37
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
いつもより随分空いた電車の椅子に腰掛けながらオレはくあっと欠伸を噛み殺した。ガキの頃から朝は苦手だ。どんなに早く寝ようが深夜に寝ようがそれは変わらなかった。
美羽は現在、4時に起きていると言っていた。オレにはとても無理、その言葉で流していたことを今になって少しばかり後悔している。昨日の美羽の様子がどうしても気がかりだ。
考えてみれば当然である。朝の4時に起き苦手なスポーツに励み、その後は勉強勉強、また勉強。平気なふりをしていても、やはり彼女も辛かったのだろう。
電車を降り、改札を潜る。スマホの時刻を確認すると7時30分を回ったところだ。最大級に努力してこの時間。情けなく思いながらLINEで「今から向かう」とメッセージを入れる。既読にはならなかった。
学校までの道を足早に進む。と、スマホが振動した。画面を見ると相手は予想通り美羽だったが、一つ予想外だったのはラインではなく直接電話が鳴ったことだ。しかし特に疑問に思うことなくスマホを耳に押し当てた。
「もしもし。ごめん、僕」
は…?と素っ頓狂な声が出る。一度スマホを耳から離して画面を確認した。やはり美羽で間違いない。ということはつまり、奴が美羽のスマホを使ってオレに連絡をよこしたということだろう。
早瀬はもう一度ごめんと言った。
「月野さんに借りてる。怒るなよ。お前の連絡先なんて知らねぇんだもん」
「…別に怒ってねーよ。で、なんだよ」
早瀬は随分冷えた声で、しかし端的に事実だけを伝えてきた。
「月野さんが階段から落ちた」
『……は?』
「正確には階段登ってる最中に気を失ったらしい。それで、そのまま」
気を失って階段から落ちた?
全身の血の気が一気に引く。
「っ、怪我は!?」
「転落だけの意味で言えば彼女は無傷」
その言葉に安堵しそうになり、妙な言い回しをされていることにすぐに気づく。嫌な予感がした。
早瀬は僅かの間の後、変わらぬ冷静な声色で続ける。
「…近くにいたうちの部員が彼女を庇う形で一緒に落ちた。で、そっちが重症」
「……」
「責任感じてずっと泣いてる。僕たちの力じゃどうにもならない」
だから早くきてやって。早瀬はそう言った。
「来たか。朝早くからご苦労さん」
保健室に入ると、一番最初にオレに声をかけてきたのは担任のマダラだった。
視線を動かせば、早瀬と色黒の男が二人。恐らくサッカー部員だろう。目だけで会釈をする。
そして、カーテンの奥から啜り泣く声。
早くそばに行ってやりたいところだが、オレにもそれなりに準備が必要だ。
誰に声をかけようか悩み、消去法で顔見知りの早瀬と会話をすることになる。
「すまん。迷惑かけたな」
「いや。僕も今色々責任感じてるところで」
「……庇った部員って、もしかして…」
ぐるりともう一度辺りを確認する。オレのその様子を見て、早瀬は「多分予想通りだよ」と言った。妙なところで勘の鋭い奴である。
「シー先輩…大丈夫かなぁ…」
キャンディーを咥えた男が顎を擦りながらそう呟いた。そして自分の予想がやはり当たっていることを確信する。
「打ちどころが悪くて…それで死んじゃって…そうしたらレギュラーの枠一人空いちゃう…そしたらオレがレギュラーになって…シー先輩の追悼試合を…」
「勝手に殺すな。今は洒落になんねぇから」
もう一人の大柄な男が嗜めている。早瀬は冷めた目でその様子を眺めながら「ごめん、無視していいよ」。
「最初に言っとく。アイツも命に別状はない。ただ落ちた時に手をやったみたいで。今病院に行ってるところ」
「……」
『ごめんなさい…』
か細い声が奥から聞こえる。早瀬が眉を下げた。
「おきてしまったことは仕方がないから。シーも月野さんを責める気はないと思うんだよ。とりあえずフォロー頼むわ」
「ほんとお願いします」
「女の子に泣かれちゃうとキツくてな…」
3人はもうお手上げという様子でオレの背中を押した。気持ちはよくわかる。うちの美羽ちゃんは元々類を見ない程のスーパーネガティブ人間である。しかも自分の不手際による第三者を交えての事故。彼女にとっては死ぬほどキツイ展開だろう。一般の方が取り扱うには大変危険な状態である。
周りからのプレッシャーが重い。しかしどう考えてもオレが宥めるしかない。
どう声を掛けようか悩みながらカーテンに手を伸ばしたその時。
ガラッと扉の開く音。皆が一斉に振り返る。温度のない瞳と目が合った。
「早いな。どうだった?」
一番先に声を発したのはマダラである。シーは包帯の巻かれた右手を軽く持ち上げた。
「この通り。医者がまだ来てないから応急処置だけしてきた。放課後また来いってよ」
「折れてるのか?」
「まぁな」
うへー、と早瀬が声を上げた。
「お前みたいな頑丈なやつでも骨折するんだな」
「完全に受け身ミスったからな。でも大したことねえよ」
漆黒の瞳が辺りを気にするように動く。暫く悩む仕草を見せた後、シーはチラッとオレの顔を見た。
「あいつは?」
オレが無言でカーテンの向こうを指さすと、シーは躊躇することなくカーテンを横に引いた。ぎゃ!?と色気のない声が聞こえる。どうやらカーテンぎりぎりまで来て様子を伺っていたらしい。
動揺している美羽を尻目に、シーは変わらぬ冷静な態度を崩さない。
「で。お前の怪我は?」
『えっ……、ないです』
「あっそ。ならいいわ」
それだけ聞いたシーはすぐさまカーテンを閉める。カーテンの向こうで美羽が慌てている気配がした。
『ちょ、ちょっと待って…!』
「なんだよ」
『あ、謝らなきゃって』
「いらん。謝られたところで怪我が治るわけでもなし」
ぐぅ、と喉を鳴らして美羽が押し黙る。シーはぶっきらぼうな顔をしながらも、少しばかり言葉を探しているようだった。
「お前どうせ泣くだろう。オレ女に泣かれるの苦手なんだよ」
『……』
「別に怒ってないから。オレと話したいなら体調戻してまともな態度で話せるようになってから来て」
美羽は何も答えなかった。シーも今度こそこれ以上彼女と話す気はないようである。
カーテンから離れ、シーは早瀬の元に歩み寄った。
「つーことで、暫く試合は無理。レギュラー補充して」
「あー…了解。まあ仕方ねぇな」
「レギュラーの枠が一つ…どうしよう、オレにオファーが来て、そのまま優勝しちゃったりなんかしたら」
「お前に声かかることはまずねぇよ」
「一年が調子乗るんじゃねぇ」
「えーー酷いっスよぉ!」
今までの重苦しい空気はどこへやら、和やかな談笑タイムである。蚊帳の外のオレの肩をマダラがぽんと叩いた。
「美羽のことはお前に任せていいな?過労からくる貧血だろうが、今日はどの道帰らせたほうがいいだろ」
「…わかった」
「あんまりいじめてやるなよ」
いつオレが美羽をいじめたというのだ、と少々ムッとする。
マダラは薄く笑いながら踵を返した。それを見届けた後、オレは再びカーテンに手をかける。先程よりは幾分か気が軽くなっていた。
「帰るぞ」
『……』
ベットの上で体育座りをしている美羽と目が合う。虚な瞳ではあるが、もう泣いてはいないようだった。
「家まで送る。荷物は?」
「ここにあるよ。持ってきたから」
はい、と後ろから早瀬が荷物を差し出した。それを受け取り一応礼を言う。
「駅まで歩けるか?タクシー呼ぶ?」
「…大丈夫、歩ける。ありがとう」
手を差し出すと、躊躇なく握り返してくれる。その様に何故か安心した。
「こっちのことは気にしなくていいから。気をつけてね」
早瀬がオレをガン無視して美羽に声をかけている。美羽は無表情で小さく頷いた。
「お大事にです」
「ゆっくり休んでね」
優しく美羽に声をかける色黒の男二人。反してシーは言葉通り何も言わない。美羽も目線を合わそうとしなかった。
保健室を出て、二人で長い廊下を歩く。
……「気にするなよ」「お前のせいじゃない」。どれもオレが言うには間違っている気がした。その言葉が許されるのは当事者であるあの金髪だけだ。
『心配かけてごめんね』
沈黙を破ったのは美羽だった。美羽は俯きながら、しかししっかりオレの手を握ってくれている。オレは身を引き締めた。
「いや。オレも昨日の時点でお前の様子がおかしいことに気づいてたから。もっと強く止めておけばよかった」
『……』
「オレはお前の努力家な部分が好きだし、尊敬もしている。できればお前のやることは協力してやりたい」
『……』
「それも踏まえて。リレーに関しては、諦めたほうがいいんじゃないか」
美羽の足が止まる。オレも足を止め、彼女に向き合った。
「どう考えてもキャパオーバーだろ」
『……』
「リレーに関しては代わりを見つけるか、現状の力で望んだほうがいい。練習が大事なのはわかるが、時間と体力の損失を考えると合理的とはとても言えない」
『……』
長い睫毛が小刻みに揺れている。また泣かせてしまうかもしれない。しかし、これ以上体調を崩してまで無理をさせたくない。例えそれが憎まれる役目だとしても。
朝の低い日差しが廊下に差し込んでキラキラと輝いている。
ふと気づく。この日常に潜む何気ない光景が綺麗だということを、オレは彼女に出会うまで知らなかった。
『ねぇ、サソリ。お願いがあるの』
こんな綺麗な景色を教えてくれた彼女を、オレはやはり大事にしたい。