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教室に戻り急いで昼ご飯を食べ終え、私は再びサッカー部へ向かった。今朝干したユニフォームを取り込むためである。
幸いにも乾きが良く、嫌な匂いも残っていなかった。鼻歌を歌いながらユニフォームを一枚ずつカゴに回収する。天気の良い日の洗濯は気分が良くなる。
手早く全て取り込み終え、部室前に運ぶ。鍵を持っていないのでそのまま前に置いて戻ろうとすると、部室から人の気配。少し考え、私は扉をノックした。人がいるならば手渡した方がいいだろうと考えたからだ。
「なに?」
扉の向こうから現れたのはシーくんだった。思わず眉間に皺を寄せた私に反してシーくんは涼やかな表情を崩さない。私も気を取り直して手に持っていたカゴを差し出した。
『ユニフォーム。乾いたから』
「あぁ…どうも」
事務的に受け渡しを済ませる。そのままさっさと帰ろうとすると、珍しくシーくんに呼び止められた。
「丁度よかった。今暇?」
『え…戻って勉強しようかと思ってるんだけど』
「よし、暇だな。中入れ」
この人は毎回私の話を聞く気が全くない。呆れながらも指示に従ってしまう私も情けないけれど。
他に人の気配はない。部室の中にはシーくんしかいなかったようだ。
「筋トレしようと思ってたところだから。付き合って」
『えっ…筋トレ?私そういうのはちょっと…』
走りもダメ、球技もダメ、運動そのものがダメ。そんな私が筋トレなんてできるわけがない。
「別に姫ちゃんに筋トレやれって言ってるわけじゃない。オレがやるから重りになってほしいんだよ」
『重り…?』
「そう。お前結構体重ありそうだから」
その言葉にカチンとくる。
『なにそれ。遠回しに太ってるって言いたいの?』
「遠回しに聞こえたのならある意味おめでたい頭だな」
更にムッとした。確かに私は皐月みたいに痩せ型じゃないけど。最近ちょっと太り気味だけど!
「腕立てやるから背中に乗って」
不機嫌オーラ全開の私を、勿論シーくんは気にした様子はない。軽々腕立て伏せを始めるシーくん。できるならそのまま踏み潰してしまいたい。
『普通に跨がれば良いの?』
「そう」
『……。じゃあ、失礼します』
スカートの裾をつまみ上げ、シーくんの上に腰を下ろす。シー君は動揺を見せず、私が乗る前と全く変わらない腕立て伏せを続けたままだ。感心してしまう。
『凄いね。重くない?』
「重い、に、決まってるだろう」
口では悪態を吐きながらも動きは変わらない。
よくよく見てみれば、体操服から覗く腕は顔に似合わずかなり筋肉質だ。朝からランニングしている姿といい、かなり鍛えているのだろう。
綺麗な金髪を見下ろしながら、ふぅん、と呟く。
『昼休みはいつも筋トレしてるの?』
「走ってる、ときもあるし、ボールいじってるときも、ある。まちまちだ」
要はどんな形であれ練習は欠かしていないということだ。
シーくんのことは苦手だけれど、こういう所は素直に尊敬してしまう。
『シーくんは凄いね』
「ああ?」
『勉強もできるし運動もできるし。その上努力家なんて。向かう所敵なしって感じね』
シーくんの動きが止まる。数秒の間の後、シーくんは再び動きを再開させた。
「そんなんじゃ、ねぇよ」
『?』
「努力、しないと、オレには何もないから。だから仕方なく、やってるだけ」
『……』
「世の中、千秋、や、お前の彼氏みたいに、才能溢れる奴ばかりじゃないってことだ」
その言葉に、ハッとした。
何事もないように身体を動かし続けるシーくん。額からじんわりと冷や汗が滲んだ。
私は馬鹿だ。私だって、苦しんだはずなのに。あの二人の子供なのだから何でもできるはずでしょう?と。名門校なんだから、できて当然よね、と。何の取り柄もない私がそのプレッシャーに、どれだけ追い詰められてきたのか。
それなのに私は、それと同じプレッシャーを悪気なく彼にかけていたのだろう。私はシーくんのことを何も知らないのに。
私はシーくんの背中のシャツをぎゅっと握りしめた。
『…ごめんね』
「……あぁ?」
『何も知らないのに勝手なこと言って』
「なんだよ。気持ち悪いな」
ふっ、とシーくんが鼻で笑う。どうやらそこまで気分を害させてはいないようだ。
「オレは言われ慣れてるから。別に」
『ううん。私もそうだったの』
「……」
『うち、親がちょっと特殊で。一人娘だったのもあって、期待されてたんだよね。でも正直、私には何も才能がなくて。何かするたびに周りにガッカリされてた』
「……」
『それが嫌で、がむしゃらに努力したの。でも、努力して成果が上がるほど、周りにとってそれが普通になるのよね。そうするともっと、もっとってずっと上を求められて。それがしんどくなっちゃった』
シーくんは無言で身体を動かしている。
勝手に自分語りをしていたことに気づき、私は僅かに頬を染めた。
『ごめん。こんな話、つまらないよね』
「いや、いい。続けて」
無視されていたのかと思いきや、きちんと話を聞いてくれていたらしい。
続きを促され、しかし無鉄砲に話を始めてしまった私は少し気恥ずかしくなってしまう。
『えっと…それが中学までの話。外部受験してこっちに来て、また本格的に勉強始めたけど、それは誰にせっつかれたわけでもなく自分の意思だから。今までみたいな息苦しさはないかな』
「……」
『でも、やっぱり特別頭いいわけじゃないから勉強は苦戦中。まぁ、運動もだけどね』
結局大した話はできず、ははっと笑って誤魔化してしまった。妙な沈黙が訪れる。シーくんは相変わらず淀みのない腕立て伏せを続けていた。私もそれ以上口を開くことはなかった。
暫く微妙な空気が続いた後、シーくんが一つ深いため息を吐き出した。
「一回退いて。次は腹に乗って」
『え…』
お腹?と私。シーくんはさっさと身体を起こして方向転換している。私は慌てて身を引いた。
背中に乗るのはそこまで気にならなかったけれど、お腹に乗るのはなんだかとても抵抗がある。
躊躇している私に、既に仰向けになったシーくんがイラついた様子を見せる。
「早く乗って」
『……』
「早く」
有無を言わせないその物言いに、諦めて指示に従う。お腹の上なのに、座り心地が背中と同じくらい硬いことに少々驚いてしまう。
シーくんは軽く頭を上げてそのまま静止している。聞かずとも腹筋を鍛えているのだろうということはわかるけれども。
『……』
「……」
先ほどとは違い、ガッツリ顔が合うため予想通り非常に気まずい。視線を斜め下に逃しながらもじもじしてしまう。勿論シーくんは変わらぬ無表情である。意識しているのは私だけのようだ。
「……。何で照れてるんだ?」
『べっ!別に照れてないし…』
純粋な疑問として聞かれて更に恥ずかしくなってしまう。シーくんが薄く笑いながら私の腰を両手で掴んだ。
「男の上になんて乗り慣れてるだろ?」
『変なこと言わないで…』
サソリの上にもまだ乗せてもらったことないのに。
完全に恥ずかしがっている私をよそに、シーくんは呑気に私の脇腹をふにふにと揉んでいる。
「予想通りだが脂肪付きすぎ。少し痩せた方がいいんじゃないか」
『失礼な!グラマーと言ってください!』
「グラマーねぇ…」
その言葉と同時に今度は胸を鷲掴みにされる。あまりに自然な動作すぎて一瞬理解できなかった。
遅れて頭に血液が叩き上がる。
『っはぁ!?』
「うーん…でかいだけ。驚く程顔も身体もタイプじゃないんだよな」
ご丁寧に何度か揉まれた上に、萎えた声を出されてプライドが傷ついた。
最悪だ。しかしシーくんのこの女慣れした行動とこの見た目。彼もかなりの経験があると見た。このくらいの行動に特に意味はないのだろう。立派なセクハラだけど。
『…ねぇ、シーくん。彼女いる?』
「なんだ急に。いないし作る気もない」
1秒も悩まないその姿勢に思わず笑ってしまった。確かに彼が一人の女の子に一途になって優しくしている姿は想像できない。
『カッコいいのに勿体無いね』
「逆だろ。モテるから一人の人間に固執する必要がない」
『なるほど』
「…それにオレの場合は付き合っても無駄だからな」
『無駄?』
思わず鸚鵡返しした言葉。しかしシーくんはそれに応えることはなかった。私も空気を読んでそれ以上突っ込むことはしない。
人にはそれぞれ事情があるものだ。
「……何してんの?」
振り向くと、そこにはジト目をした早瀬くんが部室のドアを押し開けて立ち尽くしていた。一瞬疑問に思い、今の状況を思い出してハッとする。
「見てわかるだろ。筋トレ」
私より先にシーくんが答えた。早瀬くんがうんざりした様子でタオルで汗を拭っている。
「お前本当何なの?実はお前も月野さんのこと狙ってるとか言うんじゃねぇだろうな」
「言ってんだろ。オレはお前と違って地味専じゃないし全然タイプじゃない」
「だったらちょっかい出してんじゃねーよ…」
早瀬くんはつかつかとこちらに歩み寄り、私の両脇腹に腕を差し入れた。そのままひょいと持ち上げられる。その所作は自分が羽根のように軽いのではないかと錯覚してしまいそうなほどスマートだった。
「ごめんね。ていうか律儀に付き合わなくていいよ。こいつ厚かましいから」
「羨ましいならお前もやって貰えばいいのに。あ、勃つから無理か」
「べっ…つに羨ましくねーし!誤解される言い方するんじゃねぇよ」
早瀬くんとシーくんの小競り合いにも大分慣れてきた。よれたスカートを直しながら私は早々に出口に身体を向ける。
『私もう戻るね。何度もお邪魔しちゃってごめん』
「いや…こちらこそ。色々ありがとね」
早瀬くんがくしゃっと犬のような懐っこい笑顔を見せる。私は軽く手を振り、サッカー部の部室を後にした。