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「なぁ、なんか飲むもんねぇの?」
漫画を読んでいるデイダラは、オレに視線を全く寄越さない。オレはもう一度、飲み物ねぇの?と聞いた。するとデイダラが初めて顔を上げる。その瞳がめんどくせぇ、と言っていた。
「ねーよ。買ってこなきゃ」
「えー、なんかあるだろ」
「じゃあ蛇口でも捻ればいいだろ、うん」
デイダラの母親は、ジュースなるものが嫌いらしい。冷蔵庫の中には常に麦茶しか用意されていないと聞いたことがある。ついでにオレのこともあまり良くは思っておらず、下手に騒音を立てると普通に怒られる。サソリの家とは程遠い、居心地の良くないデイダラの家。
オレは仕方なく漫画に視線を落とした。部屋の中は静寂である。今この部屋にはデイダラとオレしかいない。
サソリの家は基本的に美羽が勉強に使っている。来るなと言われているわけではないが、行ったところで真面目ちゃんな二人になんとなく気を使わなければならなくなるのは明らかだ。
一人の女に落城させられたサソリの家は、もう居心地のいいオアシスではなくなってしまっていた。
オレはつまらない漫画をまた1ページ捲った。
「暇だな」
「じゃあ帰れよ、うん」
「帰ったらもっと暇なんだよ。角都はバイトだし」
「ふーん……あ」
デイダラが視線を落とし、オレも釣られてその視線を追った。黒いスマホがピカピカと輝いている。デイダラはオレの存在を忘却して素早くスマホを耳に当てた。
「もしもし。あー…大丈夫だよ、うん」
女だな、と瞬時に察した。第一声からオレに対する口調と異なって明らかに柔らかい。
「うん?えっ…まじか」
デイダラが顔を上げる。少し考えるように口をへの字に曲げ、しかしすぐにわかったよ、と優しい声を出した。うへぇ、と内心舌を出す。デイダラもサソリも実はフェミニストだよな、と頭の片隅で考える。
デイダラは何度か相槌を打った後、通話を終了させた。そして無言で腰を上げる。
「どした?」
「あー…うん、すぐ戻る」
心が完全に電話の主に向いているのが見て取れた。
ちょっと待ってろ、という言葉を残してデイダラは扉の向こうに消えていった。なんとも言えない歯痒さを感じながらオレはまた、漫画を1ページ。
時計の秒針が5周ほどした頃、デイダラは部屋に戻ってきた。思っていた以上に早い。一体何してたんだ、と声をかけようとして、デイダラの後ろに人がいることに初めて気づいた。
「あれ、美羽?」
そこにいたのは美羽だった。オレの顔を見ても、無表情。その様子を見て、何やら不機嫌なのだろうなということは察した。美羽は基本的には愛想のいい女だからである。
デイダラが部屋の隅に転がっていた座布団を引き寄せ、美羽に手渡した。長い付き合いでもオレは一度もしてもらったことがない。というかこの部屋に座布団があったことすら気付いていなかった。
美羽が初めて声を発した。ありがとう、と呟いて扉の隅に腰を下ろす。座布団の上なのに何故か正座。
妙な空気が流れる。オレはたまらず、で?と空気を動かした。
「どうしたんだよ。サソリと勉強会は?」
『……』
刹那、美羽の顔が陰る。デイダラがギロッとオレを睨んだ。空気を読め、と言われているのはわかったが、しかし状況が飲み込めない。
美羽が何も言わないので、とりあえず美羽の豊かな胸元を眺める。相変わらず男の夢を詰め込んだようにでかいおっぱいである。死ぬまでに一回くらいは揉みたい。今日のブラ何色だろうな。いつも通りの煩悩を抱えていると、美羽が小さな口元を尖らせた。胸を見ているのがバレたのかと思ったが、どうやら違うらしい。
『サソリくんが拗ねて殻に閉じこもっています。どうしたら心を開いてもらえるんでしょうか』
何故か敬語。オレはデイダラに視線を向ける。デイダラは事前に美羽から相談を受けていたのだろう。オレよりは状況を理解しているように見える。
「あー…やっぱりだめだったか、うん」
『全然。ほんっと全然ダメ。渾身の色仕掛けすらどスルーで泣きたいです』
色仕掛け?とオレ。美羽は無言で鞄に手を伸ばした。引っ張り出したのは、白いフリルのエプロンである。
美羽は無表情のままそれを身体に当てた。なにそれ、の言葉に美羽が答える。
『Amazonで1980円』
「そういう意味じゃなくて。何故エプロン?」
『男子はそういうのが好きってネットに書いてあったんです!』
なんだそれ。
オレには理解し得ない性癖だが、デイダラは仄かに頬をピンク色に染めている。どうやらサソリには効かずともコイツには効いているらしい。ネットの情報もあながち間違ってはいないようだが。
「うーん…サソリには効かないんじゃね?そういうのは」
『じゃあ何なら効くの?』
暫し考える。なぁ、とデイダラに話を振った。
「サソリが童貞切ったカテキョの女ってどんなんだっけ?」
「…ばっ、」
か!とデイダラが声にならない声を発しながらオレを睨んだ。カテキョの女…と、今まで聞いたことのない低い声で美羽が呟く。
「今までで一番タイプだったって前言ってたろ」
「……」
デイダラが呆れたような、と表現するには甘い幻滅した顔でオレを見ている。しかし美羽は意外に冷静に教えて、と言った。
『どんな人だった?』
「オレ見たことないんだわ。デイダラちゃんは会ったことあるだろ」
デイダラは頭に手を当てている。どう言ったら美羽に傷をつけないか考えているのだろう。
皆美羽に甘過ぎなんだよ。多少は現実を知らせてやったほうがいい。
「どんなって…まあ普通だよ。綺麗なねーちゃんではあったけど」
『……』
美羽が何かリアクションする前に、すかさずデイダラがでも、と続けた。
「好きだったわけじゃねぇとは思うぞ。たまたま声かけられて、興味本位でとかなんとか」
ふぅん、と美羽は呟いた。頑なにサソリや周りが避けてきたであろうサソリと他の女の話題なのに意外に冷静だ。瞳に感情がない。美羽のこんな表情を見たのは初めてである。
サソリと早瀬の顔の傷。真相はわからなくとも、歯車が狂い出しているのはわかる。揺らいでいた。サソリと美羽の関係に危うさが刺している。
早く別れちまえばいいのに。そう思いながらオレは前々から知っていた的確なアドバイスを口にした。
「うまく行ってねーならいい機会じゃん。デイダラちゃんか早瀬と付き合ってみれば?」
「はぁ!?」
先程から一々リアクションがでかい。ばしん、と高い音がして頭がジンジンする。殴られたのは言うまでもない。
「いてて…なんだよ。応援してやってんだろ」
「このタイミングでそういうのいらねーから、うん」
このタイミングじゃないならどのタイミングならいくんだよチェリーボーイが。
デイダラは低い声で童貞じゃねぇよ、と呟いた。どうやらオレの心の内を読んだらしい。似たようなもんだろ、と舌を出した。美羽に関してのデイダラの積極性は童貞以下である。
どいつもこいつも美羽が好きだよな。そして誰が見ても一番美羽に盲目的に愛情を注いでいたのはサソリだった。
サソリは基本自分のことを積極的に話すタイプではない。しかし美羽に対しての愛情は語らずとも行動や顔の表情から漏れ出ていた。奴に唯一愛されていたのも、一番信頼されていたのも恐らく美羽だ。美羽が知らないことは、オレたちだって知らない。美羽がわからないならオレたちだってわからないだろう。
「少し時間置いてみたら?今は頑なになってる時期だろうし。落ち着いた頃冷静に話し合えばいいんじゃね?うん」
デイダラが最大限に優しい声を出しているのがわかる。相変わらず気を回しすぎである。サソリはやめてオレと付き合おぜ、とはっきり言わなければ一生美羽とは付き合えないと思うが。
美羽は俯いたままである。色素の薄い長い髪が白い頬に垂れている。男臭い部屋で、彼女の存在は今にも溶けてなくなってしまいそうなくらい儚い。
『サソリは冷静だったよ』
「うん?」
『多分今も全然動揺してないと思う。だからこそ一時の迷いで言ったわけじゃない気がして、怖いの』
「……」
『今距離を置いたら取り返しのつかないことになる気がする』
呪いみたいだな、と思った。世間一般では幸せの形として表されることが多い恋愛に、美羽は苦しめられているように見える。どうしてそこまでしてサソリに固執するのかがオレには全く理解できない。楽な方に流されたって別にいいのではないだろうか。サソリは優秀だが色々と面倒くさい奴である。オレが女だったら絶対に付き合いたくはない。それ以前に、サソリと美羽は似合わないし。前から思っていたが。
美羽は鞄を拾い上げた。お邪魔しました、と腰をあげる。デイダラが慌てた様子でその後を追った。
「もう帰るのか?」
『図書館で勉強してくる』
「…そうか。玄関まで送るよ、うん」
デイダラも早瀬も、実は美羽の気持ちの手の届くところにいるということをオレは知っている。しかしそれを一番認めたくないのは美羽なのだろう。自分がサソリ以外の人を好きになるわけがない、と自分で自分を縛っている。美羽に大して興味のないオレにもわかるくらいだ。サソリだって勿論気付いているだろう。
忠誠か、依存か、はたまた同情か。サソリと美羽の関係は一般的な恋愛とは大きなズレがある。だからこそ気持ち悪い。
もっと楽に、自分を甘やかしてくれる相手を選べばいいのに。デイダラだって早瀬だって最高級ではなくともそんなに悪い物件ではない。いくら上質な物件だって、分不相応の高すぎる家賃は自分の首を締めるだけだ。その首に喰い込んでいる縄に彼女は気付いているのだろうか。
背中に全く未練を残さず、美羽は部屋を去っていった。誰も居なくなった部屋で、オレは大きく溜息を吐く。美羽が早々にいなくなったことに安堵していた。デイダラの部屋まで美羽に陥落させられたら、オレは流石に美羽のことが嫌いになってしまうかもしれない。
特別美人なわけでもない。特別何かできるわけでもない。特徴のないことが特徴のような地味な女なのに、何故かオレたちへの影響力が絶大。前世に一体何の因縁が、と疑ってしまうくらいに彼女の存在は不可思議だ。
めんどくせぇな、と改めて思った。確かに悪い奴じゃないのはわかるけど。美羽がいなければオレたちの人生は何もかも順調だったのに。たった一人の女の存在に狂わされすぎ。
いつかオレにも美羽の魅力が理解できる日が来るのだろうかと少しだけ考えて、ないな、とすぐに打ち消した。
面倒くさいことは嫌いだ。万が一オレが美羽のことを好きになることがあったとして、泥沼に陥るのは目に見えている。それがわかっていて進んでぬかるみに足を突っ込むほど馬鹿ではない。セックスはしてみてぇけど。セフレになってくんねぇかな、と他の女と寸分違わない感情を抱く。と同時に、美羽を性の対象としてしか見ていない自分に安心した。
片思いなんてカッコ悪いし、めんどくさい。オレはアイツらとは違うんだ。一人の女に振り回されることなんて今までもこれからもない。絶対だ。
喉が渇いた、と急に思い出してしかし飲み物はないのだということに気づく。仕方ねーからコンビニ行くか、と腰を上げて部屋の隅に先ほどまではなかったビニール袋があることに気づく。なんだこれ、と中身を覗き込んだ。
コーラが二つ、ガリガリ君が二つ。デイダラが用意しているわけもない。こんなにオレたちの趣味を理解した買い物ができるのは世界で一人しかいないだろう。
コーラを一個取り出して、蓋を開けて一気に口の中に流し込んだ。跳ねる炭酸。残念だったな、と心の中で呟いた。今日オレはオレンジジュースの気分だった。コーラなんて別に飲みたくなかったんだよ。やっぱりアイツはオレのことなんて何もわかってねーな。
冷たいコーラで体を冷やしながら、アイツらはこういうのが好きなんだろうな、と他人事のように思った。下心なく、自分を世話してくれる従順な女。まるで母ちゃんじゃねぇか、と考えて、急速に腑に落ちた。
ああ、そういうことか。サソリは美羽を自分の母親と重ねているのだろう。
記憶の彼方のサソリは、もっと引っ込み思案で内気な奴だった。それが段々変わったのはやはり、両親が死んでからだろう。
奴は好きな女というより、母親のような女を望んでいる気がする。それが美羽の性質とぴったり合ったのだ。だからこそあんなにも依存しているし、彼女に求めるレベルも高い。サソリが美羽に求めているのは、母親だからだ。しかし彼女はまだ17歳の少女で、サソリの母親には当然なり得ない。だからこそズレが出る。
めんどくせ、と心の中でもう一度呟いた。力になってやりたい、なんて感情はない。生憎オレはそこまで親切ではない。二人がどれだけ拗れようがオレには知ったことではないからだ。
なるようになる。オレの人生の持論である。もう一度コーラを口に含んだ。体の芯から不健康に溶けていくこの感じ。美味い、頭に過った感想を慌てて飲み込む。
オレはアイツらとは違う。自分に言い聞かせるように、コーラと共に言葉を飲み込んだ。