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『デイダラ?』
顔を上げれば、美羽が大きな瞳を迷いなくオイラに向けていた。せっかく彼女がオイラのことしか見ない貴重な時間なのに心を違う場所に置いていたことに気づき、オイラは慌てて気持ちをこの場に呼び戻した。
「悪ィ。なに?」
『ここまででいいよ。またね』
美羽は既に靴を履き終え、ドアノブに手を添えていた。女子という生物は、好きな男以外にはどこまでも淡白である。
オイラは素早く靴を履き、扉を押し開けた。美羽が少しだけ、戸惑っているのがわかる。
「途中まで送る」
断ろうか迷って、しかし逆に強く断るのも不自然だな、と美羽が考えている。わかりやす、と思いながらオイラは美羽の一歩前を歩いた。隣を歩くのは彼氏の特権。オイラは友達だから、ちゃんと彼女と適切な距離を保つ。
昨日、帰宅途中の美羽に偶然会った。雨の中、一人でポツンと立ちすくんでいた彼女の顔は明らかに普段と違っていて。友達だから気になって、声をかけたのは必然。美羽はオイラに話をするかかなり悩んでいたようだ。しかし、一人で抱え込むほどの勇気もなかったのだろう。実は…と話し始めた美羽は、最初は言葉を選んで口籠もり、しかし少し話したら、止まらなくなってしまったようだ。
時々感情的になったり、酷く落ち込んだり。美羽は旦那のことを話すときは情緒不安定になりがちだ。
似合わないと言われる旦那と美羽には実は共通点があって、彼らは自分の気持ちより相手の感情に異常に敏感である。それに反して自分の感情には鈍感で見失いやすい。特に旦那はプライドが高い上に口下手で、思っていることが全く美羽に伝わっていないことも多かった。そして美羽は旦那に嫌われることが怖くて深く追及できない。
お互いに好き合っていることは明らかなのに、どうしてこうもすれ違いが多いのだろう。第三者からしたら逆にどうしてそんなに揉めることができるのか不思議なくらいだ。
こっそりと盗み見れば、美羽はオイラを見てはおらず、足の爪先あたりに視線を落としている。
相当参っているな、ということは聞かずともわかった。力になってやりたいが、友達という立場を考えるとどうしても当たり障りのない言葉しかかけられない。この距離がいつももどかしい。
「旦那は難しい奴だから。お前は頑張ってると思うよ、うん」
美羽が顔を上げる。その瞳が、珍しく迷いの色を帯びている。こんな美羽の顔を見るのは初めてだ。心が揺れる。奪ってしまえ、と男の本能が呼び覚まされるのを感じた。
速度を緩め、美羽の真隣に移動する。美羽は何も言わなかった。断るだけの心の余裕もないのだろう。それくらい、美羽は今旦那のことで弱り切っている。逆を言えば、美羽をこんなに追い詰めることができるのも旦那しかいない。
美羽は長い睫毛を伏せている。寒くもないのに、それが小刻みに揺れていた。
『例え頑張ったとして、相手の気持ちに届かなきゃ意味ないよね』
ドキッとした。自分に言われているのかと思ったからだ。しかし冷静に考えれば、聞くまでもなく美羽自身のことだろう。
美羽の横顔が、昔の自分と重なる。サソリの旦那に言いたいことは沢山あったのに、何かを伝えることを放棄していた幼き日の自分。拒否されるのが怖くて、ずっと何も言えなかった。
やはり違うな、と静かに思う。美羽のことは好きだが、旦那と美羽の関係を壊してまで手に入れたいかというとそうじゃない。どんなに飛段にヘタレだと言われようが、これこそがオイラのプライドだった。
美羽は迷いながらも、しかし旦那から心はブレていない。そういう健気な一途さが好きなのだ。邪魔するのはオイラがやりたいことじゃない。
一つ深呼吸をして、また歩調を早めた。友達の距離だ。やっぱりこれがオイラには合っている。
「じゃあ、伝える方法を変えてみれば?」
『……』
「心の壁が厚いのは前からわかってるんだからさ。ノックするんじゃなく、別の方法を試してみるとか」
別の方法、と美羽が呟く。あまりピンとはきていないようだ。
オイラは少し考えて、しかし具体的に話さなければ伝わらないだろうな、と気持ちを切り替えた。
オイラと旦那は違う人間だから。違う形で、美羽に関わっていくしかない。
「美羽に足りないのは押しの強さだよ」
『……』
「もう少し自己中心的に考えることも覚えた方がいい。受け身の姿勢を変えなければ、旦那とはずっと主従関係のままだ」
『……』
「ある意味、今が本当の恋人になるチャンスなんじゃないか、うん」
美羽の足が止まった。唇に指を当てて考えている。
まだ旦那との関係の修復を諦めている様子はない。その様子にホッとした。それと同時に、昔の自分に彼女と同じだけの強さがあればと少しだけ後悔する。
美羽は小さな声で、ここまででいいよ、と言った。従って足を止める。小さな背中が、簡単にオイラを追い越していく。
数メートル先で振り返った美羽は、オイラの顔を見て少しだけ笑った。夏の終わりなのに、彼女を見たときに感じる季節はいつだって春だ。
『私、本当にデイダラに出会えてよかった』
は?と素の声が出る。どういう意味だよ、と問えば別に、と美羽はニヤニヤ。
『わかってるくせに』
「…意味わからん」
『じゃあご想像にお任せします』
無言のオイラに、美羽はもう一度笑った。
送ってくれてありがとう、と礼を言って駆けていく彼女の背中は相変わらず何の未練も残さない。寂しい、と思うと同時に妙に安心してしまう自分がいた。
美羽は確かに、旦那にしか見せない女の顔がある。しかし確実にオイラにしか見せない顔もあるのだ。あれだけ気の休まった穏やかな顔を見せるのは、自惚れじゃなくオイラだけだ。男に見られていないから、と結論を言って仕舞えばそれまでだけど。でも、オイラが彼女にとって特別だというのもまた、変えようのない事実だ。
こういう関係もアリなのかなと思ってみる。世の中は別に、黒と白ではない。グレーだからこそ、初めて成り立つ関係もある。
「ヘタレ」
ぶっ、と吹き出した。振り返ればそこにいたのは幼馴染みの女である。
じとっと睨みつけられ、どうやら今までの様子を見られていたらしいと察した。恥ずかしさを誤魔化すため、無意味に眉間にシワを寄せてしまう。
風にそよぐ皐月の髪は、肩にかかる長さまで伸びている。ずっとショートだったのに、心境の変化か最近は髪を伸ばしているようだ。
「”現状維持では後退するばかりである”」
「は?」
「あんたと美羽の関係にぴったりね」
皐月の表情は無であるが、不機嫌なのはよくわかる。それくらいにはコイツとオイラは近い存在だ。
彼女は誰よりも早くオイラの美羽への気持ちに気づいていた。皐月は鋭い。どんなに誤魔化しても、オイラの変化によく気づく。だからこそ、変わらないことを望んでいるオイラにイラついたりもするんだろう。
「じゃあお前は進むわけ?」
「……」
「オイラとお前はお互い様だろ、うん」
美羽とオイラの関係が白に近い灰色だとするなら、皐月とオイラの関係は黒に近い灰色だ。生まれた時から今の今までずっとそうだった。そしてそれはこれからも変わらないだろう。
皐月だって、オイラとの現状維持を望んでいるのだから。ヘタレなのはお互い様だ。
皐月は強い瞳でオイラを睨みつけている。が、その様子に珍しく迷いを感じた。皐月の性質はどちらかというと旦那に近い。自分の意思が絶対で、揺るがない。でも、彼女は今自信がないのだ。
頭のシグナルがけたたましく音を立てた。
しかし、今更逃げることもできない。
今までお互いに逃げてきたのだから。逃げ場なんて、疾うに行き尽くしてしまった。
「いつまで気づかないふりしてんの」
ドキン、と心臓の音が聞こえた気がした。皐月の顔が強張っている。もしかして、オイラの耳に届いている音は彼女の心臓の音なのかもしれない。
今なのか。ずっと誤魔化し続けてきた関係が終わるのは。それはあまりにも唐突で、しかし前々から覚悟はしていたことだった。
皐月はオイラの変化によく気づく。何故なら幼馴染みだから。しかしそれはつまり、オイラだって皐月の変化によく気づくのだ。
そんなわけないと自分に言い聞かせたのは、言い聞かせないと気づいてしまうからだ。幼馴染が終わる瞬間が来ることを、恐れていたからだ。
小さな唇が動くのを、ただ黙って見ていた。
夏が終わる。それと同時に、積み上げた沢山のものが終わっていく。
オイラたちは皆、誰かの特別になりたくて、でも変わるのがずっと怖かった。
皆が皆何かに必死で、しかしがむしゃらになって走るには理性が育ちすぎている。
高校二年生。オイラたちは子供というには大きくなりすぎて、しかし大人というにはまだあまりにも幼かった。