバッグを持たせてもらった。
エコバッグの中にはどんなお惣菜が入ってるんだろう。見ようと思えば今も見れるけど、家についてからにしようかな。

「お金、半分出しますね」
「気にするな」

今日来ればいいと言ったのは自分だからお金はいらない、と言うマルコさんを見て、不思議な感覚になった。
マルコさんの向こうの側が、見慣れない。スーツをビシッと着こなすマルコさんと、夜に、マルコさんの家まで手を繋いで歩く。

「えへ」

落ち着かなくて、マルコさんの手の甲を指ですりすり撫でていると、すりすりし返してくれた。その反応は前と変わりないけど、口元はいつにも増して緩みっぱなし。
先週までは感じたことがないもの。そわそわして、うずうずして、どきどきして、私の胸は忙しい。けど、それは嫌ではなくて、むしろ、幸せ。

「二泊だと荷物が多いねい」
「そうですね。旅行する人みたいです」
「置いておける物は置いておけよい」

日用品は明日買い揃えようと、マルコさんが言った。今までと変わらず、毎週お泊まりするのなら買った方が荷物が減るしいいだろう?、と私を見るマルコさんに、大きく頷き返した。
これからは堂々と、マルコさんの家にお泊まりしてることを言えるんだ。そう思ったら、また落ち着かなくなる。

「明日は食材もたくさん買いますし、買い出しで終わりそうですね」
「今日、リストが送られてきたよい。材料見ても何を作るのかは分からないが」
「ふふ、楽しみですね」
「久々だな。あいつの料理を食べるの」

どんな料理を作るのだろうと、二人で想像しているとマルコさんの家に到着。ゆっくりご飯を食べるために先にお風呂に入ることになり、マルコさんがお風呂の準備をしてくれた。

「マルコさんお先どうぞ」
「いや、お前さんが先」
「家主が先です」
「客が先」
「…」
「…」

毎回起こる、どちらが先に入るか問題が勃発し、ジャンケンで決めることに。結果は一回で私が負けて、また先に入らせてもらうことになってしまった。

「そのパジャマだと暑くないか?明日買うよい」
「家にあるもの持って来ますよ。余分にあるので」
「買う」
「あの、買わなくてもありますよ」

買う、買わない、とアウトレットの時のようなやり取りが始まってしまった。マルコさんが引かないので、これもジャンケンで決めようと勝負を持ちかける。すると今度は、あいこが五回続いても勝敗が決まらなかった。次第に掛け声に熱がこもり、九回目にして、決着がつく。

「ふふ、来週持ってきますね」
「…─よい」
「え?」
「可愛いの、選びたかった…」
「…ぁ」
「よい…」

マルコさんは、私がその表情に弱いことを知って、わざとやっているのかな…。
勝負は勝負だから仕方がない、と呟きながら、お惣菜を冷蔵庫にしまう背中が、たかがパジャマだけで儚げになってしまった。
そう、勝負は勝負。私はそろそろマルコさんのしょんぼり姿に耐えられなければ…。
自分にそう言い聞かせながら、背中を見つめること数秒。私はやはり耐えきれずに、恐る恐る声をかけてしまう。

「…あ、あの、やっぱりマルコさんに選んでほしい、です」
「本当か!」

私を見るマルコさんは目を輝かせ、明日が楽しみだと笑ってくれた。
ジャンケンの意味が全くなかったけど、おかげでこんな可愛い姿が見れたから、まぁ、いっか。
今日は一時間入るようにとは言われなかったので三十分ほどでお風呂から上がって、マルコさんと交代。待ってる間に準備してしまおうと、少し休憩をして、冷蔵庫を開けた。

「どれも美味しそう」

せっかくだから皿に盛り付けて綺麗にしようかな。けど、せっかく楽ができるお惣菜を買ったのに、食洗機を使わせてしまうのも。けどけど、ここは美味しいお惣菜をさらに美味しく…。
台所に立ったまま、うんうん唸ること数分。私は、よし、と動き出した。

「出たよい…すまん、やらせちまったねい」
「大丈夫ですよ。これくらいはさせてください」

テーブルを見たマルコさんが、惣菜なのに惣菜に見えない、と呟いた。結局、マルコさんなら食洗機の手間を嫌がらないだろうと踏んで、皿を使わせてもらった。聞いてみると、マルコさんはいつも皿に移し替えることはせずに、容器に入ったまま食べていたよう。
私を見ながら、いつもよりも美味そうだ、と笑ってくれたから、移し替えて正解だったとほっとした。

「お惣菜は、いつも同じお店で買われるんですか?」
「毎回違う店。ただ、会社の最寄駅にある店はほぼ制覇したねい」

年齢的にガッツリしたものばかり食べると、体にすぐ出てしまうから四十手前からは考えるようになったそう。

「それに、お前さんや親父さん達と食べるようになってから、毎回サラダも買うようになったんだよい」

店へ行く度に、栄養を考えて、と両親が言うからマルコさんも意識するようになったらしい。
今日、買って来てくれたのは、アボカドと長芋のサラダ。食物繊維を含む食材なら、より健康的だろい?とマルコさんが私を見るので、その通りです、と頭を撫でてしまった。

「「いただきます」」

サラダは健康的なだけでなく、とても美味しかった。すだちの酸味が効いたドレッシングがよく合う。
サラダを二口食べ、違うものを食べようとテーブルを見渡していると、横から、ん、とあるものが差し出された。素直に口を開いて食べさせてもらうけど、一口ではいけなかったから、少し待ってもらってもう一口いただく。もぐもぐしている私に、あ、とマルコさんが口を開いてきたので、同じものを口元へ運べば、一口で食べてくれた。

「おこわ、もちもちしてて美味しいですね」
「な。偶に食べたくなるんだよい」

おこわを食べるのはいつぶりだろう。
家でもち米を炊くことはほとんどないし、外で食べる機会もあまりないから、久しぶりのもちもち食感が楽しい。五目も美味しいけど、シンプルに栗だけが乗っているおこわも美味しくて、おかずと食べるつもりが三つあるおこわのうち二つを食べてしまった。

「これ、ネギと和えてあるんですね。美味しそう」
「美味いよい。ほら」
「あー、あむ」

今日のメインは、ローストビーフと細かく刻まれたネギが和えてある料理。味は塩だれのようで、あっさりしていてとても美味しい。もう一口欲しくなり、あ、と口を開いて見せれば、もぐもぐ食べていたマルコさんが、ん、と食べさせてくれた。
どれもこれも美味しすぎて、ゆっくり食べるつもりがあっという間に食べ切ってしまった。マルコさんは当たり前の食事だけど、私はあまりデパ地下のお惣菜を買うことはないから新鮮。偶にお惣菜を一緒に食べたいとお願いすれば、何回でもやろうと頷いてくれた。

「あ、マルコさん。今日のロードショー、この前途中で観るのやめちゃった映画なんですよ」
「そうなのか?…けど、この時間からだと半分は終わっちまってるねい」

せっかく昨日調べたのに忘れてしまっていた。試しにテレビをつけてみれば、マルコさんの予想通り、半分は進んでしまっていて話が分からない。それでも観るか?と膝の上に乗っている私の顔を覗き込むマルコさんに、明日の夜一緒に観たいと答える。

「明日は映画な」
「はい」
「あ、からあげはいつやろうかねい?」

私が作りたいと言ったパイナップルの料理はいつやろうか、ホットプレートも使わないとと、マルコさんは、私の腰に腕を回して、ぎゅっと抱きしめながらそう言った。

「時間はたくさんある。やりたいこと、全部やるよい」
「はい。マルコさんもやりたいことあったら言ってくださいね」
「なら…」

マルコさんはすぐに思いついたのか、躊躇いがちにやりたいことを教えてくれた。

「泊まりで出かけないか?」

無理にとは言わない、良ければの話だと、マルコさんは付け足した。
マルコさんと旅行。日帰りではなく泊まりで。
そっか、これからはマルコさんと泊まりで旅行ができるんだ。そういう関係に私はなれたのだと改めて実感していると、胸は温かくなり口元が緩んでしまった。
お腹に添えられている大きな手を撫でながら、行きたいところがあるのかと尋ねれば、会社の人が最近行ったところがすごく良かったと聞いて、私と行きたいと思ってくれたそう。

「祝日ある日を狙って二泊三日にするとか、どうですか?」
「それもいいねい。直近だと…」

スマホでカレンダーを見て、いつ行こうか、と日程を合わせる。電車を乗り継いで行くか、車で行くか、どの宿がいいか、せっかくだから室内露天風呂付きの部屋にするか、とマルコさんが楽しげに話すのを、私は終始ニコニコと眺める。けど、この部屋がいいのではと言う宿が身震いするほどの値段だったので、これからたくさん旅行するのだから、もう少し安いところにしたらどうか、とは伝えた。

「んじゃ…ここは?」
「…あ、はい。これぐらいなら、私も出せます」
「え?」
「え?」

何に対しての"え?"なのかが分からなくてマルコさんを見つめていると、マルコさんは何かに気付いたのか、一人で納得していた。

「宿代、俺が出す」
「え?…駄目です。出します」

稼ぎはマルコさんの方が上だけど、私にも出させてほしい。半分出すと引かない私と、全て出すと引かないマルコさんの押し問答はなかなか終わらなくて、これもジャンケンで決めようと持ちかける。けどマルコさんは、ジャンケンはしない、と首を振った。

「初めての泊まりなんだ。次は出してもらうから、な?」
「けど、けどですね…」
「なら、そうだな…旅行中のご飯代は全てお前さん持ち、それならどうだ?」
「…高速代も」
「ん」
「ガソリン代とか、コインパーキング代も、あとあと…あ、お土産代も!」
「いや、自分の分の土産は自分で買うよい」

けど、それ以外は私持ち。それで折り合いをつけよう、と言うマルコさんの提案に頷き、次の旅行は必ず半分出すと念を押しておく。

「会社の方、美味しいお店とか話してました?」
「確か一軒だけ…」

膝の上で横向きに座り直して、マルコさんのスマホ画面を覗く。外でも食べたいから、宿の食事は一回だけつけようか、と旅行プランが決まっていくのが嬉しくて、まだ少し先なのに待ちきれない。
二泊三日で旅行なんて、夢みたい。これからはもっと遠くへ、それこそ、飛行機でしか行けないところにも行けるんだ。
…あ、飛行機といえば。

「私もマルコさんと行きたいところが」
「ん?どこだ?」

同じ部署の人がくれたお菓子を鞄から出して、マルコさんに見せる。するとマルコさんは、それを見た瞬間、目を見開いた。

「パイナップルの楽園、行きませんか?」

貰ったお菓子は、前にも違う人から貰ったパイナップルの楽園のお土産。
飛行機でしか行けないけど、きっとマルコさんとなら楽しめると思うから、一緒に行きたい。まぁ本音は、可愛いマルコさんの姿を見るため、なのだけど。
お土産のお菓子を凝視したまま動かないマルコさんに、もう一度行かないかと誘ってみると、マルコさんはポツリと呟いた。

「懐かしいねい…」
「?」
「もう二度と行けないと思っていたよい…」
「え?」

行こうと思えばいつでも行ける場所に、二度と行けないとはどういうことだろう?
話を聞いてみれば、マルコさんは困ったような顔をした。

「こんなおっさん一人で行くのに抵抗が…」

それに近場ならふらっと行けるけど、飛行機を使わないと行けない距離だから機会がなかった。もう十年は行っていないと、マルコさんは懐かしむようにお菓子を見つめ続けていた。そして、顔を上げて天井を見つめながら、小さく溢す。

「行きたいねい…」
「ま、マルコさん!行きましょう!何回でも!私と一緒にたくさん行きましょうね!」

楽園に思いを馳せるマルコさんを、絶対に連れて行かないと!
使命感に駆られた私は、マルコさんに再びカレンダーを出してもらって、日程を合わせた。せっかく行くなら四泊五日ぐらいはしたいけど、できるだけ早いうちがいい。

「必ず、マルコさんを楽園に連れて行きますからね!」
「本当か?」
「はい。楽園を楽しみましょう!」
「あぁ、楽しみだよい…!」

旅行の予定が二つ決まり、その後も二人であれもやりたい、これもやりたいと出し合っていたら、いつの間にか日付が変わっていた。マルコさんが変な深夜番組が始まっていたテレビを消すと、私を抱き上げ、ソファから立ち上がった。

「先ずは、お前さんと一緒に寝たい」
「私もマルコさんと一緒に寝たいです」

最初のやりたいことは、"一緒に寝る"こと。
マルコさんに寝室まで運ばれ、二人でもぞもぞとベッドの中に入る。よいしょ、よいしょとマルコさんにくっつくように体を動かし、胸に顔を埋めたけど、まだ物足りない。

「マルコさん、ぎゅって」
「ん」

腕を回して引き寄せてくれた。マルコさんが背中をぽんぽんと優しく叩いてくれて、笑みが溢れる。
マルコさんは温かいなぁ…。

「マルコさん」
「ん?」
「明日の朝、喫茶店に行きたいです」
「頑張って起きるよい」
「無理に早起きしなくて大丈夫ですよ。起きるまで待ってますね」
「んじゃ、お言葉に甘えて」

明日は朝に喫茶店へ行って、ショッピングモールで買い出し。お昼は何を食べよう?夜ご飯は?あ、またどちらが先にお風呂に入るかでジャンケンしないと、それでまた、マルコさんに抱きしめられながら眠るんだ。

「ふふ」
「ん?」
「明日も楽しみだなって」
「だな。楽しみがあるのはいいことだねい」
「明後日も、楽しみですね」
「そう言ってくれて、嬉しいよい」

何と言っても、今週の一番の楽しみは明後日。
どんな人なんだろう?包丁さばきは見れるかな?
楽しい時間になるといいな、と願いつつ、マルコさんに包まれる幸せを噛み締めるのだった。


◇ ◇ ◇


「このアホンダラァァ!!」

日曜日の昼。リビングに怒号が響き渡った。
あまりの声量に振動が伝わったのか、フィカス・ウンベラータの葉が揺れている、気がする。
冷静沈着だと思っていた人の、あまりの荒々しい姿に、呆気に取られてしまった。けどすぐに我に返り、落ち着かせようと近寄る。

「あ、あの、イゾウさん。そもそも私が勘違いしたのが原因なので…!」
「お嬢さんは入ってこないでくれ。いいか、マルコ。テメェがずるずるずるずると引き摺るからだろ!」
「その通りだ」
「お嬢さんがどうなるところだったって!?えぇ!?」
「本当、自分勝手だったよい。反省しているんだ」

正座をしているマルコさんは、仁王立ちのイゾウさんからお叱りを受けていた。マルコさんは何一つ反論することなく、イゾウさんの言葉に、その通りだと頷き、すまない、と謝り続ける。
十数分前、来てくれたイゾウさんに、私とマルコさんはすぐに私達の関係を報告し、イゾウさんは、そうか、おめでとうと微笑んでくれた。
話がそこで終われば良かったけど、イゾウさんにマルコから伝えたのか?と尋ねられたから、私とマルコさんは"真正直"に全てを話してしまったのだ。話している途中、少し離れたところから「それをイゾウに話したら駄目でしょ!」と声が聞こえたけど、その時にはイゾウさんの表情が鬼の形相に変わっていて、もう手遅れだった。

「四十過ぎたおっさんを選んでくれたお嬢さんを大切にしろ!」
「もちろんそのつもりだよい」
「二度と馬鹿げたことをするな!!」
「よい。分かっています」

大きな背中を丸め、よい、よい、と返事をするパイナップルおじさんの姿が見るに堪えず、慌ててイゾウさんにもう一度声をかける。

「イゾウさん、私にも非があるのでマルコさんばかり責めないでください!」
「そうだ!お嬢さんもだ!」
「あ、はい!」
「そこに座れ!」
「はい!」

あまりの気迫に体は勝手に動き出し、マルコさんの隣で正座をする。
イゾウさんはマルコさん相手ほどではない声量で、私を叱った。不安なことはちゃんと会話をしろ、憶測だけでことを進めるな、大人なのだから突っ走るんじゃないと、至極当然のことを指摘される。それには返す言葉はなく、私はマルコさんと同じように、はい、はい、と頷くしかなかった。

「何かあってからでは遅いんだぞ。確かに一回りも年が違うのだから、すれ違いは起きる。だが、その時は二人でしっかり話し合え。いいな?」
「はい」
「よい」
「声が小さい!!」
「「よい!」」
「よし!」
「いや、何が"よし"だよ」
「ふふ、優しい人ね」

以後気をつけます、と頭を下げる私達の元へ、この様子をずっと台所で眺めていた大柄の男性が皿を持って近寄ってきた。
彼が、噂のサッチさん。この時代では珍しく髪型がリーゼントで、なんと、マルコさんよりも背が高い。イゾウさんも大きいから、三人並ぶと壁になる。

「おいイゾウ、遅れてきた挙句に手伝わねぇとは、いいご身分だな?」
「あ?俺は十二時に来ればいいと連絡をもらったが?」

今日は私とマルコさんとサッチさんが料理を作るから、イゾウさんにはゆっくり来てもらったのだ。
サッチさんとパートナーさんは十時ぐらいに来てくれて、すぐに全員で準備を始めた。ただ、包丁は一本しかないので、先にサッチさんに作ってもらうことにした。

「す、すごい…」

遂に見れたサッチさんの包丁さばきは、すごすぎた。残像が見えるほどの速さで次々と食材を切っていく姿に圧倒され、マルコさんとパートナーさんが、すごいでしょ?と笑いかけてくれたけど、言葉が出なくて頷くしかなかった。
それと、プロの料理をする姿は、勝手が分からない台所でも手際が良くて綺麗だった。父にもこの姿を見せたくて、動画を撮ってもいいかとサッチさんに尋ねると、面白くないぞ?と首を傾げられた。けど、撮りたいならと許可が得れたので、ずっとスマホをサッチさんに向けていた。ただ撮っている途中で、何故かマルコさんがレンズに顔を近づけて、映り込んできたのだ。マルコさんにどうしたのかと尋ねても教えてくれなくて、どいてほしいとお願いしても動こうとしないから困り果てることに。
見たことないマルコさんの行動が不思議すぎて、どうしようとパートナーさんを見れば、クスクス笑いながら、嫉妬よ、と教えてくれた。動画で嫉妬、そんなことある?と思ったけど、マルコさんを見れば、サッチばかり撮るなと、ようやく口を開いてくれた。理由が可愛いなと思ったけど、マルコさんを不安にはさせたくないから、マルコさんの髪を撫でながら、後でマルコさんのも撮るつもりだと伝えた。するとマルコさんは、ならいいと、私の後ろに回って一緒にサッチさんの姿を眺めはじめたのだ。
そして、サッチさんが三品作った後に、私とマルコさんが一品ずつ作り、一通り作り終えたタイミングでイゾウさんが来て、私とマルコさんがお叱りを受け、今に至る。

「盛り付け、俺がやるよい」
「本当、お前が料理する姿を見る時がくるとは…感動なんだけど…」
「はは、お嬢さんのおかげだな」

二メートル前後の大男三人が台所に立つ姿は、なんと言うか、異様な光景。
私も手伝おうとしたけど、台所が定員オーバーだったからテーブルのそばに立って待つことにした。すると、私の横にパートナーさんが立つ。

「男性陣に任せましょうか」
「はい」
「本当にごめんなさいね。まさか不安にさせていたなんて…」
「い、いえ!私が一人で突っ走っていたのが悪いんです」
「何もなくて本当に良かったわ」

パートナーさんは、すごく背が高い、サッチさんのことが大好きな綺麗な女性だった。
この中で私だけがすごく小さく見えるけど、平均以上の身長はあるから、四人が高すぎるだけ、と思いたい。

「嬢ちゃんの酢豚も皿に盛るぞー」
「ありがとうございます!」
「ワイン持ってきたが飲むか?」
「いいねぇ。ただお前、これから仕事だから無理だろ?」
「あぁ、四人で飲んでくれ」
「四人分のワイングラスはねぇよい」
「カップで飲めば?」
「コーヒーカップでワイン…」
「テーブルが豪華ねぇ」
「すごいですね」

テーブルに並べられた料理は、私作の酢豚、マルコさん作のピーラーサラダ、サッチさん作のアクアパッツァとフリッタータと、そしてサッチ丼。

「美味しそう…!」
「嬢ちゃん、味は保証するぜ」
「はい!もちろん疑ってなんかいません!」
「はは!嬉しいねぇ」

プロの味を疑う人なんていないし、においからして美味しいのが分かるし、何よりもマルコさんが美味いというのだから期待値は上がる一方。
四人テーブルだから、私が簡易の椅子で誕生日席にと思ったけど、マルコさんが頑なに隣だと言うから、イゾウさんに誕生日席に座ってもらった。
五人で手を合わせ、さぁ、食べようと各々好きなものを取り始める。

「マルコさん、どれから食べましょう?サッチ丼ですかね?」
「そういやぁ、これ、知ってたんだな」
「はい。マルコさんがすごく美味しいって教えてくれたんです」

サッチ丼とは、ご飯の上に、細かく切ったパイナップルとひき肉、玉ねぎをケチャップとソースで炒めて乗せた料理のこと。マルコさん達が子どもの頃、サッチさんが試しに作ってみたら、気に入られてしまい、頻繁に作れとせがまれるようになったそう。特別なことはしていないから、私でも作れるとサッチさんが言うけど、多分、私の癖が出てしまい同じ味は作れないかも。
ちなみに、マルコさんが前に教えてくれた"サッチ焼き"とはパインポークピカタ、"サッチ煮"とはパイナップルと豚肉の角煮、"サッチ蒸し"とはパイナップルの蒸しパン、のことだった。

「マルコさん、念願のサッチ丼ですよ」
「…」

やっぱり先ずはサッチ丼かな、とマルコさんを見ると、マルコさんは何故かテーブルを見つめながら冷や汗をかいていた。体調が悪いのかと思って額に手を当ててみるけど、そうではなさそう。
どうしたんだろう?

「マルコさん、大丈夫ですか?」
「おいマルコ、さっさと食えよ」
「お、俺は…」

わなわなと震え出したマルコさんは、悲痛な声を上げた。

「どっちから食べればいいんだよい!」

その言葉に私とイゾウさんは、あ、と気づき、サッチさんとパートナーさんは、?、と首をかしげた。
マルコさんは焦っていて、声をかけても落ち着きそうにない。そんな状態を怪訝そうに見るサッチさんとパートナーさんにイゾウさんが話をすれば、サッチさんが意地の悪い笑みを浮かべた。

「おいおいマルコさんよぉ。俺よりも女を選ぶのかぁ?」
「ゔ」
「大丈夫ですよ、マルコさん。私は二番目で十分幸せですから」
「いや、お前さんは一番目…!」
「一番目?このパイナップル野郎、お前を満たし続けた俺への恩はねぇのか?」
「いや、そのだな…!」
「マルコさん、私は二番目でも気にしませんよ」
「そこは気にしてくれよい!」
「マルコ、さっさと決めろ!」
「マルコさん、私は二番目の女ですから」
「い、イゾウ…!助けてくれよい!」
「くく、なんだこの茶番」
「ふふ、サッチ、意地悪しちゃダメよ」

サッチさんは楽しそうにマルコさんを揶揄い続けるけど、マルコさんは真剣に悩んでいるようだから少し可哀想。
どうしようかと、とりあえず、自分の分のサッチ丼をスプーンで掬って、マルコさんの口元へ持っていく。すると、ぴた、とマルコさんの体が止まり、私を見つめてきた。

「人生最後の料理、私が食べさせましょうか?」
「お前さんが?」
「はい。最後の時、私が必ず隣にいるようにしますね」
「…」

料理はサッチ丼。だけど、それを食べさせるのは私。これならマルコさんも食べるかな、ともう一度、どうぞ、と促せば、食べてくれた。

「美味しいですか?」
「ん。美味い」
「はい、もう一口どうぞ」
「あ」

もぐもぐ食べるマルコさんを眺めながら、私もサッチ丼をいただく。子どもがこれを食べたら絶対に好きになる味だった。今食べてもこれだけ美味しいんだから、当時食べたマルコさんは感動ものかも。美味しいなぁ、と食べ進める私の肩を、ちょん、とマルコさんが突き、また口を開くので口元へ運ぶ。美味しいですね、と笑いかければ、マルコさんも嬉しそうに笑ってくれた。
人生最後の料理問題、とりあえず、解決かな。

「なんでイゾウは普通にしていられる!?気持ち悪すぎだろ!」
「ん?あぁ、お嬢さんも変わり者なんだ。気にするだけ無駄さ」
「微笑ましいわねぇ」

サッチ丼以外も、アクアパッツァもフリッタータも絶品だった。真鯛を一尾丸ごと使ったアクアパッツァは旨みが滲み出ていて美味しく、きのことじゃがいもで作ったフリッタータはほくほくで美味しい。
美味しい美味しいとサッチさんに伝えていれば、作った甲斐があると笑ってくれて、レシピはマルコに送ったと嬉しいことも教えてくれた。今度、マルコさんにも両親にも食べてもらおう。

「酢豚美味いな!マルコ達から聞いていたが、本当に料理上手なんだなぁ」
「本当ですか?良かったです」
「不味いわけがないよい」
「お嬢さんはすごいからな」

プロに美味しいと言ってもらえると、自信がつく。マルコさんに美味しいと言ってもらえるだけでも嬉しいけど、お墨付きをもらえた気分。
マルコさんのサラダをサッチさんが感動しながら食べたり、ワイン好きだったパートナーさんにほとんど飲まれてしまったり、イゾウさんがまたマルコさんを少し叱り、マルコさんがしょんぼりしてしまったり。楽しみにしていた時間は少し予想外のこともあったけど楽しく、あっという間に完食して、イゾウさんが店の準備をする為に帰る時間となってしまった。サッチさんとパートナーさんもこれから別の予定があるそうで、マルコさんとエントランスまでお見送りをすることに。

「んじゃ、今日はありがとな」
「次来た時もやりましょうね」
「はい。お二人とお話ができて楽しかったです」
「また店に来てくれ。新作ができたからご馳走しよう」
「近いうちにマルコさんと伺います」
「マルコ、分かっているな?」
「よい!」
「よし」
「はは、嬢ちゃん、困ったらイゾウに相談しろよ。マルコはイゾウには勝てないからな」
「困ることはもう起きねぇよい」

三人の姿が見えなくなるまで見送って、手を繋いでエレベーターに乗って家に戻り後片付け。
美味しかったですね、美味かったねい、と話しながらテーブルにある皿を食洗機に入れ終えると、マルコさんがコーヒーを淹れるからソファで待つように、と言ってくれた。けど、今日は隣にいたくて、一緒に注ぎ口からカップへ落ちていくコーヒーを眺める。

「マルコさん」
「ん?」
「今日、すごく楽しかったです」
「そりゃあ、良かった」
「だから…」

来週もその次の週も、決めた旅行も、マルコさんと過ごす時間はいつも楽しい時間にしたい。そうする為には、イゾウさんが言ってくれたように、先週までのようなことをしていてはいけないんだ。
マルコさんの手を取り、力を込めた。

「これからは、知りたいこととか、伝えたいことができたら、ちゃんと聞いたり話します。だから、マルコさんも少しでも不安になったら、私に聞いてください。ちゃんと答えますから」

分かっていることだけど、私達は一回り以上も違う。年齢差が広がれば、考え方も感じ方も違ってくることもある。それに、私はマルコさんのことを全て知っているわけではないし、どれだけ一緒にいても全てを知ることはできない。それでも私は、一緒にいたいから、ちゃんと二人で話し合いたい。
一杯目のコーヒーが淹れ終わって、二杯目をセットしたマルコさんは、私の両手を握りながら頷いてくれた。

「あぁ。俺もちゃんと、お前さんに話すよい」

どんな小さなことでも、少しでも気になったらちゃんと話す。これは二人の決め事だ、とマルコさんは真っ直ぐ見つめてくれた。その言葉に私も大きく頷く。

「約束だよい」
「はい。約束です」

大きな手が手から頬へ移動して、屈んでくれたマルコさんの顔が近づいて、いつものようにおでこと鼻がくっついた。私もマルコさんの頬に手を添えて、じっとマルコさんの瞳を見つめる。
すると、マルコさんの瞳からいつもと違うものを感じた。いつもの優しさも、もちろん感じるけど、少し熱が籠っている瞳。
なんだろう、とマルコさんの気持ちを知りたくて、瞳の奥を覗こうとしていると、マルコさんが、あのよい、と声を出した。

「もう少し、触れてもいいか?」
「?…」
「キス、してもいいか?」
「あ…」

マルコさんは、すり、と親指で私の唇をゆっくりなぞった。マルコさんから、初めてそういう想いを感じて、胸の奥が疼き出す。
私が頷くまで待ってくれているようで、マルコさんは、下唇をなぞり終えると上唇に親指を移動した。
そっか。キス、できるんだ。あ、そっか。そうだよね。彼女だからね。
マルコさん、私とキスしたいと思ってくれているんだ…。

「無理にはしないよい。嫌ならそう言ってくれていいし、断られたからってお前さんと別れるつもりはない」
「あ、無理とか、ではなくて…」

親指は二周目に入り、もちろん、二杯目のコーヒーは淹れ終わっていた。

「一回だけ…と、とりあえず…」

いや、とりあえずって、なに?
自問自答しながらマルコさんを見つめていれば、親指が離れていき、代わりに柔らかいものが唇にあたる。
キスをするのだから、柔らかいものがマルコさんの唇なのは頭では分かっているけど、こんなに柔らかくて、気持ちいいなんて予想外だった。

「へへ、ありがとよい」

ゆっくり離れていくマルコさんの表情を見て、息を呑む。
見たことがないほど、嬉しそうな顔。たった一回の触れるだけのキスで、マルコさんがこんなにも可愛い表情をしてくれた。
…どうしよう、すごく幸せ。

「マルコさん、屈んでほしいです」
「…」
「屈んで?」

胸の奥の疼きが体中を駆け巡って、体が少しだけ熱くなった気がした。私の変化にマルコさんが気づいたのか、瞳が揺れている。
腕を伸ばして、もう一度、きて、とお願いすれば顔を近づけてくれた。そして、腕を首に回し、じっと待つマルコさんの唇に一回、少し離して、もう一回、唇を重ねる。
ゆっくり唇を離して、マルコさんの顔を見ようとすると、一気に抱き上げられた。見上げていた顔を見下げることになり、照明で照らされてマルコさんの顔がはっきり見えて、胸がいっぱいになる。

「マルコさん」
「ん?」

今度は、すごく幸せそうな顔をしてくれた。
あぁ、なんて綺麗な顔。

「もう一回、して、いい?」
「何回でも」

おでこにも、こめかみにも、耳にも、頬にも、鼻にも唇を落としていった。もっとマルコさんに幸せになってほしくて、私の想いが伝わるように、ゆっくりキスをし続ける。

「ん…っんぅ」

最後に唇。マルコさんの唇の感触を確かめたくて、覚えておきたくて、そっと優しく、何度も押し当てる。離れたくなくて、触れたまま、マルコさんを見つめたまま、ふにふにとしていたけど、鼻で息をするのを忘れていたから息苦しくなり唇を離す。
どうかな。マルコさん、もっと幸せになってくれたかな。
表情が見たくて顔を離そうとしたけど、マルコさんが顔を近づけてくるから分からなかった。抱き上げられているから逃げられない。

「お返し」
「んっ」

おでこに唇を落としたマルコさんは、今度はこめかみ、次は耳と、私と同じところに何度もキスをしてくれた。頬、鼻まできて、最後に唇にくれるかな、と思ったら、また、あのよい、と声をかけられる。

「痕、つけたい」

マルコさんは首筋に顔を埋めて、唇を押し当てる。三回キスをすると、マルコさんは顔を上げて私の答えを待った。
嫌なんて言うはずない。マルコさんがくれる証なら何個でもほしい。けど、服で隠せるところにしてほしい。そう返すと、嬉しそうに頷いてくれた。どこなら大丈夫かと聞かれたので、鎖骨の下あたりなら、と答えれば、すぐに顔を埋めてきた。

「んぅっ」
「ん。ついた」

痛みが走った箇所を見ようとしたけど、自分では見れない。マルコさんに見たいとお願いしたけど、後でと言われ、おでこにキスをされる。

「っ…」

唇が落とされる度にマルコさんの想いが伝わってくるから、すでに私の心は満たされ、溢れかえりそうだった。けど、マルコさんの全てを受け止めたくて、伝えてくれる想いを中へ押し込み続ける。

「んぅ」

押し込むのも限界になり飛び出しそうになった時、ちゅぅ、と鼻に長めに唇を押し当てていたマルコさんが、表情がよく見える位置まで顔を離した。
マルコさんが、愛おしそうに私を見つめてくれる。そんなマルコさんに応えたくて、私からもう一回唇にキスをすると、マルコさんも応えてくれた。

「好き」
「好きだよい」
「えへ、大好き」
「愛してる」
「へへへ、私も愛してます」
「くく、ほら、これが最後」

ほら、と優しい声で言われれば、自然と頷いてしまう。
優しく触れてくれた唇は、とても心地が良かった。離れないでほしいな、と瞳を見つめていれば、気づいてくれたマルコさんは、目を細めて、少しだけ押し付けてくれた。
何秒重なっていたのか分からないけど、離れた時には変な笑いが止まらなくなっていた。心の中はマルコさんの想いでぎっしりつまり、体中が熱くて、幸せすぎてどうかなりそう。

「えへへへへ、あはっは」
「くく、お前さん、また壊れちまったねい」
「っへへ、幸せすぎて、死にそう、っです」
「ははっ、それは困るよい」

死なないように一息つこうと、私を下ろしカップを持ってソファの方に向かうマルコさんを追いかけた。ん、と膝の上に促されたけど、いつものをやってほしかったから、あえてソファの下に座ってみる。するとマルコさんは、くつくつ笑いながら、よいしょと抱き上げてくれて、横向きに座らせてくれた。

「コーヒー冷めちまったねい」
「けど、すごく美味しいです」

マルコさんの淹れてくれるコーヒーはいつも美味しい。けど今日は、砂糖もミルクも入れていないのに、すごく甘く、特別な味がした。
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