パイナップルからはじまる恋
スマホの着信音に体が強張る。
枕元に置いてあるスマホを取ると、画面には"マルコさん"と表示されていた。それを眺めていると、着信音は十秒ほどで止んで、体の緊張が解ける。
けどすぐに、画面上にぽん、とメッセージが現れ、体がまた反応した。
"おつかれ。今日も遅いのか?"
それから始まったメッセージは何通か送られてくる。しっかり寝ているか、食事は取っているかと、マルコさんらしい心配のメッセージが続いた。
「…」
すぐにでも既読をつけて返事をしたいけど、できなかった。
マルコさんへの想いを自覚してから、電話に出ることができなくなったのだ。メッセージはできるから時間をおいて、"忙しくて気づかなかった"なんて、言い訳のようなものばかりを送り続けている。
それでも、最後にマルコさんと会ってから四日経った今日も、マルコさんは電話もくれるしメッセージもくれた。
"中華街は来週行こう。楽しみにしてる"
昨日、"土日は行けなくなった"と断りのメッセージを送った。
マルコさんへの想いが消えるまでは、会えそうになかった。マルコさんとの関係は、進展しないと分かっていても切りたくなんてない。けど、今の状態でマルコさんに会ったら何を言ってしまうか分からないから、ご飯係なのだと割り切れるまでは会えなかった。実家でも会えないから、両親にもしばらくは帰れないと連絡した。
「けど、このまま反応悪いのが続くと、切られちゃうかな…」
他にも相手がいるのだから、私を切ったところで支障はないはず。
早く電話をできるようになって、マルコさんの家にも行けるようにならないと。
眺めていた画面は暗くなり、しばらくしても光らなかったから枕元にスマホを置く。けどまたスマホが震えて、誰かから連絡が来た。画面を見て、今度は、躊躇いなく応答ボタンをタップする。
『おつかれ』
「おつかれ、どうしたの?」
『合コン行くって聞いたから、どうしたのかと思って』
アスカは本当に聡すぎる。
心配してくれているのか、ただの好奇心なのか…きっと、前者。彼女に隠したところですぐにバレてしまうから、全てを一から順番に話す。するとアスカは、驚く様子はなく、酷いくらい冷静だった。
『あんたそれ、聞いてないんでしょ?』
まだ憶測の域を出ていない、と断定した。
『マルコさんが言ったの?"お前はただのご飯係だって"』
「言ってない」
『"他にも同じような相手がいる"とは?』
「言ってない」
『言ってないなら、断定するの早くない?』
「けど…」
テーブルに置かれている、可愛いアデニウム・オベスムを見ながら、これまでのことをもう一度、思い返す。
四週連続で包丁の位置が違っていて、一度、脱衣室にはマルコさんと並んで歩いていた綺麗な女性のピアスが置いてあった。そして、私は土曜日の夕方からしか駄目。ということは、それは憶測の域を超えたようなもの。
私はそう思うけど、アスカは憶測だと言い張った。私が伝えた全ては確定できるものではないし、そもそも直接聞いたわけでもないのだから、と。
「けど、体の関係を求めてこないってことは女として見てないってことでしょ?」
『それは分からないわよ』
頭や頬を撫でてもらうし、膝の上に座らせてもらうし、抱き上げてももらう。これだけマルコさんと触れ合っていて、それらしいことが一度もなかった。考えてみれば、それも、私をただのご飯係だと思っている理由になる。
『何よりも大事にしたいって人もいるよ。ナオもそう』
「愛されてるね」
『うふふ。私、愛されてるの』
「…いいなぁ」
『十分愛されてると思うけど』
「パパ活感覚だよ」
『拗らせてるわねぇ』
スピーカー越しでも分かるほど、アスカは呆れていた。ほぼ一か月、特にここ数日はぐるぐると答えの出ないことを考えてしまって、経験がないほどネガティブになっている。
『それで合コン行って、マルコさん以外の人を探そうって?』
「マルコさんのご飯係を続けられるように、彼氏作ろうかなって」
『勢いで変な男と付き合ったりしないでよ?てか、先にやることあるでしょ』
先にやることとは、マルコさんから直接話を聞くこと。けど、好きだと自覚してしまったから、どんな言葉も受け止められる自信がなくて、聞くことができない。
『まぁ、あんたが決めたことなら別に良いけどさ。世の中、マルコさん以外にも良い人いる…あー、いや、この先、いないかも』
「え、いないの?」
そこは、いるとはっきり言ってほしかった。
私にマルコさんしかいないのなら、一生彼氏ができない。それだと、マルコさんに二度と会えない。
『会ったことないけど、あんた相手にここまで長い期間耐えてるってことは相当よ。年の功ってのもあるかもしれないけど』
「耐える…って何を?」
『うーん、色々と?』
いつもはっきり物を言うアスカにしては、珍しく曖昧な答えだった。
マルコさんは、私に対して何を我慢しているのだろう?食べることが好きだから、もっとご飯が食べたいとかかな。けど、ご飯係は他にもいるからそれはないか。
『日曜日、空いたならちょっと付き合ってよ』
「いいよ。どこ行きたいの?」
アスカは、家具屋に行って、今度はベッドを見たいそう。ダブルサイズかクイーンサイズかと悩むアスカに、ナオさんはマルコさんほど大きくないからダブルでもいいのではと答えると、サイズを大きくしたいのには理由があると教えてくれた。
『二人して腕を広げて寝るのよね』
「それだと、一緒に寝る時、手が当たって起きたりしないの?」
『するする。顔に当たった時なんてめっちゃ痛いよ』
二人の大胆な寝方を想像したら、面白くなって笑ってしまい、アスカもつられて笑っていた。それから、今日起こった面白い話を聞かせてもらい、気持ちが少し軽くなって自然と眠りにつく。
"おやすみ。明日、連絡待ってる"
そのメッセージと、ベッドで眠るパイナップルのスタンプに気づいたのは、翌日の朝だった。
◇ ◇ ◇
テーブルの向いには、三人の男性が座っている。教員、弁護士、銀行員と、聞いていた通り堅い仕事をされていて、年齢は全員五つか六つ上。三人共落ち着いてはいるけど、盛り上げるのが上手くて会話は途切れない。
「旅行が趣味なんだ?最近はどこか行った?」
「二ヶ月前に海外に行きましたよ」
「いいね!海外は最近行ってないな」
自己紹介から始まった合コンは、仕事の話が終わると、誘ってくれたスタイルさんの趣味の話になった。スタイルさんは旅行好きで国内外飛び回るから、話題がぽんぽん出てくる。
女性陣は、私と誘ってくれたスタイルさんと、スタイルさんの会社の後輩さん。後輩さんの趣味は料理。特にお菓子を作るのが好きなようで、最近はホールケーキを作ったと写真を見せてくれた。それがパティシエが作ったのではないかと思うほどの出来栄えで、ハマってしまうと凝りすぎるところが悩みだと、後輩さんは照れ臭そうに笑う。
「料理といえば、彼女も得意なんですよ」
「そうなんだ。得意料理は?」
「得意料理なんてないんですよ。本当すごくて、何でも作れるんです。ね?」
「はい。リクエストくれれば大概作れますよ」
「何も見ずに?」
「はい。…あ、けど変わった料理は調べちゃうかもです」
「すごいね!なら今度、唐揚げ作ってくれない?」
唐揚げが死ぬほど好きだと笑う弁護士の男性に笑いかけながら、頭では全く違うことを考えていた。
唐揚げは、マルコさんに食べてもらったことがない。前に唐揚げは重たいかと聞いた時は、食えると言っていたから、作ったら美味い、と食べてくれるといいな。
今度──が、いつになるかは分からないけど。
"ん。美味い"
もくもくと唐揚げを食べたマルコさんは、ん、と私にも唐揚げを食べさせようとする。唐揚げは一口では難しいから、何回か食べさせてもらうことになりそう。二人でもぐもぐしながら、美味しいですね、美味いねい、と笑い合う時間は幸せだろうな。
「…ちょっと、ぼーっとしてどうしたの?お酒回った?」
「飲まない方が良かったかな。大丈夫?」
一人で妄想を繰り広げていると、話題はいつの間にか彼女彼氏いない歴に代わっていて、答えていないのは私だけだった。
「あ、えっと…私は一年ぐらいいないです」
本当はもう少し長い期間いないけど、適当に一年と答えた。すると二人の男性はそうなんだ、と特に深掘りをせず、スタイルさんと後輩さんに違う話題を振る。
「本当に彼氏いないの?」
私の向かいに座る銀行員の男性だけが、話に食いついてきた。
彼はスタイルさんがアプリで知り合った人。四人が盛り上がっているところに参加をせず、じっと私の目を見つめていた。
彼氏がいないから合コンに来るのであって、いたらここにいない。そう答えれば、彼はそれはそうだと笑った。
「そうだよね。変なこと聞いてごめん」
「彼氏いたら出会いなんて求めないですよ」
「こんな可愛いのに、もったいない」
「ふふ、ありがとうございます。今日、張り切っちゃったので嬉しいです」
「そうなの?張り切らなくても全然可愛いと思うけどな」
「本当ですか?」
お世辞でも面と向かって可愛いと言われたのはいつぶりだろう。あまりに恥ずかしげもなく言ってくれるので照れ臭く、視線を下げて料理を取る。
可愛い、は、マルコさんに言われたことないな。
どうして今、そんな事を思ったのかは自分でも分からなかった。そもそもご飯係の私に、可愛いなんて言うわけはないけど。
「どんな人がタイプなの?芸能人で言うと誰?」
「そうですね…」
マルコさんみたいな可愛い大柄の人が、ぱっと思いつかなくて視線を彷徨わせる。けど数秒して、我に返った。
私はマルコさんへの想いを消そうとしてるんだから、マルコさんみたいな人じゃ駄目だ。むしろ真逆の、小さくて可愛くない人を言わないと。
必死に頭を働かせても小さくて可愛くない人は出てこなかったから、細身のイケメン俳優を答えれば、彼は確かにカッコいいよね、と話を広げてくれた。
「この後まだ時間ある?二軒目行こう」
「いいですね」
「私も行きたいです!」
「ここら辺に良い店あったか?」
銀行員の彼と二人で話していたら、いつの間にか二軒目の話になっていた。お酒を一杯飲んでいるから、今日はもう遠慮したい。スタイルさんに伝えれば、いいよいいよと笑ってくれて、後輩さんはまた、と可愛い笑顔を向けてくれた。
男性陣が多めに払ってくれたのでお礼を言い、二軒目へ向かう彼女達に背を向けて歩こうとすると、手を後ろに引っ張られる。
「あのさ。連絡先、教えてくれない?」
後ろを見れば、銀行員の彼がスマホを見せてきた。
「私ですか?」
「うん、そう…他にいる?」
彼の後ろを見れば、四人の姿はもう小さくなっていた。二軒目に行かないのかと尋ねると、俺も帰るのだと、彼は私の手を取ったまま駅の方へ歩き出す。
視線を下に向けると、すらっと長い指が私の手を包んでいた。私よりは大きいけど、マルコさんほどではない手。マルコさんの手はもっと骨ばっていて、私の手をすっぽり覆ってしまうほど大きい。何よりも、本当に温かくてずっと繋いでいたくなる。
「…手、綺麗ですね」
「そう?特に手入れはしてないよ」
頭の中のマルコさんを追い出そうと、彼の手に意識を向けた。繋がれたままの手は、心地いいかは分からないけど、気持ち悪いとは感じない。
顔を上げれば、また彼と目が合った。じっと私を見つめる目はすごく真剣で、逸らすことができない。
「あのさ、来週空いてる?」
「えっと…はい」
「ならご飯行こう?どうかな?」
彼はぐいぐい来るのに嫌な感じがしなかった。
この人となら、ご飯行くのいいかも。
好きなもの、嫌いなもの、行きたい店。色んなことを聞かれながら駅まで歩き、連絡先も交換すると、彼は気をつけてと私の手を離した。
「また連絡するね。今日はありがとう」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
電車に乗って、スマホを開くと未読のメッセージがあった。
"選んでくれたやつが届いた"
私が選んだフィカス・ウンベラータは、マルコさんの車では運べなかったから、店に配達を依頼した。それが今日届いたよう。
送られてきた写真には、フィカス・ウンベラータとフラワースタンドに並べられた多肉植物とパイナップルコーンが写っていた。マルコさんへの想いに気づいていなかったら、今日、マルコさんの家で見れていたはずのもの。フラワースタンドは、ガーデンセンターでマルコさんが買ったものだ。
スタンドに楽しげに並べる姿、見たかったな。
一緒に、どこに置こうか悩んだり、したかったな。
「可愛い…」
◇ ◇ ◇
"今日、こんなの見つけた"
"なんですか?それ"
銀行員の男性、シュウさんとはやり取りが続いた。
彼は色んな趣味を持っているようで、毎日新しい話題を振ってくれて、今日もやりとりをする。
ベッドに座って、シュウさんから送られてきた画像を見ていると、ぽんと画面上に何かが表示された。シュウさんからだと押せば、画面は違うものに変わる。
"今週も忙しいか?"
スマホを持つ手が、一瞬止まった。
既読をつけてしまったから、無視ができない。キーボードに指を当て、"こんばんは"とか、"今週も忙しいんです"と打とうとするけど、文章が決まらなくて送信まで辿り着けない。何か送らないとと、何回もキーボードを叩いていると、突然、画面が変わって、指はキーボードを叩く勢いで応答ボタンを押していた。
『おつかれさん』
十日ぶりに聞いた優しい声は、体の奥底にまで響き、想いが一気に込み上げてきた。無理矢理抑えつけて、見えなくなりそうだったのに、たった一声で全てが解き放たれ、目尻が熱くなる。
「こんばんは」
『ん。仕事は落ち着いたのか?』
「えっと…まだ、なんですけど…」
今日は少し早く帰れた、と答えると、そうか、とマルコさんが返してくれた。
そしていつものように、ご飯は食べたのか、お風呂は入ったのか、と心配してくれるので、ご飯は食べたけどお風呂はまだだ、と答える。
『なら、風呂終わったら電話くれるか?』
「え?」
『電話、久しぶりだろい?もう少し、声が聞きたい』
駄目か、と少し寂しそうな声に、スマホを持つ手に力がこもる。
本当は、お風呂も終わっていた。けど、これ以上声を聞いていたら、"会いたい"とか、"好き"とかが声に出てしまうから、切るための口実を作っただけ。
なかなか返事をしない私を、マルコさんは静かに待ってくれていた。向こうからは何の音もしなくて、マルコさんが今、家にいるのか、職場にいるのか、ホテルにいるのか、全く分からない。
「ごめん、なさい」
絞り出した声はひどく潤んでいて、きっとマルコさんにも伝わっている。
「疲れてて、すごく眠たくて…」
『…』
「…ごめんなさい」
もっと声が聞きたいし、会いに行きたい。けどまだ、声を聞いただけで胸がこんなにも苦しくなってしまうから、マルコさんを困らせるだけだ。
何に対しての謝罪なのかは分からないけど、私は何度も謝っていた。次第に声が小さくなって、途切れ途切れになり、最後には声が出ていなかった。
『…すまん。疲れてるのに』
悪かった、と言うマルコさんの声が、胸に突き刺さる。
マルコさんの方が疲れてるだろうに、避け続けている私に毎日連絡をしてくれることが、嬉しくて、苦しい。
『また連絡する。ゆっくり休めよい?』
「はい…」
ぷつ、と切れた画面をしばらく眺めていると、真っ暗になった。
「…え?」
いつまで経ってもスマホは震えないし、画面は明るくもならない。
いつもなら既読がつかなくても、"おやすみ"とパイナップルが眠るスタンプを送ってくれるのに。
「っ…」
もしかして、今の反応が悪かったから、切られちゃう?
そう思った瞬間、指は勝手に文字を打っていた。
"本当にごめんなさい"
指を止めて数秒待つけど、メッセージに既読がつかない。
一秒経つ度に、鼓動が大きくなり、息苦しくなった。
"電話嬉しかったです"
"ただ本当に仕事が忙しくて、疲れてて"
"遅くなるかもしれないですけど、返事します"
"落ち着いたらまた一緒にご飯作りたいです"
早くマルコさんへの想いを消して、電話したり家に行かないと、切られてしまう。
早くご飯係に戻れるようにならないと。
指がキーボードを強く叩き、何通もマルコさんへ送っても、一向に既読がつかなかった。
"今度、唐揚げ作りたいんです。食べてくれますか?"
"パイナップル使った料理もたくさん作りたいんです"
"途中になってる映画も、一緒に最後まで観たいです"
ホットプレートもたくさん使わないといけないし、届いた観葉植物もまだ見ていない。
何より、まだ私は、マルコさんに包丁の使い方を教えていない。
避けてるのは私の方だから、切られて当然。急にこんなにたくさんのメッセージを送ったら、マルコさんに気持ち悪がられるかもしれない。けど、送らずにはいられなかった。
電話が切れてからまだ十分も、もしかしたら五分も経っていないのかもしれない。その間に私は、一体いくつのメッセージを送ったのだろう。
「っ、切らないで」
切らないで、切らないで、と両手でスマホを持って、文字を送り続けていると、全てのメッセージに既読がついた。それを見て、あっ、と声が出る。
"分かった。待ってる"
だからゆっくり休め、とパイナップルがよしよししてくれる可愛いスタンプが送られてきて、ようやく私の指は止まり、息を吐く。
"落ち着くまで待ってるから"
唐揚げも、パイナップルの料理も、映画も、ホットプレートも、全部やろう。
そのメッセージを見て、手の力が抜けた。
"おやすみ"
パイナップルが眠るスタンプがぽん、と現れ、それ以降は何も送られてこなかった。けど、いつもと同じ終わり方なだけで、安心できる。
良かった、私の席はまだあるんだ。
可愛いスタンプをずっと見ていたくて、画面が暗くなる度に、指で触れる。すると、画面上にメッセージが現れた。
"土曜日、ここはどう?"
どこかの店のURLと共に送られてきたシュウさんからのメッセージを開き、私は、URLを開くこともせず、"行きたいです"と返事をしていた。
◇ ◇ ◇
「こんばんは」
「本当ごめん」
「大丈夫ですよ」
土曜日の夜、乗っていた路線のダイヤが乱れ、待ち合わせ時間から十五分遅れてシュウさんは来た。
シュウさんが誘ってくれたのはイタリアンレストラン。コースにしようと決めていたけど、メイン料理は選べるので、メニュー表を見て魚介リゾットに決めた。
「お酒は飲まなくて大丈夫だからね」
シュウさんは一杯目からソフトドリンクで大丈夫だと、飲み物のメニュー表を差し出してくれた。シュウさんは酒が好きなようだったから、私に遠慮せずに好きに飲んでもらう。
「この動画知ってる?最近ハマっててさ」
「あ、それ、職場の人が教えてくれました。耳に残っちゃいますよね」
「そうそう。会議中に思い出して、怪しまれたよ」
前菜から始まったコースは、どれも美味しかった。メイン料理は、シュウさんがシェアしようと言ってくれたので、トマトのクリームパスタも頂いた。もちもちの自家製生パスタは美味しくて、リゾットよりもパスタにした方が良かったかな、と少し後悔した。
「ご馳走様でした」
「いえいえ」
店を出た時は二十二時半を過ぎていた。これからどうするのかとシュウさんを見れば、笑顔でお腹に空きはあるかと尋ねられる。
「デザート食べに行かない?」
今もデザートを食べたけど、よく行くバーにも美味しいケーキがあるからと誘われた。ケーキを食べるお腹の余裕はあるし、せっかく誘ってくれたから行ってみたい。是非と頷けば、シュウさんが駅とは違う方向に歩き出したので着いて行く。
何のケーキが美味しいのか聞いたけど、お楽しみだと言われてしまった。ガトーショコラとかチーズケーキかな、と想像していると、ふと、遠くに見覚えのある姿が見えて足が止まる。
「ぁ」
二週間会っていない人が、あの女性と肩が触れそうな距離で仲良く歩いていた。二人は私の方へ歩いてきていて、このまま歩き進めると、気づかれる。
「どうしたの?」
「あ、いえ…っ」
あの電話以降、マルコさんからは電話が来なかった。メッセージも少なくなって、今週も行けそうにないと連絡すれば、"分かった"とだけ返事が来たのだ。
私が行かないから、あの女性と金曜日の夜から日曜日の夜まで、もしかしたらそれ以上の時間を過ごしているかもしれない。
私の席は、もうないのかも。
マルコさんと女性の姿が大きくなるにつれて、色んな焦りがつのり、シュウさんが話しかけてくれても頭に入ってこない。すると、すり、とシュウさんが指を絡めてきた。
「ほら、こっちこっち」
「え?」
シュウさんは近道だと違う通りに向かって歩き出した。裏道のような細い道も通り、五分もかからずに着いたのはビルの一階にあるダイニングバー。イゾウさんのお店とは違って、すごく明るく人も多かった。
天井にはシャンデリアがあり、月に数回、イベントがあるらしく、その時の混雑具合はすごいとシュウさんが教えてくれる。
シュウさんは、席に案内されるとすぐに注文をした。そして、出てきたのは飲み物とチョコレートケーキ。私の分の飲み物も出てきたのには驚いてしまい、念のためアルコールが入っているのかを尋ねた。
「そんなことしないよ。これ、紅茶だから」
シュウさんがグラスを上げたので、今日二回目の乾杯。
口につける程度に飲んでみると、本当にアルコールは感じなかった。少しコーラの味もするけど美味しくて、疑ってしまったのが申し訳なくなる。チョコレートケーキも本当に美味しく、シュウさんは、私が気に入ったことに、ほっとしていた。
「そうそう、来週、ここ行かない?」
「どこですか?…え、これどこですか?」
「はは、どこだと思う?」
紅茶とチョコレートケーキが美味しいからなのか、シュウさんとの会話が楽しいからなのか、体が次第に温かくなっていた。まだ会って二回目だから、緊張から体が熱くなるのも不思議ではない。けど、紅茶を一杯飲んだ頃には、体が信じられないほど熱くて、頭も少しふわふわしていた。
「シュウさんは本当に色んなこと知ってるんですね。一緒にいて楽しいです」
「本当?なら、俺と付き合わない?」
オレトツキアワナイ?
何を言われたのかが分からなくて、しばらく考えてしまった。けど、どれだけ考えても、どうしてか状況が理解できない。
「唐突すぎたかな。ごめんね」
「いえ…」
反射的に、いえ、と言ったけど、まだ分かっていなかった。
シュウさんは、ごめんと謝ると、手を首に当てながらもう一度、付き合わないかと私をまっすぐ見る。そのシュウさんの目は、何かを期待しているようだった。
「少しでも俺のこといいな、と思ってくれてるならどうかな?」
お試しでも大丈夫だと、前にも聞いたことがある台詞を言われ、告白されているのだとようやく理解する。
そっか、シュウさんは私のことをいいな、と思ってくれてるんだ。シュウさんといるのは楽しいから、お試しでいいなら。
それになによりも、シュウさんと付き合って、マルコさんの想いを消せたら、マルコさんに会える。早く会わないと切られてしまう。待ってるとは言ってくれたけど、あの女性がいるから、私をいつ切ったってマルコさんが困ることはない。
私は、自分に言い聞かせるように何度も頷いた。
「本当?」
「はい。けど…ま、だ」
「うん、いいよ。好きになってもらうように頑張るから」
そう言ったシュウさんは私の手を取って、すり、と指を絡めてきた。それに応えようと力を込めれば、人差し指で手の甲を撫でられる。
その仕草は、すごく優しいはずなのに、何かが可笑しい気がした。
あの骨ばった大きな手がしてくれるような温かいものではなくて、何か違うものを含んでいるような気がする。不思議に思ってシュウさんを見れば、ん?と首を傾げられたので、なんでもない、と首を横に振った。
「お待たせしました」
違和感がなんだか分からなくて握られた手を眺めていると、店員が二つのグラスを持って来てくれた。けど、今回も私は何も頼んでいない。
シュウさんがグラスが空になりそうだったから紅茶を頼んでおいたと、気を遣ってくれたようだった。けど、
「…あ、の、」
「どうしたの?」
これは、本当に紅茶なの…?
イタリアンレストランではお酒を飲んでないし、この店でも紅茶を飲んだだけ。なのに、私の体はお酒を飲んだ時と同じか、それ以上のふわふわ感と眠気と、体の熱さを感じる。
「アイスティだよ。ほら、せっかく頼んだから飲んで」
シュウさんがグラスを私の方へ差し出すので、咄嗟に受け取った。ほら、と目を細めながら優しく促すので、頼んでくれたから飲まないとと、グラスを傾ける。二口ぐらい飲んでグラスを置こうとすると、すぐにシュウさんが飲んで、と私を促した。それに素直に頷いて、半分ぐらいを一気に飲む。それからまたすぐに、シュウさんがほら、と言うので、グラスを置こうとした手は口の方へ行き、全て飲み干した。
「行こっか」
「あ、…は、い」
美味しいからすいすい飲めちゃったでしょ?と笑うシュウさんを見て、熱い体に、悪寒が走った。
あまり感じたことがない視線だった。私を、私の体を、舐め回すような視線。
…そう言えば、アイスティの名前がついたカクテルがあったような気がする。マルコさんとイゾウさんが、教えてくれた。確か、
「ろ、んぐあいらんど…あいすてぃ」
"バーに行きたくなったら俺も行くよい。それかこの店だけにしておけ、イゾウがいる"
「…あ、の…すいません、」
「大丈夫?」
「だ、いじょうぶ」
頭の中で大きな音が鳴り響き、必死に体に訴えかけていた。それに応えるように、テーブルに手をついて立ち上がったけど、足に力が入らなくて崩れ落ちてしまう。シュウさんが慌てた様子で支えてくれるけど、支えてくれる手は私の腰を何度も撫で、体を押し付けられる。
「お、かね」
「いいよいいよ。払ったから」
一緒に行こうと、支えられたまま店の外に連れて行かれた。そして、シュウさんは軽い足取りで歩き出す。
"帰る"ではなくて、"行く"と言ったシュウさんは、私を連れて行くつもりだ。何処へ、なんて聞かなくても、流石に分かる。もちろん、これから私がされることも。
マルコさんが言っていた通り、私はそういう人だったんだなぁ。
ぼんやりした頭でそう考えながら、力の入らない体で抵抗をしてみるけど、そんなのは無駄だった。そもそも素面の時でも、男性相手に無理矢理されれば抵抗できないのだから、こんな状態では到底無理。
「わ、たし、かえ、」
「そんな状態じゃ一人で帰れないでしょ?ほら、行くよ」
二十度を超えたアルコールを二杯も飲まされた体は、ほとんどシュウさんに運ばれていた。どこに行こうかなと、これからヤるのが楽しみなのか、シュウさんは本性を隠しきれていない。
「…ま、るこさん」
「誰それ?大丈夫大丈夫。付き合ってるんだから、するの当然じゃん?それに未経験じゃないでしょ?」
むしろ経験豊富そうだと笑うシュウさんの声は、聞いていられないほど気持ち悪かった。
私は未経験ではないけど、経験豊富ではない。付き合ってすぐにするのは、未経験。付き合っているのだからするのは可笑しくない、と言うシュウさんの言葉は可笑しくない。けど、それは同意の上での話、だと思う。
「…」
マルコさんに会いたいだけなのに。いい人だと思って、焦って頷いたのがいけなかったな。けどたぶん、頷かなくても二杯も飲んだから結果は同じかも。それに、私もシュウさんを利用しようとしたから、シュウさんを一方的には責められない。
「…っ」
マルコさんが気をつけろと言ってくれたのにな。もし、これを知ったら、マルコさんは本当に私を切ってしまうかもしれない。
観葉植物、見たかったな。マルコさんと映画見たかったな。マルコさんと料理を作りたかったな。マルコさんに食べてもらいたいものがたくさんあったのにな。マルコさんに包丁の使い方、教えてあげたかったな。
…自業、自得だなぁ。
抵抗する気はもうなくて、店を決めたシュウさんがニタニタと笑っているのを眺める。
せめて、痛くないといいな。逃げられないのだから、せめてそれくらいのことは願わせてほしい。
顔を下に向けて、ぼんやりとアスファルトの道を眺めていると、店の前に着いたのか動きが止まった。けど、シュウさんの動く気配がない。顔を上げてみると、私がいるのは店の前ではなく路上の真ん中だった。そしてシュウさんは、目を見開きながら私のさらに上を見ている。
「失礼」
突然、声がしたと思ったら、私は後ろへ引っ張られ、誰かの腕の中に収まった。そして、すごく安心できる、いいにおいがした。その人の胸に顔を埋めれば、力強く抱きしめられる。
シュウさんは、二メートル超えの大男に驚いて、しばらく反応できていなかった。そんなシュウさんに、二メートル超えの人、マルコさんが、貴方は誰だと尋ねる。
「え?彼氏ですが」
「彼氏?」
マルコさんは私を、日曜日の夜に車まで運ぶ時のように抱き上げた。そして私の顔を覗き込んで、すぐにシュウさんを見る。
「彼女相手にすることとは思えませんけど」
「えぇ。俺もそう思います。けど彼女、お酒弱いのにカクテル飲むって聞かなくて」
だから介抱しているのだと、シュウさんはマルコさんに私を渡すように促す。けど、マルコさんは全く応えようとせず、腕の力を強めるだけだった。
「介抱するのなら、ここを歩いてるの可笑しくないですか?」
「この道が近いんですよ」
「そうですか」
「はい。だから、彼女を返してくれませんか?ほら、おいで」
"ほら、おいで"
同じ言葉でもこんなに感じ方が違うんだなと、ぼんやりシュウさんを見ながらそう思った。その言葉を言われても体は全く動かなくて、むしろ、今抱いてくれている人から離れたくなかった。
「まるこさん」
「ん?」
「おうち、いきたい」
マルコさんのお家に行きたい。マルコさんと一緒に寝たい。マルコさんにぎゅって抱きしめてほしい。
マルコさんの首に腕を回して、今出せる精一杯の力で抱きつけば、マルコさんが、いいよい、と優しい声で応えてくれた。
「彼女もこう言ってますので、後は私に任せてください」
「は?」
マルコさんは酔ってる私を気遣って、揺れないように、けど、早足で歩いた。
後ろからシュウさんが何か言いながら追いかけて来て、マルコさんに私を渡すように何度も言う。けど、マルコさんは全く相手にしない。
「もしかして、この子と寝たことある?なら、三人でどう?この子、絶対に素質あるよ」
シュウさんは、俺は見る目があるから、とマルコさんが聞いてもいないことを話し出した。マルコさんは体が大きいから大変だとか、私の体力が持つだろうかとか、人に襲われてるところを見てみたいだとか、全く口が減らない。
そんな話を聞いても、マルコさんの歩みは止まらなかった。
「一回でいいからヤらせてくださいよ。せっかく酔い潰したのに勿体ねぇ」
相手にされないことに苛立ったのか、口調が荒くなったシュウさんは、どれだけヤっても記憶に残らないように酔い潰したのだからヤらないと損だ、と吐き捨てた。
その言葉に、マルコさんの足がようやく止まる。
「いい加減にしろ」
シュウさんはマルコさんの動きに反応ができなくて、マルコさんよりも数歩先で慌てて止まっていた。
「ハッキリ言わねぇと伝わらねぇのか?」
マルコさんは冷酷な目でシュウさんを見下ろした。
その声は、聞いたことがないほど低く、冷たい。饒舌だったシュウさんは一瞬で口を閉じ、体を震え上がらせていて、向けられていない私ですら体が強張ってしまう。
「ん?あ、すまん」
そんな私に気づいたマルコさんは、いつもの優しい顔で私を見て、微笑んでくれた。その表情を見て、体の緊張がすぐに解ける。
「大丈夫。寝ていいよい」
おやすみ、と声をかけられると、魔法にかかったように意識が遠のいていく。
「未遂だから大人しく帰ろうとしてんだ。いいか?二度と面、見せんじゃねぇぞ」
枕元に置いてあるスマホを取ると、画面には"マルコさん"と表示されていた。それを眺めていると、着信音は十秒ほどで止んで、体の緊張が解ける。
けどすぐに、画面上にぽん、とメッセージが現れ、体がまた反応した。
"おつかれ。今日も遅いのか?"
それから始まったメッセージは何通か送られてくる。しっかり寝ているか、食事は取っているかと、マルコさんらしい心配のメッセージが続いた。
「…」
すぐにでも既読をつけて返事をしたいけど、できなかった。
マルコさんへの想いを自覚してから、電話に出ることができなくなったのだ。メッセージはできるから時間をおいて、"忙しくて気づかなかった"なんて、言い訳のようなものばかりを送り続けている。
それでも、最後にマルコさんと会ってから四日経った今日も、マルコさんは電話もくれるしメッセージもくれた。
"中華街は来週行こう。楽しみにしてる"
昨日、"土日は行けなくなった"と断りのメッセージを送った。
マルコさんへの想いが消えるまでは、会えそうになかった。マルコさんとの関係は、進展しないと分かっていても切りたくなんてない。けど、今の状態でマルコさんに会ったら何を言ってしまうか分からないから、ご飯係なのだと割り切れるまでは会えなかった。実家でも会えないから、両親にもしばらくは帰れないと連絡した。
「けど、このまま反応悪いのが続くと、切られちゃうかな…」
他にも相手がいるのだから、私を切ったところで支障はないはず。
早く電話をできるようになって、マルコさんの家にも行けるようにならないと。
眺めていた画面は暗くなり、しばらくしても光らなかったから枕元にスマホを置く。けどまたスマホが震えて、誰かから連絡が来た。画面を見て、今度は、躊躇いなく応答ボタンをタップする。
『おつかれ』
「おつかれ、どうしたの?」
『合コン行くって聞いたから、どうしたのかと思って』
アスカは本当に聡すぎる。
心配してくれているのか、ただの好奇心なのか…きっと、前者。彼女に隠したところですぐにバレてしまうから、全てを一から順番に話す。するとアスカは、驚く様子はなく、酷いくらい冷静だった。
『あんたそれ、聞いてないんでしょ?』
まだ憶測の域を出ていない、と断定した。
『マルコさんが言ったの?"お前はただのご飯係だって"』
「言ってない」
『"他にも同じような相手がいる"とは?』
「言ってない」
『言ってないなら、断定するの早くない?』
「けど…」
テーブルに置かれている、可愛いアデニウム・オベスムを見ながら、これまでのことをもう一度、思い返す。
四週連続で包丁の位置が違っていて、一度、脱衣室にはマルコさんと並んで歩いていた綺麗な女性のピアスが置いてあった。そして、私は土曜日の夕方からしか駄目。ということは、それは憶測の域を超えたようなもの。
私はそう思うけど、アスカは憶測だと言い張った。私が伝えた全ては確定できるものではないし、そもそも直接聞いたわけでもないのだから、と。
「けど、体の関係を求めてこないってことは女として見てないってことでしょ?」
『それは分からないわよ』
頭や頬を撫でてもらうし、膝の上に座らせてもらうし、抱き上げてももらう。これだけマルコさんと触れ合っていて、それらしいことが一度もなかった。考えてみれば、それも、私をただのご飯係だと思っている理由になる。
『何よりも大事にしたいって人もいるよ。ナオもそう』
「愛されてるね」
『うふふ。私、愛されてるの』
「…いいなぁ」
『十分愛されてると思うけど』
「パパ活感覚だよ」
『拗らせてるわねぇ』
スピーカー越しでも分かるほど、アスカは呆れていた。ほぼ一か月、特にここ数日はぐるぐると答えの出ないことを考えてしまって、経験がないほどネガティブになっている。
『それで合コン行って、マルコさん以外の人を探そうって?』
「マルコさんのご飯係を続けられるように、彼氏作ろうかなって」
『勢いで変な男と付き合ったりしないでよ?てか、先にやることあるでしょ』
先にやることとは、マルコさんから直接話を聞くこと。けど、好きだと自覚してしまったから、どんな言葉も受け止められる自信がなくて、聞くことができない。
『まぁ、あんたが決めたことなら別に良いけどさ。世の中、マルコさん以外にも良い人いる…あー、いや、この先、いないかも』
「え、いないの?」
そこは、いるとはっきり言ってほしかった。
私にマルコさんしかいないのなら、一生彼氏ができない。それだと、マルコさんに二度と会えない。
『会ったことないけど、あんた相手にここまで長い期間耐えてるってことは相当よ。年の功ってのもあるかもしれないけど』
「耐える…って何を?」
『うーん、色々と?』
いつもはっきり物を言うアスカにしては、珍しく曖昧な答えだった。
マルコさんは、私に対して何を我慢しているのだろう?食べることが好きだから、もっとご飯が食べたいとかかな。けど、ご飯係は他にもいるからそれはないか。
『日曜日、空いたならちょっと付き合ってよ』
「いいよ。どこ行きたいの?」
アスカは、家具屋に行って、今度はベッドを見たいそう。ダブルサイズかクイーンサイズかと悩むアスカに、ナオさんはマルコさんほど大きくないからダブルでもいいのではと答えると、サイズを大きくしたいのには理由があると教えてくれた。
『二人して腕を広げて寝るのよね』
「それだと、一緒に寝る時、手が当たって起きたりしないの?」
『するする。顔に当たった時なんてめっちゃ痛いよ』
二人の大胆な寝方を想像したら、面白くなって笑ってしまい、アスカもつられて笑っていた。それから、今日起こった面白い話を聞かせてもらい、気持ちが少し軽くなって自然と眠りにつく。
"おやすみ。明日、連絡待ってる"
そのメッセージと、ベッドで眠るパイナップルのスタンプに気づいたのは、翌日の朝だった。
◇ ◇ ◇
テーブルの向いには、三人の男性が座っている。教員、弁護士、銀行員と、聞いていた通り堅い仕事をされていて、年齢は全員五つか六つ上。三人共落ち着いてはいるけど、盛り上げるのが上手くて会話は途切れない。
「旅行が趣味なんだ?最近はどこか行った?」
「二ヶ月前に海外に行きましたよ」
「いいね!海外は最近行ってないな」
自己紹介から始まった合コンは、仕事の話が終わると、誘ってくれたスタイルさんの趣味の話になった。スタイルさんは旅行好きで国内外飛び回るから、話題がぽんぽん出てくる。
女性陣は、私と誘ってくれたスタイルさんと、スタイルさんの会社の後輩さん。後輩さんの趣味は料理。特にお菓子を作るのが好きなようで、最近はホールケーキを作ったと写真を見せてくれた。それがパティシエが作ったのではないかと思うほどの出来栄えで、ハマってしまうと凝りすぎるところが悩みだと、後輩さんは照れ臭そうに笑う。
「料理といえば、彼女も得意なんですよ」
「そうなんだ。得意料理は?」
「得意料理なんてないんですよ。本当すごくて、何でも作れるんです。ね?」
「はい。リクエストくれれば大概作れますよ」
「何も見ずに?」
「はい。…あ、けど変わった料理は調べちゃうかもです」
「すごいね!なら今度、唐揚げ作ってくれない?」
唐揚げが死ぬほど好きだと笑う弁護士の男性に笑いかけながら、頭では全く違うことを考えていた。
唐揚げは、マルコさんに食べてもらったことがない。前に唐揚げは重たいかと聞いた時は、食えると言っていたから、作ったら美味い、と食べてくれるといいな。
今度──が、いつになるかは分からないけど。
"ん。美味い"
もくもくと唐揚げを食べたマルコさんは、ん、と私にも唐揚げを食べさせようとする。唐揚げは一口では難しいから、何回か食べさせてもらうことになりそう。二人でもぐもぐしながら、美味しいですね、美味いねい、と笑い合う時間は幸せだろうな。
「…ちょっと、ぼーっとしてどうしたの?お酒回った?」
「飲まない方が良かったかな。大丈夫?」
一人で妄想を繰り広げていると、話題はいつの間にか彼女彼氏いない歴に代わっていて、答えていないのは私だけだった。
「あ、えっと…私は一年ぐらいいないです」
本当はもう少し長い期間いないけど、適当に一年と答えた。すると二人の男性はそうなんだ、と特に深掘りをせず、スタイルさんと後輩さんに違う話題を振る。
「本当に彼氏いないの?」
私の向かいに座る銀行員の男性だけが、話に食いついてきた。
彼はスタイルさんがアプリで知り合った人。四人が盛り上がっているところに参加をせず、じっと私の目を見つめていた。
彼氏がいないから合コンに来るのであって、いたらここにいない。そう答えれば、彼はそれはそうだと笑った。
「そうだよね。変なこと聞いてごめん」
「彼氏いたら出会いなんて求めないですよ」
「こんな可愛いのに、もったいない」
「ふふ、ありがとうございます。今日、張り切っちゃったので嬉しいです」
「そうなの?張り切らなくても全然可愛いと思うけどな」
「本当ですか?」
お世辞でも面と向かって可愛いと言われたのはいつぶりだろう。あまりに恥ずかしげもなく言ってくれるので照れ臭く、視線を下げて料理を取る。
可愛い、は、マルコさんに言われたことないな。
どうして今、そんな事を思ったのかは自分でも分からなかった。そもそもご飯係の私に、可愛いなんて言うわけはないけど。
「どんな人がタイプなの?芸能人で言うと誰?」
「そうですね…」
マルコさんみたいな可愛い大柄の人が、ぱっと思いつかなくて視線を彷徨わせる。けど数秒して、我に返った。
私はマルコさんへの想いを消そうとしてるんだから、マルコさんみたいな人じゃ駄目だ。むしろ真逆の、小さくて可愛くない人を言わないと。
必死に頭を働かせても小さくて可愛くない人は出てこなかったから、細身のイケメン俳優を答えれば、彼は確かにカッコいいよね、と話を広げてくれた。
「この後まだ時間ある?二軒目行こう」
「いいですね」
「私も行きたいです!」
「ここら辺に良い店あったか?」
銀行員の彼と二人で話していたら、いつの間にか二軒目の話になっていた。お酒を一杯飲んでいるから、今日はもう遠慮したい。スタイルさんに伝えれば、いいよいいよと笑ってくれて、後輩さんはまた、と可愛い笑顔を向けてくれた。
男性陣が多めに払ってくれたのでお礼を言い、二軒目へ向かう彼女達に背を向けて歩こうとすると、手を後ろに引っ張られる。
「あのさ。連絡先、教えてくれない?」
後ろを見れば、銀行員の彼がスマホを見せてきた。
「私ですか?」
「うん、そう…他にいる?」
彼の後ろを見れば、四人の姿はもう小さくなっていた。二軒目に行かないのかと尋ねると、俺も帰るのだと、彼は私の手を取ったまま駅の方へ歩き出す。
視線を下に向けると、すらっと長い指が私の手を包んでいた。私よりは大きいけど、マルコさんほどではない手。マルコさんの手はもっと骨ばっていて、私の手をすっぽり覆ってしまうほど大きい。何よりも、本当に温かくてずっと繋いでいたくなる。
「…手、綺麗ですね」
「そう?特に手入れはしてないよ」
頭の中のマルコさんを追い出そうと、彼の手に意識を向けた。繋がれたままの手は、心地いいかは分からないけど、気持ち悪いとは感じない。
顔を上げれば、また彼と目が合った。じっと私を見つめる目はすごく真剣で、逸らすことができない。
「あのさ、来週空いてる?」
「えっと…はい」
「ならご飯行こう?どうかな?」
彼はぐいぐい来るのに嫌な感じがしなかった。
この人となら、ご飯行くのいいかも。
好きなもの、嫌いなもの、行きたい店。色んなことを聞かれながら駅まで歩き、連絡先も交換すると、彼は気をつけてと私の手を離した。
「また連絡するね。今日はありがとう」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
電車に乗って、スマホを開くと未読のメッセージがあった。
"選んでくれたやつが届いた"
私が選んだフィカス・ウンベラータは、マルコさんの車では運べなかったから、店に配達を依頼した。それが今日届いたよう。
送られてきた写真には、フィカス・ウンベラータとフラワースタンドに並べられた多肉植物とパイナップルコーンが写っていた。マルコさんへの想いに気づいていなかったら、今日、マルコさんの家で見れていたはずのもの。フラワースタンドは、ガーデンセンターでマルコさんが買ったものだ。
スタンドに楽しげに並べる姿、見たかったな。
一緒に、どこに置こうか悩んだり、したかったな。
「可愛い…」
◇ ◇ ◇
"今日、こんなの見つけた"
"なんですか?それ"
銀行員の男性、シュウさんとはやり取りが続いた。
彼は色んな趣味を持っているようで、毎日新しい話題を振ってくれて、今日もやりとりをする。
ベッドに座って、シュウさんから送られてきた画像を見ていると、ぽんと画面上に何かが表示された。シュウさんからだと押せば、画面は違うものに変わる。
"今週も忙しいか?"
スマホを持つ手が、一瞬止まった。
既読をつけてしまったから、無視ができない。キーボードに指を当て、"こんばんは"とか、"今週も忙しいんです"と打とうとするけど、文章が決まらなくて送信まで辿り着けない。何か送らないとと、何回もキーボードを叩いていると、突然、画面が変わって、指はキーボードを叩く勢いで応答ボタンを押していた。
『おつかれさん』
十日ぶりに聞いた優しい声は、体の奥底にまで響き、想いが一気に込み上げてきた。無理矢理抑えつけて、見えなくなりそうだったのに、たった一声で全てが解き放たれ、目尻が熱くなる。
「こんばんは」
『ん。仕事は落ち着いたのか?』
「えっと…まだ、なんですけど…」
今日は少し早く帰れた、と答えると、そうか、とマルコさんが返してくれた。
そしていつものように、ご飯は食べたのか、お風呂は入ったのか、と心配してくれるので、ご飯は食べたけどお風呂はまだだ、と答える。
『なら、風呂終わったら電話くれるか?』
「え?」
『電話、久しぶりだろい?もう少し、声が聞きたい』
駄目か、と少し寂しそうな声に、スマホを持つ手に力がこもる。
本当は、お風呂も終わっていた。けど、これ以上声を聞いていたら、"会いたい"とか、"好き"とかが声に出てしまうから、切るための口実を作っただけ。
なかなか返事をしない私を、マルコさんは静かに待ってくれていた。向こうからは何の音もしなくて、マルコさんが今、家にいるのか、職場にいるのか、ホテルにいるのか、全く分からない。
「ごめん、なさい」
絞り出した声はひどく潤んでいて、きっとマルコさんにも伝わっている。
「疲れてて、すごく眠たくて…」
『…』
「…ごめんなさい」
もっと声が聞きたいし、会いに行きたい。けどまだ、声を聞いただけで胸がこんなにも苦しくなってしまうから、マルコさんを困らせるだけだ。
何に対しての謝罪なのかは分からないけど、私は何度も謝っていた。次第に声が小さくなって、途切れ途切れになり、最後には声が出ていなかった。
『…すまん。疲れてるのに』
悪かった、と言うマルコさんの声が、胸に突き刺さる。
マルコさんの方が疲れてるだろうに、避け続けている私に毎日連絡をしてくれることが、嬉しくて、苦しい。
『また連絡する。ゆっくり休めよい?』
「はい…」
ぷつ、と切れた画面をしばらく眺めていると、真っ暗になった。
「…え?」
いつまで経ってもスマホは震えないし、画面は明るくもならない。
いつもなら既読がつかなくても、"おやすみ"とパイナップルが眠るスタンプを送ってくれるのに。
「っ…」
もしかして、今の反応が悪かったから、切られちゃう?
そう思った瞬間、指は勝手に文字を打っていた。
"本当にごめんなさい"
指を止めて数秒待つけど、メッセージに既読がつかない。
一秒経つ度に、鼓動が大きくなり、息苦しくなった。
"電話嬉しかったです"
"ただ本当に仕事が忙しくて、疲れてて"
"遅くなるかもしれないですけど、返事します"
"落ち着いたらまた一緒にご飯作りたいです"
早くマルコさんへの想いを消して、電話したり家に行かないと、切られてしまう。
早くご飯係に戻れるようにならないと。
指がキーボードを強く叩き、何通もマルコさんへ送っても、一向に既読がつかなかった。
"今度、唐揚げ作りたいんです。食べてくれますか?"
"パイナップル使った料理もたくさん作りたいんです"
"途中になってる映画も、一緒に最後まで観たいです"
ホットプレートもたくさん使わないといけないし、届いた観葉植物もまだ見ていない。
何より、まだ私は、マルコさんに包丁の使い方を教えていない。
避けてるのは私の方だから、切られて当然。急にこんなにたくさんのメッセージを送ったら、マルコさんに気持ち悪がられるかもしれない。けど、送らずにはいられなかった。
電話が切れてからまだ十分も、もしかしたら五分も経っていないのかもしれない。その間に私は、一体いくつのメッセージを送ったのだろう。
「っ、切らないで」
切らないで、切らないで、と両手でスマホを持って、文字を送り続けていると、全てのメッセージに既読がついた。それを見て、あっ、と声が出る。
"分かった。待ってる"
だからゆっくり休め、とパイナップルがよしよししてくれる可愛いスタンプが送られてきて、ようやく私の指は止まり、息を吐く。
"落ち着くまで待ってるから"
唐揚げも、パイナップルの料理も、映画も、ホットプレートも、全部やろう。
そのメッセージを見て、手の力が抜けた。
"おやすみ"
パイナップルが眠るスタンプがぽん、と現れ、それ以降は何も送られてこなかった。けど、いつもと同じ終わり方なだけで、安心できる。
良かった、私の席はまだあるんだ。
可愛いスタンプをずっと見ていたくて、画面が暗くなる度に、指で触れる。すると、画面上にメッセージが現れた。
"土曜日、ここはどう?"
どこかの店のURLと共に送られてきたシュウさんからのメッセージを開き、私は、URLを開くこともせず、"行きたいです"と返事をしていた。
◇ ◇ ◇
「こんばんは」
「本当ごめん」
「大丈夫ですよ」
土曜日の夜、乗っていた路線のダイヤが乱れ、待ち合わせ時間から十五分遅れてシュウさんは来た。
シュウさんが誘ってくれたのはイタリアンレストラン。コースにしようと決めていたけど、メイン料理は選べるので、メニュー表を見て魚介リゾットに決めた。
「お酒は飲まなくて大丈夫だからね」
シュウさんは一杯目からソフトドリンクで大丈夫だと、飲み物のメニュー表を差し出してくれた。シュウさんは酒が好きなようだったから、私に遠慮せずに好きに飲んでもらう。
「この動画知ってる?最近ハマっててさ」
「あ、それ、職場の人が教えてくれました。耳に残っちゃいますよね」
「そうそう。会議中に思い出して、怪しまれたよ」
前菜から始まったコースは、どれも美味しかった。メイン料理は、シュウさんがシェアしようと言ってくれたので、トマトのクリームパスタも頂いた。もちもちの自家製生パスタは美味しくて、リゾットよりもパスタにした方が良かったかな、と少し後悔した。
「ご馳走様でした」
「いえいえ」
店を出た時は二十二時半を過ぎていた。これからどうするのかとシュウさんを見れば、笑顔でお腹に空きはあるかと尋ねられる。
「デザート食べに行かない?」
今もデザートを食べたけど、よく行くバーにも美味しいケーキがあるからと誘われた。ケーキを食べるお腹の余裕はあるし、せっかく誘ってくれたから行ってみたい。是非と頷けば、シュウさんが駅とは違う方向に歩き出したので着いて行く。
何のケーキが美味しいのか聞いたけど、お楽しみだと言われてしまった。ガトーショコラとかチーズケーキかな、と想像していると、ふと、遠くに見覚えのある姿が見えて足が止まる。
「ぁ」
二週間会っていない人が、あの女性と肩が触れそうな距離で仲良く歩いていた。二人は私の方へ歩いてきていて、このまま歩き進めると、気づかれる。
「どうしたの?」
「あ、いえ…っ」
あの電話以降、マルコさんからは電話が来なかった。メッセージも少なくなって、今週も行けそうにないと連絡すれば、"分かった"とだけ返事が来たのだ。
私が行かないから、あの女性と金曜日の夜から日曜日の夜まで、もしかしたらそれ以上の時間を過ごしているかもしれない。
私の席は、もうないのかも。
マルコさんと女性の姿が大きくなるにつれて、色んな焦りがつのり、シュウさんが話しかけてくれても頭に入ってこない。すると、すり、とシュウさんが指を絡めてきた。
「ほら、こっちこっち」
「え?」
シュウさんは近道だと違う通りに向かって歩き出した。裏道のような細い道も通り、五分もかからずに着いたのはビルの一階にあるダイニングバー。イゾウさんのお店とは違って、すごく明るく人も多かった。
天井にはシャンデリアがあり、月に数回、イベントがあるらしく、その時の混雑具合はすごいとシュウさんが教えてくれる。
シュウさんは、席に案内されるとすぐに注文をした。そして、出てきたのは飲み物とチョコレートケーキ。私の分の飲み物も出てきたのには驚いてしまい、念のためアルコールが入っているのかを尋ねた。
「そんなことしないよ。これ、紅茶だから」
シュウさんがグラスを上げたので、今日二回目の乾杯。
口につける程度に飲んでみると、本当にアルコールは感じなかった。少しコーラの味もするけど美味しくて、疑ってしまったのが申し訳なくなる。チョコレートケーキも本当に美味しく、シュウさんは、私が気に入ったことに、ほっとしていた。
「そうそう、来週、ここ行かない?」
「どこですか?…え、これどこですか?」
「はは、どこだと思う?」
紅茶とチョコレートケーキが美味しいからなのか、シュウさんとの会話が楽しいからなのか、体が次第に温かくなっていた。まだ会って二回目だから、緊張から体が熱くなるのも不思議ではない。けど、紅茶を一杯飲んだ頃には、体が信じられないほど熱くて、頭も少しふわふわしていた。
「シュウさんは本当に色んなこと知ってるんですね。一緒にいて楽しいです」
「本当?なら、俺と付き合わない?」
オレトツキアワナイ?
何を言われたのかが分からなくて、しばらく考えてしまった。けど、どれだけ考えても、どうしてか状況が理解できない。
「唐突すぎたかな。ごめんね」
「いえ…」
反射的に、いえ、と言ったけど、まだ分かっていなかった。
シュウさんは、ごめんと謝ると、手を首に当てながらもう一度、付き合わないかと私をまっすぐ見る。そのシュウさんの目は、何かを期待しているようだった。
「少しでも俺のこといいな、と思ってくれてるならどうかな?」
お試しでも大丈夫だと、前にも聞いたことがある台詞を言われ、告白されているのだとようやく理解する。
そっか、シュウさんは私のことをいいな、と思ってくれてるんだ。シュウさんといるのは楽しいから、お試しでいいなら。
それになによりも、シュウさんと付き合って、マルコさんの想いを消せたら、マルコさんに会える。早く会わないと切られてしまう。待ってるとは言ってくれたけど、あの女性がいるから、私をいつ切ったってマルコさんが困ることはない。
私は、自分に言い聞かせるように何度も頷いた。
「本当?」
「はい。けど…ま、だ」
「うん、いいよ。好きになってもらうように頑張るから」
そう言ったシュウさんは私の手を取って、すり、と指を絡めてきた。それに応えようと力を込めれば、人差し指で手の甲を撫でられる。
その仕草は、すごく優しいはずなのに、何かが可笑しい気がした。
あの骨ばった大きな手がしてくれるような温かいものではなくて、何か違うものを含んでいるような気がする。不思議に思ってシュウさんを見れば、ん?と首を傾げられたので、なんでもない、と首を横に振った。
「お待たせしました」
違和感がなんだか分からなくて握られた手を眺めていると、店員が二つのグラスを持って来てくれた。けど、今回も私は何も頼んでいない。
シュウさんがグラスが空になりそうだったから紅茶を頼んでおいたと、気を遣ってくれたようだった。けど、
「…あ、の、」
「どうしたの?」
これは、本当に紅茶なの…?
イタリアンレストランではお酒を飲んでないし、この店でも紅茶を飲んだだけ。なのに、私の体はお酒を飲んだ時と同じか、それ以上のふわふわ感と眠気と、体の熱さを感じる。
「アイスティだよ。ほら、せっかく頼んだから飲んで」
シュウさんがグラスを私の方へ差し出すので、咄嗟に受け取った。ほら、と目を細めながら優しく促すので、頼んでくれたから飲まないとと、グラスを傾ける。二口ぐらい飲んでグラスを置こうとすると、すぐにシュウさんが飲んで、と私を促した。それに素直に頷いて、半分ぐらいを一気に飲む。それからまたすぐに、シュウさんがほら、と言うので、グラスを置こうとした手は口の方へ行き、全て飲み干した。
「行こっか」
「あ、…は、い」
美味しいからすいすい飲めちゃったでしょ?と笑うシュウさんを見て、熱い体に、悪寒が走った。
あまり感じたことがない視線だった。私を、私の体を、舐め回すような視線。
…そう言えば、アイスティの名前がついたカクテルがあったような気がする。マルコさんとイゾウさんが、教えてくれた。確か、
「ろ、んぐあいらんど…あいすてぃ」
"バーに行きたくなったら俺も行くよい。それかこの店だけにしておけ、イゾウがいる"
「…あ、の…すいません、」
「大丈夫?」
「だ、いじょうぶ」
頭の中で大きな音が鳴り響き、必死に体に訴えかけていた。それに応えるように、テーブルに手をついて立ち上がったけど、足に力が入らなくて崩れ落ちてしまう。シュウさんが慌てた様子で支えてくれるけど、支えてくれる手は私の腰を何度も撫で、体を押し付けられる。
「お、かね」
「いいよいいよ。払ったから」
一緒に行こうと、支えられたまま店の外に連れて行かれた。そして、シュウさんは軽い足取りで歩き出す。
"帰る"ではなくて、"行く"と言ったシュウさんは、私を連れて行くつもりだ。何処へ、なんて聞かなくても、流石に分かる。もちろん、これから私がされることも。
マルコさんが言っていた通り、私はそういう人だったんだなぁ。
ぼんやりした頭でそう考えながら、力の入らない体で抵抗をしてみるけど、そんなのは無駄だった。そもそも素面の時でも、男性相手に無理矢理されれば抵抗できないのだから、こんな状態では到底無理。
「わ、たし、かえ、」
「そんな状態じゃ一人で帰れないでしょ?ほら、行くよ」
二十度を超えたアルコールを二杯も飲まされた体は、ほとんどシュウさんに運ばれていた。どこに行こうかなと、これからヤるのが楽しみなのか、シュウさんは本性を隠しきれていない。
「…ま、るこさん」
「誰それ?大丈夫大丈夫。付き合ってるんだから、するの当然じゃん?それに未経験じゃないでしょ?」
むしろ経験豊富そうだと笑うシュウさんの声は、聞いていられないほど気持ち悪かった。
私は未経験ではないけど、経験豊富ではない。付き合ってすぐにするのは、未経験。付き合っているのだからするのは可笑しくない、と言うシュウさんの言葉は可笑しくない。けど、それは同意の上での話、だと思う。
「…」
マルコさんに会いたいだけなのに。いい人だと思って、焦って頷いたのがいけなかったな。けどたぶん、頷かなくても二杯も飲んだから結果は同じかも。それに、私もシュウさんを利用しようとしたから、シュウさんを一方的には責められない。
「…っ」
マルコさんが気をつけろと言ってくれたのにな。もし、これを知ったら、マルコさんは本当に私を切ってしまうかもしれない。
観葉植物、見たかったな。マルコさんと映画見たかったな。マルコさんと料理を作りたかったな。マルコさんに食べてもらいたいものがたくさんあったのにな。マルコさんに包丁の使い方、教えてあげたかったな。
…自業、自得だなぁ。
抵抗する気はもうなくて、店を決めたシュウさんがニタニタと笑っているのを眺める。
せめて、痛くないといいな。逃げられないのだから、せめてそれくらいのことは願わせてほしい。
顔を下に向けて、ぼんやりとアスファルトの道を眺めていると、店の前に着いたのか動きが止まった。けど、シュウさんの動く気配がない。顔を上げてみると、私がいるのは店の前ではなく路上の真ん中だった。そしてシュウさんは、目を見開きながら私のさらに上を見ている。
「失礼」
突然、声がしたと思ったら、私は後ろへ引っ張られ、誰かの腕の中に収まった。そして、すごく安心できる、いいにおいがした。その人の胸に顔を埋めれば、力強く抱きしめられる。
シュウさんは、二メートル超えの大男に驚いて、しばらく反応できていなかった。そんなシュウさんに、二メートル超えの人、マルコさんが、貴方は誰だと尋ねる。
「え?彼氏ですが」
「彼氏?」
マルコさんは私を、日曜日の夜に車まで運ぶ時のように抱き上げた。そして私の顔を覗き込んで、すぐにシュウさんを見る。
「彼女相手にすることとは思えませんけど」
「えぇ。俺もそう思います。けど彼女、お酒弱いのにカクテル飲むって聞かなくて」
だから介抱しているのだと、シュウさんはマルコさんに私を渡すように促す。けど、マルコさんは全く応えようとせず、腕の力を強めるだけだった。
「介抱するのなら、ここを歩いてるの可笑しくないですか?」
「この道が近いんですよ」
「そうですか」
「はい。だから、彼女を返してくれませんか?ほら、おいで」
"ほら、おいで"
同じ言葉でもこんなに感じ方が違うんだなと、ぼんやりシュウさんを見ながらそう思った。その言葉を言われても体は全く動かなくて、むしろ、今抱いてくれている人から離れたくなかった。
「まるこさん」
「ん?」
「おうち、いきたい」
マルコさんのお家に行きたい。マルコさんと一緒に寝たい。マルコさんにぎゅって抱きしめてほしい。
マルコさんの首に腕を回して、今出せる精一杯の力で抱きつけば、マルコさんが、いいよい、と優しい声で応えてくれた。
「彼女もこう言ってますので、後は私に任せてください」
「は?」
マルコさんは酔ってる私を気遣って、揺れないように、けど、早足で歩いた。
後ろからシュウさんが何か言いながら追いかけて来て、マルコさんに私を渡すように何度も言う。けど、マルコさんは全く相手にしない。
「もしかして、この子と寝たことある?なら、三人でどう?この子、絶対に素質あるよ」
シュウさんは、俺は見る目があるから、とマルコさんが聞いてもいないことを話し出した。マルコさんは体が大きいから大変だとか、私の体力が持つだろうかとか、人に襲われてるところを見てみたいだとか、全く口が減らない。
そんな話を聞いても、マルコさんの歩みは止まらなかった。
「一回でいいからヤらせてくださいよ。せっかく酔い潰したのに勿体ねぇ」
相手にされないことに苛立ったのか、口調が荒くなったシュウさんは、どれだけヤっても記憶に残らないように酔い潰したのだからヤらないと損だ、と吐き捨てた。
その言葉に、マルコさんの足がようやく止まる。
「いい加減にしろ」
シュウさんはマルコさんの動きに反応ができなくて、マルコさんよりも数歩先で慌てて止まっていた。
「ハッキリ言わねぇと伝わらねぇのか?」
マルコさんは冷酷な目でシュウさんを見下ろした。
その声は、聞いたことがないほど低く、冷たい。饒舌だったシュウさんは一瞬で口を閉じ、体を震え上がらせていて、向けられていない私ですら体が強張ってしまう。
「ん?あ、すまん」
そんな私に気づいたマルコさんは、いつもの優しい顔で私を見て、微笑んでくれた。その表情を見て、体の緊張がすぐに解ける。
「大丈夫。寝ていいよい」
おやすみ、と声をかけられると、魔法にかかったように意識が遠のいていく。
「未遂だから大人しく帰ろうとしてんだ。いいか?二度と面、見せんじゃねぇぞ」