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夢小説設定
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現実から逃れるように眠りに落ちていたら、もう夕刻を過ぎていた。
9月も終わりになれば冷房をかけずとも窓からの風で充分涼しい。久々に無駄な時間を過ごしたが、別に悪い気分ではなかった。
窓の外を眺めながら少しだけ考える。しかしそれはフリだけで気持ちは既に決まっていた。
適当に着替えて、財布とスマホだけ持って外に出る。エレベーターに乗り込むと、一階までの時間が妙に長く感じた。何故だ、と沸いた疑問にいつもは彼女がずっとオレに喋りかけてくるからだ、とすぐに解答が出る。頭を振って、気持ちの置き所をこれから向かう先に設定した。予定通り少し重苦しい気持ちになる。
マンションのエントランスを過ぎて、駅とは反対方向に歩く。こちらの道はあまり通らない。駅以外に行く機会がないというのもあるが、オレが故意に避けていた。
ここを少し行くと大きな公園がある。つまり親子連れが多い。子供は苦手なのだ。あまり積極的には関わりたくない。
近づくにつれ、キャッキャと子供の高い声が聞こえる。既にうんざりしながら、しかし目的地に着くにはこの道を通らざるを得ない。歩調を早め、なるべく見ないように。そうやり過ごそうとしていたのに、視線が吸い寄せられるように公園に向かった。
大木の下に、数名の子供が群がっている。つられて見上げてみれば、ボールが木に引っかかって取れなくなってしまったらしいということを察した。
石を投げたり色々試しているが、どれも上手くいってはいないようである。
取ってやろうかと一瞬考え、しかしどう考えても面倒くささの勝利である。誰か手伝うだろうと素通りしようとすると、カンカンっと公園に似合わないヒールの音が耳を刺激した。
『取れなくなっちゃったの?』
何故、と当たり前に湧く疑問と、ほんの僅かだけ感じてしまう高揚。
美羽はオレに気づいてはおらず、子供と一緒に木を見上げている。
背の高さからして無理だろうということは明白なのに、大人が来たから大丈夫だろうという無邪気な子供たちの期待をわざわざ背負いに行く彼女。いつも通り、彼女はどこまでも世話好きだ。
『誰か、高いところ得意な子いる?私じゃ無理だけど、肩車したら取れるかも』
それでも微妙だろう、ということは第三者の意見で、当事者はそこにいる人員でどうにかするしかないのだ。子供たちは誰がやる?とまごついている。
ハラハラしながら見ているよりは、渦中に巻き込まれた方が楽なこともある。仕方なくオレは公園の垣根を潜った。
「オイ」
面食らう、という表現がピッタリな顔だった。それを無視して、身近にいた子供。女子は避け、細身でそれなりに身長のある男子に声をかけた。
「オレがやるから、お前乗れ。ギリギリ届くだろ」
見知らぬ男に声をかけられて目を白黒させている少年に、正気を取り戻した美羽が声をかける。
『お姉ちゃんの知り合いだから大丈夫。こんな見た目でも悪い人じゃないから』
こんな見た目とはどういう意味だ。しかし食ってかかるほどのことでもない。少年はオレの顔は見ず、美羽にうん、と返事をした。と同時にこの少年になにやらデジャヴを感じる。しかしオレに子供の知り合いがいるわけもない。勘違いだろうと片付けオレは身を屈めた。少し遅れて少年がオレの背中に覆い被さる。
歳は小学校中学年くらいだろうが、やはりそれなりには重い。女には無理であろう重さに耐えながら、オレは少年がボールを手に取るのを見届けた。周りの子供たちが歓声を上げる。
少年を降ろして、美羽が何か言いかける前にじゃあな、と踵を返した。えっ、と彼女が声を詰まらせているのがわかる。そのまま去ろうとすると、服の袖を引っ張られた。美羽かと思いきや、そこにいたのは先ほどの少年…いや、髪型が違う。顔はそっくりなのに、目の前の子供は少女だった。慌てて視線を動かすと、同じ顔をした少年の姿。二人いる?ああ、双子か。そこでやっと納得したが別に興味があるわけでもない。
少女はオレをじっと見上げている。先程から感じる既視感。しかし正体はわからない。
「ねぇ、お兄さん。彼女いる?」
は…?と声にならない声が出た。小学生から”彼女”という言葉が出たことにまず驚いた。子供のくせにとんでもなくませている。
美羽も驚いたようだった。おかっぱ頭を見下ろしなが、睫毛をパタパタさせている。
「ねぇ、いる?」
無視したくとも、意外に力が強い。オレは首に手を当てながら仕方なく答えた。
「いねぇけど」
『……』
美羽があからさまにムッとしている。勿論無視した。どの年齢でも女はめんどくせぇな、と思案する。
ふぅん、ふぅん?と青紫色の目をした少女は何やら嬉しそうだ。オレが何か言うより先に、美羽がちょっと、と少女に低い声で呼び掛けた。
『あのね、このお兄ちゃん彼女はいなくても遊びの女は沢山いるから』
「お前…小学生相手に誤解を招く発言すんなよ…」
事実でしょ、と美羽はプリプリしている。彼女がいないという発言が相当釈に触ったようだ。
少女の視線が、オレから美羽に移る。蝋燭のように、瞳の灯がふっと消えた。
子供らしからぬ冷めた瞳で少女は美羽を見ている。その表情とは裏腹に、少女はお兄さん、と甘えた声を出した。
「この人怖い。大人の嫉妬は見苦しいよね」
『…は?』
今度は美羽の目が座る。相手は小学生だ。相手にするだけ無駄なのに、しかし完全に美羽は少女を一人の女として見ている模様。
帰りたい。頭に過ぎった素直な感想である。しかし少女はオレの服を離さず、その様を見て更に美羽は怒っている。
『近いから。ちょっと離れて』
「なんで?」
『付き合ってない男と女はそれなりに距離を保たなきゃいけないんです!』
「じゃあ貴方は、付き合ってないどうでもいい女だからそんなにお兄ちゃんに距離取られてるんだね」
『ぐっ…』
しかも完全に言い負かされている。
でも、だって…とモゴモゴしている美羽を無視して、少女はオレを上目遣いに見た。その計算高い様が完全にオレの苦手な女の姿である。
「お兄さん、奏のお兄ちゃんの次にカッコいいから。特別に彼氏にしてあげる」
奏、というのは少女の名前だろう。立場を弁えない上から目線の発言に怒るのはオレじゃなくやはり美羽。
『ダメ。絶対ダメ。サソリだけはダメ』
「お兄さんサソリさんっていうんだ。カッコいいお名前ね」
『馴れ馴れしく名前で呼ばないで』
「貴方だって呼んでるじゃない」
『だって私はサソリの…!』
美羽はそこまで言って、しかし言葉が続かなかった。しゅん、と効果音がつきそうな勢いで俯いてしまった美羽のつむじを見ながら、オレは深くため息をつく。
なんでこんな小学生との争いに、そこまで本気になれるのか。理解不能である。
奏と名乗った少女の手を外し、代わりに美羽の手を握った。美羽が目を見開いて固まっている。それを無視してオレは言った。
「お前、これから時間ある?」
『…え…、うん』
「じゃあちょっと付き合ってくれ」
わー、すごー、昼ドラみたい、大人のドロドロだ。野次馬の子供たちをすり抜け、公園を後にする。歩調を早め、信号を二つ渡った。後ろから誰もついていないことを確認し、足を止める。美羽が親の機嫌を伺う子供のような瞳でオレを見ていた。
「ここまで来ればいいだろ」
『……え』
「あまりにも不憫だったから。小学生に負かされる女子高校生の図」
ぐぅ、と美羽が喉を鳴らした。何か言おうとして、上手く言葉が出せないでいる様子。しかしオレの手だけは強い力で握り返していた。離したくない、と彼女の心の声が聞こえる。
振り解けないのはオレの弱さだ。オレは彼女がいると途端に弱くなる。そしてそんな自分がオレは嫌いなのだ。
『どこ行くの?』
その言葉で、目的地が別にあったことを思い出す。行きたいわけではない。しかし行かなくてはいけない場所である。
「別に。大した用じゃねぇよ」
美羽が悩んでいる。言葉を待ってしまうオレは、きっとズルイ男なのだろう。
『一緒に行っちゃダメ?』
今朝から感じていた違和感。今までの美羽だったら、オレに拒否されることを恐れてこんな発言はしなかっただろう。美羽は今、必死なのだ。俺を引き留めようと、必死に足掻いている。
美羽のその姿を不思議とカッコ悪いとは思わなかった。
オレが迷っているのを察したのだろう。先程よりも強く、美羽は『一緒に行きたい』と言った。
突き放すのは簡単なのに、しかし今日のオレはどこかおかしい。
「…別にいいけど。面白いところじゃねぇぞ」
『…!うんっ』
生えていないはずの尻尾が引きちぎれそうなくらい左右に振られているのが見える。思わず頬が緩みそうになるのを必死に堪えた。美羽はオレの水面下に潜っている気持ちを掬い上げる天才である。
なんでなんだろうな、と考える。
オレはどうしてこんなにこの女のことが好きなのだろう。世界一可愛い、と思うのは完全にオレの贔屓目だということはわかっている。だけどオレにとっては唯一無二の好きな女。いつからこんなに好きになってしまったのだろう。その理屈が分かれば、好きでなくなる方法もわかるかもしれないのに。
恋心というものは数学のように公式がない。だからこそ厄介である。
暫く無言で、手を繋ぎながら歩いた。言葉はなくとも美羽は非常に幸せそうである。何故コイツはこんなに自己中なオレのことが好きなんだろうと少しだけ考え、きっと彼女も理由がわからないんだろうな、と妙に納得した。
カッコいいから、可愛いから、優しいから、面白いから。理由が見つけられれば代わりを当てはめられても、理由がわからなければ他を探せない。そんなあやふやな関係だからこそ、オレたちは今まで付き合ってこられたのかもしれない。