パイナップルからはじまる恋
「お試しでいいって言われて、なんで付き合わなかったの?あんな優良物件を逃すなんて…!」
私は今、仲の良い女友だちから家で遊ばないかと誘われ彼女の家にいる。行く途中で買ったコンビニスイーツを開けて、彼女が淹れてくれた紅茶を楽しんでいたのだけど、同級生を振ったのは本当かと話を振られる。
本当だと伝えれば、同級生と遊んだ時のことや告白の時など根掘り葉掘り聞かれ、彼女の圧に負けて全て話をしたら信じられないと言われてしまった。
どうして彼女が振ったことを知っているのかと言うと、同級生がSNSでフラれて凹んでいる的な投稿をしたようで、それが回り回って彼女のところにも届いたからだった。投稿だけでは相手を特定できないのに、彼女は過去の投稿を見れば私だと分かると探偵のようなことを言う。
あ、そういえば、マルコさんはSNSとかしてるのかな。
「他所ごとを考えるんじゃない!」
「ご、ごめん」
「もうすぐ大台に乗るんだから、少し焦った方がいいんじゃない?」
「そんなこと言われても…」
彼女と違って焦りはあまりない。いい人がいれば、と思ってはいるけどアプリはやってないし、合コンも街コンもここ半年以上は行っていなかった。
出会いを求めるにしても、日曜日はマルコさんの家にいたいし、土曜日は自分の用事や家のことがやりたいから暇ではない。そもそも、そんなことをするぐらいならマルコさんともっと一緒にいたい。
流石に目の前の彼女に四十過ぎたおじさんに会いたいから出会いを探す時間なんてない、なんて言えるわけはないから"焦っていないからいい"とだけ答えた、のだけど。
「もしかして、前に話してた四十超えおじさんと関係ある?」
「…」
彼女はどうして聡いのだろう。
隠したい話題を振られて咄嗟に紅茶へ視線を落とす。けど、その行動を怪しんだ彼女からまだパパ活をしているのかと言われたので反論したくなり顔を上げた。
「だからパパ活じゃない。ただ週に一回マルコさんの家に行ったり、偶に遠出したり、一緒に寝…」
しまったと慌てて口を閉じたけど、彼女が"寝"を聞き逃す筈はなかった。寝たのかと問い詰められ、全力で体の関係にはなっていないと説明したけど信じてくれない。
体の関係になっていないことは信じて欲しくて洗いざらい話をすれば、彼女は呆気に取られていた。
「…そこまでいってるのに求めてこないって、なんでよ?」
「ご飯食べたいだけなんだと思う」
「週に一回の為にそこまでする?」
「分かんない」
分からないけど別にいいと答えれば、いいわけないでしょうと彼女に言われてしまう。
けど本当に、今のままでいい。
「どうしたいの?そのマルコさんと付き合いたいの?好きなわけ?」
「…さぁ」
「さぁって…恋愛初心者じゃないんだから」
「一回りも上の人と仲良くなったことない」
「あぁそっか、年上は初めてか。写真撮った?」
「とっ、て…ない」
「見せなさい」
私は本当に嘘が下手。インコとマルコさんのツーショットを見せれば彼女は想像していたおじさんじゃないと驚いていた。どんなイメージをしていたのか尋ねれば、ちょっとお腹が出てる年相応のおじさんと教えてくれる。どうしてそんなイメージだったのかは分からないけど、マルコさんはイメージとかけ離れているから驚くのも無理はない。
「何この人、めっちゃ体つきがいい」
「身長は二メートル超えてるよ」
「二メートル!?」
嘘でしょ、ともう一度写真を眺め、他にないのかと言われたので可愛い料理姿を見せれば、どうしてこんな時の写真を撮ったのかと不思議がられた。
可愛いから撮ったんだけど、伝わらないのかな。
「大きい人だけど、可愛いの」
「可愛い?どこら辺が?」
「食べる姿とか、首を傾げる姿とか、笑顔とか、もう色々と可愛い」
マルコさんは可愛くて、優しくて、温かい人。
ここまで話したらもう何も隠す必要はない。先週遠出をして運動したくなったから、ここへ来る前にウォーキングシューズを買ったとか、明日もマルコさんの家に行くことや、明日が待ち遠しいと素直に話せば彼女はぽかん、と私を見る。
「ねぇ」
「何?」
「マルコさんにもその表情してるの?」
どんな表情なのか分からなくて彼女に尋ねれば、彼女は頬杖をつきながら苦笑をするだけで教えてはくれなかった。
◇◇◇
「マルコさん、これが昨日買ったウォーキングシューズです」
「お、いいねい」
「通勤の時は一駅前で降りるようにして、階段も使うようにします」
「よいよい」
マルコさんが車で迎えに行くと言ってくれたけど、歩きたくて最寄駅で待ち合わせにさせてもらった。
ここに来るまでの間でウォーキングシューズは本当に歩きやすいんだと感じた。一度も履いたことがなかったからスニーカーとどこが違うのか分かってなかったけど、歩いてみたら違いがよく分かる。
これなら続けられそうで、またマルコさんとあの階段に挑戦できるように頑張るんだと話しながらいつものスーパーへ。
「今日は何食べたいですか?」
「あのよい」
「なんですか?」
「ピーラーなら、俺でもできると思うか?」
包丁はまだやりたくないけどピーラーならやってみたいと、マルコさんから申し出てくれた。マルコさんからやりたいと言ってくれたのが嬉しくて、私は全力で頷き、ピーラーをカゴに入れ、ピーラーをたくさん使う料理を考えた。
「よし」
家について、やるぞ、と隣に立ったマルコさんの手にはピーラー。まな板にはにんじんを置いて、側にはきゅうりと大根が順番待ちをしている。
野菜の持ち方、ピーラーの持ち方や刃の向きを教えながら、先ず私がやってみせる。すると、見ていたマルコさんができそうだと言うので交代した。
「…ぐ、」
「マルコさん、もっと軽く。力入れずに横に滑らせて」
「こうか?」
横に滑らせたけど、にんじんに刃が当たっていなかったようで空振りになってしまった。ピーラーのアゴを教えて、アゴを当てながら軽く横に動かすんだと伝え、マルコさんが何回もやってみたけど難しい様子。
「よい…」
十回やってもスライスができなくて、マルコさんは悲しい顔をして止めてしまった。俺は一生野菜をスライスできないんだと嘆き始めてしまって、練習あるのみだと励ますけど立ち直ってくれない。
「マルコさん、時間ありますから、ね?」
「…一生サラダが食べられねぇよい」
「マルコさんはやればできる男ですよ。もう一回」
マルコさんの手に自分の手を重ねてにんじんにピーラーのアゴを当てる。本当なら後ろからやりたかったけど、マルコさんが大きすぎて私が後ろにいたら前が見えないので横からマルコさんの手を掴んでにんじんをスライスした。
「できました」
「…」
「ね?できたでしょ?」
「もう一回」
「はい、もう一回」
もう一回を三回繰り返し、私が手を離してマルコさんだけでやってみると、分厚いけど無事にスライスができた。
「で、できたよい!」
「できましたね」
上手だと拍手を送れば、よい、と顔を綻ばせ再びやる気を出してくれた。
それからマルコさんは黙々とにんじんをスライスし、きゅうりも大根も全てスライスできた。
ここまでこれば、あとはマルコさんでも簡単。ボールにスライスした野菜を入れて冷水で締め、よく水を切ってソースを絡めればサラダの出来上がり。
「マルコさん作のサラダの完成です」
「…全部俺が?」
「そうですよ」
私の頭にピーラーがあればもっと早く一人でできるようになれたのにと申し訳なくなったけど、子どものように目を輝かせてサラダを見るマルコさんに何も言えなかった。
マルコさんがサラダの写真を撮ったり眺めている間に私はオムライスを作り、撮影会が終わったマルコさんにサラダを皿に盛り付けてもらいテーブルへ。
いつものように隣に促されたので座り、手を合わせた。
「「いただきます」」
サラダはどうかな。
もぐもぐ食べるマルコさんを眺めていれば美味いと呟き、サラダを箸で掴みこちらへ向けてくる。私は素直に口を開けてサラダを食べさせてもらい、しばらく一緒にもぐもぐした。
「シャキシャキしていて美味しいですね」
「ん」
「あー、あむ」
「美味い?」
「ん…はい」
「へへ」
「マルコさん、オムライスも食べてください」
スプーンで掬って口元へ運べば、マルコさんは素直に口を開け食べてくれた。私を見たまま口を動かし続け、喉が動いて美味いと笑うと、あ、と口を開けてきたのでもう一口運ぶ。
「ん、美味い」
「ふふ、良かったです」
「もう一口」
「はいどうぞ」
自分のを食べながら、あ、と口を開けてくるので食べさせながら、ん、と言うので食べさせてもらいながら、なんだか不思議な食事時間となったけど、綺麗に完食。
それからいつものお菓子タイム。今日のお菓子は何だろうとローテーブルの前に座り待っていれば、マルコさんがコーヒーとお菓子をテーブルに置いて私の真後ろの位置でソファに座る。
「よいしょ」
マルコさんが私の腰を掴んで足の間に座らせた。
今日はテレビをつけることはなく、体が勝手に前屈みになることはなかった。
マルコさんが買ってきてくれたのはバームクーヘン。包丁で切らないといけなかったから、これならマルコさんでもできるかもと提案してみたけど、まだいいと首を横に振るので私が切る。食べる分だけ切っているとマルコさんから全て切って欲しいと言われたので全て扇形にし、一つ手にとって食べようとするとちょんちょん、と背中をつつかれた。後ろを向けばマルコさんが口を開けて待ち構えている。
「食べたいですか?」
「食いたい」
放り込めと言わんばかりに大きな口を開けるので、言われた通り口の中へ。何層にもなる年輪はふっくらしていて、外側の砂糖衣がやさしい味わいを引き立て、とても美味しい。もう一つ、もう一つと夢中で食べていると、肩に重みを感じて横を向けば、マルコさんに自分ばかり食べてないで俺にもと言われてしまった。
「す、すいません」
「くく、まぁ、気に入ってくれてよかったよい」
このままだとクッキーの時と同じように夜ご飯が食べられなくなる。食べきってしまいそうだけどここで残しておこうか、それとも全て食べて運動をしてお腹を空かそうか。
ウォーキングシューズも買ったし、散歩ができればとマルコさんを誘ってみると近くに総合公園があると教えてくれた。
家と駅の間には公園らしきものはなかったからどこにあるのかと尋ねれば、マルコさんがマップアプリで見せてくれて、公園は歩いて三十分ほどの所にあった。総合公園なら相当の広さで広場もあるはず。ただ行って帰ってくるだけでは勿体無いから何か遊べたらと思うけど、残念ながら遊ぶものは持っていない。まぁ、往復一時間の散歩でもそれなりに運動になるだろうからそれだけでもいっかと思っていると、マルコさんは何かを思い出したのか、私を床に下ろしてリビングから出て行った。
「公園でこれでもやるか?」
「バドミントン?」
「あぁ。何故か家にあった」
「マルコさんが買ったんじゃないんですか?」
「それがな…」
言葉を待っていると、どうして家にあるのか分からないと言う。そんなことあるのかと思ったけど、本当に覚えていないようで、知り合いの忘れ物だと思うと曖昧な答えが返ってきた。
「バドミントンはできるか?」
「体育の授業ぐらいでしかやったことないです」
それに全く上手ではなかった。けど、せっかくだからやってみたい。マルコさんの相手には全くならないと先に謝れば、遊びだから大丈夫だと笑ってくれた。
「なら今日はしっかりお腹を空かせて夜ご飯ですね」
「だねい」
「ふふ、今日はご馳走作るので楽しみにしててください」
「?」
◇◇◇
「行くよい。ほいっ」
「あ、あ、…えいっ!」
「…ふ」
「…マルコさん、どうして楽しそうなんですか?」
「ん?…あ、いや、笑ったつもりはないんだが。ただ、かわぃ…」
「かわ?」
「…なんでもねぇよい」
放物線を描くシャトルに狙いを定めて大きく振りかぶり、見事にシャトルは地面に落ちた。
これで何回目だろう。ラリーは一回も続かない。そんな楽しくないバドミントンをしているのに、どうしてかマルコさんは微笑んでいる。
"かわ"が何か気になったけど、打ってみろと言うのでシャトルを投げてラケットを思いきり振る。けど、風を切っただけでシャトルはまた地面に落ちた。その姿はなんだか儚げで、私は一生この子を空に上げることができないんだと悲しくなってきた。
「マルコさん、全く当りません…」
「上からじゃなくて下からだよい」
「下から?」
「こんな感じ」
マルコさんが振り方を見せてくれたので真似てみれば、そうそうと頷いてくれたので今度は下からマルコさんの方へ打ってみることに。
「よいっ…えいっ!」
「…」
「…できない」
「できるよい。ほら、もう一回」
「無理です…」
シャトルを投げて、下から振り上げてみたけど見事に空振り。このままでは一回もラリーが続かずにお腹も空かずに夜ご飯になってしまう。けどもう私には無理なんだと諦めていると、マルコさんがシャトルを拾った。
「シャトルは投げなくていい」
「投げないんですか?」
私の後ろに立ったマルコさんが、一緒にやろうと私の手を掴んだ。
「シャトルはこの位置」
「ここ?」
「そう。んで、ラケットは…」
マルコさんの操り人形となった私はただただ言われた動きをする。腕はまっすぐ前に伸ばしてシャトルは投げずに手を離すだけ、ラケットも腕を伸ばしたまま振り上げるんだとマルコさんが私の体を何回か操作して、打ってみようとシャトルから手を離せばマルコさんが私の右腕を動かす。すると、ポンと音がしてシャトルが少し先で落ちた。
あ、打てた。
「な?簡単だろい?」
「マルコさん、もう一回」
「ん、もう一回な」
もう一回を三回繰り返し、一人でやってみろとマルコさんが離れたのでいざ挑戦。
マルコさんがしてくれた動きの通りに腕を伸ばしてシャトルから手を離し、ラケットを下から振り上げれば見事にシャトルが空に上がった。
「で、できました!」
「できたねい」
マルコさんが上手だと拍手をくれて、嬉しくなってやる気が出てきた。これなら一回ぐらいはマルコさんに届けられそうだから、マルコさんから少し離れた場所に移動して構える。
「んじゃ、目指せ十回」
「え、…そ、それは無理です」
「十回できるまで帰れねぇよい」
「マルコさん、スパルタ指導嫌いのはずじゃ…!」
「はは、そうだった」
そんな意地悪するならご馳走作ってやらない、と抵抗すれば今日のメニューを聞かれる。
驚かそうと思ったけど、十回もできる気がしないから教えてあげよう。
「鯖の煮付けです」
「に、煮付け!?」
「はい。でも、マルコさんが十回できないと帰らないって言うなら、きっと今日は作れ「ラリーはできなくていい」」
マルコさんは早く帰ろうとラケットを片付けようとしていた。まだ四時で夜ご飯には早いのにいそいそと帰ろうとするなんて、本当に魚の煮付けが好きなんだなとマルコさんの行動が面白くて笑っていると、私のラケットも仕舞おうとしてくる。
「ふふ、マルコさんっ…必死すぎますよっ」
「バドミントンなんてしてる場合じゃねぇ」
「ふふふ、でも、もう少しだけ。マルコさんとラリーしたい」
それからなんとかマルコさんからのシャトルを打つことはできたけどマルコさんまで届かなくて、五時半まで粘ったけどラリーは三回も続かなかった。けど、バドミントンっぽいことはできて満足したので帰ることに。
「煮付け、煮付け」
家に帰るまでも、家についてからもマルコさんはご機嫌で、煮付けが食べられる喜びが溢れ出ている。
煮付けを作る私の後ろで煮付けを連呼するので、あまりに楽しそうな声にどんな表情をしているのか気になって見上げてみれば、最高に可愛い笑顔で体を左右に揺らしていた。
あぁ、イゾウさんがいてくれたら動画をお願いできたのに…!
「マルコさん、盛り付けお願いできますか?」
「よいっ」
「っふ、ふふ」
マルコさんはルンルンで皿を用意して、盛り付けをしテーブルに並べてくれる。
作り甲斐があると思うと同時にこんなに楽しみにしてくれて、味が微妙だったらと不安になる。どうかな、どうかなとマルコさんの反応を見れば、見たことないほど目を見開いてくれた。それは父の料理を食べた時でも見たことない表情で、私は遂に父に勝ったのだ。
「美味い、すげぇ美味い」
「それは良かったです」
「美味い、煮付け美味い」
今度は美味いしか言わなくなってしまったマルコさんは他の料理に手をつけずに煮付けを先に食べてしまった。良ければ自分の分をあげようと思ったけど、また作ってくれればいいとそれはそれは可愛い笑顔を向けてくれたので、私は全力で頷いた。
「マルコさん」
「どうした?」
「残りのバームクーヘン食べてもいいですか?」
「もちろん。コーヒー飲むかよい?」
食洗機に食器を入れているマルコさんを見て、時計へ視線を移すと七時過ぎ。帰らないとと思いながらバームクーヘンが食べたいと言った私は、バームクーヘンを持ちソファの前に座ってマルコさんを待つ。早くコーヒー淹れてこっちに来ないかな、と台所を眺めているとマルコさんと目が合った。ん?と首を傾げてくるので何でもないと首を横に振るけど、マルコさんから目が離せられない。
「ほら、コーヒー」
カップを二つ持って来たマルコさんを目で追っていると、テーブルにカップを置いて私の後ろに座った。
けど、次の動きがなかなかなくて、不思議に思って後ろを振り向けばマルコさんがどうしたのかと尋ねてくる。
「あ、…いえ」
またやってくれるかな、と勝手に期待していた自分が恥ずかしくなり、顔を戻してバームクーヘンを取る。
毎回してくれるわけじゃないんだ。なら、隣に座ろうかな、ともぐもぐしながら腰を上げようとすると、がし、と大きな手で腰を掴まれる。あ、と思ったと同時に勢いよく持ち上げられた。
「ひゃっ!」
「よいよい」
ぼすん、と足の間に収まったのだけど、今までと違って横抱きだった。横抱きにされるとは思わなくて、驚いてマルコさんを見れば頬を撫でられる。
「これで良いかよい?」
期待していたことは気づかれていたらしい。嬉しさと恥ずかしさでマルコさんを見ていられず肩に顔を埋めれば、私の頭にマルコさんの頬が当たってすりすり擦り付けられた。横目でマルコさんを見れば優しい顔をしていて、何だか胸がいっぱいになり無意識にマルコさんの手を取って撫でていると、指を絡め力を込められた。
マルコさんの手は温かいなぁ。
「マルコさん」
「ん?」
「もうちょっと、このままがいいです」
「ん」
マルコさんの肩に顔をつけていると服にファンデーションがつきそうだから顔を離して、もうちょっともうちょっととずっとマルコさんに抱いてもらっていたらなんと三時間経っていた。
私の時間の感覚は壊れてしまったのかな?
なんでこんな幸せな時間はあっという間なんだろう?
「マルコさん、私そろそろ…」
帰らないと立ちあがろうとしたけど、名残惜しくて動きたくない。けど明日から仕事だ。帰らないと、帰らないとと勢いよく立ちあがろうとして、ぐっと腰のあたりの何かで立ち上がれなかった。視線を下げると、マルコさんの腕が腰に回されていた。
「マルコさん」
「ん?」
「これじゃ、帰れないです」
「そうだねい」
「せっかく…」
覚悟を決めたのに、迷わすことはやめて欲しかったなぁ。
見上げればマルコさんも私を見ていて、もうこんな時間か、とぽつりと呟く。
「はい。もうすぐ明日になっちゃいます」
「帰らないとねい」
「帰らないとです」
「車で送って行くよい」
「良いんですか?」
「もちろん」
よし、と意気込んだマルコさんは私を抱えたまま立ち上がり財布や私の荷物を持ってそのまま玄関へ。
どうして私はマルコさんに抱き上げられたままなのか。下ろして欲しいとお願いしたけど、マルコさんは全く下ろそうとせず、私の靴も持って玄関を開けて家を出てしまった。
歩くから下ろして欲しいと少し暴れてみると、マルコさんにさらにがっしり抱えれ、顔を近づけられる。
「駄目か?」
人に見られたら恥ずかしいけど、駄目かと聞かれれば駄目ではない。駄目じゃないと言葉にするのが恥ずかしくてマルコさんの首に腕を回して抱きついた。
そのまま車に乗せられ、私の家へ向かえばあっという間に着いてしまった。カーナビを見ればもう十時半。
「バドミントンぐらいじゃ筋肉痛にはならないと思うが、ストレッチするんだよい」
「はい。多分、腕は筋肉痛になります」
違いないとくつくつ笑うマルコさんをじと、と見れば、声を出して笑ってきて、今日は楽しかったな、と頬を撫でられる。今日"は"じゃなくて、今日"も"だと答えれば、マルコさんは目を細めて顔を近づけてきた。
マルコさんを見つめていれば、ちょん、と鼻同士くっつき、マルコさんの瞳には私しか映っていなかった。きっと今の私の瞳に映っているのもマルコさんだけなのだろう。
そう思ったら心が温かくなって自然と笑みが溢れた。
「来週はどこか行くか?」
「お出かけもいいですけどお家でのんびりしたいです」
「んじゃ、菓子買っとく」
「ふふ、楽しみにしてます…あの」
「ん?」
「ど、ようび…空いてないですか?」
来週は土曜日も予定がない。家のことをしたら夕方から時間が空く。マルコさんの家に行く時はいつも昼前ぐらいから、だから朝からとか、それこそ…。
「夕方からなら空いてるよい」
「本当ですか?」
「ん」
「…お泊まり、してもいいですか?」
「良いよい」
来週は今週よりも長くマルコさんといられることが嬉しくて変な笑い声が出てしまったけど、マルコさんも笑ってくれたからいい。
「マルコさんが言ってた喫茶店行きたいです」
「日曜日の朝はそれにするかねい」
「土曜日の夜は?」
「鯖の煮付け」
「ふふ、またですか?」
「仕方ねぇ、美味いんだよい」
「鯖じゃなくてカレイにしましょ?」
「それもいいな、決まりだ」
日曜日の昼は、夜はと食べるものを決めて、おやすみと声をかけると鼻が離れてマルコさんの顔がようやく見えた。その表情を見て、私は昨日女友だちに伝えたことは本当だとしみじみ思う。
マルコさんは可愛くて、優しくて、温かい人で、
私の────
私は今、仲の良い女友だちから家で遊ばないかと誘われ彼女の家にいる。行く途中で買ったコンビニスイーツを開けて、彼女が淹れてくれた紅茶を楽しんでいたのだけど、同級生を振ったのは本当かと話を振られる。
本当だと伝えれば、同級生と遊んだ時のことや告白の時など根掘り葉掘り聞かれ、彼女の圧に負けて全て話をしたら信じられないと言われてしまった。
どうして彼女が振ったことを知っているのかと言うと、同級生がSNSでフラれて凹んでいる的な投稿をしたようで、それが回り回って彼女のところにも届いたからだった。投稿だけでは相手を特定できないのに、彼女は過去の投稿を見れば私だと分かると探偵のようなことを言う。
あ、そういえば、マルコさんはSNSとかしてるのかな。
「他所ごとを考えるんじゃない!」
「ご、ごめん」
「もうすぐ大台に乗るんだから、少し焦った方がいいんじゃない?」
「そんなこと言われても…」
彼女と違って焦りはあまりない。いい人がいれば、と思ってはいるけどアプリはやってないし、合コンも街コンもここ半年以上は行っていなかった。
出会いを求めるにしても、日曜日はマルコさんの家にいたいし、土曜日は自分の用事や家のことがやりたいから暇ではない。そもそも、そんなことをするぐらいならマルコさんともっと一緒にいたい。
流石に目の前の彼女に四十過ぎたおじさんに会いたいから出会いを探す時間なんてない、なんて言えるわけはないから"焦っていないからいい"とだけ答えた、のだけど。
「もしかして、前に話してた四十超えおじさんと関係ある?」
「…」
彼女はどうして聡いのだろう。
隠したい話題を振られて咄嗟に紅茶へ視線を落とす。けど、その行動を怪しんだ彼女からまだパパ活をしているのかと言われたので反論したくなり顔を上げた。
「だからパパ活じゃない。ただ週に一回マルコさんの家に行ったり、偶に遠出したり、一緒に寝…」
しまったと慌てて口を閉じたけど、彼女が"寝"を聞き逃す筈はなかった。寝たのかと問い詰められ、全力で体の関係にはなっていないと説明したけど信じてくれない。
体の関係になっていないことは信じて欲しくて洗いざらい話をすれば、彼女は呆気に取られていた。
「…そこまでいってるのに求めてこないって、なんでよ?」
「ご飯食べたいだけなんだと思う」
「週に一回の為にそこまでする?」
「分かんない」
分からないけど別にいいと答えれば、いいわけないでしょうと彼女に言われてしまう。
けど本当に、今のままでいい。
「どうしたいの?そのマルコさんと付き合いたいの?好きなわけ?」
「…さぁ」
「さぁって…恋愛初心者じゃないんだから」
「一回りも上の人と仲良くなったことない」
「あぁそっか、年上は初めてか。写真撮った?」
「とっ、て…ない」
「見せなさい」
私は本当に嘘が下手。インコとマルコさんのツーショットを見せれば彼女は想像していたおじさんじゃないと驚いていた。どんなイメージをしていたのか尋ねれば、ちょっとお腹が出てる年相応のおじさんと教えてくれる。どうしてそんなイメージだったのかは分からないけど、マルコさんはイメージとかけ離れているから驚くのも無理はない。
「何この人、めっちゃ体つきがいい」
「身長は二メートル超えてるよ」
「二メートル!?」
嘘でしょ、ともう一度写真を眺め、他にないのかと言われたので可愛い料理姿を見せれば、どうしてこんな時の写真を撮ったのかと不思議がられた。
可愛いから撮ったんだけど、伝わらないのかな。
「大きい人だけど、可愛いの」
「可愛い?どこら辺が?」
「食べる姿とか、首を傾げる姿とか、笑顔とか、もう色々と可愛い」
マルコさんは可愛くて、優しくて、温かい人。
ここまで話したらもう何も隠す必要はない。先週遠出をして運動したくなったから、ここへ来る前にウォーキングシューズを買ったとか、明日もマルコさんの家に行くことや、明日が待ち遠しいと素直に話せば彼女はぽかん、と私を見る。
「ねぇ」
「何?」
「マルコさんにもその表情してるの?」
どんな表情なのか分からなくて彼女に尋ねれば、彼女は頬杖をつきながら苦笑をするだけで教えてはくれなかった。
◇◇◇
「マルコさん、これが昨日買ったウォーキングシューズです」
「お、いいねい」
「通勤の時は一駅前で降りるようにして、階段も使うようにします」
「よいよい」
マルコさんが車で迎えに行くと言ってくれたけど、歩きたくて最寄駅で待ち合わせにさせてもらった。
ここに来るまでの間でウォーキングシューズは本当に歩きやすいんだと感じた。一度も履いたことがなかったからスニーカーとどこが違うのか分かってなかったけど、歩いてみたら違いがよく分かる。
これなら続けられそうで、またマルコさんとあの階段に挑戦できるように頑張るんだと話しながらいつものスーパーへ。
「今日は何食べたいですか?」
「あのよい」
「なんですか?」
「ピーラーなら、俺でもできると思うか?」
包丁はまだやりたくないけどピーラーならやってみたいと、マルコさんから申し出てくれた。マルコさんからやりたいと言ってくれたのが嬉しくて、私は全力で頷き、ピーラーをカゴに入れ、ピーラーをたくさん使う料理を考えた。
「よし」
家について、やるぞ、と隣に立ったマルコさんの手にはピーラー。まな板にはにんじんを置いて、側にはきゅうりと大根が順番待ちをしている。
野菜の持ち方、ピーラーの持ち方や刃の向きを教えながら、先ず私がやってみせる。すると、見ていたマルコさんができそうだと言うので交代した。
「…ぐ、」
「マルコさん、もっと軽く。力入れずに横に滑らせて」
「こうか?」
横に滑らせたけど、にんじんに刃が当たっていなかったようで空振りになってしまった。ピーラーのアゴを教えて、アゴを当てながら軽く横に動かすんだと伝え、マルコさんが何回もやってみたけど難しい様子。
「よい…」
十回やってもスライスができなくて、マルコさんは悲しい顔をして止めてしまった。俺は一生野菜をスライスできないんだと嘆き始めてしまって、練習あるのみだと励ますけど立ち直ってくれない。
「マルコさん、時間ありますから、ね?」
「…一生サラダが食べられねぇよい」
「マルコさんはやればできる男ですよ。もう一回」
マルコさんの手に自分の手を重ねてにんじんにピーラーのアゴを当てる。本当なら後ろからやりたかったけど、マルコさんが大きすぎて私が後ろにいたら前が見えないので横からマルコさんの手を掴んでにんじんをスライスした。
「できました」
「…」
「ね?できたでしょ?」
「もう一回」
「はい、もう一回」
もう一回を三回繰り返し、私が手を離してマルコさんだけでやってみると、分厚いけど無事にスライスができた。
「で、できたよい!」
「できましたね」
上手だと拍手を送れば、よい、と顔を綻ばせ再びやる気を出してくれた。
それからマルコさんは黙々とにんじんをスライスし、きゅうりも大根も全てスライスできた。
ここまでこれば、あとはマルコさんでも簡単。ボールにスライスした野菜を入れて冷水で締め、よく水を切ってソースを絡めればサラダの出来上がり。
「マルコさん作のサラダの完成です」
「…全部俺が?」
「そうですよ」
私の頭にピーラーがあればもっと早く一人でできるようになれたのにと申し訳なくなったけど、子どものように目を輝かせてサラダを見るマルコさんに何も言えなかった。
マルコさんがサラダの写真を撮ったり眺めている間に私はオムライスを作り、撮影会が終わったマルコさんにサラダを皿に盛り付けてもらいテーブルへ。
いつものように隣に促されたので座り、手を合わせた。
「「いただきます」」
サラダはどうかな。
もぐもぐ食べるマルコさんを眺めていれば美味いと呟き、サラダを箸で掴みこちらへ向けてくる。私は素直に口を開けてサラダを食べさせてもらい、しばらく一緒にもぐもぐした。
「シャキシャキしていて美味しいですね」
「ん」
「あー、あむ」
「美味い?」
「ん…はい」
「へへ」
「マルコさん、オムライスも食べてください」
スプーンで掬って口元へ運べば、マルコさんは素直に口を開け食べてくれた。私を見たまま口を動かし続け、喉が動いて美味いと笑うと、あ、と口を開けてきたのでもう一口運ぶ。
「ん、美味い」
「ふふ、良かったです」
「もう一口」
「はいどうぞ」
自分のを食べながら、あ、と口を開けてくるので食べさせながら、ん、と言うので食べさせてもらいながら、なんだか不思議な食事時間となったけど、綺麗に完食。
それからいつものお菓子タイム。今日のお菓子は何だろうとローテーブルの前に座り待っていれば、マルコさんがコーヒーとお菓子をテーブルに置いて私の真後ろの位置でソファに座る。
「よいしょ」
マルコさんが私の腰を掴んで足の間に座らせた。
今日はテレビをつけることはなく、体が勝手に前屈みになることはなかった。
マルコさんが買ってきてくれたのはバームクーヘン。包丁で切らないといけなかったから、これならマルコさんでもできるかもと提案してみたけど、まだいいと首を横に振るので私が切る。食べる分だけ切っているとマルコさんから全て切って欲しいと言われたので全て扇形にし、一つ手にとって食べようとするとちょんちょん、と背中をつつかれた。後ろを向けばマルコさんが口を開けて待ち構えている。
「食べたいですか?」
「食いたい」
放り込めと言わんばかりに大きな口を開けるので、言われた通り口の中へ。何層にもなる年輪はふっくらしていて、外側の砂糖衣がやさしい味わいを引き立て、とても美味しい。もう一つ、もう一つと夢中で食べていると、肩に重みを感じて横を向けば、マルコさんに自分ばかり食べてないで俺にもと言われてしまった。
「す、すいません」
「くく、まぁ、気に入ってくれてよかったよい」
このままだとクッキーの時と同じように夜ご飯が食べられなくなる。食べきってしまいそうだけどここで残しておこうか、それとも全て食べて運動をしてお腹を空かそうか。
ウォーキングシューズも買ったし、散歩ができればとマルコさんを誘ってみると近くに総合公園があると教えてくれた。
家と駅の間には公園らしきものはなかったからどこにあるのかと尋ねれば、マルコさんがマップアプリで見せてくれて、公園は歩いて三十分ほどの所にあった。総合公園なら相当の広さで広場もあるはず。ただ行って帰ってくるだけでは勿体無いから何か遊べたらと思うけど、残念ながら遊ぶものは持っていない。まぁ、往復一時間の散歩でもそれなりに運動になるだろうからそれだけでもいっかと思っていると、マルコさんは何かを思い出したのか、私を床に下ろしてリビングから出て行った。
「公園でこれでもやるか?」
「バドミントン?」
「あぁ。何故か家にあった」
「マルコさんが買ったんじゃないんですか?」
「それがな…」
言葉を待っていると、どうして家にあるのか分からないと言う。そんなことあるのかと思ったけど、本当に覚えていないようで、知り合いの忘れ物だと思うと曖昧な答えが返ってきた。
「バドミントンはできるか?」
「体育の授業ぐらいでしかやったことないです」
それに全く上手ではなかった。けど、せっかくだからやってみたい。マルコさんの相手には全くならないと先に謝れば、遊びだから大丈夫だと笑ってくれた。
「なら今日はしっかりお腹を空かせて夜ご飯ですね」
「だねい」
「ふふ、今日はご馳走作るので楽しみにしててください」
「?」
◇◇◇
「行くよい。ほいっ」
「あ、あ、…えいっ!」
「…ふ」
「…マルコさん、どうして楽しそうなんですか?」
「ん?…あ、いや、笑ったつもりはないんだが。ただ、かわぃ…」
「かわ?」
「…なんでもねぇよい」
放物線を描くシャトルに狙いを定めて大きく振りかぶり、見事にシャトルは地面に落ちた。
これで何回目だろう。ラリーは一回も続かない。そんな楽しくないバドミントンをしているのに、どうしてかマルコさんは微笑んでいる。
"かわ"が何か気になったけど、打ってみろと言うのでシャトルを投げてラケットを思いきり振る。けど、風を切っただけでシャトルはまた地面に落ちた。その姿はなんだか儚げで、私は一生この子を空に上げることができないんだと悲しくなってきた。
「マルコさん、全く当りません…」
「上からじゃなくて下からだよい」
「下から?」
「こんな感じ」
マルコさんが振り方を見せてくれたので真似てみれば、そうそうと頷いてくれたので今度は下からマルコさんの方へ打ってみることに。
「よいっ…えいっ!」
「…」
「…できない」
「できるよい。ほら、もう一回」
「無理です…」
シャトルを投げて、下から振り上げてみたけど見事に空振り。このままでは一回もラリーが続かずにお腹も空かずに夜ご飯になってしまう。けどもう私には無理なんだと諦めていると、マルコさんがシャトルを拾った。
「シャトルは投げなくていい」
「投げないんですか?」
私の後ろに立ったマルコさんが、一緒にやろうと私の手を掴んだ。
「シャトルはこの位置」
「ここ?」
「そう。んで、ラケットは…」
マルコさんの操り人形となった私はただただ言われた動きをする。腕はまっすぐ前に伸ばしてシャトルは投げずに手を離すだけ、ラケットも腕を伸ばしたまま振り上げるんだとマルコさんが私の体を何回か操作して、打ってみようとシャトルから手を離せばマルコさんが私の右腕を動かす。すると、ポンと音がしてシャトルが少し先で落ちた。
あ、打てた。
「な?簡単だろい?」
「マルコさん、もう一回」
「ん、もう一回な」
もう一回を三回繰り返し、一人でやってみろとマルコさんが離れたのでいざ挑戦。
マルコさんがしてくれた動きの通りに腕を伸ばしてシャトルから手を離し、ラケットを下から振り上げれば見事にシャトルが空に上がった。
「で、できました!」
「できたねい」
マルコさんが上手だと拍手をくれて、嬉しくなってやる気が出てきた。これなら一回ぐらいはマルコさんに届けられそうだから、マルコさんから少し離れた場所に移動して構える。
「んじゃ、目指せ十回」
「え、…そ、それは無理です」
「十回できるまで帰れねぇよい」
「マルコさん、スパルタ指導嫌いのはずじゃ…!」
「はは、そうだった」
そんな意地悪するならご馳走作ってやらない、と抵抗すれば今日のメニューを聞かれる。
驚かそうと思ったけど、十回もできる気がしないから教えてあげよう。
「鯖の煮付けです」
「に、煮付け!?」
「はい。でも、マルコさんが十回できないと帰らないって言うなら、きっと今日は作れ「ラリーはできなくていい」」
マルコさんは早く帰ろうとラケットを片付けようとしていた。まだ四時で夜ご飯には早いのにいそいそと帰ろうとするなんて、本当に魚の煮付けが好きなんだなとマルコさんの行動が面白くて笑っていると、私のラケットも仕舞おうとしてくる。
「ふふ、マルコさんっ…必死すぎますよっ」
「バドミントンなんてしてる場合じゃねぇ」
「ふふふ、でも、もう少しだけ。マルコさんとラリーしたい」
それからなんとかマルコさんからのシャトルを打つことはできたけどマルコさんまで届かなくて、五時半まで粘ったけどラリーは三回も続かなかった。けど、バドミントンっぽいことはできて満足したので帰ることに。
「煮付け、煮付け」
家に帰るまでも、家についてからもマルコさんはご機嫌で、煮付けが食べられる喜びが溢れ出ている。
煮付けを作る私の後ろで煮付けを連呼するので、あまりに楽しそうな声にどんな表情をしているのか気になって見上げてみれば、最高に可愛い笑顔で体を左右に揺らしていた。
あぁ、イゾウさんがいてくれたら動画をお願いできたのに…!
「マルコさん、盛り付けお願いできますか?」
「よいっ」
「っふ、ふふ」
マルコさんはルンルンで皿を用意して、盛り付けをしテーブルに並べてくれる。
作り甲斐があると思うと同時にこんなに楽しみにしてくれて、味が微妙だったらと不安になる。どうかな、どうかなとマルコさんの反応を見れば、見たことないほど目を見開いてくれた。それは父の料理を食べた時でも見たことない表情で、私は遂に父に勝ったのだ。
「美味い、すげぇ美味い」
「それは良かったです」
「美味い、煮付け美味い」
今度は美味いしか言わなくなってしまったマルコさんは他の料理に手をつけずに煮付けを先に食べてしまった。良ければ自分の分をあげようと思ったけど、また作ってくれればいいとそれはそれは可愛い笑顔を向けてくれたので、私は全力で頷いた。
「マルコさん」
「どうした?」
「残りのバームクーヘン食べてもいいですか?」
「もちろん。コーヒー飲むかよい?」
食洗機に食器を入れているマルコさんを見て、時計へ視線を移すと七時過ぎ。帰らないとと思いながらバームクーヘンが食べたいと言った私は、バームクーヘンを持ちソファの前に座ってマルコさんを待つ。早くコーヒー淹れてこっちに来ないかな、と台所を眺めているとマルコさんと目が合った。ん?と首を傾げてくるので何でもないと首を横に振るけど、マルコさんから目が離せられない。
「ほら、コーヒー」
カップを二つ持って来たマルコさんを目で追っていると、テーブルにカップを置いて私の後ろに座った。
けど、次の動きがなかなかなくて、不思議に思って後ろを振り向けばマルコさんがどうしたのかと尋ねてくる。
「あ、…いえ」
またやってくれるかな、と勝手に期待していた自分が恥ずかしくなり、顔を戻してバームクーヘンを取る。
毎回してくれるわけじゃないんだ。なら、隣に座ろうかな、ともぐもぐしながら腰を上げようとすると、がし、と大きな手で腰を掴まれる。あ、と思ったと同時に勢いよく持ち上げられた。
「ひゃっ!」
「よいよい」
ぼすん、と足の間に収まったのだけど、今までと違って横抱きだった。横抱きにされるとは思わなくて、驚いてマルコさんを見れば頬を撫でられる。
「これで良いかよい?」
期待していたことは気づかれていたらしい。嬉しさと恥ずかしさでマルコさんを見ていられず肩に顔を埋めれば、私の頭にマルコさんの頬が当たってすりすり擦り付けられた。横目でマルコさんを見れば優しい顔をしていて、何だか胸がいっぱいになり無意識にマルコさんの手を取って撫でていると、指を絡め力を込められた。
マルコさんの手は温かいなぁ。
「マルコさん」
「ん?」
「もうちょっと、このままがいいです」
「ん」
マルコさんの肩に顔をつけていると服にファンデーションがつきそうだから顔を離して、もうちょっともうちょっととずっとマルコさんに抱いてもらっていたらなんと三時間経っていた。
私の時間の感覚は壊れてしまったのかな?
なんでこんな幸せな時間はあっという間なんだろう?
「マルコさん、私そろそろ…」
帰らないと立ちあがろうとしたけど、名残惜しくて動きたくない。けど明日から仕事だ。帰らないと、帰らないとと勢いよく立ちあがろうとして、ぐっと腰のあたりの何かで立ち上がれなかった。視線を下げると、マルコさんの腕が腰に回されていた。
「マルコさん」
「ん?」
「これじゃ、帰れないです」
「そうだねい」
「せっかく…」
覚悟を決めたのに、迷わすことはやめて欲しかったなぁ。
見上げればマルコさんも私を見ていて、もうこんな時間か、とぽつりと呟く。
「はい。もうすぐ明日になっちゃいます」
「帰らないとねい」
「帰らないとです」
「車で送って行くよい」
「良いんですか?」
「もちろん」
よし、と意気込んだマルコさんは私を抱えたまま立ち上がり財布や私の荷物を持ってそのまま玄関へ。
どうして私はマルコさんに抱き上げられたままなのか。下ろして欲しいとお願いしたけど、マルコさんは全く下ろそうとせず、私の靴も持って玄関を開けて家を出てしまった。
歩くから下ろして欲しいと少し暴れてみると、マルコさんにさらにがっしり抱えれ、顔を近づけられる。
「駄目か?」
人に見られたら恥ずかしいけど、駄目かと聞かれれば駄目ではない。駄目じゃないと言葉にするのが恥ずかしくてマルコさんの首に腕を回して抱きついた。
そのまま車に乗せられ、私の家へ向かえばあっという間に着いてしまった。カーナビを見ればもう十時半。
「バドミントンぐらいじゃ筋肉痛にはならないと思うが、ストレッチするんだよい」
「はい。多分、腕は筋肉痛になります」
違いないとくつくつ笑うマルコさんをじと、と見れば、声を出して笑ってきて、今日は楽しかったな、と頬を撫でられる。今日"は"じゃなくて、今日"も"だと答えれば、マルコさんは目を細めて顔を近づけてきた。
マルコさんを見つめていれば、ちょん、と鼻同士くっつき、マルコさんの瞳には私しか映っていなかった。きっと今の私の瞳に映っているのもマルコさんだけなのだろう。
そう思ったら心が温かくなって自然と笑みが溢れた。
「来週はどこか行くか?」
「お出かけもいいですけどお家でのんびりしたいです」
「んじゃ、菓子買っとく」
「ふふ、楽しみにしてます…あの」
「ん?」
「ど、ようび…空いてないですか?」
来週は土曜日も予定がない。家のことをしたら夕方から時間が空く。マルコさんの家に行く時はいつも昼前ぐらいから、だから朝からとか、それこそ…。
「夕方からなら空いてるよい」
「本当ですか?」
「ん」
「…お泊まり、してもいいですか?」
「良いよい」
来週は今週よりも長くマルコさんといられることが嬉しくて変な笑い声が出てしまったけど、マルコさんも笑ってくれたからいい。
「マルコさんが言ってた喫茶店行きたいです」
「日曜日の朝はそれにするかねい」
「土曜日の夜は?」
「鯖の煮付け」
「ふふ、またですか?」
「仕方ねぇ、美味いんだよい」
「鯖じゃなくてカレイにしましょ?」
「それもいいな、決まりだ」
日曜日の昼は、夜はと食べるものを決めて、おやすみと声をかけると鼻が離れてマルコさんの顔がようやく見えた。その表情を見て、私は昨日女友だちに伝えたことは本当だとしみじみ思う。
マルコさんは可愛くて、優しくて、温かい人で、
私の────