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秋の空は四季の中でも取り分け美しい。それが清涼感に満たされた朝なら尚更だ。
くあっと欠伸をし、目をひと擦り。時刻は午前5時45分。場所、サッカーグラウンド。こんなに朝早くに学校に来たのは初めてだ。なんだか新鮮である。
バタバタの中間テストが終わり、体育祭が目前に迫っている。テスト前は部活が休みだったこともあり、放課後に早瀬くんが私の走りの面倒を見てくれていた。しかしテストが終わった今、サッカー部の練習も再開されている。
なし崩し的に走りの練習もなしになるのかと思いきや、朝練の前だったら時間取れるよ、という早瀬くんの提案。そんなに朝早くから練習に付き合わせるのも…と悩みこそすれ、走りの練習をしないと当日悲惨なのは変えられない事実である。ごめんね、と頭を下げる私に早瀬くんはいつも通りの優しい笑みでいいよ、と快諾してくれた。
待ち合わせは6時である。待たせるのは悪いと思い、少し早く着き過ぎてしまった。
思い出したようにぐぅ、とお腹が鳴る。時間を気にして朝ご飯を後回しにしてきたのだ。おにぎりを食べて待っていようとベンチに腰掛けると、後ろ背にカタンとフェンスの揺れる音。振り向くと、じろっとこちらを見ている一人の少年。心臓がキュッとなった。
『…おはよう』
「……」
一応挨拶をする私。シーくんは何も言わないまま、帽子を目深にかぶりグラウンドに足を踏み入れた。サッカー部の朝練は7時からだと聞いている。彼がここに姿を表すには些か早すぎる時間だ。
「オレはいつもこの時間」
『は?』
「朝練始まる前にランニングしてんだよ。だからオレはこの時間」
シーくんは私と目線を合わせないままさっさとストレッチを始めている。私は鞄に入っているおにぎりを取り出し、ラップをぴっと引っ張った。
『走るの好きなの?』
「ああ?」
『練習の前に練習なんて。よっぽど走るのが好きなのかなって』
「別に好きじゃない。習慣みたいなもんだ」
習慣、か。走りが苦手な私からしたら理解し難い話である。
ストレッチをしているシーくんの姿をおにぎりを食べながらぼーっと眺める。私たちの間に特に話題はない。
早く早瀬くん来ないかな、と思いながらおにぎりに齧り付いていると、シーくんがこちらに歩み寄ってきた。そして私の目の前で立ち止まる。暫く無言で見つめ合った。
「中身、なに」
暫し考え、手元のおにぎりの中身を聞かれているのだと思い至る。
『からあげだよ』
ほら、と中身を見せる。シーくんはそれをじっと見つめた後、視線を横に動かした。
「そっちは?」
『ああ…こっちはオムライス風にしたの』
ベンチに置いてあったもう一つのおにぎりに目配せする。聞いたのは自分のくせに、シーくんはそれ以上のリアクションを起こさない。しかし私の目の前から去ることもない。ということは。
『…食べる?』
「食う」
即答だった。と同時に、シーくんが私の持っていた唐揚げのおにぎりにパクッと食いつく。指先に柔らかい唇が触れ、驚きのあまり硬直してしまった。
『ちょ…なにしてんの!?』
「食っていいって言っただろ」
『言ったけど…っ、いや、厳密には言ってないけど…それ、食べかけなのに…』
見れば、見事に唐揚げが姿を消している。残されたのはただの白結びである。
いろんな意味で顔を赤くさせている私と、涼しい顔色を崩さないシーくん。
「そっちも食っていい?」の言葉に力なく首肯した。
『朝ごはん食べてこなかったの?』
「食ったけど。足りねぇんだもん」
いつの間にか隣に座ったシーくんが私のオムライス結びに齧り付いている。食べるの楽しみにしてたのに。私は諦めて自分の手中のおにぎりを口に含んだ。…塩の味しかしない。
イライラするはずなのに、夢中でおにぎりを頬張っているシーくんの姿を見ると怒る気は失せてしまった。私の悪い癖。食べてる男の子を見るのが好き。だって可愛いんだもん。シーくんのことは苦手なはずなのに。くそう、なんだか憎めない。
「…お前、何してんの?」
早瀬くんがグラウンドに姿を表した。おにぎりを頬張っている私たち二人に顔を顰めている。
『おはよう、早瀬くん』
「月野さんおはよう。…で、お前は何してんの?」
挨拶もそこそこに早瀬くんがシーくんを睨んだ。シーくんはあっという間におにぎりを食べ終え、私の水筒のお茶を勝手に飲んでいる。
「飯食ってただけ」
「なんでこんなとこで?」
『ごめんね、食べる時間がなくて私がご飯持ってきたの』
早瀬くんはジト目でシーくんを睨んだままだ。
「なんで月野さんの飯をお前が食うんだよ」
「くれるって言うから」
「だからってなぁ…はぁ、ごめんね、月野さん」
早瀬くんが今日初めて私の顔を見た。早瀬くんが悪いわけではないので首を横に振る。
『平気よ。私がいいって言ったの』
「本当にごめんね。こいつ見た目に似合わず食い意地張ってんだよ」
早瀬くんもシーくんもスポーツ男子なだけあって本当によく食べる。それは早瀬くんのお家にお邪魔した時から知っていた。サソリもそれなりに食べるけれども二人の食欲はサソリの比ではない。その食いっぷりに密かにときめいていたのは内緒の話である。
早瀬くんの不機嫌が面倒なのかシーくんはさっさと立ち上がり一人でランニングを始めてしまう。
シーくんの後ろ姿を目で追いながら、早瀬くんはやれやれとため息をついた。
「…じゃ、始めようか」
『うん。お願いします』
たっぷり一時間、走りを指導してもらった。気づけばグラウンドにはチラホラとサッカー部員の姿が見え始めている。邪魔にならないうちに私はお暇しなければならない。
「じゃあ今日はここまでにしようか」
『っ…はぁ、…』
心臓がバクバクして呼吸を整えるのに時間がかかる。胸を押さえながら肩を揺らしていると、早瀬くんが持っていたストップウォッチをこちらに見せてくれた。
「大分時間縮まってるよ。16.25」
『えっ、ほんと!?』
「このままいけば当日は16秒切れるかもしれないね」
それでも遅いには違いない。けれども、悪目立ちをすることは避けられるだろう。少しだけ安心した。
『ありがとう。早瀬くんのおかげだよ』
「いや、君が頑張った結果だよ。………」
チラッと早瀬くんが部員たちの方を気にする仕草を見せる。部活が始まる時間を気にしているのだろう。私はベンチの上のカバンを拾い上げた。
『じゃ、私は教室行くね』
「月野さん、ジャージ持ってる?」
『ジャージ?今日はそんなに寒くないから持ってきてないよ』
走るのにも邪魔なので体操服姿である。教室に戻って制服に着替えれば、今日は体育もないし。
そのまま立ち去ろうとする私に、待って、と早瀬くん。早瀬くんは自分が着ていたジャージを脱いで、私の肩にのせた。早瀬くんの匂いがふわりと鼻を掠める。
「着て行って」
『え…』
困惑している私を気にせず、早瀬くんが慣れた手つきでジャージの胸元を合わせてチャックを持ち上げる。
「野郎ばっかりだから。一応ね」
「散々自分は見たくせに人に見られるのは嫌なんだな」
その声に振り返れば、そこには予想通りシーくんが立っている。ずっと走っていたはずなのに、私と違って呼吸の一つも乱れていない。
早瀬くんがチッと舌を打った。シーくんがそれを気にせず私を見る。
「喉渇いた。飲み物くれ」
シーくんがずいっと私に手を差し出した。早瀬くんが心底呆れたようなため息をつく。
「たかるなよ。ハイエナか」
「そりゃお前だろ。姫ちゃんのおっぱいガン見してたくせに」
「ばっ……かなこと言うんじゃねーよ!見てねぇから!」
早瀬くんがめちゃくちゃ慌てている。私は合点がいき早瀬くんの着せてくれたジャージをキュッと握りしめた。
『あー…ごめん。もしかして透けてた?』
「え!?いや透けてたというか…なんというかその…」
「揺れてたんだろ」
「だからおめーは余計なこと言うな……っつーかお前も見てんじゃねぇか…」
「そりゃ無料で見せてくれるなら見るに決まってるだろう」
な?と何故か私に同意を求められる。私は口元に手を当てて咳払いした。
『…次からはジャージ着て来ます』
「あーあ、残念だな、千秋」
「うるせぇよ…」
「おはようございます!千秋先輩、シー先輩」
モタモタしていたせいで人が集まって来てしまった。マネージャーらしき女の子が二人に声をかけている。
「おはよう」
「うす」
「……」
ジロッと睨まれる。すぐ察して、私は二人に手を振った。
『じゃあ、私はこれで。早瀬くんありがとう』
グラウンドの隅を小走りに走っていく。相変わらず部員が多く、圧倒されてしまう。何人くらいいるんだろう。
時刻はまだ朝の7時だ。教室に戻って着替えてから勉強する予定である。サソリは行けたら早めに行く、と言っていたけど十中八九来ないだろう。あの人夜行性だし。
「…から、オレだけじゃ無理ですって!」
「仕方ねぇだろ。人いねぇんだからよ」
グラウンドの出入り口付近にサッカー部男子がニ人立っている。通路を塞いでしまって抜けられない。
「二、三年は無理だし。一年に頼むしかねぇだろ」
「つっても…オレだって練習したいんスよ。雑用するためにこの部活入ったんじゃねぇんだから」
私の存在に気付かず言い争っているニ人。いつまでも立ち止まっているわけにもいかず、意を決してあの、と声をかけた。
『すみません。通って良いですか?』
「ん?…あぁ、すんません」
大柄な男の子が私に気づき、道を開けてくれた。怖そうな見た目なのに意外に親切である。通り過ぎようとすると、あっ!と隣の男の子が声を上げた。褐色の肌に、棒キャンディを口に咥えている。
「千秋先輩の彼女だ」
『……』
私は冷静に首を横に振った。
『違うよ。ただのクラスメイト』
「え?…でも」
視線が私の胸元に動く。言い訳しようとして、しかし見ず知らずの他人に事の経緯を話す必要もないだろうと思い直した。
早々にその場を去ろうとすると、ガシッと右手を掴まれる。まだ何か聞かれるのか、と半ばうんざりしながら振り返ると少年は眉を下げながら左手で拝むポーズをした。
「丁度よかった。彼女さんに手伝ってもらいたいことがあるんです」
『いや…だから私は彼女じゃなくて』
「オモイ。お前他人に任せようとすんなよ」
オモイ、というのが少年の名前らしい。
えー、だってダルイ先輩!とオモイくん。
「あんな廃墟の掃除オレ一人じゃ無理っスよ」
「でも流石に部外者に部室の掃除してもらうわけにもいかねぇだろ」
掃除。その言葉に反応する。
『掃除する人がいないんですか?』
「ん?ああ…うち元々部員数に対してマネージャーの数が少ないんだよ。なかなか掃除まで手が回らなくてさ。野郎は誰もやらねーし」
納得する。確かにサッカー部のようなヤンチャ男子が掃除が得意とも思えない。
『掃除くらいならやりますけど』
「えっ…」
ダルイと呼ばれた男の子が目を見張って私を見る。やった!とオモイくんが歓声を上げた。
「さすが彼女!よろしくお願いします!」
『だから彼女じゃないんだけど…』
「本当にいいんスか?」
『別にいいですよ。時間あるので』
ダルイくんが少し悩む仕草を見せる。
「それは…有難いっスけど。大丈夫かなぁ…」
『?』
「いや…多分想像してる以上にとんでもなく汚いですよ」
『あー、うん。それは大丈夫。慣れてるから』
我が家は母が絶望的に掃除が苦手で、私は幼い頃から一人で家の掃除をしていた。それに貧乏くじを引くことには慣れっこである。
まだ悩んでいる様子のダルイくんと、完全にやる気のオモイくん。気が変わらないうちにと思ったのだろう。ダルイくんの判断を聞く前にオモイくんが早々に私の手を引っ張った。
「そうと決まったら早速!よろしくお願いします!」