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走りの練習をすると言っても、私が一番力を入れなくてはならないのが中間テストだという事実は変わらない。
とりあえず放課後は1時間ほど走りの練習。その後は場所を移動して勉強する、ということになった。私の様子によって練習時間は変動させていく予定である。
早瀬くんに指定されたのは学校から二駅離れた運動公園である。昨日皐月とも落ち合った公園。私達に馴染みはなくとも運動部の間では割と有名な公園らしい。
ジャージに着替え、電車に乗って公園に向かう。車内では周りの視線がちらちらとこちらに引き寄せられるのが如実にわかった。
無理もない。サソリと早瀬くんはタイプは違えども目立つタイプのイケメンである。
サソリとデイダラのコンビも勿論目立つけれども、この二人のコンビもなかなかに強烈。
「緊張してる?」
無言の私を気遣って早瀬くんが声をかけてくれる。私は慌てて首を横に振った。へらっと早瀬くんが頬を緩める。
「ちゃんと教えるから大丈夫だよ」
『そもそも、教えてもらったからって速くなるものなの?』
「うーん。直ぐに劇的に速くってのは難しいかもしれないけど。でも理論を理解すれば誰でも今よりは速く走れるようになると思うよ」
「理論?」
窓の外を眺めていたサソリが初めて反応を見せる。早瀬くんはそう、と相槌を打った。
「直接動くのが身体だとしても、その指示を出しているのは頭だ。スポーツは身体でやるんじゃなく頭を使ってやるもの。勉強と一緒だよ」
「……」
無言だけれども、感心している様子だ、ということはなんとなくわかる。私にはわかるけれども、サソリ初心者の早瀬くんには伝わっていないだろう。サソリは圧倒的に言葉が足りない。親しくなければ彼の考えていることを理解するのはかなり困難だ。
やはり私が架け橋になるしかあるまい。微妙な空気を打破するべく明るい声を出した。
『早瀬くんは勉強もできるもんね』
「あー……まあ、大したことないよ」
純粋に褒めたつもりなのに、早瀬くんは微妙な表情。サソリがいるからだ、ということに遅れて気づいた。学年トップの目の前で成績について褒められてもリアクションに困るだろう。それどころか、人によっては馬鹿にされていると思うかもしれない。
ことごとく噛み合わない。私たち三人の相性はかなり微妙である。なんでこのメンツになったんだ。改めて考えても謎。できることなら初めからやり直したい。
降車駅のアナウンスが鳴り、ほっと胸を撫で下ろす。サソリが始めに電車を降りた。続いて早瀬くん。最後に私が降りようとすると、早瀬くんがくるっと後ろを振り返った。
「段差があるから危ないよ、気をつけて」
あまりにも自然な動作で手を引かれ、私はホームに降り立った。手が触れ合ったのはほんの一瞬。サソリすら気づいていない出来事。何事もなかったように踵を返す早瀬くん。呆気にとられてしまった。
一歩前を歩く男子二人の背中を追いながらううむ、と考える。
『ねぇ、早瀬くん』
「うん?」
『今まで付き合った女の子何人?』
「…え、何?急に」
早瀬くんが再び私に振り向く。サソリもチラッと私を見た。
気にすることはない。ただの雑談である。
早瀬くんは少し照れたように鼻をかいて、うーん、と考えるような仕草を見せた。
「ちゃんと付き合ったのは二人、かな」
「”ちゃんと付き合ったのは”…ねぇ」
意味深に呟いたサソリに、「赤砂も似たようなもんだろ」と早瀬くん。
なるほど。つまりはサソリと一緒で付き合わずとも不特定多数の女の子とは遊んでいたということだろう。
爽やかな見た目に似合わず、早瀬くんもモテる男子なりの女の子付き合いをしてきたようだ。
「言っておくけど中学だから。高校入ってからはそういうのはないよ」
『えー、なんで?今もモテるのに』
「……」
早瀬くんが真っ直ぐに私を見た。柔らかい表情なのに、目だけが全く笑っていない。
「さぁ。なんでだと思う?」
『……』
しまった、墓穴を掘った。サソリが呆れ顔で私を見ている。ダメだ、今日は。喋ることが全て裏目に出ている。
ごめんね、と思わず言いそうになって無理やり喉の奥に押し込んだ。今謝るのはどう考えても失礼すぎる。今日はなるべく黙っていようと心に誓った。
早瀬くんは私のリアクションを見て、今度こそ目を細めて本当の笑顔を見せる。
「言いたいことはなんとなくわかるけど。ただ単に妹がいるからだと思うよ」
「お前、妹なんているのか」
珍しくサソリが会話に参加する。ダメダメな私を見ての助け舟かもしれない。
早瀬くんはうん、と首を縦に振った。
「いるよ。小4。双子の妹と弟」
『双子!?』
驚きと共に、妙に納得してしまう自分がいる。3人兄弟の長男で、歳の離れた双子の妹と弟。びっくりするくらいしっくりきた。だからこんなに女の子の扱いに慣れているのか。
『じゃあ、休みの日は妹たちの面倒見たりするの?』
「部活のない日はね。ただもうかなり生意気でさ。あんまり言うこと聞いてくれないんだよねー」
喋り方と表情からきっと可愛がっているんだろうな、というのは想像できた。
そうなんだ、と無難な相槌を打つ。話を広げようと思えば広げられるけれども、あまりに盛り上げすぎてもサソリの気分を害する可能性があるからだ。
先程からのサソリの態度はびっくりするくらい普通である。あれだけ敵視していたのが夢だったのではないかと疑うくらいに。しかし二人の顔にうっすら残る痣こそが今までの関係が極度に悪かったことの証明である。
嵐の前の静けさ、と我ながら嫌になるほど的確な表現が頭の中にこびりついた。
ホームを出て、太陽の下を歩いていく。残暑の頃もとうに過ぎたのに、うっすら汗をかいてしまうくらいにはまだ暑い。
公園に着く頃には3人とも頬にすっかり赤みを取り入れていた。
「オレ、コンビニで何か買ってくるわ」
相変わらず一番暑さに弱いサソリが早々にリタイアしている。コイツのことよろしく、と早瀬くんに声かけしてあっさり踵を返した。私よりも驚いた様子の早瀬くん。サソリの後ろ姿を見つめる瞳が完全に困惑している。
しかし、彼は気持ちを立て直すのも早かった。私に振り返り、穏やかに「じゃあ始めようか」。
お願いします、と私は頭を下げた。
「早速だけど靴を見せてね」
『靴?』
早瀬くんは私の目の前に跪き、触るよ、と一言。そして躊躇することなく私の足を掴み、自分の膝上に乗せた。驚いたものの、黙ってそれに従う。
「うーん。履いてる靴、少し小さいと思う。足何センチ?」
『えーと…22?かな』
「うわー、ちっちゃいね。女の子って感じ」
ふふ、と何故か嬉しそうに笑う早瀬くん。なんとなく気恥ずかしくなる。
「今の靴がぴったりすぎるから、次は1センチ大きめの買ったほうがいいよ。それだけでも走りやすくなるから」
『成る程。じゃあ後で買いに行くね』
「スポーツシューズ系のお店わかる?」
『……。うん』
早瀬くんは壊れ物を扱うような丁寧さで私の足を地面に下ろした。
「お店教えてあげるから。後で”二人”で行っておいで」
私のとった間の意味に敏感に気づいてくれたらしい。私は素直にお礼を言った。申し訳ない気持ちがどうしても沸くけれども、今真剣に走りの練習を見てくれている早瀬くんには失礼な感情でしかないだろう。
運動に慣れていないからと念入りにストレッチをした。気づいた時にはもう20分を過ぎている。約束している練習時間は1時間だ。サソリは戻ってこない。あの人絶対にどこかで涼んでいる。
“信頼されている”のと”試されている”、両方な気がした。昨日のサソリの様子からして、前者の気持ちが8割、後者が2割と言った所だろう。じゃなきゃ彼が早瀬くんに声をかけるはずがない。一番合理的な方法を取っただけというのもあるんだろうけれど。
信頼レベルが上がったのを嬉しく思う反面、プレッシャーを感じないと言えば嘘になる。もっと言葉で伝えてくれればいいのに。それこそ早瀬くんみたいに。
「とりあえず走りが見たいから、適当に流してもらっていい?」
適当に流す。私の人生の辞書にはない言葉である。
曖昧に頷いて、用意されたコースの前に立った。チラッと早瀬くんを確認すると、にっこり笑顔。早瀬くんが馬鹿にしたり笑ったりするとは思えないけれども、走りに関しては本当に自信がない。
しかしそうも言ってられない。空気を肺一杯に吸い込んで、一気に駆け出した。風が頬を叩くように流れていく。一丁前に空気を切った気になって、私はそのままゴールラインを超えた。
たかだか50メートル走っただけ。それなのに胸が苦しい。運動不足を実感していると、お疲れ様、と早瀬くんが声をかけてきた。
「平気?」
『うん…なん、とか』
答えながらも息は絶え絶えである。早瀬くんは真剣な顔で、「ごめんね、触るよ」ともう一度言った。と同時にとんっと背中を叩かれる。
「猫背気味なんだよね。もっと背筋張って」
『…はい』
大人しく背中を伸ばす。早瀬くんが私の両肩を掴み後ろにグイッと引っ張った。
「もっと伸ばして。自信のなさが姿勢に出てるから」
『…そういえば昔言われたなぁ。弓道してる時も。姿勢が悪いって』
中学の部活の記憶をなぞる。お前は自信のなさが姿勢に出てる、と丸々同じセリフを言われたことがあった。早瀬くんが好意的な反応を見せる。
「月野さん弓道部だったの?」
『うん、一応ね』
「…とんでもなく似合うね」
そう?と私。早瀬くんは力強く頷いた。
「弓道とか花道とか茶道が似合う顔だよね」
『御名答。全部やってた』
「まじで?」
ぱぁっと早瀬くんの顔が明るくなる。何故か嬉しいようだ。
「もうやらないの?」
『うーん、機会があればって感じかなぁ。うち弓道部ないし』
「あー、そっか…」
早瀬くんが至極残念そうな声を出した。そんなに弓道が好きなのだろうか。
早瀬くんは数秒何か考える仕草を見せた後、はっとした様子で咳払いをした。
「ごめんね、話が逸れて。あとさ、次から走ってる時足じゃなくて腕を意識してごらん」
『腕?』
「そう。腕を大きく振るようにしたら自然と足が動くから。実は足はそんなに意識しなくていいんだよ」
腕。走る時に意識したことは確かにない。
たった一回走りを見てもらっただけでこんなに的確なアドバイスができるなんて。サソリが早瀬くんをコーチに選んだのは正解だったようである。
「ごめんね、もう一度触るよ」
早瀬くんは私に触れるたび一々許可を取る。気を遣ってくれているのだろう。先日抱きしめられた時はそんな前振り全くなかったけど、そこは突っ込んではいけない部分である。
私の前腕を掴んで前後に大きく振る。なるほど、口で説明されるより実際にやってもらったほうがわかりやすい。
『こんなに大きく動かすんだ』
「そう。大袈裟なくらいでちょうどいい感じ。今は50メートルで12秒くらいかかってるけど、練習すれば9秒くらいには縮められると思うよ。リレーでは100メートルだから、とりあえず16秒を目標に置こうか」
ストップウォッチも持っていないのに、見ただけでわかるようだ。とんでもない神業である。
『凄いね、早瀬くん』
「ん?まぁ小さい時からスポーツしかやってないから。これくらいはね」
しかも全然自分の優秀さを鼻にかける様子もない。感心してしまう。
『ちなみに早瀬くん、50メートルのタイムは?』
「この前の測定で6.05だったかな」
『6.05!?』
「大したことないって。サッカー部では普通」
男女差はあれど、私の約半分である。想像できない。サッカー部とはなんというとんでもない集団なのだろう。私の人生と一生交わる気がしない。
「七瀬さんも多分7秒前後だよ。彼女綺麗な走りするよね」
皐月は陸上部だ。サッカー部である早瀬くんとはそれなりに関わりがあるのだろう。
イタチだって言うまでもなく走りに関しても優秀である。そこに混じる私。混ぜるな危険、と言いたくもなる。
はぁ、とため息を吐きそうになった時、早瀬くんが私の唇を人差し指で素早く押さえた。
「ため息禁止」
『……』
「意外に引っ張られるからね、そういうの」
私はごくん!と空気を呑み下した。早瀬くんがまたくしゃっと笑う。
「大丈夫だよ。君は素直だし努力家だから。なんとかなるって」
『…そうだね、ありがとう。よろしくお願いします』
私は改めて頭を下げた。早瀬くんはまたにっこり笑って、「一緒に頑張ろうね」と言ってくれた。