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この学校にはグラウンドから少し離れたところに部室棟がある。存在は知っていたものの、帰宅部の私には今まで無縁の建物だった。勿論訪れるのは初だ。
「驚かないでくださいね」
オモイくんはそう言って、サッカー部の札がぶら下がった重い扉を押し開けた。と同時にムッとした空気が一斉に外に駆け出していく。
『うっ……わー……』
サッカー部の部室。初めて訪れるこの場は、ダルイくんの言った通り想像以上にとんでもなく汚かった。
茶色く濁ったユニフォームから食べかけのお菓子の袋まで、床の上に散乱してもはや床が見えない。
『…これ、足の踏み場ある?』
「ありますよ。先輩たちが通った道が」
オモイくんは慣れた様子でゴミの山をひょいひょいと避けている。流石に私には無理な芸当である。
とりあえず足元に落ちているタオルを拾い上げると、ツンとした匂いが鼻を刺激した。一体何日放置されていたのだろう。臭いどころの騒ぎじゃない。もはや異臭である。
「部員数が多いんで、レギュラーしか部室使えないんスよ。で、うちのレギュラーって本当にサッカーしかできない馬鹿が多いから。この有様です」
ダルイくんが遠慮していた意味を理解する。これは確かに、部外者に軽くお願いできるレベルの汚さではない。
入り口で固まっている私。オモイくんが不安そうな顔をしながら私の様子を伺っている。
「あー…すみません。やっぱり無理…ですよね?」
ふーっと息を吐き出し、部室をぐるっと一望した。
『これ、私の裁量で全部片付けちゃっていいんだよね?』
「え…まぁ、大丈夫だと思いますけど」
『こういう雑用得意分野だから。任せておいて』
目を輝かせながらポンっと胸を叩く。オモイくんが少し引いた目で私を見ていた。
こういう雑用は大好きだ。変な趣味だと言われようと性格なので致し方ない。
オモイくんは不審者を見る目で私を見ながら、お願いしますと小さな声で呟いた。
洗濯物はまとめて裏の洗濯機に持っていく。量が多すぎて回数を分けなければ捌き切れない。ガタガタと不穏な音を放つ洗濯機に若干の不安を覚えながらも私は再び部室に戻った。
洗濯物を避けたので当初よりマシとは言え、凄いゴミの量だ。明らかに要らないものはゴミ袋に詰め、用途が不明なものは後でまとめて部員に聞くことにする。黙々と仕分けをすればやっと床が見えてきた。
「千秋先輩と美羽先輩ってどういう関係なんですか?」
振り返れば、オモイくんが既に真っ黒になった雑巾を片手に持ちながら窓を擦っている。私も手元のゴミに視線を戻して答えた。
『どうって言われても…クラスメイトだけど』
「それだけっスか?」
『うん』
私に聞かれてもそれ以上は何も答えようがない。オモイくんはまだ納得いかなそうにふぅん、と相槌を打った。
「てっきり付き合ってるのかと思ってました。千秋先輩、モテモテなのに他の女に全く興味がなさそうなので」
『ああ、やっぱりモテるんだ。早瀬くん』
「そりゃあもう。部内では千秋先輩とシー先輩が断トツっすよ」
シーくんもモテるらしい。性格がアレすぎて意識していなかったけれど、言われてみれぱ確かに彼も顔は綺麗である。あくまで顔は。
「でもあの二人、見た目はいいんですけど中身は割とクソ野郎ですよね」
『ぶっ』
思わず吹いてしまった。後輩に酷い言われようである。
『シーくんはそうかもだけど。早瀬くんも?』
「千秋先輩もシー先輩も単独で見ると常識人なんですけどね。二人揃うと色々と酷いって昔から有名です」
そうなんだぁと無難な相槌を打ちつつ、四つ目のゴミ袋の口を縛る。大分常識的な汚さになってきた。そろそろ掃除機をかけてしまいたい。
『オモイくん、掃除機ある?』
「入り口んとこの用具入れにありますよ」
用具入れの取っ手を引っ張るも、立て付けが悪いのかなかなか開けられない。モタモタしていると、オモイくんがこちらに近づいてきた。
「やります。使ってないから固まっちゃってるんですよね」
『ごめんね、ありがとう』
よっ、とオモイくんが用具入れの扉を軽々開けた。砂埃の匂いと共に、何故か雑誌のようなものがバサバサっと落ちてくる。
何気なく拾い上げ、そして固まった。露出の多い女性がこちらに微笑みかけている。
「…エロ本の隠し場所になってるみたいっスね」
ったく、しょうがねぇなと言いながらオモイくんが雑誌を拾い集めている。仕方なく私もそれを手伝った。
「マネージャーも部室までは入ってこないから。女禁だと男なんてこんなもんスよ」
なんともリアクションしづらい話である。
早瀬くんもシーくんも、あんまりこういうの見ていそうなイメージないんだけど。思春期男子、見た目は爽やかでもやはりこういうものが好きらしい。
そういえばサソリはこういうの持っているんだろうか。何度も家にお邪魔させてもらっているけれど、見たことがない。今度漁ってみようかな、と密かに思った。
大まかな掃除は終わったので、残りは任せてもらいオモイくんには練習に行ってもらった。オモイくんは最初は遠慮していたものの、掃除と練習どちらがしたいかなんて聞かずとも明白である。何度も謝りながらも練習に向かう背中は心なしか嬉しそうだった。
3回回した洗濯機の最後のシャツをやっと干し終えた。時刻は8時過ぎ。今から戻れば30分程度の勉強時間は確保できそうである。
短いけれども少しでも勉強時間は確保しておきたい。部室の鍵を返して早く教室に戻ろう。
なるべく急いでグラウンドに向かう。朝練も終盤に差し掛かり、そこかしこでボールが飛び交っている。できれば早瀬くんかオモイくんに手渡したかったけれどそういうわけにもいかなそうだ。
少し悩んだ末、私はベンチ付近でドリンクの準備をしているマネージャーに声をかけた。先程早瀬くんとシーくんに挨拶をしていた子だ。
『あの…部室の鍵お願いしていいですか?」
「……」
予想通り、ムッとされる。
しかし彼女以外に適任も見当たらない。
お願いします、ともう一度言って私は彼女に鍵を手渡した。嫌々それを受け取る彼女。氷のような視線が中学時代の嫌な記憶と重なった。
「部外者は侵入禁止なんで。そこにいられると迷惑です。早くお引き取りください」
何度経験しても、自分がよく知らない相手から向けられる敵意というのは中々に悲しいものだ。否が応でも心臓の鼓動が駆け足になる。
「おい」
ドキッ、と小さくなった心臓が飛び上がった。
顔を上げるとシーくんがタオルを肩にかけながらじっとこちらを見ていた。無表情なのに、なんとなく不機嫌そうなオーラを感じる。
「一年。仮にも先輩にその態度はないだろ」
『……』
「千秋がお前に靡かないのは別に姫ちゃんのせいじゃないぞ。八つ当たりすんな」
人の顔色が一瞬で変わるのを私はこの時初めて見た。青白い顔をした少女が何も言わずに踵を返す。その背中を見送りながら、私はなぜか自分の心臓を冷えるのを感じた。
「喉渇いたんだけど。ドリンクまだできてないのか」
シーくんは相変わらず呑気である。私は項垂れながらこめかみを押さえずにはいられない。
『…言うことがキツすぎ』
「ああ?」
『私は別に気にしてないから。あんなにはっきり言っちゃったら可哀想だよ』
「……。逆に後輩にあんなに舐められて怒らないお前が奇異じゃないか」
『それは…慣れてるというか、なんというか』
「慣れ、ねぇ」
ふっ、とシーくんが馬鹿にしたように笑う。
「現実問題姫ちゃんを攻撃してる女を千秋が好きになるわけないだろう。オレは第三者としてそれを教えてやっただけだ」
『……』
「ああ、まさかお前千秋から好かれたままでいたいのか?キープくんがいなくなるのは嫌だから嫉妬されていじめられてる可哀想な私のままでいるっていう計算?」
私がシーくんのことを苦手なのは、うすうす自分が感づいていて、しかし見て見ぬふりをしていた部分に土足でズカズカと入り込んでくるからだろう。
要は図星なのだ。だから何も言えなくなる。
ふぅ、とため息をついて私は鞄から水筒を取り出した。わかっていたようにそれを受け取るシーくん。
『シーくんってさ、黙ってればいい男って言われない?』
「そりゃどうも」
『褒めてないんだけど…』
さっさと水分補給して軽くなった水筒を再び私に差し出すシーくん。失笑しながらそれを受け取る。ここに留まる理由は既になくなっていた。早く戻らないと勉強する時間がとれない。
『私もう戻るね』
「おー」
彼に背を向け歩き出す。そのまま数歩進み、やはり伝えておこうと一度シーくんを振り返った。
『ありがとう』
「あ?」
『やり方はアレだけど。庇ってくれてありがとう』
言ってしまえばスッキリした。じゃあね、と手を振って今度こそ校舎に向かってかけていく。
運動が終わったら次は勉強も頑張らなくては。