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夕日に染まる教室で、皆に貸してもらったメイク道具を丁寧に拭いていく。文化祭の成功に一役買ってくれた宝石たち。命はなくとも今日の主役である。一つ一つに感謝を込めながら、私はそれを各々のポーチにしまっていった。
今は後夜祭の時間である。皆は体育館に集まっているはずだ。その隙に片付けをしておこうと私は一人教室に残っていた。多少の汚れや破損は致し方ないと思ってくれているクラスメイトたちに、出来る限り綺麗な姿でメイク道具を返したかったからである。やるのが早いに越したことはない。
「お前、またそんなことやってんのか」
顔を上げずとも誰なのかは明白である。私は刷毛の粉をティッシュの上に落としながら言った。
『私が言い出したからね。綺麗にして返して、皆にお礼言わなきゃいけないから』
「だからそんなの明日皆でやればいいだろ」
デジャヴである。昨年の文化祭の時も同じような会話をした。
『大丈夫。私裏方得意だから』
サソリは呆れたような顔だ。しかし、止めるつもりはないようだった。
隣に座り、当然のように手伝ってくれるサソリ。私は小さな声でありがとう、と言った。
「お前って実は凄いやつだよな」
『え…』
そんな評価受けたことがない。大体地味だとか考えなしだとか辛辣な意見を頂くことの方が多かった。
『具体的にどの辺が?』
「強いて言うなら発想力と行動力。もはや才能だろ」
オレには真似できねぇよ、とサソリ。そう言われても、特別なことをした覚えは皆無である。
私は刷毛をはたきながらうーん、と唸った。
『そんなのサソリのおかげに決まってるじゃない。サソリが色々手伝ってくれたから。私一人じゃ何もできないよ』
サソリが一瞬手を止めた。しかしすぐに何事もないように作業を進める。
「それは違うな」
『?』
「オレがいなくとも、お前は自分でなんとかできただろ」
オレがいなくとも。そんな話をされたことに驚いた。
オレのおかげだ感謝しろよ、くらいは言われると思っていたのに。
「あまり一人で先に行くな」
『…なにそれ』
「わからないならいい」
私がサソリを置いていっているということがいいたいのだろうか。そんなことあるわけがない。サソリは常に私の数歩先を歩いている。置いていかれているのはどう考えても私の方だ。
しかしなんとなく察した。サソリは私に対して何かしらの不満の感情を抱いているのだと。私、また何かやらかしたんだろうか。
…思い当たる節が多すぎて、具体的にどれなのかよくわからない。思い当たる節が多い、というのがそもそも問題なんだけど。
サソリは黙々と手を動かしている。彼は本当に器用だ。この単純作業すら私より数段手際がいい。
『…サソリもさ、言ってくれない?』
「ああ?」
『私に対して不満とか、欲求とか。あるなら言って。私もなるべく叶えるから』
サソリは手を止めずに答える。
「別に不満なんてねーよ」
『あるでしょ。一つや二つ』
「……」
長い無言。彼はメイク用品を拭き上げている。しかしその顔が少しだけ悩んでいるように見えた。この微妙な表情の変化に気づくくらいには、私は彼と近しい存在になっている。
綺麗になったそれらを全てポーチにしまい終えた頃、サソリはやっと口を開いた。
「不満とはちげぇんだけど、一つ言っていい?」
『…うん。なに?』
「オレのわがまま」
わがまま?と私。サソリにはなんとなく似合わない言葉だ。サソリが初めて私の顔を見た。
「オレ以外の男を好きにならないでほしい」
『…え』
「これから先、何年経っても。ずっとオレのことだけを好きでいるって約束してくれないか」
言葉が出なかった。サソリの口から、そんな話が出ることは想定していなかった。
サソリはよく言っていた。不確かな話をすることが好きではないと。未来の話なんて、どう足掻いても確定はできない。未来はいくらでも変わってしまうから。私たちの関係を保証することは、現段階で不可能である。
それでもサソリは、私に言って欲しいのだろうか。
無言でいる私に、サソリは小さく笑った。その顔がなんとなく憂いを帯びている気がしてドキッとする。
「冗談だよ。そんなに真剣に悩まなくていい」
『……』
サソリの長い睫毛が夕陽に染まってとても綺麗だ。ここは確かに現実なのに、彼を見ると御伽噺の幻想的な世界にいる気がしてくる。
彼の言葉に、悩む理由は見当たらなかった。
『約束するよ』
「……」
『私はずっとサソリのこと好きでいる』
何年経とうが、この気持ちは変わらない。勿論確約する方法はない。しかし今の私の想像する未来に、サソリ以外の男の子の選択肢がないのもまた事実である。そして何より、私はサソリに少しでも安心して欲しかった。
サソリはじっと私を見ていた。自分から言ったくせに、私の答えにそれほど喜んでいる様子は感じられない。
何かまた間違ったことを言ったかな、と不安になった頃。サソリは無言で私の首元に手を伸ばした。冷えた親指が喉元に触れる。
首を触られるのはなんとなく抵抗があった。しかし、拒否するのも憚られる。
彼の纏う空気が、微妙に重苦しい。
「…していい、」
あまりにも小さい声で聞き取れない。数秒の無言の後、サソリの唇が再び動く。
「その約束。破ったら首絞めていいか」
背筋が凍った。ドッドッド、心臓が強く脈打つのがわかる。
無言のまま硬直している私に、サソリは相変わらず無表情のまま言った。
「約束してくれるんだろ」
『……』
「もし、これから先お前がその約束を破ることがあったら。その時は殺していいんだよな?」
サソリの指に僅かに力が篭る。私は何も言えず、彼から目を背けられなかった。
夕闇に染まる教室は静まり返っている。こんなに近くにいるのに、お互いの呼吸音すら聞こえない。
時計の秒針が一周した頃。サソリは手に入っていた力をゆっくりと緩めた。
「そんなに息止めてると死ぬぞ」
『……』
「冗談に決まってんだろ。何マジでびびってんだよ」
サソリの言葉で、自分が長らく呼吸を止めていたことに気づく。サソリが私の首から手を離したと同時に唇から滞っていた空気を思い切り吐き出した。
怖かった。サソリから、本気の殺意を感じた。
「そんな約束を安易にするもんじゃない」
『……』
「美羽はオレに対して盲目的に従順すぎる」
サソリの発言の意図が読めない。黙ったままの私に、サソリは続けた。
「これから先、お前は何度も人生の岐路にぶち当たる。その時、必ずオレを優先しなければならないという制約はない」
どういう意味?とか細い声で私。
「長い人生、オレより優先しなくちゃいけねぇことも出てくるってことだよ。その時、オレを優先しなくてはならないという思い込みでお前が何かを諦めることになるとしたら、それは本意じゃない」
『…なにそれ。サソリは、私が、サソリを選ばない道があると思ってるの?』
「まぁ、可能性としてはゼロじゃないだろうな」
『……』
私は自分のスカートをギュッと握りしめる。
『私はサソリが好きだよ。いつでもサソリを優先したいし、ずっと一緒にいたい。サソリと離れなきゃいけないなら、そんな選択肢は要らないよ』
サソリは無表情である。割と思い切って発言したつもりなのに、彼の心は動かないようだ。
「美羽は自分が思っているより可能性のある人間なんだよ。もっと広い世界を見るべきだ。オレの優先順位は下げていい」
『どうして急にそんなこと言うの?サソリは、私とずっと一緒にいるのが本当は嫌なの?』
サソリは全く悩まず首を横に振った。
「そうは言ってない。だが、美羽の人生がオレの人生と全く別物なのは変えようのない事実だ。それはお互いに意識しなきゃいけない」
『……』
「美羽の人生は美羽が決めていい。オレに遠慮する必要はない」
サソリの言っていることはなんとなくわかる。わかるけれども。
顔を伏せてしまった私の頭を、サソリがぽんぽんと撫でた。その中途半端な優しさが逆に私の心を痛めつける。
「別れ話してるわけじゃねぇんだから。そんな顔すんなよ」
『……なんで』
「うん?」
『なんでサソリはいつもそうやって冷静で、いつでも正しいの』
「……」
『私はサソリが大好きなんだよ。未来が確定できないからこそいつでも優先したいしサソリのことを一番に考えたい。その私の気持ちをどうして無視するの』
私は怖いのだ。サソリが私から離れていくことが。大学に行ったら、お互いに沢山の出会いがあるだろう。私より可愛い子なんていくらでもいる。サソリに新しく好きな女の子ができる可能性だって、何億回も考えたに決まっている。でも口に出したくなかった。口に出したら、現実になってしまいそうな気がして。
そして今回、サソリが同じようなことを考えていたと知って少なからずショックだった。その上、彼には私を引き止める気はないらしい。もう傷つくを通り越して笑うしかない。全く笑えないけど。
それが私の人生だから。立派なことを言っておいて、それってただ単に関係を継続する努力を放棄しているだけだ。
『サソリは本当に大人なんだね』
「……」
『私は子供だからわからないよ。なんで素直にずっと一緒にいようって言ってくれないの』
「オレはお前のように純粋じゃない」
『……』
「失う可能性を考慮しなきゃ実際そうなった時、喪失感に耐える自信がない」
『だからなんで失うの前提なのよ。私はいなくならないし』
「なんでそう言い切れるんだ」
『言い切らないと不安だからに決まってるでしょ』
「……」
『確証がないからこそ、サソリとずっと一緒にいる方法を模索してるんじゃない。もしもの話はしたくない」
「そんなのはただの逃避だ。ガキの発想だろ」
『サソリと離れなきゃいけないくらいなら私は一生子供でいい。私の人生だもん、私が決める。サソリに指図されたくない』
サソリは黙っている。しかし納得していないのはオーラでわかった。本気でイラッとくる。何故この人は頭がいいのにこんなに人の気持ちがわからないのだろう。
これ以上今の彼と話しても無駄。そう判断し私は無言で席を立った。
『反省して』
「ああ?」
『なんで私がこんなに怒ったのか一生懸命考えて。じゃなきゃ許してあげない』
「……」
一人で教室を出る。ご丁寧に廊下で10秒数えたのに、サソリは教室から出てこなかった。普通追いかけてくるでしょ、と更にイライラする。
ばーか、ばーか…あとばーか!と少ない語彙力で心の中で罵っておいた。
当てもなく廊下を前に進んでいく。
わかっている。私が離れたら私を殺したい、までが彼の本音が吐露された部分だ。言われて、恐怖を覚えたのは事実である。しかしサソリの性格上そうだろうと納得できる面もあった。改めて冷静に考えれば大して驚きもない。
そもそも私はサソリの面倒くささを十分承知した上で彼と付き合っている。それなのに、今更なんで無理に取り繕うとするんだろう。色々理由をつけて私と別れる準備をしているようにしか思えなかった。
そしてその発言に私がどんなに傷つくのか、彼は考えもしていないだろう。
本当に面倒くさい。私が出会った男の人の中で、彼が確実に面倒くさい男No. 1である。
「…美羽ちゃん」
名前を呼ばれ、引き寄せられるようにそちらを向いた。そこにはひかりちゃんが立っている。彼女の手には、上品に黒く光るものが握られていた。それが何なのか、すぐに察する。
とりあえず、サソリのことは後回しである。目の前の彼女は、サソリと違って素直に私に助けを求めてくれていた。それならば私は、全力で彼女を助けてあげたい。
『どうしたの?ひかりちゃん』
私は出来る限り柔らかい声を出した。彼女は何度も逡巡した後、小さな声で本当にごめんね、と話し始めた。