39
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
太陽の高さが鳴りを潜める夕暮れ時。
流石10月だ。日中はあんなに暑かったのに、この時刻になればきちんと空気が涼しくなる。
長時間待たされたため凝り固まった肩を回し軽く伸びをする。美羽がオレにペットボトルのお茶を差し出しながら『お疲れ様』と言った。礼を言ってそれを受け取る。
『流石土曜診療、混んでたね。先に帰っててよかったのに』
「そういうわけにもいかないだろ。お前の傷の具合確認したかったし」
ペットボトルの蓋を開けながら、先ほどの診療風景を思い出して顔を顰める。
「……さっきの医者、額だって言ってんのに手だの足だのベタベタ触りすぎじゃなかったか?セクハラだろあれ」
『そう?普通でしょ。他に傷がないかチェックしてたみたいだし』
「それにしてもな……今からでも女医に変えられないのか?」
『あのお爺ちゃん先生が形成で有名な先生だってマダラ先生が言ってたじゃない。診てもらえてラッキーだよ』
些か楽観的な美羽だが、オレにはわかる。爺婆ばかりの患者の中、ずば抜けて若い美羽に相手の医者は確実にテンションが上がっていた。オレが隣で目を光らせていてアレである。オレがいなかったら何をされるかわかったものではない。
「これから毎回通院付き合うから」
ええ…と美羽があからさまに引いた声を出した。
『別にいいよ…子供じゃないんだから一人で来られるよ』
「子供じゃないから心配なんだよ」
『意味わかんない…』
美羽は一瞬オレを見て、直ぐに目線を逸らした。その姿に妙な違和感を覚える。
『それにしても、麻酔が効く前にざっくり縫われたのは衝撃だったわ』
「医者って案外適当だよな。とりあえず8時間以内に縫合してもらえたからよかった」
『………あのさ』
「うん?」
美羽は数秒の間の後、やっぱりなんでもない。と小さな声で言った。オレは足を止める。
「隠し事はなし。話があるなら聞くぞ」
オレの言葉に、美羽は長いまつ毛をそっと伏せた。握りしめられた制服のスカートに深い皺ができる。
『…ごめんね』
「?」
『あんなに大見得切ってリレーに出たのに、結局私は二人に抜かれちゃった』
「……。相手は陸部だったろ。それに結果的には勝ったんだから問題ない」
『早瀬くんが最後に五人抜いたからね』
凄かったね、と美羽は笑った。オレは黙っている。
最後のクラス対抗リレーは美羽の言った通り、早瀬の活躍により無事一位を勝ち取った。しかし、それまでの得点の伸び悩みが響き全体の総合順位は4位。表彰台にすら届かない微妙な結果に終わった。
たかが体育祭。されど体育祭。他のクラスメイトはどう思ったか知らないが、美羽はやはりこの結果を気にしていたようだ。
気の利いたことが言いたくて、こういう時に限って何も言葉が浮かばない。無言のオレに、美羽は気を取り直そうと笑顔を作っている。こんな時にも彼女に気を使わせてしまうオレはなんて情けない男なのだろう。
『…お腹すいちゃったね。何食べたい?なんでも作るよ』
「……」
『あっ!今日は思い切って外食にしようか!私この前バイト代入ってね、』
「美羽」
言葉にできない代わりに、オレは彼女のことを優しく抱きしめた。オレの腕にすっぽり収まるほど小さい。しかし誰よりも強く気高く、美しい少女。
燃えるような夕日に目を細める。皆に止められながらもリレーに出ると勇んだあの時の彼女は、あの夕日のように眩しかった。
「誰がなんと言おうと、お前はカッコよかったよ」
『………』
「恥じることは何もない。お前はオレの自慢の最高の女だ」
小さな肩が震えている。この大怪我を負った時すら彼女は泣かなかったのに。
悔しい、悲しい、恥ずかしい、あの時こうしていれば。様々な感情に支配された彼女は、オレの腕の中で静かに泣いた。傷だらけの身体で声も出さずに泣く彼女の姿は、とても痛々しかった。
たまらなくなって、美羽の顔に唇を近づける。すると、明確な意思を持って拒否された。受け入れてもらえなかった事実に、頭を後ろからぶん殴られたような気分になる。
美羽はオレから顔を背け、必死に胸を押して距離をとっている。
『…ブスだから見られたくない』
「は?」
『痣だらけ傷だらけでブスだから。やだ』
頑なにオレと視線を合わせようとしない美羽。そういうことか、と腑に落ちた。
「大丈夫だ、変わらず可愛いから」
『嘘つき。私の顔見て、”うわっ”って顔したくせに』
「……。それは、怪我の具合が酷かったから…」
『やっぱり酷い顔なんでしょ。サソリはこんなブスな女抱きたくないんだ。もしこの傷が治らなかったらきっと知らず知らずのうちに音信不通になって自然消滅させるつもりなんでしょ』
完全に根に持たれていた。その上話が飛躍に飛躍を重ねている。オレは美羽の頭を撫でながら、うーんと苦笑いした。
「なにもそこまでは……。お前の顔に傷が残るのがショックだったのは事実だけど」
『……やっぱり、』
「でもそれとこれとは別問題。こんなことくらいでオレのお前への愛が変わるわけないだろ」
美羽が片目でオレの様子を伺っている。その様はまだオレの言葉を信じ切っていないようである。
『……ほんとに?』
「本当に」
『今の私でもちゃんと抱きたいと思う?』
「勿論。むしろ今すぐにでも押し倒したいくらいだぞ」
まだ疑いの眼差しの美羽。オレはガーゼの上から彼女の瞼にキスをした。布越しでもそこは熱を帯びている。
「傷、痛くないか?」
『鎮痛剤の注射打ったから。平気』
「そうか。…本当はあんまり無理させたくないんだけどな」
オレの発言の意図を察した美羽は頬を朱色に染めてドギマギしている。
オレは今度こそ彼女の唇にそっとキスを落とした。
「真白さんに遅くなるって連絡入れておけよ」
オレの言葉に、美羽は下を向きながら小さな声で「うん」と答えた。
****
窓から入ってくる風が素肌に心地良い。夜空に輝く星が童話の世界のように幻想的で、私はまだ夢の中にいるのではないかと錯覚してしまうほどだ。
視線を横に動かし、眠っている恋人の顔をぼんやり眺める。こんなに涼やかな世界で、私の身体はまだ燃えるように熱い。
先ほどの情事を思い出し、あー!!と唸りながら足をバタバタさせる。と同時に額に痛みが走った。
鎮痛剤を打ったからといって、勿論全く痛みを感じないわけではない。いたた、と暫し悶えてからスマホを確認する。時刻は19時を過ぎていた。遅くなるとは連絡を入れたものの、流石にそろそろ帰らないと親からの追及が怖い。特にお父さん。
サソリを起こさないようにそっと布団を抜け出し、シャワーを浴びる。制服を着てもう一度寝室を覗くと、まだサソリは起きる気配がなかった。とりあえずその天使のような寝顔を数枚スマホの中に納め、書き置きを残して帰ることにする。
部屋を出て、エレベーターに乗り込む。深く深く下がっていく階数表示をぼーっと眺めながら大きなあくび。今日は駅までの数百メートルが妙に遠く感じられる。
すれ違う人々の好奇に満ちた視線を気にせず、定期を改札に押し付ける。
ホームに、ちょうど電車が滑り込んできたようだ。私は電車に向かって小走りに走って行った。