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5人家族の冷蔵庫は私の家の冷蔵庫より一回り大きい。その姿を見ただけでときめいてしまう私は一種の変態なのかもしれない。
「引かないでね」
『え、なんで?』
「かなりごちゃごちゃしてるから…」
ああ、と私は相槌を打った。ご両親は共働きで、早瀬くんは料理はすれども得意なわけではないらしい。となると、あれやこれやがわんさか出てくることになるだろう。
サソリとシーくんは現在庭で奏ちゃんと律くんと遊んでいる。いま家の中には早瀬くんと私しかいない。皆お腹は空かせているだろうから時間はあまりかけず、でも大量。随分やりがいがありそうなミッションである。しかし料理に関してだけは、大変であれば大変であるほどやる気が出る。
『じゃあ、拝見させていただきます』
「……。お願いします」
冷気がふわっと頬を撫でる。
冷蔵室チェック。意外に物が入っていない。
卵、牛乳、バター。お決まりのものがちゃんと常備してあることをサラッと確認。
そして次は冷凍庫。実は私の本命はこっちである。
予想通り、冷凍庫にはギチギチに物が詰め込まれていた。共働きあるあるである。とりあえず買ったものは冷凍!のスタイルだ。
早瀬くんが珍しくため息をついている。
「とにかく冷凍庫に詰めるからさ。なにがなんだかわかんなくて」
『共働きなら仕方ないよね…あっ、挽肉ある。豚コマも発見~使うね』
「どうぞ。解凍しちゃうね」
早瀬くんが私から肉を受け取りレンジで解凍する。その間私は野菜室チェックに入った。こちらも予想通り賞味期限間近の野菜がてんこ盛りである。
このままでは残念なことになってしまいそうなので野菜は全て外に取り出した。早瀬くんが驚いている。
「全部使うの?」
『うん。ダメになったら勿体ないから保存食で何個か作っておくよ。タッパーある?』
「あるある。ちょっと待ってて」
包丁とまな板を借りてとにかく野菜から切ることにした。切りながら何を作るか考える。沢山のレシピは頭の中。私唯一の特技である。
さらっと髪の毛が顔の前に垂れてきた。うっかりしていた。シャワーを浴びたから髪の毛を纏めていなかったんだ。
ぱっと纏めてしまいたいのに手が濡れていて少しばかり面倒だ。肉を解凍して持ってきてくれた早瀬くんに声をかける。
『ごめん早瀬くん。ポケットの中にゴム入ってるの取ってもらっていい?』
「……えっ、僕が取っていいの?」
『うん。お願い』
早瀬くんがちょっと失礼、と私の制服のスカートに手を突っ込んだ。赤いゴムが早瀬くんの手中に握られる。
手を洗って受け取ろうとすると、早瀬くんがそのままでいいよ、と言った。
「結んであげる」
『え…そう?じゃあお願いします』
早瀬くんが私の髪を手櫛で整えている。お言葉に甘えて私は目の前の野菜を切ることに集中した。髪サラサラだね、と早瀬くんが感心している。身嗜みを褒められれば素直に嬉しいので、ありがとう、と私。
「そういえば月野さんって”赤”が好きだよね」
『うん?』
「こういうゴムとか小物とか。あとー…」
ふに、と耳たぶを掴まれる。少しだけどきっとした。
「ピアスも。赤だよね」
『……』
無言の私に、早瀬くんはふふっと笑う。赤を選ぶのは好きなのもあるし、癖でもある。そして早瀬くんが想像した通りの意味合いも。
「本当に一途だよね。まあそこが君の魅力なんだけど」
サラッと言われて更にリアクションに困ってしまう。早瀬くんは基本押しが強い。確固たる意思を持っていないと押し倒されそうになる。そこがデイダラとは違うところである。
どう答えたら良いかわからず私は野菜を切ることに集中するフリをする。早瀬くんは私の髪をご丁寧に編み込んでいる。上手いのは妹さんがいるからだろう。なんとなくわかってきた。
『そういう早瀬くんも一途よね』
「君にだけね」
ペースに飲み込まれないよう毅然と構える。
サソリがいなくなると早瀬くんは更に押しが強くなる。
『そうじゃなくて…サッカーとかね』
「うーん。サッカーは好きだけど。別にサッカーじゃなくてもいいんだよね」
『え、そうなの?』
「たまたまやってたのがサッカーだったから。体動かせれば野球でもバスケでも別になんでもいいんだよ」
『……』
「拘りがあって、しかも手に入らないのは月野さんくらい」
ついにむせてしまった。
早瀬くんはいつも通りの懐っこい顔でくしゃりと笑う。
「ほんと可愛いなぁ」
『からかわないでってば』
「からかってないって。将来僕のお嫁さんにならない?」
『その頃にはとっくに他に好きな人できてるよ、早瀬くんも』
「そうかな?どうだろうね」
というかそうでないと切実に困る。
苦労はさせないんだけどな、と一人ぼやく早瀬くんのことはスルーである。
少しでも隙のある素振りを見せたらつけ込まれる気がした。あのサソリが相手だというのに折れない早瀬くんは中々の強者である。もしかして早瀬くんも地味専なんだろうか。
早瀬くんはやっと髪にゴムを巻きつけている。私の髪は猫っ毛で纏まりづらいのに器用なものだ。ありがとう、と振り返ると思ったより至近距離に早瀬くんがいることに驚く。
外面は犬なのに、中身は狼だということはもう知っている。獲物の私は気を抜いたら直ぐに食べられてしまいそうだ。
早瀬くんは私を見て、また懐っこい顔で笑った。
「月野さん、今日は僕の匂いするよね」
喉の奥がカッと熱くなる。
私は目線を逸らしながら切った野菜をザルに移して水で洗った。
『……シャンプー使わせてもらったからね』
「自分の好きな子から自分の匂いがするって興奮する」
くんくん、と首筋の匂いを嗅がれる。私はペチっと早瀬くんの額を叩いた。
『サソリに言いつけるよ』
「言わないでしょ。君は」
『どうして?』
「”バレたらまずい”ってちゃんとわかってるいい子だから』
つまり、早瀬くんもバレたらまずいことを私にしている自覚はあるらしい。
私は今度は大量の肉を切り始めた。
『彼氏がいるので。節度を持った距離感をお願いします』
「そうしたいのは山々だけど、大好きだから難しいんだよね」
『…早瀬くんは、”悪い子”なの?』
「ははっ、そうかも」
どうして今まで気づかなかったのか不思議なくらい、早瀬くんは女子の扱いが非常に上手い。きっとこの技で何人もの女の子を手中に収めてきたに違いなかった。
早瀬くんは洗った野菜を横に避けながらまた優しく笑う。
「そんな警戒しなくても。別に無理やり襲ったりしないから安心して」
『……』
それすら信用していいのか不明である。
サソリの対応はそれなりにわかってきたけれども、早瀬くんは未知数だ。あまりにも性質が違いすぎる。どういう態度を取ったら当たり障りなくやっていけるのかまだ計りかねているところがあった。
とりあえず今は料理に集中したい。私はジャガイモを早瀬くんに手渡した。
私の意を汲んで大人しくピーラーに手を伸ばす早瀬くん。
「何作るの?」
『うーん、豚肉が沢山あるからメインはピーマンの肉詰めと餃子…キムチもあったから豚キムチも追加しようかな。あとはポテトサラダとけんちん汁、常備用の副菜をいくつか』
「凄いね、そんなに作れる?」
『うん。大丈夫』
だからあんまりからかわないで、と言いかけてやめた。からかってないよ、本気。と返答されるのが目に見えている。
まさか私のような地味な女がこんなに男子からの好意に困惑する日が来ようとは。大量の食材に悩むフリをして、私はそっとこめかみを押さえた。