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先程から隣の華奢な腕がミミズを描き始めている。チラッと時計を見やれば勉強を開始してから既に二時間経過。
美羽の目の前に座っている早瀬もすぐに異変に気づいたようだ。
頬杖をついて身体を歪ませながら、目線だけは真っ直ぐ。目が溶けそうなくらい甘い。オレが美羽を見ている時ももしやこんな顔をしているのだろうか、となんとなく落ち着かない気持ちになる。
ゆっくり3秒数える間に美羽は机に突っ伏した。スヤスヤと気持ち良さそうな寝息が聞こえる。
寝ている場合ではないだろうという正当な気持ちと、寝かせてやりたいという親のような気持ち。悩んでいると、早瀬が小声で空気を震わせた。
「少し寝かしてあげなよ。慣れない運動で疲れたんだろ」
開かれた数学の教科書はテスト範囲の終わりに近い。最近は飲み込みも早く勉強時間は短縮できているようだ。まぁ、少しの休憩時間くらいは許されるか。我ながら甘いとも思うが、疲れている時に無理やり勉強をさせてもどうせ頭には入らないだろう。
それにしても、野郎3人のいる密室で何の疑いもなく眠りに落ちるなんて、この眠り姫は本当に警戒心のかけらも持ち合わせていない。
「君が嫌じゃなかったらベッド使ってもいいよ」
その言葉には答えず、オレは教科書を1ページ捲る。早瀬もそれ以上何も言ってはこなかった。
ついでに、とやっていたらうっかり英語、現国、化学、世界史のノートもできてしまっていた。美羽に渡すつもりだったが現在は夢の中である。オレはそのノートを纏めて早瀬の目の前に置いた。
「必要ならコピーして使え。ノートは美羽に返しておけよ」
「……」
早瀬がふぅ、と溜息をつく。何故このタイミングで溜息をつかれなくてはいけないのだとムッとすると、早瀬はオレの不機嫌に気づいたらしく首を横に振った。
「いや。君は彼女のためならなんだってやるなと思ってさ」
「は?そんなの当たり前だろ」
好きな人間のために何かしてやりたいと思う気持ちは自然の摂理だろう。当然のことを改めて言われてもリアクションに困る。
早瀬は失笑しながらシャープペンを机に転がした。どうやら美羽に合わせて自分も休憩を取るつもりらしい。
青い瞳が、シャッターを切るように美羽の寝顔を見つめている。ふ、と笑って、早瀬はペットボトルのポカリスエットを口に当てた。先程オレが買ったものである。
「どうしても僕に譲る気ない?」
「……。それ、わざわざ答え口にする必要あるのか?」
「いや、わかってるけどさ」
やっぱりダメだよねー、と早瀬。先程から一体なんなんだ。
机の上の美羽の飲みかけのミルクティーに手を伸ばす。生温く、甘い。このメーカーは甘さ控えめなところがいいの!と言っていたのは美羽だが、オレからしたら全く控えめには思えなかった。でかでかと書かれたカロリーオフの表示に踊らされているだけではないだろうか。
「オレには全くわからないな」
声の出所に視線を向ければ、オレたちとは距離をとってベッドフレームに腰掛けている早瀬のツレ。
シーはオレたちを見ておらず、相変わらず参考書に視線を落としたままだ。
「ただの地味ビッチじゃん。どこがそんなにいいのかね」
「……」
「ごめんな。コイツ月野さんのこと何故か目の敵にしてんだよ」
早瀬がすかさずオレにフォローを入れる。しかしそんなことをされなくとも特に不快感は感じなかった。
美羽は女に嫌われやすいが、男に嫌われているのは今まで見たことがない。なんとなく興味深いという感情が湧く。
それにしても地味ビッチか。美羽が聞いたら憤慨しそうな言葉選びである。
「別にあいつビッチじゃねーぞ。オレと付き合うまで処女だったし」
シーは興味なさそうにパラリと参考書を捲った。
「そういう意味じゃない。この手の女は精神的にビッチってこと」
精神的にビッチ。その表現に納得してしまう自分がいた。
美羽は中学時代の嫌われがトラウマになっているのか、どこまでも八方美人である。
彼女の態度に勘違いさせられた男も多いだろう。しかし美羽の優しさは万国共通である。相手に特別な感情がなくても尽くせてしまうのは彼女の最大の長所であり、同時に短所でもある。
うーん、とオレは過去の記憶を振り返った。思い出すのは付き合う前のあれこれである。オレのことが好きではなかった当時の美羽の態度は、実は現在とあまり変わり映えしない。
「それは確かに否定できねぇな…」
「いやいや、否定してやれよ」
「でもお前も美羽に勘違いさせられた口だろ」
う、と早瀬が言葉を詰まらせる。早瀬がどういう過程で美羽に惚れたのかは知らないが、どうやら図星のようである。予想だがオレと大して変わらない流れな気はする。
オレは再びミルクティーを口に含んだ。相変わらず甘たるい。美羽の性格のようだ。
「…勘違いさせられたっていうか。第一印象から優しい子だなとは思ったけど」
「だから全然優しくないんだって」
「……」
「この女は自分が嫌われたくないだけだから。優しいと優しくないは紙一重なんだよ」
優しいと優しくないは紙一重。一理ある。現にオレも美羽に同じようなことを言った覚えがある。オレの好意に彼女が全く気付いていなかったあの頃。全くその気がないくせに思わせぶりな態度を取られてイライラしていたのは否定できない。そして美羽自身がその行いに気付いていないのは厄介なところではある。
考えればオレは運が良かった。当時はまだ美羽の恋愛レベルが低すぎた。自分が人を好きになることも考えていなかったし、ましてや男に好かれることは全く想定していなかったようだ。
押しに弱い美羽は結局オレに押し倒されて折れる形だったが、あの時押したのがオレ以外の男だったとしても流されていた可能性は多大にある。要はオレたちはタイミングが抜群によかったのだ。逆を言えばタイミングが悪ければ彼女はオレを好きにはならなかった、ということになる。
そしてそれを知っているのはオレだけだ。だからこそ不安にもなる。
オレは持っていたシャープペンをくるっと回した。指の上の曖昧なバランス。それはまるでオレたちの関係のようだった。
「で。美羽が優しくないことでお前に何か被害でもあんの?」
「……」
シーは無言で参考書をまた1ページ。
「別にオレは。ただ…」
ただ?と早瀬。オレは黙って話の続きを待った。色素の薄い金髪の髪は、デイダラよりも少しだけ落ち着いた印象を与える。
「見ててなんとなく。理不尽だなと」
「誰が」
「……」
大事なところは、言わない。オレの知っている金髪は大事なところは言葉を濁して隠す傾向にあるな、となんとなく考える。オレも人のことは言えないが。
ふーっと深く息を吐いた。頭のパズルのピースが徐々に埋まっていく感覚。最後のピースを埋めるべく、ある人物の名前を口にする。
「皐月か」
言ってやっと腑に落ちた。
美羽は確かに八方美人の優柔不断だが、決して目立って嫌われるタイプではない。シーがこんなに美羽のことを毛嫌いするのは、別に理由があるからだ。
シーは肯定も否定もしなかった。しかしこれだけ我の強そうな男が何も言わないとなると、答えは聞くまでもないだろう。
早瀬も何も言わない。旧知の仲ならオレなんかよりも早々に察していたに違いなかった。
「別にお前らみたいに恋愛感情どうこうってわけじゃないから」
そうは言っても、気にしているのは事実だろう。
しかし、これはまたややこしいことになっている。シーから矢印が出ているのが皐月で、しかしその皐月は長年デイダラに片思いをしている。そしてデイダラが好きなのは美羽で、美羽が好きなのがオレだ。どれだけ拗れるんだ。少女漫画もびっくりな拗れ具合である。
しかし、シーが皐月を好きなのだとしたら美羽の存在は邪魔だとは言い切れないはずだ。
「皐月が好きなら丁度いいんじゃね。美羽がデイダラを生殺しにし続けてるおかげであの二人はまだくっついてねーぞ」
「だからそういうことではない。あくまで友人として」
「七瀬さんと仲良いんだよね、シーは」
「そりゃお前と姫ちゃんよりはな」
「いつも一言多いよね、お前」
早瀬がシーに向かって空のペットボトルを投げる。シーは一目もせず片手でそれをキャッチした。阿吽の呼吸というのはまさにこのことだろう。
美羽と皐月はタイプは全く違うが見栄えは二人ともそれなりにいい。皐月があまりにもデイダラに一途なため盲点ではあったが、皐月が他の男子に好かれたって特段驚くようなことではない。
ふと、デイダラはこのことを知ったらどう思うのだろうという疑念が湧く。少しは心揺さぶられたりするものだろうか。
『…んっ』
ぴくん、と美羽の丸まった背中が跳ねる。どうやら少し騒ぎすぎてしまったようだ。
ぼーっとした瞳が目の前の早瀬を一番に捉える。あれ?なんでここに早瀬くんが?という疑問を顔に浮かび上がらせる美羽。
早瀬がぷっと吹き出しながら目を蕩けさせている。オレがいうのもなんだがコイツあまりにも美羽のことが好きすぎるだろう。
「おはよう、月野さん」
『…おはよう』
目をゴシゴシ擦りながら、美羽の瞳がやっとオレを捉える。夢と現実がゆっくり重なって溶けていく。
「少しはスッキリしたか?」
『あれ…私寝てた?』
「15分くらいね。疲れたんでしょ」
うん、と子供のような返事。美羽のすっぴんからの起き抜けの顔を早瀬に拝ませてしまったことを少しばかり後悔する。これはオレだけが見られる顔でありたかった。
「そういえば腹減った。千秋今日の晩飯何?」
シーが持っていた参考書を初めて閉じた。意外にこの中で一番長い間勉強をしていたのはシーである。オレたちと会話はしながら、目線だけはずっと参考書からブレなかった。なんだかんだで真面目なのだろう。
「また食ってく気かよ」
「いや。メニューによっては食わずに帰る」
「相変わらず勝手な奴…」
ううむ、と早瀬が悩む仕草を見せる。美羽が大分透明になった意識で早瀬に声をかける。
『早瀬くんが作るの?』
「うん。両親遅いからね。大したものは作れないけど」
『……』
ぱあっと美羽の顔が輝く。またいつもの病気が発動していた。
オレがため息をつくと、美羽がそれに気づき慌てて首を横に振っている。
『ご、ごめん…つい』
「いや、別にいいけど」
「?」
目線を泳がせる美羽と、頭に疑問符の早瀬。仕方なく、オレが早瀬に通訳をする。
「”迷惑じゃなければ私が作りたい”だとよ」
「え…」
早瀬が度肝を抜かれた様子で美羽を見る。そういうリアクションになるのは共感でしかない。しかしオレの彼女は生憎これが通常運転なのである。
美羽は視線を下に置きながら嫌だったらいい…と自信なさげである。しかし早瀬が美羽に断りの返事などするわけはない。
「それは有難いけど。でもうち奏と律もいるから作るの大変だよ。大丈夫?」
『それは任せておいて。私唯一の得意分野です』
自己評価の低い美羽にとって、料理は自信を持って自分を出せる数少ない手段なのだろう。
早瀬は美羽の様子に困惑しつつも、じゃあお願いします。と素直に提案を受け入れた。