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朝4時、目が覚める。アラームを切っていたにも関わらず、だ。習慣とは恐ろしい。
二度寝しようとしたが寝付けず、オレは仕方なく身体を起こした。それと同時に右手に刺すような痛み。顔をしかめながら机の上に置かれた小袋を漁る。昨日医者に貰った鎮痛剤だ。ペットボトルの水で飲み下す。空きっ腹に飲んでよかったのか?と一抹の不安が過ったが飯を食う気にはならなかった。
シャワーを浴びて着替えを済ませる。利き手が使えないのは不便で、かなり手間取ってしまった。慣れるまでは大変そうである。
ちらりと時間を確認すればまだ30分も経過していない。家にいるのも息苦しい。無駄に長い廊下を足早に歩きながらやはり学校に行くか、と思い至った。
いつもより15分遅れの電車に乗る。腕を吊っているのが目立つのか、乗客がちらちらとオレを見ているのがわかる。その視線が昨日の同情的なコーチの視線と重なった。
前腕骨折。全治3ヶ月。
そう伝えるとコーチはそうか、と呟いた。
大変だったな、でも女生徒に怪我がなくてよかった、と事務的な会話をした後ゆっくり休めよ。とコーチは続けた。
これが千秋だったら。きっとアイツならコーチにぶっ飛ばされていただろう。なんてことをしてくれた、お前が抜けたらこのチームはどうなると思う。そんな生徒放っておけばよかった、と。
千秋は今まで他の部員の10倍はコーチに怒られている。それは勿論嫌われているわけではなく、期待されているから。
3年が引退し2年が引導を握った今、サッカー部の実質的トップはアイツだ。部長が千秋でオレとダルイが副部長なのも、何の相談もなく勝手に決まっていた。それ自体に不満はない。実力とリーダーシップ能力であいつに敵う奴はいない。
ふと物思いにふける。二番手であることに慣れてしまったのはいつからだろうか。昔はアイツを追い抜きたくて仕方なかったはずなのに。
誰もいないサッカーグラウンドに足を踏み入れる。癖でベンチの方を確認するが、そこには誰もいなかった。流石に昨日の今日でいるわけがない、か。
荷物をベンチの上に置き、軽く伸びをする。負傷した身体で試合には出られないが、練習メニューに変わりはない。走るのだって筋トレだって、右腕が使えなくともできる。
オレはオレのできることをやるだけだ。それが例え望まれていなかったとしても。
「っぁ!?」
その時。背中に冷気を感じオレは飛び上がった。ドッドッドッ、心臓が暴れている。慌てて振り返れば、そこには大きな瞳を嬉しそうに細めた少女が立っていた。
『取り乱した姿初めて見た。ラッキー』
「……」
首筋を撫でる。冷えたペットボトルを押し付けられたのだと遅れて気づく。
姫ちゃんは悪びれた様子もなく『はい』とそのままペットボトルをオレに差し出した。
『遅かったね。来ないかと思った』
「……。お前なんで来たんだ」
『普通の態度で話せるようになったら来いって言ったのシーくんじゃない』
「言ったけど。つーかお前、体調は?」
『1日寝たら治った。元気』
ほんとかよ。
「千秋は?」
『”暫くゆっくり休んでね”ってLINEが来てた。私は来ないと思ってるんじゃないかな』
受け取ったペットボトルを手中で転がしながら内心ため息を吐く。姫ちゃんを責める気は元々全くないが、こんなに早く顔を合わせることになるとも思っていなかった。しかも千秋はいない。
『昨日はごめんなさい』
姫ちゃんは早々にオレに頭を下げた。
『私のせいでそんな怪我させちゃって。ごめんなさい』
ペットボトルの汗を拭いながら答える。
「条件反射で体が動いちまっただけ。それに受け身失敗したのはオレの過失」
『……』
「お前が気にすることは何もないから。謝られても困る」
『治療費は親に立て替えてもらってうちで出すから。時間はかかるけどバイトして返す』
「そんなのいいって…」
『そういうわけにはいかないでしょ。できればシーくんのご両親にも謝りに、』
「いいって言ってんだろが!」
思わず大きな声が出てしまった。姫ちゃんは一瞬怯んだが、素直にごめんなさいと言った。
『嫌ならいいの。所詮こっちの自己満足だから』
「……」
『あと、手伝えることがあるならなんでも言って。というかやらせてほしい』
「そういうのはいらない。余計なことすんな。かえって迷惑」
『……』
「また悲劇のヒロインぶってポイント稼ぎか?良い子に見られたいなら他所でやってくれ」
そんなわけじゃ、と呟いて姫ちゃんはそれ以上何も言わなかった。オレはペットボトルを突き返して踵を返す。
「練習の邪魔。良い子は戻って勉強でもしてな」
オレは千秋じゃない。こんな時に優しい言葉の一つだって吐けない。
持久力には自信がある。いくらランニングしたところでオレの身体は疲れることはない。魚が海で永遠に泳ぎ続けられるのと理屈は同じだ。
片腕が使えなくとも特に不都合はなかった。強いて言うなら転んだ時に困るくらいか。しかしオレに限ってランニング中に転ぶなんてあり得ない。
軽く校庭を20周ほどして、次は筋トレに移行しようと足を緩めた。水分補給のためにベンチに向かうと、視界の隅で人の動く気配。反射で目を向ければ、そこには予想通りの人物がいた。
グラウンドはこんなに広いのに、隅っこでちまちま走りの練習をしている。一瞬見ただけでうんざりする運動能力の鈍さ。足が上がってないんだよな、と前々から気付いていたことを改めて思う。
筋力がなさすぎるのだ。だからいくらやってもこれ以上時間が縮まらない。
ベンチに座って汗を拭きながらなんとなく眺める。…体幹もぐらぐらだ。転びそうだな。あ、やっぱり。
見るだけイライラするので極力見たくないのに、いかんせん奴しかいないためどうしても視線がそちらに集中する。砂だらけになったジャージを叩いている姫ちゃん。その姿があまりにも惨めで、なんとなく可哀想になってしまった。
…仕方ねぇな。
「オイ」
オレに話しかけられるとは思っていなかったのか、姫ちゃんが怯えたような瞳でオレを見た。
「足が全然上がってない」
『……』
「練習するのはいいが、がむしゃらに走るのは無意味。足と体幹鍛えないとこれ以上早くならんぞ」
それだけ言って戻ろうとすると、今度は姫ちゃんに呼び止められる。
『ごめん。ちょっと聞きたいんだけど』
「ああ?」
『鍛えるって具体的に何やれば良いの?』
「単純なので言うとスクワットだろ」
『……』
「体勢間違うと怪我するから。ちゃんとスマホで動画見てからやれよ」
そう伝えてオレは今度こそ踵を返す。後ろから彼女が礼を言う声が聞こえた。