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早瀬くんの家は運動公園から5分もかからないところにあった。
立派な庭付きの一軒家である。サソリに肩を支えられながら門扉を潜る。
散らかってるけどごめんね、と早瀬くんは家の鍵を開けた。その様子を見て、私は湧いた疑問をそのまま口にする。
『お家の人は?』
「父も母も会社。共働きで帰り遅いんだ」
早瀬くんのご両親。きっと快活な人なのだろうなと想像する。
『噂の妹さんと弟さんは?』
「この時間は犬の散歩じゃないかな?」
『えっ!犬!?』
目を輝かせる私と、冷めた表情のサソリ。うっかり食い付いてしまった。犬猫の話には反射で反応してしまう。
『ちなみに犬種は?』
「ゴールデンレトリバー」
しかもゴールデンレトリバー。イメージ通りすぎて逆に怖い。
早瀬くんは玄関に私とサソリを通しながらクスッと笑った。早瀬くんの笑顔は場の空気を明るくする力を持っている。
「もう少ししたら帰ってくるから触っていきなよ」
『えっ、いいの?』
「うん。懐っこいから喜ぶと思うよ」
「…消毒終えたら直ぐ帰るぞ」
すかさずサソリが水を刺す。家にあげようとしてくれた早瀬くんに無表情で首を横に振った。
「玄関で十分だ」
「…そう。わかった。ちょっと待ってて」
早瀬くんはサソリに反論する気はないようである。一人靴を脱ぎ廊下の奥に消えて行った。消毒薬を取りに行ってくれたのだろう。玄関の縁に腰を下ろしながら私は口をへの字に歪ませた。
『せっかく厚意で連れてきてくれたのに。そんな刺々しい態度したら失礼でしょ』
「お前が警戒心なさすぎるからオレが牽制してんだろ」
『警戒する必要なんてないし』
「頭お花畑かよ。アイツがお前にベタ惚れなの忘れたのか?」
うっ、と言葉に詰まる。サソリは私の隣に腰を下ろした。広い玄関なのにわざわざ体を密着させてくる。
嗅ぎ慣れたサソリの匂いと、早瀬くんのお家の香りが複雑に絡まる。
『ちょっと、何?』
「目閉じて」
『なんで?』
「キスしたいから」
ここで!?と驚愕する私。しかしサソリは私の肩に手を回して既にやる気である。
サソリは嫉妬すると行動が積極的になる。本人は認めずともやはり早瀬くんには対抗心があるらしい。早瀬くんと仲良くしていた私のことが気に入らないのだろう。だったら最初から声なんてかけなければいいのに。しかし反論するのが許されないのもいつものことである。
おでこをくっつけられ、私は早々に諦めて目を閉じた。自分に好意を寄せてくれている男の子の家で、本命の彼氏とキス。…なんとも言えない背徳的な気分になる。
「秋ちゃーん!ただいまー!!」
唇が触れ合うまであと1センチ。玄関の扉が豪快にぶち開けられた。
慌ててサソリを突き飛ばす。大きくて無垢な瞳が私たちに向けられた。ギリギリ見られずには済んだようだ。
「あっ!」と声を上げたのはサソリ以外の3人である。
はじめまして、という当たり前の挨拶は交わされなかった。
早瀬くんの妹さんと弟さんに、私たちは既に面識があった。勿論今の今まで気づいていなかったけれど。
一昨日、木にボールが引っかかってとれなくなっていた子供たち。その中に彼女たちがいたのをはっきりと覚えている。…特に女の子の方。奏ちゃん、という名前だっただろうか。
奏ちゃんはサソリを見て目を輝かせている。今度は私がムスッと顔を歪ませる番だ。
奏ちゃんはそのままサソリにぴょんっと抱きついた。予想していなかった事態に、サソリはされるがままである。
「サソリさんだー!どうして奏のお家にいるの!?」
「…何?お前誰?」
さすがサソリ。もう覚えていないらしい。
しかし奏ちゃんは聞いちゃいない。王子様との運命の再会を果たしたシンデレラ気分である。
流石に今引き剥がすのは大人気なさすぎると判断し、私は男の子の方に視線を移した。ビクッと揺れる瞳。奏ちゃんと違って消極的な弟くん。
『こんにちは。お邪魔してます』
「……」
弟くんは頬を僅かにピンクに染めて下を向いている。これくらいの年齢の子は、知らない人間に声をかけられると喋れなくなってしまうことも珍しくはない。
可愛いな、と思って見ていると、後ろから「こらぁ!」と荒れた声。見れば彼らのお兄さんが眉を釣り上げている。
「奏!律!なにやってんだ、失礼なことすんじゃねぇよ」
「秋ちゃんサソリさんと友達だったの!?なんで奏に教えてくれないの!?」
「いや友達じゃねーし…あーもう、泥だらけじゃねぇか。とりあえず手ェ洗ってこい」
早瀬くんは手早くサソリに薬箱を手渡した。そして奏ちゃんと律くんの首根っこを掴む。抵抗している奏ちゃんと大人しくついていく律くん。
「赤砂。バタバタして悪いけど手当てしてあげて」
「…おう」
「やだー!奏サソリさんとお話ししたい!」
「とりあえず手ェ洗ってからだって言ってんだろ!」
完全にお兄ちゃんモードの早瀬くん。呆気にとられている私とサソリを残して、またまた廊下の奥に消えていく。
嵐が去ったかのような静寂が訪れた。
「…とりあえず手当てするぞ」
『…うん』
3分もたたないうちに、バタバタとこちらに向かってくる足音。一番に現れたのは予想通り奏ちゃんだった。
サソリに手当てされている私を見てムスッと顔をしかめている。
「ずるーい。奏もサソリさんにお手当てしてもらいたい!」
「ピンピンしてんだろ。治すところねーぞ」
サソリは適当に流している。一昨日出会ったことは既に伝えたものの、あまりピンとはきていないようだ。頭がいいくせに、興味のないことは本当に何も覚えていない。というか覚える気がないのだろう。
奏ちゃんは完全に恋する乙女モードである。相手は小学4年生だ。先日はサソリとのいざこざもありムキになってしまったものの、今日は大人の対応を心がけたい。
「…で、そこの地味なお姉ちゃんはなんで奏のお家にいるの?」
キレない、キレないと自分に言い聞かせる。
『私たち、早瀬くんのクラスメイトなの。ちょっと私が転んで怪我しちゃったから、消毒のために連れてきてもらって』
「ふーん、見た目通り鈍臭いのね」
『……』
「その歳で転ぶなんてカッコ悪!」
最近の小学4年生、かなり辛辣である。しかし図星すぎて全く言い返せない。
私が黙っていると、患部にテープを貼り終えたサソリがパタンと薬箱を閉じた。そして初めて奏ちゃんの顔をその瞳に捕らえる。
怒っている、ということが私にだけ伝わった。
「頑張ってる人間を笑うもんじゃない」
『……』
「この姉ちゃん、とんでもねぇ努力家だから普通の人間より傷が多いんだ。コイツの傷は勲章みたいなもんなんだよ」
フォローしてくれているらしい。
時々こういうことをしてくれるから、言葉足らずでイライラしてもすぐに大好きに戻ってしまう。単純な私である。サソリの言葉は傷薬より私の心によく届く。
しかし奏ちゃんは納得いかない表情。サソリが私の味方になっているのが気に入らないようである。
「なにそれ。よくわかんないよ」
「わかんねーのはガキの証拠だな」
「奏ガキじゃないもん!」
「はいはい。…立てるか?」
サソリは私の手を取った。うん、と答えて腰を上げる。元々大した傷ではない。しっかり固定してもらったため、もう痛みもほとんど感じなかった。
「オレたち帰るわ。兄ちゃんによろしくな」
「ええー、もう帰っちゃうの!?」
「大人には色々あんだよ」
奏ちゃんが目に涙を浮かべながらサソリを見ている。小学4年生でも、もう立派な女なのだ。恋をした相手に冷たい態度を取られ、直ぐに目の前から消えられてしまう寂しさはよくわかる。サソリに拒絶されたあの日を思い出し、なんとなく同情してしまう私がいた。
玄関を押し開けようとしたサソリの服の袖を掴む。待って、とあの日の私がもう一度サソリに声をかけた。