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オレが知っている人間の中で、一番眉目好い走りをするのは早瀬だ。アイツのことは嫌いだが、そこは素直に認めざるを得ない。
その上性格的に教える側にも向いている。美羽の走りを見てもらうのに、早瀬以上の適任者は存在しない。
奴に声かけした理由はそれ以上でも以下でもなかった。
火照った身体に、過剰に冷却されたコンビニの空気が心地よい。ドリンクコーナーに直行し、一番に手を伸ばしたのはミルクティーだ。美羽の定番、というやつである。次に自分用のアイスコーヒーを手に取り、そして悩む。
コーチをしてもらっているからには奴にも買って行かねば角が立つだろう。しかし早瀬の好みなんて知る由もない。
悩んだ末、ポカリスエットを二本棚から下ろした。運動部はポカリスエットが好きだろうという安直な考えである。
レジを通して、再び生温い空気に包まれる。スマホの時計を見ると30分を過ぎていた。ダラダラ歩いていたため思ったより時間がかかったようだ。
大丈夫だろうという気持ちと、やはり芽生える猜疑心。信頼していることと、嫉妬するしないは全く別の問題である。
ふぅとため息を一つ吐き出し、オレは公園へと急ぐ。
入り口付近に到達すると、見覚えのある後ろ姿。
声をかけようとして、逡巡してしまう自分がいた。しかし無視して通り過ぎるわけにもいかず、オイ、と声をかける。美羽とは違う、つり目の大きな瞳と視線が重なった。
「あれ、サソリ」
「何してんだこんなとこで」
「部活ないから少し走りに来ただけよ」
「……ふーん」
皐月は肩にかかっているタオルで汗を拭った。視線を奥に運ぶ。彼女に声をかけるのを一瞬ためらった理由がそこにあった。
見慣れない漆黒の瞳。同じクラスではないが、どこかで見た覚えはある。
オレの訝しむ視線に、奴はペコっと頭を下げた。
「どうも」
「…おー」
お互いに、誰だっけ、と探っている気配がある。察しのいい皐月もその空気に気付いたようだ。
「コイツ、赤砂サソリ。知ってるでしょ。美羽の彼氏」
「…あぁ。道理で見たことがあると思ったら」
相手はその説明だけで納得した様子である。続けて皐月がオレの顔を見た。
「B組のシーよ。早瀬の友達」
早瀬の連れの一人か。通りで見覚えがあるわけだ。
しかし、オレが気になったのはそこではない。
「二人で来たのか?」
「まさか、たまたまよ。ランニングコースが一緒らしくてよく会うのよね」
ふぅん、とオレは言葉では納得した様子を見せた。芽生えた違和感が胸の中に突っかかって取れない。しかし確信がないことを突っ込んで聞く気もなかった。
「そういうアンタは?」
「美羽のリレーの練習」
「リレー?」
「そ。残念ながら選手に選ばれたから。今早瀬に面倒見て貰ってる」
「…千秋に?」
反応を見せたのはシーである。オレは買ったコーヒーをビニール袋から取り出しながら頷いた。
「そう。うちの美羽ちゃん運動からきしダメだからな」
「まさか美羽が赤引くとわねー」
皐月も失笑している。オレはコーヒーのプルタブを引き一気に喉に流し込んだ。冷たい苦味が口いっぱいに広がって心地良い。飲めば更に脱水するとわかっているのに、カフェインには中毒性がある。
「で、美羽は?」
「まだ走ってると思うが。逆に見なかったか?」
「気づかなかったな。シー気づいた?」
「……」
シーが顎に手を当て何やら考えるような仕草を見せた。顔は違えども纏っているオーラがなんとなく早瀬に似ている。
再びオレを射抜く瞳。太陽に反射した漆黒の瞳は、わずかな挑発を含んでいるように見えた。
「随分余裕な様子だけど。大丈夫なのか」
「ああ?」
「千秋はあの女に相当入れ込んでる。後で泣くことになっても知らないぞ」
早瀬が美羽にベタ惚れなのは誰が見ても明らかである。親しき仲なら更に、奴の心の深い部分にも触れているのだろう。
オレは口元を拭いながら平然と答えた。
「ご忠告どうも。でも問題ない。あいつオレに一途だから」
「……」
シーが何故かムッとしている。その理由に触れる気にはならず、オレは再び皐月に視線を戻した。
「じゃ、オレ行くわ」
「うん。美羽によろしく…っあれ?」
皐月の瞳が動く。釣られてそちらに視線を動かした。
早瀬がこちらに歩いてくる。オレの姿を見て、へらっと眉を下げて笑った。その背後に美羽の細い足がぷらぷらと揺れていることにすぐに気づく。どうしたの?と一番に声を上げたのは皐月だった。
「転んじゃって。かなり派手に擦りむいたみたいで」
『ううー…ごめんなさい』
美羽は羞恥からか早瀬の背中に顔を押し付けながらシクシクやっている。同級生というより兄に縋る幼子のようだ。見れば確かに、膝が泥と血に塗れていた。
早瀬の視線が皐月からオレに動く。その頬が赤みを帯びているのはきっと暑さのせいだけではないだろう。
「ごめん。いきなり走らせすぎた」
オレは無言で指を地面に向けた。早瀬は察して、「そこのベンチまで運ぶよ」と歩いて行く。今直ぐに下ろせと言いたいところをグッと堪えてその後に続いた。
ベンチに腰を下ろした美羽の目の前に屈み込む。改めて膝を確認すれば、まだじわじわと出血が続いている。眉間に皺が寄るのを感じずにはいられない。
「こりゃ随分派手にやったな」
『…すみません』
たかだか短距離走の練習をしていたとは思えない負傷具合である。鈍い美羽は受け身も満足にとれなかったようだ。恥ずかしいのか、先程から全く顔を上げない美羽。ティッシュで膝を拭いてやり、出血部位を確認する。早瀬も隣からその様子を眺めていた。
「これ、ちゃんと手当てしたほうがいいね。明日以降の練習に響くといけないし」
『そんな、大袈裟だよ。押さえておけば大丈夫』
美羽が自分の傷跡を確認しようと前のめりになった刹那、首元の体操着が弛んでその奥の膨らみが太陽の光に触れた。男の性で視線がそこに釘付けになる。今日はシルク調のピンクである。
いつもならラッキーで終わる話だが、今日はそういうわけにもいかない。
ちらっと横を向けば予想通り早瀬もその光景を食い気味に見ている。爽やかな見た目をしていようがなんだろうが男である限り考えることも反応する所も一緒である。
オレが咳払いをすると、早瀬はハッとして視線を逸らした。美羽が一人疑問符を浮かべて顔を上げる。
『なに?』
「いや。早瀬、お前何色が好き?」
「はあっ?なんだよ急に」
早瀬が声を翻している。オレは口角を上げながら美羽の上半身を片手で押し戻した。
「言わねーと本人にバラすぞ」
「……」
早瀬がオレを睨んでいる。しかし思春期男子、好きな女子のブラと胸をガン見していた事実は知られたくないらしい。
至極嫌そうに、しかし観念した様子で唇をボソボソと動かした。
「…ピンクと黒」
「ふぅん。そういや黒は昨日見たな」
殺意の篭った目で睨まれるが、そこには優越感しか産まれない。現状を全く理解していない美羽に、オレは手を横に振って答えた。
「なんでもねぇよ。男同士は色々あるもんだ」
『…ふぅん。知らない間に随分仲良くなったのね』
全然違うが、美羽には言っても理解し得ない話だろう。というかドン引きされるに違いない。
今度は早瀬が咳払いして、美羽に対応するための紳士を装っている。面の皮の厚い男だ。ただのスケベのくせに。
「消毒したいんだけど、どうしようかな」
「千秋ん家連れて行けば?」
後ろから降ってきた声に早瀬が振り向く。そこには、先ほど合流した皐月とシーの姿。一部始終のオレたちの様子を見ていたようだ。
シーはこの暑い中でも汗粒一つ流さず涼しい顔である。奴の顔には温度というものが感じられない。
「お前んち直ぐ近くだろ。チビいんだから消毒液の一つや二つあるんじゃないか」
「そりゃ…あるけど。流石にそれは」
チラッと早瀬がオレを見る。美羽ではなくオレを気にしているあたり、早瀬もその方法を考えてはいたようだ。オレさえいなければ早々にお持ち帰りをしていたことだろう。押しに弱い美羽がこいつの厚意を上手く断れるとも思えない。
美羽の膝に再び視線を落とす。まだ出血は止まらない。流石に貧血を起こすほどの量ではないが、華奢な美羽の体を知っているからこそ心配になってしまう。
大袈裟な…と呟いている美羽を無視して、オレは腰を上げた。
「悪ィけど連れて行っていいか?」
早瀬はオレの判断にもう驚かなかった。