パイナップルからはじまる恋
今週は、マルコさんは出張なので店には来れなかった。来週も難しいそうで、両親、特に父は作り甲斐がないと、少し残念そう。けど、今日は私の好きなものを作ってくれて、来週も母が私の好きなものを作ってくれるそうで、四人で食事を取れないのは残念だけど、楽しみになった。
「マルコさんはお忙しいわねぇ」
「今週はマルコさんの家に行くのか?しっかり食べてもらうんだぞ」
「貴女も、平日は忙しくて食事が適当になるかもしれないけど、ちゃんと食べてね」
マルコさんの家で料理を作っていることが分かってから、両親はマルコさんにたくさん食べてもらえと、私に言うようになった。さらに平日の食事を気にかけてくれて、今日はたくさん作ったから持って帰りなさいと、煮物を渡される。きっと、私にも渡そうとしてたくさん作ったのだろうけどそこには触れず、素直に六〇〇mlのタッパーいっぱいに入れてもらって実家を出た。
明日のおかずができたことが嬉しく、マルコさんではないけどルンルンになる。帰り道は足取りが軽く、気分がいいから寝る支度をするのも面倒だと思わず、いつもよりも時間がかからなかった。
そして、ベッドに入ってメッセージアプリを開き、パイナップルのアイコンを押して、メッセージを打とうか、通話ボタンを押そうか少し悩んでるとスマホが鳴った。あ、といつもよりも高い声が無意識に出て、すぐに応答ボタンをタップして、枕元にスマホを置く。
「マルコさん、こんばんは」
『お疲れさん』
スピーカーから流れたその一言で、口元が緩む。お風呂上がりで体が温かい上に、さらに心も温かくなり、嬉しくなって笑っていると、マルコさんにも聞こえていたのか笑われた。
マルコさんは今、ホテルで、お風呂を終えてテレビを見ているそう。夜ご飯を食べたのか聞いてみると、しっかり栄養を考えて野菜も食べたと自慢げに教えてくれた。食べないと私や両親が心配するから、最近は食べるものを気にかけているらしい。
『そうだ。日曜日なんだけどよい』
「はい」
『これを買ったから使ってみたい』
スマホを見ていると画像が送られてきた。ネットショップで半額だったんだ、と言うマルコさんの声は、スピーカーからでも分かるほど弾んでいる。
それなら絶対に使わないとと、何か食べたいものがあるのか尋ねてみたけど、マルコさんはこれというものはないそう。
「安かったから、なんとなく買ったんですか?」
『あー、いや…お前さんと一緒になんか作ったら、楽しそうだな、と』
その言葉に、自然と笑みが溢れてスピーカーに顔を近づける。
目の前にマルコさんがいないことがすごく残念で、だからせめてもっと声が聞きたくて、何を作ろうかと話を続けた。するとマルコさんに、これで何が作れるのかと尋ね返されたので、目線を上に向ける。これは可能性が無限大だから、なんと答えたらいいのか迷ってしまう。
「そうですね…お好み焼き、ホットケーキ、焼肉、焼きそば、チーズフォンデュ、パエリア、ピザ、ビビンバ、チーズタッカルビ…」
『何でもできるんだねい』
「そうですよ。出しっぱなしにしてる人もいるぐらいで」
『そんな便利なのか』
感心した声を出したマルコさんは、何を作ろうか考えているのか黙ってしまい、代わりに報道番組が小さい音量で聞こえてくる。
ちょうどスポーツコーナーのようで、色んなスポーツの試合結果や活躍選手の話を聞いていたけど、次第に目が閉じ始めて、意識も少し遠のいていた。だからマルコさんが何か話していたけど聞こえていなくて、意識が戻ったのは名前を呼ばれた時。
『もう寝そうだねい』
「すいません、うとうとしてました」
『すまん、疲れてんのに。もう切るよい』
「あ、や」
もう少しだけ、マルコさんの声が聞きたい。
うとうとしたけどまだ大丈夫だから、とマルコさんに伝えれば、穏やかな声でそうか、と返してくれて、今日な、と話を始めてくれた。
目を閉じ、耳にだけ意識を集中させて、マルコさんの心地いい声に浸る。うんうん、と相槌を打っていると、いつの間にかマルコさんが耳元で話してくれる感覚になり、一緒に寝る時のように手を伸ばしてしまった。けど、伸ばしても掴めるものは何もなくて、マルコさんがいないことに気づき、寂しくなる。
「マルコさん」
『ん?』
「…会いたい」
自然と出てしまった言葉はマルコさんにも届いていたようで、静かな時間が流れた。
最近の私は、マルコさんのご飯係でいい、と思っていたはずなのに、随分と欲深くなっている。
手を繋ぎたい、膝の上に座りたい、お泊まりしたい、一緒に寝たい。抱き上げてほしい、抱きしめてほしい。
そのとめどなく溢れてくる想いを、マルコさんがいつも"いいよい"の一言でしてくれるから、私はさらに強欲になって、遂にここまできてしまっていた。
──もっと、マルコさんと一緒にいたい。
『…また週末、な』
「はい」
『じゃあ、切るよい』
「あ」
『また明日も電話する』
「…はい」
『ん、おやすみ』
「おやすみなさい」
それを最後に電話は切れて、時計の針の音がよく聞こえるようになった。それは機械的な、規則正しく時を刻む音。さっきまで聞こえていた心地のいいものとは正反対で、私の眠気を全く誘ってくれない。
前までなら電話が終わった後は胸いっぱいになってすぐに眠れたのに、今は寂しくて、早く声が聞きたくて仕方がなかった。
「会いたいな…」
暗くなったスマホ画面を眺めていると、ぽん、と通知がきて、トーク画面を見ればベッドで眠るパイナップルのスタンプが来ていて、ふふ、と笑みが溢れた。
そのスタンプのおかげで少し寂しさが減ったから、お返ししようとスタンプを選んでいたら、またマルコさんからメッセージが送られてきた。
その一文を見て、私は枕を抱きしめ顔を埋める。
"俺も、会いたい"
◇ ◇ ◇
待ちに待った土曜日の夕方。
電車を降りて改札を出ると、いつもと同じ場所で待ってくれているマルコさんは、誰かと電話をしていた。電話中は近くに行かない方がいいかと待っていたら、私に気づいたマルコさんが手招きしてくれて、駆け寄ればマルコさんが笑いかけてくれたので、えへへ、と笑い返せば手を握ってくれた。
「…美味かったか。そりゃ、良かったよい……は?足りない?」
笑いながら話していたマルコさんは、急に険しい顔に変わり、酒を飲みすぎるなとか、医者の言うことを聞け、と注意していた。すると、すごく小さい音で全ては聞こえなかったけど、うるせぇとか、酒が飲めないなら死んでやるとか、アホンダラァ、と電話の相手は怒っているようで、マルコさんが反論する。このまま口喧嘩が始まるのかと、少しヒヤヒヤしていると、話題が変わったのかマルコさんの表情が少し穏やかになった。
「あぁ、それなんだが今年は無理だよい…え?あ、いや、そう言うんじゃなくて…いや、だから駄目だって…」
今度は何か揉めているようで、困る、とか、駄目だと、マルコさんが言うと、向こう側から、ケチケチすんな、とか、グラララと変な笑い声が聞こえたりと、折り合いがつかない様子。
「んじゃ、切るよい。あぁ、盆は帰る」
決着はついてなさそうだったけど、マルコさんはその言葉を最後に電話を切り歩き出したので、私の足もつられて動き出す。
「今のオヤジだったんだが、親父さんと飲んだ酒で、オヤジの気に入りそうなものがあったから送ったんだよい」
「父と飲んだお酒ですか?気に入っていただけました?」
「あぁ。美味すぎてすぐ飲んじまったみたいでな。一升瓶二本じゃ足りねぇからもっと寄越せって催促の電話だった。ったく、本当にオヤジは…アホンダラァ」
「あ、アホンダラァ…」
マルコさんの父親はお酒が大好きのよう。
だからお酒ばかり飲んでいて、母親が亡くなってからは拍車がかかり、今は食事が適当になっているらしい。
マルコさんが体が酒でできている人だ、と呆れながら言うので、近くに住んでいれば一緒に食事ができるかと思い場所を尋ねると、飛行機で行くほどの距離だと教えてくれた。
「まぁ、近くに世話焼きが何人かいるから問題ねぇだろうが…帰った時に強く言うかねい」
どうせ言うこと聞かないだろうが、と小さくため息をついたマルコさんとスーパーに入った。
今日はまだ何もメニューを決めていないので、食材を見ながらマルコさんの食べたいものを作ろうとカートを押す。
「マルコさん、あれで何を作りたいですか?」
「お好み焼きが作りたいんだが、どうだ?」
「いいですね」
「あれも買っておいたんだよい」
あれ?とマルコさんを見れば、これこれと、両手で何かを持って手首を返す動きをした。
「起し金ですか?」
「正解」
二つ買ったからお店のようにやれるはずだ、とわくわくしているマルコさん。
ひっくり返してみたいなら、焼くのはマルコさんにお任せしよう。
その後、マルコさんが時々足を止めて、これが食べたい、と言ってくれるので素直にカゴの中に入れる。さらにマルコさんが、毎食一品は作りたいと申し出てくれたので、ピーラーで作れるメニューを考えながら、今日の夜から明日の夜までの四食分の食材を選んだ。
そして、マルコさんと手を繋いでいつもの道を歩き、マルコさんの家にお邪魔する。食材を仕舞い、夜ご飯の準備を始めようとすると、マルコさんは私の後ろに立った。
「俺、サラダ担当な」
「私は親子丼担当です」
まな板が一つしかないので、先に私が使って、煮込んでいる間にマルコさんがサラダを作ることにした。
さっそくまな板に玉ねぎを置き、シンク下を開けようとして、私は先週とその前の週のことを思い出す。
今日は、どの位置に仕舞われているのかな…。
「…」
恐る恐る開けて包丁の位置を見た瞬間、頭の片隅に隠れていたものが顔を覗かせ、胸に痛みが走った。
また、私以外の人が包丁を使ってる…。
「マルコさん」
「ん?」
"誰が包丁を使ってるんですか?"
その言葉が喉まで出たけど、マルコさんの口から聞かされるかもしれない答えが怖くて、私はぐっ、と呑み込む。
きっと、マルコさんの友だちが、使った形跡がなかった台所に調理器具が揃ったことを知って、使っているだけ。私の考えているようなことじゃない。
そう自分に言い聞かせながら包丁を眺めていると、頭上から声をかけられる。見上げると、マルコさんが心配そうな顔で私を見ていたから、慌てて、今日はマルコさんがお風呂先にと話を振れば、また客が先だと言われてしまった。
「「いただきます」」
無事に完成した親子丼とサラダをテーブルに運び、手を合わせる。
今日はどうかなと、親子丼をもぐもぐ食べるマルコさんを見る。視線に気づいたマルコさんが私を見ながらもぐもぐし続けて、口の中がなくなると美味い、と笑ってくれた。
うん、今日も美味しく作れて良かった。
笑い返しているとマルコさんがサラダを食べろと言うので、素直に箸で取っていただく。
…あれ?このサラダ、味付けがいつもと違う。
マルコさんを見れば、何かを待っているのか、私を見ながらうずうずしている。
このドレッシングはオリーブオイルと、レモンかな。手作りの味がして、すごく美味しいと伝えれば、マルコさんはへへ、と笑った。
「ドレッシング、どうしたんですか?」
「あのな、サッチに聞いたんだ」
ドレッシングを作りたいと相談したら、サッチさんが材料を教えてくれて、作り方は動画付きで送られてきたという。照れ臭そうに何回か練習したんだと言うマルコさんが可愛くて、無意識にマルコさんの頬へ手がいき撫でてしまった。するとマルコさんが嬉しそうに笑ってくれて、私もつられて変な笑い声が出る。
うん、胸の痛みはもうない。大丈夫。
「気に入ってくれたか?」
「はい。私も今度作ってみます」
「よい」
マルコさんお手製のサラダも、私の親子丼も完食したら、マルコさんが食洗機に食器を入れて、私はソファとローテーブルの間に座ってマルコさんを待つ。
今日はお菓子を食べないけど、いつものをやってほしくてここに座ってしまった。おそらく気づいているマルコさんが、コーヒーを淹れながら私を見て肩を揺らしながら笑っているけど、恥ずかしくない。
まだかな、まだかなとマルコさんを見ていると、お風呂の準備をしに一瞬姿が見えなくなったけど、すぐにカップを二つ持って来てくれた。そして、カップをテーブルに置いて、マルコさんはソファに…ではなくて、私の隣に腰を下ろした。
「え?」
「ん?」
「あの、ソファ…」
どうして隣に座るのか分からなくてマルコさんを見れば、すごく優しい顔と甘い声で私を誘った。
「ここ、おいで」
ここ、と言うのは、胡座の上。
やってほしかったことではないけど、マルコさんの"おいで"の一言で私の体は勝手に動き出した。
マルコさんとローテーブルの間を四つん這いで進んで、そっと胡座の上に腰を下ろせば、太い腕が私の腰に巻き付いて背中がじんわりと温かくなる。
「そういやぁ。サッチが帰って来る話、しただろ?」
「はい。いつ帰って来られるんですか?」
「再来週。一ヶ月はいるよい」
「そんなに長くこっちにいるんですね」
私が心配することではないけど、一ヶ月もお店を空けて大丈夫なのかと聞いてみると、いつもそうなのだと教えてくれた。頻繁には帰って来られないから、帰ってくる時はいつも一ヶ月はいるようにして、知人に会うためにあちこち行っているのだそう。マルコさんと会うのも一ヶ月の間で数回だけで、その時はイゾウさんも一緒らしい。
「どっかの日曜日でと思ってるんだが、お前さんもどうだ?」
「はい。日曜日ならマルコさんの家にいるので、いつでも大丈夫です」
ご飯も一緒に作って食べれるのか聞いてみると、そのつもりだとマルコさんが言ってくれたので、すごく楽しみになった。
その時は何を作ろうかな。サッチさんがあまり作らないものがいいかな。
「楽しみか?」
「はい。サッチ丼、食べれますか?」
「くく、それは絶対ある」
「マルコさんはサッチさんの料理で他に好きなものあるんですか?」
「…サッチ焼き」
まるでサッチさんが焼かれてしまうような料理名。
その後もマルコさんは、サッチ煮、サッチ蒸し、と言い続けるので、私の頭の中では会ったことないサッチさんが次々に料理されていく。
本当にそんな料理名なのか聞いてみたら、たぶん、と曖昧な答えが返ってきた。もしかしたら、サッチ丼も正式な名前ではないのかもしれないけど、きっと美味しいから、楽しみなのは変わりない。
「イゾウさんも作りますか?」
「どうだろうな。お前さんとサッチと俺が作ったら品数は十分だからねい」
「ふふ、マルコさんも作りますか?」
「サラダ担当は俺だろい?」
マルコさんが当然のような顔をしながら言うので笑ってしまった。
初めはあんなに料理はやりたくないと首を横に振っていたのにな、と内釜を必死で押し返すマルコさんを思い出してさらに笑いが止まらなくなる。
お米を洗うのも、じゃがいもを潰すのも、パスタを茹でるのも、パスタソースを作るのも、ピーラーを使うのも、私が教えればマルコさんはできるようになった。
「マルコさん、そろそろ包丁使いませんか?」
料理を嫌がらないのなら、包丁もすぐに使えるようになるはず。
そう思って聞いてみたけど、マルコさんから一向に返事がこない。見上げれば、マルコさんは何かを考えていた。その表情はとても真剣で、ただ、何か迷っているようにも見える。
話しかけない方がいいかとしばらく見つめていると、は、と私に気づいたマルコさんが視線を彷徨わせ、あ、そうだな…と言葉を探し、まだいいと首を横に振った。
「野菜を大きめに切るところからはじめれば…どうですか?」
それに隣に私がいるから大丈夫だと伝えても、マルコさんは頑なに首を横に振る。
もしかして刃物が怖いのかと思ったけど、そうではない様子で、なら使ってみようともう一度誘ってみても、マルコさんはまだいいと言うだけ。
どうして包丁にこれほど抵抗があるのかな。怖くないなら、他にどんな理由が?
理由が分かれば何か方法がありそうだけど、マルコさんは教えてくれなさそうだから自分で考えるしかない。けど、理由が全く思いつかなくて、うんうん唸っていると、ちょん、と背中をつつかれた。
「そろそろ、風呂入るか?」
「あ、そうですね」
どうぞ、腰に回っていた腕の力が弱まったので、荷物を持って脱衣室に向かいながら、"マルコさん包丁マスター作戦"を考える。
サッチさんが来るのなら、それまでに包丁を使えるようにして驚かせたいな。けど、嫌がってるマルコさんに強引にやらせて怪我をさせたら大変だから、無理強いはできない。
どうしようかな、と考えながら脱衣室に入り、何となく鏡がある方を見る。
「え…?」
それを見た瞬間、足がすくみ、消えていた胸の痛みが再び現れた。
化粧洗面台の淵に置かれているものは、どう見てもマルコさんのものには思えない。早く視界からそれを無くしたいのに、私は目を逸らすことができなかった。
「…ぁ」
私の憶測だから違っているはずだと、違っていてほしいと思っていたのに、今日も包丁の位置が違っていて、ここに綺麗なピアスがあるということは、憶測ではないのかもしれない。
「…」
きっと違うと、先ほどまで考えていたことはもう頭の中に残っていなくて、どんどん胸の痛みが酷くなる。
これをつける人は、マルコさんとどんな関係なんだろう。私と同じなのかな、それとも違うのかな。
この大きめのピアスはマルコさんが選んだのかな。楽しげに、絶対似合うって、笑いかけながら買ったのかな。
これは私には似合わないな。まぁ、穴を開けていないから、そもそもピアスをつけられないけど。もし、穴を開けてたらマルコさんもピアスを選んでくれたのかな。あ、アウトレットでネックレスを断ったから、ピアスは貰えないかも。
「…」
マルコさんはピアス以外には何をプレゼントしたんだろう。
これをつける人は私みたいに遠慮せずに、素直に受け取ったのかな。
私みたいにマルコさんに甘えて、マルコさんは"いいよい"ってしてあげるのかな。
「…」
私だけじゃ、だめなのかな…。
「…私、何考えてるんだろう」
マルコさんが誰と会おうと、誰を家に招こうと、何かを言う権利はない。だって私は、ただのご飯係。
けど、胸を締め付ける痛みは酷くなる一方で、欲深くなった私の中から良くない感情が生まれて、早くお風呂に入らないといけないのに、体は動いてくれない。
「大丈夫、大丈夫」
腕に抱えていたものを、強く抱きしめた。
お風呂から出た後に着るのは、マルコさんが買ってくれたパジャマ。マルコさんが、選んでくれたもの。
マルコさんは私に会いたいと、一緒にいたいと思ってくれてる。それがどんな理由でも、ご飯が食べたいという理由だとしても、きっと、マルコさんはこれからも私に会ってくれて、"いいよい"って言ってくれる。
だから、私はこれで満足しないと。
大丈夫、私はこれからもご飯係を続けられる。
「お風呂、入らなきゃ…」
◇ ◇ ◇
午前十時過ぎ、インターホンが鳴った。
ソファに座り、足の間に私を座らせていたマルコさんが、来たねいと呟き、私を床に下ろしてモニターの方へ行くと、通話ボタンを押した。
『宅配でーす』
「どうぞ」
しばらくすると玄関のインターホンが鳴り、マルコさんがリビングを出て、段ボールを抱えて戻って来た。
ローテーブルに段ボールを置いて、ソファの下に二人並んで座り、早速開ける。
マルコさんが買ったのはホットプレート。二、三人用のサイズで、たこ焼きプレートやグリルプレートも付いていた。
「サイズが小さめなので、お好み焼きをひっくり返すときに外に出ないように注意しないとですね」
「…難しいのか?」
「いえ、難しくないですよ」
分かりやすい動画はないかとスマホで探してみると、起し金で解説している動画を見つけた。マルコさんが実際に起し金を持ちながら練習すると言うので、何度か練習していると、またインターホンが鳴る。
誰か来たのかな、とモニターの方へ行くマルコさんを見送り、動画を最初に戻してもう一度見ようとするとモニター越しから『宅配ですー』と声がした。
え、また?
またもう一度インターホンが鳴って、マルコさんがリビングを出て段ボールを持って戻って来る。
「何を買ったんですか?」
「へへ、これだよい」
箱を開けて、自慢げに見せてくれたのはプロジェクター。
前に映画を観ようと話になった時に、プロジェクターやスピーカーを買おうとしていたマルコさんは、諦めていなかったらしい。
これもセールしてて安かったんだ、と嬉しそう話すマルコさんの横で、プロジェクターのメーカーと品番をスマホで調べて、思わず声を上げてしまった。
「マルコさん!?」
「よ、よいっ!?」
こんな値段の高いプロジェクターでなくても良かったのでは!?
もっと良心的な値段のものがたくさん並んでいるのに、マルコさんが買ったのは上位の方のものだった。調べてみると確かに解像度もすごく高いし、音も良さそうで、高いだけはある。
すごく良いものだけど、こんなに高い値段のものでなくてもと、レビューを見ている私に、マルコさんが恐る恐る声をかけた。
「二〇パーセントオフ、だよい?」
「それでも高いですよ…」
「ぽ、ポイントが多く貰えた、よい?」
「買った金額に比べたらポイントなんて大した額では…あ、これ天井投射できるんですね」
「そ、そうなんだよい!」
とてもいいものだからと、力説するマルコさん。
まぁ、マルコさんが買ったもので私が何か言うことでもないから、値段の話はこれぐらいにしておかないと。
一通りレビューを見たらどのコメントも高評価ばかりなので、そんなにいいものなら映画とか見てみたい、とマルコさんに笑いかければ、ほっとした顔をした。
けど、またまたインターホンが鳴り、マルコさんの顔が強張る。
まさか…。
『宅配です!』
プロジェクターを買ったということは、マルコさんはあれも買うはず。
マルコさんは段ボールを持ってリビングへ戻って来ると、私を見て、段ボールをぎゅっと抱えながら、意を決したような顔で声を上げた。
「これはなんと、四〇パーセントオフだよい!」
まだ何を買ったのか教えてもらっていないけど、「そんなにお得なら買っちゃいますね」と私は言うしかなかった。
買ったのは、もちろんスピーカー。
テレビにもプロジェクターにも繋げられて、音質もすごく良い、とマルコさんが教えてくれる。けど、プロジェクターと同じようにスマホで調べてみたら、私はもう何も言えなくて、その反応を見たマルコさんが、あのよい、と弱々しく口を開いた。
「その、お前さんと大きな画面で色んなものを見たくて、よい…」
本当は、これ以外にも買いたいものがあったそう。
ネットショップを見ていたら、私と一緒にしたら楽しそうだな、と思うものが出てきた。けど我慢して、この三つを買ったんだと、マルコさんは私の肩に顔を埋め、ちら、と私の様子を伺う。
そんなマルコさんが可愛すぎて、今の話で胸がいっぱいになり、堪らず抱きついてしまった。
マルコさんの中で、私の存在は小さくない。
マルコさんは、私とやりたいことがたくさんあるんだ。
「せっかく買ったんですから、たくさん使わないとですね」
「!」
「来週、寝室で、ベッドに横になって映画見ませんか?」
「よい…へへ」
マルコさんは来週は少し夜更かしだ、と顔を綻ばせ、お昼なったからお好み焼きを作ろうと動き出したので、後を追って台所へ。
お好み焼きの材料は、お好み焼き粉、キャベツ、卵、豚バラ肉だけ。キャベツは私が刻むけど、他は簡単だからマルコさんにお願いしようとしたら、卵を指差して、割り方を教えてくれ、とお願いされた。
マルコさんは、一度も卵を割ったことがない。卵を使った料理は今まで何回も作ってきたけど、割りたいと言われたことはなかった。だから今、とても嬉しく、やる気満々のマルコさんに向けて全力で頷いた。
「では、やりましょう」
「よい」
卵の割り方は、平らな場所に卵の中央を軽くコンコン、と打ち付けてヒビを入れ、ヒビに両手の親指を入れて、左右に開くだけ。やることは難しくないけど、打ち付ける力加減が難しい。
お好み焼きに使う卵は二つで充分だけど、多く割ったら卵焼きにすればいいか、と私が教えながら一つ割ってみせた。
「強く打ち付けなくて良いですよ。ぐしゃってなっちゃいますから」
「よい」
マルコさんが卵をワークトップに向けて、コン、と一回打つ。卵を見るとヒビが入っていなかったから、もう一度、コンコン、と打つ。けど、まだ割れ目ができていない。
「もう少し強く打ちましょうか」
「ん」
それから、少しずつ力を強くしていき、何回目かでしっかりヒビが入った。そして、割れ目に親指を当てて、ゆっくりと左右に開く。すると、ぱか、と殻から卵が綺麗に出てきたのだ。
まさか一回でできるとは思わず、私もマルコさんも驚いてお互いを見合わせ、顔を綻ばせ、二人でできたできた、とはしゃいでしまった。
「すごい!マルコさん一回で!」
「お、俺もまさかだよい!」
たかが卵割りで、ここまで楽しい時間になるなんて。イゾウさんが見ていたら、「楽しそうで何より」と言いそう。
それからマルコさんはもう少し練習したいと言うので、三個分の卵割りをお願いすれば、三回中三回共卵割りに成功して、マルコさんは卵割り名人になった。
「ホットプレートはニ〇〇度でお願いします」
「ん」
温まったプレートに作った生地の半分を丸く広げ、豚バラ肉を乗せ、マルコさんは両手で起し金を持ち、その時を待つ。
けど、目の前でジュージューと音をさせながら、いい匂いがしてきたお好み焼きを前に、マルコさんはうずうずしていた。その時までじっと待てるのかと、マルコさんを見ていれば、焼き始めて一分後、マルコさんがそろ、と起し金で裏を見ようとするので、待て、とマルコさんの手を掴む。
「まだか?」
「三分ぐらい待ってください」
「…まだ「まだです」」
まだかまだかと、私を見るマルコさんに、まだですまだです、と答え続けた。
約三分の間に何回"まだです"を言ったかは数えていないけど、十五回は言った気がする。
「マルコさん、良いですよ」
「!」
遂にきた、とマルコさんが肩を揺らして、起し金をお好み焼きの両側に持っていき、下へそっと差し込む。差し込みが足りなかったので、もっと奥まで、と声をかければ、ん、と起し金を押し込んだ。
マルコさんはとても真剣。私も声をかけずに、お好み焼きがひっくり返るのをじっと待つ。
「よいっ」
やる気十分の声と共にお好み焼きがひっくり返…ってはいなくて、お好み焼きは一ミリも動いてなかった。
マルコさんがその後も「よいっ」「よいっっ」と掛け声を出すけど、手が動かないのでお好み焼きはそのまま。
「マルコさん、私が「俺がやる」」
とは言うけど、マルコさんは全くひっくり返そうとしない。このままでは焦げてしまうから、もう一度、私が、と手を出すけど、マルコさんは起し金を渡してくれない。
…このままでは、真っ黒焦げになったお好み焼きを見て、しゅんとするマルコさんを見ることになりそう。だから私は、マルコさんを急かすことにした。
「マルコさん、いきますよ」
「え?」
「はい、ではご一緒に」
「ちょ、ま、まま」
「せーのっ」
「「よいっ」」
急かすように合図を送れば、マルコさんは焦りながらも手首を返してくれた。けど、位置がずれて半分ほどホットプレートから出てしまい、慌てているマルコさんから起し金を借りて、お好み焼きの位置を戻す。
その三分後、マルコさんにひっくり返すのをお願いすれば、よし、と再び起し金をお好み焼きに差し込む。今度は片面が焼けているから簡単かな、とお好み焼きがひっくり返るのを待っていたけど、なかなかひっくり返らない。どうしたのかとマルコさんを見れば、マルコさんは私を見ていた。
「あのよい、合図…」
マルコさんはタイミングが分からないと、困った顔をしていた。
「ふふ、では、いきますよ」
「ん」
「はい、せーのっ!」
「「よいっ!」」
今度は位置がずれることなくひっくり返すことができて、マルコさんはよし、と小さくガッツポーズ。
合図が気に入ったのか、二枚目の時もすることになり、よいっ、よいっと無事に二枚のお好み焼きが完成した。
「一枚目は少し焦げちまったねい…」
「これはこれ、です」
たくさんの青のりと鰹節をかけたお好み焼きは、マルコさんが焼いたということもあって、美味しさが何倍にも増していた。
そんな美味しいお好み焼きをパクパク食べていると、マルコさんが卵焼きを口元へ運んでくれたので、パクリと食べる。自分で言うのも何だけど今日の卵焼きは上手にできたな、ともぐもぐしていれば、マルコさんに来週の話を振られた。
「どこか行きたいところないか?」
「そうですね…」
「何処でもいいよい」
「うーん、あ、行ってみたい場所があるんです」
「どこだ?」
パイナップルコーンを買った日から、何となく観葉植物が気になって調べてみたら、大きなガーデンセンターがあることを知った。珍しい植物もたくさんあるようで気になっていたから、マルコさんがよければ行ってみたい。
スマホでここ、とサイトを見せてみると、マルコさんは頷いてくれた。
「俺も何か置こうと思ってよい。一緒に決めてくれないか?」
「どんな植物がいいですか?」
「お前さんが気に入ったやつ」
「ふふ、私任せですか?」
「お前さんが選んだものがいいんだよい」
「どんなものを選んでも買ってくださいね?」
「まかせろ。その代わり」
私の家に置くものは俺が選びたいと、マルコさんが言ってくれて、私の胸は嬉しさでいっぱいになった。
マルコさんが選んでくれた植物を置いたら、自分の家にいる時も寂しくないかな。それがあれば、これ以上、マルコさんに甘えなくてすむのかな。
「マルコさん」
「ん?」
「どんな植物でも絶対買うので、選んでくださいね」
「ん。真剣に選ぶよい」
どんなものを選んでくれても買おうと心に決め、マルコさんといられる残り八時間を、幸せに浸りながら、心を満たしながら過ごすのだった。
「マルコさんはお忙しいわねぇ」
「今週はマルコさんの家に行くのか?しっかり食べてもらうんだぞ」
「貴女も、平日は忙しくて食事が適当になるかもしれないけど、ちゃんと食べてね」
マルコさんの家で料理を作っていることが分かってから、両親はマルコさんにたくさん食べてもらえと、私に言うようになった。さらに平日の食事を気にかけてくれて、今日はたくさん作ったから持って帰りなさいと、煮物を渡される。きっと、私にも渡そうとしてたくさん作ったのだろうけどそこには触れず、素直に六〇〇mlのタッパーいっぱいに入れてもらって実家を出た。
明日のおかずができたことが嬉しく、マルコさんではないけどルンルンになる。帰り道は足取りが軽く、気分がいいから寝る支度をするのも面倒だと思わず、いつもよりも時間がかからなかった。
そして、ベッドに入ってメッセージアプリを開き、パイナップルのアイコンを押して、メッセージを打とうか、通話ボタンを押そうか少し悩んでるとスマホが鳴った。あ、といつもよりも高い声が無意識に出て、すぐに応答ボタンをタップして、枕元にスマホを置く。
「マルコさん、こんばんは」
『お疲れさん』
スピーカーから流れたその一言で、口元が緩む。お風呂上がりで体が温かい上に、さらに心も温かくなり、嬉しくなって笑っていると、マルコさんにも聞こえていたのか笑われた。
マルコさんは今、ホテルで、お風呂を終えてテレビを見ているそう。夜ご飯を食べたのか聞いてみると、しっかり栄養を考えて野菜も食べたと自慢げに教えてくれた。食べないと私や両親が心配するから、最近は食べるものを気にかけているらしい。
『そうだ。日曜日なんだけどよい』
「はい」
『これを買ったから使ってみたい』
スマホを見ていると画像が送られてきた。ネットショップで半額だったんだ、と言うマルコさんの声は、スピーカーからでも分かるほど弾んでいる。
それなら絶対に使わないとと、何か食べたいものがあるのか尋ねてみたけど、マルコさんはこれというものはないそう。
「安かったから、なんとなく買ったんですか?」
『あー、いや…お前さんと一緒になんか作ったら、楽しそうだな、と』
その言葉に、自然と笑みが溢れてスピーカーに顔を近づける。
目の前にマルコさんがいないことがすごく残念で、だからせめてもっと声が聞きたくて、何を作ろうかと話を続けた。するとマルコさんに、これで何が作れるのかと尋ね返されたので、目線を上に向ける。これは可能性が無限大だから、なんと答えたらいいのか迷ってしまう。
「そうですね…お好み焼き、ホットケーキ、焼肉、焼きそば、チーズフォンデュ、パエリア、ピザ、ビビンバ、チーズタッカルビ…」
『何でもできるんだねい』
「そうですよ。出しっぱなしにしてる人もいるぐらいで」
『そんな便利なのか』
感心した声を出したマルコさんは、何を作ろうか考えているのか黙ってしまい、代わりに報道番組が小さい音量で聞こえてくる。
ちょうどスポーツコーナーのようで、色んなスポーツの試合結果や活躍選手の話を聞いていたけど、次第に目が閉じ始めて、意識も少し遠のいていた。だからマルコさんが何か話していたけど聞こえていなくて、意識が戻ったのは名前を呼ばれた時。
『もう寝そうだねい』
「すいません、うとうとしてました」
『すまん、疲れてんのに。もう切るよい』
「あ、や」
もう少しだけ、マルコさんの声が聞きたい。
うとうとしたけどまだ大丈夫だから、とマルコさんに伝えれば、穏やかな声でそうか、と返してくれて、今日な、と話を始めてくれた。
目を閉じ、耳にだけ意識を集中させて、マルコさんの心地いい声に浸る。うんうん、と相槌を打っていると、いつの間にかマルコさんが耳元で話してくれる感覚になり、一緒に寝る時のように手を伸ばしてしまった。けど、伸ばしても掴めるものは何もなくて、マルコさんがいないことに気づき、寂しくなる。
「マルコさん」
『ん?』
「…会いたい」
自然と出てしまった言葉はマルコさんにも届いていたようで、静かな時間が流れた。
最近の私は、マルコさんのご飯係でいい、と思っていたはずなのに、随分と欲深くなっている。
手を繋ぎたい、膝の上に座りたい、お泊まりしたい、一緒に寝たい。抱き上げてほしい、抱きしめてほしい。
そのとめどなく溢れてくる想いを、マルコさんがいつも"いいよい"の一言でしてくれるから、私はさらに強欲になって、遂にここまできてしまっていた。
──もっと、マルコさんと一緒にいたい。
『…また週末、な』
「はい」
『じゃあ、切るよい』
「あ」
『また明日も電話する』
「…はい」
『ん、おやすみ』
「おやすみなさい」
それを最後に電話は切れて、時計の針の音がよく聞こえるようになった。それは機械的な、規則正しく時を刻む音。さっきまで聞こえていた心地のいいものとは正反対で、私の眠気を全く誘ってくれない。
前までなら電話が終わった後は胸いっぱいになってすぐに眠れたのに、今は寂しくて、早く声が聞きたくて仕方がなかった。
「会いたいな…」
暗くなったスマホ画面を眺めていると、ぽん、と通知がきて、トーク画面を見ればベッドで眠るパイナップルのスタンプが来ていて、ふふ、と笑みが溢れた。
そのスタンプのおかげで少し寂しさが減ったから、お返ししようとスタンプを選んでいたら、またマルコさんからメッセージが送られてきた。
その一文を見て、私は枕を抱きしめ顔を埋める。
"俺も、会いたい"
◇ ◇ ◇
待ちに待った土曜日の夕方。
電車を降りて改札を出ると、いつもと同じ場所で待ってくれているマルコさんは、誰かと電話をしていた。電話中は近くに行かない方がいいかと待っていたら、私に気づいたマルコさんが手招きしてくれて、駆け寄ればマルコさんが笑いかけてくれたので、えへへ、と笑い返せば手を握ってくれた。
「…美味かったか。そりゃ、良かったよい……は?足りない?」
笑いながら話していたマルコさんは、急に険しい顔に変わり、酒を飲みすぎるなとか、医者の言うことを聞け、と注意していた。すると、すごく小さい音で全ては聞こえなかったけど、うるせぇとか、酒が飲めないなら死んでやるとか、アホンダラァ、と電話の相手は怒っているようで、マルコさんが反論する。このまま口喧嘩が始まるのかと、少しヒヤヒヤしていると、話題が変わったのかマルコさんの表情が少し穏やかになった。
「あぁ、それなんだが今年は無理だよい…え?あ、いや、そう言うんじゃなくて…いや、だから駄目だって…」
今度は何か揉めているようで、困る、とか、駄目だと、マルコさんが言うと、向こう側から、ケチケチすんな、とか、グラララと変な笑い声が聞こえたりと、折り合いがつかない様子。
「んじゃ、切るよい。あぁ、盆は帰る」
決着はついてなさそうだったけど、マルコさんはその言葉を最後に電話を切り歩き出したので、私の足もつられて動き出す。
「今のオヤジだったんだが、親父さんと飲んだ酒で、オヤジの気に入りそうなものがあったから送ったんだよい」
「父と飲んだお酒ですか?気に入っていただけました?」
「あぁ。美味すぎてすぐ飲んじまったみたいでな。一升瓶二本じゃ足りねぇからもっと寄越せって催促の電話だった。ったく、本当にオヤジは…アホンダラァ」
「あ、アホンダラァ…」
マルコさんの父親はお酒が大好きのよう。
だからお酒ばかり飲んでいて、母親が亡くなってからは拍車がかかり、今は食事が適当になっているらしい。
マルコさんが体が酒でできている人だ、と呆れながら言うので、近くに住んでいれば一緒に食事ができるかと思い場所を尋ねると、飛行機で行くほどの距離だと教えてくれた。
「まぁ、近くに世話焼きが何人かいるから問題ねぇだろうが…帰った時に強く言うかねい」
どうせ言うこと聞かないだろうが、と小さくため息をついたマルコさんとスーパーに入った。
今日はまだ何もメニューを決めていないので、食材を見ながらマルコさんの食べたいものを作ろうとカートを押す。
「マルコさん、あれで何を作りたいですか?」
「お好み焼きが作りたいんだが、どうだ?」
「いいですね」
「あれも買っておいたんだよい」
あれ?とマルコさんを見れば、これこれと、両手で何かを持って手首を返す動きをした。
「起し金ですか?」
「正解」
二つ買ったからお店のようにやれるはずだ、とわくわくしているマルコさん。
ひっくり返してみたいなら、焼くのはマルコさんにお任せしよう。
その後、マルコさんが時々足を止めて、これが食べたい、と言ってくれるので素直にカゴの中に入れる。さらにマルコさんが、毎食一品は作りたいと申し出てくれたので、ピーラーで作れるメニューを考えながら、今日の夜から明日の夜までの四食分の食材を選んだ。
そして、マルコさんと手を繋いでいつもの道を歩き、マルコさんの家にお邪魔する。食材を仕舞い、夜ご飯の準備を始めようとすると、マルコさんは私の後ろに立った。
「俺、サラダ担当な」
「私は親子丼担当です」
まな板が一つしかないので、先に私が使って、煮込んでいる間にマルコさんがサラダを作ることにした。
さっそくまな板に玉ねぎを置き、シンク下を開けようとして、私は先週とその前の週のことを思い出す。
今日は、どの位置に仕舞われているのかな…。
「…」
恐る恐る開けて包丁の位置を見た瞬間、頭の片隅に隠れていたものが顔を覗かせ、胸に痛みが走った。
また、私以外の人が包丁を使ってる…。
「マルコさん」
「ん?」
"誰が包丁を使ってるんですか?"
その言葉が喉まで出たけど、マルコさんの口から聞かされるかもしれない答えが怖くて、私はぐっ、と呑み込む。
きっと、マルコさんの友だちが、使った形跡がなかった台所に調理器具が揃ったことを知って、使っているだけ。私の考えているようなことじゃない。
そう自分に言い聞かせながら包丁を眺めていると、頭上から声をかけられる。見上げると、マルコさんが心配そうな顔で私を見ていたから、慌てて、今日はマルコさんがお風呂先にと話を振れば、また客が先だと言われてしまった。
「「いただきます」」
無事に完成した親子丼とサラダをテーブルに運び、手を合わせる。
今日はどうかなと、親子丼をもぐもぐ食べるマルコさんを見る。視線に気づいたマルコさんが私を見ながらもぐもぐし続けて、口の中がなくなると美味い、と笑ってくれた。
うん、今日も美味しく作れて良かった。
笑い返しているとマルコさんがサラダを食べろと言うので、素直に箸で取っていただく。
…あれ?このサラダ、味付けがいつもと違う。
マルコさんを見れば、何かを待っているのか、私を見ながらうずうずしている。
このドレッシングはオリーブオイルと、レモンかな。手作りの味がして、すごく美味しいと伝えれば、マルコさんはへへ、と笑った。
「ドレッシング、どうしたんですか?」
「あのな、サッチに聞いたんだ」
ドレッシングを作りたいと相談したら、サッチさんが材料を教えてくれて、作り方は動画付きで送られてきたという。照れ臭そうに何回か練習したんだと言うマルコさんが可愛くて、無意識にマルコさんの頬へ手がいき撫でてしまった。するとマルコさんが嬉しそうに笑ってくれて、私もつられて変な笑い声が出る。
うん、胸の痛みはもうない。大丈夫。
「気に入ってくれたか?」
「はい。私も今度作ってみます」
「よい」
マルコさんお手製のサラダも、私の親子丼も完食したら、マルコさんが食洗機に食器を入れて、私はソファとローテーブルの間に座ってマルコさんを待つ。
今日はお菓子を食べないけど、いつものをやってほしくてここに座ってしまった。おそらく気づいているマルコさんが、コーヒーを淹れながら私を見て肩を揺らしながら笑っているけど、恥ずかしくない。
まだかな、まだかなとマルコさんを見ていると、お風呂の準備をしに一瞬姿が見えなくなったけど、すぐにカップを二つ持って来てくれた。そして、カップをテーブルに置いて、マルコさんはソファに…ではなくて、私の隣に腰を下ろした。
「え?」
「ん?」
「あの、ソファ…」
どうして隣に座るのか分からなくてマルコさんを見れば、すごく優しい顔と甘い声で私を誘った。
「ここ、おいで」
ここ、と言うのは、胡座の上。
やってほしかったことではないけど、マルコさんの"おいで"の一言で私の体は勝手に動き出した。
マルコさんとローテーブルの間を四つん這いで進んで、そっと胡座の上に腰を下ろせば、太い腕が私の腰に巻き付いて背中がじんわりと温かくなる。
「そういやぁ。サッチが帰って来る話、しただろ?」
「はい。いつ帰って来られるんですか?」
「再来週。一ヶ月はいるよい」
「そんなに長くこっちにいるんですね」
私が心配することではないけど、一ヶ月もお店を空けて大丈夫なのかと聞いてみると、いつもそうなのだと教えてくれた。頻繁には帰って来られないから、帰ってくる時はいつも一ヶ月はいるようにして、知人に会うためにあちこち行っているのだそう。マルコさんと会うのも一ヶ月の間で数回だけで、その時はイゾウさんも一緒らしい。
「どっかの日曜日でと思ってるんだが、お前さんもどうだ?」
「はい。日曜日ならマルコさんの家にいるので、いつでも大丈夫です」
ご飯も一緒に作って食べれるのか聞いてみると、そのつもりだとマルコさんが言ってくれたので、すごく楽しみになった。
その時は何を作ろうかな。サッチさんがあまり作らないものがいいかな。
「楽しみか?」
「はい。サッチ丼、食べれますか?」
「くく、それは絶対ある」
「マルコさんはサッチさんの料理で他に好きなものあるんですか?」
「…サッチ焼き」
まるでサッチさんが焼かれてしまうような料理名。
その後もマルコさんは、サッチ煮、サッチ蒸し、と言い続けるので、私の頭の中では会ったことないサッチさんが次々に料理されていく。
本当にそんな料理名なのか聞いてみたら、たぶん、と曖昧な答えが返ってきた。もしかしたら、サッチ丼も正式な名前ではないのかもしれないけど、きっと美味しいから、楽しみなのは変わりない。
「イゾウさんも作りますか?」
「どうだろうな。お前さんとサッチと俺が作ったら品数は十分だからねい」
「ふふ、マルコさんも作りますか?」
「サラダ担当は俺だろい?」
マルコさんが当然のような顔をしながら言うので笑ってしまった。
初めはあんなに料理はやりたくないと首を横に振っていたのにな、と内釜を必死で押し返すマルコさんを思い出してさらに笑いが止まらなくなる。
お米を洗うのも、じゃがいもを潰すのも、パスタを茹でるのも、パスタソースを作るのも、ピーラーを使うのも、私が教えればマルコさんはできるようになった。
「マルコさん、そろそろ包丁使いませんか?」
料理を嫌がらないのなら、包丁もすぐに使えるようになるはず。
そう思って聞いてみたけど、マルコさんから一向に返事がこない。見上げれば、マルコさんは何かを考えていた。その表情はとても真剣で、ただ、何か迷っているようにも見える。
話しかけない方がいいかとしばらく見つめていると、は、と私に気づいたマルコさんが視線を彷徨わせ、あ、そうだな…と言葉を探し、まだいいと首を横に振った。
「野菜を大きめに切るところからはじめれば…どうですか?」
それに隣に私がいるから大丈夫だと伝えても、マルコさんは頑なに首を横に振る。
もしかして刃物が怖いのかと思ったけど、そうではない様子で、なら使ってみようともう一度誘ってみても、マルコさんはまだいいと言うだけ。
どうして包丁にこれほど抵抗があるのかな。怖くないなら、他にどんな理由が?
理由が分かれば何か方法がありそうだけど、マルコさんは教えてくれなさそうだから自分で考えるしかない。けど、理由が全く思いつかなくて、うんうん唸っていると、ちょん、と背中をつつかれた。
「そろそろ、風呂入るか?」
「あ、そうですね」
どうぞ、腰に回っていた腕の力が弱まったので、荷物を持って脱衣室に向かいながら、"マルコさん包丁マスター作戦"を考える。
サッチさんが来るのなら、それまでに包丁を使えるようにして驚かせたいな。けど、嫌がってるマルコさんに強引にやらせて怪我をさせたら大変だから、無理強いはできない。
どうしようかな、と考えながら脱衣室に入り、何となく鏡がある方を見る。
「え…?」
それを見た瞬間、足がすくみ、消えていた胸の痛みが再び現れた。
化粧洗面台の淵に置かれているものは、どう見てもマルコさんのものには思えない。早く視界からそれを無くしたいのに、私は目を逸らすことができなかった。
「…ぁ」
私の憶測だから違っているはずだと、違っていてほしいと思っていたのに、今日も包丁の位置が違っていて、ここに綺麗なピアスがあるということは、憶測ではないのかもしれない。
「…」
きっと違うと、先ほどまで考えていたことはもう頭の中に残っていなくて、どんどん胸の痛みが酷くなる。
これをつける人は、マルコさんとどんな関係なんだろう。私と同じなのかな、それとも違うのかな。
この大きめのピアスはマルコさんが選んだのかな。楽しげに、絶対似合うって、笑いかけながら買ったのかな。
これは私には似合わないな。まぁ、穴を開けていないから、そもそもピアスをつけられないけど。もし、穴を開けてたらマルコさんもピアスを選んでくれたのかな。あ、アウトレットでネックレスを断ったから、ピアスは貰えないかも。
「…」
マルコさんはピアス以外には何をプレゼントしたんだろう。
これをつける人は私みたいに遠慮せずに、素直に受け取ったのかな。
私みたいにマルコさんに甘えて、マルコさんは"いいよい"ってしてあげるのかな。
「…」
私だけじゃ、だめなのかな…。
「…私、何考えてるんだろう」
マルコさんが誰と会おうと、誰を家に招こうと、何かを言う権利はない。だって私は、ただのご飯係。
けど、胸を締め付ける痛みは酷くなる一方で、欲深くなった私の中から良くない感情が生まれて、早くお風呂に入らないといけないのに、体は動いてくれない。
「大丈夫、大丈夫」
腕に抱えていたものを、強く抱きしめた。
お風呂から出た後に着るのは、マルコさんが買ってくれたパジャマ。マルコさんが、選んでくれたもの。
マルコさんは私に会いたいと、一緒にいたいと思ってくれてる。それがどんな理由でも、ご飯が食べたいという理由だとしても、きっと、マルコさんはこれからも私に会ってくれて、"いいよい"って言ってくれる。
だから、私はこれで満足しないと。
大丈夫、私はこれからもご飯係を続けられる。
「お風呂、入らなきゃ…」
◇ ◇ ◇
午前十時過ぎ、インターホンが鳴った。
ソファに座り、足の間に私を座らせていたマルコさんが、来たねいと呟き、私を床に下ろしてモニターの方へ行くと、通話ボタンを押した。
『宅配でーす』
「どうぞ」
しばらくすると玄関のインターホンが鳴り、マルコさんがリビングを出て、段ボールを抱えて戻って来た。
ローテーブルに段ボールを置いて、ソファの下に二人並んで座り、早速開ける。
マルコさんが買ったのはホットプレート。二、三人用のサイズで、たこ焼きプレートやグリルプレートも付いていた。
「サイズが小さめなので、お好み焼きをひっくり返すときに外に出ないように注意しないとですね」
「…難しいのか?」
「いえ、難しくないですよ」
分かりやすい動画はないかとスマホで探してみると、起し金で解説している動画を見つけた。マルコさんが実際に起し金を持ちながら練習すると言うので、何度か練習していると、またインターホンが鳴る。
誰か来たのかな、とモニターの方へ行くマルコさんを見送り、動画を最初に戻してもう一度見ようとするとモニター越しから『宅配ですー』と声がした。
え、また?
またもう一度インターホンが鳴って、マルコさんがリビングを出て段ボールを持って戻って来る。
「何を買ったんですか?」
「へへ、これだよい」
箱を開けて、自慢げに見せてくれたのはプロジェクター。
前に映画を観ようと話になった時に、プロジェクターやスピーカーを買おうとしていたマルコさんは、諦めていなかったらしい。
これもセールしてて安かったんだ、と嬉しそう話すマルコさんの横で、プロジェクターのメーカーと品番をスマホで調べて、思わず声を上げてしまった。
「マルコさん!?」
「よ、よいっ!?」
こんな値段の高いプロジェクターでなくても良かったのでは!?
もっと良心的な値段のものがたくさん並んでいるのに、マルコさんが買ったのは上位の方のものだった。調べてみると確かに解像度もすごく高いし、音も良さそうで、高いだけはある。
すごく良いものだけど、こんなに高い値段のものでなくてもと、レビューを見ている私に、マルコさんが恐る恐る声をかけた。
「二〇パーセントオフ、だよい?」
「それでも高いですよ…」
「ぽ、ポイントが多く貰えた、よい?」
「買った金額に比べたらポイントなんて大した額では…あ、これ天井投射できるんですね」
「そ、そうなんだよい!」
とてもいいものだからと、力説するマルコさん。
まぁ、マルコさんが買ったもので私が何か言うことでもないから、値段の話はこれぐらいにしておかないと。
一通りレビューを見たらどのコメントも高評価ばかりなので、そんなにいいものなら映画とか見てみたい、とマルコさんに笑いかければ、ほっとした顔をした。
けど、またまたインターホンが鳴り、マルコさんの顔が強張る。
まさか…。
『宅配です!』
プロジェクターを買ったということは、マルコさんはあれも買うはず。
マルコさんは段ボールを持ってリビングへ戻って来ると、私を見て、段ボールをぎゅっと抱えながら、意を決したような顔で声を上げた。
「これはなんと、四〇パーセントオフだよい!」
まだ何を買ったのか教えてもらっていないけど、「そんなにお得なら買っちゃいますね」と私は言うしかなかった。
買ったのは、もちろんスピーカー。
テレビにもプロジェクターにも繋げられて、音質もすごく良い、とマルコさんが教えてくれる。けど、プロジェクターと同じようにスマホで調べてみたら、私はもう何も言えなくて、その反応を見たマルコさんが、あのよい、と弱々しく口を開いた。
「その、お前さんと大きな画面で色んなものを見たくて、よい…」
本当は、これ以外にも買いたいものがあったそう。
ネットショップを見ていたら、私と一緒にしたら楽しそうだな、と思うものが出てきた。けど我慢して、この三つを買ったんだと、マルコさんは私の肩に顔を埋め、ちら、と私の様子を伺う。
そんなマルコさんが可愛すぎて、今の話で胸がいっぱいになり、堪らず抱きついてしまった。
マルコさんの中で、私の存在は小さくない。
マルコさんは、私とやりたいことがたくさんあるんだ。
「せっかく買ったんですから、たくさん使わないとですね」
「!」
「来週、寝室で、ベッドに横になって映画見ませんか?」
「よい…へへ」
マルコさんは来週は少し夜更かしだ、と顔を綻ばせ、お昼なったからお好み焼きを作ろうと動き出したので、後を追って台所へ。
お好み焼きの材料は、お好み焼き粉、キャベツ、卵、豚バラ肉だけ。キャベツは私が刻むけど、他は簡単だからマルコさんにお願いしようとしたら、卵を指差して、割り方を教えてくれ、とお願いされた。
マルコさんは、一度も卵を割ったことがない。卵を使った料理は今まで何回も作ってきたけど、割りたいと言われたことはなかった。だから今、とても嬉しく、やる気満々のマルコさんに向けて全力で頷いた。
「では、やりましょう」
「よい」
卵の割り方は、平らな場所に卵の中央を軽くコンコン、と打ち付けてヒビを入れ、ヒビに両手の親指を入れて、左右に開くだけ。やることは難しくないけど、打ち付ける力加減が難しい。
お好み焼きに使う卵は二つで充分だけど、多く割ったら卵焼きにすればいいか、と私が教えながら一つ割ってみせた。
「強く打ち付けなくて良いですよ。ぐしゃってなっちゃいますから」
「よい」
マルコさんが卵をワークトップに向けて、コン、と一回打つ。卵を見るとヒビが入っていなかったから、もう一度、コンコン、と打つ。けど、まだ割れ目ができていない。
「もう少し強く打ちましょうか」
「ん」
それから、少しずつ力を強くしていき、何回目かでしっかりヒビが入った。そして、割れ目に親指を当てて、ゆっくりと左右に開く。すると、ぱか、と殻から卵が綺麗に出てきたのだ。
まさか一回でできるとは思わず、私もマルコさんも驚いてお互いを見合わせ、顔を綻ばせ、二人でできたできた、とはしゃいでしまった。
「すごい!マルコさん一回で!」
「お、俺もまさかだよい!」
たかが卵割りで、ここまで楽しい時間になるなんて。イゾウさんが見ていたら、「楽しそうで何より」と言いそう。
それからマルコさんはもう少し練習したいと言うので、三個分の卵割りをお願いすれば、三回中三回共卵割りに成功して、マルコさんは卵割り名人になった。
「ホットプレートはニ〇〇度でお願いします」
「ん」
温まったプレートに作った生地の半分を丸く広げ、豚バラ肉を乗せ、マルコさんは両手で起し金を持ち、その時を待つ。
けど、目の前でジュージューと音をさせながら、いい匂いがしてきたお好み焼きを前に、マルコさんはうずうずしていた。その時までじっと待てるのかと、マルコさんを見ていれば、焼き始めて一分後、マルコさんがそろ、と起し金で裏を見ようとするので、待て、とマルコさんの手を掴む。
「まだか?」
「三分ぐらい待ってください」
「…まだ「まだです」」
まだかまだかと、私を見るマルコさんに、まだですまだです、と答え続けた。
約三分の間に何回"まだです"を言ったかは数えていないけど、十五回は言った気がする。
「マルコさん、良いですよ」
「!」
遂にきた、とマルコさんが肩を揺らして、起し金をお好み焼きの両側に持っていき、下へそっと差し込む。差し込みが足りなかったので、もっと奥まで、と声をかければ、ん、と起し金を押し込んだ。
マルコさんはとても真剣。私も声をかけずに、お好み焼きがひっくり返るのをじっと待つ。
「よいっ」
やる気十分の声と共にお好み焼きがひっくり返…ってはいなくて、お好み焼きは一ミリも動いてなかった。
マルコさんがその後も「よいっ」「よいっっ」と掛け声を出すけど、手が動かないのでお好み焼きはそのまま。
「マルコさん、私が「俺がやる」」
とは言うけど、マルコさんは全くひっくり返そうとしない。このままでは焦げてしまうから、もう一度、私が、と手を出すけど、マルコさんは起し金を渡してくれない。
…このままでは、真っ黒焦げになったお好み焼きを見て、しゅんとするマルコさんを見ることになりそう。だから私は、マルコさんを急かすことにした。
「マルコさん、いきますよ」
「え?」
「はい、ではご一緒に」
「ちょ、ま、まま」
「せーのっ」
「「よいっ」」
急かすように合図を送れば、マルコさんは焦りながらも手首を返してくれた。けど、位置がずれて半分ほどホットプレートから出てしまい、慌てているマルコさんから起し金を借りて、お好み焼きの位置を戻す。
その三分後、マルコさんにひっくり返すのをお願いすれば、よし、と再び起し金をお好み焼きに差し込む。今度は片面が焼けているから簡単かな、とお好み焼きがひっくり返るのを待っていたけど、なかなかひっくり返らない。どうしたのかとマルコさんを見れば、マルコさんは私を見ていた。
「あのよい、合図…」
マルコさんはタイミングが分からないと、困った顔をしていた。
「ふふ、では、いきますよ」
「ん」
「はい、せーのっ!」
「「よいっ!」」
今度は位置がずれることなくひっくり返すことができて、マルコさんはよし、と小さくガッツポーズ。
合図が気に入ったのか、二枚目の時もすることになり、よいっ、よいっと無事に二枚のお好み焼きが完成した。
「一枚目は少し焦げちまったねい…」
「これはこれ、です」
たくさんの青のりと鰹節をかけたお好み焼きは、マルコさんが焼いたということもあって、美味しさが何倍にも増していた。
そんな美味しいお好み焼きをパクパク食べていると、マルコさんが卵焼きを口元へ運んでくれたので、パクリと食べる。自分で言うのも何だけど今日の卵焼きは上手にできたな、ともぐもぐしていれば、マルコさんに来週の話を振られた。
「どこか行きたいところないか?」
「そうですね…」
「何処でもいいよい」
「うーん、あ、行ってみたい場所があるんです」
「どこだ?」
パイナップルコーンを買った日から、何となく観葉植物が気になって調べてみたら、大きなガーデンセンターがあることを知った。珍しい植物もたくさんあるようで気になっていたから、マルコさんがよければ行ってみたい。
スマホでここ、とサイトを見せてみると、マルコさんは頷いてくれた。
「俺も何か置こうと思ってよい。一緒に決めてくれないか?」
「どんな植物がいいですか?」
「お前さんが気に入ったやつ」
「ふふ、私任せですか?」
「お前さんが選んだものがいいんだよい」
「どんなものを選んでも買ってくださいね?」
「まかせろ。その代わり」
私の家に置くものは俺が選びたいと、マルコさんが言ってくれて、私の胸は嬉しさでいっぱいになった。
マルコさんが選んでくれた植物を置いたら、自分の家にいる時も寂しくないかな。それがあれば、これ以上、マルコさんに甘えなくてすむのかな。
「マルコさん」
「ん?」
「どんな植物でも絶対買うので、選んでくださいね」
「ん。真剣に選ぶよい」
どんなものを選んでくれても買おうと心に決め、マルコさんといられる残り八時間を、幸せに浸りながら、心を満たしながら過ごすのだった。