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結局あの後、サソリは教室に戻ってこなかった。もしかしたらあのまま帰ってしまったのかもしれない。
通知の鳴らないスマホを机の上に置き、私は意識を参考書に集中させた。
放課後の教室は、まるで世界に私しかいないかのような静寂に包まれている。私のシャープペンの音と、紙の擦れる音しかしない。一人で勉強をするのなら、場所はどこでもいいのだろう。しかしすぐに帰っていつもと帰宅時間が全く違うのは親が不審に思う。サソリくんはどうしたの?と聞かれるのが嫌だった。
どうしたの?なんて。私が彼に聞きたい。
暫く一人にしてくれ、とサソリは言った。それはつまり、私と距離を置きたいと言うことだ。
何か思い詰めて、悩んでいることは見てわかるのに。サソリは私には何も言ってくれない。いつもそうだ。彼はいつだって正しくて、完璧で。私に弱さを見せてくれない。その事実がどうしようもなく寂しい。
結局のところ、彼は私を信用していないのかもしれない。だからいつも私に相談なく、自分で勝手に決めてしまう。私の気持ちはいつだって置いてけぼりだ。
サソリにとって、私ってなんなのかな。
頭の中がゴチャゴチャして、勉強が捗らない。私はペンを机の上に置き席を立った。頭を冷やそうと教室の窓を開ける。夕刻の爽やかな風が私を慰めてくれるようで、少しだけホッとした。
暫くそのままぼんやりしていると、サッカー部がランニングをしているのが目に入った。時刻は18時近い。恐らくクールダウンの時間だろう。
あ、早瀬くんだ。
私が気づいたのと、彼が私に気づいたのは恐らく同時である。早瀬くんは私の顔を見て、あからさまに嬉しそうに笑って手を振った。思わず頬を緩め、手を振り返す。
周りの男子が早瀬くんを小突き、話しかけた。すると早瀬くんがなにやら反論しているような様子。
恐らく私とのことを揶揄われているのだろう。サッカー部の皆は相変わらずだな、と思いながら私は静かに窓を閉めた。
そろそろ教室も見回りが来る時間だ。家に帰るにはまだ早いけれど、そろそろ出なくてはならない。
机の上に散らばった参考書その他もろもろを鞄に片付ける。すると、ドタドタとこちらに誰かが向かってくる足音。見回りの先生がきたのかな、と呑気に構える私。ガラッと扉が開かれ、私は目を丸くする。
『…あれ、早瀬くん』
「…っはぁ、よかった、まだいてくれて」
早瀬くんは息を弾ませながら、私を見てまた笑った。先ほど見たままのサッカー部のユニフォーム姿である。どうしたの?の言葉に、それはこっちの台詞、と早瀬くん。
「泣きそうな顔してたから」
『…え』
「どうしたのかなと思って。気になって来ちゃった」
思わず頬を押さえる。そんなに酷い顔をしていたんだろうか。完全に無意識だった。
「赤砂と何かあった?」
黙っている私に、やっぱりね、と早瀬くん。
「月野さんにそういう顔させるのはいつだってアイツだからね」
『……。別に何かあったわけじゃないの。私が悪いだけだから』
早瀬くんが首を傾げている。私は続けた。
『多分私が何か気に触ることしたんだと思う。察せない鈍臭い私が悪いの』
「……なにそれ。もし月野さんが何かしたなら、ちゃんと聞けばいいんじゃないの?」
『それはそうなんだけど。サソリは私には何も言ってくれなくて』
腑に落ちない顔をしている早瀬くん。しかしこれ以上彼に話をする気もなかった。荷物を全て鞄に詰め終え、立ち上がる。じゃあね、と声をかけて早瀬くんの隣を通り過ぎようとした。
「待って」
腕を掴まれる。顔を上げると、そこには真剣な表情で私を見据える早瀬くん。
「おかしいよ、それ」
『……』
「恋人なんだよね?だったらきちんと話し合った方がいい。彼に何か言えない関係は対等じゃない」
『それはわかってるの。でも言えない私が悪いから』
「どうして?」
『…何か言って、嫌われるのが怖くて。だからサソリが言ってくれるまでは、私は待つしかないの』
私はずっと怖かった。サソリにとって、私は必要がない女だと気づかれることが。
サソリはいつだって完璧だ。彼にとって私は、本当は必要のない女だと私は前から知っている。いつだって私は彼の足を引っ張るだけだ。追いつきたいといくらもがいたところで、足元にも及ばない。
もしかしたらサソリは、そのことに気づいたのかもしれない。だから急に、私のことを拒否し始めたのだろうか。
オレの優先順位は下げていい、なんて。優しい言葉で誤魔化して本当は私と別れたいだけなのかな。
鼻の奥がつんとして、私は慌てて口元を押さえた。こんなところで泣くわけにはいかない。
早瀬くんの腕を振り解き教室を出ようとして、それは叶わなかった。
身体が、熱い。しっとりと汗ばんだ腕が背中に回されている。
サソリとはまた違う、筋肉質な男の子の身体だった。汗の匂いと、制汗スプレーのミントの香り。月野さん、と耳元で囁かれ私はそこで我に返った。
『…っ、やだ、離して』
「どうしてなんだよ」
『……』
「どうしてそんなに赤砂がいいの?」
何も言えないでいる私の身体を、早瀬くんは更に強い力で抱いた。
「ねえ、オレじゃだめ?」
『……』
「オレなら月野さんにそんな顔させないよ。いつだって優しくするし、笑わせてあげるから」
『……』
「好きだよ。オレはどうしようもないくらい君が好きだ」
『……』
「オレにしときなよ」
早瀬くんの心臓が強く波打っているのがわかる。一度告白を断られた相手にまた想いを伝えるのは、並大抵の覚悟ではできなかっただろう。
早瀬くんは真っ直ぐな人だ。もし彼女にして貰えるなら、言葉通りずっと私に優しくしてくれるんだろう。私の傷つく言葉だって彼はきっと言わない。サソリと付き合うより、早瀬くんを選んだ方が私は幸せになれるのかもしれない。
それがわかっているのに。私の気持ちがサソリから全く動かないのはなんでなんだろう。
『…ごめんなさい』
私は呟いた。声が震えてしまう。
『気持ちはとても嬉しい。でもやっぱり、サソリが好きなの。この気持ちは変わらないから。早瀬くんに逃げたら、楽なのかもしれない。でもそれは恋じゃない。私は貴方の気持ちを利用するだけだから』
「利用してくれていいよ」
『……』
「いいよ。いつまででも待つよ。赤砂を忘れるためにオレを利用してくれて構わない」
『なんでそこまでして私に…』
「言ったろ?君が好きだからだよ」
どうしてそんなに好かれているのか本気でわからない。私の心の声に答えるように早瀬くんは続けた。
「自分でもよくわかんねーんだけど、月野さんが笑ってるとオレが嬉しくなるんだよね」
『……』
「で、泣いてるとこっちまで悲しくなるの。だからオレは君を泣かせるアイツが大っっっ嫌い。正直死ねばいいと思ってるね」
相変わらずの毒舌っぷりである。少しだけ、笑ってしまった。
確かに、私はサソリの言葉に泣くことが多い。でもそれ以上に、笑わせてもらっていることも多いのだ。
私はサソリが好きだ。誰に否定されようとも、サソリに否定されようとも。この気持ちはきっと永遠に変わらない。
私は早瀬くんの胸に額を押し付けながら言った。
『本当にありがとう、早瀬くん』
「……」
『でも、いいの。私が好きだから。泣かされてもサソリが好きだから。だから、ごめんね』
こんなに良い人に好かれることはもうないかもしれないな、と思った。でも私に彼は選べない。いつか私よりずっといい女の子を好きになって、幸せになってもらいたい。
そう願いを込めて早瀬くんの胸から離れようとしたその時。ガラッと後ろ背に扉が開く音。
教室の温度が、一度下がった気がした。