エピローグ
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epilogue
やっぱり、今日もダメだった。
誰もいない静まり返った廊下に、ザーザーと激しい雨の音が響いている。重い足取りで、私は一歩一歩下駄箱までの道を進んだ。
今日こそは誰か一人、声をかけようと思っていたのに。しかし今日も、朝の出欠確認以外上手く声を発せなかった。
学校生活とは厳しいもので、出だしに躓くと挽回の余地もなくどんどん置いていかれてしまう。
気づけば周りには仲良しグループが何個もできていて、勿論私はどこにも属せていない。
ああ、私ってなんてダメな人間なんだろう。
鬱々とした気持ちで上履きから靴に履き替える。何気なく傘立てを見て驚愕した。持ってきたはずのお気に入りの傘がない。
この大雨だ。傘を忘れた誰かが持っていってしまったのだろう。どこまでも最悪だ。私はきっと、神様に嫌われているに違いない。
ふと目に入る一本だけ残されているビニール傘。一瞬だけ考え、直ぐに打ち消した。いくら自分が困っているからと、それを勝手に借りて帰る度胸を私は持ち合わせていない。
走って帰るのも躊躇してしまうくらいの大雨っぷり。ぼうっと眺めながらせめて少しでも雨が弱まるのを待つ。
あまりにも暇なので、家に帰って親から今日はどうだった?と聞かれたときの言い訳を考える。心配している両親に、今日も友達が出来なかったなんて格好悪いことを言えるはずがない。
高校一年生にもなって恥ずかしい。でもできないものはできない。皆どうやって会話をして、友達を作っているんだろう。周りの人間が皆、自分より数倍優れている人間に見える。
「……オイ」
もしかして、私以外の人は授業で友達の作り方を学んでるのでは?なんてくだらないことを考えてみる。そういう妄想で自分を守る時間がなければ最早やっていけない。
「おい!邪魔なんだよ!」
『…っ!?すみません…ッ』
声に驚いて咄嗟に下駄箱にへばりつく。鋭い眼光に血の気が引くのを感じた。
髪が真っ赤。ネクタイはゆるゆるで鎖骨が見えている。見た目は完全に不良だ。偏差値はかなり高めの高校なのに、どこにも一定数不良はいるものなのだろうか。
「……チッ」
彼は私に見せつけるように舌を打って、傘立てからビニール傘を抜き取った。どうやら彼の所有物だったようだ。使わなくてよかったと心から安堵する。
あとはこの時間が一刻も早く終わってほしい。どうかこれ以上絡まれませんように。そう密かに願いながら私は自分の足元をじっと見つめていた。
「…あれ?お前……」
しかしその願いも虚しく、まさかの声をかけられる。私は変わらず視線を逸らしながら制服のスカートをギュッと握った。怖い。怖すぎる。サバンナでライオンに目をつけられたウサギの気分だ。今の私はまさに絶体絶命。
「同じクラスか?」
『……はい、多分』
「多分?」
『ひっ…いえ、同じです。すみません…』
悪いことは何もしていないのに謝ってしまう。彼は私を頭から足の先までじろじろ観察している。まるで値踏みをされているかのようだ。しかしそれを不快に思うほどの心の余裕が全くない。
「名前は?」
えっ……と声が掠れてしまう。少しだけ顔を上げると、彼はまじまじと私の顔を見ていた。先ほど感じた攻撃性が消えているのを感じる。
見た目はこんななのに、彼は私の数百倍社交性があるらしい。社交性のあるライオン。そして私はどこまでもダメなうさぎ。その事実がなんだか悔しい。
「なんて名前?」
口を結んでいる私。怯えている私を不審そうに見つつも、彼は急かす気も、呆れるような素振りも見せなかった。
ただじっと待ってくれている。それだけで、何故か救われた気になった。
肺に一気に空気を取り込んで、ゆっくりと吐き出す。持ち得る勇気を全部かき集めた。
『…… です』
「ああ。そうだ。そんな名前だったな」
か細いながらも、きちんと伝えることができた。この学校に来て人とまともに会話できたのは初だ。これがまともな会話かと突っ込まれたら肯定する自信はないけれど。
彼は私の答えに満足したようで、傘を開いて帰る準備をしている。心底ホッとした。一刻も早くこの場から去ってほしい。そんな気持ちがバレたら殺されそうだけれど。
「おい」
しかし目の前の彼は再び私に振り向いた。心の声がバレたの!?と一瞬本気で焦ってしまう。しかし勿論そんなわけはなく、彼は涼しい顔で私を見下ろしている。
「もしかして傘ねぇの?」
はぁ…まぁ…と曖昧に答える。すると彼は躊躇なく私に傘を差し出した。
「よかったら入っていくか?」
『え”…ッ、そんな、いいですいいです!』
思わず過剰に拒否してしまった。
私は彼を知っている。クラスメイトだから。そして彼はクラスの……いや、学校中の女子の憧れの的である。
彼は言葉では表現できないくらいとんでもなく美しい容姿をしている。男性の褒め言葉としては適切ではないかもしれないけれど。しかし彼のことは、美しいとしか表現しようがない。
そんな彼の隣に私が並ぶなんて。月とスッポンどころの話ではない。考えただけで恐ろしい。誰かに暗殺されるかもしれない。
『私のことは気にしないでください。名前も知らない人にご迷惑をかけるわけにはいきませんから……』
彼の眉間に深い皺が刻まれる。断りたいという気持ちばかりが先行して、とんでもなく失礼なことを言ってしまったことに後から気が付いた。名前を覚えていないのは正直事実だけれど、そんなことを言われて愉快になる人間なんてこの世に存在しないだろう。
またやってしまった。やっぱり私はどこまでもダメ人間だ。
「……赤砂サソリ」
彼は眉間に皺を寄せたまま、静かにそう言った。心底不機嫌そうに、しかし私から顔を逸らそうとはしない。
「名前も知らない人じゃなくなっただろ?入っていけよ」
『え……でも』
「いいから」
初めて彼と、目が合った。透き通るブラウンの瞳はあまりにも綺麗で、思わず見惚れてしまう。それと同時に何故か懐かしい気持ちになった。
何故だろう。私と彼は今まで話したことすらなかったのに。
これが私と彼が、初めてお互いを認識して話したはじめての日。
激しい雨の中を、二人で肩を並べて歩いた。
気まずくて、息苦しくて。しかしなんだか安心してしまう。ーーこんな時間を、私はもしかしたら昔から知っていたのかもしれない。
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